人気ブログランキング |

噺の話

kogotokoub.exblog.jp
ブログトップ

<   2018年 12月 ( 21 )   > この月の画像一覧

皆さん、良いお年を。

 今年は、二月に連れ合いのお父さんが八十六歳で亡くなったので、年始のご挨拶は遠慮させていただいたため、我が家のシーズー、ミミーとユウの記念写真は撮らなかった。

 しかし、彼らが元気なことを何とかお伝えしたく(?)、本日の散歩の写真をご紹介。

e0337777_12285908.jpg

 これが、二人ともカメラ目線の一番良い写真、かな。
 左が女の子のミミー、来年4月で10歳。
 右が男の子のユウ、来年9月で9歳。

 年末大サービス(?)で、他の写真も^^
e0337777_14393545.jpg

e0337777_12293198.jpg

e0337777_12294755.jpg

e0337777_12300108.jpg



 いろんなことがあった一年。

 どんな元号になるか知らないが、来年は、世界も日本も皆さんも、そして我が家にとっても良い年でありますよう祈ります。


by kogotokoubei | 2018-12-31 12:50 | 幸兵衛の独り言 | Comments(4)
 小痴楽と松之丞の抜擢・一人真打昇進についてはいくつかのメディアも取り上げている。

 スポーツ報知がまとまっていたので、引用する。
スポーツ報知の該当記事

柳亭小痴楽、神田松之丞の真打ち昇進が決定 小痴楽は来年9月、15年ぶり単独昇進 松之丞は20年2月
2018年12月28日12時36分 スポーツ報知

 落語家・柳亭小痴楽(30)、講談師・神田松之丞(35)が真打ち昇進が28日、決まった。所属する落語芸術協会(三遊亭小遊三会長代行)が同日、都内で理事会を開き、来年2019年9月下席に小痴楽の、2020年2月中席に松之丞の真打ち昇進をそれぞれ承認した。

 小痴楽、松之丞は同協会二ツ目11人で結成したユニット「成金」で人気を博した。小痴楽は江戸っ子の雰囲気を色濃く出す落語家として活躍。父親が5代目・柳亭痴楽の2世落語家だが、父親は闘病の末、小痴楽の二ツ目昇進を前に亡くなっている。松之丞は「チケットの最も取れない講談師」との異名を取るなどブレークしていた。

 同協会での真打ち昇進は例年5月で、小痴楽は順当に行けば2020年の5月の昇進だったが、人気、実力を評価。前倒ししての9月の真打ち昇進を決定。単独での真打ち昇進は2004年の桂米福以来、15年ぶりとなる。松之丞は数年前から席亭の推薦での真打ち昇進が協議されていたが、否決されていた。

 松之丞は日本講談協会にも所属。落語芸術協会の二ツ目の香盤では落語家9人を追い抜く形となったが、芸協では、落語家と講談師の香盤は別物と判断。7月2日に亡くなった前会長の桂歌丸さんが抜てき真打ちについて否定的な考えを持っており、意向に沿って、講談師では順番を守る形で、今回の昇進が決まった。

 そうなのだ。
 松之丞の昇進時期は早いように思えるが、もっと抜擢要素の強いのが、小痴楽。

 歌丸前会長は、確かに年功主義ではあった。
 しかし、若手の育成には努めていたようだし、理解もあったと思う。それは、小痴楽たちのツィッターや成金仲間のブログで感じていたことだ。

 会長として歌丸さんを見直したことがある。

 それは、2016年の歌丸会長の新年の挨拶だった。
 紹介したブログから、挨拶の内容を引用したい。
2016年1月2日のブログ
会長新年ご挨拶

あけましておめでとうございます。
平成二十八年元日、晴れやかな新年を迎えました。
私ども公益社団法人落語芸術協会は、初席より都内各定席をはじめ、全国各地で寄席高座を務めております。新年も皆様に「笑い」をお届けするべく、協会員一同全力で取り組んで参ります。どうぞ変わらぬご支援、ご指導ご鞭撻の程、宜しくお願い申し上げます。

本年五月には、きらり改メ神田鯉栄、橘ノ圓満、可女次改メ三笑亭可風の三名が真打昇進致します。三者三様の持ち味を活かし、新たな一歩を踏み出します。彼らの姿にご注目頂ければ幸いです。

ベテランから若手まで切磋琢磨し、当協会ひいては業界全体を盛り上げていきますことをお約束いたします。
本年も何卒宜しくお願い申し上げます。

公益社団法人落語芸術協会
会長 桂 歌丸

 歌丸会長の、“ベテランから若手まで切磋琢磨し、当協会ひいては業界全体を盛り上げていきますことをお約束いたします”という言葉には、強い意志を感じた。

 落語協会のホームページにも、会長挨拶は掲載されていた。
 引用はしないが、昇進する真打が五人いること、ある名跡の襲名があることなどを含んでいたが、その内容はホームページ同様に事務的で空虚だった。

 落語協会は、その無味乾燥なサイトで、来秋四人が真打に昇進することを案内していた。
落語協会サイトの該当記事

 その四人の入門と二ツ目昇進時期は、次の通り。

-----------------------------------------------------------------------------------
柳家わさび  2003(平成15)年11月入門、2008(平成20)年3月二ツ目昇進
柳家喬の字  2004(平成16)年入門、2008(平成20)年3月二ツ目昇進
初音家左吉  2004(平成16)年6月入門、2008(平成20)年3月二ツ目昇進
柳家ほたる  2004(平成16)年6月入門、2008(平成20)年3月二ツ目昇進
-----------------------------------------------------------------------------------

 昨日の記事にいただいた佐平次さんのコメントで、29日の末広亭の夜の特別興行で、権太楼が上の四人の中で出演した二人について、厳しい小言があり、芸協が羨ましい、と小痴楽と松之丞のことを褒めたらしい。

 権太楼も、一度体調を悪くしてから協会の幹部として表立ったことは遠慮しているようだが、思うことはあるに違いない。忸怩たる思い、と言えるかな。

 芸協の来春の二人、秋の一人を並べてみる。吉幸は昨日の記事で書いたように例外的なので、外す。
-----------------------------------------------------------------------------------
瀧川鯉斗   2005(平成17)年3月入門、2009(平成21)年4月二ツ目昇進
橘ノ双葉   2005(平成17)年3月入門、2009(平成21)年4月二ツ目昇進
柳亭小痴楽  2005(平成17)年10月入門、2009(平成21)年4月二ツ目昇進
-----------------------------------------------------------------------------------


 これまで、年度により二ツ目の人数などにも左右されるので、一概には言えないが、年功的には、両協会とも入門14~15年で昇進している。
 
 今年五月に芸協で真打昇進した落語家はこの人。
-----------------------------------------------------------------------------------
桂夏丸    2003(平成15)年3月入門、2007(平成19)年9月二ツ目昇進
-----------------------------------------------------------------------------------

 そして、落語協会で今秋に昇進したのは次の五人。
-----------------------------------------------------------------------------------
古今亭駒次  2003(平成15)年3月入門、2007(平成19)年2月二ツ目昇進
柳家さん若  2003(平成15)年入門、2007(平成19)年2月二ツ目昇進
柳家花ん謝  2003(平成15)年入門、2007(平成19)年2月二ツ目昇進
林家たこ平  2003(平成15)年11月入門、2007(平成19)年5月二ツ目昇進
古今亭ちよりん 2003(平成15)年入門、2007(平成19))年5月二ツ目昇進
-----------------------------------------------------------------------------------

 ほぼ同じに見える。

 では、昨年2017年、春はどうだったか。
 芸協の昇進者は次の二人。
-----------------------------------------------------------------------------------
昔昔亭桃之助 2002(平成14)年3月入門、2007(平成19)年2月二ツ目昇進
笑福亭和光  2002(平成14)年2月入門、2007(平成19)年4月 二ツ目昇進
-----------------------------------------------------------------------------------

 落語協会の昨春の昇進者5人は、こうなっている。
-----------------------------------------------------------------------------------
林家ひろ木 2002(平成14)年入門、2005(平成17)年11月二ツ目昇進
春風亭朝也 2002(平成14)年5月入門、2005(平成17)年11月二ツ目昇進
柳家ろべえ 2003(平成15)年2月入門、2006(平成18)年5月二ツ目昇進 
三遊亭時松  2003(平成15)年4月入門、2006(平成18)年5月二ツ目昇進
鈴々舎馬るこ 2003(平成15)年5月入門、2006(平成18)年5月二ツ目昇進
-----------------------------------------------------------------------------------

 昨年の例で見られるように、どちらかと言うと、入門からの所用期間では、やや芸協側が落語協会よりも長い傾向があったので、私は来年の芸協の昇進はないだろうと思っていた。

 それが、春・秋で分けての昇進に加え、秋に小痴楽の単独とはねぇ。

 落語協会は春に歌之介の圓歌襲名披露興行があることもあってだろう、秋に四人が昇進。

 おや、秋ということは、小痴楽の披露目とぶつかる、ということ。

 先に落語協会が発表しているから、芸協は、それを知っていての決断。

 ということは、来年の九月下席は、こういうことになる。

 2019年9月21日~9月30日
  鈴本演芸場 落語協会真打昇進披露興行
  新宿末広亭 落語芸術協会真打昇進披露興行

 ワ~オ!

 これ、鈴本と袂を別った芸協の挑戦状と言えないだろうか。

 これで両者の復縁は、遠い先になりそうだが、まぁ、そんな簡単に埋まる溝ではないだろうから、こういう趣向も悪くないだろう。

 年の瀬に、来年の東京の落語界に刺激を与えるような、真打昇進のニュースであった。

by kogotokoubei | 2018-12-30 14:25 | 真打 | Comments(8)
 落語芸術協会のメールマガジンを読んで、少し驚いた。
 次のような真打昇進の案内が届いたのだ。

五月上席より瀧川鯉昇門下、瀧川鯉斗、三遊亭圓馬門下、橘ノ双葉、立川談幸門下、立川吉幸の三 名が真打に昇進いたします。また九月下席に柳亭楽輔門下、柳亭小痴楽が真打に昇進いたします。また2020年オリンピック開催の年の二月中席より、神田松鯉門下、神田松之丞が真打に昇進いたします。お楽しみに。

 同協会のホームページにも案内されている。
落語芸術協会サイトの該当ページ

 今年五月に昇進した二人とその後に続く二ツ目の入門と二ツ目昇進時期は次の通り。

桂 夏丸   2003(平成15)年3月入門、2007(平成19)年9月二ツ目昇進
神田 蘭   2004(平成16)年1月入門、2008(平成20)年7月二ツ目昇進
瀧川鯉斗   2005(平成17)年3月入門、2009(平成21)年4月二ツ目昇進
橘ノ双葉   2005(平成17)年3月入門、2009(平成21)年4月二ツ目昇進
柳亭小痴楽  2005(平成17)年10月入門、2009(平成21)年4月二ツ目昇進
昔昔亭A太郎  2006(平成18)年2月入門、2010(平成22)年2月二ツ目昇進
桂 伸三   2006(平成18)年4月入門、2010(平成22)年8月二ツ目昇進
三遊亭小笑  2007(平成19)年3月入門、2011(平成23)年4月二ツ目昇進
春風亭昇々  2007(平成19)年4月入門、2011(平成23)年4月二ツ目昇進
春風亭昇吉  2007(平成19)年3月入門、2011(平成23)年5月二ツ目昇進
笑福亭羽光  2007(平成19)年4月入門、2011(平成23)年5月二ツ目昇進

 神田蘭は講談なので、落語家は夏丸と鯉斗以下を比較すると、来年は昇進はなく、再来年、鯉斗、双葉、小痴楽の三人の昇進かと思っていた。

 まさか来年、鯉斗と双葉が春、秋に小痴楽の一人昇進、なんて抜擢昇進があろうとは思わなかったなぁ。
 とはいえ、夏丸は昨年の昇進でも不思議はなかったから、来年三人が昇進も、ありだったわけか。

 とにかく、落語芸術協会として、良い決定だと思う。

 入門が少し早かった鯉斗と双葉は先に昇進させ香盤では上にさせるが、小痴楽には一人昇進の栄誉を与える、というなかなかに心憎い抜擢昇進だ。
 
 もちろん、松之丞も彼の履歴を蘭と比べれば明らかだが、抜擢だ。

神田松之丞  2007(平成19)年11月入門、2012(平成24)年6月二ツ目昇進


 立川吉幸は、最初1997(平成9)年10月に快楽亭ブラックに入門しているので、ちょっと別格。
 2005(平成17)年8月 立川談幸門下になってから二年後に立川流の二ツ目昇進。
 三年前に落語芸術協会に入会し、一年間前座修業をしている。
 遅すぎたかもしれないが、妥当な昇進と言えるだろう。

 小痴楽の一人昇進は、落語協会の一之輔を思い出させてくれる。

 来秋の小痴楽、再来年の松之丞の一人昇進は、落語芸術協会として、良い企画だと思うし、二人とも、その実力はある。
 しかし、松之丞の人気がバブルだという意見は、変わらない^^

 ぜひ、先月の末広亭で私が小言を書いた中堅やベテラン陣に、良い刺激になって欲しい。

 一之輔、そして文菊と志ん陽の抜擢昇進以降、まったくの年功になった落語協会。
 好対照に、長年の年功横並び昇進から、一人昇進という特別の披露興行を行う芸協。

 今後、二つの協会がどんな動きをするか、なかなか、おもしろくなってきた。

by kogotokoubei | 2018-12-29 22:54 | 真打 | Comments(4)

今年のマイベスト十席

 さて、今年のマイベスト十席の発表。

 前回の記事で、複数の高座が候補となった人について、一席に絞るルールを今年も適用することにして、小満ん、白酒、兼好の各二席から一席に絞った。
 
 その結果、候補は次の十七席。

(1)柳家一琴『小言幸兵衛』
>池袋演芸場 1月下席 昼の部 1月25日
(2)桂かい枝『子は鎹』
>西のかい枝・東の兼好 横浜にぎわい座 2月13日
(3)三遊亭兼好『品川心中』
>西のかい枝・東の兼好 横浜にぎわい座 2月13日
(4)入船亭扇遊『明烏』
>第54回 三田落語会・昼席 仏教伝道センター 2月24日
(5)瀧川鯉昇『味噌蔵』
>二人三客の会 横浜にぎわい座 4月11日
(6)立川談幸『宗珉の滝』
>池袋演芸場 4月中席・夜の部 4月13日
(7)古今亭菊丸『片棒』
>横浜にぎわい寄席 5月2日
(8)柳家小満ん『花色木綿』
>柳家小満んの会 吉野町市民プラザ 5月17日
(9)柳家権太楼『猫の災難』
>池袋演芸場 六月上席 昼の部 6月8日
(10)桃月庵白酒『お見立て』
>池袋演芸場 上席 夜の部 6月8日
(11)春雨や雷蔵『子別れー通しー』
>国立演芸場 中席 6月19日
(12)三遊亭歌奴『御神酒徳利』
>新宿末広亭 下席 昼の部 6月29日
(13)立川龍志『片棒』
>龍志・志ん輔二人会 国立演芸場 7月29日
(14)古今亭志ん輔『船徳』
>龍志・志ん輔二人会 国立演芸場 7月29日
(15)柳家さん喬『五人廻し』
>鈴本夏まつり さん喬・権太楼特選集 8月16日
(16)柳家小ゑん『長い夜』
>新宿末広亭 12月下席 昼の部 12月24日
(17)むかし家今松『火事息子』
>新宿末広亭 12月下席 夜の部 12月24日


 候補が少ないから楽かというと、そんなことはなく、並べてみると、やはり悩む。
 七席を除外するのが、つらい・・・・・・。

 それぞれの高座のブログの内容を読めば読むほど、悩む。

 しかし、ここは心を鬼にして(少し大袈裟^^)選ぶことにしよう。

 では、今年のマイベスト十席は、こちら。
 ちなみに数字はあくまで聴いた時期が早い順であって、ランキングではない。


(1)桂かい枝『子は鎹』
>西のかい枝・東の兼好 横浜にぎわい座 2月13日
創作能力の高さを発揮した上方版『子別れ』を堪能!
 ブログではあらすじの紹介の後、こんな感想を書いていた。
2018年2月14日のブログ
この噺を上方に伝えたのは、円朝門下の二代目三遊亭円馬と言われており、その内容は柳派の『子別れ』と違って、子供が父親の元に残る、円朝作の『女の子別れ』だったようだ。
 しかし、噺家さんにもよるが、上方でも母親と子供が一緒に出て行く型も多いらしいし、実際、かい枝もそうだった。
 かい枝の高座は、泣きの場面にも程よく笑いどころを挟みながら、上方の噺家さんとしては(?)、落ち着きのある、人情噺に仕立てていた。
 中でも、熊と寅との再会、そして、サゲ前の復縁の場面が秀逸。
 わざとらしくなく、くどすぎず、親子、そして、男女の情愛のふれあう姿が描かれていたように思う。
 こういうネタも、しっかりこなすのが分かると、なおさら、文枝の名はこの人が継ぐべきだったなぁ、と思わずにはいられない。
 芸の幅広さを示した高座、今年のマイベスト十席候補とする。

(2)三遊亭兼好『品川心中』
>西のかい枝・東の兼好 横浜にぎわい座 2月13日
兼好流“通し”の高座で、「幕末太陽傳」の小沢昭一さんが目に浮かんだ!
 兼好の工夫について、ブログから引用。
2018年2月14日のブログ
 金蔵が、自分で用意した、頭には三角、下はツンツルテンの死装束を着たままお染に背中を押されて品川の海にドボン。
 この衣装の仕込みがあったので、改作の「下」にすんなりとつながった。
 そう、通しだったのだ。その遠浅の海から抜け出し、親分の家にやって来た場面あたりで約30分だったろうか。だから、例のドタバタでさげるかなぁ、と思っていたので、驚きながら、嬉しい誤算。
 親分はじめご一行が協力して、早桶に金蔵を入れて白木屋に連れて行き、「金蔵が幽霊で現れた、線香の一本も上げて供養しないと浮かばれない」、とお染に迫る、という展開になった。
 こういう下の描写、いったい誰の型なのか・・・オリジナルかな。
 私は聴いていて、『幕末太陽傳』の小沢昭一さんの金蔵役の姿を思い起こしていた。

(3)入船亭扇遊『明烏』
>第54回 三田落語会・昼席 仏教伝道センター 2月24日
三田落語会を締めくくる高座に、落語の王道を見た!
 王道という形容については、ブログの記事が裏付ける。
2018年2月25日のブログ
 こういう高座を、どう言えばいいのだろう。大いに、「変えないことの大事さ」を感じた。
 本来の筋、くすぐりを、一切いじっていない。
 時次郎が吉原でぐずる際は、「女郎を買うと、かさをかきます」もそのままだし、二宮金次郎も登場する。翌朝、ふられた男の小道具は、お決まり、甘納豆。
 噺本来の持ち味を、存分に引き出し、笑わせどころは、しっかり。
 この人ならではと思ったのは、時次郎の泣きじゃくる場面などに感じたが、それはそれで、大いに結構なのだ。
 数年前は、独演会はほとんど開かなかったこの人や一朝、今では独演会の数がなんと多くなったことか。
 六十歳半ば、本格派で艶もあり、今もっとも乗っている人かもしれない。
 すでに出来上がった噺は、そのままでも楽しいです、そのまま演ればいいんです、という確固たる哲学があるようにさえ思えた高座
 なお、三田落語会は、文化放送の支援で再開されるらしい。良かったね。

(4)瀧川鯉昇『味噌蔵』
>二人三客の会 横浜にぎわい座 4月11日
十八番の“食べる噺”で、睦会の後継落語会が沸いた!
2018年4月12日のブログ
 女房の実家に泊まるはずの旦那が帰った後のドタバタで、蛸の酢の物の大皿を股の下に隠す甚助さんの何とも言えない表情が、秀逸。
 その酔った甚助さんの、解読不能の言葉にも会場大爆笑。
 食べる場面は、お手のもの。
 たっぷりの山葵で刺身を挟んで食べた時の驚愕の表情や、芋の煮っころがしをフウフウしながら頬張る場面などは、面目躍如。
 三人とも十八番ネタの競演の中で、芸協を代表して(?)の好高座

(5)古今亭菊丸『片棒』
>横浜にぎわい寄席 5月2日
声よし芸よし、あらためてこの人の凄さを認識!
 次男鉄次郎の弔い計画について、こう書いていた。
2018年5月2日のブログ
 その色っぽい弔い行列の先頭は、頭(かしら)ご一行の木遣りだが、菊丸の声の良さに、いささか驚いた。
 よく通る高い声で、♪よ~~お~ん~やりよ~ぉ~、の一節。
 会場から自然と拍手が起こった。
 次に手古舞が、♪しゃらん、からん、とリズム良く続く。
 山車のケチ兵衛人形には、団子鼻の脇にホクロがあって、毛が二本出ているというリアルさ^^
 神輿がやって来て、♪テンテンテレツク、♪ワッセワッセ、♪チャンチャカチャン、という擬音で、なんとも賑やかな行列の光景が目に浮かぶ。
 花火が上がり、位牌のついたパラシュートが落ちてくるのを地上で待ち構えるのが、海老一染之助・染太郎。「いつもより多く廻ってます」で会場が大爆笑。

(6)柳家小満ん『花色木綿』
>柳家小満んの会 吉野町市民プラザ 5月17日
「軽妙洒脱」とは、まさにこの高座のこと!
 ブログの記事は結構長いのだが、後半のみご紹介。
2018年5月18日のブログ
 大家「布団の表は」「表は、にぎやか」などのトンチンカンな会話が、笑える。八五郎が、大家さんの家の布団と同じと言うと、「表が唐草、裏は花色木綿」ということになり、それからは、黒羽二重も帯も箪笥までも「裏は、花色木綿」と八五郎が馬鹿の一つ覚えで繰り返すのだが、分かっていても、実に笑える。
 そんな会話の中にも、大家は「蚊帳は一張り」「刀は、一振り」などと数えるんだと教える場面があり、落語はいろいろタメになるのだ。
 縁の下で聞いていた泥棒が、たまらず出て来て、八五郎に向かって「嘘つきは泥棒のはじまりだ」にも笑った。泥棒が八の嘘をバラしていると今度は八が縁の下へ。その八がまた出て来て、泥棒の科白を真似て、「ほんの、出来心でございます」でサゲ。この展開も、ありだろう。
 まさに、軽妙洒脱という形容が相応しい好高座

(7)柳家権太楼『猫の災難』
>池袋演芸場 六月上席 昼の部 6月8日
代々小さんの十八番をしっかり継承する名演!
 “小さんの噺”という理由は、ブログの記事でご確認のほどを。
2018年6月10日のブログ
途中の科白も楽しい。
 「あいつは、なんかアテがなきゃ飲まない・・・意地汚ねえんだよ」
 「どこまで行ってんだ・・・待つ身のつらさが分かんねぇのか」
 という熊の科白に、つい、熊に同情しそうになるのが、人間の性か^^
 この噺は、元々上方で三代目小さんが東京に移したもの。
 今では、柳家の十八番になっている。
 相棒が酒を買いに行く際に「三丁ばかり行くと、酢屋満てえ酒屋があるから」と熊は教えるが、これは五代目が家の近所にある酒屋の名を使った内容を踏襲している。
 二人目の師匠から継いだネタを、大事にしているなぁ、と思いながら聴いていた。

(8)桃月庵白酒『お見立て』
>池袋演芸場 上席 夜の部 6月8日
真骨頂のデフォルメの芸が生きた爆笑高座!
 昼の権太楼のみならず、居続けの夜も実に楽しいトリの高座だった。
2018年6月10日のブログ
 杢兵衛が、とにかく可笑しい。この人の持ち味は、いわばデフォルメの芸だが、田舎者の杢兵衛大尽の言葉や仕草の、まぁ凄いこと。
 また、この人ならではのクスグリのセンスの良さは、喜助の喜瀬川への言葉などで発揮される。喜瀬川が杢兵衛に会いたくないあまりに病気だとか死んだという嘘を平気でこしらえるのに対し、「また、腹にないことをいけしゃあしゃあと言えますね」という言葉も、実にタイミングよく挟まれるので、可笑しいのだ。
 喜助がお茶を目に塗って泣いた真似をしていると杢兵衛が、「喜助、茶殻が目についとるぞ」、喜助が「悲しいとこうなるんです」に「体質改善しろ」にも笑った。
 笑わないようにと喜助が自分の体をつねったりする仕草も、なんとも言えず楽しい。
 それでいて、噺本来の味は、決して壊していないのだ。

(9)立川龍志『片棒』
>龍志・志ん輔二人会 国立演芸場 7月29日
三人の息子と親との会話で、江戸の風が高座に吹いた!
 こんなことを書いていた。
2018年7月30日のブログ
 鉄が「菜漬けの樽を荒縄で巻いて」の言葉に「まるで罪人だね」と言うケチ兵衛だが、鉄のケチぶりに次第に感心していく。そして、サゲ。
 見事に三人の個性を描き分け、なかでも次男の銀が秀逸。
 五月に聴いた横浜にぎわい座での古今亭菊丸のこの噺も見事だったが、龍志も負けてはいない。
 菊丸は実に丁寧に三人の息子を描き、なかでも次男の唄が秀逸だった。その菊丸よりは龍志が描く銀のぞろっぺいな姿も、まさに江戸っ子で悪くない。江戸の風と粋、そんなものを感じさせてくれた高座

(10)むかし家今松『火事息子』
>新宿末広亭 12月下席 夜の部 12月24日
父と母の愛情表現の違いを描き、うつむく籐三郎の姿も浮かんだ名演!
 つい先日の記事だが、こう書いていた。
2018年12月26日のブログ
 母親は籐三郎に、「お父さんだって、お前のことをどれだけ気にかけていたか」と言うと、父親が「なにを言っている」というようなやり取りが二度、いや三度くらいあっただろうか。これで、そうか、父親だって、そうだろうとも、と聴く者も心が和むのだ。
 そして、母親が着物を持たせて、と言うと、父親が、「捨てなさい、捨てりゃ、拾うものもいるだろうから」の謎かけを母親が合点し、「そうですね、箪笥ごと捨てましょ、千両箱も捨てましょ」で聴く者が救われる。
 籐三郎の科白はないが、その表情が察せられる。きっと、涙ぐんで下を向いているのだろう。そんな姿も見えてきた今松の高座だった。


 なんとか、十席選ぶことができた。

 回数的にたくさん寄席や落語会に行けた前半の高座が多いのは当然のこと。

 さて、来年はどんな高座に出会えることやら。

 回数はともかく、まだ出会っていない噺家さんや、若手の高座、そして、コツコツ地道に続けている地域寄席などにも行ってみたいとは思っている。

 大晦日は目の前。

 今年は私の両親は九十を超えてまだ元気でいるが、連れ合いのほうはお父さんが二月に亡くなった。お母さんが今、入院中。お二人とも、昭和七年生まれ。

 自分が還暦をすでに過ぎている。

 健康が第一だなぁ、と思う日々。

 拙ブログをお読みいただいた皆さん、良いお年をお迎えください。

by kogotokoubei | 2018-12-28 21:27 | 寄席・落語会 | Comments(8)

寄席の逸品賞と特別賞

 先日の末広亭昼夜居続けをもって、今年の寄席・落語会はお開き。

 さて、今年もマイベスト十席を選ぶ時期となった。

 今年は、月に二回は行きたいものと思っていたが、日数的には、寄席・落語会に行ったのが十九日だった。

 そのうち、寄席で昼夜居続けをしたのが、四月中席の池袋、六月上席の池袋、六月下席の末広亭、十一月下席の末広亭、そして先日の師走下席末広亭と五回あるので、昼席と夜席をそれぞれ一席と計算するなら、計二十四席ということにならないでもない。

 数遊びにしか過ぎないけどね。

 来年は、なんとか月二回は行きたいなぁ。

 さて、それでは、数少ない回数ではあったが、今年のマイベスト十席候補、および寄席の逸品賞候補や特別賞候補に選んだ高座を、まず並べてみる。

(1)柳亭こみち『虱茶屋』
>池袋演芸場 1月下席 昼の部 1月25日
*寄席の逸品賞候補

(2)柳家一琴『小言幸兵衛』
>池袋演芸場 1月下席 昼の部 1月25日

(3)桂かい枝『子は鎹』
>西のかい枝・東の兼好 横浜にぎわい座 2月13日

(4)三遊亭兼好『品川心中』
>西のかい枝・東の兼好 横浜にぎわい座 2月13日

(5)三遊亭歌太郎『電報違い』
>八起寄席 焼肉八起 2月19日
*新人賞候補

(6)入船亭扇遊『明烏』
>第54回 三田落語会・昼席 仏教伝道センター 2月24日

(7)瀧川鯉昇『味噌蔵』
>二人三客の会 横浜にぎわい座 4月11日

(8)古今亭寿輔『堀の内』
>池袋演芸場 4月中席・夜の部 4月13日
*寄席の逸品賞候補

(9)立川談幸『宗珉の滝』
>池袋演芸場 4月中席・夜の部 4月13日

(10)古今亭菊丸『片棒』
>横浜にぎわい寄席 5月2日

(11)柳家小満ん『花色木綿』
(12)柳家小満ん『茶の湯』
>柳家小満んの会 吉野町市民プラザ 5月17日

(13)柳家甚語楼『お菊の皿』
>池袋演芸場 六月上席 昼の部 6月8日
*寄席の逸品賞候補

(14)柳家権太楼『猫の災難』
>池袋演芸場 六月上席 昼の部 6月8日

(15)蜃気楼龍玉『夏泥』
>池袋演芸場 六月上席 夜の部 6月8日
*寄席の逸品賞候補

(16)桂南喬『千早ふる』
>池袋演芸場 六月上席 夜の部 6月8日
*寄席の逸品賞候補

(17)桃月庵白酒『お見立て』
>池袋演芸場 上席 夜の部 6月8日

(18)春雨や雷蔵『子別れー通しー』
>国立演芸場 中席 6月19日

(19)三遊亭歌奴『御神酒徳利』
>新宿末広亭 下席 昼の部 6月29日

(20)桂南喬『出来心』途中まで&師匠小南の思い出
>新宿末広亭 下席 夜の部 6月29日
*寄席の逸品(ハプニング)賞候補

(21)立川龍志『片棒』
(22)古今亭志ん輔『船徳』
>龍志・志ん輔二人会 国立演芸場 7月29日

(23)春風亭一之輔『新聞記事』
>鈴本夏まつり さん喬・権太楼特選集 8月16日
*寄席の逸品賞候補

(24)柳家甚語楼『浮世根問』
>鈴本夏まつり さん喬・権太楼特選集 8月16日
*寄席の逸品賞候補

(25)柳家さん喬『五人廻し』
>鈴本夏まつり さん喬・権太楼特選集 8月16日

(26)三遊亭兼好『巌流島』
>名作落語の夕べ 横浜にぎわい座 10月6日

(27)桃月庵白酒『宿屋の富』
>名作落語の夕べ 横浜にぎわい座 10月6日

(28)三遊亭萬橘『紀州』
>新宿末広亭 11月下席 昼の部 11月25日
*寄席の逸品賞候補

(29)三遊亭金遊『開帳の雪隠』
>新宿末広亭 11月下席 昼の部 11月25日
*寄席の逸品賞候補

(30)柳家小満ん『悋気の火の玉』
>新宿末広亭 12月下席 昼の部 12月24日
*寄席の逸品賞候補

(31)柳家小ゑん『長い夜』
>新宿末広亭 12月下席 昼の部 12月24日

(32)桂南喬『金明竹』
>新宿末広亭 12月下席 夜の部 12月24日
*寄席の逸品賞候補

(33)むかし家今松『火事息子』
>新宿末広亭 12月下席 夜の部 12月24日

 赤いのが、マイベスト十席候補で、二十席。
 ピンクが、寄席の逸品賞などの特別賞候補。

 ここで悩むのが、これまでマイベスト十席では、同じ噺家さんからの複数選択を禁じてきたことだ。

 今年は、小満んが『花色木綿』『茶の湯』、白酒が『お見立て』『宿屋の富』、兼好が『品川心中』『巌流島』と重複している。

 ということは、それぞれ一席に絞ると、十七席から十席の選択、ということになるなぁ・・・・・・。

 まぁ、それでもいいか。

 一人一席ルール、継続しよう。

 ということで、小満んは、『花色木綿』、白酒は『お見立て』、兼好は『品川心中』を候補としたい。

 マイベスト十席で悩むのは後にして、まず、寄席の逸品賞と特別賞から。

 先に上期と下期に分けて、寄席の逸品賞を選ぶ。

<上期の寄席の逸品賞>
古今亭寿輔『堀の内』
>池袋演芸場 4月中席・夜の部 4月13日
 この人にしては、実に珍しい噺で、大笑いさせてもらった高座。
 自分の記事から引用する。
2018年4月15日のブログ
 最前列のお客さんが前日も来ていたことを思い出し、「ネタ、替えなきゃいけないじゃないの」と笑う。実際にネタを考えていたようで、「三年で四回位しか演らないネタ」と本編へ。
 家を出て間違えて着いた場所が浦安。途中で道を尋ねた人が走り出し「こら、逃げるなぁ」と言うと、「ジョギングしているんです」は可笑しかった。本来の内容に、独特のクスグリを挟むが、これが大爆笑。女房が金坊に「お父っつんに湯屋に連れてってもらいなさい」と言うと、「いやだ。それくらいならイスラム国に行く」は、少し旬を過ぎたネタとはいえ可笑しかった。
 三年で四回の信憑性はともかく、今年もっとも笑ったのが、この高座だったかもしれない。

<下期の寄席の逸品賞>
三遊亭萬橘『紀州』
>新宿末広亭 11月下席 昼の部 11月25日
 芸協の芝居に円楽一門からの交替出演での高座。全体に冷えた客席を一気に沸騰させた。
 こんなことを書いていた。
2018年11月26日のブログ
 地噺でいろいろクスグリを入れることができるネタである、豊川の実家へ帰る際、母親が新幹線の豊橋駅に迎えに来る時の様子などで、客席を爆笑させる。なるほど、その母にして、この子か^^
 クスグリ七割の噺だが、ネタの骨格として支える残り三割のうちで重要なのが、小田原城主大久保加賀守が尾州公と紀州公の前に進み出ての、「この度、七代将軍ご他界し、お跡目これなく、しも万民撫育(ぶいく)の為、任官あってしかるべし」の科白。これを聞いて思い出した。数年前、私がテニス仲間との旅行の宴会で披露した時には、この科白を言わなかった。そうか、この科白入れて、また、やってみようか^^
 きつつき時代から、非凡なものを感じていたが、ますますパワーアップしていると認識させた高座だった。
 来年、この高座を参考にして、仲間内の宴会の余興で披露しようかと、今は思っている。
 
 さて、次に特別賞。

 まずは、新人賞は、候補とした高座が一つだったので、迷うことなく決定。

<新人賞>
三遊亭歌太郎『電報違い』
>八起寄席 焼肉八起 2月19日
 結果として、今年一度だけ行けた八起寄席の歌太郎。
 この珍しいネタの一部あらすじを含め、当時の記事から引用。
2018年2月20日のブログ
 初代三遊亭円歌の作品で、大師匠の三代目円歌も持ちネタにしていた作品。
 石町の生薬屋の旦那と出入りの植木屋の信太(しんた)が旅に出て、名古屋で心中しようとする若い男女に遭遇して、その二人を助けたことから、帰宅する予定が遅れることになった。旦那が信太に「明日帰れんから、そう電報を打ってくれ」と頼む。
 信太が郵便局に行き『アスアサケエレン』の電報を頼むのだが、担当の職員に、旅の途中の横浜、静岡の遊郭で女にもてすぎて弱った、などと長々話し続ける場面が、聴かせどころだ。
 この場面、『粗忽の釘』で、八五郎がお隣に行って女房との馴れ初めをくどくど聞かせたり、『小言幸兵衛』で、仕立屋を前に、幸兵衛が妄想話を聞かせるのに、似た要素を持った話ともいえる。『うどん屋』の酔っ払いと、うどん屋の会話にも似てなくはない。
 さんざん、どうでもいい話を聞かされた郵便局の職員。
 「分かりました。では電文は『アスアサケエレン』ですね。で、誰のお名前で」
 「ダンナだよ」
 「そのダンナお名前は?」
 「昔から旦那で通っているので、名前は知らねぇ。そうだ、その下に
  俺の名前のシンタと入れておいてくれ」
 ということで、どういう電文になるかは、お察しの通り。
 生では初めて聴くことができた。こういう噺を継承してくれるのは、私は実に嬉しい。
 この日の一席目のマクラでは、昨年のNHK新人演芸大賞での裏話を話してくれたことを思い出す。
 若手が、こういうネタを演ってくれるのは、嬉しい。かつての名作で埃をかぶっている噺がどれだけあるだろうか。
 この人の高座、客席を明るくさせる力を持っている。今後も期待したい。


 次に、他の高座を寄席の逸品賞候補の複数の高座も良かったのだが、こちらの賞で選んだあの人のあの高座。

<寄席のハプニング大賞>
桂南喬『出来心』途中まで&師匠小南の思い出
>新宿末広亭 下席 夜の部 6月29日
2018年7月1日のブログ
 膝前は、大好きなこの人。ネタを三分の一位進めたとことで、前座がネタ帳を持って出て来た。ネタがツイたようだ。ということは、私が入場する前になるなぁ。
 開口一番ではないだろうし、二ツ目でもなかろう。きく麿か文蔵の代演の燕路だろうか。
 南喬も、他のネタを急いで考えていたようだが、持ち時間を考え、前座時代の師匠先代桂小南の思い出を語ってくれた。
 真夏の地域落語会がハネたあとに喉が渇いたので、師匠に言われて自動販売機で飲物を買ったのだが・・・という二つの逸話の内容は、秘密。
 こういうハプニングも、寄席の楽しみだねぇ^^
 ネタがツクというハプニングでは、2010年10月に、末広亭での三遊亭鬼丸の真打昇進披露興行での正蔵を思い出す。
 披露目の口上の司会で馬風を飛ばして小三治を紹介して馬風に睨まれやり直した。
 後半、クイツキが正蔵で、彼が高座に上がると馬風が袖に顔を出し、睨みつけた。まぁ、お遊びなのだが、やや動揺した正蔵が、十八番の『味噌豆』を始めると、楽屋から前座が飛び出して耳打ち。噺がツイたのだ。司会のことを考えていて、ネタ帳をしっかり見なかったようだ。結局『ハンカチ』に替えたが、なんとも情けない高座だった。
 
 それと比較すると南喬は堂々としたもので、残り時間を考え、得がたい師匠小南との旅の逸話を聞かせてくれた。なかなか、あんな高座には出会えないなぁ。

 さて、ということで、寄席の逸品賞と特別賞は以上。

 次回は、マイベスト十席の選択になる。


by kogotokoubei | 2018-12-27 08:56 | 寄席・落語会 | Comments(4)
 さて、末広亭の夜の部。

 客席は、椅子席は七割ほどで始まり、入れ替わりはあったが、ほぼ終演まで変わらなかったように思う。
 桟敷は、三割位で始まり、その後五割位になって、仲入りで再び三割程度に減ったように思う。今松のトリがあるのに、仲入りで帰ったアベックを数組見かけたが、クリスマス・イブのディナータイムだったのだろうか・・・・・・。
 また、仲入りから入場した方は、真の今松ファン(?)かと察する。

 出演順に、感想などを記す。

三遊亭ぐんま『二人旅』 (9分、16:49~)
 今年一月池袋の下席で『芋俵』を聴いており、二度目。白鳥の二番弟子。
 茶屋の婆さんが、なかなか可笑しい。
 選んだ師匠から察するに新作をやりたいのかと思うが、こういう古典をしっかり稽古することで、基礎ができていくと思うし、潜在能力はあるように思う。
 それにしても、少し髪の毛が伸びてきたなぁ。
 もう少し見た目がすっきりしていれば、高座全体の印象も良くなるのだが。

初音家左吉『たらちね』 (12分)
 今年は六月の池袋で『代書屋』を聴いている。
 来年九月に真打昇進が決まっているが、精進する必要があるだろう。
 前回も書いているように、見た目は林家しん平に似た派手さがあるのだが、高座が地味すぎる。メリハリというか、何と言うか、表現が難しいのだが、華が欲しい。

丸山おさむ 声帯模写 (9分)
 昭和天皇、そして、秀樹、ひろみ、五郎の御三家(新御三家?)のマネ。
 似ているかどうかはともかく、昭和天皇のマネ、まったく笑えない。

古今亭志ん丸『あくび指南』 (14分)
 この人、結構好きだ。
 個性的な見た目と声、実に落語家らしい(?)人。
 短縮版ではあったが、稽古ごとで入門時に師匠に渡す「膝付き」なんて言葉も登場させるところが、なかなか結構。
 実は、今年、大学の同期会での旅行とテニス仲間との合宿の宴会で披露した『真田小僧』は、この人の音源(かつてニフティが主催していた「ぽっどきゃしゅてぃんぐ落語」)を元にしていた。「薩摩へ落ちたか」のフルバージョンで、実に良いのだ。

古今亭菊之丞『長短』 (13分)
 長さんが上方出身という型は、初めてのはず。
 芸達者は、どんな噺もしっかりこなすなぁ、と感心しながら聴いていた。
 短七の気短さが、実にスピーディかつリズミカルで楽しい。
 その短七が煙草を「三十数服」吸った、という設定だけ、ちょっと違和感があったが、短いながらも久しぶりにこの人の高座を堪能。

ストレート松浦 ジャグリング (12分)
 いつもながらの卓越した芸。特に、デビルスティック(両手の棒で傘などを空中に引き上げる芸)は見事。しかし、ボール(お手玉)で、珍しい落球。勝丸と同様、この日、ピン芸の色物さんには、厄日だったかも^^

橘家半蔵『桃太郎』 (14分)
 ずいぶん久しぶりだと思って調べたら、六年前、2012年の同じ師走下席で、『祇園会』を聴いていた。ほとんど忘れているが、その時のトリの今松の『品川心中ー通しー』は、結構覚えているのだ。
 円蔵の弟子らしい明るさは結構なのだが、今一つ笑えなかった。

桂文雀『風の神送り』 (13分)
 この人は、他の噺家さんではあまり聴かない『木火土金水(もっかどこんすい)』や『虎の子』などを演ってくれるので、楽しみだったが、この日はこのネタ。
 ということは、今松は、この噺ではない、ということ^^
 今松以外では、東京の噺家さんで初めてだが、なかなか楽しい高座。
 もう少しだけ体格が増えると、良い味が出るとは思うが、それはなかなか難しいかもしれない。今のままで、珍しいネタを取り上げ、歌丸さんのような芸風を目指すのも悪くないかもしれない。

ぺぺ桜井 ギター漫談 (13分)
 ギターは、聴く者を少しハラハラさせるが、出演していただけるだけで、嬉しい。

三遊亭歌之介『母ちゃんのアンカ』 (16分)
 客席は昼の部ほどはノリが良くないせいもあって、この人にしては、マクラで笑いが起こらない。そんな空気からのネタ選びかと察する。
 いわば、この人の作品の中では、人情ものだが、この日はノリが今一つだったかな。
 来年の円歌襲名披露興行には、なんとか駆けつけたいものだ。

桂南喬『金明竹』 (16分)
 仲入りは、大好きな、この人。
 高座に登場する姿から、なんとも言えず、良いのだよ。
 短縮版で、「骨皮」の前半は割愛し、いきなり謎の上方者が登場。
 例の口上は、三回だったが、与太郎もお内儀さんも実に結構。
 噺家によって口上の内容は違うが、私も覚えている三代目金馬の型だった。
 
 ここで道具七品について、薀蓄を。
e0337777_11114790.jpg

佐藤光房著『合本 東京落語地図』(朝日文庫)
 佐藤光房著『合本 東京落語地図』からは、何度か記事で引用しているが、この本に道具七品の説明があるので、少し長くなるが、せっかくなので(?)ご紹介。

 「祐乗、光乗、宗乗」は室町から江戸時代まで続いた金工の後藤家の初代、四代、二代。金馬はなぜか光乗と宗乗の順序を入れ違えていた。「三所物」は刀剣の付属品で目ぬき、小づか、こうがい。
 「備前長船則光」は備前物の代表的な名刀だ。「横谷宗珉」は後藤家と張り合った江戸時代の金工。「四分一こしらえ」は銅三に銀一の合金。「柄前」は刀の柄、またはその体裁。
 「古たがや」は「古鉄刀木」。鉄刀木(たがやさん)はマレーなどに自生するマメ科の高木で、堅牢美麗な建築器具材料。
 「埋もれ木」は地層に久しく埋もれて堅く炭化した木。
 「黄檗山」は京都宇治にある万福寺の山号。ここに「金明竹」という中国伝来の竹が産したらしい。
 (中 略)
 「のんこう」は京都の楽焼本家の三代、道入の俗称。
 「風羅坊」は芭蕉の俳号の一つ。「正筆」は「真筆」。
 「沢庵」は、たくあん漬を発明した徳川初期の禅僧。「木庵」は、承応三年(1654)に中国からインゲン豆を持って来て黄檗山万福寺を開いた「隠元」の弟子で、万福寺の二世。この三人の書画を交ぜて張ったのが「張り交ぜの小びょうぶ」。
 最初にテニス仲間との旅行の宴会でこの噺を披露した時は、上記のような内容を箇条書きにしたメモを用意して配布したことを思い出す。

 あらためて南喬の高座。こういう前座噺でも、芸達者が演るとこれだけ味が出る、という見本のような高座、寄席の逸品賞候補として、をつけておこう。

 仲入りで一服しながら、居残り仲間に途中報告のメール^^
 
 さて、後半だ。

柳家さん助『十徳』 (12分)
 二ツ目さん弥時代にはよく聴いたが、さん助では初だ。
 この出番がクイツキと言って、「席亭から、寝ているお客さんの肩に食いつけ」と言われている、と笑わせる。
 この噺、二年前に「柳家喬太郎プロデュース」と題した“とみん特選寄席”で、辰のこで聴いて以来。
2016年8月23日のブログ
 ちなみにこの会は、居残り仲間のお一人M女史が運営に関わっていらっしゃって、来年二月にも、喬太郎プロデュースの会が開催されるのだ。末広亭にもチラシがあった。
 ご興味のある方は、ぜひこちらの都民劇場のサイトでご確認のほどを。
都民劇場のサイトの「とみん特選小劇場」のページ
 さて、この噺。「十徳(じっとく)」が分からないと、噺を聴いていてもイメージが湧きにくい。以前にも紹介したことがあるが、落語を調べる際、度々お世話になる「落語の舞台を歩く」のサイトから図を含めて、ご紹介。
落語の舞台を歩く「十徳」
e0337777_11074806.gif

(僧服の「直綴(じきとつ)」の転という) 衣服の名。素襖(すおう)に似て脇を縫いつけたもの。武士は葛布(くずふ)で白または黒、胸紐あり、中間(ちゅうげん)・小者・輿舁(こしかき)などは布を用い胸紐がなく、四幅袴(よのばかま)を用いる。鎌倉末期に始まり、室町時代には旅行服とした。江戸時代には儒者・医師・絵師などの外出に用い、絽・紗などで作り、黒色無文、共切れ平絎(ひらぐけ)の短い紐をつけ、腰から下に襞(ひだ)をつけて袴を略した。
 「じきとつ」--->「じっとく」なんだねぇ。
 「十徳」もそうだし、上記の説明文にも「葛布(くずふ)」や「中間(ちゅうげん)」など、ルビをふらなくては分からない言葉が、時代とともに増えていく。
 だからこそ、落語の存在価値もあると、思うのだ。
 さて、さん助の高座だが、得意がって両国橋や一石橋の名の由来を語る隠居の表情が生き生きしており、しっかりクイツキの役割を果たした。二ツ目の頃に聴いた『かぼちゃ屋』や『もぐら泥』『熊の皮』などを思い出すが、この人の真打としての高座、もっと聴きたくなった。

ホームラン 漫才 (11分)
 正月の某局のテレビに出演するかもしれないが、もしかすると出ないことになるかもしれないから、詳しいことはネットで書かないで、とのこと。
 だから、秘密^^
 もし出演する場合のネタを披露してくれた。ぜひ、テレビで確認したいものだ。

桂ひな太郎 漫談 (14分)
 六十五歳以上の四人に一人が認知症になり、四人に二人は癌になる、などの話は、そのまま暗いムードのまま転換せず、笑いに結びつかないまま、なんとも盛り上がりのない漫談になった。
 この人は、成年後見制度普及のための成年後見落語を自治体の要請を受けて行っているらしいが、そういった会でのマクラと寄席とは違う。
 かつての志ん朝門下の志ん上ではないか。漫談でもいいから、笑いになる一席を願いたい。さん助やホームランが温めた客席が冷え切った。

桂才賀『カラオケ刑務所』 (14分)
 新作落語台本募集企画の二年前の準優勝作品という説明、実は二年前にも聴いている^^
 客席の笑いはとつことができたが、私としては、漫談でもいいので、そろそろこの噺以外の高座に出会いたい。とはいえ、数年前は合びき(小さい座椅子)が必要だったことを思うと、元気な高座を聴くことができたことを喜ぶべきか。

鏡味仙三郎社中 太神楽 (7分)
 たった七分で、主要演目を披露し、失敗なし。流石である。

むかし家今松『火事息子』 (35分、~21:05)
 さて、トリの今松。
 どんな噺を聴かせてくれるかと思いきや、「江戸では火事が~」と、この噺。
 嬉しいじゃないの。
 今松は、そのイメージに反して(?)、表情豊かに登場人物を演じ分けることを、この高座でも再認識した。まず、籐三郎を育てた婆や(乳母?)の表情が、なんとも良い。
 また、番頭の人の良さが、その造形からしっかり伝わる。
 この番頭は、この噺の重要な鍵を握っており、江戸でも大店の質屋である伊勢屋を勘当になった息子の籐三郎が、家々の屋根を伝って伊勢屋の蔵の上で、番頭が目塗りをするのに四苦八苦している場面で登場するわけだし、その籐三郎と会うのを拒む父親に、「(今は)他人だからこそ、会ってお礼をすべきではないですか」と諭すのも、彼だ。
 その番頭が、実によく描けている。
 また、この噺の勘所は、もちろん、後半の親子の対面。
 父親は、最初よそよそしい態度。
 火事見舞いに籐三郎と同じ年齢の若旦那が立派な姿を見せたことを思い出してもいたのだろう。その彫り物を見て、「大層立派な絵が描けましたねぇ・・・孝経の一つくらい読みなすったろう、敢えて毀傷せざるを孝の始めとす、身体に傷をつけないのが孝行の始めだというじゃないか」と皮肉たっぷりな言葉を発してしまう。
 これ、籐三郎には、キツイ。しかし、この緊張感が、息子が来たと聞いて、膝の猫を放り出して(猫好きは嫌な場面か^^)会いに出てくる母親の姿、言葉で緩和される。
 母親は籐三郎に、「お父さんだって、お前のことをどれだけ気にかけていたか」と言うと、父親が「なにを言っている」というようなやり取りが二度、いや三度くらいあっただろうか。これで、そうか、父親だって、そうだろうとも、と聴く者も心が和むのだ。
 そして、母親が着物を持たせて、と言うと、父親が、「捨てなさい、捨てりゃ、拾うものもいるだろうから」の謎かけを母親が合点し、「そうですね、箪笥ごと捨てましょ、千両箱も捨てましょ」で聴く者が救われる。
 籐三郎の科白はないが、その表情が察せられる。きっと、涙ぐんで下を向いているのだろう。そんな姿も見えてきた今松の高座だった。
 師走、私の落語納めを見事に締めくくってくれた高座、今年のマイベスト十席候補とする。

 まったくの蛇足ながら、この後、あの親子はどうなるのか、ということについて。
e0337777_11273184.jpg

江國滋著『落語手帖』
 江國滋さんの、処女作であり最高傑作と私が思う『落語手帖』で、桂三木助のこの噺を元に巻頭の章を綴っているが、三木助に、生前、このあとどうなるんだろう、と尋ねたことがあるらしい。
 その際の三木助の返事から、引用。
「そうですなァ。兄なり弟があれば別ですが、一人っ子ですし、まあ親も折れ、子も折れして、近いうちに家へ帰ってくるでしょうね。父親も公けに許すというのではなくて一応“黙許”という形でね。そいで昼間は老舗の若旦那として店に出て、火事だけは、ま、こりゃ趣味としてね・・・・・・。ええ、ガエンの足を洗うことも、親方に手土産でも持っていって、みんなを集めて、今度堅気になりますっていえば、それで大丈夫でしょう」
 という。これまた滋味掬すべき名解釈をあたえてくれたのである。

 なるほど、さすが三木助。

 野暮を承知ながら、こんな『火事息子』後日談を想像することも、悪くない。


 昼の開口一番から、九時間余りの、本年の落語納めだった。

 昼は主任の小ゑんをはじめとして新作を楽しみ、夜は、古典本寸法を堪能した、そんな一日。
 思った以上に、足腰に痛みなどはなく、まだまだ若い、などと思いながら、帰路についた。


 さぁ、後は今年のマイベスト十席を選ばなきゃ。

 少ない選択肢とはいえ、なかなかに難しいのである、これが。

 一人一席の縛り、どうしたものか、そんなことに悩んでいる師走である。


by kogotokoubei | 2018-12-26 12:47 | 寄席・落語会 | Comments(4)
 昨日は、なんとか一日時間ができたので、今年の落語聴き納めとして、末広亭の昼夜居続けを決行(?)することにした。

 昼の部の主任は、小ゑん。
 夜の部の主任は、今年で最後となる今松。
 他の顔付けも悪くないこともあるが、やはり、師走を締める今松の最後の高座は、聴きたかった。

 11時40分頃に入場。
 椅子席はほぼ満席だったが、桟敷には余裕があって、好きな下手に場所を確保。

 まずは昼席から、出演順に感想などを記す。

春風亭与いち『道灌』 (8分、11:55~)
 開口一番は、初めて聴く一之輔の弟子。
 見た目は、ほぼサラリーマン(死語か?)風。
 妙な癖はなさそうだ。しばらくしてまた聴いてみたい。

鈴々舎八ゑ馬『?』 (9分)
 大阪出身の馬風門下の人だが、初めて。
 新作で、噺家に弟子入りするのを代行業者が行う、という内容なのだが、つまらない。柔らかな良い雰囲気を醸し出しているので、そのうち他のネタを聴きたいものだ。

林家楽一 紙切り (9分)
 ご挨拶代わりの「横綱の土俵入り」からリクエストで「駅伝」「藤娘」。
 体を揺らさないのは師匠とは逆の芸風を狙ってのことだろうが、なんとも言えない不思議な味を出してきたなぁ。

柳亭左龍『英会話』 (10分)
 この人で新作を聴くのは初めてだと思う。
 柳家金語楼作で、当代では古今亭寿輔が十八番としている。
 子供が英語を習いたいということで、家族の会話をすべて英語でしよう、ということからのお笑い。お母さんが「ママ」なら、お父さんは「マスター」なんてぇギャグは、今でも笑える。子供から「犬は?」と聞かれ父親が「ドッグ」、「猫は?」で「キャット」・・・「河童は?」で答えられないので子供が「レインコート」なんてぇやりとりには、『真田小僧』的な味もある。
 持ち味の目の表情が、父親の演技で光る。
 兄弟子の影響もあるのだろうが、たまには新作も悪くないし、この噺はニンだと思う。

古今亭志ん好『うなぎや』 (12分)
 ずいぶん久しぶりだなぁと思い、過去の記事を探ってみたら、白酒が横浜にぎわい座の地下秘密倶楽部(?)のげシャーレで「白酒ばなし」をしていた時の2009年10月、二ツ目志ん公で『厩火事』を聴いて以来。
2009年10月30日のブログ
 元は志ん五の弟子だった人でその後、志ん橋門下。
 古典的な容貌(?)で、明るき芸風というイメージはあるのだが、どうもリズムが今一つ良くない。
 途中の客と鰻屋の主とのやりとりではなかなか良い味を出していたので、残念。
 化ける要素は持っていると思う。
 三年後輩の弟弟子志ん八が二代目志ん五を継いだ。ぜひ、彼と一緒に、初代志ん五の芸を継承するため精進して欲しい。

林家ペー 漫談 (14分)
 いつものように根岸ネタから。
 ちなみに、途中で、二階席が開いた。
 赤羽のネタで、エレファントカシマシの歌(「♪今宵の月のように」)を一節披露したのに加え、八王子のネタからユーミンの「♪ルージュの伝言」をフルコーラス。
 ギターを抱えて歌えば、もっと良かったのにとは思うが、昭和16年生まれの喜寿とは思えない、若々しい歌を聴けて良かった。

春風亭勢朝 漫談 (15分)
 この人の漫談は、ほぼ一席のネタと言えるかもしれない。
 とにかく、引き出しが多い人だ。
 新しいところでは、文覚上人のことに少し触れて、「講釈師は客を見下しているところがある、特に最近人気の○○○」などと、刺激的な発言^^
 
林家正蔵 漫談&『味噌豆』 (13分)
 ペーが自分をいじった話を忘れてくれと言って客席は沸いたが、私は笑えなかったなぁ。いつものようなとりとめのないネタから、毎度のこのネタ。
 協会副会長としては、なんともむなしい高座と言わざるを得ない。

東京ガールズ 邦楽バラエティ (14分)
 「品川甚句」から「お伊勢参り」「勧進帳」へ。
 この人たちの芸は、聴けば聴くほど好きになってきた。
 三味線の基礎がしっかりしているなぁ、と思う。
 柳家紫文の弟子で、師匠の小料理屋の客だったことから入門とされているが、相当稽古に励んだのだろう。

鈴々舎馬桜『歯ンデレラ』 (15分)
 正雀の代演。
 前座が高座に、合びき(小さな座椅子)を用意した。
 後で馬桜のホームページを見て、高座に復帰したばかりであることを知った。
鈴々舎馬桜のHP
 このように書かれている。
昨年12月16日に「右足下肢性筋膜炎」で115日間の入院生活を送りました。
お陰様で四月に一度退院しましたが、9月に原因不明で再入院した時はさすがに能天気な私も緊張しましたが、こちらも先生の診察通りに二週間で退院出来ました。
 この後、今月同じ末広亭の上席、林家きく麿主任の席から復帰したことや、きく麿がこの噺の作者であることも書かれていた。
 シンデレラは残した靴が彼女を見つけるための重要な鍵となったが、その靴に代わるのが、入れ歯、という設定の新作。
 可笑しくはあるが、このネタを聴きながら弁当は食べにくいかな^^

柳家小団治『子ほめ』 (13分)
 昨年四月の末広亭で『ぜんざい公社』を聴いて以来。マクラは、オリンピックの金、銀、銅についての、前回と同じ内容。
 今回も、マクラの方が笑いを取っていたように思う。
 なんとも言いにくいのだが、昭和19年生まれという年齢相応の味わいを感じられないのが残念。

アサダ二世 奇術 (10分)
 師匠アダチ龍光が、昭和天皇に披露したという伝説(?)のネタ「パン時計」を披露。調べてみると、昭和46(1971)年の五月に開催された天皇の古希を祝う会での出し物だったようだ。何度もこの人の奇術は見ているのだが、初めてかと思う。
 なかなか見事。「今日は、ちゃんとやります」は嘘じゃなかった^^

柳家小満ん『悋気の火の玉』 (16分)
 仲入りは、大好きなこの人。
 最初の師匠文楽譲りのネタ、実は初めて・・・だと思う。
 花川戸の実家の本妻と、元花魁を囲った根岸の妾が、お互い藁人形で相手を呪い殺そうとして、五寸釘から始まってだんだん釘が長くなる。ついに、妾、そして本妻が相次いで亡くなるが、没後も火の玉となって花川戸と根岸から飛んできて、大音寺門前あたりで死闘を演じる。なんとも怖ろしい女の執念。
 本妻が生前よく言っていた「どうせ私のお給仕じゃ、おいしくありませんでしょ、フン」という科白がサゲで活きる。
 小品と言えるかもしれないが、二人の女性の造形、その二人に挟まれてなんとも情けない旦那の姿が生き生きとしてて、小満んならではの好高座。

 なぜ、火の玉が衝突するのが大音寺門前なのか。

 以前、池内紀さんの本『はなしの名人-東京落語地誌-』から紹介したことがある。
2016年6月24日のブログ
 池内さん、落語の舞台を散策し、このように書かれていた。
 本堂にすすんでいく途中、左手にニューと立っている、大きなまっ黒の石に気がついた。角の一方が削(そ)いだように欠け、基底に近いところも欠け落ちていて、奇妙なバランスで立っている。となりあった二面に文字が刻まれており、正面はおそろしく太い字体で「南無阿弥陀仏」、左面の細字は闇に沈んで読みとれない。ライターをつけて、おもうさま上にかざした。小さな炎のなかに、端麗な細字がクッキリと浮き出した。「為安政横死墓」。右肩に安政二年十月二日の日付。
 西暦でいうと1855年である。秋十月のこの日、江戸は大地震にみまわれた。世に安政大地震といわれるもので、倒壊、焼失家屋一万四千戸。死者四千余。いたるところで火事がおこり、浅草から千足にかけてもまた壊滅。吉原田んぼは死者で埋まった。
 落語は意味深い地誌をきっちりおさえている。ここは死者たちのつねに立ちもどるところなのだ。悋気のあげくの人魂もまた、落ち合うところは大音寺でなくてはならない。「悋気の火の玉」の舞台は慎重に選ばれ、意味深く語りつがれてきた。ここにはいまもなお、夜ごとにものさびしげな人魂があらわれ、人知れず消えていく。
 なるほど、大音寺が選ばれた理由は、十分にあるねぇ。

 この高座、寄席の逸品賞候補として、色をつけておく。

 仲入りで一服。
 落語愛好家のお仲間にメールで途中報告^^

 さぁ、後半。

林家彦いち『長島の満月』 (12分)
 マクラでは、大学時代の空手部の先輩が自分が主任の寄席に来て声をかけてくれたのはいいが・・・というネタでクイツキとしての役割を十分に果たし客席を温めた。
 本編は初めて聴いたが、後で調べると、CDにもなっているし、この噺を元にした絵本もある、知る人ぞ知るネタのようだ。
 ちなみに、彦いちは自分の体験を元にしたこの噺のような新作を、自分落語と称している。
 まず、この長島とは、彦いちが小学生時代を過ごした鹿児島と熊本の中間あたりにある島のこと。 高座でもそう説明していたが、まったくイメージが湧かなかった。
 そこで、鹿児島県長島町のサイトから、地図を拝借。
鹿児島県長島町のHP
e0337777_13334483.png

 なるほど、鹿児島と熊本との間の海に、浮んだ島だ。
 海流が強く、かつては船もこの島を遠回りして運航したと言われる、近くて遠い島。
 ネタはほんのサワリだけだったが、こんな内容。
 小学生時代を長島で過ごした男、安田(もちろん、モデルは彦いち)が、大学で合コンに参加。いわゆる「あるある」ネタでの会話になり、小学校の給食の思い出を順に話していくのだが、安田はじっくり思い出して「たまに、漁師さんが連った魚の刺身が出た」と言うと、「そんなわけねぇだろう」と反論される。
 長島では、小学生時代に、どういうものか知るために、役場の前に信号機ができた、そういう場所なのである。
 だから、都会で育った同級生の「あるある」ネタとは、大いなるギャップが、あるある、なのだ。
 北海道の田舎で育った私は、この感覚、少し分かる。テレビだって小学生時代には、民放が二局しかなかったから、学生時代、テレビの話題なので同級生と話が噛み合わないことがあったものだ。
 同じ国に住んでいたって、地域差によるカルチャー・ショックは存在する。
 だから、彦いちの高座、合コンの会話を聞いていて、「あるある」と私は頷いていた。
 この噺、全編を聴いてみたくなった。

ロケット団 漫才 (15分)
 十八番の四字熟語ネタなどで客席を沸かせた。
 大谷翔平と大仁田厚のネタ、萩本欽一の「欽ちゃん」と北朝鮮の「金」ちゃんのネタ、何度聞いても可笑しい。

林家しん平 漫談 (11分)
 黒紋付で登場したので、「さて、何をやる!?」と思ったが、漫談。
 浮気がばれないためには、家で携帯をいじらない、などの実体験に基づいた(?)話など。
 この人、古典ネタだったいろいろ持っているんだけどなぁ。
 昼は主任を含め新作派が多かっただけに、短くても古典ネタが聴きたかった。

夢月亭清麿『東急駅長会議』 (18分)
 権太楼と同じ、柳家つばめの弟子だった人として名前は知っていたが、生で聴くのは初。
 東急の駅長の集まる会議というネタで、駅そのものが擬人化されている。
 渋谷が議長役。それぞれの駅に不満がある。
 たとえば、目黒区の中心地にあるのに急行が止まらないことに不満を述べる祐天寺、など。
 議論の結果、各駅停車駅が多いので多数決の結果、10月9日「東急の日」1日だけ、急行停車駅と各駅停車駅とを入れ替えることとなった。
 その記念の日、妙蓮寺から老夫婦が、墓参のため祐天寺まで急行に乗る。
 たまたま新幹線に近いというだけで急行停車駅になった菊名を通過して喜ぶ夫婦が可笑しかった。また、昔は駅が汚かったくせに、南武線を不当に差別していた武蔵小杉を通過することにも喜ぶ夫婦は、「多摩川」「田園調布」「自由が丘」の3駅をも通過して快感を覚えていた。
 結構知っている路線なので、私も客席のお客さんと一緒に笑えたなぁ。
 古今亭駒治は、この噺に刺激を受けて創作したのか、などと思っていた。

翁家勝丸 太神楽 (14分)
 膝代わりは、この人。
 珍しく花籠鞠で、鞠を二個同時に移動させる夫婦鞠を三度失敗。一回目はネタか、と思ったが、二度目、三度目はネタではなかったと思う。
 結構、冷や汗をかいたのではなかろうか。
 なんとか締めくくったが、夜のストレート松浦にも、この失敗が伝染したような気がする。

柳家小ゑん『長い夜』 (33分、~16:39)
 ICレコーダーで高座を録音しようと思っても私は分かる、目黒の電気屋の倅だから、その手つきでメーカーだって分かる、というマクラは、定番ながら笑える。
 あの有名人が結婚式をあげた教会の幼稚園を卒業、というネタも可笑しかった。
 牧師に「今日は結婚式が多いですねぇ」と聞くと「大安だから」というのは、事実ではなかろうか^^
 この日、新作が多かったことにふれ、新作を創るのに擬人化をすることは安易だと、自嘲気味の批判。「たとえば、おでんが喋るとか」など自作を俎上にあげてから本編へ。
 初めて聴いた。
 「私は、空である」という男性のような「空」さんと、「私は大地です」という女性のような「大地」さんが登場。何ともスケールの大きな擬人化^^
 果たしてこれは天地創造のネタか、などと思っていたら、「空」が、「どれほど人間が進化したか見てみよう」ということで、天空から地球、それも日本を眺める、という設定。
 順番にこんな光景が登場する。
 ①高田馬場のスタバでお茶しようとしている女子大生
 ②新橋の居酒屋(チェーンの名は割愛^^)で飲んでいるサラリーマンの上司と部下
 ③北千住のデニーズで子供の誕生祝いをしている昭和の家族
 ④新宿ゴールデン街で飲んでいる二人の役者
 ⑤青山のバーで一人カクテルを飲む気取り屋の男
 ⑥渋谷センター街で騒いでいるラッパー
 
 それぞれの光景を空と大地の会話がつなぐ。
 いわゆる、オムニバス。
 ①では、彦いちのネタに登場する安田(モデルは彦いち)のような、田舎出身の女の子が、スタバで「レスカ」を注文しようとする、という話が、身につまされる^^
 同じ国に住んでいても、地域差によるカルチャー・ショックは確実にあるのだ。
 そのスタバでもっとも長い名の注文を知っているという女の子が、その名を言う場面は、ほとんど「寿限無」か「金明竹」で可笑しかった。
 ②では、課長が部下が係長に昇進するからお祝いでご馳走するというネタなのだが、喬太郎の『夜の慣用句』にも似た味がある。それにしても、あのチェーン店は行ったことがないけど、揚げシュウマイ、は食べたくなった。
 ③では、「なんでも食え」と言う元気なお父さんと、カレーライスと答える子供のいじらしさ、そして、三人の子が残したものでいいからと注文しない母親の姿に、ついウルウルしたぞ^^
 ④の役者二人の会話は、横文字をつないだ、ほとんど意味のないもので、なかなか風刺の効いた場面となっている。
 ⑤では、勘違い男がゴルゴ13のような、またはフィリップ・マーロウのような人物になりきろうとしてなりきれない滑稽さを描く。
 ⑥のラッパーたちの場面では、小ゑんのラップそのものに笑ってしまった。
 サゲは、この噺の題がヒントになる。
 
 それぞれのエピソードの内容も楽しかったし、話の区切りに「空」さんが両手を大きく広げてから場面転換を示す仕草にも工夫があった。
 この人、ただ者ではないなぁ、とあらためて感じた高座、今年のマイベスト十席候補としたい。
 今年は、六月の池袋上席で『フィッ』、同じ六月下席末広亭で『レプリカント』を聴いていて、私としては、ご縁を感じた年。
 今後は、独演会などにも行きたいと思う。
 今年六十五歳。
 昭和六十年九月の真打昇進は、志ん輔、扇遊、時蔵、正朝、そして才賀などと同期。
 これまであまり意識していなかった人だが、今年縁があって聴けた高座で、その実力を知ることができた。
 私にとって、今後の落語協会を背負って立って欲しい人の名前として、小ゑんの名も加わった。


 さて、これにて昼の部はお開き。

 おにぎりを食べ、一服して、夜の部に備えたのであった。
 お客さんはほとんど入れ替えになったように思う。
 クリスマス・イブか・・・・・・。
 あっしには、関係のないことでござんす、と青山のバーでドライマティーニでも飲みたい心境だった。
 
by kogotokoubei | 2018-12-25 20:53 | 寄席・落語会 | Comments(6)
 自民党の小泉進次郎が旗振り役になって、「落語を楽しみ、学ぶ国会議員の会(略称・落語議連)」が結成されたらしい。

 どうも、政治家が表立ってこういうことをすると、きな臭さが漂ってきてしょうがない。
 そうそう、数代前の総理大臣、あの火星人とか言われた人も、落語が好きで、よく寄席に顔を見せていたようだ。

 私自身が落語好きだからと言って、落語好きに悪い人はいない、などとは思っていない。

 あくまで、その人物はその人物であって、それぞれにいろんな趣味や好みがあるものと思っている。


 政治家と落語、ということで思い出すことがある。

 今日が命日の東条英機も落語が好きだったことだ。

 この話は、六年ほど前、ある落語家の命日に、書いた。
2012年11月5日のブログ


e0337777_11092103.jpg

小島貞二 『こんな落語家がいた-戦中・戦後の演芸視-』

 何度か引用している小島貞二著『こんな落語家がいた-戦中・戦後の演芸視-』からご紹介した、初代の昔々亭桃太郎の逸話だ。。

 戦時中には俗に“赤紙”という「召集令状」がやたらに来た。若い男子にとって、これは“地獄からの招待状”のようなものであった。
「おめでとう」といわれ、「万歳」の声に送られて、兵隊に入るのだが、ほとんどの人ができたら避けたいと思っていたに違いない。
 落語家にも来た。一番悲惨な・・・・・・というより、もっとも“落語を地でゆく”ような環境に捲き込まれたのは、昔々亭桃太郎(山下喜久雄)であった。柳家金語楼(山下敬太郎)の実弟である。
 桃太郎は兄貴のおかげもありなかなかの人気もので、ヨイショ(取り持ち)が上手かった。戦時中は東條英機(のちの総理大臣)に気に入られ、「きみの落語を聞かないと、メシがうまくない」と、毎日のように官邸に呼ばれていた。
「このくらいご機嫌を取っておけば、赤紙からのがれるだろう」という胸算用が見事外れ、召集令状がきた。
 山梨の連隊に入る前の日、そこの陸軍病院へ慰問にゆき、「えー、わたくしも明日、みなさんの仲間入り出来ることになりまして」と、軍隊にまでヨイショした。
 結局、戦地へ送られ、終戦時はソ連国境で捕虜になり、シベリヤへ。そして命からがら帰ってきた。

 桃太郎がシベリアから帰還したのは、昭和22年。
 東條英機がいくら桃太郎の落語が好きでも、赤紙を止めることは出来なかったらしい。

 落語好きなことは結構。

 問題は、落語は、あくまで長屋の八っつぁん熊さんの味方であることを、先生たちが分かった上で、それを自分たちの仕事に生かせるかどうかである。

 この前の総裁選、小泉進次郎のなんとも腑に落ちない行動に、日本という長屋の住民たちは、決してガッテンしていないのである。

 また、来年から値上がりする血税の使い方に関する複雑な仕組みやら、ろくに国会審議をせずに数の暴力で法案を通す政府、そして、沖縄の人々の声を聞く姿勢を一切見せない政治家たちに、八っつぁんも熊さんも、納得していないのである。

 せいぜい、落語の本質を学んでもらいたいものだが、どうもそんな期待はできそうにない。

 せいぜい自分のトークに落語のマクラや小咄を利用したい、そんな程度の思いつきと思えてしょうがないのである。

by kogotokoubei | 2018-12-23 16:54 | 落語好きの人々 | Comments(4)
 本日12月21日は、旧暦で十一月十五日。
 坂本龍馬の命日である。
 実は、誕生日も同じ十一月十五日。

 慶応三(1867)年十一月十五日、京都の近江屋で、何者かに斬殺された。

 その犯人には、いくつもの説がある。

 命日に、その犯人を探る本をあらためて読んだ。

e0337777_09241874.png

磯田道史著『龍馬史』(文春文庫)
 いまや、テレビでも引っ張りだこの磯田道史の『龍馬史』は、2010年に単行本で初版、2013年の文庫化された。

 結論から先に書こう。

 著者は、龍馬の手紙などを精査することで、さまざまな他の犯人説を否定し、見廻組が犯人であることに疑問がないとしている。

 まず、見廻組以外の犯人説とはどのようなものか。
 その黒幕については、次のような説が紹介されている。

 (1)新撰組黒幕説
 (2)紀州藩黒幕説
 (3)土佐藩黒幕説
 (4)薩摩藩黒幕説

 それぞれの説の疑問や反証について、本書「第三章 龍馬暗殺に謎なし」からご紹介。

(1)新撰組黒幕説への疑問

 龍馬が殺された後に、真っ先に犯人として疑われたのが、新撰組。
 本書では、このようにこの説に疑問を呈す。

 新撰組説は成り立ちません。戊辰戦争で敗れ、新政府に捕らえられた元隊士たちは一様に、龍馬暗殺について尋問を受け、その取調べ調書が残っています。なかでも横倉甚五郎という元隊士の供述は重要です。彼はこう言っています。
 坂本龍馬を討った(暗殺した)かどうかということじゃ一向に知らない。しかし、事件後、近藤勇が龍馬を討ったものは「先方にては」新撰組だと騒いでいる。おまえらは油断するなといったのをきいた。「先方」というのは土佐藩や海援隊のことです。
 また最後の新撰組隊長だった相馬主計(かずえ)の供述では「隊中で龍馬暗殺の嫌疑が晴れたという回し文があった」とも言っています。近藤の口ぶりからして、どうも新撰組はやっていないようです。このような証言がある上、そもそも新撰組の実行を裏付ける直接証言は、何一つありません。

 ということで、新撰組黒幕説は、消去。


(2)紀州藩黒幕説

 なぜ、紀州藩が疑われてのか。

 それは、慶応三(1867)年の四月、海援隊が四国の大洲藩に出資してもらって運用していた船「いろは丸」が、紀州藩の船に衝突して沈没するという事件(「いろは丸事件」)に起因する。
 この事件で、龍馬は紀州藩を相手取って、莫大な賠償金をせしめたのだった。
 また、海援隊に元紀州藩士の陸奥陽之助(宗光)がいて、紀州藩の弱みを熟知していたことも、龍馬の交渉を有利にした。

 龍馬というと「颯爽としてイメージ」がありますが、こういう交渉事になったときは、颯爽どころかじゃなりあくどい。沈没した直後、原因が分からない状況で「万国公法」を持ち出したのです。
 紀州藩は、御三家のひとつで、おおらかな人が多い藩ですから、こういう交渉事にあまり慣れていません。なにより体面を傷つけられることを非常に嫌っていました。龍馬は「お金よりは体面が大切だ」という紀州藩の基本方針を見極めて、次第にそこにつけ込んでいきます。

 多額な賠償金をせしめるため、龍馬は「いろは丸」の積荷が米や砂糖だったのに、銃を積んでいたと偽り、あげくには現金を何万両も積んでいたとして紀州藩に迫った。
 結果として、七万両の賠償金を大洲藩と海援隊は獲得する。現在価値で数百億円にのぼる額。
 龍馬というタフネゴシエーターに丸め込まれた紀州藩が龍馬暗殺の黒幕とされるのは、この「いろは丸」事件の恨み、という理由。
 この説について、磯田は、こう指摘する。

 しかし、紀州藩が龍馬を「殺す」という命令を出したり、実行部隊を動かした形跡は全くありません。少しでも実行に移していれば、証言や史料という形で残るのでしょうが何も残されていないのです。

 事件直後に紀州藩黒幕説が叫ばれたが、明治になるとこの説は消える。


(3)土佐藩黒幕説

 比較的多くささやかれるのが土佐藩説です。黒幕は後藤象二郎説と岩崎弥太郎説の二説あります。しかし、龍馬が殺された時点で、土佐藩ほど龍馬を必要としていた藩はありませんでした。特に後藤象二郎説というのは、動機に無理があります。
 磯田は、龍馬が音頭をとった大政奉還により、後藤や土佐藩の京都での地位が上昇したことや、慶応三(1867)年正月に長崎で後藤と会った龍馬は意気投合し、同志への手紙に、「後藤は近頃の人物だ」と書いていることを反証材料として挙げている。
 また、岩崎弥太郎と龍馬は、テレビドラマのように幼友達ということではなく、龍馬が亡くなるほんの数ヵ月前に対面したという説が有力で、岩崎が龍馬の利権を奪うために暗殺の黒幕となることも考えられない、と指摘する。


(4)薩摩藩黒幕説

 磯田は、京都において、薩摩と会津が、田舎者として嫌われていたことも、薩摩藩黒幕説の背景にあると指摘する。
 しかし、この説には相当無理があると次のように書いている。
 龍馬暗殺について薩摩藩犯行説がありますが、この説で一番妙なのは、実行自体は見廻組であるとする人が多いことです。見廻組は会津藩の支配下です。それなのに薩摩藩がわざわざ見廻組をつかって龍馬を殺させたというのです。
 こんな馬鹿なことはありません。薩摩は龍馬と親しいので当然、龍馬の居所も知っていました。
 もし薩摩が龍馬を殺したいなら、回りくどいことをする必要はありません。呼べば竜馬は来ますから、薩摩藩邸に呼び出して帰りのい闇討ちにすれば、証拠も残さず簡単に殺すことができるのです。薩摩藩には人斬り半次郎と呼ばれた中村半次郎(桐野利秋など、剣の達人がいくらでもいます。敵対している見廻組に龍馬を殺させる必要はないのです。
 第一、土佐藩邸の目の前の近江屋に滞在中の龍馬を狙うということは、救援が駆けつける可能性もあってリスクが大きい。

 ということで、薩摩藩黒幕説も消去。


 では、見廻組犯行説はどのように裏づけられるのか。

 龍馬が暗殺される直前の数日、龍馬は、ある人物の家を度々訪れている。

 相手は、なんと幕府の大目付、永井玄蕃。

 永井は小さな旗本から異例の出世を遂げたリアリストです。彼の諱(いみな)は「なおのぶ」とか「なおむね」と訓じられますが、永井家では「なおゆき」といっていたようです。この時期は大目付の職からさらに出世し、旗本の最高位ともいうべき若年寄格となっていました(慶応三年十二月には正式に若年寄就任)。戊辰戦争後は投獄されますが、許されたのち元老院権大書記官(ごんのだいしょきかん)になっています。彼の玄孫(やしゃご)にあたるのが作家の三島由紀夫です。
 龍馬暗殺を辿っていて、なんと、三島由紀夫の家系を知ることになった。

 死の五日前の十一月十一日、龍馬は同じ土佐藩の福岡孝弟と一緒に永井玄蕃を訪ねています。永井は二条城近くの「大和郡山藩」の屋敷に下宿していました。龍馬の下宿のあった四条河原町の近江屋から三キロ以上の距離があります。ここに一日で二度いった説まであるのです。

 本書には、関連する地域の地図も掲載されている。

 永井が下宿していた大和郡山藩の屋敷の近くに住んでいた人物に、実は、龍馬暗殺実行犯を解く鍵があった。

 この永井の下宿の隣には「やす寺(松林寺)」という寺がありました。そこには見廻組の佐々木只三郎が下宿していたのです。四日後の龍馬暗殺の実行指揮官です。佐々木は、旗本で剣客としても知られていました。倒幕勢力の糾合を目論んでいた、清河八郎という志士を暗殺したことでも知られています。
 龍馬はこの人の下宿の横に平気でずかずかと入っていきました。この一帯は完璧に幕府方のテリトリーですから、大声の土佐藩士が日に何度も現れて、ついには永井の屋敷に入って行ったという話を見廻組は簡単に掴むことができたはずです。ほぼ隣に住んでいた佐々木が直接見た可能性さえ否定できません。

 磯田は、なぜ危険な幕府テリトリーに出向いてまで龍馬が永井を訪れた理由は、慶喜の処遇についての話し合いと、土佐出身の宮川助五郎という男の釈放を依頼していた可能性が高いと推理している。宮川は、大政奉還の後、三条大橋にあった幕府の高札を何度も抜いて川に投げ捨てたため、捕まっていた。

 ともかく、見廻組の佐々木只三郎の下宿先の隣にいた人物をたびたび訪ねたことを、見廻組犯人説の有力な裏づけと考えることは不思議がない。

 もちろん、後年、襲撃犯たち自身が証言している。

 龍馬襲撃に参加した顔ぶれに関しては証言者によって若干の相違があります。
 「龍馬を斬った男」とされた今井信郎は、襲撃に参加した人間として佐々木只三郎、桂隼(早)之助、渡辺吉太郎、高橋安次郎、土肥仲蔵、桜井大三郎の七名を挙げています。しかし佐々木をはじめ、彼らのほとんどは鳥羽伏見の戦いで戦死しています。
 見廻組は、士気の高い佐幕派ですが、みな戦死というのは、やはり不自然です。龍馬襲撃犯をかばうために、戦死者の名前をわざと言った可能性が高い。今井は自分のことについては正直に供述していますが、他人のことについては信用できない部分もあります。

 同じ渡辺でも渡辺篤という人物が、襲撃メンバーの一人だったと自ら証言していて、当事者しか知りえないような細かい内容を明かしているのだが、今井はその渡辺篤のことを隠すために、死んだ吉太郎の名を出したのではないか、と磯田は察している。

 佐々木らは、下宿先である尼寺「やす寺」から出発し、各々を訪ね、襲撃者を一人ずつ呼び集めていったようです。これについては、今井信郎の家に口伝が残っていて、孫の今井幸彦が『坂本龍馬を斬った男』としてまとめています。
 それによると渡辺という隊士が今出川千本の今井の仮寓を訪れ、奥でしばらくヒソヒソ話をしていた。しばらくすると、「ちょっとでてくる」と言って二人連れ立って出て行った。今井の妻は「また斬り込みだ」と直感したと、のちに語っています。

 さまざまな説があるなか、この本を読むと、見廻組の犯行説は動かしがたいようだ。

 では、黒幕は・・・・・・。

 京都守護に当る会津藩支配下の見廻組である。

 今井信郎と渡辺篤の証言は、どちらも、京都守護職、松平容保からの命令(御差図)であったとしている。

 私は、長岡に住んだこともあり、河井継之助が好きなので、自然、会津藩にも好意を持っている。

 松平容保という人にも悪い印象はないし、戊辰戦争での会津の悲惨な姿にも心が痛む。

 だから、歴史上の人物の中ではきわめて人気の高い龍馬だが、彼を暗殺した見廻組、そしてその指令を発した松平容保を、そうは憎めない気持ちがある。

 あくまで、自分の生まれ育った場所や環境、そして歴史上の役割として、それぞれに定められた運命であった、としか言えないのだろう。


 今、もし、龍馬が日本の姿を見たら、果たしてどう思うだろうか。
 
上下議政局ヲ設ケ、議員ヲ置キテ万機ヲ参賛セシメ、万機宜シク公議ニ決スベキ事

 有名な「船中八策」の中の、議会開設に関する文面。

 二院制による議会制民主主義は、形式だけは存在している。

 しかし、その形が、龍馬が理想とした内容を伴っているとは、思わないに違いない。
 民主主義が、今の日本で機能しているとは、彼も思えないだろう。

 長州出身の国のリーダーを見て、龍馬は彼が会った長州の志士たちの面影を見つけることは、到底できないはずだ。

by kogotokoubei | 2018-12-21 12:27 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(2)

 一昨日17日の記事別アクセス数の結果を見て、驚いた。

 二年余り前に飯島友治さんの本を元に三代目三遊亭小円朝について書いた記事のアクセス数が、一日で1895と、2000近くになっていた。
2016年4月29日のブログ

 ひと月でも特定の記事へのアクセス数が1000を越えることは稀なのに、一日でこの数とは・・・・・・。

 もしかすると、システム障害かもしれない。

 ちなみに二番目にアクセスが多かったのは、五年以上前に、談志家元の本の引用などで四代目三遊亭小円遊について書いた記事だが、アクセス数は300位で、この数も通常では考えられない数なのだ。
2013年10月5日のブログ

 ただし、「笑点」の人気者だった小円遊の記事は、結構安定的にアクセスがあるので、そうは驚かないのだが、小円朝という地味な噺家さんの記事へのアクセス急増は想定をはるかに超えている。

 きっと、この現象は、四代目三遊亭小円朝の訃報が影響しているのだろう。

 15日に、四十九歳という若さで肺炎で亡くなったとのこと。

 残念ながら、生の高座に出会ったことはない。

 円楽一門。

 師匠は六代目三遊亭円橘。
 父も噺家の三代目三遊亭円之助。

 円橘も円之助も、三代目小円朝の弟子だった。

 多くのメディアの訃報の中で、スポーツ報知がもっとも詳しかったので、引用する。
スポーツ報知の該当記事

 小円朝さんの父親は3代目・三遊亭円之助。1996年に父親の弟弟子になる三遊亭円橘に入門。97年に二ツ目に昇進し4代目・円之助を襲名。2005年5月に真打ちに昇進し4代目・小円朝を襲名した。

 ここ数年は体調を崩し入退院を繰り返していた。今年6月には兄弟弟子が「小円朝再生落語会」を開催し、「芝浜」を熱演していた。11月末にインフルエンザから肺炎を発症し入院。今月7日に予定されていた「第2回 小円朝再生落語会」は師匠の円橘が代演した。

 関係者によると、亡くなる前日の14日、師匠・円橘や兄弟弟子がお見舞いに行った時は円橘の「来年4月に落語会を開くから頑張れよ」の激励にはっきり返事をするなど、意識もあったが、翌早朝、眠るように息を引き取ったという。

 最後の高座は10月、千葉・富浦での落語会だった。小円朝さんは落語協会での修業経験もあり、5代目円楽一門会が出演する両国寄席で、太鼓などの鳴り物や、前座修業のしきたりなどを教える良き兄貴分でもあった。

 落語協会での修行経験、とあるが、最初小三治に弟子入りしたのだった。前座名は、さんぽ。入門順では、一琴と三三との間に入る。二年ほどで破門となってしまっている。
 小三治の奥様、郡山和世さんの名著『噺家カミサン繁盛記』に名前を探したが、見つからなかったなぁ。

 お父さんの円之助も、昭和4(1929)年生まれで、小円朝が高校時代の昭和60(1985)年に亡くなっており、決して長命とは言えなかった。

 萬橘、橘也の兄弟子にあたる円橘一門の総領弟子。

 三代目小円朝の記事では、飯島友治さんが、三代目について「微笑みを演じる芸」と形容していたことを紹介した。

 訃報に掲載されている四代目の柔和な写真から、そんなことを思い出した。


 高座への出会いはなかったが、四代目三遊亭小円朝のご冥福をお祈りする。
 
by kogotokoubei | 2018-12-19 12:36 | 幸兵衛の独り言 | Comments(2)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛