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噺の話

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今年のマイベスト十席(2)

 昨日は、寄席の逸品賞と特別賞を発表した。
 
 では、マイベスト十席の発表。

<2019年 マイベスト十席>

171.png春風亭一朝『宿屋の富』
>立川左談次を偲ぶ会 お江戸日本橋亭 2月11日
“同じ年に入門した前座仲間左談次を偲ぶ会での、志ん朝型を踏まえた、名高座!”
2019年2月13日のブログ

171.png五街道雲助『付き馬』
>立川左談次を偲ぶ会 お江戸日本橋亭 2月11日
“同じく前座仲間サダヤンを偲ぶ会での、小三治にも迫る、さすがの雲助落語!”

171.png柳家喬太郎『掛取万歳』
>柳家喬太郎プロデュース とみん特選寄席 紀伊国屋ホール 2月26日
“ウルトラマンから形態模写、熱海殺人事件まで、面目躍如の掛取りに乾杯!”
2019年2月27日のブログ

171.png柳家小満ん『らくだ』
>柳家小満んの会 関内ホール(小ホール) 3月16日
“関内の最終回で魅せた『らくだ』も凄かったし、著書へのサインにも感謝!”
2019年3月18日のブログ

171.png柳家権太楼『人形買い』
>新宿末広亭 四月下席 昼の部 4月29日
“テニス合宿の余興で演るつもりでいたネタを、目の前で手本を見せてくれた爆笑高座!”
2019年5月1日のブログ

171.pngむかし家今松『柳田格之進』
>国立演芸場 六月上席 6月9日
“これぞ今松落語、格之進と娘おきぬの会話に代表される、人物描写の妙!”
2019年6月10日のブログ

171.png古今亭志ん輔『唐茄子屋政談』
>鈴本演芸場 七月上席 7月7日
“徳の叔父、叔母の情愛に目頭が熱くなった。リズムも良く、志ん輔落語健在!”
2019年7月8日のブログ

171.png林家染二『菊江仏壇』
>雀三郎・染二 ふたり会 繁昌亭 9月8日
“初の天満天神繁昌亭で、染二の見事な大ネタに脱帽!”
2019年9月12日のブログ

171.png柳家三三『居残り佐平次』
>余一会 市馬・三三 二人会 新宿末広亭 10月31日
“三三ならではの、若き佐平次が躍動する高座を堪能!”
2019年11月1日のブログ

171.png柳亭小痴楽『宿屋の仇討』
>真打昇進披露興行 国立演芸場 11月15日 夜の部
“持ち味の江戸っ子の啖呵が生きる高座、今後もますます期待!”
2019年11月16日のブログ

 今年も、なんとか選ぶことができた。

 師走になり、なんとも言えない喪失感を味わった年だったが、いつまでもくよくよしていては、ミミーに叱られる。

 なんとか、気持ちを切り替えて、年を越したいと思う。

 皆さんも、良いお年をお迎えください。


by kogotokoubei | 2019-12-29 09:47 | 寄席・落語会 | Comments(6)

今年のマイベスト十席(1)

 さて、マイベスト十席を選ぶ時期となった。

 今年行けた寄席・落語会は、総数18。一月平均、1.5回か・・・・・・。

 年間50回以上も行った頃にに比べると、激減。

 しかし、ほぼ週三日出勤の会社と、それ以外の日の多くは某飲食チェーンでバイトの身では、それもしょうがない。
 そのバイト、昨日から30日まで四日連続でシフトに入っている。
 今日も、これから行かなきゃ。
 
 とは言うものの、できれば月二回位は生の落語を聴きたいものだ。
 
 今年それぞれの高座を聴いた後に選んだ、マイベスト十席候補ならびに寄席の逸品賞候補は、次の通り。また、特別賞候補も、ある。

(1)柳家小満ん『天狗裁き』
>柳家小満んの会 関内ホール(小ホール) 1月21日

(2)春風亭一朝『宿屋の富』
>立川左談次を偲ぶ会 お江戸日本橋亭 2月11日

(3)五街道雲助『付き馬』
>立川左談次を偲ぶ会 お江戸日本橋亭 2月11日

(4)三遊亭兼好『夏泥』
>柳家喬太郎プロデュース とみん特選寄席 紀伊国屋ホール 2月26日
*寄席の逸品賞候補

(5)林家正楽 紙切り 「ボヘミアン・ラプソディ」 with恩田えり
>柳家喬太郎プロデュース とみん特選寄席 紀伊国屋ホール 2月26日
*特別賞候補

(6)柳家喬太郎『掛取万歳』
>柳家喬太郎プロデュース とみん特選寄席 紀伊国屋ホール 2月26日

(7)柳家小満ん『らくだ』
>柳家小満んの会 関内ホール(小ホール) 3月16日

(8)桂南なん『反対車』
>新宿末広亭 三月下席 夜の部 3月24日
*寄席の逸品賞候補

(9)柳家権太楼『人形買い』
>新宿末広亭 四月下席 昼の部 4月29日

(10)柳家喬太郎『任侠流山動物園』
>新宿末広亭 四月下席 夜の部 4月29日

(11)春風亭一花『やかん』
>国立演芸場 五月中席 四代目圓歌襲名披露興行 5月15日
*特別賞候補として。

(12)古今亭菊志ん『野ざらし』
>国立演芸場 六月上席 6月9日
*寄席の逸品賞候補

(13)柳亭左龍『鹿政談』
>国立演芸場 六月上席 6月9日
*寄席の逸品賞候補

(14)むかし家今松『柳田格之進』
>国立演芸場 六月上席 6月9日

(15)柳亭小燕枝『長短』
>池袋演芸場 六月下席 昼の部 6月30日
*寄席の逸品賞候補

(16)柳家勧之助『中村仲蔵』
>池袋演芸場 六月下席 昼の部 6月30日

(17)古今亭志ん輔『唐茄子屋政談』
>鈴本演芸場 七月上席 7月7日

(18)露の都『堪忍袋』
>新宿末広亭 八月下席 8月23日

(19)春風亭一之輔『夏泥』
>新宿末広亭 八月下席 8月23日
*寄席の逸品賞候補

(20)林家染二『菊江仏壇』
>雀三郎・染二 ふたり会 繁昌亭 9月8日

(21)柳亭市馬『穴泥』
>余一会 市馬・三三 二人会 新宿末広亭 10月31日

(22)柳家三三『居残り佐平次』
>余一会 市馬・三三 二人会 新宿末広亭 10月31日

(23)柳亭小痴楽『宿屋の仇討』
>真打昇進披露興行 国立演芸場 11月15日 夜の部

(24)桃月庵白酒『百川』
>池袋演芸場 十一月下席 昼の部 11月27日

(25)柳家小里ん『にらみ返し』
>新宿末広亭 十二月下席 昼の部 12月25日
*寄席の逸品賞候補


 同じ噺家さんから一席に絞るという内規(?)がある。

 重複は、小満んと喬太郎。

 小満ん、やはり、横浜の会の最終回となった三月の『らくだ』かな。
 終演後に、著書にサインをしていただいた思い出の会でもあった。

 喬太郎は、プロデューサーでもあった「とみん特選寄席」の『掛取万歳』かな。

 ということで、マイベスト十席は、十四席の中からの選択となった。
 少ないから楽か、というと、そんなことはないのだよ。

 しかしマイベスト十席の前に、まず、寄席の逸品賞や特別賞を発表。

<寄席の逸品賞>
◇上半期
桂南なん『反対車』
>新宿末広亭 三月下席 夜の部 3月24日
“弱々しい車屋と元気な車屋の対比の妙と、秩父から京都までスケールの大きな名高座!”
2019年3月25日のブログ
 最初の弱々しい車屋は、南なんだから、ピッタリだし、二人目の元気者のパワーも凄かった。芸協の寄席には欠かせない人。

◇下半期
柳家小里ん『にらみ返し』
>新宿末広亭 十二月下席 昼の部 12月25日
“師匠小さんの芸の継承、見なきゃ分らない、表情の至芸!”
2019年12月26日のブログ
 聴いたばかり、ということもあるが、生で見なければ分らないあの芸は、しばらく忘れないに違いない。

 次に特別賞。

<高座と下座さんの即興大賞>

林家正楽 紙切り 「ボヘミアン・ラプソディ」 with恩田えり
>柳家喬太郎プロデュース とみん特選寄席 紀伊国屋ホール 2月26日
 最後、五つ目のお題が「ボヘミアン・ラプソディ」だった。記事では、このように書いていた。
 なんと言っても最後の作のご注文の後、下座がすぐ「We Will Rock You」を演奏。
 恩田えり嬢、やるねぇ。太鼓は、たぶん、小辰だろう。
 客席も拍手で応える。
 この日の会場、客同志の一体感があったなぁ。
 また、正楽師匠の、フレディー・マーキュリーとブライアン・メイも、良かったねぇ。
2019年2月27日のブログ
 なかなか、あれほど当意即妙な下座さんの芸も見られないし、客席も自然に反応したなぁ。

<新人賞>
春風亭一花『やかん』
>国立演芸場 五月中席 四代目圓歌襲名披露興行 5月15日
2019年5月16日のブログ
 いちはな、と読む。
 実は、この日の圓歌襲名披露興行で、もっとも印象に残った高座。
 三代目金馬の型を踏襲していると思うが、講釈場面のリズムも良かった。
 女流落語家が増えているが、先輩たちより、昨年二ツ目になったばかりのこの人に注目している。あの日の顔ぶれの中でのこの高座、新人賞に値する。


 さて、次の記事で、マイベスト十席を発表しますよ。

by kogotokoubei | 2019-12-28 09:23 | 寄席・落語会 | Comments(2)
橘ノ圓都の『けつね』ーラジオから書籍化された『米朝よもやま噺』より(3)_e0337777_09551091.jpg

『米朝よもやま噺』(朝日文庫)

 この本から、三回目。

 元は、2005年4月に始まった朝日放送のラジオ(ABCラジオ)の番組。それを編集して朝日新聞大阪本社版に「米朝口まかせ」として2005年9月6日から2007年9月11日まで掲載され、2007年に単行本となり、2010年に、私が読んだ朝日文庫となった。

 今回は、ある上方に噺家さんのことについて。

 長生きの噺家といえば、橘ノ圓都さん(1883~1972)も長命やった。明治十六年生まれ、数えの九十で死んだんやさかい、こらもう歴史やな。「戦後派ですな、西南戦争(1877年)」とからかうと、喜んではりました。元は職人。指物大工でした。神戸・新開地の千代廼座という寄席に出てたんですけどな。昭和の初めに漫才中心になってしもたんで、「ええわ。職人やったら立派に食(く)でいけるのや」と噺家をやめた。尤も昭和十五(1940)年ごろ、五代目笑福亭松鶴に誘われて、上方落語を復興しようという「楽語荘」なるサークルに加わって、噺家に復帰しましたがね。
 若い時にひと修行もふた修行もしてきた人やさかい、大工の腕は確かやった。お仏壇作ったのを見てびくりしましたな。綺麗にできてた。それが白木でね、「漆塗ろうと思うたけど、高くつむねん。けど、こんなりにしてたら黒ずむさかい、ニス塗ったんや。これで寸法も狂えへんで」。昭和三十(1955)年ごろのことやった。
 
 圓都が大事にしていた噺は、東京からやって来た、二代目桂小南が上方の師匠と呼ぶように、東西の噺家さんに伝えられている。

 小南の本『落語案内』から、圓都について紹介した記事もあるので、ご興味にある方はご覧のほどを。
2018年2月4日のブログ

 米朝、圓都について、このようにラジオを語っていた。

 五代目松鶴、二代目春團治という大看板が亡くなって、私らが世に出るまでの過渡期に、圓都さんは古老として貴重な噺を残してくれました。前に座って稽古つけてもろたネタは「宿屋仇」と「ふたなり」ぐらいかな。短い噺は「ここでええがな」と楽屋で聴かせてくれました。テープに(と)ったって嫌がらないねんけど、失礼なように思うて、私はあんまり録ってないんです。

 米朝が圓都から習った噺として二つだけ挙げているが、実はもっと多かったはず。
 『宿屋仇』『ふたなり』以外に、『軒付け』『胴乱の幸助』『けんげしゃ茶屋』『掛取』『三枚起請』などを米朝は圓都から受け継いでいると言われている。ちなみに、桂枝雀の『日和違い』『夏の医者』なども圓都からの稽古をつけてもらったらしい。

 というわけで、上方落語界において重要な伝承者だったと言えるだろう。

 米朝への稽古については、こんなこともあったらしい。

「けつね」という新作があってね、演芸記者の森暁紅の原作を漫談家の花月亭九里丸さん(1891~1962)が脚色した。これを教えたがって私ら難儀した。習わなんだら、こっちのやりたい噺を教えてくれへん。で、習いに行く。そない大した噺でもないんですが、はめもの(噺の仲でのお囃子)を入れるとぐっと感じが違って感心した覚えがあります。ただ、サゲ(落ち)は花柳界に詳しないと分からん。狐拳のことなんですが、狐と庄屋と鉄砲なんで言うても、今どれだけの人に分かってもらえるかいなぁ。

 圓都のこの噺は、CDで発売されている。

 小南の『落語案内』を読んでから私が入手した、ビクター伝統文化振興財団から発売されているシリーズの第一回目に入っている。
橘ノ圓都の『けつね』ーラジオから書籍化された『米朝よもやま噺』より(3)_e0337777_13585170.jpg

初代橘ノ圓都(1)

 同じCDに収録されている『加賀の千代』は、今日でも柳家三三などで聴くことができるが、実は、圓都による作品。

 CDに収められたのは、昭和四十一(1966)年2月28日に、日立サルーンで行われた「NHK 上方落語を聞く会」の高座。

 この高座は、上方落語を調べる際にたびたびお世話になる「世紀末亭」さんのサイトにある「上方落語メモ」に、内容が掲載されている。
「世紀末亭」さんサイトの該当ページ

 ご本人のマクラでは、当初米朝の師匠四代目米團治のために作られた噺だったようだが、米團治が台本を読んで、とてもできないと断ったため、圓都にお鉢が回ったらしい。

 83歳の高座だが、口舌はしっかりしている。

 侍と猟師の演じ分けもメリハリが利いているし、猟師の娘や宿屋の女中といった女性の描き方も、上手い。

 『けつね』は、きつねの大和なまりと噺の中で猟師の娘に説明させている。
 サゲは、一昨日燕路で聴いた『安兵衛狐』とよく似ている。

 たしかに、米朝が語るように、狐拳という昔のお遊びにも関わるネタで、現在では伝わりにくくはあるが、圓都が語るように、芝居噺として味があるものになっている。

 上方では、ぜひ継承して欲しい噺だ。

 米朝が演じなかったのは、最初師匠の米團治のために作られたのに、師匠が演じなかった、ということが、どこかにひっかかっていたのかもしれない。

 CDのライナーノーツ(?)には、元NHKプロデューサーで演芸評論家の棚橋昭夫さんが、「私が出会えた噺家でいちばん古くていちばん好きな人」と書いている。

 音源を聴くと、マクラも含め、その言葉の意味が分かる気がする。

by kogotokoubei | 2019-12-27 12:27 | 落語の本 | Comments(2)
 まだ、心の底から笑えそうな気分ではないのだが、友の会に入っていて、今月までの招待券があったこともあり、時間ができたので昨日は末広亭へ。

新宿末広亭 十二月下席 昼の部 12月25日_e0337777_13520684.jpg


 昼の主任は柳家はん治。
 
 夜は、彦いち。
 昨年まで恒例だった、夜の主任、むかし家今松の席がなくなったこともあり、昼の部のみ行くことにした。

 コンビニで助六とお茶を買って、十二時二十分頃到着。
 米粒写経の漫才の途中だった。
 
 椅子席が七割くらい、桟敷が四割くらい埋まっていた。
 漫才が終わるまで一服してから、好みの下手の桟敷に場所を確保。

 最終的には椅子席は九割ほど埋まり、桟敷も八割がた入った。

 順に感想などを記す。

柳家小八『小言念仏』 (8分 *12:24~)
 久しぶり。ずいぶん見た目が落ち着いたように思う。高座にも味わいが出てきた。
 師匠の十八番を、今後もぜひ聴かせて欲しい。

入船亭扇辰『子ほめ』 (14分)
 こういう中堅どころが、前座噺をしてくれると、安心して聴いていられる。 
 ネタによっては、過度な表情の変化が気になるが、そういうこともなく、楽しむことができた。

のだゆき ピアニカ漫談 (14分)
 最初の「象」は、以前にもあっただろうか・・・忘れた。
 コンビニのチャイムや救急車のサイレンの真似などの後で頭で演奏するピアニカ(本人いわく、神ー髪ー技)、二本同時に吹くリコーダーなどの芸の技量と、なんとも言えないゆる~い語り。落語協会の“ぴろき”という感じかな^^

林家錦平『紙入れ』 (15分)
 初だ。間男のマクラから本編へ。
 意外と言っては失礼だが、悪くない。
 三平門下に、これほどまとも(?)に古典ができる人もいたんだ、というちょっとした驚き。
 女房が「旦那にもお囲いがあるんだから」と言うが、初めて聞く設定。
 その旦那が、「主あるものと枯れ木の山は、登りつめたら先がない」なんてぇ科白も、さまになっている。

柳亭燕路『安兵衛狐』 (16分)
 へぇ、柳家でも、この噺を持っている人がいるんだねぇ。
 最後は、やや端折った印象だが、この人にはニンなネタかもしれない。

ロケット団 漫才 (13分)
 十八番の四字熟語から、「セキュリティ」->「石油入れてぃ」などの英語から山形弁のネタへ。初めてのお客さんも結構いらっしゃったようで、客席大爆笑。さすがだ。

橘家半蔵『反対車』 (15分)
 志ん弥の代演。小咄をいくつか披露して本編へ。
 師匠によく似てきた。この日の客席には、ちょうどはまったようだ。ロケット団が上げた熱を維持。

隅田川馬石『たらちね』 (12分)
 八五郎の隣りのおばさんが用意してくれた、赤飯、お頭付き、一合ばかりの酒で、祝言の真似事をする場面がある構成は、初めて。師匠譲りなのかどうかは勉強不足で、不明。
 
松旭斉美智・美登 奇術 (12分)
 クリスマスなので、てっきし、キャンディーばらまきネタがあるかと思ったら、なかった^^
 前半は、BGMがうるさ過ぎ。最後のお客さんを参加させてのパンの芸は、良かった。

柳家小満ん『時そば』 (16分)
 仲入りは、お目当ての一人、この人。
 二人目の師匠、五代目小さんの十八番の一つ。
 噺本来の楽しさをしっかり味わわせてくれた。
 一人目の蕎麦の食べ方も、くどくなく、過度な表現もしない。
 蕎麦が食べたくなった。
 

 一服し、手洗いへ。
 食いつきが、つる子。
 さらに一服。
 『宗論』の途中から立ちながら聴いていたが、なぜ、あれほど大袈裟にパアパアしゃべるのだろう。
 ぴっかりとの交替で、クイツキを務めているが、私は感心しない。
 二ツ目でいいなら、はん治の弟子の方が良かったのではないか。

 つる子が終わって、桟敷席に戻った。

笑組 漫才 (11分)
 さじき上手の最前列に小学生がいて、ゆたかさんが、優しくいじる。
 お婆ちゃんに時分がお願いして連れて来てもらった、とのこと。
 ゆたかさん、褒める^^
 他のだめな子どもは、走り回って高座の前に来て話しかける、と子どもネタをふってから、喩えでのお互いの罵倒ネタへ。
 「カーリングの石」が、「重たいくせに、よく滑る」など、可笑しい。
 久しぶりに笑組を楽しむのも、お目当ての一つであった。
 
桂才賀『カラオケ刑務所』 (14分)
 そろそろ、この噺には飽きてきた。
 また、以前も書いたが、この作品が落語協会が募集した新作落語台本の準優勝になったのは、2014年で五年前。そろそろ「一昨年の準優勝」というのは、あらためて欲しいものだ。

柳家小里ん『にらみ返し』 (13分)
 いいなぁ、こういう人の、こういう噺。
 まず、旬である。そして、師匠の十八番。また、生でなければ味わえない、表情が決め手のネタ。
 言い訳屋の、片方の眉毛の上がり方、これは、実際に見なきゃ分らない。
 寄席の逸品賞候補として、を付けておこう。

鏡味仙三郎社中 太神楽 (11分)
 三人で登場。仙三郎が元気で、土瓶の芸をやってくれると、ほっとする。

柳家はん治『君よ、モーツァルトを聴け』 (30分 *~16:36)
 マクラで、新幹線で反社会的勢力(?)の親分が携帯で大声で話していて・・・というネタだったので、てっきり『背なで老いてる唐獅子牡丹』かと思ったら、この噺。
 この人が手がける他の新作同様、あの人の作品。
 途中、音響効果として、♪アイネ・クライネ・ナハトムジークが流れる。
 演歌好きな魚屋さんと、クラシック好きな医者との会話に、いろいろと笑える部分もあるが、サゲが良くない。
 本音のところ、はん治落語として、他のネタを聴きたかった。
 我がままな言い分になるが、『ぼやき(居)酒屋』あたりが、今の心境にはぴったりきた気がする。


 やはり、心の底からは笑えなかった、四時間だった。

 とはいえ、五代目小さんの十八番を、小満ん、小里んで二席聴けただけでも、年納めとしては良かったかな。

 そんな思いで、家路を急いだ。
 
 帰宅すると、ちょうど連れ合いも仕事から帰って来た。
 
 一緒に、一人残ったユウと散歩。

 どうしても、ミミーの姿がないことを意識してしまう。

 連れ合いも、きっと同じ思いだろう。無言の二人を振り返るユウを、つい、抱きしめる。

 いつまでも、こんなことじゃミミーが浮かばれない、とは思うのだが、しょうがない。

 さぁ、今日26日は、旧暦十二月一日。師走だ。寒いはずだ。

 年が改まれば、少しは気分も変わるのだろう、きっと。
by kogotokoubei | 2019-12-26 12:27 | 寄席・落語会 | Comments(6)
戦前のことーラジオから書籍化された『米朝よもやま噺』より(2)_e0337777_09551091.jpg

『米朝よもやま噺』(朝日文庫)

 この本から、二回目。

 元は、2005年4月に始まった朝日放送のラジオ(ABCラジオ)の番組。それを編集して朝日新聞大阪本社版に「米朝口まかせ」として2005年9月6日から2007年9月11日まで掲載され、2007年に単行本となり、2010年に、私が読んだ朝日文庫となった。

 今回は、戦前、戦後の思い出。

 戦前や戦中でも、吉本興業のミナミやキタの花月に、柳家三亀松などの東京の芸人さんも来ていたと振り返った後、このように語っている。

 戦前、柳家三亀松さんのほかに大阪の寄席によく出ていた東京の芸人というと、四代目柳家小さん、六代目春風亭柳橋さんですな。それから流暢な喋りの三代目春風亭柳好さんや、(先代林家)三平さんのお父さんにあたる七代目林家正蔵さん、そして八代目桂文楽さんも来てましたよ。
 一番の人気者、柳家金語楼さんは劇団を組んでたんで、昭和十五(1940)年ごろにはもう寄席には出んようになりました。もっぱら劇場か、戦地への慰問でしたな。高瀬実乗(みのる)、エンタツ・アチャコといった方々とともに映画で売れて、ひっぱりだこでした。当時、吉本興業は東宝と提携してたんで、お笑いの映画スターがどんどん生まれたんですな。

 結構、名だたる人たちが、戦前に上方に行っていたのだねぇ。
 
 金語楼と言うと、私などは彼と水の江瀧子(ターキー)が男女それぞれのチームのキャプテンとなったNHKテレビ「ジェスチャー」をすぐ連想してしまう。
 上の世代は、きっと「ヤマシタ ケッータロー」の『噺家の兵隊』を思い出すのだろう。
 
 引用を続ける。

 そのころ、私はまだ十代の学生。けど、東京の学校に入ったんで、足繁く向こうの寄席に通うことができたんです。
 東京の寄席が大阪と違うのは、仰山出ますねん。一興行に二十本近く出る。大阪は十二、三本やさかい一人当たりの持ち時間が二十分ほどありますわ。東京は大概、十二分ほどでしたな。トリでも十五分ぐらいで短かった。
 東京でよう聴いたんは、根岸の八代目桂文治、古今亭今輔、上方落語の桂小文治。小文治さんは短う喋った後に、立ち上がって踊りで勝負してました。六代目三遊亭圓生さんも大名跡を継いで「この人はうまい」と言われ出してた頃ですな。別科だった五代目三升家小勝さんは亡くなってはりましたが、先代の鈴々舎馬風さんがよく小勝さんの真似をしてました。
 五代目志ん生さんは、十六回目の改名でようやく志ん生を継いで、ボチボチ売れ出してきたころです。後に、文楽さんと並んで「昭和の名人」と言われるようになるお人です。
 軽妙洒脱な滑稽噺に定評がありますが、実は志ん生さんは大津絵(節)を唄うのが得意でね。殊に「冬の夜」が十八番。火消しを亭主に持つおかみさんの心情を唄ったものですが、慶應義塾塾長で今の天皇陛下が皇太子だったことに教育を担当した小泉信三先生が、年にいっぺん、志ん生さんを座敷に呼んでこれを聴き、その度ごとに泣いたそうです。小泉先生は戦争で息子さんを亡くされたんやそうです。
 志ん生さんの声は枯れてて良かったなぁ。唄は、朗々と声を出すだけでなく、やっぱり語りの要素が大事なんやと思います。
 私も以前は興に乗ると大津絵を唄ったもんですが、ようあんなことやったな。今はもう、よう唄いません。

 志ん生の大津絵、そして、小泉信三との関係は、結構有名な逸話だ。

 今年五月に、保田武宏さんの本『志ん生の昭和』から、志ん生改名の変遷には諸説あるが、その中で、斉藤忠市さんの説が正しのではないかと保田さんが書いていることを紹介した。
2019年5月30日のブログ

 その説に従うと、こんな改名の変遷をたどったことになる。

   三遊亭盛朝(明治三十八年)- 三遊亭朝太(明治四十三年)- 三遊亭圓菊(大正六年)- 金原亭馬太郎(大正七年)- 金原亭武生(大正九年)- 金原亭馬きん(大正十年)- 古今亭志ん馬(大正十三年)- 小金井芦風(大正十四年・志ん馬と併用)- 古今亭馬きん(大正十四年)- 古今亭馬生(大正十五年)- 柳家東三楼(昭和二年)- 柳家ぎん馬(昭和二年)- 柳家甚語楼(昭和三年)- 隅田川馬石(昭和五年)- 柳家甚語楼(昭和五年)- 古今亭志ん馬(昭和七年)- 金原亭馬生(昭和九年)- 古今亭志ん生(昭和十四年)

 NHK大河ドラマ「いだてん」でも、戦前、戦中、戦後の志ん生(美濃部孝蔵)の姿が描かれていた。
 
 森山未來の演技は、良かったねぇ。

 視聴率が低いことが話題になるが、「いだてん」は、視聴質の高いドラマだったと思う。私も最初二、三回は、やや戸惑いもあったが、慣れてくると、そのスピードとリズムがなんとも心地よかったし、クドカンならではのクスグリも随所にあって、楽しかった。
 2020年五輪開催に合わせた五輪礼賛ドラマなどではなかったことは、観ていた人は、知っている。
 そして、優れた反戦ドラマの側面もあった。
 

 さて、米朝が、大東文化学院に進学するために姫路から東京に出たのが、昭和十八年。志ん生に改名して数年しか経っていない頃の高座に、十代で接していたわけだ。

 私は、学生時代を関西で過ごしたこともあり、東京落語のみならず、上方落語も好きだし、関西弁への抵抗も無い。

 米朝が青春時代を東京で過ごしたことと逆になるが、米朝落語が東西を問わず広く落語ファンに愛されるのは、東京での体験も生かされているのだと思う。

by kogotokoubei | 2019-12-23 12:47 | 落語の本 | Comments(6)
 一ヶ月ほど前に古書店で入手した本が、『米朝よもやま噺』。

 しばらく積ん読状態だったが、ようやく読んだ。

昔の正月ーラジオから書籍化された『米朝よもやま噺』より(1)_e0337777_09551091.jpg

『米朝よもやま噺』(朝日文庫)

 元は、朝日放送のラジオ(ABCラジオ)の番組の内容。それを編集して朝日新聞大阪本社版に「米朝口まかせ」として2005年9月6日から2007年9月11日まで掲載され、2007年に単行本となり、2010年に、私が読んだ朝日文庫となった。

 ラジオの聞き手だった朝日放送プロデューサー市川寿憲(としのり)さんの「文庫解説に代えて」によると、ラジオは2005年に4月にスタートしたらしい。師匠七十九歳の春のこと、と書かれている。
 
 当初は、毎回収録の前日にお電話をし、師匠が話したいテーマをお聞きし、僕はそれについてリサーチをして本番を迎えました。しかし、いざ収録となると、いろんな方向&思わぬテーマに話題は跳んでいきます。まさに桂米朝ここに在りです。芸能以外のテーマ、例えば、江戸時代の流罪、大阪の水事情、道頓堀にあった芝居小屋・中座の涼のとり方、大阪相撲、想像を絶する豪快なお座敷遊ぶなど、話題は多岐にわたります。

 その多岐に渡った話題から、いくつかご紹介したい。

 最初は「昔の正月準備、風情ありましたな」から。

 今、年末に餅を搗いてる家は滅多に見ませんな。昔は、賃搗き屋という商売があって、町内を餅搗きながら回ってました。なんで来なくなったんかと訊いたら、火をおこせる空き地が無くなったからなんやて。糯米を蒸すことも、臼を据えてポンポン打つこともしづらくなって、いつの間にか無くなってしもた。私の子ども時分には必ずどっかで搗いてたんやけどね。
 「尻餅」という落語の台詞で「ぽん! 餅を丸めとくなはれ。お手々が温うなりまっせ」というのがあるんですが、あれ季節感がよう出てますな。

 そうそう、昭和30年生まれで、北海道の田舎で育った私でも、子どもの頃に、近居で餅搗きをしている家をよく見かけた。
 私の家は商売をしていて年末も忙しかったから、自宅では搗かなかったが、近所の和菓子屋さんに毎年お願いしていたなぁ。
 豆餅なんか、結構好きだった。

 引用を続ける。

 門松を置くだけで正月の風情がうんと増したもんです。そこへ物売りが注連縄(しめなわ)やら餅網なんかを売りに来る。ええもんですな。昔は正月に限らず、四季折々でいろんな売り物がありました。けど、戦争が激しくなると、立派なお飾りの要る、あるいは食べ物が絡んでくる年中行事はどんどん廃れていきました。
 戦時中におせち料理なんていうのはとんでもなかった。初めのころは乏しいなりに作ってましたが、昭和十九年、二十年という時期になると、思うように作れんようになりました。本当に日本は何も無い国になったやなぁと痛感したのは、四面を海に囲まれているのに塩が無いようになったことです。赤穂も近いし、周りには塩田は沢山あるはずやのに・・・・・・。軍隊や軍需工場に人手を取られてたんかいない。

 米朝は、大正十四(1925)年生まれ。敗戦を迎えたのがちょうど二十歳。
 記憶は、鮮明だっただろう。
 なかでも、その時分に食べ物が欠乏していた思い出は強く残っていたと思う。

 大晦日の夜、昔は町のお店も遅くまで開けてました。今は真夜中に初詣でに行く人は多いけど、お店は開いてません。昔の大晦日は、あえて開けとこ言うんやなしに、用事があって、皆起きてたんでしょう。まあ、これもやっぱり戦争時分には、人手も足らんようになり、寒い時やし、閉めてるとこもあったけどね。
 初詣でをしてから雑煮を食べるというように、夜通し起きてる家が多かったんやないですか。私の家は神社でしたから、大晦日は火を焚いたりして、ずっと起きてました。夜あ明けてから寝るような感じでしたよ。忙しさは大変なもんです。親父は大晦日からお正月、寝てなかったんでしょうな。なんかわさわさして、活気がありました。
 ウチだけではなく、界隈全体で、気が急くような雰囲気になってました。

 神社の家に生まれた米朝にとって、大晦日と正月の思い出は特別なものだろう。

 私の子どもの頃の大晦日は、我が家の商売のお得意さんに、瀬戸から注文を取りに来る人に依頼して出来上がった、店の名の印刷された皿や茶碗などを、父が運転する小型トラックに乗って配ることが常だった。

 実は、今も使っているカレー用の皿は、その当時の物で、学生時代からずっと使ってきた。カレーを食べる度に、その頃のことを思い出す^^


 年中行事も、ある意味では「日常」。
 
 愛犬を突然失ってしばらくは、その「日常」を失っていた。

 それは、「心」の問題。

 また、衣食住という「物」も、「日常」とは大きく関係があるだろう。

 米朝が、かつての日本の正月風景を振り返る中で、戦前、戦中にその「日常」が失われていたことを記していることは、実に重要なことではないかと思う。

 もちろん、時代の流れで日常の姿は変わる。
 物売りは、今では見かけない。
 
 しかし、たとえば、スーパーやコンビニが、あの3.11の後にどんな状況だったのか、ということは忘れてはならないと思う。


 ようやく、少しづつ、我が家も日常を取り戻しつつある。

 米朝の振り返るかつての正月の姿から、いろんなことを考えていた。

 さぁ、これからバイトだ。
by kogotokoubei | 2019-12-21 09:27 | 落語の本 | Comments(6)

伊藤詩織さんについて、『同調圧力』より(4)_e0337777_14405684.jpg

『同調圧力』(角川新書)

 望月衣塑子、前川喜平、マーティン・ファクラー三人の共著である『同調圧力』からの四回目。

 前回の記事で、次は前川喜平さんが担当する第二章から紹介すると書いたのだが、昨日の伊藤詩織さん勝訴の報があり、伊藤詩織さんに関係する部分を第一章から紹介することにした。

 その前に、東京新聞の今日の記事から。
東京新聞の該当記事

「見える光景、前と違う」 伊藤詩織さん民事勝訴 続く中傷「被害者の声届けたい」
2019年12月19日 朝刊

 性暴力被害を訴えた民事訴訟で勝訴したジャーナリストの伊藤詩織さん(30)は十八日、支援者らに「刑事事件として明らかにできなかったことを、この民事訴訟で公にできた」と報告した。伊藤さんが声を上げたことは被害を訴える「#MeToo(ミートゥー)」が日本で高まるきっかけに。その行動を「公益」のためと評価した判決に、支援者からは「多くの被害者に勇気を与えた」との声が上がった。 (望月衣塑子、柏崎智子)

 「よい結果をお届けできてよかった。見ている光景が前と全く違う」

 判決を受け、東京地裁前に集まった支援者らを前に、伊藤さんは涙声で喜びを語った。

 二年半前、顔を出して会見をした際は、インターネット上に誹謗(ひぼう)中傷があふれた。今も中傷は続く。「日本は被害者が置かれた社会的、法的環境が本当に遅れている」と訴えた。

 伊藤さんは午後の会見で「誰もが被害者になるリスクがある。声を上げられない人もいる。傍観者にならないことが大事。これからも被害者の声を届けていきたい」と話し、同じような被害者に向け「自らの真実を信じてほしい。アクションはいつでも起こせる。まずは生き延びて」と呼び掛けた。控訴の意向を示した山口敬之氏(53)に対して「自分に向き合っていただきたい」とも訴え掛けた。

 裁判はまだ続くが、その過程で、なぜ元TBS記者が不起訴になったのか、という議論が起こることもあるかもしれない。

 不起訴となったことこそが、問題なのだと思う。

 『同調圧力』第一章の望月記者の文章から、伊藤詩織さんに関する部分を紹介したい。

 映画「i -新聞記者ドキュメントー」のことについて書かれた部分。映画では、文中のカフェでの対談の映像も登場した。

 この森さんの映画の中には、フリージャーナリストの伊藤詩織さんも登場する予定だ。森さんから、伊藤さんの撮影をしたいとのお話があり、2018年末、日本に帰国していた伊藤さんと再会した。伊藤さんは私が菅官房長官の会見に行くきっかけを作ってくれた人でもある。これまでも何度か取材やシンポジウムなどでお会いしてきた。
 明治神宮外苑のイチョウ並木のカフェで久しぶりに会った伊藤さんは、とてもはつらつとして元気そうだった。
「このところ、北朝鮮から脱出した同世代の男性を取材していたんです。韓国で取材を終えて、一時帰国しました。ほかに孤独死から派生して、いま北海道の夕張市の家族や街を追いかけています。年が明けたら別の取材でアメリカへ渡るつもりです」
 2017年5月に、元TBSの男性記者から性的暴行を受けたと、顔と名前を公表して告発会見に臨んだあと、伊藤さんは予想を超えるバッシングや脅迫にさらされた。日常生活にすら支障をきたすようになり、イギリス女性人権団体の助言もあって同年夏から生活拠点をロンドンへ移している。

 元TBS記者が、なぜ不起訴になったのかを察するに、信頼できそうな舞台裏が書かれた本がある。元警察庁キャリアによる内部告発本として話題になった『官邸ポリス』だ。兄弟ブログ「幸兵衛の小言」で3月に紹介したので、ご興味のある方はご覧のほどを。
「幸兵衛の小言」の該当記事

 伊藤詩織さんは、立ち止まらず、すでに実に気骨のあるジャーナリストとして活躍し始めている。
 翌18年3月にはニューヨークの国連本部で記者会見し、ハリウッドから始まったセクハラ撲滅運動「#MeToo」が、欧米と文化の違いから日本では大きな動きになっていないと指摘。それに代わる運動として「#WeToo」を提唱していきたいと語っている。
 ただ、こうした運動の先頭に立って、日本でも展開していくことが伊藤さんのゴールではない。過酷な被害を潜り抜けた伊藤さんは、自分なりにたどり着いた場所があったのだろう。被害を受けた直後、孤独死の取材の延長で訪れた夕張市の家族のことをドキュメンタリー映画化し、西アフリカのシエラレオネで出会った少女二人を題材に、現在も続く女性器切除「FGM」の問題を取り上げている。
 長く目標にしてきたジャーナリストの道を胸を張って歩んでいる姿には凛としたすがすがしさがあった。この詩織さんの話は2019年春、雑誌「世界思想」46号のジェンダー特集でも記事にさせてもらった。

 映画「i -新聞記者ドキュメントー」で、二人の様子を見ると、伊藤さんが望月記者を心から信頼している様子がよく分かる。

 また、望月記者が、伊藤さんを見る目は、もはや弱い立場の被害者としてではなく、同じジャーナリストの頼もしい後輩の今後を期待している目だ。

 伊藤さんは、性犯罪の加害者の男性についても取材しているという。なぜ、加害してしまうのか知りたくて取材しているというが、「加害者は害を加えているという意識がない人が多いんです。加害者自身も自分の罪に向き合うために治療が必要なのです」と望月記者に語る。
 
 どこまで強い人なのだろうと思わずにはいられなかった。圧力に屈しないことをこれほど体現している人もそういないのではないか。もちろん、ここに至るのに私が知りえないような苦しい思いもしただろう。それを越えて、自分の夢に向かって先へ先へ進んでいく詩織さんは本当にまぶしかった。

 昨日のテレビでの伊藤さんの会見でも、そのまぶしさがあったように思う。
 今、輝いている女性の代表の一人と言えるだろう。

 そうそう、女性が輝く社会とか、一億総活躍社会とかを、どなたかが言っていたよね。

 ぜひ、権力に負けずに輝く女性たちに、今後ますます活躍してもらいましょう。
by kogotokoubei | 2019-12-19 12:36 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(2)
 生の落語から遠ざかっているが、テレビで楽しもうと思う心境になり、昨夜、初めてNHK Eテレの「落語ディーパー! ~東出・一之輔の噺(はなし)のはなし~」を観た。

 なんだか、拙ブログの題と似ているね^^

 落語好きの俳優東出昌大と春風亭一之輔をメインに、柳家わさび、柳亭小痴楽、立川吉笑がレギュラー。

 毎回取り上げるネタについて、ゲストが演じたり、過去の映像が流れたりし、そのネタについて、出演者がいろいろとトークする、という番組のようだ。

 昨晩のネタは『あたま山』で演者はゲストの柳家花緑。
NHKサイトの同番組のページ
 番組のサイトには、こう書いている。
若い世代が落語を知らないなんてもったいない!落語に魅せられた東出昌大が春風亭一之輔たち落語家と、毎回ひとつの演目をとりあげ、深~く語り合います。
 さて、どこまで深く、この噺について語ってくれたのか。

 なお、昨日、ずいぶん前の拙ブログの記事のアクセスが増えていた。
 この番組の影響だろう。
 それは、2011年1月に、当時のテレビ朝日「落語者」で、花緑の『あたま山』を観た感想の記事。
2011年1月16日の記事
 最初の「落語者」のシリーズがいったん終了し、再開後の最初の放送だった。

 ちなみに、昨日のアクセス数トップは、『富久』の記事。一日で200件を超えるアクセス数。
 間違いなく「いだてん」の影響だろう。

 九年近く前の花緑の高座にも、結構、肯定的な感想を書いているが、昨夜の内容も、なかなか良かったと思う。

 花緑が、ずいぶん後輩のわさび、小痴楽、吉笑たちにも、実に丁寧な口ぶりで話していたのが、印象に残る。
 そうそう、寄席や落語会で、高座に上る際に客席に礼をする噺家は、この人くらいかな。

 一之輔が、このネタを演っていないのは意外。
 「いわゆる、儲からない噺」としていたなぁ。そうかなぁ。

 彼なら、問題なく爆笑ネタにすると思うが。

 わさびが、見た目と違って(ゴメン^^)理論派であることを発見。

 小痴楽が、諸先輩を前に、大人しいなぁ^^

 唯一聴いたこののない吉笑は、新作派のようだが、そのうち聴きたいものだ。

 古い記事でも書いているが、この噺や放送で一之輔があげていた『胴切り』や『首提灯』『犬の目』などのSF的なシュールなネタは、ある面で落語という語り芸の真髄である。

 ありえない話を違和感なく語り、演じ、聴く者をその世界に引き込んでいく、そういった落語の魅力を代表するネタだと思う。

 そのへんのことについては、今ひとつ、深くは切り込めなかったような気がする。
 もっと、花緑が、この噺の魅力などを語って欲しかった。遠慮していた気がする。

 この噺、すべったらどうしよう、なんて思わず、ぜひ、多くの噺家さんに演って欲しいネタだ。

 一之輔がその気がないなら、小痴楽、先に自分のものにしてくれ、と言いたい。
 

 次回は、一之輔が『ねずみ穴』を演じるらしい。
 また、観ようと思う。

 それにしても、「落語者」は、旬の噺家さんが十八番を演じた嬉しい番組だった。
 再開してくれないかなぁ。
by kogotokoubei | 2019-12-17 20:27 | テレビの落語 | Comments(8)
 「いだてん」が終わった。良いドラマだった。
 視聴率なんて、どうでもいいじゃないか。視聴質が高かったと思う。

 昨日は、結局、寄席には行かなかった。
 そんな心境には、なれなかった。
 とても、周囲の笑いに“同調”できる気分ではない。

望月衣塑子 前川喜平 マーティン・ファクラー 共著『同調圧力』より(3)_e0337777_14405684.jpg

『同調圧力』(角川新書)

 ということで、この本の三回目。

 少し復習。
 2018年12月28日付けで、総理大臣官邸報道室長名で出された、望月記者への官邸からの非難の申し入れ書は、しばらく記者クラブの掲示板に貼られたままだった。
 しかし、本年2月1日付けの雑誌『選択』が記事化し、それがネットで拡散され、国会でも取り上げられることになり、新聞労連が抗議声明を出し、共同通信の記事が多くの新聞で取り上げられた。
 しかし、当事者の東京新聞は、すぐには反応できていなかった。
 それは、東京新聞が直接官邸とのやりとりを続けていたからなのだが、ようやく、行動が始まった。

 検証記事では、まず官邸から東京新聞への9回の申し入れというのが1回1回どんな抗議がどういう形で来ていたのか、デスクたちと一緒に確認していった。私自身は、辺野古の取材を続けていたが、ひとまず同僚に任せてこの検証記事に専念することにした。
 2017年秋以降から続いていた、質問中に上村報道室長が口を差し込む「質問は簡潔に~」という妨害行為も、いつごろからどれくらいの頻度で、どういうときに行われのかなど、過去の記録と照らし合わせながら、細かく調べていった。
 官邸に「自分たちにとって都合の良いところだけつまみ食いしている」と批判されないように、デスクが9回の抗議文の全文を丹念に起こして時系列に並べていった。間違いがあってはならないと、局デスクはじめ、部長や何人もの記者たちが、検証原稿をさまざまな形で何度もチェックし、細かい表現まで見直した。

 この官邸からの9回の抗議は2017年9月1日から、2019年1月21日に渡るもので、内閣記者会への申し入れ文書が出された2018年12月28日にも出されている。本書25ページには、このように書かれている。

 望月記者が、「辺野古の埋め立て工事について、沖縄防衛局が実態把握できていない」と発言したことに対し、官邸側から「事実に反する」と抗議文。その後、内閣記者会に対しても申し入れ書が提出された。

 官邸(内閣)に都合の悪いことは「事実に反する」ということか。

 検証記事掲載の前日には、「記者会見の質問 知る権利を守るために」という社説を載せた。

 翌20日、いよいよ掲載の日が来た。「検証と見解/官邸側の本紙記者室門制限と申し入れ」と題し、第7面に全面を使って検証記事を掲載した。
 紙面中央は、
「『辺野古工事で赤土』は事実誤認か 国、投入土砂の検査せず」
「内閣広報官名など文書 17年から9件 『表現の自由』にまで矛先」
 の2つの大きな見出し。

 この2月20日の記事は、今でも東京新聞のサイトで確認することができる。
東京新聞の該当記事

 一部引用する。

 官邸側が「事実誤認」としたのは沖縄県名護市辺野古の米軍新基地建設工事に関する質問で、本紙記者が「埋め立ての現場では今、赤土が広がっている。琉球セメントは県の調査を拒否し、沖縄防衛局が実態把握できていない」「赤土の可能性が指摘されているにもかかわらず、国が事実確認をしない」と述べた部分。

 官邸側は(1)沖縄防衛局は埋め立て材(土砂)が仕様書通りの材料と確認している(2)琉球セメントは県の立ち入り調査を受けている-として「質問は事実に反する」と指摘。「赤土が広がっている」という部分も「汚濁防止措置を講じており、表現は適切でない」と批判した。同じ日付で長谷川栄一・内閣広報官から臼田局長に抗議文書も送られてきた。

 実際はどうなのか。十二月十四日に土砂投入が始まると海は一気に茶色く濁り、県職員や市民が現場で赤土を確認した。県は一週間後に「赤土が大量に混じっている疑いがある」として、沖縄防衛局に現場の立ち入り検査と土砂のサンプル提供を求めたが、国は必要ないと応じていない。

 代わりに防衛局は過去の検査報告書を提出したが、検査は土砂を納入している琉球セメントが二〇一六年三月と一七年四月の計二回、業者に依頼して実施したものだった。

 そのため県は「検査時期が古く、職員が現場で確認した赤土混じりの土砂と異なる」として、埋め立てに使われている土砂の「性状検査」結果の提出を求めているが、これも行われていない。

 このような状況から本紙記者は「現場では赤土が広がっているのに、発注者の国は事実を確認しない」と発言したのであり、官邸側の「事実誤認」との指摘は当たらない。

 赤土は全体の一割程度とする取り決めは、完全に無視され、海洋汚染につながる大漁の赤土がたれ流しされている。

 その実態を訴えても、国は調査の必要はない、と突っぱねている。

 あらためて、この国の政府が進めている悪行が再確認できる検証記事だ。

 また、いかに、望月記者の質問が妨害されているか、2019年1月24日の会見のやりとりが、文書で起こされて掲載された。

 映画「i -新聞記者ドキュメントー」の記事で本書から引用したが、再度ご紹介したい。
望月 東京オリンピック・パラリンピックについてお聞きします。東京都や国の公費で賄う事業のうち、大会組織委員会が随意契約で・・・

上村報道室長 質問は簡潔にお願いします。

望月 スポンサー企業に発注する事業が、事業名、契約名、金額などがすべて非公表になっていました。非公表分が含まれる共同実施事業は総額で・・・

上村報道室長 質問に移ってください。

望月 4050億円で、これは国の税金が投入されています。使途がブラックボックスになっていることについての・・・

上村報道室長 質問に移ってください。

望月 政府の認識をお聞かせください。

菅官房長官 契約内容は組織委員会にお尋ねください。

上村報道室長 この後の日程がありますので、次の質問、最後でお願いします。

望月 首相の珊瑚発言について再びお聞きします。報道したテレビ局の幹部が昨日、番組の制作上・・・

上村報道室長 質問は簡潔にお願いします。

望月 今回の場合は発言をそのまま放送したと説明しましたが、沖縄防衛局は野党ヒアリングの場で・・・

上村報道室長 質問に入ってください。

望月 過去に何らかの経緯で総理に口頭説明はしたかもしれないが、収録直前に総理に・・・

上村報道室長 質問に入ってください。

望月 珊瑚移設の説明はしてないと話していました。野党は資料ももらわずに、あのような発言をしたのかと批判しておりました・・・

上村報道室長 質問してください。

望月 事実認識をお答えください。

菅官房長官 いずれにしろ環境保全措置には最大限の配慮をしながら、環境監視等委員会の指摘、助言をもって行っております。

 なんとも、酷い妨害ではないか。

 望月記者は、この検証記事の後、東京新聞の動きを見守っていた日本ペンクラブで抗議声明を出したこと、新聞社や民放局、出版社などの労働組合の連合会で構成される日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)や、憲法やメディア法を専門とする学者や弁護士が、申し入れ書の撤回を求める声をあげてくれたと書いている。

 朝日新聞は2月22日付けの社説で「官房長官会見『質問』は何のためか」と官邸の対応を批判してくれた。検証記事とともに、こういった声や動きを本当に心強く感じた。

 こういうジャーナリストの連帯した動きが今後も続くことを、願いたい。
 
 望月記者の行動について、本書の第三章を担当しているマーティン・ファクラーさんは、記者として当り前のことをしている望月記者が浮いてしまうことが不思議だ、と言う。
 その通りだ。

 今回は、観たばかりの映画「i -新聞記者ドキュメントー」の内容と重なる部分を中心に、本書からご紹介した。

 望月記者の担当する第一章は、まだまだあるのだが、次回は、前川喜平さんの担当した第二章について、ご紹介する予定。


 先日閉会した国会だが、菅官房長官の「桜を見る会」や、その前夜祭に関する会見の様子は、なんとも情けないものだった。

 担当者のメモを読まなければ答えられない姿や、内容を知らないと言う様子に、そろそろ安倍内閣の終末が近づいていると感じている人は少なくないだろう。
 
 私は、仕事柄、イベントの運営を担うことがあるが、ビジネスのモラルからありえないことが、内閣の周辺では起きている。
 大手ホテルが、何年も継続して開催される大きなパーティーでの売上記録などを破棄するはずがないのである。紙はなくなっても、データが残っているのは常識。

 そのホテルの役員に、首相と近い人物がいる。
 首相補佐官の親戚でもる。首相動静では、先月もその役員と首相は食事をしている。
 もし、その人物が中心となり、権力の指示の元、あるいは、忖度した結果として、存在するデータをないものとしているのなら、それはコーポレートガバナンスとして、大きな問題ではないのか。

 権力側の事実隠匿、虚偽説明、説明拒否の姿勢ばかり目立つ今日、同調圧力に負けない人々を、心から応援したいと思う。

by kogotokoubei | 2019-12-16 12:54 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(2)

その後のこと(3)

 昨日、最初のカール、二匹目のペコを含め、我が家のシーズーたちが長年お世話になってきたU先生に会ってきた。
 
 すでに、ご自分の動物病院を若いT先生に譲り、顧問獣医として、土曜、日曜、月曜のみ病院で診療するのみ、来月20日には、その職からも引退する。

 ミミーを入院させたのが、U先生の当番日でなかったことが、悔やまれる。

 U先生にミミーについて、T獣医、O獣医からお聞きになったかを、確認した。
 経緯は聞いており、特に、重篤であることへの飼い主さんへの説明不足について、謝罪があった。

 ご自分も犬と住んでいて、もしも、今回のようなことがあったら、飼い主として納得できないのは、よく分かる、とおっしゃってくれた。

 死因について先生の見解をお聞きした。

 U先生、今回はご自分が直接診ていないので、あくまでレントゲンや検査結果から判断すると、肺炎で間違いないだろう、とのこと。
 心臓起因の肺水腫であれば、腎臓の値がもっと悪くなっているはず。
 心臓起因でない肺水腫の可能性も低く、レントゲンや血液検査からは、肺炎がもっとも当てはまるとおっしゃる。
 
 そして、火曜日に注射投与した、アンピシリン(2回)、エンロフロキサシン(1回)は、抗生剤として妥当で、その量も問題なく、副作用は考えにくい、とのこと。

 このへんのことは、想定していたことではあるが、U先生の表情には、嘘はなさそうだ。
 
 体温が37度8分と低いのに肺炎はありえるのか、については、すでに重篤で体温を上げることができなかったと思われるとのこと。

 問題は、O獣医が、そのリスクについてしっかり伝えなかったことは問題だった、と残念がる。
 
 ここからは、O獣医、そしてT院長について、まだ若くて、大事な命を預かっているという認識で飼い主さんに対応できない未熟さの愚痴を聞く側になってしまった。

 肺炎の原因を特定するのは、難しいとのこと。
 10歳位で肺炎で、ということは35年の経験でも過去にあったとのこと。

 監視カメラはようやく直ったという。
  
 先生の家は病院の隣。
 しかし、T獣医、O獣医は通いで、夜間は病院に宿直者はいない。

 U先生は、預かる際、重篤かもしれないことと、夜間対応のことも話すべきであった、と振り返る。
 しかし、あの日に連れて帰って、もし看取ることができても、入院させていればという悔いはあっただろう。

 ドライに考えるのなら、すでに病院を若手に譲ったU先生としては、すでに管理責任もなく、彼等の落ち度を上げても、責任をとるということはない、ということか。

 念のため、カルテとレントゲンの写真のコピーをお願いした。

 T院長は不在だが、U先生は認めさせますと言ってくれて、待合室で待った。

 ほどなく、カルテのコピーとレントゲン写真の入ったCDをいただいた。

 また、何かあったら遠慮せず連絡ください、と言うU先生にお礼を言って病院を後にした。

 同じ飼い主として共感していただいたことで、少し気持ちは落ち着いた。


 今日は、参加人数が少なく恒例のテニスは休み。

 寄席に行こうかどうか、迷っている。
by kogotokoubei | 2019-12-15 10:36 | ミミーのこと。 | Comments(0)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛