噺の話

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久しぶりの落語会である。大門の文化放送メディアホールで開催された渋い柳家三人の会。まずは演目。

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(開口一番 立川こはる 家見舞)
柳家小袁治  女天下
柳家小満ん  猫の災難
(仲入り)
柳家さん喬  抜け雀
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こはる(19:01-19:20)
「かもめ亭のマドンナ」と言うと本人に叱られそうだが、「看板娘」なら許してくれるかな。いつものように出囃子の太鼓も自分で打ってからの登場。忙しさもあるのだろう、のっけで噛み続けたが、それもご愛嬌。別名「肥がめ」の、女性では難しいとも思われる噺をきっちりこなした。もちろん細かな所作などで気になるところはあるが、基本の話芸は聞く度に上手くなっている。一門会でも鍛えられているようなので、今後ますます楽しみだ。

小袁治(19:21-19:45)
典型的な古典かと思いきや『かんしゃく』『堪忍袋』の作者でもある益田太郎冠者作の、準古典ともいうべき噺。しかしニンなネタだった。寄席の雰囲気そのままの人だが、マクラでは寄席では聞けないエピソードがうれしかった。先代の正蔵に「男は自分のカカァをカミさんなんて言っちゃいけません。カカァ、愚妻です」と注意されたが、志ん朝師匠には「考えもんだよ。俺は自分のカミさんのいる前で他人に『愚妻』って言ったらえらく叱られた。」という逸話などをはさんで本編へ。この噺は棒手振りの金太、銀行員の山田さん、そして根津先生という三人が、そろいもそろって妻に頭があがらない、という設定で笑いを生む噺なのだが、根津先生の奥さんが金太に言うセリフ、「去年もバカだったけど、今年もバカだね」に会場全体が笑えた。

小満ん(19:46-20:12)
昨年一月のこの会では、最初の師匠である文楽譲りの『明烏』を大いに楽しんだが、今日は「柳家の会」。二人目の師匠小さん譲りと思われるこの噺で決めた。残念だったのはマクラで蜀山人の狂歌の言い間違いがあったこと。それさえなければ、『明烏』同様に「落語の蔵」でダウンロード販売できると思う中盤から後半の出来だった。酔っ払う途中のセリフで「酔うと素っ裸になりたくなっちゃう」という草薙ネタのクスグリが小満ん師の若さを感じさせてくれた。

さん喬(2025:21:00)
ライブだからこそ一層楽しいのがさん喬師であることを再認識。相模屋の主人の顔の表情による演技が利いている。特に雨戸を開けた時に窓から飛び出した雀の数を数えながら「一、二、三、四・・・あっ五羽・・・・・・」と言って間を作ってから、首をゆっくりひねって雀の絵が描かれていた衝立を振り向く表情が、なんとも言えない。そして、絵の中の雀が抜け出たことに気づいた時のセリフのない身体と顔を使ったリアクションは、他の噺家には出来ないと思わせる芸だと思う。

かもめ亭、らくだ亭での落語会は収録され、ネットでの落語ダウンロード販売サイト「落語の蔵」で販売されるものもある。昨年一月のかもめ亭で私が感心した小満ん師の『明烏』、喬太郎の『転宅』は両方ともダウンロードメニューに加わった。さて今回はどうかと考えると、さん喬師もマクラが少しテンポの悪さがあったし、小満ん師は前述の通りで残念な言い間違いが最初にあった。しかし、二人の芸は十分に楽しめた。今日の会でダウンロード作品に値するのは小袁治師匠の、今では珍しい噺『女天下』だろうと思う。この噺自体を残すことにもなるし、何よりマクラから本編まで含め内容が良かったし、観客の反応も自然だったのできっといい音源になっていると思う。販売されたら買おうと思っている。

柳家、さすがに奥が深い、と感じた夜だった。
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# by kogotokoubei | 2009-04-24 23:22 | 寄席・落語会 | Comments(0)
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*「ぽっどきゃすてぃんぐ落語」サイトから

いくつかのブログから「ぽっどきゃすてぃんぐ落語」の休止を惜しむ声が聞こえてくるが、私もまったく同感である。この番組の魅力は、人数の多さから寄席の出番が限られている二つ目さん達の元気な噺を楽しむことができたことだと思うが、それは聞く側にも話し手のほうにも大きな恩恵をもたらしていたと思う。

聞く側には、これから落語界を担うであろう若手の噺家さん自身を知ることと、落語のさまざまなネタを知ることができた。
噺家さんには、人数の多さと寄席の少なさという関係で限られていた芸を披露する場・機会が提供された。持ち時間も寄席よりは多い。加えて、寄席とは違う若者中心の会場で伸び伸びと演じることもできたように思う。もちろん大先輩達がいないから、寄席なら主任クラスでしかできない大ネタをかけることもできた。

今、アトランダムに思い出すと次のような人と噺が印象的だったし、いまだにiPodで楽しむことができる。(名前はすべて当時のまま。順不同)

○柳家三三    釜泥
○柳家三之助   棒鱈
○立川笑志    紺屋高尾
○三遊亭好二郎  明烏
○春風亭一之輔  鈴ヶ森
○古今亭菊朗   悋気の独楽
○古今亭志ん太  真田小僧
○古今亭菊六   片棒
○三遊亭きつつき もぐら泥 
○三遊亭歌彦   八五郎出世(妾馬)
○五街道弥助   鮑のし
○三遊亭遊馬   禁酒番屋
○春風亭栄助   新・生徒の作文
○川柳つくし    年下の男の子
  ・
  ・
  ・
そして、最後の配信『猫久』でこの番組に数多く出演した一之輔は、マクラでやや自虐的なツッコミを入れながらもこの番組のおかげで多くの落語ファンに自分たちの噺を聞いていただくことができたことを紹介しているが、彼らを世に紹介することにおいて、この番組の果たした役割は本当に大きいと思う。

同じような無料ダウンロード可能な番組として「お台場寄席」があるが、こちらは10年以上も前の音源だったり、最近の収録は結構名の通った実力派真打が中心で、それはそれで楽しいのだが、ピチピチの若手二つ目の出番はほとんどない。あえて付け加えるなら「ナビゲーター」とか自称する方への好みもあって、こっちを聞かない人もいるのではなかろうか。ちょっと高慢な「やかん」だと感じる時がしばしばある。横道にそれた・・・・・・。

「ぽっどきゃすてんぐ落語」復活のための、まったく身勝手な案を思いつくままに。

案A--------------------------------------------------------------------
新スポンサーとして、落語協会・落語芸術協会・立川流・円楽グループが共同で出資
□理由や方法
演じる場の少ない二つ目をいかに世間に紹介するかという課題の解決のために、ある
程度は所属団体で機会拡大をする義務もあるでしょう。組織の規模に応じて運営に
必要な金額を出し、また出資額に応じた人数を出演させる、という理屈です。
一般企業は、現在の経済環境などから難しいでしょう。そういう意味で、「お台場寄席」
のロッテはえらい。
□懸念事項
まぁ、こういう形態をとるとイザコザが起こるのも必然。いかに協調できるかが鍵です
なぁ。ニフティさんの調整能力が必要。
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案B--------------------------------------------------------------------
ダウンロードの有料化
□理由や方法
無料での収録への参加、無料配信、という仕組みでスポンサーがつかないのなら、
短絡的ではあるが有料化が一案。
方法(1)
 一席ごとの個別有料ダウンロード
   損益分岐点は分かりませんが、一席200円~300円の設定なら私は買います。
方法(2)
 会員制
   これも損益分岐点によって、月あるいは年会費を設定して、会員のみのダウン
   ロードという仕組み。月会費2,000円以下なら、私は加入します。もちろん収録
   には会員のみが参加可能。
□懸念事項
個人情報保護対策を考慮し、クレジットカード決済よりもネットマネーや
ちょコム決済などのほうが良いと思います。
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案C--------------------------------------------------------------------
収録の「ニフティ寄席」有料化とダウンロード有料化の合わせ技。
□理由や方法
ダウンロード費用を少しでも軽減するためと、有償でも生で聞きたい人の来場の確率
を高めるため。
□懸念事項
有償化での来場者数確保。
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二つ目さんの噺をする場を増やすことと落語ファンに多くのコンテンツを提供すること、そして新たな落語ファンを獲得する、といった効果を考え、ぜひこのような番組は残って欲しいという思いからの個人的な提案ですが、いかがでしょうか。
ニフティさんもいろいろ検討されたに違いありませんが、諸般の事情があるのでしょう。しかし、決してあきらめないで欲しい。落語ファンはあなた方のこれまでの努力に大いに感謝しているし、今後復活するために応援もしてくれるはずです。

一之輔が表現したとおり、あくまでも「仲入り」のお休みであって欲しい。
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# by kogotokoubei | 2009-04-24 12:04 | インターネットの落語 | Comments(6)
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柳家小三治_子別れ

 『子別れ』について書いていて、やはり柳家小三治の「通し」口演のいきさつについて、少し振り返りたくなった。前回にも少しだけ紹介したが、その背景にあったドラマのことまでは詳しく説明していない。とは言っても、私自身がリアルタイムで経験できたわけではなく、残されたCDと、そのドラマが記録された書物で辿るだけであるが、このネタについて何か語るならば、この作品のことを避けては通れないように思うので記します。
 1982年に下北沢に本多劇場がオープンし、「本多寄席」と銘打った落語会が開催されるようになった。第一回として、その年の12月13日に「古今亭志ん朝独演会」が開催された。『寝床』と『文七元結』の二席が演じられ、ソニーのプロデューサーであった京須偕充さんは、出色の出来だった『文七元結』のレコード(CD)の収録に成功した。そして明けて1983年。京須さんは、長年に渡って慎重に交渉を進めてきた柳家小三治の本多寄席での独演会と録音の約束をとりつけた。小三治師匠、44歳の上げ潮といえる頃である。しかし、どのネタにするかは、まだ小三治も迷っていた、そんな時の状況を、『落語名人会 夢の勢揃い』京須偕充著(文春新書)より引用する。

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京須偕充著『落語名人会 夢の勢揃い』


 小三治という人は誰よりも個性的だが、奇を衒うことを好まない。個性たしかだから奇を衒う必要がない。それをしかと自覚している。他のジャンルとのセッションなどという、誰にでも考えられて、しばしば線香花火に終わる企画をもちかけても、おいそれと乗る人ではない。
 とにかく九月一日の独演会とその録音については合意している。会って、相談をして、その演目構成に何か一工夫をしよう。初夏の宵、かつて新宿副都心にいちばん早くオープンしたホテルで待ち合わせた。83年の副都心はまだ意外に空が大きく見えると思うくらい、高層ビルはそれほど林立していなかった。柳家小三治はオートバイで姿を現した。



京須さんと小三治の立場の違いなどから、二人の会話はスムーズに進まなかったようだ。

 ついに柳家小三治が独演会をやるのなら、待ちに待った録音をスタートするのなら、そして誰よりも個性派の小三治なのだから、せめて演目構成で落語ファンをあっと言わせる企画を実現したい。それが制作者である私の考えだ。しかし小三治本人は、演目を決めることさえ渋るのである。独演会に応じていながら何をいまさらと言えなくもないが、まずは年来の主張を前提に掲げ続ける小三治だった。

 演目予告について、京須さんの粘りに負けてほぼ観念し始めた小三治に、ついに京須さんは提案する。
 雑談にも疲れたところで、ふっとひらめくものがあった。蹴られるかもしれないが、とにかく口に出す。
 『子別れ』どうです。一晩で上・中・下の通し口演ってのは。柳家小三治は一瞬、息を呑むようにした。目がギロリと動く。
 「ああ・・・・・・。それなら、ねえ。・・・・・・うん」
 これ、やっていそうであまりやられていない、と私は付け加えた。ラジオで、五代目古今亭志ん生が至極かいつまんで簡略にやったことはあったが、独演会でじっくり通し口演したのは六代目三遊亭圓生しかいない。これは実質があって、しかも話題になる企画ではないか、とさらに添えた。言いながら、私にもだんだん確信のようなものが生まれてきた。
 「うん、じゃ、それで行きましょう」
 柳家小三治はきっぱり言った。

 京須さんの読み通り、この企画はマスコミにも注目された。そして、「山篭り」である。

いくつかの新聞が柳家小三治にインタビューし、予告記事を書いた。インタビューでは、さァどうなることか自分でもわかりませんと他人事のように言っていた小三治の目の色が変わってきたのは八月のなかば近くになってからだ。やがて小三治山篭りの噂が立った。
『子別れ』に関する、ありとあらゆる資料、録音テープや先輩の速記本を抱えて旅立ったというのだ。帰京予定日は九月一日、独演会の当日という。
 九月一日の独演会当日になった。夕方、早目に楽屋入りした弟子に聞くと師匠小三治は帰京したが、髭が伸び放題だったという。剃る間も惜しんで構成と稽古に没頭していたらしい。やがて楽屋入りした本人にもう髭はなかったが、いつも以上に目がくぼみ、少し青白かった。
 どうしていいかわからない、えらいことを引き受けたと後悔したけど、もうどうにもならない、としきりに悲観的な見通しを述べた。
 どんよりと空気が淀んだ、薄日の蒸し暑い日だった。いっそ天変地異でも起こらないかなァと小三治は穏やかならぬことを言う。それで独演会が中止になれば命拾いをするという、テストを逃れたい少年のような考えだ。その日九月一日はちょうど六十年前の1923(大正12)年に関東大震災が起きた日付けではある。

 当日の口演の出来については、CDでご確認いただきましょう。実際の口演時間が130分となり、その編集についての後日談もこの本に書かれている。私はソニーの回し者でも、文春の営業でもないが、このCDについてはこの本を読んでから聞いてもらうと、楽しみは倍加するように思う。

 この本は、京須偕充さんの生い立ちに始まり、落語好きな少年時代の思い出などが語られ、数々の落語の名作を残したプロデューサーとしての、圓生、志ん朝、小三治といった名人達との出会いやエピソードがたっぷりの後半まで、落語の話が一杯詰まっている。
 決して高座の録音を簡単には許さないそれぞれの噺家を、どうやって口説いていったか、という話や、個性的な多くの落語家の思い出話など、読み応えのあるドラマがいくつもあって楽しい。
 この『子別れ』の成功が、その後京須・小三治コンピによる鈴本の独演会の録音につながり、おかげで数多くの名作が残されたわけだ。

 
 名プロデューサーと名人の出会いがあって、初めて我々が味わうことができる名作。小三治の『子別れ』は、そんな歴史を背景にしている。
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# by kogotokoubei | 2009-04-21 12:03 | 落語のネタ | Comments(0)
いくつかのブログで先日NHKの「日本の話芸」で放送された柳家権太楼の『子別れ~浮名のお勝~』が話題になっているのを拝見した。いわゆる『子別れ』(上)(中)(下)の(中)で、内容の暗さなどから、なかなかお目にかかりにくい噺だ。(下)の『子は鎹』がもっとも多く演じられ、たまに(上)の『強飯の女郎買』を演じる人がいるくらいで、(中)は通しで行う場合は別として単独で一席というのは、珍しいことだと思う。

前回八代目の春風亭柳枝のCD大量発売について書いたが、『子別れ』は初代の柳枝の作である。今に伝わる噺は柳枝の作をのちに初代春錦亭柳桜が改作したものらしいが、紛れもない「柳派」の噺だ。だから、三遊派は柳派の噺をそのまま演じることに抵抗があったようで、家を出て一人暮らしをする母親を主役にして『女の子別れ』という名で演じたこともあったらしい。聞いたことがないので、誰か三遊派の噺家さんが演ってくれないかと思っているが、いずれにしても現在生き残っているのは、オリジナルの柳の型である。権太楼とさん喬が前半と後半を交互にリレーして通しで鈴本で演じたCDが発売されているが、なかなか楽しめる。なるほど柳の噺なんだなぁ、と感心する。これはソニーから出ている小三治の通しのCDにも言えて、京須プロデューサーに乗せられた小三治が、収録前には山篭りまでして備えたという逸話に、柳派の人たちがいかにこの噺を大事にしているかということが伝わってくる。

作者の初代柳枝は、江戸末期の人で幼名を亀吉といったので、この噺の子どもの名前が亀吉になったと言われているが、異説もある。改作した春錦亭柳桜の長男の名からとった,という説だ。ちなみに、この長男は四代目の麗々亭柳橋になる。この柳桜という噺家さんは幕末から明治にかけて大いに人気があったらしいが、彼の作である人情噺『白子屋政談』を劇化したものが『髪結新三』であるというから、作家としても秀でた人だったといえる。
人情噺というと円朝を筆頭に三遊派のほうが上のようなイメージがあるように思うが、柳派の人情噺も、こういった歴史を考えると奥が深い。

名作『子別れ』の作者ということを考えると、あらためて五十年空白になっている春風亭柳枝という名跡、早く誰かに継いでもらいたいと思うのだ。
子別れ_権太楼・さん喬
子別れ_さん喬・権太楼
子別れ_柳家小三治
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# by kogotokoubei | 2009-04-18 18:05 | 落語のネタ | Comments(0)
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ビクター(正式なレーベル名は日本伝統文化振興財団)から、3月25日に八代目春風亭柳枝のCDが三枚同時に発売された。同日には志ん生も三巻、可楽が一巻発売されている。
柳枝の各巻のネタと音源は下記の通り。ラジオ京都の音源が目立つ。
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第一巻
1 王子の狐:1956年(昭和31年)6月26日放送「お好み寄席」
     (ラジオ東京[現TBSラジオ])ラジオ東京ホール(有楽町)
2 甲府い:1956年(昭和31年)10月9日放送「お好み寄席」
     (ラジオ東京[現TBSラジオ])ラジオ東京第1スタジオ(有楽町)
3 締め込み:1957年(昭和32年)2月1日放送 ラジオ京都・他 人形町末廣

第二巻
1 野ざらし:1957年(昭和32年)3月8日放送 ラジオ京都・他
2 大山詣り: 1958年(昭和33年)7月11日放送 ラジオ京都・他
3 搗屋無間:1959年(昭和34年)2月6日放送 ラジオ京都・他
4 二人癖:1958年(昭和33年)10月31日放送 ラジオ京都・他

第三巻
1 宮戸川:1958年(昭和33年)10月3日放送 ラジオ京都・他
2 喜撰小僧:1957年(昭和32年)10月11日放送 ラジオ京都・他
3 熊の皮:放送日不詳 電通制作地方局用番組
4 花色木綿:1959年(昭和34年)6月5日放送 ラジオ京都・他
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キングからも「昭和の名人~古典落語名演集」の中で、3月11日にCDが2枚発売されており、収録されたネタは下記の各5席づつ。
①『子ほめ』・『喜撰小僧』・『堪忍袋』・『元犬』・『宗論』
②『高砂や』・『四段目』・『ずっこけ』・『節分』・『金明竹』

このシリーズは全50枚の一挙発売だが、一部過去に発売されたものの再収録もある。ちなみに、噺家ごとに発売された枚数は次の通り。
---キングレコード「昭和の名人~古典落語名演集」収録の噺家とCD枚数---
□円生、小さん 各10枚
□小三治、円窓  各9枚
□文楽、金馬(三代目)、可楽、柳枝 各2枚
□柳橋(六代目)、正蔵(八代目)、円歌(二代目)、馬生(十代目) 各1枚
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*キングには円生と小さん、小三治と円窓のライブラリが、なぜか多いということですな。

さて、柳枝に関してもっとも新しいところでは、コロムビアから『花色木綿』『王子の狐』のカップリングが4月22日に発売される予定。ちなみに、柳好(三代目)のCDも同日発売される。

よって、3月から4月にかけて、春風亭柳枝に関するCDが、なんと計6枚も相次いで発売されることになる。素直にうれしい。

ビクターは音源を明示しているので、大いに助かる。生まれが明治38(1905)年、亡くなったのが昭和34(1959)年である。音源は昭和31(1956)年から34(1959)年なので、51歳から54歳の間の、絶頂期といえるだろう。
さっそく聞いたのが、このビクターの第二巻にある『野ざらし』。

立川談志家元は『談志絶倒昭和落語家伝』の中で、こう書いている。
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この師匠、何処へ出しても受けた。爆笑させた。といっても大してオーバーに
演るわけではない。天下一品の柳好の『野ざらし』に対して、同じ噺を演った
のは柳枝師匠しか知らない。その柳好師匠の『野ざらし』は緻密なものであり、
柳好を“陽”とすると、“陰”とまではいかないまでも柳枝独特で、『野ざらし』
は“柳好とは比べものにならない”と言い切れないものがあるのだ。
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立川談志 『談志絶倒昭和落語家伝』

この本を読んでいながら、まだ聞く機会がなかったので、まずこのネタから拝聴。家元が誉めるだけのことはある。そして、家元が主張する対比もまったくその通りであり、「陰」ではないが、柳好の謳うような「陽」とはテイストの違う渋い味がある。同じCDの『大山詣り』も、『野ざらし』ほどは期待していなかっただけに、聞き惚れた。前半はあっさりで、熊さんが喧嘩をして頭を剃られて以降が中心だが、熊さんと長屋のオカミさん達との絡みがいい。オカミさん達が「あーら、熊さん」「あーら、熊さん」「あーら、熊さん、アラクマさん」という独自のクスグリもこの人らしい。このCDの他の二作のうち、『搗屋無間』はポリドールから発売されているCDにも別音源で収録があるが、『二人癖』は初ものだと思う。この噺の二人の掛け合いがいいんだなぁ・・・・・・。

もちろんファンの身びいきがあるのは承知だが、柳枝の音源が多く世に出されるのは、今日では少なくなったタイプの噺家さんだけにうれしいし、できるだけ多くの若い落語ファンの皆さんに聞いて欲しい。丁寧な語り口もあいまって、口癖と本名島田勝巳から、「お結構の勝っちゃん」と呼ばれ愛された噺家さんである。

春風亭柳枝という名跡は柳派では小さくない名前である。ここ50年間、この名が空白になっている。「封印」されたとも言われる。それは当時睦会の「お結構の勝っちゃん」と、芸術協会にいた頃の芝浜の三代目桂三木助が、柳枝につながる出世名であった小柳枝の襲名を争う騒動があったからだ。結果として三木助が五代目の小柳枝を襲名したものの、三木助は一時落語家をやめたため柳枝を継ぐことはなかった。こういった経緯の後で「勝っちゃん」が八代目になった。この大名跡は、八代目が睦会から移ったこともあり、現在は落語協会に残っているはずだ。

八代目の弟子の春風亭栄枝は入門から2年後に師匠が亡くなり、八代目正蔵門下に入ったが、春風亭の屋号に戻ったものの柳枝を継がなかった。同じく弟子の円窓は入門直後に師匠が亡くなった後は円生門下に入ってしまった。語り口などから思うに、八代目が今しばらく存命だったら、円窓が九代目を継いでいたのではないかと察する。円窓の兄弟子で同様に円生門下に移り、その後落語協会に復帰した円彌にも九代目を期待する声があったらしい。しかし円彌にとっては円生への想いが強かったのだろう、継ぐことはなく三年前に亡くなった。

立川流に字は違えど読みの同じ龍志がいることもあり、九代目がなかなか誕生しないとも言われるが、これは大きな障害とは思えない。継いで欲しい人材が見当たらないこともあろうが、もう芸協と協会の反目でもないだろう。ぜひ九代目の誕生により、この名の歴史をつないでもらいたいものだ。八代目の直系からは難しいのだから、目一杯ルーツを遡って、柳派ということで柔軟に考え、小さん門下からふさわしい人に継いでもらってはどうだろうか。

個人的好みであえて大胆な案を言うなら、小三治門下で来年にも真打が期待される三之助を推す。丁寧な語り口や雰囲気が八代目に近いものがある。師匠は大名跡小さんを継がなかった。ならば、この一門から柳の別な大名跡が生まれてもいいのではなかろうか。三三はこの名前のままでいくのではないかと思うので、次に将来有望な二つ目のこの人が適任だと思うのだ。「名前が大きすぎる」「名前負けする」という心配は、長~い目で見てあげましょう。昨今大きな名を襲名した何人かに比べれば、ず~っと似合っているのでは。まぁ、波風立てることを避けたいだろうし、すでに別な名前の襲名が決まっている可能性のほうが大きいとは思うが・・・・・・。
ビクター落語
キングレコード_昭和の名人_古典落語名演集
コロムビア_ベスト落語_春風亭柳枝
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# by kogotokoubei | 2009-04-15 17:56 | 落語のCD | Comments(0)

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らくごDE枝雀_ちくま文庫

 NHKの「あの人に会いたい」の話が、少し暗~くなってしまったので、「明るい枝雀」というか、「凄い枝雀」を、その著作で紹介したい。この本は、何と言っても「サゲ」についての考察が際立っている。従来の数多くの落語解説書などで非論理的なサゲの種類の羅列ばかりだったことに比べると、ある意味で「革命的」な分析を提示した書である。

 本書は、枝雀の代表的なネタ五席(『鷺とり』『宿替え』『八五郎坊主』『寝床』『雨乞い源兵衛』)が掲載されており、その合間に落語作家である小佐田定雄さんと枝雀との対談形式で、落語に関する枝雀の考え方などを、おもしろ可笑しく紹介している。その中で秀逸なのが、サゲに関する考察である。

有名な「緊張の緩和」理論の後でサゲに関する枝雀の持論が語られる部分を、まず引用。
小佐田 「サゲの分類」ちゅうやつでんな。「地口落ち」とか「ぶっつけ
     落ち」、「考え落ち」てな・・・・・・。
枝雀  さァ、今まではそんなこと言うて分けてましてんけどね、考えて
     みるとこんな非科学的な分類法おまへんで。
小佐田 と言いますと?
枝雀  ものごとを分類しようかちゅう時に、いちばん先にしとかなな
     らん ことは何やと思いなはる?視点を定めることですわ。どの
     立場から 対象物のどの面を見て判断するかということを決め
     とかんと、あっち こっちから視点定めんと言うだけでは統一性
     がおまへんがナ。
小佐田 ふんふん。
枝雀  例えば「仕込み落ち」てなのは、サゲの言葉をあらかじめ
     仕込んで おくという噺の構成からきた分け方ですわね。
     一方、「ぶっつけ落ち」 言うのは、お互いに言うてることが
     くいちごうてることでサゲになる という、これは噺の内容
     からきてますわね。さらに「シグサ落ち」 いうのは、セリフや
     なしにシグサでサゲるという、これは演出法です わ。この
     三つのバラバラの視点のものを一列に並べて論じよう
     ちゅうん ですからね。こら満足なもんができるわけがおま
     へんがナ。

 まったく、目から鱗、と言える指摘ではないか。そして、枝雀は、「お客さんの視点」で考えた四種類のサゲの形について説明をしている。枝雀のサービス精神は、分かりやすく図解しているところである。

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 まず、この図については、次のように説明してくれる。
枝雀 次の図を見とくなはれ。いろの濃いとこがフツーというかホンマの
   領域なんです。この「ホンマ領域」の内外に「ウソ領域」がるわけ
   です。で、外側を「離れ領域」と申しまして、ホンマの世界から離
   れる、さいぜん言いました「ヘン」の領域なわけです。常識の枠を
   出るわけですからウソの領域ですわね。しかもとりとめがありま
   せんから極く不安定な世界です。対して内側にあるのが「合わせ
   領域」です。これもさいぜん言いましたとおり「人為的に合わせる」
   というウソの領域です。「合う」という状況も、あんまりぴったり
   合いすぎると「こしらえた」ということでウソになってしまいます
   わね。但し、「離れ領域」とちごうて「合う」ということは型ができ
   るということやさかい安定してますわ。

この図を使って、「ドンデン」「謎解き」「へん」「合わせ」という4つのサゲのタイプを示したのが次の図となる。


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 枝雀の説明を要約するとこうなる。

「ドンデン」
:いっぺんサゲ前で「合わせ領域」の方へ近づく。つまり、「安定」に近づくのが「ドン」の部分。そのあと「離れ領域」へ「デン」ととび出したところで、「そんなアホな」とサゲになる

「謎解き」
:ドンデンの逆でサゲ前にいっぺん「離れ領域」—つまり不安定側へふくらむ。これが「謎」部分。そのあと、その謎を解くことで「合わせ領域」に入って「なーるほど」となってサゲる。

「へん」
:ドンデンに近いが、「安心」に近づく「ドン」のプロセスがない。いきなり「デン」と「離れ領域」に出るので四種類の中でもっとも不安定なサゲ。

「合わせ」
:謎解きに似ているが、「謎」の部分—「不安定」側へのふくらみがなく、いきなり「合わせ」てしまうサゲ。
*いわゆる「地口落ち」は洒落で「合わせる」ことから、大半がこの分類になるようだ。

そして、枝雀の丁寧な図解はまだ続く。この図である。

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右のほうが「そんなアホな」というサゲ。左側が「なーるほど」というサゲ。また、上のほうが「緊張と緩和」がはっきり区別されているサゲで、下の二種類は「緊張と緩和」がないまぜになっている、と説明する。


枝雀 私の理論によりますと、すべてのネタは図の座標上のどこかの
    一点を占めることになるわけです。この四つのグループも全く
    孤立しているわけやのうて、互いに影響し合うてサゲをこしら
    えているわけでんねん。謎を解く手段に「合わせ」を使うたり、
    謎を解いた結果が「へん」になったりとかね。こんな時も、
    最終的にどの要素でお客さんが快感を得てくれてはるかに
    よって、四つのうちどの型かは、はっきり分類できますで。



最後に、四つのサゲにそれぞれ分類された代表的なネタをご紹介。
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ドンデン:『鴻池の犬』・『時うどん』・『愛宕山』・『かぜうどん』・『看板のピン』
謎解き:『たちきれ』・『皿屋敷』・『寝床』・『算段の平兵衛』・『替り目』
へん:『青菜』・『口入屋』・『池田の猪買い』・『子ほめ』・『鷺とり』
合わせ:『らくだ』・『くしゃみ講釈』・『雨乞い源兵衛』・『死神』・『夏の医者』

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これ以上詳しいことは、ぜひ本書を読んでいただきたい。

 枝雀は「分類」すること自体が目的でこの四つのパターンに分ける理論を考案したわけではなく、「緊張と緩和」理論にのっとり、いかにして効果的なサゲまで含め噺全体を構成し演出してお客さんに快感を得てもらおうか、喜んでもらおうかということを考えに考えた経過の中で、この理論を見出したに違いない。だからこそ、枝雀の噺が凄いのである。

 また、「たら」「れば」になるが、小三治師匠と同じ昭和14年の生まれで、生きていたら今年で古希。どんな噺を聞かせてくれただろうか、との思いがつのるが、せいぜい残されたCDとDVDで偲びたい。
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# by kogotokoubei | 2009-04-14 12:04 | 落語の本 | Comments(0)
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NHKのホームページより
 初回放送は4月7日だったが見逃したので本日再放送で見た。昨年4月にも落語家の柳家金語楼が登場したことを思い出す。
 正直言って、見ていてつらいものがある。命日は平成11(1999)年4月19日なので、亡くなってすでに10年の歳月が過ぎようとしている。もう、十年か。

 神戸大学を中退し昭和35(1960)年に21歳で米朝師匠に入門し、ABCラジオの「漫才教室」で名を上げた漫才少年前田兄弟の兄、前田達(とおる)は落語家の桂小米となった。兄弟子は現在の月亭可朝を含め二人いたが、いずれも通いだったので、初の住み込み弟子であった。入門当時の稽古熱心ぶりはすごかったらしい。

 朝日新聞大阪の学芸部編集委員として枝雀本人とも懇意だった上田文世さんの著『笑わせて笑わせて 桂枝雀』(淡交社)から引用する。今日の内容は、引用のみならず、多くをこの本に因っている。
上田文世_笑わせて笑わせて 桂枝雀
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小米の稽古熱心さは尋常ではなかった。深夜、この道をブツブツ言いながら
歩いて、警察に通報されたことがあった。米朝家では、ちょうど、長男の現
小米朝に続いて、双子の二、三男が生まれた頃だ。子守を頼むと乳母車を
押して出て、しばしば行方不明になった。さほど遠くない所に住む姉の絢子
さんにも同じ年代の子どもがいた。小米は度々そこに双子を任せては、ネタ
繰りにでかけた。「一緒に外出しても駅のホームで稽古をする。こっちはホ
ームの端の方に寄っていったもんです。」と米朝は言う。
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 昭和48(1973)年に二代目枝雀と襲名する直前に、最初のうつ病になっている。放送は、その病気を振り返ったり、どう乗り越えたかということにも少ない中で多くの割合を割いている。収録された番組は昭和50年代後半が中心で、四十代で全盛期の彼の姿が映される。しかし、そこまでの道のりは決して平坦ではなかった。昭和45(1970)年、31歳の年に七歳年下で「ジョウサンズ」という女性漫才トリオのメンバーだった志代子さんと結婚し、二年後に長男が誕生。結婚した翌年に、弟子のべかこ(現、南光)と米治(現、雀三郎)との三人で「桂小米の会」が伊丹の杜若寺で始まった。その後、会場を変えながら枝雀襲名まで続いた、入場者の最低が23人、最高が120人というこの会が枝雀の重要な修業の場であったことは間違いない。そして、枝雀襲名を目前にして、病が襲った。前掲書には、その頃のことがこう書かれている。
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「好事魔多し」というが、すべてがうまく走り出したところで暗転があった。小米
が「演芸場に行きたくない」と言い出したのだ。73年2月1日、大阪・道頓堀の
演芸場、角座の上席(一日から十日までの興行)初日だった。志代子は「お父
さんを送ってくるわ」と弟子に言って、小米と一緒に自宅を出て、いつもの角で
タクシーを拾った。「車に乗ったので舞台着を渡そうとしたら、降りてきて『怖い、
行かへん』と言って、その場にしゃがみ込んでしまったんです」と志代子。
「えらいことになりました」と米朝に電話。会社にも電話して代演を頼んだ。それ
からは、いろんな病院、医院を巡った。診断は強い鬱病だった。
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 その後、定時制高校時代の恩師森本先生や、阪大病院(当時)の柿本医師の努力もあり、小米は快方に向かった。前掲書から再び引用する。
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「長らく『心の旅』に出ておりましたが桂小米がこの度、無事帰国いたしました
ので、再びここに『桂小米の会』を開かせていただきます。」73年4月16日に
再開した「第十八回小米の会」の案内状には、そう書かれている。小米の
「心の旅」は三カ月で終わった。小米の演目は『崇徳院』と『悋気の独楽』。
前回の五十人から百二十人と、倍増したお客さんで小米は力強く復活した。
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 しかし、四半世紀後に病が再発。そして十年前の3月13日に自殺をはかり約一ヶ月後に息を引き取った。この放送のキーワードとして取り上げられている、最初のうつ病を克服したことに関し語られた次の言葉は、あまりにも重い。
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「自分を思うことが 自分を滅ぼすこと。
人を思うことが 本当は 自分を思うこと。」

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 自殺の際に遺書はなかったが、枝雀が一枚残した紙きれに、復帰後予定していた20日間連続で毎日3席づつ披露する独演会「枝雀六十番」のネタ順が書かれていたという。その一部を紹介。
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初 日  延陽伯・一人酒盛・どうらんの幸助
  ・
三日目  代書・植木屋娘・愛宕山
四日目  壷算・くやみ・高津の富
  ・
七日目  七度狐・くしゃみ講釈・寝床
  ・
十二日目 鷺とり・宿替え・仔猫
  ・
十四日目 時うどん・雨乞い源兵衛・質屋蔵
  ・
十九日目 幽霊の辻・替り目・茶漬けえんま
千秋楽 つる・景清・崇徳院
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 残念ながら実現しなかった六十席の豪華なこと。どのネタもいまだにしっかりと耳に蘇る名演だ。たった10分の放送の中でも、「代書」「壷算」他いくつかのネタのワンショットが盛り込められている。「たら」「れば」の話ではあるが、元気だったならば、十分実現できたと思う、実現して欲しかった。昭和56(1981)年と昭和60(1985)年の二回、枝雀は一日三席の連続六日間の独演会「枝雀十八番」をサンケイホールで開いている。しかし、幻の「枝雀六十番」は毎日ネタを替えての20日間。単純に比較はできないが、志の輔inパルコは、同じ三席での連続公演である。凄いイベントになっただろうし、もしチケットが手に入ったら会社を休んででも行ったかもしれない。

 放送のタイトル通り、まさに「あの人に、そして、あの噺に会いたい」と思わせる。

 笑福亭松鶴師匠は、どんな時でもネタを繰っていた枝雀を称して、「あの男は、雨のしょぼしょぼ降る晩に、窓を開けてニタニタと笑う癖がある」と言ったらしい。今日の放送でも、傘をさし「ニタニタ」して歩きながら稽古する姿が印象的だった。「天才」とも言われるが、とんでもない努力の人であり、目一杯に真面目な人だったのだろう。収録された番組の姿と晩年への思いが交錯し、切なさと懐かしさが一緒にあふれ出てきた。
*教育テレビとデジタル教育では、まだ再放送があります。興味のある方はどうぞ。
  ・4月14日火曜日 午後2:30 ~ 午後2:40 教育/デジタル教育

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# by kogotokoubei | 2009-04-11 16:59 | テレビの落語 | Comments(2)
久しぶりにたっぷり寄席を味わいたくて末広亭の昼席へ。夜は三平襲名披露だが、もちろんそっちには興味はない。入替えありの昼の主任はさん喬師。さすが土曜日、ほとんど満席である。開口一番からすべて聞くのは初めてである。さて演目と時間は次の通り。

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(開口一番 柳家小んぶ 道灌 11:52-12:00)
柳家喬之進  真田小僧      12:01-12:14(13m)
ペペ桜井    ギター漫談    12:15-12:23( 8m)
林家久蔵   勘定板       12:24-12:36(12m)
柳家喬之助  長短          12:37-12:51(14m)
にゃん子・金魚 漫才       12:52-13:00( 8m)
桂才賀     漫談       13:01-13:11(10m)
柳家小里ん   親子酒      13:12-13:26(14m)
太田家元九郎 津軽三味線   13:27-13:41(14m)
川柳川柳    ガーコン     13:42-14:00(18m)
柳家はん治  ぼやき居酒屋   14:01-14:15(14m)
伊藤夢葉   奇術        14:16-14:29(13m)
三遊亭歌之介 龍馬伝      14:30-14:45(15m)
(仲入り)
柳亭燕路    幇間腹       14:57-15:10(13m)
笑組      漫才       15:11-15:20( 9m)
三升家小勝  漫談       15:21-15:33(12m)
柳家小さん  長屋の花見   15:34-15:50(16m)
仙三郎社中  太神楽曲芸   15:51-15:59( 8m)
柳家さん喬  井戸の茶碗   16:00-16:30(30m)
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久しぶりの喬之進だが、ちょっと太めになったような気がする。まぁまぁ、無難な出来。

久蔵が、本日の笑い獲得量では一番だったかもしれない。ベテラン落語ファンのお客さんでも滅多に聞けないネタであったのと、ネタ自体の可笑しさもあるが、十分に自分のものにしていた。下ネタではあるが、これも落語ならではの世界だ。

喬之助の横浜にぎわい座での真打昇進披露に行ったのが、もう2年前のことになった。昇進当時は、結構、一杯一杯といった感じで先を案じたが、ようやく落着きが出てきたようだ。難しい噺だが勘どころは押さえていたと思う。もしかして化けるかな、と思わせた。

ナイキのロゴ風の頭髪カットで登場の才賀師。ネタ収集にうってつけなのは、台東区役所の高齢者福祉課だ、という漫談、結構会場を沸かせていました。お元気で寄席に顔を出し続けて欲しい人だ。

小さん門下の層の厚さを示す落語家さんの一人、小里ん師。安心して聞ける本寸法の噺でした。こういう人が、寄席には欠かせない。

柳家紫文の代演、元九郎師。いいんだねぇ、津軽三味線での「パイプライン」や「コンドルは飛んでいく」が。津軽弁でのたどたどしいギャグも好きだなぁ。

昭和6年3月生まれ、78歳になったばかりの川柳師匠。相変わらず「舌」好調。自分の著作の売り込みも忘れず、寄席の定番で沸かせる芸、これはギネス級じゃないかと思う。

はん治師は、結構私が今ハマリそうな噺家さんである。前進座での『背なで老いてる唐獅子牡丹』も良かったが、この噺も「自分の味を良く知っているなぁ」と思わせるニンな噺である。落語ではなく、「地」で居酒屋で語っているように思わせるところは、見事な「芸」だ。

仲入り前は、池袋の昼席での主任と掛け持ちの歌之介。この噺と『B型人間』は、何度聞いても笑える。本人が噺の中で言う通り、英語と古典が苦手なのだから、あえて古典に挑まず、歌之介ワールドのラインアップを増やす次の新作に期待したい。まだ今の持ちネタだけで保身に走る年ではないはず。龍馬とB型のギャグも三分の一はかぶっているからねぇ。

勢朝の代演が燕路師。非常に良かった。この噺は、名人文楽が甚語楼時代の志ん生に稽古をつけてもらったが、なかなか納得できず自分で演じることをあきらめたという噺。燕路はニンである。はん治とこの人の二人の小三治一門が、主任のさん喬師以外では、今日は光っていた。

文生の代演が小勝師。昭和13年生まれだから志ん朝と同じ年だ。才賀師と同様に刑務所の慰問などで社会貢献されている。こういう噺家さんが寄席の名脇役となっている。昔、テレビのレポーターなどで活躍する姿を思い出した。

季節ピッタリの噺だった小さん師。無難だが、さて、どうコメントしたらよいのだろう。はん治師、燕路師ともに、しっかりと「個性」や「味」を示しているのだが、どうもこの人には形容する言葉を捜すのが苦だ。名前が重いかな、と思わざるを得ない。

さん喬師の『井戸の茶碗』のよさは、屑屋の清兵衛さんに集約されているように思う。騒動の中であたふたする姿も秀逸だし、最終的に二人の潔癖な武士とその娘の仲人役を務めることになる清兵衛さんが、「こんな私でいいんですか・・・」といった泣かせの芸が、さん喬師ならではであり、わかっていながら目頭を熱くさせる。夜席と入替えなので30分という時間を厳守しながら、丁寧かつツボをはずさない芸、やはりこの人は凄い。

あえて、演じた時間を記した。出演者が多すぎる、などと野暮な話をしたいわけではない。あらためて思うのだ。たったこれだけの時間で、これだけ多くの噺家さんがしっかりと自分の空間を作って楽しませてくれる。もちろん、漫才、奇術、太神楽といった色物の皆さんも含めて久しぶりの寄席は良かった。10分前後で、あれだけ会場を沸かせるって、そうは出来ませんよ。ビジネスで言うなら、プレゼンテーションの原則であるが、時間が短かければ短い程、相手に思いを伝えるのは難しいのである。落語という芸も、ある意味でプレゼンテーション。凝縮した芸のてんこ盛りである寄席。やはりたまに来ないといけないと思う。

外に出ると、夜席のお客さんの大行列。三平襲名披露である。いっ平が三平になるだけでも、これだけ並ぶのかぁ・・・・・・と妙な気分になった。昼席にも大きな名前を継いだ人が何人かいた。非常に悩ましいのが、この襲名問題である。代が変われば先代とは別なのは当たり前なのだが、「世襲」は歌舞伎の世界だけにして欲しい、と思いながら駅に向かった。
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# by kogotokoubei | 2009-04-04 19:46 | 寄席・落語会 | Comments(2)
初めて週刊誌を取り上げる。電車の中吊り広告でこの座談会を発見しなければ特別定価360円を払うことはなかっただろう。しかし、他のページ(特に吉永小百合さんの写真など)も、結構楽しめた。さて、この座談会は、写真も含めてだが6ページ。結構なボリュームである。今日の落語家の中で志の輔と合わせて人気と実力いずれもトップ3といえるこの二人の座談会は魅力的である。
冒頭で談春いわく、創刊50周年記念号で、なぜ落語家の座談会なのか、という疑問の答えは、堀井憲一郎さんの「ずんずん調査」でのこの雑誌への貢献と、落語がそれだけ歴史の中の「今」を語る上で取り上げるにふさわしいブームにある、ということなのだろう。

座談会のタイトルは「いまだかってない落語が始まる」。印象的な部分を引用する。
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談春   ところで、ねえ、喬ちゃん、アドリブってない?
喬太郎  ありますよ。ほぼ、アドリブの連続ってこともある。
談春   そうだよね。ほとんどアドリブなのよね。その場でのおもいつきで
      喋ってる。やってる最中に、何か見たことのない景色が見えてき
      て、それについて喋り出したりする。自分でどこへ行くかわから
      ない。
喬太郎  そうです。いいか悪いかわからないけど、『文七元結』やっていて
      も、吾妻橋の上で、いままで聞いたこともないセリフを言っていたり
      する。
談春   確認していい?そういう聞いたことのない新しいセリフをいったあと、
      セリフは続いていくけど、頭の中で、さっきのセリフの感想が動いて
      ないですか。
喬太郎  動いてる。
談春   動いてるよね。それはあとで考えることじゃない。するとセリフの
      順番がどんどん変わっていったりして、自分の言ったことが広がって
      いく、それに手応えを感じて、そのままお客さんにも広がっていくの
      を感じて、それに自分も引っぱられていくという。
喬太郎  そう!ありますあります。
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「その時」には、噺をしていながらも言ったばかりのセリフを評価している別の自分がいる、というのはなかなか興味のある話だ。茂木健一郎さんがこの座談会に参加していたら、どう解説しているだろうか。記憶に新しいが、WBCの決勝戦延長10回にタイムリーを打ったイチローは、その時の心境を、「やっぱり、神が降りてきましたね。ここで打ったら、日本がものすごいことになると思って、自分の中で実況しながら打席に入ってました」と答えているが、何か近いものがありそうだ。「デュアル・プロセッサ」で考えられる一瞬、あるいは、時間が一瞬止まる時とでも言うことができるかもしれない。その昔、野球の鉄人による「ボールが止まってみえる」という言葉もあった。
もちろん、年400回落語会に行く堀井さんだって、滅多に「その時」には出会えないのに、その十分の一しかチャンスのない私には、まさに僥倖といえる「その時」に出会えることを、気長に待ちたいものだ。加えて、この座談会で喬太郎が言うように、柳家小三治が何でもないような噺(『出来心』)で会場をどかんどかんとひっくりかえす芸も、ひとつの目標であって欲しいし、そういう落語に出会いたい落語ファンも、これまた大勢いることを忘れて欲しくない。もちろん、「何かを求めて行く落語会」だけでなく、「何も求めずに行く寄席」もいつまでも大事にして欲しい。
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# by kogotokoubei | 2009-03-29 17:31 | 落語の本 | Comments(0)
春休みなのだろう、どこへ行っても家族連れが多い。それはそれで日本経済復興のために少しでも良いことなのであろうが・・・・・、平日の12:00−13:00という標準的な昼食時間に、なぜこれほど若い母親と子供連れが混んだ飲食店でサラリーマンの意地悪をしなければならないのか、が疑問だ。
今日も今日とて私は落語会の席料を振込むため昼食時間に銀行へ行った後で、馴染みのラーメン店へ向かった。港北ニュータウンの地下鉄駅の近くのビルにある、札幌に本店のある店、とまでは明らかにしておこう。すでに4名のサラリーマンと道路工事関係と思しき人たちが並んでいる。私も含め皆さん、限られた時間で昼食を済ます必要がある人だ。待つこと10分。中は、30歳代半ばから40歳代前半までと思われる母親と幼稚園から小学生低学年までと察する子供の母子連れで半分以上占められていた。そして案の定、子供は半ば遊びながらラーメンを食べており、時間をかけた挙句ラーメンを残して終了、かと思いきや食後のプリンにとりかかるのだ。私より先に食べていた親子連れに私は両隣りを挟まれた席だったが、味噌ラーメン&半ライスをどちらのお隣さんよりも先に食べ終えて、店を出た。まだ待っている人が店外にいた。
この母子連れは、どうしてもサラリーマンの昼食休憩である繁忙時間帯に、店に来なければならない理由があったのだろうか。その食べ方から察するに、食後に急ぎの用があるようには、到底思えない。12時前に店に来るとか、13:00近くに店に入るといった配慮は、まったく思いつかないことなんだろうか。そもそも、あんな遊び半分でタラタラ子供に食事をさせること自体が教育的な配慮を欠いている。それと、当たり前のことだが、注文した以上は残させてはいけないのだ。注文したら残さず食べる、そういった教育や躾を含めての食事時間なのだ。だからこそ、超繁忙時間帯に彼らは店に来るべきではない。
江戸時代の代表的な仕草である「傘かしげ「肩引き」「こぶし腰浮かせ」などは、すべからく他人と気持ちよく暮らすための気配りの仕草であり、その時代には常識的な礼儀、マナーであった。そして、親や近所の大人が子供達に実践して教えてきた伝統である。
「混む時間は自分たちが待たされるからはずそう」ではなく、「混む時間は、昼食時間が限られているサラリーマンの人たちに迷惑だから、時間が自由な私たちはその時間をはずそう」という気配りを、残念ながら、多くの若い母親達にはできないようだ。そして、この母親達の子供が将来は社会人になる・・・・・・。この母親達は、自分の旦那が別の混んでいるお店で、迷惑な他の母子連れに歯軋りしているとは思わないのだろうか。
「侍ニッポン」、が賛美されているうちに、侍や町人、職人さん、そして彼らのオカミさんなど全員が当たり前のように身につけていた「江戸」の粋や礼儀などについて議論が沸きあがることを期待したいものだ。
落語から離れた小言だけを書き込むことは想定していなかったのだが、私の名前に免じて許していただきたい。実はあるんだよ、毎日、小言を言いたくなることが。たまには書かせてもらいます。
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# by kogotokoubei | 2009-03-26 13:41 | 幸兵衛の独り言 | Comments(0)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛