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噺の話

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 落語芸術協会のサイトで、山遊亭金太郎の訃報に接した。
 *拙ブログの常で、師匠などの敬称は略します。

 一部、引用したい。
落語芸術協会サイトの該当記事

陸上自衛隊除隊後、東京で上方噺に取り組み「小南落語」として知られる二代目桂小南に入門、稽古の鬼と称される師匠のもとで修業を重ね、真打昇進の際、師匠の前名である「山遊亭金太郎」を襲名。以降小南落語の継承の要となりました。
明るい口跡で幅広い演目を口演する当協会で欠かすことのできないベテラン演者でした。先輩・後輩からも愛され、慕われ、役員として協会のまとめ役にも尽力しました。
平成27年より公益社団法人落語芸術協会 監事就任。本年6月より理事就任。

当協会の俳壇「駄句だく会」で番頭を務め、当協会きっての俳人でもありました。
また元自衛官という事で、東日本大震災の際には予備自衛官としても復興支援にも従事。

昨年8月骨髄異形性症候群病を患い以来闘病中でしたが、本年2月親族からの骨髄移植を受け、病院内で患者向けに落語会を開くなど順調に回復したのですが、6月急性骨髄性白血病を発症。このたび帰らぬ人となりました。
これからの円熟期を前にした訃報が悔やまれてなりません。

 落語協会とは好対照な、心のこもった訃報だ。

 昭和31年6月生まれなので、私より年下じゃないか・・・・・・。


 一度だけ、高座に接している。

 二年前の末広亭での三代目桂小南襲名披露興行だった。
2017年10月1日のブログ

 口上が印象に残っている。

 自分のブログだが、引用したい。

<後ろ幕は、落語芸術協会から、岩槻の須賀食品寄贈に替わった。
 下手から、遊之介、遊吉、金太郎、小南、南なん、歌春、小遊三の六人。
 印象に残る内容は、まず、兄弟子の金太郎。師匠は三代目三遊亭金馬を師匠に東京落語を百席以上覚えてからすべて捨て去って上方落語を学び直した人で、「東京でも大阪でもない、場所で言うなら、静岡落語」と称していたが、独自の小南落語と評された。三代目小南は春日部出身、東京との間、自分独自の北千住落語を目指して欲しい、と笑いも意図したネタだったのだろうが、客席はまともに聞いていたなぁ。トースターにまつわる逸話も紹介されたが、その犯人のためにも割愛。


 兄弟子南なん、金太郎の、三代目小南への思いやりに満ちた口上だったように記憶している。

 金太郎の高座は、膝前。協会の枠を超えた兄弟出演で、二楽が膝代わりを務める前の出番。難しい役割だが、短いながらしっかり『たらちね』をまとめていた。

 
 もっと早くに金太郎の高座に接したかったなぁ。

 合掌
 
# by kogotokoubei | 2019-09-19 12:54 | 落語家 | Comments(2)
 8日に初めて天満天神繁昌亭に行くことができた。
 
 雀三郎と染二の落語を堪能。

 あらためて上方落語の素晴らしさを痛感した。

 しかし、その素晴らしさを感じない、東の落語愛好家の方も少なくないだろう。

 たとえば、『一人酒盛』という噺を語る時、その優れた演者として圓生の名を挙げる人は多い。たしかに、圓生のこの噺は、素晴らしい。

 しかし、私なら、迷うことなく六代目松鶴の名を挙げる。

 聞かず嫌いの方も多かろうなぁ、と思う。

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立川談志著『現代落語論』(三一新書)

 そんなことを考えながら、久しぶりに、談志の名著『現代落語論』をめくって、彼が上方落語について書いている章を読んでみた。

 「上方落語と大阪の寄席」の章からご紹介したい。

 よく寄席ファンの中で、落語は東京で、漫才は大阪だ、なんていってるのを聞くが、なるほど漫才はたしかに大阪に歩があるといっても間違いじゃなかろうが、落語は違う。上方はそれなりの伝統があり、けっして東京落語にヒケをとるわけではない。
 第一、東京の噺家が演じて、純粋無垢の江戸前の噺だと一般に思い込まれているような落語が、じつは上方落語のネタであり、焼き直しであるケースが多い。
 この後、『らくだ』が上方から東京に移されたものであることや、『宿屋の富』の元は『高津の富』、『長屋の花見』は『貧乏花見』がオリジナルであることなどを紹介している。

 その後、このように書いている。

 それに、東京落語はわかるけれど、大阪落語はわからないというお客さんも多い。
 上方落語は、騒々しくて、またしつっこいという感じを持っているんじゃなかろうか。
 上方落語の特徴は、お囃子とのコンビでできあがっているといってよいくらいだから、そんなところから、うるさくてかなわない、なんて思う人もいるだろうー。
 しつっこいというのも、上方落語の馬鹿の表現の一つに、ダミ声で、ダアダアのしゃべり方をし、馬鹿丸出しといったやり方をするのだ、与太郎風のサラッとした演出を聞きなれている東京の観客には、イャ味に聞こえるのかも知れない。そうでなくても、江戸弁と上方弁の口調に差があるのだから、なおさらだ。
 しかし、どっこい、本当に聞き込んでいったら、絶対に上方落語の虜になることわたしが請け合ってもいい。
 論より証拠で、ゆっくりと時間をかけ、たとえば松鶴さんの『高津の富』、桂米朝さんの『池田の猪買い』なんて話を聞いてみると、上方落語の本当の楽しさをみつけることができる。

 『現代落語論』は昭和四十(1965)年の発行。談志は、まだ二十歳台。
 真打になって、まだ二年。

 しかし、二ツ目、小ゑん時代から上方の若い噺家たちとの交流もあった。
 上方落語についても、十分に敬意を表していたことが、分る。

 上方落語への理解、若手上方落語家の成長のために、こう書いている。

 上方落語を東京で演じる、これがいいと思う。落語がプログラムの中心になっている東京の寄席は、坐っている演るようにできているから、だだっ広くもないし、大阪の若手にこの東京の寄席へきて、もまれ、芽をだしてゆく。苦しいかも知れないが、東京の若手といっしょになって、本当の上方の噺を残すべきだと思うが・・・・・・。が上方噺を東京でかりに成功したってしょうがない、やはり上方でなければ、というかも知れぬが、そんなことはどうでもいい。東京~大阪は、もはや三時間なのだ。

 良い提言だと思う。

 東京~大阪は、今は、三時間を切っている。

 東京落語大好き、上方は苦手という方、あの談志が、請け合っている。

 音源もたくさんあるし、最近では東京の寄席に上方からの出演も増えてきている。

 ぜひ、聞かず嫌いの方に、上方落語の楽しさを知って欲しい。
# by kogotokoubei | 2019-09-18 12:36 | 落語の本 | Comments(4)

 昨日のテニスは、いつもより遅い11時から開始だった。

 クラブハウスに着くと、テレビの前に人だかり。

 マラソンだ。MGCの男子、ゴール前の様子に皆さんが歓声を上げていた。

 つい、私も見てしまった^^

 そこで思いついたのが、マラソンコースの言い立て。

 ちょうど、今日は午前中は時間があったので、ネットでコースの地図を見ながら、こんなもん書いていました。

 新国立競技場を出ますと、外苑西通りを右に折れまして、しばらくまっ直ぐに。靖国通りを右に折れて、そのまましばらくしたら道なりに外堀通りに。新見附橋を過ぎますと、まもなく5キロ。
 神楽坂通りを越えて飯田橋も過ぎまして、首都高を上に見ながら外堀通りをそのままに、後楽園を過ぎて水道橋の交差点に出ましたら、白山通りを右に行き、神保町の交差点に出ましたら左に折れて靖国通りを東へ。小川町を過ぎ、蕎麦屋まつやを左に見て淡路町を過ぎまして、須田町交差点を右に折れまして、中央通り。神田駅を過ぎて今川橋を越え、室町を通り日本橋の手前が、10キロ。
 永代通りに出たら左に折れまして、昭和通りを横切り首都高の下を走り、すぐに茅場町、新大橋通りに出ましたら左へ。江戸橋ジャンクションを過ぎて蛎殻町をそのままに、水天宮を右に見て、浜町中ノ橋を左に折れて、清州橋通り。東日本橋から右斜めへ進み、清杉通りへ。浅草橋を渡り、江戸通りへ出たら、須賀神社を左に見て、まっすぐに。柳橋を過ぎ蔵前橋通りを横切って、駒形橋西詰に出ましたら左斜めが並木通り。雷門が、やっと15キロ。
 雷門通りを右へ行きすぐに江戸通りも右へ。江戸通りから清杉通り、清洲橋通り、新大橋通り、永代通りと、来た道を戻ります。日本橋で中央通りに突き当たると、そこが20キロ。中央通りも来た道を戻り、外堀通りを右に曲がり、西新橋から日比谷通りを左へ。御成門を過ぎ、増上寺で折り返せば、すぐに25キロ地点。
 日比谷通りを戻り、西新橋からは外堀通りへ。新橋から中央通りへ入り、高架下を過ぎ、銀座の街を道なりに。靖国通りに戻って須田町が30キロ。神保町の交差点を左に折れて白山通りから内堀通りに入り二重橋で折り返し、また神保町に戻って35キロ。白山通りから外堀通り、靖国通りと来た道を戻って、40キロ地点を過ぎたら外苑西通りを左へ折れて、新国立競技場へ向かって、やっとゴール。
 真夏に走る選手も疲れるだろうが、書いてるあたしもくたびれた。

 ほんとにくたびれた^^

 真夏の五輪開催には、素直に賛同できないが、これは、洒落です、洒落。

 お店の名前をもっと織り込むとか、まだ改善の余地があるなぁ。
 間違いもあるかもしれない。

 バージョンアップしたら、またご紹介します。
# by kogotokoubei | 2019-09-16 13:15 | 幸兵衛の独り言 | Comments(2)
 来週土曜、9月21日から、鈴本では落語協会の四人、新宿末広亭では芸協、柳亭小痴楽の単独での真打昇進披露興行が始まる。

 東京新聞に記事が掲載されていたので、引用したい。
東京新聞の該当記事

 ちなみに、記事のお題は 
  “落後せず…目指せ「大看板」 落語「真打ち」昇進披露の秋”

 まず、芸協の方から。

▽同世代の感覚を

 「寄席で毎日トリをとるのが夢だった。うれしい」と喜ぶのは、二十一日に真打ち昇進の柳亭小痴楽(りゅうていこちらく)。トリは最後に登場する真打ちで、人気、実力の証し。落語芸術協会(春風亭昇太会長)では十五年ぶりの単独昇進で、都内六つの寄席の披露興行で計四十二日間トリを務める。

 十六歳で落語界に入り、「前座」「二つ目」と十四年間の修業を経て真打ちに。「粗相が多く最初の師匠からは破門」(本人)に。現在の師匠楽輔(らくすけ)は「その後、精進を重ねた。芸が好きなんだな」。

 やんちゃなキャラ、歯切れのいい口調で古典の「大工調べ」などを聴かせる。同じ協会の若手と「成金(なりきん)」というユニットを組み引っ張ってきた。

 この後、父が五代目柳亭痴楽で、六代目襲名を目指す、と書かれている。

 現在の師匠、柳亭楽輔が、五代目痴楽の弟弟子で、痴楽が亡くなった後のブログで、小痴楽に六代目痴楽を継がせてあげれば、兄弟子も喜ぶだろう、と書いている。

 まずは真打。そして、周囲も認める状況での六代目襲名、という順番か。

 父が亡くなって、9月7日でちょうど十年経った。
 十三回忌が、一つの節目と察する。

 それにしても、末広亭のサイトの披露目の案内に、楽輔の名がないのが、気になる。
 口上だけの参加なのか・・・・・・。


 続いて、東京新聞の記事、落語協会の四人について。
 
▽独特のキャラで

 落語協会(柳亭市馬会長)の新真打ちは四人。二十一日から五つの寄席で披露興行を五十日間開催。トリは日替わりだ。

 〇三~〇四年の入門者たちでくせ者ぞろい。

 柳家さん生の弟子わさびは自ら落語も創作、どこか頼りないとぼけたキャラクターで人気。「サンショウ(さん生)に、わさび。名前を変えない方がいいというお声も一部にあり、そのままで」

 他の三人は昇進を機に改名。柳家さん喬の弟子で、喬の字改め五代目小志んは「四代目はこま回しの方が名乗っていた」名前。介護のケアマネジャーから転身、陽気な落語に取り組む。

 初音家左橋(はつねやさきょう)の弟子で、左吉改め古今亭ぎん志は「将棋の銀と志ん生師匠の『志』からです」。理学療法士から転身、ロック好きでリーゼントの髪が印象的だ。

 柳家権太楼(ごんたろう)の弟子で、ほたる改め権之助は師匠の「権」と大好きな「THE ALFEE」の坂崎幸之助を組み合わせた名前。独特のキャラで「誰が見ても外れない落語家になりたい」。

 昨年師走恒例の末広亭での権太楼・さん喬の二人会で、ほたると喬の字が師匠の前に高座にあがったが、権太楼は「あの二人はいらなかった。あとで小言です」と言って、小痴楽と松之丞がいる芸協が羨ましい、とこぼしていたことを佐平次さんのブログで知った。

 NHKの新人落語大賞で小痴楽が出場した時、権太楼は、おざなりな批評ではなく、親身に芸についてのアドバイスをしていたことを思い出す。それだけ、認めているのだ。
 
 新聞の記事、この後に市馬会長の言葉があるが、割愛。

 この記事では、立川談四楼の弟子三四楼が、“わんだ”と改名して十月に真打に昇進することも案内されている。不思議な感動「センス・オブ・ワンダー」が名前の由来とのこと。一度国立で聴いているが、たしかに、不思議な落語だった。


 二つの協会の披露目のスケジュールも、引用しよう。

【落語協会】上野・鈴本演芸場=21~30日▽新宿末広亭=10月1~10日▽浅草演芸ホール=同11~20日▽池袋演芸場=同21~30日▽半蔵門・国立演芸場=11月1~10日。

【落語芸術協会】新宿末広亭=9月21~30日▽浅草演芸ホール=10月1~10日▽池袋演芸場=同11~20日▽国立演芸場=11月11~20日▽お江戸日本橋亭=10月24日▽お江戸上野広小路亭=11月5日

 補足すると、落語協会の方は、鈴本と末広亭が夜、その他は昼。

 芸協は、末広亭と池袋、お江戸日本橋亭が夜、浅草と国立が昼だが、国立の11月15日(金)のみ夜もある。
 また、11月21日には、大須演芸場でも開催。

 最初の九月下席のうちに、なんとか小痴楽の披露目には行こうと思っている。

 落語協会の方は、都合が合えば、池袋か国立で、わざびの主任の時に行こうかと思う。

 この記事のお題の「落後せず」は、落語家人数が多くなって競争が激しくなっていることからの洒落だろうが、目指せ「大看板」は、少しハードルが高すぎるように思う。
 
 その言葉が当てはまるのは、せいぜい、小痴楽だけではなかろうか。あくまで、私見。
 本来の真打の姿、寄席でトリをとれるようになることを、まずは目指してもらいましょう。

 そうそう。鈴本の十月中席の夜の部で、昨年真打に昇進したばかりの柳家小平太、前名さん若が主任となっていて、驚いた。昼の部は、一之輔だよ。
 小平太は、同期の勧之助が主任を務めた六月下席の楽日に池袋で聴いたが、口惜しい思いを素直に表に出していた。良かったね、今度は君が主任で。

 ということで(?)、真打昇進の皆さん、まずは、来年以降のトリを目指してがんばってください!

# by kogotokoubei | 2019-09-13 19:18 | 真打 | Comments(2)
 旅の記事があったので、遅ればせながら、この会のこと。

 初の繁昌亭。

 あらためて、外観。
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 あらためて、この会の看板。六回目とのこと。
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 この二人の高座は、生では初。
 CSのスカイAの「らくごくら」では、見たことがある。
 言わずもがなだが、雀三郎は枝雀の弟子、染二は染丸の弟子。

 喫茶ケルンを出て、開演少し前に、二列目の席に座った。

 開演前や仲入りのBGMがトトロなどのジブリのメドレーで、山茶花さんが喜んでいた^^

 繁昌亭のサイトによると、一階席145席、二階席63席。

 思ったほどは広くないが、落語にはちょうど良い空間だと思う。

 最終的には、一階席の八割ほどが埋まったのではなかろうか。

 出演順に感想などを記す。

 なお、雀三郎と染二の二席はネタ出しされていた。

桂九ノ一『道灌』 (12分 *18:00~)
 初。本人が言うように、名前から女性を想像したが、「すんません、こんな野球部の補欠みたいなんが登場しまして」で笑い。
 たしかに、坊主頭の見た目は、そんな感じなのである。
 後で調べると、九雀のただ一人の弟子で、三年半ほどの経歴のようだが、この高座は、結構気に入った。関東版と基本は同じだが、クスグリが上方ならではで楽しい。
 「わしゃ、隠居じゃ」「夜店ですくうやつ」「そりゃ、金魚や」なんてやりとりが可笑しい。
 たけやんが提灯を借りに来たが、「傘を貸せと言え」「傘は持っとる」と返され、その傘を折るあたりは、ダイナミック!
 元気で明るい高座、幸先が良い。

林家染二『替り目』 (18分)
 前日まで大須演芸場だったとのこと。前半は江戸の住吉踊り、後半は上方の住吉踊りが披露されたらしい。東京の噺家さんとの交流、打ち上げなどを振り返る中で、名古屋のメイド喫茶の話には、笑った。
 ♪一でな~し、二でな~し、と本編へ。
 酔っ払いの亭主が、酒の肴に関東炊き(おでん)を女房に買いに行かせた後の独白が楽しい。
 「お願いですから、月曜の朝、ビニール袋に入れて電柱のとこに捨てないでください」
 なんてのがあった。
 マクラを含め、この人の持ち味が発揮された高座。
 滑稽噺がニンと思っていたので、二席目はどうなるか、と思っていたが、凄かったのだ。

桂雀三郎『G&G』 (25分)
 本職は歌手、とのこと^^
 あのヒット曲♪ヨーデル食べ放題は15万枚、落語のCDよりはるかに売れているから。
 ということで、ヒット曲を一番だけ聴かせてくれた。
 あの名曲(?)、もともと、京橋の“やぐら”という飲み屋さんの歌「やぐら行進曲」を作り、一緒にCD化したところ、高田文夫がラジオを紹介して大ヒットした、と丁寧に説明してくれた。
 “やぐら”の常連さんが、ビールとチェイサーにして酒を飲む人であったとか。
 その“やぐら”が、あの「深夜食堂」のモデルとのこと。知らなかった。
 ギターをやろうとして、普通はFができなくて苦労するが、ご本人、Gが出来なくてまづいた、というのは、ちょっとはギターをかじる者として、笑った。
 本編は、“おやじバンド”ならぬ“じじぃバンド”のネタで、小佐田定雄さん作。
 全身グレーで身を固めた典型的な年寄り姿の森さんを、派手な衣装に髪の毛はメッシュ、若い女の子をナンパしまくっている鹿田さんが、自分たちのバンドの練習に誘う。
 そのバンドの名が、「G&G」。「ジジイ&ジジイ」。
 「ピアスの心、母心」なってクスグリやバンド仲間の芸名なども笑える。
 サンセット加藤さんの潰れた会社の工場が、練習場。
 さて、見た目も趣味(植木)もまさにジジイの森さんに、鹿田さんはバンドの歌を披露。
 ということで、下手に隠していたギターを雀三郎は持ち出して、ライブがスタート。
 ♪どうにも止まらない、♪昔の名前で出ています、などの替え歌で客席は大爆笑。
 決めゼリフは「ファイヤー!」。
 最後は♪宇宙戦艦ヤマトの替え歌で、「阿倍野斎場、焼~き~場~」で、客席も一緒に、「ファイヤー!」となる。
 なるほど、本職は歌手だ。
 なかなかの美声、そして、カポダストを駆使したギターさばきも、お見事。
 期待通りの、楽しい高座だった。
 山茶花さんによると、米朝はこの「G&G」が大好きで、一門の会では飛び入りすることもあったとのこと。「あたしも、もうじきファイヤーです」が決め科白だったようだ^^

林家染二『菊江仏壇』 (42分)
 マクラで、この噺に相応しい若旦那のネタ、ということで、現在の米団治の逸話。
 とても内容は書けないが、彼の高座での逸話に、客席は大爆笑だった。
 マクラで大いに笑わせた後、本編へ。笑わせどころの少ないネタ、しっかり計算をしてのマクラだったように思う。
 滑稽ばなしの染二、という印象が強いので、果してこの人情噺の長講をどうこなすか、注目していた。
 とにかく、長い。
 私は、2010年12月、小金治さんをゲストに招いての国立演芸場での文我で聴いており、その後、2017年7月に、日本橋劇場で雲助で聴いた。
2010年12月6日のブログ
2017年12月13日のブログ

 少しズルをして、Wikipediaの文章も借りて、あらすじをご紹介。
Wikipedia「菊江の仏壇」

(1)船場・淀屋小路の大店、飽きっぽく道楽者の若旦那は、惚れて一緒になったお花との
   仲も二カ月は持たず、遊びの虫が再発すると、南の芸鼓、菊江にいれあげてしまい、
   家に居つかない。そのせいでお花は気を病んだ挙句病気になってしまい、療養のため実家に
   帰ってしまった。そのことについて、大旦那は若旦那に今までの不始末をさんざんに責めるが、
   若旦那は「わたいの女道楽は大旦那の信心と変われへんもんでっせ。」と反省の色すらも
   見せない。さて数日後、実家から『お花が危篤』と言う電報がくる。 大旦那は憮然と「番頭どん。
   倅をようく見張っとくなされ。」と後を託して見舞いに行く。
(2) 厄介払いが出来たと大喜びの若旦那、菊江のところに行こうと番頭に止められる。
   「そら、番頭済まなんだ。わてが悪かったわ。」「わかってくれはったらよろしゅう
   ごわります。」「そのかわり横座るさかい話聞いてくれへんか。」「へえ。よろし
   おます。」「気にせんといて、そのまま帳面付けてくれたらええねん。」
   「さよでっか。」「あのなあ、番頭・・・・・・」と、逆に、じんわり番頭の
   茶屋遊びを暴露して、脅しにかかる。「ちょ、ちょっと若旦那。止めておくん
   なはれ。」「何や。嫌か。ほたら外出して。」「いやそうはいきまへん。」
   お花が病に伏しているのに遊びに行くのはどうしても世間体が悪い。それなら、
   親爺の留守を幸いに、家に酒肴を注文して菊江を呼び、ここで茶屋遊びをする
   事にしようと話がまとまる。
(3)店の者も喜んで早速店じまい、ごちそうを注文する。やがて菊江も、他の芸妓も
   三味線太鼓を抱えてやってくる。若旦那もう嬉しくてたまらない。「菊江来たか。
   こっち来い。こっち来い。今日はな、やかましい親爺おらんよって・・・・・・
   明日にならな帰ってけえへん。家で散財しよ。そんなら、今日はどんどんいこか。」
   とみんなで飲めや歌えの場が大騒ぎ。
(4)盛り上がったころで突如大旦那が帰ってきた。「これ!ここ開けんかい!何して
   ますのじゃ!」「うわっ!大旦那さん帰ってきはった!」
   一同大あわてでご馳走等々を隠すが、菊江の隠れるところがない。「菊江、お前
   こっち来い。」「まあ、何しなはります。」「ここへしばらく隠れとれ。」
   やむなく大旦那が買ったばかりの『200円もする巨大な仏壇』に押し込む。
   さて大旦那は番頭をはじめとする皆の酔態を見て「何ちゅうことしくさるのじゃ。」
   とあきれ返る。
   「倅はどこにいくさる。」「おとっつあん。ばあ。」「これ、ようもこんなふざけ
   たことしくさって。」
   大旦那は涙ながらに「これ、倅、お花はな。わしの顔見るなり『不実な夫でも、
   生涯連れ添う人と思え一目会うまではと思うておりましたが、もし、おとうさん。
   わたしはよほど嫌われたんですね・・・・・・』との言葉を一期に、様態が
   変わって死んだわやい。」と一部始終を話す。
   「こなたもわしと一緒にお花とこへ通夜に行きなされ。」と嫌がる若旦那を尻目に
   仏壇のもとへ。
(5)「もし、お父っあん。何しなはんねん。」「仏壇に有難い『親鸞聖人の掛け軸』を
   取り出しますのじゃ。」「ええっ!! もし、仏壇にはあらしまへん!」「ほんなら
   どこ直したんじゃ。」「・・・・・・下駄箱ン中」「アホぬかせ!」と大旦那は
   件の仏壇の扉をギー・・・・・・。 途端に現われたのは菊江の姿に、
  「ああ。お花か。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。もう迷うて出たんか。倅の了見は
  わしが直す、だから迷わず成仏しとくれ!!」
  幽霊(菊江)の方が 「へえ。私も消えとうございます」で、サゲ。


 文我、雲助の高座について書いた記事と重複するが、この噺は、他のネタを彷彿とさせる部分がいくつかある。
・大旦那が若旦那を諌めるシーンは、『船徳』『唐茄子屋政談』他と同じ味わい
・若旦那が番頭の弱みを追及し味方につけるところは、『山崎屋』
・大旦那と定吉が出先から、どんちゃん騒ぎの我が店に戻ってくる件は、『味噌蔵』
 
 東京でこの噺を十八番としていた、小金治さんの師匠だった桂小文治について、矢野誠一さんの本『落語讀本』(文春文庫)は色川武大さんの言葉を紹介している。
矢野誠一 『落語讀本』(文春文庫)
色川武大さんは、桂小文治の『菊江の仏壇』をきいたことがあるそうだ。敗戦直後の神田立花で、<茶屋遊びの気分、商家の感じ、そうして独特の色気、はじめて小文治を、ただものではない落語家だと思った>と書いているのだが、この感じが私には、とてもよくわかる。

 色川さんが指摘した小文治の高座から感じた、<茶屋遊びの気分><商家の感じ><独特の色気>が、まさに染二の高座を評価する上で、重要な指標になるように思う。
 
 (1)の場面で、大旦那が若旦那を諌める場面の長科白、下手をするとダレてしまう部分を、染二はよどみなく、そして、十分に商家の感じを醸しだしながら聴かせてくれた。若旦那がお花と夫婦になって二ヶ月持たずに芸者菊江に入れあげたと責める大旦那に、若旦那が、大旦那がしつらえた仏壇に二ヶ月持たずに飽きた、という話で対抗する、数少ない笑わせどころ。上方の商家の空気が客席に流れる。
 (2)では、じんわりと、真綿で首で、若旦那が番頭が女を囲っていることを暴く。番頭の慌てる心理がよく描かれていたし、暴露された後に開き直っての宴会の幹事役としてはしゃぐ様子、静と動の描き分けがすこぶる良かった。
 (3)は、まさに『味噌蔵』。皆が弾ける様子がそれまでの静から動への転換となる。女子衆が何が欲しいかと言われ「針さしと鏡台」に若旦那が「嫁に行くのやあらへんで」なんてのも楽しい。なかでも、若旦那が子供頃におねしょをさせた話を繰り返す佐助が印象的。何度も昔のことを繰り返す鸚鵡返しは、『うどんや』の酔っ払いを彷彿とさせる。
 菊江がやって来て、若旦那が「菊江、歌ってんか」の声から、はめもので賑やかになるのが、上方ならでは。ここで、茶屋遊びの気分を短いながらも味わわせてくれる。
 洗い髪に白薩摩で登場した菊江の姿には、もちろん色気が充満している。先代の小南は、「若旦那ぁ」と登場する菊江の姿を一瞬でもお客さまに見せることができたら、と記しているが、染二の高座、しっかり映像が浮かんだ。
 この菊江の姿から、『白ざつま』という演目でも呼ばれる。
 (4)大旦那が帰ってから、お花の最後を振り返る場面は、なんとも泣ける。伝聞であり、それが臨終の場なのにも関わらず、色気を感じるのが不思議だ。
  若旦那がなぜお花の元から菊江のところへ逃げたのか、という心理面の葛藤も語られていて、実に深~い噺となった。

 米朝の音源では、マクラで、大ネタと言われているが、とにかく難しい噺で、あんまりオモロイこともない、と語っている。
 米朝は、小文治が東京に持って行って相当刈り込んだとも言っているが、オリジナルは、紹介したように、登場人物も多ければ、場面展開もたくさんある。とはいえ、笑わせどころは、きわめて少ない噺。
 しかし、だからこそ芸達者が挑戦したくなる噺、でもあるのだろう。
 染二の挑戦、私は実に良い高座として実を結んだと思う。
 今年のマイベスト十席候補としたい。

 ここで仲入り。

 中に喫煙スペースはなく、外で一服。
 まだ、日中の暑さの名残があったなぁ。
 さて、もう一席。

桂雀三郎『百年目』 (39分 *20:31)
 こちらも、上方落語大ネタ中の大ネタ。

 大きく次のような場面で構成される。
 (1)番頭の治兵衛と奉公人との会話。ここで、仕事一筋で堅物な番頭を表わすために、「芸者という紗はいつ着るのかも知らん」なんて科白が出てくる。また、手代や小僧と番頭の間には溝がある、という組織の空気が伝わる。これが、最後の栴檀と南縁草の話にもつながっていく。
 (2)その番頭が、実は粋な遊び人であることが明らかになる場。幇間や芸者たちと船で桜の宮に花見に繰り出し、酔った勢いで扇子で顔を隠した鬼ごっこでつかまえたのが、なんと旦那。治兵衛としては、大変な事件発生だ。
 (3)次兵衛は店に帰り、病気と偽って部屋にこもる。悶々と夜を過ごす。
 (4)そして、翌日の旦那と治兵衛との会話、というより、旦那のお説教だ。有名な栴檀と南縁草の喩え話が登場する。

 冒頭の次兵衛のネチネチした部分は、意外とあっさりだったような気がした。この人、あまり悪者にはなりきれないのかもしれないなぁ。
 船の中が暑~い空気は、会場の冷房がききすぎたせいもあったか、実感しにくかった。たしかに外は暑いのだが、中を冷やしすぎるのは考えものだなぁ。
 ヤマ場は、この夜中の次兵衛の姿。逃げ出そうとして高い着物を重ね着しては、いや、そんな酷い旦那ではなかろう、とまた着物を脱ぐ。しかし、また逃げようと着物を着る、の繰り返しは、師匠枝雀譲り。笑った。
 大旦那の次兵衛への話、旦那という言葉にまつわる栴檀と南縁草の話までが、勘違いかもしれないが短い気がした。時間調整もあったかな。
 染二の『菊江仏壇』の後だったこともあり、悪くはないのだが、全体に平坦だった印象。
 一席目に、本職(?)の歌手としてのライブを楽しんだから、良しとしよう。

 なお、『百年目』については、以前の記事で桂米二の本からの引用や、「内田樹の研究室」から、栴檀と南縁草のたとえに関する記事を紹介しているので、ご興味のある方はご覧のほどを。
2012年5月28日のブログ

 終演後に、山茶花さんと土山人で美味しい酒と蕎麦を味わったのは、前の記事で紹介した通り。

 同期会の有馬温泉への旅行に続き、初の繁昌亭を楽しむことができた。

 とにかく、染二の『菊江仏壇』が特筆ものだった。

 たまには、上方落語もいいなぁ、と痛感した夜。

 なお、繁昌亭に、この「よせぴっ」という落語会ガイドが置いてあり、無料でいただくことができた。
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 「東京かわら版」の上方版とも言えるが、手作り感のある案内誌。

 「よせなび」として、繁昌亭のみならず、お寺や飲食店などさまざまな会場での落語会情報が満載。凄い数だ。

 山茶花さんは、表紙の若旦那風のイラストが米団治とすぐに分かった。流石!

 「トピックス」欄には、その米団治が来年3月、「米朝まつり(仮)」を開催するというニュース。
 3月30日から三日間、ゆかりのサンケイホールブリーゼで5公演、朝日生命ホールで3公演とのこと。
 また、米朝とOSK時代に駒ひかるの芸名で活躍した奥さん中川絹子さんの夫婦の物語が大阪松竹座の2月公園で上演されるとのこと。

 裏表紙には、芸歴35周年の林家染二が、10月恒例の独演会で、「上方落語の女性の世界」をテーマにするとの案内。また、上方寄席囃子の功労者、林家とみさんの50回忌であることから、自分で寄席囃子を披露するらしい。
 そうか、染二は、いろんな落語に挑戦しているんだなぁ、『菊江仏壇』もそういう挑戦の一つか、と納得。
 10月の会のことは、染二のオフィシャルホームページで演目なども案内されている。
林家染二オフィシャルホームページ


 なお、「よせぴっ」のオフィシャルブログから、この情報誌のPDFがダウンロードできる。
「よせぴっ」公式ブログ

 ご興味のある方は、ぜひご覧のほどを。

 「よせぴっ」で、魅力的なプログラムが上方でもたくさん予定されていることを確認。
 東京に負けず劣らず、大阪の落語界がんばっていることが伝わってきた。

 また、来なきゃ!

# by kogotokoubei | 2019-09-12 21:54 | 寄席・落語会 | Comments(10)
 さて、有馬温泉→神戸三宮→大阪、と移動しての8日日曜日の午後。

 ちょうど三時少し前に、地下鉄長堀橋駅近くのホテルに到着し、チェックイン。

 その後、ホテルを出た。

 実は、午後四時に繁昌亭の近くの喫茶店で、ある女性と待ち合わせをしていた。

 その方は、三年前の京都での同期会の後、坂の街大阪をガイドしてもらった方。
 このブログへのコメントが縁だった、山茶花さんだ。

 三年前のことは、「ブラ幸兵衛」なんて気取って記事にしていた。
2016年11月14日のブログ
2016年11月15日のブログ

 NHK大河「真田丸」をお互いに見ていて、メールでいろいろ連絡をとっていたこともあり、大阪の陣に縁のある大阪と山茶花さんお奨めの坂の街を案内していただいた、小さな旅だった。

 今回、同期会が有馬温泉ということで、ぜひとも、繁昌亭をご一緒したかったのであった。

 地下鉄堺筋線で、長堀橋から繁昌亭の最寄り駅南森町は三つ目の近さ。

 ちなみに、長堀橋駅の中のトイレ、「ようおこし」は、なるほど大阪やなぁ、という印象。

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 南森町駅に降り、天満宮の参詣道にあたる天神橋筋商店街には、こんな提灯が。
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 繁昌亭は←左、ということで左折すると、すぐに見えた。


 近づいて、撮影。
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 その手前左にあるのが、喫茶ケルン。

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 四時少し前に到着。

 なんと、BGMはジャズ!

 壁は、噺家さんや芸能人の色紙、写真で埋め尽くされている。

 写真は、撮り忘れたのだった。残念。

 山茶花さんからメールが入り、終演後に食事に行くお店の場所を確認したので、これからすぐ行きます、とのこと。

 その通り、すぐいらっしゃいました。

 ほぼ、三年ぶり。

 山茶花さん、このお店のお奨めは、たまごサンドとのこと。

 さて、一人前いただこうか、と思ってメニューを見ると、ハーフサイズもある。
 お店の方が、良心的。

 二人の会話を聞いていて、「繁昌亭の後でお食事されるなら、ハーフサンドのセットお一つと、飲み物を一つがお徳ですよ」とのこと。

 大阪にも、こういう良心的な飲食店があるのだよ^^
 
 このたまごサンド、関東にはない、ふっくらした玉子焼きが入ったサンドイッチで、美味しかった。量もハーフで軽く小腹を満たすのにちょうど良かった。

 サンドの写真、撮り忘れた。
 そもそも食べ物のブログではないので、美味そうなものは、すぐ食べてしまう。

 話題は、壁の色紙の噺家のことや落語のこと、先日終わったばかりのBS時代劇「蛍草 菜々の剣」のことなど、盛りだくさん。

 さて、そろそろ六時の開演。
 
 ケルンを出てすぐお隣のような近さの繁昌亭へ。

 その落語会は、桂雀三郎と林家染二の二人会。

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 そのい内容は感想は、次の記事にてご紹介。
 

 終演後は、山茶花さんが、お好み焼きか蕎麦という候補を出してくれたので、粉ものが少し苦手で蕎麦好きの私は、迷わず、蕎麦を選択。

 そのお蕎麦やさんは、土山人の天神店。
 お店の写真は撮りそびれたので、天神橋筋商店街のサイトから拝借。
天神橋筋商店街サイトの該当ページ
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 ちなみに、土山人のサイトには、このように書かれている。
 なお、1997年、芦屋で開店したのが始まりとのこと。
土山人のサイト

土山人の蕎麦は全店舗契約農家から直接仕入れた蕎麦を使用しています。
また、蕎麦は全て殻付きの状態で仕入れ、自社の保冷倉庫で保管。
殻を外してから製粉までの工程を全て自社で行っています。
蕎麦を打つ直前に各店舗で製粉し、恒に最高の状態を目指して蕎麦打ちに取り組んでいます
また、人材育成にも力を注ぎ、初心者でも蕎麦打ちを学びながら調理、サービスに従事し、一人前になったスタッフのさらなる成長の為に店舗を展開してきたのも土山人のスタイルです。
蕎麦打ちを始め、メニューの研究を自由にできるのも土山人だからこそ。
軌道に載った店舗は「のれん分け」という形で独立しています。
土山人の店舗は、外装、内装、使用する器など、全てにおいて創業者のイメージを基に作られています。
ファッション業界、雑貨業界で培ったノウハウを活かし、「和」にこだわることなくモダンテイストをさりげなく織り込んだ店内には、落ち着いてゆっくりと蕎麦を味わっていただけるように様々な工夫を施しています。


 なるほど、こういうお蕎麦屋さんは、そう多くはない。

 山茶花さんも、少しなら、とのことで日本酒を付き合っていただき、玉子焼き(また、たまご)や、梅水晶という、オツなつまみで、聴いたばかりに落語の話題はもちろん、いろんな話が美味しい酒の肴。

 締めは、山茶花さんお奨めの「すだちそば」。
 最近、有馬温泉のこのお店がテレビに放送され、このそばをサンドイッチマンというコンビが美味そうに食べていたとのこと。

 これが、すだちそば。

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 若い可愛い店員さんから、数分して、すだちの香りがついた頃、そのすだちを取り除いて、香りについておそばをいただくというのが、本寸法とのこと。


 しばらくして、すだちを取っていただいた蕎麦、その香り、風味、蕎麦の美味さ、汁の程よい塩加減、なるほど、絶品!

 つい話しが長引いて、山茶花さんと付き合せてしまった。

 店を出て、南森町の駅で山茶花さんと別れ、ホテルへ戻った。

 まだ、眠くはならず、つい、この旅の記事の一回目を書きながら日付変更線を超えた、という次第。

 9日の帰りの新幹線は、余裕を見てお昼頃にしていた。
 泊まったホテルのチャックアウトも12時とうれしい。
 ホテル近くのお店で朝食をとって部屋に戻り、このシリーズ二回目の記事の途中まで書いてから、新大阪へ移動。

 台風の影響で、下りの新幹線は一時間半の到着遅れなどが発生していた。

 おかげさまで、台風通過の上り新幹線は、定刻通り。
 結果オーライの旅、と言える。

 このシリーズの記事としては、これにてお開き。

 雀三郎と染二の会については、次の記事にてご紹介。

 長らくのお付き合い、まことにありがとうございます。
# by kogotokoubei | 2019-09-11 09:27 | 小さな旅ー2019年9月、同期会と繁昌亭 | Comments(2)
 さて、8日日曜日、チェックアウト後、Y君とTちゃん(うりぼう)の車二台に乗ったご一行は、宿から有馬温泉街の駐車場に車を置いて、温泉街を散策することとした。

 地図はなきかと捜してみれば、「神戸公式観光サイト」Feel KOBEに、有馬温泉の地図も掲載されていた。
feel-koubeのサイト

 こちらが、その全体図。

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 左下に、ねね橋があり、ねねの像がある。

 すでに、ねね像と男どもの写真は紹介したので、美人トリオと、ねねさんの写真。

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 その美顔をご紹介できないのは、残念^^

 
 有馬温泉、太閤秀吉や妻ねねが愛した湯として知られているが、散策の途中に地図をいただきに立ち寄った観光協会のサイトには、この湯が、もっともっと古い歴史をたどってきたことが分った。

 同サイト「有馬の歴史」から、少し引用。
有馬温泉観光協会公式サイトの該当ページ

発見
 有馬温泉の守護神として名高い湯泉神社の縁起によれば、泉源を最初に発見したのは、神代の昔、大已貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)の二柱の神であったと記されています。この二神が有馬を訪れた時、三羽の傷ついたカラスが水たまりで水浴していました、ところが数日でその傷が治っており、その水たまりが温泉であったと伝えられています。
 温泉のありかを教えてくれたこの三羽のカラスだけが有馬に住むことを許されたと伝えられており、「有馬の三羽からす」と呼ばれています。
 有馬温泉の存在が知られるようになったのは、第34代舒明天皇(593〜641年)、第36代孝徳天皇(596〜654年)の頃からで両天皇の行幸がきっかけとなり有馬の名は一躍有名になりました。日本書紀の「舒明記」には、舒明3(631)年9月19日から12月13日までの86日間舒明天皇が摂津の国有馬(原文は有間)温湯宮に立ち寄り入浴を楽しんだという記述があり、それを裏付けています。
 釈日本紀によると、孝徳天皇も同じく有馬の湯を愛され、大化の改新から2年後の大化3(647)年10月11日から大晦日還幸までの82日間、左大臣(阿部倉梯麿)・右大臣(蘇我石川麿)をはじめとする要人達を多数おつれになり滞在されたとの記述があります。

開創の行基
 「有馬温泉史話」によれば、舒明天皇・孝徳天皇の度重なる行幸により世間に名をしられるようになった有馬温泉ではありますが、その後徐々に衰退に向かっていったといわれます、これを再興し有馬温泉の基礎を開いたのが名僧行基です。
 行基は聖武天皇(701〜756)の信任あつく、主に池を築き、溝を掘り、橋をかけ、お堂を築くことなどに力を発揮し大きな業績を残した高僧といわれています。
 行基が大坂平野の北、伊丹の昆陽に大池(昆陽池)を掘っていたときのこと、一人の人に会いました。その人は「私は体の中に悪いはれ物ができて、数年来苦しんでおります、聞くところによりますと、有馬の山間には温泉があり、病気にはたいそう良いそうです。私をそこへなんとか連れて行ってくださいませんか。」と頭を地に付けて懇願しました。哀れに感じた行基はその人の望みを叶えるため、有馬に連れて行く途中、さらにあれこれと望みごとを頼むその人の願いをかなえてやると、不思議なことにその人は金色荘厳なみ仏の姿となり、有馬温泉を復興するようにと言って紫雲に乗って東方へ飛び去ってしまいました。
 (後 略)

 なんと、神代の昔、大已貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)が発見したというのだから、すごい。
 「有馬の三羽からす」のことも含め、宿の金湯と銀湯に入っている時も散策している時も、知らなかった^^

 私の旅、予習より復習を重視しているのだよ。

 行基は、日本で最初に僧として最高位である大僧正になった人で、聖武天皇により奈良の大仏(東大寺)造立の責任者として招聘され、東大寺の「四聖」と呼ばれる高僧だ。

 へぇ、知らなかった。
 奈良つながりで、有馬温泉と、私が滑りまくった『鹿政談』とのかすかな縁があったとは^^
 この後に、「中興の仁西」「再建の秀吉」「江戸時代を経て」と続く。

 だから、秀吉や北政所ねねは、長い歴史を持つ有馬温泉の「再建」の時代に登場する人物、ということ。

 その「再建」についても少しご紹介。

 秀吉の事蹟の特筆は、慶長2(1597)年に始まった大規模な改修工事です。この直接のきっかけは、前年に近畿一円を襲った慶長伏見地震でありました、建物の被害も甚大ではありましたが、さらなる問題としてこの地震の直後から温泉の温度が急上昇し熱湯となってしまったことでありました。湯治効果の大なることを熟知していた太閤は、文字通り英断をふるい有馬温泉の根本的な改修工事に着手することになりました。
 秀吉の工事以来350年間、有馬町(有馬町は明治29年に湯山町から有馬町に改称されました。)は一度も泉源の改修工事を行っておらずこの時の秀吉の英断がその後の有馬の繁栄に計り知れない影響を与えたことがわかります。しかし、地震後に新たに湧出した温泉に湯山御殿を造り、工事が完成した慶長3年の5月に入湯の予定でありましたが、激しい風雨のため中止となり、その後まもなく床に伏し同年の8月18日に没したため、秀吉はついにその成果をみることができませんでした。

 なるほど、太閤の湯、と言われるのもむべなるかな。
 しかし、秀吉、改修後の有馬を自分で見ることはできなかったんだねぇ。

 という歴史のお勉強の次は、地理の授業(?)に変わります。

 Feel KOBEのサイトからお借りした地図から、散策したあたりを拡大したものが、これ。
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 有馬温泉は、鉄分と塩分を含み褐色に見える湯「金泉」、透明でミネラルなどを多分に含む湯「銀泉」の二種類の温泉があることで有名。

 温泉街にも「金の湯」と「銀の湯」がある。
 
 ということで、散策の最初は「金の湯」。
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 アジアからの団体さんが並んでいたが、まだ開いてなかった。

 我々一行は、私を含め多くの人が宿の朝風呂に入ってきているので、通過。

 炎天下、湯元坂を歩くご一行の姿は、前回記事でも紹介したが、こちら。

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 すぐに目に入ったのが、菓子工房ありま、である。

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 観光協会のサイトの紹介でも分るが、名物炭酸せいべいで有名な、三ツ森のお店。
有馬温泉観光協会公式サイトの該当ページ

 こちらでは、灘の生一本を使用した酒まんじゅうが自慢のようだ。
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 中で座って食べることもできるようなので、一行は、酒まんじゅうを買って、店の奥のテーブルで食べることに。

 これが、前回も掲載した、その酒まんじゅう。
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 熱かったけど、美味かった。

 このように、餡子もたっぷり!

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 食べてから、散策の後、Oちゃんと合流する神戸三宮までの道のりを確認。
 打ち合わせするメンバー。

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 三宮へのルート、駐車場の確認を終え、また少し歩くと、佃煮の大黒屋があった。
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店の表のウィンドウには、切り絵があった。

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 コアラのTちゃんは、名物の松茸昆布を買うことを決めていたので、立ち寄る。
 あっしは、きゃらぶきを買ったのであった。

 観光協会公式サイトにあるお店の情報では、「砂糖、化学調味料は使用せず、保存料も極力控え、製品管理に目を届かせるため、旅館・ホテルの売店には一切出品しておりません」とのこと。
有馬温泉観光協会公式サイトの該当ページ


 その後、銀の湯に向う途中に、念仏寺。
 
 こちらが、案内板。

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 ということで、北政所ねねの別邸跡、と言われているのだ。

 全景の写真は撮らなかったので、有馬温泉観光協会公式サイトのページから拝借。
有馬温泉観光協会公式サイトの該当ページ

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 本堂は有馬温泉で最古の建築物とのこと。

 同サイトのページにもあるように、浄土宗。

 ということで、法然の少年の頃の像があった。
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 そして、第一回目の記事でも紹介した、この言葉。

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 念仏寺を過ぎると、銀の湯があった。

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 もちろん、入浴はしない。

 ねがい坂を下って、ねね橋近くの駐車場に戻ると、ほぼ10:30.
 神戸に移動するには、ちょうど良さそうな時間。

 女子はTちゃん(うりぼう)号、男子はY君号で、三宮へ向う。

 菓子工房でG君がガイドしていた駅前の地下駐車場に停めて、JR三宮駅へ。

 宇治からやって来るOちゃんとは11:30の待ち合わせ。

 改札前に、ほぼオンタイムで到着。

 しばらくして、Oちゃん登場。

 地下街(サンチカ)で一緒にご飯を食べて、お茶をした。

 お茶をしている時の写真、手前がOちゃん。

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 いろいろ大変な事情があり、一泊はできなかったが、駆けつけてくれた。
 ありがとね!

 さて、同期会としては解散。

 この三宮駅、JRに阪神に阪急がある。

 K君は阪急で京都へ。

 ウサギのTちゃんも、阪急で帰ったはず。

 G君が奈良に帰るのだが、阪神ー近鉄相互乗り入れの電車で一本で帰れるとのこと。
 その電車、難波に止まるとのことで、一緒に行くことにした。
 コアラのTちゃんも上本町なので、同乗することに。
 あっしは、心斎橋の近く地下鉄長堀橋前のホテルにチェックインから繁昌亭に向かいたいのであった。

 運転手のウリボウTちゃんとY君は、地下駐車場へ向かった。

 ということで、三回目の記事は、これにてお開き。

 次回は、繁昌亭での落語会関係のお話。

# by kogotokoubei | 2019-09-10 12:54 | 小さな旅ー2019年9月、同期会と繁昌亭 | Comments(0)
 この記事は、帰りの新幹線の中で、書いている。

 帰りが一泊二日で昨日の午後だったら、台風15号の影響を受けていたに違いない。

 7日から一泊二日で有馬温泉に泊まった後、男子のうち二人は帰路につき、残る七名は神戸三宮でOちゃんと会って昼食とお茶をした後、同期会は解散。

 車を出してくれたY君、Tちゃん(うりぼう)、ありがとね!

 その後、私は難波でG君とTちゃん(コアラ)と別れ、心斎橋のホテルにチェックインしてから、繁昌亭近くの喫茶店で、ある女性と待ち合わせし、一緒に繁昌亭の落語会を聴いた。もちろん、初めて。

 昨夜の繁昌亭の落語会は良かった。

 ご一緒したのは、このブログへのコメントをきっかけにして、三年前の京都での同期会の後にお会いし、坂の街大阪の散策をした山茶花さん。

 繁昌亭の落語会のことや、山茶花さんといただいた美味しい蕎麦のことなどは、もう少し後で、ご紹介。

 昨夜、ほろ酔い加減でホテルの部屋で最初の記事を書いた後、今回同期会に参加できた女子TちゃんトリオのうちのコアラのTちゃんから、7日夜の二次会カラオケの写真などがたくさん届いた。
 ありがとね、Tちゃん!

 ということで、8日の有馬温泉散策のことの前に、7日初日の夜、二次会でのカラオケの様子をご紹介。

 これが、大爆笑の連続であったのだ。

 それは、最近のカラオケでは、点数が出るということによる。

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 これが、はるばる沖縄からやって来た、U君(キリン)の熱唱の姿。

 とにかく、彼のレパートリーは、演歌など古い歌のみ。
 鶴田浩二の♪街のサンドイッチマン、なんてぇのが十八番。

 だが、なかなか点数があがらない。
 最低の66点を記録!

 「このカラオケ、壊れてる!」を何度叫んだか^^

 こちらが、今回の幹事、宇治に住んでいるY君(トラ)。
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 左は、Tちゃん(ウサギ)、右が、あたし。

 Y君には誠に申し訳ないが、彼は酔ってくると、足元は危なくなるし、歌の音程も、千鳥足^^
 しかし、まったく臆することなく歌うのは、実に偉い!
 ちなみに、沢田研二の♪勝手にしやがれ、を歌ったことを忘れて、二度歌った^^

 その歌が、また笑いを誘うのだが、それが80点を超えるので、二度笑える。

 U君が、「なんで、あの歌が!? これ、壊れてる!」と叫ぶ。

 せっかくなので、他の方々の熱唱の姿もご紹介。

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 G君(姓ならM君となるが、ニックネームのG君で通っているので)の、熱唱。
 毎年、同期会の写真を彼にデジタル・アルバムにしてもらっている。
 今年も、よろしく!

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 Tちゃん(ウリボウ)の隣りで嬉しそうに歌う、K君。
 良かったよ!

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 そのTちゃんの熱唱。
 中島みゆきの「糸」を、しっとりと聴かせてくれました。

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 昨年、長島温泉では、すっかりお世話になったM君。サザンが大好き。
 あたしが、♪HOTEL PACIFICを歌ったら、「なに、サザン、負けられるか!」とばかり、♪いとしのエリー、を熱唱!

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 こちらが、あたし。

 時間となり係りの方が来ても、最低点では帰れないU君、「あと一曲だけ!」とおねだりして歌ったのだが・・・67点。

 これまた大爆笑^^

 ちなみに、最高点は・・・あたしでした!

 カラオケのネタが挟まれたので、8日日曜午前中の有馬温泉散策のお話は次の記事にてご紹介。

 とはいえ、ちょっと先出し。

 これが、同期の仲間を含む人々が、有馬温泉の坂道をあるいているところ。

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 これが、有名な像を挟んだ、あっしを含む男たち。

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 これが、「名物にうまいものなし」なんて通説を覆す、ある、饅頭。
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 次回、もう少し詳しく、有馬温泉散策を振り返りたい。


# by kogotokoubei | 2019-09-09 14:45 | 小さな旅ー2019年9月、同期会と繁昌亭 | Comments(0)

 今年の大学同期会の旅行先は、日が変わったので、一昨日7日土曜からの一泊で、有馬温泉。

 これが、昨日の8日朝、チェックアウト前の記念写真。
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 それぞれが、動物に似ていることから、Zoo会の別名を持つ同期会。

 各自の動物のイラストにて、個人情報を守ることにしている^^

 今年は、男性6名、女性3名の9人が一泊二日で参加。
 
 当初参加予定だった人のうち、男性1名、女性3名がやむをえない理由により、欠席となった。そのうち、夫婦が一組含まれている。

 しかし、本日昼には、泊まることはできなかったが、神戸三宮での昼食に女性一名が参加。
 懐かしい人に会うことができた。

 
 7日の夕食の時の写真。人が重なって写っており、分りにくいが、九人います。

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 夕食後はカラオケ、そして、幹事部屋に集って、三次会。

 余興として、恒例(?)の落語を二席。

 こちらが、部屋の小さなテーブルを高座にしての熱演(?)の様子。

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 一席目の『人形買い』は、五月のテニス合宿でもやったので、まぁまぁだったかな。
 二席目は、せっかくなので関西にちなんだ『鹿政談』。
 とはいえ、京都名物、大阪名物、そして奈良名物は覚えきれずにいたので、メモを手拭に挟んでカンニング。これが、やはりその後にリズムを狂わせたなぁ。
 また、おからのことを、きらずというという仕込みを忘れた。
 なんと、最大の失策は、肝腎のお白洲の場面で、奉行の名が飛んだ!
 「あれ、名前が出ない・・・とにかくその後に江戸南町奉行に栄転した名奉行」なんて、誤魔化したが、とにかくリズムに乗れない高座。

 昨年参加できなかった女子のTちゃん(うりぼう)からは、上達したねぇ、との言葉もあったが、昨年の『真田小僧』と『井戸の茶碗』を褒めてくれた女子のTちゃん(うさぎ)からは、去年のほうが良かったとのことで、反省しきり。
 あら、女性陣三人は、もうお一人もTちゃん(コアラ)だな^^

 ネタ、当初は『人形買い』と『抜け雀』のつもりでいたのだが、もっと短くて関西にちなむネタと思い、結果として稽古不足の『鹿政談』にしたのが、やはり間違いだったか。

 言い訳だが、年々酒にも弱くなっているのにも関わらず、夕食時、そして、カラオケも含め飲んで、部屋でも少し飲みながらの高座、酒の影響もある。

 かといって、素面では、なかなか演れるものでもない^^

 まぁ、あくまで素人の余興、皆さん、あたたか~い気持ち、広~い心でで聴いてね!

 そうそう、8日チェックアウトの後、有馬温泉を散策した際、北の政所(ねね)の別邸跡と伝えられる念仏寺、別名「沙羅樹園」に立ち寄った。
有馬温泉観光協会公式サイトの該当ページ

 そこで、こんなありがたいお言葉を目にした。
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 そうです。
 広い心で、世間も、他人の失敗にも寛容に!

 なんと、都合のいい解釈であることか^^

 次の記事では、初日のことをもう少しと、二日目午前中の有馬温泉散策のことを書こうと思う。

# by kogotokoubei | 2019-09-09 01:11 | 小さな旅ー2019年9月、同期会と繁昌亭 | Comments(2)
 この記事、同期会の旅行先である有馬温泉に向うための新幹線の中で書いている。

 ついに、最終回。
 昨夜は、ラグビーに高校野球と見たいスポーツがあったので、録画をして後から見た。

 日曜の再放送後に公開すべきだと思うのだが、同期会やその後の予定の記事のことを考え、再放送前にこの記事を公開。

 よって、原作を含めネタバレがあるので、再放送まで知りたくない方は、ご覧にならないようご注意申し上げます。

--------------ネタバレ注意-------------------

 さて、原作には登場しない人物、叔父夫婦が市之進に再婚を勧めた雪江が、轟平九郎の口車に乗って、市之進に罪を認めさせたのだが、轟の約束、恩赦で市之進を助けるなんてぇのは、もちろん嘘。
 
 だんご兵衛から、市之進が、遠い東北の地に追いやられることになったと聞いた菜々。
 市之進が、罪を認めたのは、自分を助けるためであることを知った菜々。
 
 さて、父、そして市之進の仇、轟への反逆の道はあるのか。

 という時に、御前試合があることを知る菜々。
 
 女は、本来は参加できない。
 しかし、仇討ちならば・・・ということで訴えると、これが受け入れられる。
 日向屋と轟は、これ幸いと、邪魔な菜々を堂々と御前試合で退けようとするのだ。


 菜々を取り巻く誰もが、轟平九郎との御前試合に挑むことを、暴挙と止めにかかるが、菜々には秘策があった。

 だんご兵衛との真剣での稽古が始まる。
 この場面、実に良かった。

 亡くなった佐知が菜々の前に現われ、菜々の母親も仇討ちは望んでいなかったのではないか、と言うのだが、「母は最期に言いました。『武士の誇りを決して忘れるな』と。でも奥様と旦那様のもとに奉公に上がって分かったのです。武士の誇りとは、父の仇を討つことではなく、みずからの信じる道を歩むことなのだと」と答える菜々。

 凛々しい!

 そして、ついに御前試合。

 菜々は、強かったねぇ。心も、剣も。

 原作には登場しない、父の形見の守り刀が、最後は重要な武器となった。

 父が和歌集の和紙と和紙の間に隠して残してくれた、轟と日向屋の悪事の証拠を手に殿に直訴する菜々。
 それを、支援する柚木弥左衛門。 
 イッセー尾形、「いだてん」の東京市長より、ずっといい役^^


 最後のハッピーエンドも、なんとも爽やか。

 主役清原果耶の、17歳とは思えない名演、熱演。
 脇役陣も好演。
 葉室麟の原作を程よく脚色した、実に良質なドラマだった。

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葉室麟著『蛍草』
 原作『蛍草』は、双葉社から2012年に単行本が発行され、2015年に文庫化された。


 副審が掲げた幔幕をくぐり、奈々は試合の場に出た。
 五兵衛が扇子を手に威儀を正して立っていた。正面に設えられた御座所に藩主勝豊が座っている。勝豊は眉が太く整った顔立ちをしており、恰幅がよかった。
 居並ぶ重臣たちの中に柚木弥左衛門の姿も見えた。市之進を訪ねてきたおりに弥左衛門は菜々の顔を見知っているはずだが、素知らぬ顔で床机に座り、目を向けてこなかった。
「これへ」
 五兵衛が声をかけると、菜々は一礼して試合場の中央に進み出た。すでに白襷をかけ、鉢巻を締めた平九郎が立っていた。
 平九郎と向かい合った時、吹き寄せる風に馬場の周囲で咲き誇る桜の花びらが吹雪のように散った。思わず見惚れる菜々に、平九郎が声をかけてきた。
「わしに挑むとは笑止な。命が惜しくないと見える。女だからと情けはかけぬぞ」
 菜々は黙って平九郎を見返した。怖くはなかった。菜々が口辺(こうへん)に笑みをわずかに浮かべると平九郎は訝しげな顔をした。
「貴様ー」
 平九郎がなおも言い募ろうとするのを、五兵衛が遮った。
「もはや立ち合いの刻限である。双方、構えい」
 菜々はさっと脇差を抜き、正眼に構えた。平九郎は、悠然と刀を抜いた。すかさず菜々は、
ー勇気
 と念じつつ斬り込んだ。


 緊張感漂う、場面。

 そして、山場。
 
 平九郎は薄く笑って引導を渡すように言った。
「そろそろ決着をつけようか」
 菜々は、とっさに目を閉じた。
(刀を見てはいけない。気を感じなければ)
 菜々が目をつぶったのを見た平九郎は、すっと横に動いた。足音も立てずに、ゆっくりと脇をまわりこみ、やがて平九郎は菜々の背後にまで移動した。
 その動きを目で追いながら、五兵衛は歯噛みした。剣の腕において菜々と比べるべくもない平九郎が、卑怯にも背後にまわって斬撃を見舞おうとしている。それを目の前にして五兵衛はどうすることもできない。
 五兵衛の額から冷や汗が滴り落ちた。
 
 そのころ節斎の塾で正助と妹のとよは、手習いをしていた。
 
「とよ、どうしたんだ」
 正助が声をかけた。とよは振り向いて、
「菜々は戻ってくるって言ったよね」
 と念を押すように言う。
「菜々がそう言ったんだから、きっと戻ってくるよ」
 正助が自分に言い聞かせるように言うと、とよは泣き出しそうに声を震わせた。
「菜々が母上のようにいなくなったら、嫌だ」 
 菜々がいなくなってしまう。正助も同じ不安を抱いて唇を噛んだ。ふたりの様子を見た節斎が穏やかな表情でとよに語りかけた。
「大丈夫だ。あの娘は必ず、そなたちのもとに帰ってくるぞ」
「本当に?」
 とよは、節斎の顔をうかがうように見ていたが、やがて縁側から空を見上げた。春霞のかかる空に鷲が高く舞っている。とよは、母親を呼ぶ時のように大きな声をあげた。
「菜々ー」
 とよの声は青空に吸い込まれていく。

 平九郎の気配がしなくて不安を覚えた菜々は、思わず目を見開いた。アッと思った。目の前に誰もいない。
(どこに消えたんだろう)
 うろたえた菜々が全身を緊張させた時、
ー菜々
 と呼ぶ、とよの声を聞いた。
(おとよ様がわたしを呼んでいる)
 正助ととよのもとに戻らなければと思った瞬間、背後からの気を感じ取った。

 とよが菜々を思う気持ちが、届いたんだねぇ。

 子役を含め脇役たちも良かったが、とにかく、主役の清原果耶には、驚いた。

 すでに、『透明なゆりかご』や『マンゴーの樹の下で』での主演、そして、NHKの朝ドラの脇役でも思ったが、17歳であの演技力。

 将来楽しみな、正統派の女優さんだ。


 さて、ドラマはドラマとして、役者さんを含め視覚に訴える魅力はある。

 しかし、原作本にも、読んでいて、その場面を空想する楽しみがある。

 落語も、生の高座は別とすると、映像も悪くはないが、音源による空想する楽しみの方を好む。

 葉室麟、短い間に数々の傑作を残してくれた。

 次は、ぜひ、『川あかり』のドラマ化を期待するなぁ。

 ロケが大変そうだが、あの作品も、映像化に相応しいい内容に思う。

 もちろん、他にも名作はたくさんある。
 
 次第に、読み残した作品が減ってきた。

 大事に、読んでいこうと思っている。


# by kogotokoubei | 2019-09-07 12:36 | ドラマや時代劇 | Comments(4)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛