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噺の話

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 花形演芸大賞を、江戸家小猫が受賞。
落語協会HPの該当ページ

 金賞には神田松之丞、三笑亭夢丸、桂吉坊、坂本頼光(活動写真弁士)、銀賞は古今亭志ん五、入船亭小辰、桂雀太、うしろシティ(コント)の名が並ぶ。

 小猫の大賞、意外でもあるが、最近の彼の芸を思い出すと、妥当でもあろう。

 芸協に比べで層の薄い落語協会の色物の中で、彼にかかる期待は高い。

 叔母さんのまねき猫も、芸協で頑張っている。

 動物ものまね、という芸の継承者への励ましとも言える受賞かもしれない。

 五代目猫八襲名は、いつになるかな。

 当代小南の披露目と同じように、まねき猫も出演する、協会の壁を越えた披露目になることを期待している。

by kogotokoubei | 2019-03-30 09:18 | ある芸人さんのこと | Comments(6)
 両協会からの訃報が続いた。

 お二人のことを、同じ記事で並べて書く無礼を、先におことわりしたい。

 私にとっては共通点があるので、お許しのほどを願いたい。

 落語協会は、金原亭馬好。
 3月19日に旅立ったとのこと。
 この日は、米朝の命日でもあるし、ちょうど一年前は、立川左談次が彼岸の人となっている。特異日か・・・・・・。
 昭和二十三(1948)年生まれで、満年齢なら七十歳。

 芸協は、三遊亭金遊。
 3月24日に、仕事先の岡山で亡くなったとのこと。
 昭和二十六(1951)年生まれ、まだ六十台だ。
 前日、弟子の落語会に出演したのが最後となったという。
 同じ四代目円遊の兄弟子だった小円遊も、仕事先だったなぁ、などと思い出す。
 ちなみに、その小円遊が前座、二ツ目時代名乗っていたのが、金遊。


 お二人とも、平均寿命で考えても、惜しみある早い旅立ちだ。


 相変らず、落語協会ホームページの訃報は、味気ない。
落語協会HPの該当ページ
 対照的に、落語芸術協会の内容には、人の情けを感じる。
落語芸術協会HPの該当ページ


 私にとって、馬好、金遊のお二人に関して共通しているのは、一度だけ聴くことができた、ということだ。

 いや、一度しか聴けなかった、というべきだろう。


 馬好は、五年前、末広亭での先代馬生三十三回忌追善興行だった。
2014年9月15日のブログ

 こんなことを、書いていた。

金原亭馬好『初天神』  (10分)
 初である。金坊を連れて初天神に行く場面からだが、その独特の展開が楽しかった。
 七色(七味)唐辛子屋→占い→飴屋、とそれぞれの商売の口上をしっかり演じてみせた。私はこういう噺、好きだなァ。
 仲入り後の座談で、雲助が名前をつける際、師匠は「お前ならいいだろう」と許してくれたが、たとえば馬好のように見た目が雲助のようなら許さなかった、と笑い話をしていたが、なるほど迫力ある見た目である^^
 本来は、このように演出されていたのだろう、と思わせる、今では聴くことのできない『初天神』だった。

 金遊は、昨年11月、同じく末広亭の下席。昼夜居続けの昼の部だった。
201811月26日のブログ

 こう書いていた。

三遊亭金遊『開帳の雪隠』 (13分)
 未見で、楽しみにしていた人の一人。
 『心眼』は、当代一、と評する落語愛好家もいらっしゃるようだ。
 さすがに寄席での尺、そんな大ネタはかかるはずもないが、この珍しい噺を、小気味良く演じた。
 声が良い。アナウンサーにでもなれそうな声質。
 回向院の前にある駄菓子屋さんの老夫婦が主人公の、地味な噺だが、味わい深く聴かせてもらった。
 この噺は、四年前の鈴本夏祭りで、三三で聴いて以来。
2014年8月21日のブログ
 寄席ならではのネタ、とも言えるだろう。 
 寄席の逸品賞候補としたい。
 寄席の逸品賞は、同じ席での三遊亭萬橘『紀州』があまりにも良かったので、受賞(?)は逃したが、印象深い高座だった。

 
 持ち味は対照的に違うのだが、落語本来の楽しさを充分に引き出すことのできる巧者だと思ったし、またぜひ聴きたいと思っていた噺家さんたち。

 こういう悲しい報せに接すると、やはり、まだ聴いていない噺家さんに会いに行かなきゃなぁ、と思う。

 合掌


by kogotokoubei | 2019-03-27 19:11 | 落語家 | Comments(8)
 先ほどまでの満席だった椅子席は、三割ほどに激減。
 終演時点でも四割くらいだったかな。
 桟敷は、上手、下手にそれぞれ五、六人だった。

 う~ん、六割くらいは動員できないといけないだろうなぁ、芸協さん。

 出演順に、感想などを記す。

三遊亭美よし『小町』 (7分 *16:50~)
 次の鷹治によると、末広亭では初高座の女流の前座さん。
 遊吉の弟子とのこと。
 芸協のHPには、まだ名が載っていない・・・・・・。待機児童扱いか^^
 とにかく、精進していただきましょう。

桂鷹治『普段の袴』 (11分)
 この人も、初、のはず。当代文治の弟子、ということは、結構忍耐力はある、ということか^^
 前座の美よしを気遣う言葉は、好ましい。
 高座は、そう悪くなかった。見た目も大きいし、今後も大きく成長を期待しよう。
 この噺は滑稽噺としの一つの典型「オウム返し」のネタで、噺本来の可笑しさを引き出せれば笑えるし、巧者によって爆笑ネタにもなりえる。
 「祝儀と不祝儀が往来で衝突してその仲裁に行く」とか「なにヒダが崩れた!?それじゃ、高山はてぃへんだ」など、なかなかに楽しい科白で満載。
 八代目正蔵->五代目小さん、と、八代目柳枝->当代円窓、という二つの流れを経て、今につながっているが、当代では、一之輔、そして、正朝の二人が出色ではなかろうか。
 芸協ならこの人、と言われるように、鷹治にも頑張ってもらおう。

カントリーズ 漫才 (11分)
 昼の部の山口君と竹田君の余韻が残っているので、若いのに今一つ、という印象。

昔昔亭桃之助『たらちね』 (13分)
 相変らず末広亭のプログラムには、昔々亭としてあるのは、いただけないなぁ。
 そろそろ草津温泉落語のマクラは、変えて欲しい。もう長いこと聴いているぞ^^

三笑亭可龍『狂言マック』 (14分)
 当代枝太郎作。
 マクドナルドに、狂言師(和泉○○がモデル)がアルバイトとしてやって来て、というネタ。
 枝太郎が二ツ目花丸時代に聴いているが、可龍の狂言師ぶりもなかなか結構。
 古典も、こういう新作もどちらも水準以上の噺家さんで、将来の芸協を背負って立つ人だと思う。

小泉ポロン 奇術 (9分)
 喫煙室を出てから後半のみ、後ろの方で見ていた。
 マイクを離れた時の科白が、ほとんど聞こえなくなる。
 そのあたりは、要修正である。

立川左平次『近日息子』 (13分)
 昼の部は円楽一門の日替わり(この日は、間に合わなかったが、王楽)、夜の部は立川流の日替わりで、この人だった。
 一周忌が過ぎたばかりの左談次唯一の直弟子で、初めて聴くのを楽しみにしていた。
 良く言えば、落ち着いた高座。悪く言うなら、この噺らしい可笑しさを、今ひとつ引き出せない高座だった。
 しばらくしてから、また別なネタで聴いてみたい。

三遊亭円馬『本膳』 (15分)
 この人は、こういう噺の、そのネタの可笑しさだけで客席を沸かせる力がある。
 左平次には、ぜひ、こういう高座を見習って欲しい、などと考えながら聴いていた。
 この噺も典型的な「オウム返し」のネタだが、芸達者が演じると無理にクスグリなど挟まなくても可笑しい。
 新作の芸協にも古典を巧みにこなす、こういう中堅がいる。とはいえ、そういう人は多くはないのも事実なのだが。

春本小助・鏡味小時 太神楽 (14分)
 一つ鞠、三本撥、向き合いの撥、傘、を披露。
 小助が、結構危なっかしい芸で、ハラハラさせるのだが、あれは芸か^^

立川談幸『町内の若い衆』 (15分)
 ニコニコと演じる姿に、「やはり、この人は寄席が好きなんだなぁ」と思いながら聴いていた。
 弟子の吉幸が五月に晴れて真打昇進。そんなことも笑顔につながっているのかもしれない。
 熊公から、熊の家に行って一芝居打ってくれと頼まれた八五郎が、熊の家近くに来ると、「おぅ、寒気がする。寒気がするから、道に迷わなくていいや、この家は」なんて科白も実に可笑しい。
 ニンなネタで、客席を湧かせた。
 
桂幸丸『吉田茂伝』 (18分)
 仲入りは、この人。
 これまでは漫談が多かったが、久しぶりにネタを聴けた。
 吉田茂は、高知の自由民権運動家竹内綱の子で、この父親はよく警察につかまり刑務所で缶詰になった。ツナだけにかんづめになる、なんてギャグを挟みながらの人物伝の自作。
 最近のニュースなど(たとえば横浜にできた○○○ミュージアム)も交え、やや古いネタではあるが、程よい笑いの反応を受けながらの高座で、前半終了。

三笑亭可風 『 ? 』 (12分)
 クイツキは、この人。
 師匠ネタのマクラから新作の本編へ。
 夫を亡くした老婆三人の会話から始まり、三人が一緒に住んだのだが・・・という筋書き。
 毒舌の会話が楽しい。「陽子さんはいいわねぇ、ハロウィーンで被り物がなくても大丈夫だから」なんて科白がポンポン飛び出す。
 少し調べたのだが、演目名が分からない。ご存知の方、お知らせ願えれば幸いです。

青年団 コント (11分)
 二人だけのニュースペーパー、という感じのコンビ。
 人事部長と二階級特進で人事課長になるヒラ社員という設定。
 二人が勤める会社の格付けは「トリプルZマイナス1」で、上が大塚家具、などの時事ネタを含むギャグが満載。
 「私の夢は、課長になることだったんです」「まるで、そろばん三級でやめるようなものだな」などの会話が、なんとも可笑しいのだ。
 シリアのダマスカス支店を出したことから業績が急降下した会社が作っているのは納豆。豆腐にも手を出して「五丁」の損失を出した、だから課長昇格をもってリストラ、という話にヒラ社員が抗議するのだが・・・・・・。
 寄席のコントならではの毒、私は好きだ。

春風亭柳好『長屋の花見』 (14分)
 古典を「久しぶりに聴いた」、という印象の高座。
 とにかく明るいのだ、この人の高座。
 番組構成的にも、季節柄も、程よいネタ選びだった。

桂南なん『反対車』 (14分)
 歌春の代演。プログラムを見るお客さんに向かった、「プログラムには、ありません。特別出演、です」とニッコリ。
 花粉症の薬で眠い、などと言いながら、このネタへ。
 まず、最初の病み上がりの車屋が、なんとも弱弱しく、「ウンコラショッ」「ドッコイショッ」と梶棒を回す場面のユルさが、たまらない。
 そして、二人目の元気な車屋との対照が、この噺の持ち味を充分に引き出していた。
 走り出す前に「保険に入ってますか?」と、自分が保険の外交をしていると言うのに加え、秩父へ行き、「どうです、私の民宿に泊まりませんか」という、したたかな車屋である。
 次は京都へ、そして東京駅へ戻り、車屋が「お客さん、どこへいらっしゃるんですか?」に「京都へ行く・・・・・・」のサゲも可笑しかった。
 寄席の逸品賞候補として、色を付けておく。
 
桧山うめ吉 俗曲 (10分)
 169.png行きに寄ろうか
 169.png梅は咲いたか
 169.png箱入り旦那
 169.png春はうれしや
 の後、踊りで「夜桜」
 いつものように、艶やかで結構でござんした。

柳家蝠丸『死神』 (30分 *~21:04)
 まだ、ネタが決まってないんです、というのは、ネタだろう^^
 主人公の仕事が設定されている。しかし、サゲにつながるので、秘密としたい。
 死神登場の場面は、まさにニン。
 「死神がどんな様子かと言うと、まぁ、私がもう少し年をとったと思っていただければ」という言葉に説得力があったなぁ。
 呪文は「アチャラカモクレンバイアグラ、テケレッツノパー」。
 こんな呪文なので、医者になった男が治した患者は、突如寝床から起き上がって「吉原に行きたい!」と叫ぶ。なるほど^^
 金がたまった男が妾に「寄席に行きたい」と言われて寄席に行き、噺家を連れて飲ませ、食わせる、というのは願望かな。
 地下に降りて、「あの団体で太くて長くて勢いのいいのは」という男の問いに、死神が「もちろん、今日の末広亭のお客さんたちだ」というのは、なかなか結構。
 もう一つの団体のろうそくもあったが、まぁ、それは内緒ということで。
 男の商売を使ったサゲ。なるほど、それもあり、かな。
 幕が下がってから、「あのサゲは私の創作です」と声があり、また、拍手。
 なかなか、サービス精神旺盛な高座だった。


 約七時間半の居続けだったが、足腰はなんともない。
 久しぶりの末広亭、かつ、芸協の昼夜は、売り物の新作も含め、なかなか活気に満ちていた。
 新会長就任のニュースは、良い弾みになっているような気がした。

 芸協の寄席の噺家さん、落語協会の実力者、たとえば、権太楼、さん喬、雲助、一朝などや、中堅の喬太郎や文蔵、扇辰、若手の白酒、一之輔などの顔ぶれと比べると、たしかに量的には負けている。あくまで、現時点では。
 しかし、新作に古典という落語そのものもバラエティに富んでいたし、漫才やコントに太神楽などの色物を含め、総体としての寄席として、なかなか楽しめた。

 落語家だって、この日の南なん、鶴光や若手の今輔、可龍、夢丸などの個性的な高座は、得がたいものだ。
 そして、もっと若手に目を向ければ、「成金」メンバーに代表されるように、イキのいい顔ぶれが揃っている。
 先日の「さがみはら若手落語家選手権」は、落語協会の歌太郎、小太郎、小辰、そして立川寸志を相手に、桂竹千代(竹丸門下)が優勝した。

 彼ら若手の今後には、大いに期待できる。
 

 さて、鈴本では四代目円歌襲名の披露目が始まっている。

 いつ行けるものやら分からないが、なんとか駆けつけたい。

 五月には、芸協の真打昇進の披露目が続く。

 そして、秋には落語協会の四人と、芸協の小痴楽単独の真打昇進披露がかち合うことになる。ぜひ、小痴楽の披露目には行きたいものだ。

 寄席から目が離せない、そんな一年になりそうだ。

by kogotokoubei | 2019-03-25 21:36 | 寄席・落語会 | Comments(10)
 末広亭の友の会に入っているので、三ヵ月ごとに入場券が送られてくる。
 今月末までの券を使わずにいたら、期限が近づいていた。

 本当は、夜の主任白酒の中席に行こうと思っていたのだが、野暮用続きで行けず、どうも昨日しか機会がなさそうなので、日曜恒例のテニスを少し早めに抜けて、芸協の下席へ。
 昇太の次期会長就任のニュースもあったことだし、芸協の寄席にも行きたかったからね。

 新宿三丁目に着き、コンビニで夜食の助六やお茶などを仕入れてから会場に入ると、ちょうど、「コント山口君と竹田君」が始まったところ。
 椅子席はほぼ満席で、桟敷も八割ほど埋まっている。
 お茶子さん(でいいのかな^^)に勧められた上手の桟敷の空いたスペースに落ち着く。 

 出演順に感想などを記す。

コント山口君と竹田君 コント (13分位 *たぶん、13:33頃~)
 寄席では初めて。
 後で調べても、芸協の色物のリストには客演を含め、載っていない。
 特別出演だろうか。
 二人とも私とほぼ同年齢なのだが、若々しい。
 竹田が温泉旅館に泊まった客、山口がその宿の主人、という設定。
 竹田の隣部屋の客がうるさいので苦情を言い、山口が応対するという内容なのだが、これが、なんとも可笑しい。
 満席近い客席が爆笑に包まれた。
 もし、今後、正式に芸協に入るのなら、また色物が強力になるなぁ。

古今亭今輔『雑学刑事(でか)』 (14分)
 米福の代演で、この人。
 定番のクイズに関するマクラから、そのマクラに相応しいネタへ。
 クイズ大好き、雑学の達人の刑事(まるで、本人^^)が、強盗犯人にクイズを出して困らせるという筋書き。
 目出し帽は、クリミア戦争で、ウクライナのパラクラバとい町で初めて使われたので、この帽子の名がパラクラバになった。
 世界で最初の銀行強盗はジェシー・ジェームズで、1866年2月13日に初めて彼が銀行強盗を成功させたので、2月13日は「銀行強盗の日」となっている、なんてぇ雑学が満載。
 新作の芸協、という看板を今後背負って立つ一人が、この人だと思う。

神田紫 講談『山内一豊の妻』 (13分)
 初。検索すると、日本講談協会会長さんらしい。
 少し、喉の調子が悪いのだろうか、ややつまり気味。
 若い時は、さぞかし別嬪さんだったろうなぁ、と思いながら聴いていた。
 (今も別嬪よ、とのご本人の声が聞こえてきそう^^)

一矢 相撲漫談 (12分)
 喫煙室で一服してから、客席後方で聴いていたが、私の経験上これまでで一番ウケていた。この日が、大相撲の千秋楽、ということもあるかな。

笑福亭鶴光『袈裟御前』 (16分)
 仲入りは、この人。
 またか、という感じではあったが、何度聴いても笑えるというのも、芸のうち。
 短縮版であったが、客席を大いに暖めて、前半を締めた。


 あらためて客席を眺めると、若いお客さんが多い。
 アベックや、女性連れも何組か目立つ。
 昭和元禄、しぶらく、NHKのムービー、イケメン落語家など、さまざまな要素があるのだろうが、日曜とはいえ、芸協の席で若いお客さんを含む盛況ぶりを、私はなんとも嬉しく思いながら、煎餅をかじっていた。

三笑亭夢丸『旧婚旅行』 (12分)
 この人は、古典も新作もこなすが、この日は、この新作。
 老夫婦が、五十年前の新婚旅行で行った同じ温泉旅館を訪ねる設定。
 あの時と同じように、お互い裸になって、部屋の両端から走って来て抱き合おう、なんてことを考えるから、大変なことになる。
 内容としては、「古いなぁ」、という印象は拭えないのだが、この人の芸で爆笑ものになった。
 以前に比べ、早口過ぎて上っ滑りすることもなく、見た目も含め、落ち着きが出てきたような気がする。
 しっかり、クイツキの役割を果たした。

東京太・ゆめ子 漫才 (14分)
 円熟の芸。
 「おかげさまで、夫婦で43回目の花見に行けます」で、客席から拍手。
 京太は昭和18年生まれで私の一回り上、今年76歳になる。
 ゆめ子は、協会HPで生年月日を公開していないが、ほぼ同年齢だろう。
 両協会のベテラン漫才師が寄席から姿を消す中、現役として最高齢漫才コンビになったのではなかろうか。
 まだまだ、色物の芸協を引っ張ってくれそうだ。

三遊亭とん馬 漫談&踊り「かっぽれ」 (17分)
 この人では以前『他行』という珍しい噺を聴いている。
 九官鳥、交通事故車の中の猿などの小咄をふって時間が押し、「あと二分になったので、踊りを」とカッポレを披露。
 小咄も受けていたし、逃げの高座とは思えなかった。ご本人もネタをしたかったのが、客席の反応の良さで、つい小咄が長引いた、という印象。しかし、次の小南からは、いじられた。

桂小南 『ふぐ鍋』 (18分)
 膝前は、久しぶりのこの人。
 「私は、漫談と踊りでお茶を濁すようなことはしません」で客席から笑い。
 半分冗談、しかし、半分本気の言葉かな。
 こういうひと言は、悪くない。とん馬も決して投げた高座ではなかったが、協会メンバー同士の自浄能力があることを示したひと言と感じた。
 好き嫌いは別れるだろうが、なんとも独特のダミ声は印象的だ。
 二人で、恐る恐る河豚をつつく場面の可笑しさは、寄席で実際に見るしか分からない。
 『菜刀息子(弱法師)』など、師匠の十八番をそのうち聴きたいものだ。
 
やなぎ南玉 曲独楽 (9分)
 扇を使った地紙止め、真剣を使った切っ先木の葉止め、大きな独楽での風車、最後は糸渡り。
 この人の経歴は多岐に渡っており、最初は八代目正蔵の身内、次に橘右近に寄席文字を習い、その後で、曲独楽の世界へ入ったようだ。
 だから、協会の色物の香盤はそんなに高くない。
 落語協会の三増紋之助とは、年代も芸風も好対照。静かにヒヤヒヤ観る芸も、悪くない。

三笑亭夢太朗『ねずみ』 (27分 *~16:11)
 夢樂の弟子。直弟子としては、初代夢丸に続く二番弟子。
 昭和54年のNHK新人落語コンクールでは、正雀に大賞を譲っての優秀賞。
 また昭和55年には、小遊三などと「芸協若手五人衆」の一人として、文化庁芸術祭優秀賞を受賞。「優秀賞」に馴染みの深い人^^
 寄席の短い噺はたくさん聴いているが、長講は、昨年10月、横浜にぎわい座「名作落語の夕べ」での『時そば』以来。
 丁寧な高座、というのが強く印象に残る。旅館ねずみやの息子の可愛さはよく表現されていたのだが、父親が甚五郎に昔話を聞かせる場面が、やや平板に思えた。
 虎屋に頼まれた彫刻家、飯田丹下の名が最初出ず、後から付け加えたことで、サゲ近くのリズムが悪くなったのが残念。
 丁寧で、大らかなのは良いが、もう少し深みというか、味わいが欲しい。


 これにて、昼の部はお開き。

 若い方が多かった客席は、一気に寂しくなった。

 好きな下手の桟敷に移り、コンビニで買った助六を食べて備えた夜の部は、次の記事にてご紹介。

by kogotokoubei | 2019-03-25 12:47 | 寄席・落語会 | Comments(2)
 歌丸さんの後継は、あの番組と同様に昇太となったようだ。

 メディアにニュースが出て以来、拙ブログで過去に落語芸術協会(芸協)のことを書いた記事へのアクセスが急増している。

 2012年に、新宿末広亭の席亭から、芸協の寄席の入りが悪く、他流派からの人気者の出演を含むテコ入れを要請されたことなども紹介していた。
2012年1月27日のブログ

 当時は、落語協会のホームページに比べ、芸協のサイトは、当日の寄席の代演情報がないなど、広報活動にも差があった。

 しかし、あの危機的な状況から、歌丸会長の陣頭指揮もあったのだろう、寄席そのものの活気も出てきたし、サイトも改訂され、落語協会のサイトが改悪されたことと好対照で、芸協のホームページやメールマガジンは実に充実している。

 また、小痴楽や松之丞など若手の人気、実力を備えた人たちの抜擢真打昇進というニュースもあり、協会の勢いという点では、芸協が勝っているように思う。

 昇太は、いいタイミングで会長になるように思う。

 ただし、問題はある。

 ベテラン、中堅の噺家の顔ぶれは、どうしても、落語協会からは見劣りがする。

 一つの目安を示したい。

 文化庁の芸術選奨である。
 昭和42年以降、文部科学大臣賞を受賞した噺家は、次の通り。

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 芸協からは、桂小南、桂文治、そして平成16年の歌丸前会長以降、受賞者は出ていない。

 やや、上方に偏重しているような気がする。

 そうそう、先日の居残り会では、昨年度の受賞者について、「なぜ一朝ではなく、鶴瓶なんだ!?」という話題もあった。

 東京落語界からの受賞者は、落語協会の実力者が続いている。

 私などは、小満んがなぜ受賞していないのか不思議でならない。

 芸術祭と違って、自主的に参加することを表明する賞ではない。

 よって、多分に審査委員の恣意的な面は影響するだろう。

 しかし、落語協会からの受賞者の顔ぶれには、不思議はない。

 昇太自身もそうだし、他のベテランも含め、結果として芸協から受賞者を出すこと、中堅クラスでも落語協会と競えるようになることが、今後十年ほどの課題ではなかろうか。

 客の入りが悪いからと漫談で逃げたりする噺家が減ることにも、新会長は目を配るべきだろう。

 歌丸前会長が寄席も自分の独演会も大事にしていたことを、人気者の新会長は忘れてはならない。

by kogotokoubei | 2019-03-22 12:54 | 落語芸術協会 | Comments(8)
 「横浜 柳家小満んの会」は、『らくだ』で有終の美を飾った。

 元は上方の『駱駝の葬礼(そうれん)』で、四代目桂文吾が完成させた噺とのこと。

 この噺については、ずいぶん前に、志ん生を中心にした記事を書いた。
2012年6月27日のブログ

 あの記事は、大手町落語会で権太楼の見事な高座を聴いたこと、また、真打に昇進したばかりの一之輔が三田落語会でこのネタをかけた後、彼のブログで悩んでいる様子を目にしたことから書いたものだった。

 記事の中で、松鶴に代表される上方版のことや、八代目可楽の割愛の芸の魅力などにもふれたが、平岡正明の『志ん生的、文楽的』の次の文章なども紹介し、あえて東京版の、中でも志ん生のこの噺の良さを強調した。

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平岡正明著『志ん生的、文楽的』(講談社文庫)

 文吾に対して三代目小さんと志ん生は、したがって剣術の小さんも可楽も、久蔵が泣き上戸であるという演出を採らない。小心で善良な屑屋の久蔵が、三碗の酒でトラになり、生傷男を圧倒するのだ。三碗にして岡を過ぎず。水滸伝の武松が景陽岡で、三碗呑んだら岡を越えられないという強いききめの「透瓶香」という酒(同じ銘柄の白酒が現在の景陽岡にある)をぐびぐび飲んで、ますます気宇壮大になって、虎が出るから夜間の山越え禁止という役所の高札を無視して岡を越え、あんのじょう人喰虎に出くわしたが、これを素手で殴り殺したとき、虎の魔性が武松にのりうつったことを感じる。同様に三杯の酒でらくだが久蔵にのりうつったのだ。三代目小さんが「らくだの葬礼」を東京に移植するにあたって、久蔵が三杯の酒でがらっと性格が変って関係が一気に逆転したほうがよく、屑屋の内心の変化を追う上方の演出はぬるいと感じただろうことを志ん生も感じているようだ。

 先日の小満んも、この三杯目からの激変を、見事に演じていたなぁ。

 その会の記事に、屑屋とらくだの兄貴分の主客逆転の後、らくだを弔うために坊主にする場面の演出について、コメントをいただいた。
 志ん生が、髪の毛を毟り取るようなことを、小満んはしなかったと記事で書いたのだが、志ん生がそんな演出をしていたことをご存知なかった、というコメントだった。

 少し、自分の記憶への疑問へのあり、あらためて志ん生の音源を聴き直したり、本を再読した。

 聴き直した音源は、こちら。
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Amazon「五代目古今亭志ん生 らくだ 二階ぞめき」
 日本伝統文化振興財団(日本ビクター)から発売された、倒れた後の音源だが、私はこの高座のなんとも言えない味わい、好きだ。
 しっかり(?)、らくだの髪の毛を毟っている。

 ちなみに、Amazonには、こんなレビューも書いていた。
『らくだ』はサゲまで通しの長講。昭和40年の収録だから倒れてから4年後。
『二階ぞめき』は昭和39年の収録で、こちらも病後である。
志ん生の数あるCDを選ぶ際に昭和36年以前の作品を選ぶことは落語ファンの常識かもしれない。
しかし、昭和38年の東横落語会での『疝気の虫』のように、復帰後の何とも言えない味わいを好む人もいる。もちろん残された膨大な作品の中には、最盛期ですら必ずしも傑作ばかりとはいえないので、病後の作品を選ぶのは一層リスクが大きいのだが、この二作品は“当たり”だと思う。
元気な頃の同じ演題と聞き比べるのも一興だろう。

 私の持っている病気前の音源も良いのだが、短縮版なので、らくだを坊主にする場面は、ない。

 活字でも確認したが、その本は『志ん生 長屋ばなし』(立風書房)。

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 この本は、その後、同じ立風書房の「志ん生文庫」版にもなり、ちくま文庫でも再刊されている。

 志ん生は、音源によっての違いもあるのだが、この本で小島貞二さんがラジオの音源を書き取った内容においては、屑屋久蔵の科白と行動、次のようになっている。

「な、こんなやつァ、どうせ、おめえ・・・・・・極楽に行ける野郎じゃないけどもよォ、な、ウン・・・・・・。おう、だからよォ、おめえ、そこいら少ぅし片づけろよ、おれ、坊主にしてやるから・・・・・・。え?なァに大丈夫だよ、こんなもの坊主にするくれえ・・・・・・エ、朝めし前よ、ウン・・・・・・。この野郎、ずいぶん毛がのびてやがる、えェ、こンちくしょうァ・・・・・・。
 おれがやるから、いいってことよ。・・・・・・どうでえ、うめえもんだろう。ウ、ウン、アハハハ。
 ガ、ガーッ、プッ、プーッ・・・・・・。(と、髪の毛を指に巻きつけてむしりとる。酒を口に含んで、プーッと霧にして、その頭に吹きつけ、またむしる。指先にからまった髪の毛を突ン出して)
 おう、これ・・・・・・やろう・・・・・・!」

 この本(初版の単行本)の冒頭に、志ん生自身の話(小島貞二さん聞き書き)で、こう記されている。ちなみにこの文章は、『志ん生芸談』(河出文庫)にも収録されている。

『らくだ』てえはなしの中で、はじめは気の弱い屑屋が、酒が入ると、だんだん気が強くなって、酒乱の本領をあらわし、らくだの兄貴分てえすごい野郎を、あべこべにおどかすでしょう。酒のみてえなァ、ああいうもんで、酔った勢いで、自分の立場なんざァ、忘れてしまって、天下ァ取ったような気になる。「べらぼうめ、矢でも鉄砲でも、持って来やがれッ」てえ、アレですよ。
 屑屋がらくだの頭の毛を、むしり取るでしょう。アレで特殊部落の人間だてえことがわかって、らくだの兄貴分がびっくりする。『らくだ』てえはなしは、なくなった可楽も売りものにしていたが、あの人もあたしの『らくだ』なんですよ。ただ、あの人ァ、頭の毛を剃刀でそぐようにした。その辺のところが研究なんですナ。

 志ん生は可楽が剃刀にしたことを“研究”と評したが、たしかに、あの場面、髪の毛を毟り取るという演出にすると、どぎつくなる。

 しかし、髪の毛毟りの場面があることにより、上方と東京とで、それぞれに兄貴分に与える効果があるということも考える必要がある。そして、その心理的な効果は、微妙に異なっている。

 四代目桂文吾が創った上方の『駱駝の葬礼(そうれん)』は、兄貴分の熊が隠亡と知り合いという設定。
 だから、らくだも兄貴分の熊も、そして隠亡もお仲間。
 剃れない剃刀を熊が借りてきたので久さんが髪の毛を毟り取ることで、熊は、きっと屑屋に親近感を抱いたはずだ。仲間意識、とでも言うべきものを感じたはず。

 対して東京版では、髪の毛毟りに加え久さんが火葬場の隠亡と知り合いであると告げることによって、兄貴分は、屑屋にある種の恐怖感を抱いたはず。上方版とは逆で、屑屋との距離感ができたと思う。


 東京の落語の過半数以上は、元ネタが上方にある。
 そして、三代目小さんや他の噺家さんにより、演じる場所に会わせ、また自分なりの解釈で脚色されて、今日に至っている。

 この『らくだ』という噺も、上方と東京では設定と演出の微妙な相違があること、そして、その違いが登場人物の心理的な位置関係を変えていることを思うと、落語というものの奥の深さをあらためて感じる。

 もちろん、小満んのように、あの場面を剃刀でさっと短く演じるのも、軽妙洒脱、品格を持ち味とする噺家さんらしく、良かった。

 そう、その噺家の持ち味、あるいは“らしさ”ってぇのは、大事だなぁ。

 そう思うと、志ん生だから、髪の毛を毟り取ってもいいのだろう。
 加えて、その演出の底流に流れているものを、志ん生はしっかり把握している。

 ぞろっぺいな面が強調されるが、実はその高座の背景には、噺の本質を捉えているからこその、志ん生なりの繊細な感性があるのだと私は思う。

by kogotokoubei | 2019-03-20 20:54 | 落語のネタ | Comments(4)
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 これは、16日に開催された横浜での柳家小満んの会の千秋楽でいただいた、「全百五十回 演目控え」の表紙だ。

 これが、最初のページ。
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 内容をエクセルにしてみた。

 これが、その表の抜粋。

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 毎回三席、計450席のうち、どれほど重複があるか、数えてみた。

 なんと、開始から十七年後の平成23年五月、第104回の『猫の災難』まで、重複なし。
 
 隔月開催で、連続三百席以上も、違うネタを演じ続けていた、ということになる。

 その後は、さすがに演じていないネタは少なくなり、全百五十回で、重複した噺の合計は77席あるが、それにしても450席から77を引いて、373席もの演目を演じてきたことになる・・・・・・。

 私がこの会に最初に行ったのは、平成26年七月の第123回。
 会の存在は知っていたが、強く動機づけられたのは、佐平次さんからのお勧めだった。
 初めて聴く『有馬のおふじ』を堪能。
2014年7月18日のブログ

 その次の九月の124回では、文楽譲りの絶品『寝床』に酔った。

 そして、佐平次さんが事前の散歩で目をつけていたお店、団欒での最初の居残り会は、その夜のことだった。
2014年9月27日のブログ

 懐かしいなぁ。

あらためて私が行けた回は、次の通り。

第123回 平成26(2014)年7月
第124回 平成26(2014)年9月
第125回 平成26(2014)年11月
第126回 平成27(2015)年3月
第127回 平成27(2015)年5月
第128回 平成27(2015)年7月
第129回 平成27(2015)年9月
第130回 平成27(2015)年11月
第131回 平成28(2016)年1月
第132回 平成28(2016)年3月
第133回 平成28(2016)年5月
第134回 平成28(2016)年7月
第135回 平成28(2016)年9月
第136回 平成28(2016)年11月
第137回 平成29(2017)年1月
第138回 平成29(2017)年3月

 ここまでは、16回、皆勤だった。
 その後。

第140回 平成29(2017)年7月
第142回 平成29(2017)年11月
第145回 平成30(2018)5月
第149回 平成31(2019)年1月
第150回 平成31(2019)年3月

 平成29年11月第142回から翌年11月の148回まで、関内ホールが改装のため会場が吉野町市民プラザに移ったので、やはり行きにくくなった。

 ということで、通算21回、通ったことになる。

 いただいた演目控えを見ても、また、自分のブログを読んでも、それぞれの高座が脳裏に蘇る。 

 この会は、関内ホールが相応しく、だからこそ、落語会とすぐ近くの常盤町にある団欒での居残り会が、強く結びついて記憶にある。

 居残り会は、いろんな噺家さんの会の後で開かれてきたが、関内小満んの会後の団欒での会は、特別なものだった。

 昨年の忘年会も今年の新年会も、落語会がない場合でも、最近では団欒で居残り会が開催されるようになった。

 昨年、団欒のご主人が病気から快復されてお店が再開されてから、なおさら特別の思いで開催されている。

 そのご縁も、お店から徒歩五分の小満んの会との縁だったことを、あらためて感じる。

 二十五年に渡り四百席近い演目を披露してきた柳家小満んという噺家さんと、関内で四十年続く老舗への思いは深く結びついている。

 四百五十席の演目を眺めて、その高座とその後の旨い酒、楽しい会話を思い出す。
by kogotokoubei | 2019-03-19 21:18 | 落語家 | Comments(4)
 オスカー受賞作の『グリーンブック』を桜木町の映画館で観てから関内へ。
 ホールに着いた時は、まだ涙が乾いていなかったかもしれない。

 二十五年間続いた関内の小満んの会が、百五十回をもって千秋楽。

 土曜の午後の開催ということもあり、関内ホールの小ホールは、七割ほどの入り。

 これまで半分も入ったことのない会だったので、ロビーのモニターを見て、「毎回、最終回と言って続けてくれないかな・・・・・・」などと思っていた。

 受付でこれまでの全演目一覧をいただく。
 なんとも幅広いネタを演じられてきたことか。

 久しぶりに師匠の奥様もいらっしゃった。
 どこか、すっきりした笑顔でお客さんを迎えていた。
 
 会場に入ると、お誘いしたOさんのお隣が空いていたので、そこに落ち着く。

 出演順に感想などを記す。
 なお、今回は、記録としては、師匠という敬称は省略するが、後半は、どうしても呼び捨てにはできないので、表記が混在すること、ご容赦のほどを。

柳家り助『二人旅』 (12分 *14:00~)
 初。協会のHPを見ると海舟の弟子のようだが、四年前に真打に昇進した人が、もう弟子をとっていたんだ。
 噺家らしい見た目。印象は悪くない。
 それにしても、この噺は、いわゆる放送禁止用語たっぷりだなぁ、と思いながら聞いていた。「いざり」「おし」「つんぼ」などが続々登場^^
 もはや、落語以外では聞かれない言葉になりつつある。
 その言葉を発することが差別、という風習、なんとかならないものだろうか。

柳家小満ん『長屋の花見』 (23分)
 短いマクラから本編へ。
 二人目の師匠小さん型が基本だが、ところどころに独自性があった。
 大家の花見の誘いを受けた戸無し長屋の一行。
 「どうする、上野の山へ行くかい」と問われたお調子者が「行くとも、上野の山でも、カムチャッカでも」というクスグリは、小さん譲り。
 終演後の居残り会で、「あそこは、他の場所じゃだめで、カムチャッカしかないなぁ」と皆が同意^^
 月番が幹事役に立候補するというのは、小満んの工夫か。
 幹事役として何か目印にという話題に「サイダーの口金でも」で笑った。
 卵焼き(たくわん)と蒲鉾(大根のこうこ)の器は「切り溜め」。
 最初はピンとこなかったが、切った野菜などを入れる木箱のことだから、箱膳やお重と言わず、切り溜めのほうが、貧乏花見には相応しいわけだ。
 「甘茶でかっぽれ、番茶でさっぱり」などとぶつぶつ言いながらの、ご一行の宴会の様子が目に浮かぶ。いったん飲んだお茶けを吐きだす者や、「大家さん、最近では練馬のカマボコ畑も少なくなって」なんて言い出す者など、このネタのなんとも言えない可笑しさが描かれる。
 「大家さん、酒柱が立った」でサゲ。まさに、軽妙洒脱と言える好高座。

柳家小満ん『狸の鯉』 (21分)
 すぐに高座に引き返して、二席目。
 『狸』の噺には、「札」「賽」「釜」「鯉」と四話あるが、この日は今では珍しいネタ。
 とはいえ、狸の「札」もあって、長寿庵の蕎麦代を払って、逃げてくる。
 兄貴分の子供の初節句の祝いにと、次に狸が鯉に変身。
 兄貴分が、鯉こく、あらいにして食おうと言うのを聞いて怖がる狸の姿が可笑しい。
 師匠小さんが説く「狸の気持ち」になっての佳品。


 仲入りとなって、師匠の奥さんに、この日の私の企み(?)を明かす。
 それは、『小満んのご馳走』という本を持参していて、ぜひ、この本に何か書いていただきたかったのである。
 「これに何か書いていただきたいのですが」と奥さんにお聞きすると、私の肩を掻いて「かいてあげる」と笑う。
 さすが、噺家の女房^^
 終演後に直接頼んでみますね、と言うと、「そうしな!」と優しい笑顔が答えていた。
 
柳家小満ん『らくだ』 (44分 *~15:56)
 小満ん落語の醍醐味は、まず、受けを狙ったあざといクスグリなどはないこと。たとえば、それは一席目の『長屋の花見』で言うなら、今では多くの噺家が挟む「長屋中 歯を食いしばる 花見かな」という三代目蝶花楼馬楽の専売特許(?)とも言える句を、小満んは加えない。ご自身でも俳句たしなみ、川柳にも造詣が深いから、あえて、人様の句を借りることもない、とも言えるが、風潮などには背を向ける姿勢を感じる。
 また、ネタの本来の味わいとして、あるいは、演出上で、割愛しても良いと思われる部分は大胆にカットするところも、特徴だろう。
 この高座では、屑屋長さんがらくだの兄貴分に言われ、長屋の月番に出向いて香典を頼む場面を割愛。また、らくだの頭を剃る場も短く、あっと言う間につるつるにしている。
 あの場面は、剃刀で剃るにしても、毛を抜くにしても、あまり聴いていて気持ちの良いシーンとはいえない。そのへんは、品を大事にする小満んらしさか。
 とはいえ、あの場面は、毛を毟る志ん生の演出には、この噺の奥の深さを思わせる面もあるのだが、それについては、別の機会に書くとしよう。
 この高座で初めて聴いたのは、らくだの火葬代の稼ぎ方。
 長さんの知り合いの隠亡がいる落合の火屋に連れて行くことになったが、その隠亡への手間賃を、らくだの兄貴分が、質屋の奥で賭場が開かれているのを知っていて、それをネタに強請って二両巻き上げるというのは、初めて聴いた。
 その二両をまるまる、隠亡に渡すところは、江戸っ子!
 そういった筋書きの妙もあったが、やはり圧巻は、屑屋と兄貴分の主客逆転の場面だ。
 大家がカンカンノウに怯えてもって来た、まあまあの酒を兄貴分が屑屋に「かけつけ三杯だ」と飲ませようとして、屑屋が「勧め上手だねぇ」と言うあたりから、逆転が始まる。
 長さんの科白。「できるときは、やったほうがいいね。どれほど金があっても、高みの見物・・・俺だって、見てられねぇ性分だからねぇ・・・」
 その三杯目を飲み干して、煮しめを食べた後の屑屋の「なぁ、兄弟!」も効果的。
 四杯目に、らくだが「絵を買って欲しい」と言って背中の彫り物を見せたことを思い出す時分には、完全に屑屋が上だ。
 サゲの願人坊主の絶叫まで、堪能した。
 二十五年、百五十回を締める絶品の高座、今年のマイベスト十席候補であるのは当然である。

 さて、終演。

 大事な仕事(?)が、残っている。
 いつものように、お客様を見送る小満ん師匠の姿を見ながら、最後のお見送りが済んだと思しき頃、『小満のご馳走』を手に、お声をかけた。

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「東京かわら版」サイトの該当ページ
 この本は、発行直後にこの会で「東京かわら版」の方が販売していたのを入手したのだった。

 読後、二回記事にしている。
2015年7月24日のブログ
2015年7月25日のブログ

 さて、私にとって、初めての試み。こんなにミーハーになるとは^^

 師匠に声をおかけした。
 「ぜひ、この本に何か書いていただけますか。師匠は、大好きな堀口大學さんからは、書いていただけなかったようですが」と切り出すと、「そうですか、では、大學さんに代わって。」と笑顔で、私が差し出した筆ペンで、ささっと、大學の詩を書いてくださったのである。

 その本に、こう師匠は書かれている。
 
堀口大學は私にとって、運命であり、母校である。そんな風に感じている。

 そんな師匠のある思い出。

 叙勲の際にとある会で逢えるかもしれないチャンスがあって、この時、羽織を持っていった。

 「エロスの技法」
 “お手(てて)で口説くのよ”

 間が良ければ、このフレーズを書いてもらおうと思って持っていったが、いらっしゃらなかった・・・・・・。私はほとんど、こういうことをしたことがなかったけれど、この時だけは特別な気持ちだった。

 私もほとんどこんなことをしたことはなかった。
 でも、師匠は願いを叶えてくれて

 
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 「お手ゝで 口説くのよ」 大学様に代って

 としたためていただいたのだ。

 さて、心も躍る宝物を頂戴した後は、居残り会。
 師匠に書いていただく間、お待ちいただいた居残り会仲間の方と、関内で四十年の老舗、団欒へ。

 本来はお休みのところを開けていただき、落語会を聴いた佐平次さん、I女史、Oさんと私のよったりに、近くでお芝居をご覧になった後にお越しのM女史、そして、Nさんも合流。

 お任せでご用意いただいた刺身も他の肴も、いつものように絶品、小満ん落語のことや、さまざまな話題も、これまた絶品。男山の燗の具合も、絶品。
 他にどんな話題が飛び出していたのやら、半ば記憶は飛んでいるが、あっと言う間に三時間余りが経つ。

 帰り際、Nさんからはお菓子のお土産をいただき、団欒のご主人からは手拭を頂戴した。

 そして、何より、小満ん師匠からいただいた、宝物を大事に持って帰宅し、最良の一日が暮れたのであった。

 さて、お江戸日本橋亭の会は、元々、本牧亭で始まった独演会の流れのある、四十年を超える歴史のある会で、そちらは継続されるとのこと。

 あちらへ行かなきゃならないなぁ、これからは。

 そして、団欒へは、落語会とは関係なく宴会を企画し、皆さんをお誘いしようと思っている。

 関内の千秋楽で、いい思い出をつくっていただいた。

 小満ん師匠、ありがとうございます。


by kogotokoubei | 2019-03-18 12:25 | 寄席・落語会 | Comments(4)

 昨日は、二十五年続いてきた横浜の柳家小満んの会が、百五十回にて最終回。

 
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 終演後、師匠にお願いして、著作の表紙裏に、こんな素敵な言葉を書いていただきました。
 私のガラケーのせいと、撮影が下手なのでボケておりますが、これは、宝物になります。

 この内容や、落語会、そして居残り会については、次の記事にて!
by kogotokoubei | 2019-03-17 09:35 | 落語家 | Comments(5)
 落語・演芸評論家の川戸貞吉さんの訃報に接した。
 
 サンスポから。
サンケイスポーツの該当記事

2019.3.12.05:00
演芸評論家の川戸貞吉氏が死去、「現代落語家論」など著書多数

 演芸評論家の川戸貞吉(かわど・さだきち)氏が11日午前11時55分、直腸がんのため東京都杉並区の自宅で死去、81歳。横浜市出身。通夜は13日午後6時から、葬儀・告別式は14日午前9時半から杉並区和泉3の8の35、龍光寺大師堂で。喪主は妻、恵子(けいこ)さん。早大の落語研究会で活動し、1961年にアナウンサーとしてラジオ東京(現TBS)に入社。ディレクターに転身後は数々の落語番組を制作。学生時代から立川談志さん、五代目三遊亭円楽さんらと交流し、五代目柳家小さんさんにも目をかけられた。「現代落語家論」「落語大百科」など著書多数。

 多数の著作があるが、代表作はこの記事でも挙げている『現代落語家論』だろう。

 私も、何度か記事で引用させてもらっている。
 五代目小さんの十三回忌追善落語会が開かれていた頃に書いた記事で、川戸さんのこの本から、他の人の著作では知りえない逸話を引用した。

 重複するが、あらためで紹介したい。
2014年5月14日のブログ

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 川戸さんは、早稲田の落研時代から当時の小ゑん(談志)や全生(五代目円楽)と懇意になり、TBS入局後に、今につながる落語研究会の再開を企画した人。

 本書は昭和53年五5月10日初版発行なので、あの落語協会分裂騒動の直前。よって、著者は翌年早々に『新現代落語家論』を書くことになる。

 さて、上下二巻のうち下巻にある小さんの章からの引用。

 不精な私だが、『落語日記』と称して、落語に関する日記だけは、つけてきた。この日記から、小さんの芸談を、少し拾い出してみよう。

 昭和四十二年十月三日
 夜、イイノホールへ行く。楽屋では正蔵・小さん両師のやりとりが印象に残った。
 小さんが正蔵に、いろいろと聞いている。まず朴炭(ほおずみ)のこと。『湯屋番』に出ているという。
「家の愚妻さんも使っているよ。四代目(四代目小さんのこと)も使っていた」
 と、、正蔵がいう。
 朴炭は朴の木の炭で、それでこすると、たいへんすべすべするそうだ。
「垢すりも近頃は使わなくなったねェ」
「昔は三助が使ったが」
 と、しばらく雑談。
『湯屋番』は小さんの十八番といわれているのに、まだ調べている。頭が下がる。
 (中 略)
 この夜の小さんの演しものは『王子の狐』。

 稲荷町と目白の楽屋話、なんともいい感じだ。
 横で聞いていた人が羨ましい。しかし、誰にでも話すようなことではない。
 やはり、川戸さんが小さんや正蔵が心を許して話せる相手だった、ということだろう。

 日記の紹介を続ける。
 
十月八日
 夜、小さん師と飲む。『王子の狐』について話を聞いた。前座・二ツ目時代に八代目文治から教わったもので、ずっとオクラにしていたという。
「久々此間(こないだ)演ったが、もう忘れちゃったよ」
 そういってケラケラ笑った。
 四代目小さんは、狐をだます人間を二人連れにして演っていたという。『そのほうが演りやすいから』という理由からであった。
「なるほどそのほうが演りやすいやね」

 今まで『王子の狐』で二人連れで狐をだます噺は聞いたことがないが、なるほど面白いかもしれないなぁ。

 この師匠四代目小さんにまつわる逸話を、昭和四十八年三月二十二日の日記の、小さんの会話の途中からご紹介。

「とにかく昭和の名人というと、五代目円生、三語楼、四代目小さん、八代目文治だな。文楽師匠は、まだそのあとだよ。あたしも三語楼の噺を聞いて噺家になろうと思ったんだから。そりゃァ素人のときは、三語楼を追いかけたもんだ」
 それから話は、自分の師匠四代目小さんのことに移った。
「うちの師匠は本当に上手かった。でも、うちの師匠の本当のよさをわからねえ奴が、大勢いたね。あの小勝(五代目小勝)だってそのうちのひとり、それから正岡容。
 その人が、うちの師匠のことを悪くいったんだ。『志ん生の代わりに四代目が出たが、あれじゃァ代演にならない。志ん生の代わりに小さんなんて・・・・・・』等と書いたんだな。いまにして思うと、これはセコだとかなんとかいうんじゃァない。芸風が違うから代演にならないという意味なんだろうけれど、なにしろこっちゃァ若かったからねェ、浅草のほうの鳶の鳶頭(かしら)が見せてくれたんだが、『うちの師匠のことをこんなに悪くいうなんて』と思ったら、体がぶるぶる震えてきたね。『よーし、あの野郎明日ぶん殴りに行ってやる』と思ったン。『そうだそうだ』なんて、鳶頭もこっちを煽るしね。本当に行こうと思ったン。
 ところが、その晩に赤紙がきて、こっちは軍隊に連れてかれちゃったァ。いまから考えると、殴らなくていいことしたよ」
 本当だ。もしこのとき殴っていたら、おそらく大騒動になっていたに違いない。
 もし、小さんが正岡宅に殴りこみに行っていたら五代目を継ぐこともできなかったかもしれない。

 学生時代からの談志との縁、そして、テレビ局の演芸担当としての仕事柄もあるだろうが、昭和の落語家との交流の幅広さや深さ、という点においては、この人を超える人はいなかったのではなかろうか。

 昭和の名人たちの得がたい逸話で、川戸さんの著作からしか知ることができないものは少なくない。
 
 たとえば、『現代落語家論』から、志ん朝の二ツ目時代の奮闘ぶりを紹介したことがある。
2011年10月1日のブログ

 実に貴重な記録でもある。川戸さんしか書けない内容だと思う。


 また、学生の頃から集めはじめた高座の録音テープも有名。自身が担当したTBSラジオの「早起き名人会」でも放送され、『席亭 立川談志の「ゆめの寄席」』などがCD化された。

 川戸さんのライブラリーに関しては、NHKラジオで、玉置宏さんが「早起き名人会」の音源を無断で使用したことが発覚し、川戸さんと玉置さん側でひと悶着あったが、落語愛好家としては、なんとも言えない残念な事件だった。

 小朝が書いた文章への抗議なども含め、やや、喧嘩っぱやい性格だったかもしれない。

 談志の著作では「貞やんを知らない奴は、(落語の世界の)モグリ」と書かれていたなぁ。

 昭和の落語家、落語界の語り部が、また一人旅立った。

 3月11日という命日は、忘れることはないだろう。


 家元が、「よっ、待ってました!」と迎えていたに違いない。

 川戸貞吉さんのご冥福をお祈りします。
by kogotokoubei | 2019-03-13 12:27 | 落語評論 | Comments(2)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛