噺の話

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『鬼の詩/生きいそぎの記-藤本義一傑作選-』

 このシリーズ、最終回。

 川島雄三と藤本義一のシナリオづくりの間、川島はいろんな話題を持ち出す。

 酒が入っていると、二人はちょっとした口論となることもあったが、そんな中で、ある二者択一問題(?)は、熱を帯びたものになった。

「君、弁慶と牛若と、どっちが好きですか」
 不意に聞かれて、おれは迷った。夜明けの疲れが重い。いい加減に聞き流しておくのが無難だと思って、おれは、そうですねえと曖昧に答えた。こんなことを別に深く考えるだけ野暮だと思ったのだが、これが相手の癪に触れたのだ。
「はっきりと答えてください」
「牛若です」
「牛若・・・・・・ぼくは弁慶、絶対に弁慶です」
 異様なほど力の入った言葉に、おれは唖然となった。
「弁慶の、あの壮烈さがいい。矢が何本も突きささっていて、死んでいるんだが、なお、敵の矢面に立っている。ぼくは、そういう人間が好きだ。いいと思う。牛若なんて、あんな小才の小僧。弁慶がわからん者は馬鹿です」
 おれは、むかっとなった。

 むきになった藤本が引き下がらず反論する。
 川島は、万年筆を藤本に投げつけ、怒鳴った。
 
「帰りなさい。帰れ!」
 畳に滲んだインキの色は、貪り食って滴った葡萄の汁の生々しさがあった。

 藤本は、宿を出た。

 なお、文庫の巻末に収録されている「下北半島・川島雄三映画祭」(1988年10月)の藤本の講演の内容では、弁慶派が藤本、牛若派が川島と逆だったようだ。

 宿を出た藤本は、映画館でギャング物の洋画を観た。

 おれは映画館を出て、閑散とした堂島の小さな古本屋に入り、何げなく『映画』という小冊子の創刊号を繰っていると、昭和十三年五月発刊の随筆欄に、「小さなものに」と題して川島雄三の短文が掲(の)っていた。
ーかつて、生態映画か何かで、花に蜜をもとめる蝶の、大写しの触鬚のはなやかな振動に、軽い眩暈(めまい)に似たものを感じたことがある。ある時又、フランスの女優アナベラの唇の動きに、それと同じおもひをした。
 と読むすすんでいる裡に、
ー二十日鼠に限らずすべて矮小な禽獣には、血液の量のすくなさが感じられて不安である。あるひはこれは病的な感覚に近い。けれども漫画映画などにみる小禽獣はさうした感覚からむしろ遠いものなので、物足らなさを覚えるものがある。かへって、ポパイなどのサディズムに、ある種の抵抗を感じる。
 おれは二百円を投じて、表紙のぼろぼろになった雑誌を買った。

 その後、藤本が家に帰ると、川島の電報が届いていた。内容は、

 「サヨナラヲイワズニカエルノハヒキョウデス、カワシマ。」

 雑誌という土産もある、藤本は宿に戻った。

 しかし、監督は部屋にいなかった。

 雑誌と置手紙でもしておこうと思って、おれは監督の部屋に入った。机の上は綺麗に整理され、新しいドイツの新薬の瓶があった。鉄分血行障害云々という日本語の解説文が瓶の横に展げられていた。
 おれは、短い詫びの文と雑誌を瓶の下に置き、部屋を出ようとして、ふわりと紫の風呂敷の乗った件(くだん)の白表紙の本が目についた。頁の間に爪楊枝か燐寸の軸のようなのが挟んである。おれは、厚いずっしりとした本を取りあげた。白背表紙のに剥げかかった金文字で『家庭医学全書』とあり、おれは、なんの躊(ためらい)もなく、薬の部分を折り取った燐寸棒の個所を展げた。
 びっしりと犇(ひしめ)くように並んだ活字を見た途端、おれの背筋に慄えがはしった。
 見てはならないものを見てしまった。
 脊髄の病気という五文字が黒い枠の中のい閉じ籠められ、シャルコー病のところに、何本も爪痕のような斜線が入っていた。括弧の中に、筋萎縮性側索硬化症という字が並んでいたが、その厄介な病名を全部覚えるまでに、おれは本を閉じて、息を詰めて、もとの場所に置き、風呂敷の真ん中を抓みあげて、もとどおり、ごく自然にかけられた風呂敷のイメージをつくりあげた。シャルコー病、シャルコー病と耳慣れない病名を、おれは部屋に戻ってからも繰り返していた。筋肉が縮んでいく病気だとは括弧の中に並んだ活字から漠然と理解出来たが、それが一体なにを原因にして起ってくるのかは皆目わからなかった。

 “件の”とあるのは、以前に、川島の部屋に無言で入った際、監督がその本を慌てて隠したことがあるのだ。

 自分が病を気にしていたことを、他人に隠そうとしていた川島。

 それも、彼のダンディズム、と言えるのかもしれない。

 藤本は、シナリオに養蜂家が出てくるので、蜂のことを調べるために中之島図書館に行った時、ついでに医学者で川島の病のことを調べている。

 その病が「先天的」であることを知る。

 先天的という文字だけが離れなかった。家族のことを話さない監督、故郷に憎悪の眼差を投げる男、なにが津軽の地にあったのだろうかと考えると、ストーブに馴染んだ躯に、薄っすらと汗の惨みを覚えるのだった。


 家族のことを話さない、川島。
 故郷については、憎悪の念を表わす川島。

 川島の故郷に関する思いについては、小沢昭一さんにも印象深い体験があるようだ。
 以前『KAWADE夢ムック 小沢昭一』から、藤本義一との対談を紹介したことがある。
2012年1月15日のブログ

 今村昌平と小沢さん、そして川島と三人がバーで飲んでいた時、今村が関心を持っていた東北地方のことを話題にしたところ、川島は実に不愉快な顔をしたらしい。

 いったい、彼にとって、故郷とは、そして、家族とは何だったのだろう・・・・・・。

 昭和38(1963)年6月11日、川島雄三は、四十五歳で旅立った。

 遺作『イチかバチか』公開の5日前での急死だった。直接の死因は肺性心となっているが、筋萎縮性側索硬化症が関係していないはずはなかろう。

 監督予定の三作品があった。

 ・『江分利満氏の優雅な生活』(1963年/東宝、原作:山口瞳)
   これは、岡本喜八が監督した。
 ・『忍ぶ川』(1964年/東宝、原作:三浦哲郎)
 ・『寛政太陽傳』(1964年/東宝)

 この中の「寛政太陽傳」という題が、大いに気になるじゃないか。

 Wikipediaの「幕末太陽傳」から引用する。

Wikipedia「幕末太陽傳」
 「影響」の部分。
スタッフ、キャストのうち、今村昌平とフランキー堺は特にこの映画と川島から影響を受けている。今村が昭和56年(1981年)に製作した『ええじゃないか』は、舞台を両国橋周辺に移し時代も数年先としているが、『幕末太陽傳』でやり残した部分を映画化した気配が濃厚な作品だった。フランキーは生前の川島と東洲斎写楽の映画『寛政太陽傳』を作ろうと約束していたという。それが果たされずに川島が死亡したため、フランキーは俳優業の傍ら写楽の研究を続け、平成7年(1995年)に自ら企画・製作に参加して『写楽』(篠田正浩監督)を作り上げた。フランキーが高齢になったため、写楽役は真田広之が演じることになりフランキーは蔦屋重三郎役に回ったが、川島は「写楽はフランキー以外に考えられない」と語っていた。フランキーは師とあおぐ川島との約束を果たし、その翌年に死去している。川島を師と仰ぐ藤本義一は、舞台を大阪にした『とむらい師たち』の脚本で、勝新を川島に見立て、主人公を造型した。(葬式屋の生涯:墓場は、川島が好んで使用したシーン)。ラストで勝新が生と死の挟間で彷徨する地獄とも思えるシーンは、川島の出身地恐山そのものである。
 『ええじゃないか』、『とむらい師たち』は、どちらもCSで観ている。

 歴史に「IF」はタブーを承知で、もし、川島雄三の脚本・監督、フランキー堺主演で『寛政太陽傳』が製作されていたら、『幕末太陽傳』に並ぶ代表作となったのではなかろうか。

 さて、この本のことに戻る。

 『生きいそぎの記』のやや暗い部分の引用が多かったが、鍋にビールを注いで大失敗する逸話などもあるし、川島と藤本の楽しい会話などもあるので、必ずしも全編通じて暗いわけではない。

 とはいえ、やはり、読後には川島の病のことを思わないではいられなかった。

 川島雄三の宿痾のことを思うと、いろんな感情が浮かんでくる。

 なお、『生きいそぎの記』は、小説として脚色されている部分もあるから、巻末の講演記録と両方を読むことで、川島雄三という人物像がより鮮明に浮かび上がってくるように思う。

 このシリーズ、これにてお開き。

 長々とお付き合いいただき、ありがとうございます。


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# by kogotokoubei | 2018-09-27 19:18 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(6)
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『鬼の詩/生きいそぎの記-藤本義一傑作選-』


 このシリーズ、四回目。

 宝塚の宿で、川島雄三と、弟子の藤本義一は、シナリオづくりに取りかかる。

「さあ、今日からシナリオの構成に入ろう」
 と宣言があってから、二人がとりかかったのは、所謂、脚本構成の第一段階である筋書きではなく、登場人物の性格設定でもなく、一軒の家の設計であった。おれは、それまで二、三の監督についてシナリオのイロハを習っていたので、一軒の家の設計図に十日を要すとは思っても見なかった。その家も、はじめの構想では大阪近郊の安普請のアパートだったのが、次第に趣を変えて、零落したお邸に奇妙な人種、妾、インポテンツの男、発明家、天文学者、予備校生、フラッパーな女子大生、ホステス、仲居、闇医者を住まわせることになった。正午から夕方まで、新聞紙を展げた大きさの全紙に、二人はああでもない、こうでもないと定規、分度器を使って線を引いた。
「この部屋には、腰から尻の線の不潔な女を一人住いさす。抜き襟で、後から見ると溜息の出るような猥褻な女がいいのです」
「師匠、炊事場、便所は共同にしますか」
「勿論です。あ、湯殿がない。風呂場、風呂場だ。共同風呂だ。その玄関の横に設計してください」
 このへんのやりとりだけを読むと、なかなか楽しそうに思える。

 しかし、その後、藤本義一にとって楽しいばかりとは言えない日々もあったようだ。

 二週間を経て、ようやくお邸の設計図が出来あがった。監督は手首から指先が反りかえる奇妙な手付で絵筆を握り、踏石のひとつひとつに淡いブルーの絵具を塗り、楽しそうであった。不図(ふと)、設計図の中の離屋を見ると、戸口に無数の格子縞模様が描かれていて、これはなんですか、昨夜の段階までなかったですがめと訊ねると、おれは座敷牢だといった。
「座敷牢・・・・・・誰が住むんですか」
「空部屋でげす。どういうわけか、ここに座敷牢があるのでげすな。その昔、誰かがこの中で阿鼻叫喚というわけでげす。ここに天体望遠鏡を持ち込んで、天文学者が住み込むのも一興でげすな」
 そんなことを喋る場合は、長い睫をひくひく動かせて、伏目がちになり、自らの脆い魂の一面をのぞかせた。茶色の細い絵筆が格子を丹念に塗りあげていくのを見ていると、もうその座敷牢の内側の雰囲気が、おれに伝わってくるようであった。風の死んだ空(か)らし蒸しの部屋の様子が陰気な翳りを見せて忍び込んできた。
「妾が旦那の来ぬ間に、ここに予備校生を連れ込んで情交ということも考えられるのでげす。尻に葦の花茣蓙(はなござ)を敷いて、予備校生の童貞を、あれエとかなんとかいいながら奪うのも一興でげすな。終った後の女の尻に花茣蓙模様がくっきり刻まれて、炎天下名もなき虫の死骸かな、うつ、ふっ、ふぁ、・・・・・・」
 時に、女に対して限りない憎しみを抱くような言葉を吐いた。酒が入ると淫猥な言葉が飛び出し、アノ小サナ臭イ穴ヲモッタ動物といった表現を呟きながら、酒をたてつづけに呷るのである。そういう時は、下手に割り込んではならない。いいたい放題、捨てておけば、言葉はいつしか飽和点に達して消えてしまった。

 この座敷牢が、映画の中でどのように描かれたのか、記憶にない。
 
 もしかしたら、最終段階で設計図から除外されたかな。

 川島雄三の女性への思いは、彼の半生でのどんなことが影響しているのだろうか。

 その謎は、本書を読めば明らかになるのか・・・・・・。

 設計図の目処がつき、シナリオづくりは次のステップに進む。

 設計図が丹念に彩色されて数日後には、それまでは、ばらばらであった登場人物の性格が次第に明確になってきた。慌て者、早合点、お調子者、淋しがり屋、金の亡者、信仰気狂い狐憑き、性的健忘症、謀反人、等々、いずれもが監督の分身であった。すでに監督の中に原作は埋められ、別の分身が続々と登場を開始し、原稿用紙の上には、奇怪な老若男女が跋扈跳梁の時を待っていた。性格の設定に詰ると、今度は二人は植木屋に変じて、またも設計図を展げ、このあたりに篠竹を数本植えよう、いやいや、葉鶏頭の燃えるようなのがよろしい、彼岸花はどうだろう、紅玉散りばめた柿の木、いや満開の桜の老樹と、四季の約束など忘れはてて、邸の庭を飾りたてた。
 設計図-人物設定-設計図・・・・・・と行き来して、二人の共同作業は続いたわけだ。

 ここからは、題材となっている映画のこと。

 昭和34(1959)年6月公開の映画「貸間あり」は、ずいぶん前にCSで観た。
 内容は、相当忘れている。

 確認のために、Allcinemeのサイトから、まず解説を引用。
Allcinemaの該当ページ

井伏鱒二の同名小説を原作に、「洲崎パラダイス 赤信号」「幕末太陽傳」の川島雄三監督が大阪の風変わりなアパート屋敷に住むバイタリティにあふれた個性豊かな住人たちの悲喜劇を描いた群像ドラマ。アパートの2階に住む与田五郎は4ヵ国語に堪能で、小説、論文、翻訳などの代作を中心によろず引き受け業を営んでいた。そこへ、学生の江藤が受験の身代わりを申し込んできた。ついでに、1つ空いているアパートの空き室を借りようとするが、そこは一足先に陶芸一筋の三十娘、ユミ子が借りることに……。
 川島監督と共に脚本を担当した藤本義一自ら“重喜劇”と称した本作は、繰り出されるギャグの数々はあまり笑いに結びつかないが、監督の座右の銘ともいうべき“花に嵐の喩えもあるさ、サヨナラだけが人生さ”が劇中でも使用されているように、残り短い命を悟った監督の死生観とでもいうべきものが通底していて、深く鋭い人間洞察に溢れた作品に仕上がっている。監督の分身ともいえるフランキー堺演じる五郎が、愛する女性に追われながら、なぜかどこまでも逃げ続ける姿が、まるで将来というのを確実なものとして受け入れることのできない男の覚悟と見えなんとも痛ましい。

 「監督の死生観とでもいうべきものが通底」とは、言い得て妙。

 五郎役は、あのフランキー堺。
 他の人を含め、Allcinemaからキャスティングもご紹介。

フランキー堺 与田五郎
淡島千景 津山ユミ子
乙羽信子 村上お千代
浪花千栄子 おミノ
清川虹子 島ヤスヨ
桂小金治 洋さん(谷洋吉)
山茶花究 熊田寛造
藤木悠 ハラ作(西原作一)
小沢昭一 江藤ミノル
加藤春哉 高山彦一郎
益田キートン 野々宮真一
沢村いき雄 御隠居
加藤武 小松
市原悦子 高山教子
西岡慶子 お澄
西川ヒノデ 岸山
渡辺篤 宝珍堂
長谷川みのる 刑事
津川アケミ 登勢
中林真智子 女店員
頭師満 宏
宮谷春夫 四方山
青山正夫 菩提寺
守住清 地廻り
楠栄二 記者


 凄いでしょ、この顔ぶれ。
 
 二年前の『幕末太陽傳』を最後に日活を離れ、東宝系の東京映画での作品だが、太陽傳の出演者も多い。

 小沢昭一さん、加藤武さん、などは川島組と言ってよいのだろう。

 川島が落語界から映画界に引っ張り込んだ(?)桂小金治さんも重要な役で登場。
 市原悦子さんは昭和11年生まれだから、この映画に出演した時、23歳。

 
 今回は、このへんでお開き。

 次回の最終回では、藤本が川島の病の謎について、また“見てはいけないもの”を見てしまう場面をご紹介。


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# by kogotokoubei | 2018-09-25 19:36 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(0)
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『鬼の詩/生きいそぎの記-藤本義一傑作選-』


 このシリーズ、三回目。

 撮影所の掲示板にあった張り紙を見て川島を訪ねた藤本は、川島の面接に合格し、川島が泊まっている宝塚の定宿に行くことになった。

「お湯、入ってますさかいに、どうぞ・・・・・・」
 女将が去ると、監督は、窓際に立って、不安定に前後に揺れる体を踏みとどまらせたといった格好で、背広の釦(ぼたん)を外しながら、この旅館の湯は、ビニールパイプで温泉を引き込み、それをまたガスで温めるのだといい、泉質はやや塩分を含んでいるが、石鹸の泡立ちもいいし、ぬめりがないなどどいった。
 おれは、監督が一個の釦に、かなり手古摺っている様子を奇妙な光景を見物するかのように眺めていた。釦穴をひろげようとする左の指先が外側に折れるような不自然さを示し、右の拇指と人差し指が、黒い一個の釦を抓もうとして何度も滑った。グリーンのジャージ系統の背広は、おれの前で、ゆっきうり前後に揺れつづけている。ようやくのことで釦は外れ、背広の前が開いた。おれは監督の背にまわって、両肩から背広を脱がしにかかた。徒弟制度の礼儀といったものである。

 私は、川島雄三のことを、この本で初めて知ったと言ってよい。
 だから、川島の病のことなどはまったく知らずにいた。

 最初に、この後に続く文章を読んで、なかなかその姿が想像し難かったことを思い出す。

 ひとつの肩が脱け、もうひとつの肩から袖を外そうとしたのだが、奇妙なことに、背広は一枚の板のように、監督の背に貼り付いているといった感触だった。おれは、力を籠めた拇指の先で、背中から背広を剥がすようにして、背広を脱がせた。その途端、監督の肩胛骨が不自然な捩れをみせて、肩先は顎をかすめるようになり、前のめりに崩れ、さらに愕いたことには、おれの手に握られている背広は、くるっと内側に巻き込んだ態で、筒状になった。一体、なにが起ったのかおれには皆目わからなかった。一瞬、唖然となり、次に、見てはいけないものを見た時に覚える動悸の昂まりと身体の慄(ふる)えを感じた。
「丹前!」
 監督は両方の肩を体の前に巻き込んだ姿勢で、両胸を子供のように投げ出し、顎を突き出し、虚空の一点を睨み据えるようにして怒鳴った。

 この後、藤本は監督の背広をハンガーにかけようとして苦労する。その特異な身体に合わせて、背広も特異な仕掛けがあったのである。

 川島雄三が自らの姿を曝け出したことも、弟子入り志願者への面接の続きだったのではなかろうか。

 “見てはいけないものを見た”藤本の態度は、川島にとってその面接に合格するものだったのかもしれない。


 この夜、鍋を囲んで二人は飲んだ。

 話はあちことにとび、はじめての夜は、由比正雪、丸橋忠弥といった謀反浪人の話が並んだ。おれは、次回作の構想だろうと考えているとそういうわけもなく、次回作は大阪の安普請アパートに犇く男と女の色と欲だといった。
 二時間ばかりで、二人で二升近くの酒が空いた。おれは頭の芯に鈍い羽音が聞える感じがしたが、酒の酔は、頭の片隅に塊となって全身にはまわらなかった。緊張のせいもあったが、この人が一体どんな精神構造をもっていて、肉体の欠陥とどういうふうに結びついているのかを見守ろうとしているうちに、変な塊が頭の片隅に棲についたといっていい。

 二人の、創作活動が、始まった。

 今回は、本書のもう少し先の内容にしようかと思っていたのだが、やはり、紹介した宿での出来事は割愛できないと思った。

 本書を読んでから、川島雄三という人を、その肉体のことを抜きには語れないと思った。
 それは、精神面にも少なからず影響したであろうし、その結果作品にもその傷跡が残ったのではないかと思うのだ。


 次回は、少し話を進めたい。

 
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# by kogotokoubei | 2018-09-24 09:23 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(0)
 前回の記事で、川島雄三生誕百周年記念の落語・講談の会において、すでに神田松之丞の11月1日の昼夜口演のチケットが売り切れていること、私には、彼の人気は、少し異常に思える、と書いた。

 なんと、昨夜、テレビ朝日の「報道ステーション」に何気なくチャンネルを合わせたら、彼が出演しているではないか・・・・・・。
 講談人気の牽引車、という扱いでの出演。

 松之丞は、若い人は講談を新鮮な感覚で捉えていて興味を持ってくれていること、できるだけ難しい言葉は使わないようにしていること、もっと多くの先輩講釈師も聴いてもらいたい、などと語っていた。
 
 先日、柳家喬太郎の新作『ハンバーグができるまで』の舞台化のことや、彼があの作品を創作する背景のことなどを書いた。
 喬太郎も、多くの若い人たちにとっては、落語は新鮮な芸能として捉えられてる、と語っていたなぁ。

 では、映画は、今の若い人にとってどんな娯楽として捉えられているのだろうか、などど少し強引に本編へ。
 

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『鬼の詩/生きいそぎの記-藤本義一傑作選-』

 さて、藤本義一著『生きいそぎの記』からの第二弾。

 撮影所の掲示板で“股火鉢ノ川島”による人材募集の貼り紙を見た藤本の、その後。

「おもろい募集やな、一遍、行くか」
 おれは先輩にいった。
「やめとけ。あかん。行かん方がええ」
 先輩は断固として反対した。理由は、川島雄三に従(つ)くと、先ず胃潰瘍になるか肝臓をやられるという。
「ま、一遍、どんな人か会うてくる」
 好奇心であった。過去に、川島作品のいくつかを観ていた。ドタバタ喜劇もあれば、変にもの悲しい作品もあり、その差が著しい監督だというのがおれの印象だった。論理を均衡させようとしてドタバタになったり、論理と抒情が微妙な融け合いをみせて文芸作の香気になったり、記憶の断片では冷たい部分と変にあったかい部分が混り合っていた。一貫して感じられるのは、人間の孤独がどの作品にもちりばめられ、画面の底から、人間は本来孤独を内に包んでいるので、どうしても避けることが出来ないぞという呻きのようなものであった。
 おれは名前をいい、貼り紙を見たのだといった。
 気魄と情熱に溢れた監督の像を想像していたおれには意外だった。貼り紙通り石油鑵に股火鉢の監督は、杉綾織のオーバーの襟を立て、じろりとおれを睨み上げた。異様に赤い唇を突き出すようにして、瞬きもせずにおれの眼を見返した。艶のある髪の束が額に垂れていたが、それが、都会人ふうな投げやりな憂鬱ではなく、むしろ病的な兆候に思えた。伊達のポーズではない。肉体からやってくる姿なのだ。五坪足らずの助監督室が、その時、おれには荒涼とした暗い雪の原のように見えた。その雪原の真ん中に、一人の癲癇の重積発作を凝(じ)っと待っている少年がいる。そんな感じだった。
「助監督、志望ですか」
「いえ、シナリオ・ライター、志望です」
「支那料理屋ねえ、う、ふっ、ふぁ」
 おれも調子を合わせて笑おうとしたが笑えなかった。監督の眼は笑っていないのだ。おれは金縛りになった。こんな緊張はついぞなかった。

 “病的な兆候”や“肉体からやってくる姿”という表現は、その後に明らかになる川島雄三の病を暗示している。
 
 それにしても、“シナリオ・ライター”--->>>“支那料理屋”は、可笑しい。
 この後に、川島雄三の哲学、のような印象的な言葉が続いている。

「人間の思考を、今、仮に百とします。思考を言葉にすると百の十分の一の十です。その言葉を文字にすると、そのまた十分の一です。思考の百分の一が文字です。文字で飯を食っていくには、せめて、思考の百分の二、いや、一・五ぐらいの表現が出来ないことには失格です。わかりますか、君は・・・・・・」

 なかなか含蓄ある言葉。
 
 ブログにしたって、考えていることは、なかなか上手く表現できないものだ。
 いかに、百分の一を、一・五にまで引き上げるのか・・・・・・。
 実に、深~い。

 この後、川島雄三による口頭試問があった。

「君、酒、好きですか」
「好きです」
「君、女、好きですか」
「好きです」
「コイコイ、ハチハチ、チンチロリンはどうですか」
「あまり、やりません」
「どうしてですか」
「勝てば当り前だと思い、負けると口惜しいのです」
「う、ふっ、ふぁ。では、今夜から来なさい。但し、シナリオについては、手をとって教えるということはしない。そんなことをして、出来るのなら、誰でも映画を創れます」


 ということで、藤本は川島の面接(?)に合格した。

 今回は、つい、マクラが長くなったので、このへんでお開き。

 次回は、少し時間を進めて、川島雄三という人を、藤本義一の筆を借りてご紹介したい。後、二回、あるいは三回、このシリーズ続ける予定。

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# by kogotokoubei | 2018-09-22 09:17 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(0)
 三ヶ月ほど前に、川島雄三の生誕百周年ということで、落語会を含む記念行事があることを書いた。
2018年6月13日のブログ

 落語および講談の会は来月下旬から11月初旬にかけて開催される。
 ぴあのサイトを見ると、11月1日の神田松之丞の昼夜が売り切れている。
 実力もあるのだろうが、私は、最近の松之丞人気は異常に思えてならない・・・・・・。
「チケットぴあ」サイトの該当ページ
 まだ、チケットは購入していない。
 正直なところ、4800円という木戸銭、ちと高いなぁと思っているのと、まだ予定がはっきりしないのだ。
 

 さて、川島雄三に関する本について。

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藤本義一著『鬼の詩/生きいそぎの記』(河出文庫)

 藤本義一の『生きいそぎの記』。

 同じ河出文庫に収録されている『鬼の詩』については、五年余り前に紹介したことがある。ある落語家をモデルにした、直木賞受賞作だ。
2013年5月13日のブログ

 『生きいそぎの記』も直木賞候補であった。
 
 この作品は、藤本義一が川島雄三の『貸間あり』の脚本を共同で執筆する日々を小説化したものだ。

 百年前の1918年、大正七年に、川島雄三は青森県下北郡田名部町(現在のむつ市)に生まれた。
 この本は、その生まれ故郷である津軽の情景から始まる。


 津軽を行く。
 町はずれ、芦野公園、藤枝用水路のところに火の鳥(フェニックス)が彫られた文学碑がある。
 ー撰ばれてあることの恍惚と不安と二つわれにありー
 太宰治の碑だ。地蔵堂が近くにあり、赤や青や白粉(おしろい)つけた地蔵が何千と並んでいる。
 野球場近く、城の石垣を背に、
 ー胸にひそむ/火の叫びを/雪ふらそうー
 福士幸次郎の詩碑がある。
 が、どこにも、いくら歩いても、
 ー花ニ嵐ノタトエモアルゾ サヨナラダケガ 人生ダー
 の碑はない。川島雄三の碑はどこにもない。旅の本を展(ひろ)げてみても、川島雄三に関して一行も書かれていない。川島雄三という活字さえない。
「映画監督の監督という二字を解釈すれば、百科辞典でげす。影を売る百科辞典は、名作古典と誰も考えないものでげす」
 自嘲の言葉を思い浮かべる。

 この後に、川島雄三の作品がずらっと並べられた後で、次のような文章が続く。

 六年間に十七本の影を売り、それ以前に三十本を撮り、孤独と狷介不羈(けんかいふき)の幕を四十七本目の作品で閉じた。
 ー川島雄三はしかし見事に生きた。恐怖はたしかに例えようもなく重かった。それでも彼は四十五年の一生を精一杯生き切った。芸術もあった、戦争もあった、泥酔も喧嘩も恋愛も嫉妬も、ケチも痛快も憎悪も、あらゆるものが充実し、煮つまり、華やかに在ったーと弟子の今村昌平は書く。
 おれと川島師匠の出会いは、煮つまり、華やかな頂点であった。
 -思想堅固デナク、身体強健デナク、粘リト脆サヲモチ、酒ト色二興味アルモノヲ求ム。監督室内、股火鉢ノ川島ー。
 撮影所の掲示板に、手帳の一頁を破った募集広告がピンでとめられていた。三十三年の正月である。その頃、おれは、撮影所では助監督部でもなく企画文芸部でもなく、いわゆる臨時雇用の身で、日給二百七十円であった。大学には七年目の籍があり、専攻は農業経済であったけれど、就職のメドはなかった。△△組午前八時ロケ出発。XX組午後二時、衣装合わせ、等々の貼り紙が貼られた大きな掲示板の隅で、その小さな紙片は滑稽であった。誰かを揶揄(からか)っているような丸まっちい字である。「股火鉢ノ川島」とは如何にも『幕末太陽傳』の監督らしい表現だった。

 同じ本に収録されている『鬼の詩』もそうだし『贋芸人抄』や『下座地獄』でもそうなのだが、今回再読してみて、藤本義一の文章は、ついその先を読みたくなる魅力がある。

 『鬼の詩』について書いた記事や、この文庫のAmazonのレビュー(ドートマンダー名義)でも書いたのだが、11PMの印象があまりに強くて、作家藤本義一との出会いは、つい最近になるまでなかったことが悔やまれる。
Amazonの本書のページ


 さて、「股火鉢ノ川島」を藤本が訪ねる場面は・・・次回のお楽しみ。

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# by kogotokoubei | 2018-09-20 20:36 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(2)
 樹木希林さんの訃報に接し思い出すのは、「万引き家族」での、海のシーンだ。

 久しぶりに日本映画を劇場で観たことは記事にも書いた。
2018年6月25日のブログ

 その記事の最後に、この映画は、「樹木希林、そして、安藤サクラの演技を観るだけでも、価値がある」と書いた。もちろん、今でも、そう思う。

 海のシーンとは、擬似家族がそろって海水浴に行き、皆が仲良く遊んでいる姿を浜辺で傘を差して眺めている樹木希林さん扮する初枝が、つぶやく場面。

 声は、聞き取れない。
 その科白は、樹木さんのアドリブだったらしい。

 「ありがとうございました」

 口の動きから、そう言っているはず。

 初枝は、その海水浴のすぐ後に、旅立つ。

 サイゾーが運営するサイトの一つであるWEZZYに、カンヌのパルムドールを受賞した際の監督の会見が紹介されている。

 樹木希林という女優と、あの海のシーンについ是枝監督が語っているので引用したい。

WEZZYの該当記事

 現地時間5月14日に開かれたカンヌ国際映画祭公式記者会見のなかで、是枝裕和監督が樹木希林の存在について語るのを聞いていた松岡茉優が突如涙を浮かべる一幕があり、マスコミでもそこが大きく取り上げられたが、その是枝監督の発言とはいったいいかなるものだったのか。

<僕はやっぱり自分がつくるものを、希林さんに出ていただけるものにするために努力をします。努力をしないで甘いまま彼女の前に立つと見透かされるので、希林さんの前で恥ずかしくない監督になりたいと思うんですね。そういう役者がいることはすごい大切なことで、監督にとって>

 これに続けて是枝監督は、この作品で一番最初に撮った夏の海のシーンでの樹木希林のアドリブが作品の方向性を決定づけたことに感謝。そして、作品をつくる過程において「いち役者」以上の関わりをしてくれるからこそ、何度も彼女と仕事をしたくなるのだと述べていた(『そして父になる』『海街diary』『海よりもまだ深く』など、樹木希林は彼の映画には欠かすことのできない是枝組の常連である)。

 あの声に出さない「ありがとうございました」のアドリブの一言が、作品の方向性を決めた・・・ということか。

 擬似家族ではあったが、その家族たちには深く感謝していた、という初枝の心境を樹木希林さんは表現したかったのだろう。

 その言葉は、初枝同様に死期が近いことを察していた樹木希林さんご本人の言葉でもあったように思えてならない。


 映画全体からは、是枝監督が抱き続けるテーマ「家族って何?」という問いが突きつけられる。
 そのテーマも、樹木希林さんが抱き続けたものかもしれない。


 これまで“希林さんに出ていただけるものにするために努力”した是枝監督にとって、今後、そのエネルギーを注ぐ対象はどの俳優さんになるのだろうか。

 あまりにもその存在が大きすぎて、なかなか希林さんに代われる人が見つかりそうにないかもしれない。

 訃報に接し、そんなことを思っていた。


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# by kogotokoubei | 2018-09-19 12:54 | 幸兵衛の独り言 | Comments(0)
 さて、旅の記録も最終回。

 10日、伊勢参りの後のことを振り返る。

 朝からの雨は次第に激しくなり、写真ではよく分からないのだが、おかげ横丁の招き猫もずぶ濡れ。

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 雨の様子は、昼食をとった、おかげ横丁入り口のすぐ向かいにある老舗「すし久」前での写真の方が、よく分かる。
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 おかげ横丁のサイトにある同店のページには、このように案内されている。
「おかげ横丁」HPの該当ページ

 おかげ横丁を代表する一番人気の料理屋です。
「てこね寿し」を始め、国産うなぎの「ひつまぶし」などはすし久の名物料理で、伊勢志摩の郷土料理を求めるたくさんのお客様からご支持をいただいております。
すし久では、名物てこね寿しを季節に応じてアレンジしたお料理をお出ししています。
是非お立ち寄りください。

 内宮を歩いて腹ごなしのできた六人は、三名が名物の「てこね寿し」のセット、私を含む他三人が「炊き込みご飯」のセット。

 こちらが、その写真。

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 私は、カツオのヅケより、鯵の干物に魅かれたのであった^^

 これが、おやじ三人。左からY君、あっし、G君。

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 カメラを向けられると、どうしてもVサインをしてしまうのが、あっし^^

 ちなみに「手こね」は、「手まり」ではない。
 お店のお品書きにも、手こねの由来は書かれていたが、上記のサイトに、お店の沿革などと一緒に説明があったので、引用しましょう。

おはらい町通りの中ほどにある、ひときわ大きな古いたたずまいの店が「すし久」です。
この建物は、明治2年の遷宮時に出た宇治橋の古材を一部使用して建てられております。
これは民間において神宮の古材を下賜(かし)された唯一の例で、伊勢の貴重な文化資産でもあります。
すし久の創業は、参宮客で賑う天保年間。
まち筋と五十鈴川が最も近づいた現在の場所に初代森田久造がすし屋をはじめて以来、料理旅館として明治から昭和初期に最も繁栄をきわめ、勅使の宿をも努めてまいりました。
大東亜戦争後は一時休業しておりましたが平成元年に現在の田舎料理店として蘇りました。

窓の外には清流五十鈴川が広がっており、春には桜、秋には紅葉が見られ季節の移ろいを感じていただけます。
このような、旅籠の風情を残した純日本風のたたずまいの中で召し上がっていただく料理は、伊勢志摩の田舎料理です。
その中でも最も人気が高い料理は「てこね寿し」です。
「てこね寿し」とは、昔鰹漁に出たこの地方の漁師さんたちが、釣った鰹の身を、船上で醤油漬けにし、 あらかじめ用意していた酢飯と混ぜあわせました。この時、手で豪快に混ぜて食べたことからこの名が付きました。
すし久では秘伝の醤油に漬けた肉厚の鰹の切り身を、こだわりの地元のブランド米「御絲産コシヒカリ」の酢飯の上に乗せた「てこね寿し」をご用意させていただいており、遠方からも多くのお客様にお越しいただいております。

 実は、こんなに由緒あるお店であることは、全然知らなかった。

 六人が雨宿りを兼ねて食事をするのに相応しい広いお店だったので入ってみたのだが、当たり、と言えるだろう。

 外人のお客さんもいたなぁ。

 さすがに伊勢には天保年間創業の老舗があるのだった。

 上方落語『東の旅』には、伊勢参りの道中のネタは残っていても、伊勢参りそのもののネタは、長らく演じる噺家さんがいなかった。
 しかし、昨今、桂文我が掘り起こし、『間の山お杉お玉~宮巡り』という題で演じているようだが、残念ながらまだ聴いたことがない。

 『宮巡り』で語られる伊勢名物に、「すし久」が入っているのかどうか・・・・・・。

 すし久での昼食、手こねを食べた人も美味しかったようだし、炊き込みご飯のセットも、なかなか結構。

 外は、まだ雨。

 その後、おはらい通りで土産物を買ってから、私とG君は近鉄の伊勢市駅に送ってもらった。
 G君は、奈良に帰る。私は、名古屋駅に行き新幹線で帰るのであった。

 伊勢神宮のサイトからダウンロードできるイラストマップ。

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 内宮の近くの近鉄駅は、五十鈴川駅。しかし、急行などは本数が少なかろうと、外宮近くの伊勢市に送ってもらったのであった。

 結果として正解だったのだが、私はすんなりとは帰れなかったのである。

 伊勢市駅でY君の車で帰るメンバーと別れ、G君はすぐに奈良方面行きの特急があり乗車。
 まったく勝手が分からない私は、名古屋に行くにはどうしたらいいかを駅員さんに尋ねた。

 そして、その駅員さんから、五十鈴川の増水で、五十鈴川駅と宇治山田駅間が運行停止で、名古屋駅行きの何本かが運休になっている、と聞いた。

 「(内宮近くの)五十鈴川駅ではなくて、よかった」と内心ほっとした。

 私が名古屋に行くには、伊勢中川まで行って、名古屋駅行きに乗り換えるのだそうだ。

 どんな路線になっているのか、近鉄のサイトから路線図をダウンロードできるので、関連部分を確認。
近鉄サイトの該当ページ
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 もう少し拡大して、補足すると、こういうこと。
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 ということで、名古屋まで直行ではないが伊勢中川行きがあと十分ほど発車するので、気楽にホームで待っていたのである。

 ところが・・・・・・なんと、電車が止まった!

 五十鈴川の水量が増えて、安全確認のため運行停止となってしまったのだ。

 「ぐぁ、ぐぁ、ぐぁ・・・・・・」

 外宮もお参りするつもりでいたので名古屋からの新幹線の時間には余裕があるものの、このまま近鉄がずっと動かないとなると・・・・・・。

 この伊勢市駅は、近鉄駅とJR駅が隣り同士。
 さっそく連絡橋を走ってJR側へ行って駅員さんに聞くと、JRは雨のため遅れは出ているが、名古屋行きは走っているとのこと。

 しかし、次の発車は、30分余り後だ。

 しばらくJR駅で待ってはいたが、もしかして、と思い近鉄側にまた戻った。

 すると、安全確認ができて試運転を始めたとのアナウンス。

 結果として、20分ほどの運転見合わせの後、伊勢中川行きに乗ることができたのであった。

 伊勢中川ですぐに急行名古屋行きに連絡があった。

 なんとか無事に帰宅することができたのであった。

 このハプニングのことをメールでS子ちゃんに送っていたら、運転手のY君が、「伊勢市駅に迎えに行こうか」と言ってくれていたとのこと。

 同期の友情に泣ける145.png

 なんとか、無事電車が走り出したとメールしたら、そのY君がセルフでガソリンを入れた後、蓋を閉め忘れて走り出してしまって、少し慌てたとS子ちゃんよりメール。

 Y君も、相当運転疲れがあったに違いない。お疲れ様でした。

 そうそう、Y君といえば、内宮を散策中、五十鈴川の川の中に立つ柱を見て、「あれ、なんや?」という会話をしていた。

 伊勢神宮のサイトで確認してみた。
 「教えてお伊勢さん」というページに、答えがあった。
 あれは、木除杭(きよけぐい)と言って、五十鈴川の増水や氾濫の際に、上流から流れてくる流木が宇治橋の橋脚へあたることを防いで、橋を守る役目があるんだとさ。
「伊勢神宮公式サイト」の該当ページ

 これ、Y君の想像の通りなのである。

 流石、宇治という歴史ある町に住むだけのことはある。

 ということで、旅の記録は、ここまで。
 

 最後に、自分の落語のこと。

 今年は、予想以上に受けたので、来年のハードルが高くなったなぁ。

 これまでに同期会、テニス仲間との合宿で披露したネタは、次の通り。

 『道灌』・『金明竹』・『寿限無』・『牛ほめ』・『替り目』・『小言念仏』・
 『千早ふる』・『代書屋』・『高砂や』・『居酒屋』・『うどん屋』・『雑排』・
 『厩火事』・『買い物ブギ』・『看板のピン』・『天災』・『目黒のさんま』・
 『紙入れ』・『元犬』・『持参金』・『三方一両損』・『たらちね』・『そば清』・
 『親子酒』・『藪入り』・『子ほめ』・『夜の慣用句』・『あくび指南』・
 『転失気』・『二人癖(のめる)』・『子別れ(子は鎹)』・『鈴ヶ森』・
 『野ざらし』・『井戸の茶碗』・『真田小僧』

 同じ客(?)相手には同じネタをやらないことにしているので、結構、辛い。

 12月にテニス合宿があるが、『真田小僧』は使える!

 もう一席をなんとかこなして、来年の同期会でも披露することにしよう。
 居残り会の皆さんにYさんとのリレーで披露した『二番煎じ』があったなぁ。
 でも、一人では長いよねぇ、あれ。

 結構、悩みそう^^


 さて、台風21号による影響やご家族の問題などで当初参加予定の四名が来ることができなかったのは実に残念だったが、なんとか事故も怪我もなく今年の同期会は終了。

 初日の夜の三次会で、来年のことについて話し合った。
 関西の仲間が参加しやすい場所にしよう、ということになり、有馬温泉が本命。
 幹事は男性がY君、女性は今回来れなかったTちゃん。

 来年はどんな珍道中になるものやら。

 では、長々と書いてまいりました、2018年同期会ー長島温泉~伊勢志摩道中膝栗毛、これにてお開き。

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# by kogotokoubei | 2018-09-18 20:54 | 小さな旅ー2018年同期会_長島温泉~伊 | Comments(2)
 さて同期会の旅行の記事五回目。

 すでに一週間経ったので、旅程を振り返る。

 8日(土) 長島温泉ホテル花水木宿泊
       夕食後、VIPカラオケルームでS子ちゃんのバースディーパーティー
       部屋での三次会で幸兵衛『井戸の茶碗』『真田小僧』を披露
 9日(日) なばなの里散策(ベゴニアガーデンが良かった)
       なばなの里イタリアンレストランで昼食後解散
       希望者のみ伊勢志摩の旅へ出発
       志摩の宿に宿泊
       *この日の午後から曇天
 10日(月)伊勢神宮参拝、おかげ横丁で昼食後、解散
       *朝から雨

 G君が、皆が撮った写真を集めてアルバムを作ってくれたので、少し時間をさかのぼって紹介したい写真がある。

 まず、初日のS子ちゃんのサプライズバースデーパーティーを企画してくれた幹事M君。Happy Birthdayメガネなども準備してくれていたが、こんな光るジョッキまで用意していたのである^^

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 二日目、なばなの里のベゴニアガーデン、出口には「振り返って!」と掲示板があって、振り返った時の写真が、これ。壮観だ。

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 そんな壮観な花をバッグにした、S子ちゃんとTちゃん。
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 花に負けてないね(ヨイショ!)

 「なばなの里」の「ベゴニアガーデン」は、係りの女性も大変親切だったし、いろんな種類のベゴニアを楽しめて、お奨めである。
「なばなの里」HPの「ベゴニアガーデン」のページ

 さて、前回からの続きで、志摩のホテルの夜のことから。
 
 これが、夕食後に宴会部屋にやって来た女性陣の姿。
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 初日のバースデーパーティーで使った小道具のメガネをかけてやって来たのであった。
 この写真には、動物の顔で隠さんでも良いでしょう^^

 還暦を過ぎても、会えばすぐ二十歳の頃に戻れる、一つの証左か。

 部屋には前夜のバースデーパーティーで残ったウイスキー、焼酎、ワインがあり、余った乾き物まで持ち込んで来たので、不足はない。

 しかし、さすがに前夜から今日ここまでの疲労もあって、酒はそれほど進まなかった。
 それでも、いろいろと話は弾む。

 なんと、女性陣は、無料の卓球場が23時から空いているから予約した、とのこと。

 結果として、卓球はキャンセルし、女性陣も引き上げ、心地よい眠りについたのであった。

 翌朝、朝食、チェックアウト、そして、伊勢神宮へ向かった。
 これが、宿から伊勢神宮へのルート。28.3km。

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 雨の中、一行は伊勢神宮の内宮に到着。

 車中で、作法としては外宮からだけど、雨がどんどん強くなってきたので、神様には申し訳ないが内宮だけをお参りし、おかげ横丁で昼食とって解散することにしたのであった。

 近くの駐車場も、平日で雨、ということで空いていた。

 伊勢神宮の公式サイトから、イラスト地図をダウンロードできる。
「伊勢神宮」公式サイトの該当ページ

 これが、私が参宮案内所でもらったものと同じ、内宮の地図。

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 最初に手水舎(てみずしゃ)で手と口を清めた。

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 本来は、すぐ脇を流れる五十鈴川で心身を清めるのが作法であろうが、雨のため増水していて立ち入り禁止だった。

 この五十鈴川の増水が、しばらくして、私の帰路に影響するのであった・・・・・・。

 その後、風日祈宮(かぜひのみのみや)へ。

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 元寇を食い止めた風の神がおわす、パワースポット。

 そして、正宮へ。
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 「外宮は、げぐうではなく、げくう、内宮は、ないくう、にごらない」と皆に説明していた私は、「正宮は、しょうくう、のはず」などと言ってしまっていた。
 正しい読み方は「しょうぐう」でした。ゴメン。

 これが、近くの方にS子ちゃんのカメラのシャッターを押していただいた、正宮前の写真。石段の下でなら写真撮影可能なのであった。

 
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 この顔のサイズなら、動物イラスト、いらないね^^

 この後に、荒祭宮(あらまつりのみや)へ。

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 作法では、願いことができるのは、この宮だけで、正宮も含め、お参りは願うのではなく、ただただ感謝する、らしい。

 だから、このお宮で、私はいろいろお願いした。

 もちろん、豪雨や台風、地震の被災地の復興のこと、家族のこと、世界平和まで^^


 内宮参拝を終えて、おはらい通りから、おかげ横丁へ。

 今回のラストショットは、S子ちゃんが四年前の味が忘れられなくて、「氷、氷!」と叫んでいた、赤福の「赤福氷」を頬張るカット!


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 昼食以降のことは、次の最終回にて。

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# by kogotokoubei | 2018-09-17 21:17 | 小さな旅ー2018年同期会_長島温泉~伊 | Comments(0)
 同期会の旅行の記事は一休みして、一昨日の落語会のことを書きたい。

 結構何かとスケジュールが立て込んでいる時期ではあるのだが、“幻の噺家”小のぶの名に魅かれ、初めて行く赤坂会館へ。50席限定、といううたい文句にも惹かれたかな。

 柳家小のぶのことは、“幻の噺家”という形容をしている堀井憲一郎さんの本、そして江國滋さんの『落語美学』を元に、以前書いたことがある。
2013年7月11日のブログ

 とはいえ、小のぶ、最近は寄席への出演も増えてきて、幻とは言えなくなってきたかもしれない。
 私にとっても、昨年8月に浅草見番で、マイベスト十席に選んだ『へっつい幽霊』を聴いているので決して幻ではないが、独演会には行ったことがない。
 お江戸日本橋亭では恒例の独演会を開催しているようだが、これまで縁がなかった。

 久しぶりに行く、オフィス・エムズさん主催の落語会でもあった。
 この会場での独演会は、赤坂倶楽部、と名づけているようだ。

 会場の赤坂會館のホームページには、「日本伝統芸能のためのお稽古場」と形容されている。少し、引用する。
赤坂會館のHP

赤坂會館は赤坂界隈の花柳界・芸者衆のお稽古場の名残で、都内有数の広さ(50畳)・松の一枚板を使用した贅沢な床・どのような演目にも最適な音響設備を持つ、計算され尽くした空間設計のお稽古場をはじめ、各種ご用途に応じた和の空間を提供しております。
 日本伝統芸能の継承と益々の洗練のために、芸術空間として、又、和の心に触れる催しなどに、広く皆様にご活用いただければと存じます。

 そういう場所。

 オフィス・エムズさん(加藤さん)の会では浅草見番の会も多いが、場所を赤坂に替え、少し狭くなったバージョン、と思えば良さそうだ。


 都内で野暮用を済ませで開演の二十分前ほどに会場へ。

 会館の六階に、その“都内有数の広さ”と“松の一枚板を使用した床”の空間があった。

 靴を脱いで廊下を進むと、いつものように加藤さんがモギリをしていた。

 会場に入ると、前の方には床に座布団が三列に間をたっぷり空けて各列十ほど並ぶ。
 その後ろにパイプ椅子が二列。

 すでに三分の二位はお客さんがいらっしゃっている。

 やや同期会の旅行での疲れもあり、パイプ椅子を選んだ。

 三十数名のお客さんだけの、なんとも不思議な空間だった。


 本音のところ、この会の小のぶの高座について、どこまで書こうか迷っていた。
 決して、褒められないのである。
 終演後に小のぶは一人一人のお客さんに「申し訳ございません」「次は、しっかりやります」などと頭を下げていたのである。

 迷った挙句、小言を含め書くことにする。
 このブログが落語会や寄席の備忘録として始まったのであり、管理人の私の名が、小言幸兵衛なのだから。

 では、出演順に感想や、小言を。

柳亭市坊『たらちね』 (13分 *18:59~)
 主催者が師匠柳亭市馬のマネジメントをしているので、この日は市馬の弟子が二人登場。
 この人は、昨年7月、柳家小満んの会の開口一番の途中からを、関内ホール・小ホールのロビーでおにぎりを食べながら、モニターで見て以来。
 だから、初と言ってよいだろう。
 やや強面でもあるせいか、家主が少し怖い。
 そして、この日のハプニングの伏線ともいえるのだが、八五郎の家に嫁入りした清の例の口上で、「わが母三十三歳の折、丹頂の夢をみてはらめるが~」を飛ばした。
 八五郎が清が書いた紙を読む場面で復活(?)させたが、どうにも落ち着かない高座。
 これは、次の市童にいじられるネタとなる。
 
柳亭市童『幇間腹』 (16分)
 久しぶりだ。
 昨年6月、久しぶりに行くことができた「ざま昼席落語会」の今松との二人会以来。
2017年6月11日のブログ
 ざまで、二ツ目が真打と二人会をするのは異例のことだった。
 冒頭、「小のぶ師匠の会にお越しになるお客さんは、もちろんご通家で、市坊が台詞を飛ばしたのはお気づきでしょう」で客席から笑い。
 とはいえ、ご本人も途中で、一ハが若旦那に向かって「おまえさん」と言い掛けて「若旦那」と言い直し、少しリズムが悪くなったなぁ。
 幇間一八の飄々とした軽さは良かった。
 この噺、私が聴いた中では菊之丞が秀逸だと思うが、もしかすると市童の十八番になるかもしれない。
 市馬一門では、もっとも将来を期待している人。
 
柳家小のぶ『金明竹』 (39分)
 なぜ、この噺でこんな時間なのか・・・・・・。
 小のぶは、この噺の背景を丁寧にマクラで説明した。
 その試みは、悪くない。
 前半は、中橋に住んでいた「医者で噺家で幇間」だった石井宗淑が創作した内容、などとこの噺のマクラで語る人は、そう多くはいない。
 噺に登場する道具や人物のことも詳しく紹介。
 しかし、途中で内容を忘れがちで、言いよどみが多く、客を心配させる。
 また、台詞があちこちで抜けた。
 後半の聴かせどころは、もちろんあの不思議な関西弁を話す男の言い立てだが、二回目に「たがやさんやなくて埋もれ木」の部分がとんだ。
 女将さんが出てきて三回目には、なんとか全部入ったが、四回目に「沢庵木庵隠元禅師~」が、とんだ。
 なんとかサゲまではたどり着いたが、小のぶの下げた頭は、お詫びの姿であった。
 せっかく道具七品などの説明をしていたものの、この高座は、いただけない。
 
 ちなみに、私がずいぶん前にテニス仲間の前でこの噺を披露した際、後で道具のことなどの説明を書いた紙を仲間に渡した。

 せっかくなので(?)、ご紹介。
 いろんな本やらサイトから拾った内容だが、ネタ元は忘れてしまった。

 中橋の加賀屋佐吉から使いのものが来て、早口の関西弁で、それに符丁を混えてまくし立てるので、与太郎さんも奥さんもさっぱりわからない。その口上にでてくる、道具についての「うんちく」です。
 
■祐乗(ゆうじょう):後藤祐乗(1440~1512)。室町中期の金工。奥様が言っていた「遊女」でない事がこれで分かります。

■光乗(こうじょう):後藤光乗。名は小一郎、諱(いみな)光家、祐伯。京都の後藤家四代目の金工家として名高い。

■宗乗(そうじょう):後藤宗乗。名は二郎、諱(いみな)を祐宗、光武。通称は四郎兵衛。初代祐乗の子で後藤家二代目を継ぎ、晩年は法眼に叙せられ京都より近江国坂本に閑居した。

■三所物(みところもの):刀剣の付属品である目貫(めぬき)・笄(こうがい)・小柄(こづか)の3種をいう。江戸時代、刀装中の主要な金具として、後藤祐乗らのものが名高い。

■備前長船(びぜんおさふね):岡山県(備前国)邑久(おく)郡にある町名。

■則光(のりみつ):備前長船派の刀工の一人(元享の頃活躍。1321年ごろ)。

■四分一(しぶいち)ごしらえ:元来は銅3に銀1を混ぜた日本特有の合金。

■横谷宗#(王へん+民)(よこやそうみん):(1670~1733)江戸中期の彫金師。その家は代々彫金を業とし、小柄などの三所物を作り、写実的意匠に長じ、江戸町彫(まちぼり)の宗となる。
 
■小柄付きの脇差:脇差しに小柄が納められたもの。

■柄前(つかまえ):刀の柄。また、その体裁。柄頭から鍔(つば)までの持つところ。

■古たがやと埋れ木(うもれぎ)
・鉄刀木(たがやさん)=マメ科の高木。マレー・インド東部などに自生。高さ10~15m。葉は白色を帯び、やや革質。心材は黒と赤の紋様があり、堅牢美麗で風雨に強く、銘木として建築・器具に利用。
・埋れ木(うもれぎ);久しく埋もれていて半ば炭化した木。亜炭の一種で、宮城県広瀬川沿岸のものが著名。また、埋れ木で細工した器具や装飾品。仙台の名産。噺の柄前に使われている材質の木は古くなって風合いの出た”たがやさん”ではなく、”埋れ木”だという。決して、仲買の弥一さんが、気が違ったわけではありません。

■のんこの茶碗:のんこう=京都の楽焼本家の三代、道入(どうにゅう)の俗称。陶工。京都楽(らく)家の三代目。常慶の長男。通称吉兵衛(1599~1656)、のち吉左衛門と改め、剃髪して道入といい、俗に「のんこう」と称した。

■黄檗山金明竹(おうばくさん・きんめいちく)
・黄檗山=中国福建省福清県南西の山。789年正幹の開いた禅の道場(建福寺、のち万福寺)があり、宋代に最も栄えた。その万福寺の山号。
・金明竹;マダケの変種。マダケ属に入り、竹稈は黄色で芽溝部は規則正しく緑色になり、葉には多少白条があります。昔から珍重され、主に庭園竹として鑑賞された。もとは中国の竹で、宇治の黄檗山万福寺の庭園の金明竹が名高い。

■ずんど(寸胴)の花活(はないけ):上から下まで同じように太くて、くびれがない花活け。

■古池や蛙とびこむ水の音と申します・・・ありゃ、風羅坊正筆(ふうらぼうしょうひつ)の掛け物;風羅坊=松尾芭蕉の別名。正筆=その人が本当に書いた筆跡。・・・で、芭蕉肉筆の掛軸。

■沢庵・木庵・隠元禅師(たくあん・もくあん・いんげんぜんじ)
・沢庵(たくあん):(1573~1645)江戸初期の臨済宗の僧。但馬の人。諸大名の招請を断り、大徳寺や堺の南宗寺等に歴住。寛永6年(1629)紫衣事件で幕府と抗争して出羽に配流され、32年赦されてのち帰洛。徳川家光の帰依を受けて品川に東海寺を開く。書画・俳諧・茶に通じ、その書は茶道で珍重。沢庵漬は漬物の一種。干した大根を糠と食塩とで漬けて重石でおしたもの。沢庵和尚が初めて作ったとも。
・木庵(もくあん): (1611~1684)中国(明)泉州晋江の人で、隠元禅師に従って来日し帰化。
・隠元(いんげん):(1592~1673)日本黄檗(おおばく)宗の開祖。明の福建省福清の人。名は隆(りゅうき)。承応3年(1654)日本に渡来。山城国宇治に黄檗山万福寺を創建。語録・詩偈集など開版されたもの多く、その書は茶席の掛軸として珍重される。隠元豆は隠元が明(中国)からもたらしたものという。

■張りまぜの小屏風(こびょうぶ):小屏風に上記の禅師達の書き物を混ぜて張り込んだもの。茶席では珍重された。

どの品物も、超一級品で今に残っていたら、文化財ものばかりです。

 こんなものまで作っていたのだなぁ、と懐かしさがこみあがる^^

 仲入りをはさんで、二席目。

柳家小のぶ『青菜』 (38分 *~20:59)
 登場するなり、一席目の詫びがあった。
 「会場が暑いせいか、眠くて眠くて」で客席は爆笑。
 マクラで隠語のことをふって本編に入ったが、まだ眠気はとれていないようだった^^
 一席目は抜けが多かったが、この噺では同じ台詞の繰り返しが目立った。
 また、言い間違えも少ないとは言えなかった。
 八五郎が長屋に帰ってから、半公にオウム返しで語る内容も順番が逆になったり、とにかく、客を心配させる高座。
 八五郎が長屋へ帰る道すがらで女房との動物園での見合いを振り返る件などはなかなか楽しい内容なので、実にもったいない。
 
 終演後のこと。
 「申し訳ございません」「次は、しっかりやります」「次は、まじめにやります」
 と独演会の主がお客さんを見送る会も、そうは経験できないだろう。

 これまで経験した落語会で、もっともハラハラした会であった。

 小のぶは昭和12(1937)年10月3日生まれ。
 来月、満81歳になるなぁ。
 志ん朝とは一つ上。

 高座でその姿を見ることができたことだけでも、良かったと思うべきなのかもしれない。
 しかし、小三治とは二歳しか違わない。

 昨年、浅草見番の『へっつい幽霊』は、素晴らしかったじゃないか。
2017年8月5日のブログ


 まだまだ、頑張ってもらいたい。

p.s.
 私が以前作った『金明竹』の道具の説明書の内容、調べてみると、よくお世話になる「落語の舞台を歩く」から引用したようです。
「落語の舞台を歩く」の該当ページ
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# by kogotokoubei | 2018-09-15 10:56 | 寄席・落語会 | Comments(6)

 四回目の記事。

 「なばなの里」の昼食後、男性三名、女性三名の六名は、オプショナルツアー「伊勢志摩の旅」にY君の車で出発。

 なお、Y君は、前日も京都に集合した仲間を乗せて、途中で伊賀上野に立ち寄り、ホテル花水木まで運転してくれていた。

 昨年の金沢の旅でも運転手役を務めてくれた、足回りに関しては実に頼りになる人。

 飲むと行動が怪しくなるが、ドライバーとしての疲れもあるだろう、皆、大目に見ている^^

 志摩のホテルに向かう途中、「伊勢安土桃山城下街」というテーマパークに、トイレ休憩を兼ねて立ち寄った。
「伊勢安土桃山城下街」のHP

 ちなみに、NAVITIMEで、ホテル花水木から伊勢安土桃山城下街までのルート検索をした画面が、これ。

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 118.2kmとのこと。

 このテーマパークでは、通行証(手形)のいらない関所の前だけを、少し散策。
 山の中腹には忠実に再現したとされる安土城が見える。バスで行くらしい。

 マスコットキャラクターの「まげでっち」と一緒に写真に納まっているのは、右がこの日誕生日のS子ちゃん、左が、落語批評家(?)のTちゃん。

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 カエルなのだが、ちょんまげのある丁稚、ということで「まげでっち」。

 こちらが、信長が馬に乗った像の前での、記念写真。

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 左から名運転手のY君、そして幸兵衛、しゃがんでいるのがS子ちゃん、少しTちゃんの後ろで見えにくくなっているのが、Mちゃん、Tちゃん、G君である。


 さて、ひと休みしたご一行は、この日の宿、「大江戸温泉物語伊勢志摩」へ向かった。

 これが、そのルートマップ。
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 31.4kmとのこと。
 
 大江戸温泉物語ホームページのこの宿のページから、写真を拝借。
「大江戸温泉物語」HPの該当ページ

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 天気がよければ、写真のように部屋からも大浴場からも、こんな光景が見えたはずなのだが、残念ながら、雲行きがあやしくなってきた。

 一回目の記事は、この宿に着いてお風呂に入る前に書いたもの。

 お風呂に入り、さて、夕食。

 九月いっぱいは、HPにも案内されているように、カニ食べ放題もある、夕食バイキング。
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 左がY君、右が、あっしでげす。

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 女性陣は、カニ結構食べてましたねぇ。

 花水木と比べるわけにはいかないが、この宿、コストパフォーマンスは結構良いと思う。


 四回目の記事は、このへんでお開き。

 夕食後のことや、翌日の雨中のお伊勢参りについては、次の記事にてご紹介。
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# by kogotokoubei | 2018-09-12 21:36 | 小さな旅ー2018年同期会_長島温泉~伊 | Comments(0)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛