噺の話

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春風亭栄枝著『蜀山人狂歌ばなし』
 
 平成9(1997)年、三一書房から初版発行の、春風亭栄枝の『蜀山人狂歌ばなし-江戸のギャグ、パロディーの発信源-』から二回目。

 栄枝が、落語に魅了されていた頃のことから。

 それはもう、三、四十年前のことになります。
 昭和三十年代の頃は、私はすでに、落語、落語・・・・・・落語でなければ夜も日も明けない毎日でした。
 朝から晩まで、もう頭の中は落語一筋の落語のことだらけ。落語家にどうしてもなりたくて、あちこちの寄席ばかりに行っていました。
 当時、地元の巣鴨の高校に通っていた私は、学校が終わるとカバンを家に放り出して、入場料が五十円の池袋の演芸場や上野の鈴本演芸場にすっとんでいったものです。
 その後、親のすすめで大学に通うのですが、これも数ヵ月籍を置き、教室で先生の講義も聴いたが、どうも耐えられないものでした。
 ところで当時の寄席は、後に昭和の落語史に名を残すような大看板が出て、強烈な個性で高座が賑わっていました。
 例えば、私を弟子にしてくれた春風てい柳枝、さらに古今亭志ん生、桂文楽、三遊亭圓生・・・・・・。
 そしてそこで私はいろいろと感じたことの一つに、日本語はこうも面白く話すことのできる言語なのかと、ついつい大学の先生の話と比較してしまったりしたものです。どだいそんな比較のナンセンスなことは承知していますが・・・・・・。大学の先生ごめんなさい!

 この本では書かれていないが、栄枝の父親は、苦学して師範学校に行き教員となって、校長まで務めた方で、栄枝が落語家になりたいと言うと、大反対したらしい。

 大学をすぐに中退した時は、結構、大変な騒ぎになったと察する。
 
 昨年、産経の「父の教え」というシリーズで栄枝の記事が掲載された。
産経ニュースの該当記事

 少し引用。
明治生まれの父は、幼い頃からしつけに厳しかった。書道で栄枝さんの筆に癖を発見すると、容赦なく鞭を振るって矯正した。儒学者、頼山陽の漢詩を口ずさみ、新渡戸稲造の教育論を熱く語り、常日頃から「学問が大事」と言い続ける厳格な父は、大きく怖い存在。反発するというより、落語やロックが好きな自分が認められるはずはないと思い込んだ。

 結構、長い記事なので、ご興味のある方は、ご覧のほどを。
 最初反対したものの、その後、お父上は、栄枝をさまざまな形で強力に支援することになるのだが、いいんだよね、この明治生まれのお父さんが。

 産経、こういう記事は、悪くないんだけどなぁ。

 本書からの引用を続ける。

 落語のマクラで、川柳や諺、語呂合わせの洒落、都々逸、小唄・端歌の文句にいたるまでが自在に飛び出して、それが私には実に新鮮に聞こえてくるのがとても不思議でした。
 ある師匠などは、高座に座ってペコリと頭を下げてから、「ええ、蜀山人の戯れ歌に・・・・・・」といってしゃべり出します。「なんだろう・・・・・・しょくさんじんって?」「ざれ歌?って、一体なんだろう?」。家のい帰ってからも、「しょくさんじん」「ざれ歌」がいつまでも頭にひっかかって離れないのです。それに、「しょくさんじん」という音も耳に響く感じからすると、きっと一日中、洒落や冗談を喋ってばかりいて、いつもみんなを笑わせている愉快なおじいさんなのかもしれない、と考えたりする日が続くのでした。

 たしかに、「しょくさんじん」という言葉の響きは、仙人や高齢の隠居をイメージさせるものがある。
 ちなみに、私は魯山人と蜀山人を一時混同していた頃がある^^

 さて、落語に魅入られた十代の若者は、大学を中退し、落語の世界に飛び込んだ。

 やっと入門できたのが、八代目春風亭柳枝師匠だったのです。
 持ちネタの中に、「野ざらし」や「花色木綿」は大爆笑をとったものです。それに「狂歌家主」という噺があります。私は大好きでした。暮れになって家賃が払えなくなった八っつぁんが、一計を案じました。日頃、狂歌が好きで好きでたまらない大家さんに、自分も狂歌が好きになったと言い訳すれば、家賃を待ってくれるに違いないと思い、とてもメチャクチャな言い訳をするという噺で、年の瀬の雰囲気がよく出ていました。
 この噺のマクラに次のような狂歌があります。

   味噌濾しの 底にたまりし 大晦日
     越すに越されず 越されずに越す

 「狂歌家主」は、「掛け取り」の狂歌の部分を独立させた噺。
 そろそろ、聴く季節になってきたねぇ。

 私は、八代目柳枝が大好きなので、この本を読んで、栄枝も好きになってしまった^^
 また、柳亭小痴楽が、落語家になったきっかけに、柳枝の「花色木綿」を聴いたからと知って、小痴楽を一層応援したくなった。

 なお、八代目柳枝については、拙ブログ開始間もない頃に、談志の本の引用を含め、記事を書いた。ご興味のある方は、ご覧のほどを。
2008年6月27日のブログ

 柳枝に入門した栄枝は、落語に限らず(それ以上に?)、狂歌を深く知ろうとするのだった。

 今回は、このへんでお開き。

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by kogotokoubei | 2018-11-30 12:58 | 落語の本 | Comments(4)

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春風亭栄枝著『蜀山人狂歌ばなし』
 平岩弓枝の『橋の上の霜』との関連から二度記事にしたが、あらためて、狂歌、なかでも蜀山人が大好きな落語家、春風亭栄枝の『蜀山人狂歌ばなし-江戸のギャグ、パロディーの発信源-』を紹介したい。

 平成9(1997)年、三一書房から初版発行。

 もう少し後で記事にしようと思っていたが、再読したら、早く記事にしたくなった。

 「まえがき」から。

 振り返ってみると、落語家になってから、アッという間に三十数年がたってしまった。
 その長い年月の間に、寄席で多くの先輩や大看板の師匠連に接することができたのは、なんともありがたいことであった。今、こうしていても、あれも聞いておきたかった、それからこれも聞いておきたかったと思うことしきりである。 
 そんなことを考えたりしていると、寄席の楽屋でお茶を出していた前座や二つ目の頃が、つい昨日のように錯覚してしまいそうだ。

 前後するが、巻末などを元にプロフィールをご紹介。
 栄枝は、昭和13年、東京は豊島区の生まれ。昭和32年に高校卒業後、八代目春風亭柳枝に入門。
 この生年と入門年、古今亭志ん朝と、同じだ。
 柳枝没後、八代目正蔵に師事。林家枝二と名乗る。昭和48年に枝二で真打昇進。
 ちなみに、志ん朝は、入門から5年、昭和37年に抜擢され真打昇進していた。
 昭和57年に彦六没し、翌年、七代目春風亭栄二を襲名。
 ライフワークとして、海外の日系人に落語を語りながらの「落語大使の旅」を続けている、と巻末にあるが、今も続いているかは不明。
 この「落語大使の旅」の途中、アメリカで百栄は栄枝と出会っている。

 「まえがき」の引用を続ける。

 私は今でも、修行中の身なのだが、もっと若かった修行時代に、落語のマクラで狂歌の存在を知り、それから狂歌が頭から出ていかないのである。その狂歌も、私は江戸の天明の狂歌こそが、落語にもっとも近い文芸だと思っている。
 幸い?にも私は、人気落語家でもなく、けっこう暇があるので、あまり多くの人の目に触れないような些細な文にまでも、狂歌にぶつかった時は、こまめみ書きためておいた。
 ところで、狂歌といえば、どうしても蜀山人ということになってしまう。
 なぜだろうか?
 たいがい、傑作でかわりやすい狂歌には、必ずといっていいほど「・・・・・・と蜀山人が詠んだ・・・・・・」となってしまうのである。
 私は、こうしたことに多少の疑問を持ち、いろいろ調べ始めた。調べ始めると狂歌や蜀山人への興味がふくれあがってきた。そして、蜀山人とその時代をどうしても書いてみたくなってしまった。なっていったが、喋ることさえ十分でない私にとって、まさに大それたことなのであった。

 この「喋ることさえ十分でない私」という部分、笑ってしまう。

 私が栄枝を最初に聴いたのは、2011年9月の末広亭。
2011年9月17日のブログ
 長めのマクラと『鼓ケ滝』。なんとも、飄々とした高座だった。

 そして、昨年、二代目志ん五の浅草での襲名披露興行での『都々逸坊扇歌物語』は、最初の印象を覆す、好高座だった。
2017年10月16日のブログ
 狂歌のみならず、川柳も、そして都々逸にも興味があるからこその、あの高座だったのだと思う。

 さて、「まえがき」の後半。

 江戸の文学を語る上で、どうしても避けて通ることのできないのが蜀山人。
 つまり、大田南畝なのである。
 (中 略)
 私は、蜀山人の狂歌こそが、江戸人のユーモアと反骨、洒落と滑稽、機知と頓智の発信源ではにかと思っている。
 本書は、この南畝・蜀山人とその狂歌にまつわる話を中心にしながら、私の修行時代のこと、また私が日頃あれこれ思っていることなどをまじえながらまとめたものである。
 どうか最後までおつき合いのほどを願います。

 初回は、これにてお開き。

 この記事も何回になるか、まったく分からないが、どうぞ、おつき合いのほどを。
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by kogotokoubei | 2018-11-29 12:47 | 落語の本 | Comments(0)

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春風亭栄枝著『蜀山人狂歌ばなし』
 蜀山人が大好きな落語家春風亭栄枝の『蜀山人狂歌ばなし-江戸のギャグ、パロディーの発信源-』からの二回目。

 平成9(1997)年、三一書房から初版発行。

 この本に、大田直次郎が狂歌名四方赤良や蜀山人を名乗る背景が書かれているので、ご紹介。

 蜀山人、四方赤良ペンネームの由来

 蜀山人というペンネームは、彼が五十代の時、大坂銅座役人として出張中にこの名前を使い出したといわれます。銅の異名を蜀山居士というらしいので、後の世までこの蜀山人がポピュラーな愛称として使われました。しかしそれ以前は、「四方赤良」で、これは日本橋の酒屋で売り出している味噌“四方の赤”から自分の筆名にしたそうです。つまり、いまでいうところの“タイアップ広告”のはしりといえそうです。

 こんな由来があったんだね。

 蜀山人の狂歌をいくつかご紹介。

 来週から師走。すぐに正月だ。
 有名な狂歌がある。
 
 大田直次郎は、駿河台に引越したことがある。

 この駿河台の緇林楼(しりんろう)、つまり南畝の新居には、来客が引きも切らなかったといいます。というのも、南畝は温厚な人柄に加えて、町人とも喜んで交わり、上下のへだてなく長屋の八っつぁん熊さんにまで慕われたためといいます。狂歌をはじめとする文人仲間や、その他大勢がこの新居にやってきます。特に、正月の年始客の多さに閉口したといいます。
 ところで南畝は、自作の狂歌を門口に書いて貼って置きました。
 
  初春は 他人の来るこそ うれしけれ
   とは言うものの お前ではなし

 こんな歌を読まされたら、訪問客だって入っていいかどうか迷ってしまうに違いありません。後年、名随筆家であり、漱石門下内田百閒氏がこの歌を一部変えて、

  初春は 他人の来るこそ うるさけれ
   とは言うものの お前ではなし

 この百閒先生もかなり変人ーいや、奇人的な印象を、私は持っています。
 黒澤明の『まあだだよ』は、内田百閒を主人公とした作品だったが、松村達雄扮する百閒先生が、この歌を玄関に貼っていた映像を思い出す。

 栄枝は、落語家らしく、あの落語中興の人物に関わる話も登場する。

 さて、焉馬が初めて開いたという第一回の落とし噺会に続く第二回は、鹿都部真顔、竹杖為軽、宿屋飯盛らと一緒に南畝=蜀山人も参加したといいます。このように回を重ねるうちに、寛政の改革で禁止令が下って中断してしまいましたが、焉馬にとっては最後になる落とし噺会が、文政三年(1820)、亀井戸の藤屋で開かれました。焉馬にとっては一世一代の華やかなリサイタルであったに違いありません。
 この時、焉馬、七十八歳というから死の二年前のことでした。
 この落とし噺会を大田南畝は、はっきりこう詠んでいます。

  万年の 亀井戸なれば おはなしの
   七十八と 聞くはうそかえ

 七十八歳という高齢にもかかわらず、これほど盛会な落とし噺会を催す焉馬に拍手を送り、七十八歳なんて嘘じゃないかなどと、場所が亀井戸だけに、「うそ替え神事」に引っかけて歌っています。

 なかなか洒落ている。

 しかし、南畝も寛延二年(1749)生まれなので、この時七十一。
 三年後、文政六年に亡くなっている。

 この本からは、落語の本、として、後日あらためて紹介するつもり。

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by kogotokoubei | 2018-11-27 12:36 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(0)

 コンビニで買ったおにぎりを食べ、さあ、夜の部の始まりだ。

 開口一番から、聴いた高座の感想を記す。

春風亭かけ橋『狸の札』 (10分 *16:45~)
 初。柳橋の弟子らしい。狸を助けたのは、父の命日だったから、というのは初めて聴いたかもしれない。妙な癖はないように思うので、今後の精進に期待しましょう。

柳亭小痴楽『一目上がり』 (14分)
 この日のお目当ての一人。
 賛、詩、悟と進んで、六を飛ばして七福神、そして、最後は句。
 この人の持ち味であるスピードとリズム感が生きる好高座。
 あるインタビューで、小痴楽は、三三にこの噺を教わったと答えていたっけ。
 本来の噺の面白さを土台に、七福神の布袋を見た八五郎に「男の妊産婦?」と言わせ、医者の先生から「ついに、人間の可能性を越えたね」で笑わせたが、このクスグリも三三譲りなのかな。
 そのインタビューでは、落語家になったきっかけは、八代目柳枝の『花色木綿』を聴いたから、とのことで、私は嬉しくなったものだ。
 そうそう、この噺の詩は、根岸の亀田鵬斎の作。
 「近江(きんこう)の鷺は見がたく、遠樹(えんじゅ)の烏見易し」。大家は、「近くの雪の中のサギは目立たないが、遠くのカラスは黒いから目立つ」と言い、良いことは目立たないが、悪いことは直ぐ露見する、と説明する。つい、ゴーンの逮捕のことを思い浮かべていた。しかし、彼は“詐欺”だったけどね^^
 再来年には真打昇進かと思う。終演後に佐平次さんとの話題にもなったが、この先、彼がどう成長するのか、実に楽しみである。少し位は生意気でも、私はいいと思うよ。

春本小助・鏡味小時 太神楽 (10分)
 二人とも、初、のはず。
 五階茶碗を中心に。
 協会のHPを確認すると、この二人は、丸一小助・小時、という名もあるようだ。
 ボンボンブラザースの弟子のようだが、将来、洋服を着て演技するようになるのか、どうか。
 
神田阿久鯉 講談『天明白浪伝-徳次郎の生い立ち-』 (13分)
 同じ講談の鯉栄の代演でこの人。
 聴いたことあるなぁ、この人・・・と思って後で自分のブログを検索すると、2010年の10月、国立の花形演芸会の記事に、名前がある。
2010年10月30日のブログ
 しかし、感想は残っていない・・・・・・。
 もしかすると、喫煙室に行っていた、のかもしれない。
 あるいは、落語だけを記録していたんだっけか・・・覚えていない。
 さて、このお話。主役は、後に泥棒たちの勧進元になる神藤徳次郎。
 その徳次郎が子供時分、易者の弟子だった頃のお話。金持ちだけに盗みに入り、貧乏人にその金を配っていた義賊泥棒の天狗小僧が、市中引き回しにされている行列に、多くの町人が手を合わせているのを見て、徳次郎は泥棒になることを決意する。
 易の師匠、悟道先生の家を後にして、さぁ、どうやって泥棒になろうか思案していると、「泥棒だぁ、捕まえてくれぇ」の声。追われた男が一目散に自分の方へ走って来る。止めようと一瞬思ったが、これから泥棒になるのだから、先輩ではないかと見過ごす。泥棒から三十両盗まれた百姓の男。それは、娘の結婚の資金として、方々から借金した金だった。徳次郎、俺がなんとかすると約束。ついつい、師匠だった悟道の家に忍び込んで・・・後略。
 よどみのない語り口。なかなか達者な人だ。
 調べてみると、真打になってすでに十年。なるほど、と納得。
 それにしても、なぜ、八年前の記事で、この人の講談の内容が欠落していたのか、謎だ。

春風亭笑好『ぜんざい公社』 (13分)
 この人の高座への小言は何度か書いてきたが、その繰り返しにならざるを得ない。
 テレもあるのだろうか、言葉尻がはっきりしない。言いよどみも少なくない。とにかく、リズムが悪い。
 佐平次さんとの居残りでも、話題の一つになったが、噺本来の面白さを、ほとんど引き出せていないのだ。せっかく阿久鯉が温めた客席が、冷え込んだ。

ぴろき ウクレレ漫談 (11分)
 二階席が開いた。
 冷え込んでいた客席が、この人で温まる。
 若い女性客が反対側の桟敷に数名いらっしゃったが、目を見張りながら、笑っていた^^
 演出かもしれないが、それぞれのネタ、出だしの声が小さかったように思う。お疲れでなければいいが。

立川談修『長短』 (14分)
 昼の部は円楽一門から交替で出演しているが、夜の部は立川一門からの交替出演で、この日はこの人だった。
 佐平次さんは、高座が暗すぎる、というご評価だったが、私は、そう思われなかった。この噺なら、ああなるかなぁ、という印象。
 短七が「実は、禁煙してたんだ!」とわめく場面は、結構可笑しかった。
 しかし、この噺で味が出るには、もう少し年季が必要かもしれない。

三笑亭可龍『初天神』 (16分)
 ようやく、芸協の若手真打の、まっとうな高座。
 やはり、この人は上手い。また、最前列の十三歳の男の子を見てのネタ選びだろう。旬とは言えないが、良い選択だと思う。
 拙ブログを始める直前、2008年「さがみはら若手落語家選手権」の七回目の予選に行った。一之輔が出場していたからだが、会場投票ではこの人の『宗論』が一位。一之輔の『鈴ケ森』に私は一票を投じたが、僅差の二位だったことを思い出す。ちなみに、本選では、今の歌奴が優勝だった。

宮田章司 江戸売り声 (15分)
 奇術の北見伸の代演。
 最前列の少年を見て、「お若く見える」には笑った。
 ♪ひいらぎ 豆がら 赤いわし、なんてのはそろそろ旬。
 リクエストが殺到して、ちょっと慌てていたが、〆は、十八番のアメ売り。
 なんと、85歳。昭和8年生まれだ。
 芸協HPのプロフィールには生年月日は載っていないが、経歴が詳しく紹介されている。
 落語芸術協会HPの該当ページ
 せっかくなので(?)、引用。
昭和29年漫才師宮田洋容(故人)の門下生に なる。
昭和30年同門の宮田陽司とコンビを組み『陽司・章司』のコンビ名で漫才界にデビューする。その後文化放送のレギュラー番組を持つ傍らフジテレビ、テレビ朝日、日本テレビ等の、演芸番組に数多く出演し、昭和39年三沢あけみの専属司会者になる。そして昭和44年には日本テレビ「11PM」のレギュラーに抜擢される。昭和51年コンビ解消後、漫談家と司会者の2足の草鞋を履き、マヒナスターズの専属司会者になる。
 その後芸術祭賞を受賞した大道芸の『坂野比呂志(故人)』と出会い江戸売り声の魅力に取り憑かれる。坂野比呂志亡き後、現在日本で唯一人本格的な「江戸売り声百景」和風漫談家としてテレビ、各カーニバル、寄席等で引っ張りだこ、大忙しの毎日を送っている。
 こういうキャリアのある方なのである。
 ちなみに、漫才の宮田陽・昇の師匠でもある。
 お元気な姿を拝見でき、嬉しかった。

桂富丸 漫談&『?(飛行少年?)』 (17分)
 2014年の7月、同じ末広亭夜席以来。あの時も、漫談と新作だったが、あまり良い印象はなかった。
 今回も、同じような感想。米丸の弟子だが、スチュワーデスという言葉自体、新作として成り立たない。
 富士山のご来光を拝めなかった人に、とテカテカ頭を突き出すのも、どうなのか。
 ネタは、飛行機で騒ぐ子供がCAからオモチャの飛行機をもらって落ち着いた。ああいう子供が非行少年になる、などのつまらない地口をつないだ噺。
 こういう深い席にそぐわない印象を持った。

三笑亭茶楽『厩火事』 (15分 *~19:21)
 ようやく、お目当ての仲入り、この人の出番。
 いつもながらの丁寧で、知的なセンスを感じる短いマクラから本編へ。
 お崎さんも旦那も、よく描かれている。髪結い亭主の江戸っ子ぶりも良かった。
 時間調整のためか、後半が急ぎ目で少し慌ただしかったが、こういう人が、芸協の古典落語を支えていることを、再認識させる高座。


 さて、仲入りで、ここで帰って佐平次さんと居残り、の予定だったが、クイツキが松之丞。
 せっかくなので、佐平次さんと椅子席の後ろで立って聴くことにした。

神田松之丞『鼓ヶ滝』 (15分 *~19:46)
 落語にもなっているこのネタは、神田愛山から稽古してもらったとのこと。
 西行が攝津の鼓ヶ滝で、「伝え聞く 鼓ヶ滝に来て見れば 沢辺に咲きし たんぽぽの花」と詠んだ。うたたねをしているうちに夜になり、あわてて民家を探した。なんとか民家にたどり着いた西行。歌人であることを伝えると、鼓ヶ滝で詠んだ歌を見せて欲しいと主が言う。結局、この老夫婦と娘の三人に、自作の歌を直され、「音に聞く 鼓ヶ滝をうち見れば 川辺に咲きし たんぽぽの花」となった、という内容で、落語と同じだが、ところどころに、この人らしい演出があった。
 メモっていないので、記憶のみで記す。
 愛山は実に上手い方だが、暗い。その愛山に稽古してもらってから感想をお願いすると、「お前の講談は・・・暗い」と言われた、で私の予想を超える爆笑が起こる。
 また、講談というものは、民家があって欲しいと思うと、最後には民家が出てくるもので、などと挟むだけでも、受けている。
 若い女の子のお客さんの反応もあれば、結構高齢の方も大笑い。
 悪くはないが、あんなに笑いが起こる高座とは言えなかろう。


 やはり、松之丞の人気がバブルになってきたなぁ、と思いながら、佐平次さんと外に出て、楽しみだった居残りへ。

 近くの居酒屋さん、満員だったが、すぐに二人分の席が空いた。

 この日の高座のことや、いろんな話題で、ビール、熱燗、ビールが美味しい、久しぶりの居残りだった。


 あらためて思うが、芸術協会は、このままでは問題ありだ。

 かつて、末広亭の席亭から苦言を呈されてから、歌丸会長をはじめ幹部も危機感を共有し、若手の台頭などもあって噺家さんたち全体の芸も良くなったから、お客さんも戻ってきたと思う。

 しかし、歌丸会長の重しがなくなった今、また元に戻る兆しがある。

 この日の高座のいくつかは、かつての芸協の悪い面が目立った。

 十分でも、ネタは出来る。
 
 漫談を禁じるくらいの小遊三会長代行副会長のお達しがあっても不思議はなかろう。

 帰宅の電車では、そんなこと思っていた。



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by kogotokoubei | 2018-11-26 21:35 | 寄席・落語会 | Comments(6)
 日曜恒例のテニスが休みとなり、久しぶりに新宿末広亭での居続け。

 芸術協会の席で、昼の主任は好みの寿輔。夜は松鯉だが、仲入りの茶楽で切り上げて、佐平次さんと飲みに行くつもりだった。
 佐平次さんも寿輔が好きだし、茶楽は未見でいつか聴きたいとのことだったのでお誘いしたら、ご都合が良く久しぶりのミニ居残り会を楽しみに新宿三丁目へ。
 
 少し早めに行き、末広亭近くで昼食。コンビニで夕食やお茶を士仕込んで、11時40分頃に入場。

 椅子席は六割ほどの入りで始まったが、最終的にほほぼ満席になっていた。
 空席の目立つ桟敷で、好きな下手の前方に場所を確保。

 お客様の来場を待っていたのだろう、開口一番はやや遅めのスタート。

 出演順に感想などを。

柳家ふくびき『やかん(のようなもの)』 (4分 *11:55~)
 初。蝠丸の弟子とのこと。まだ入門から間もないのだろうし、この短さでもあり、なんとも評すことができない。

古今亭今いち『動物園』 (12分)
 客席に「落語初めての方?」とか「末広亭初めての方?」と質問したところ、若い女性を含め結構な人数の手が上がった。そういう人たちが笑ってくれたようには思うが、地口のマクラ、私には笑えなかった。本編は、入門から六年、二ツ目になって三年目か・・・名前の通り、いまいちかな。

コントD51 コント (11分)
 この兄弟によるコンビが、椅子席が七割ほどになってきた客席を一気に温めた。
 お兄さん(けんじ)のハマリ役である、オレオレ詐欺に騙されそうになったお婆さんが、大衆演劇風の踊りで舞台を縦横に飛び回る姿で、落語初体験のお客様を含め、笑いが起こる。弟(まさし)が兄の杖(ステッキ?)を受ける間合いも慣れたもの。

三遊亭金の助『子ほめ』 (16分)
 初。金遊の弟子で、今席から、二ツ目とのこと。伊勢屋の番頭との会話、上下は番頭が上手、八五郎が下手のはずだが、逆だったなぁ。出来立ての二ツ目さんとはいえ、これはいけません。

三遊亭右左喜 漫談 (9分)
 初。寿輔と同じ三代目円右の弟子だったようだ。短くする必要があったのかもしれないが、この漫談、まったく笑えなかった。

山上兄弟 奇術 (11分)
 お兄さんだけの登場。大きくなったねぇ。トランプ、リングなどの定番ネタとはいえ、なかなか鮮やか。しかし、そろそろ「兄弟」という看板で許されていた客席の寛容度も、次第に消えていく時期になりかかっているように思う。そして、彼らもそれを分かっているようだ。途中で自分と弟のそれぞれのイベントの案内があったが、ピンで立つ準備をしっかり進めているに違いない。北見マキ亡き芸協のマジシャンの後継者として、期待している。

三遊亭万橘『紀州』 (14分)
 昼の部は、トリの寿輔を別として、この高座が一番良かった。
 円楽一門から交替出演の枠がこの人だったことも、末広亭に来た理由の一つだった。
 本人も髪の毛の白さのことを言っていたが、きつつき以来久しぶりの私も、その白さには驚いたなぁ。
 地噺でいろいろクスグリを入れることができるネタである、豊川の実家で帰る際、母親が新幹線の豊橋駅に迎えに来る時の様子などで、客席を爆笑させる。なるほど、その母にして、この子か^^
 クスグリ七割の噺だが、ネタの骨格として支える残り三割のうちで重要なのが、小田原城主大久保加賀守が尾州公と紀州公の前に進み出ての、「この度、七代将軍ご他界し、お跡目これなく、しも万民撫育(ぶいく)の為、任官あってしかるべし」の科白。これを聞いて思い出した。数年前、私がテニス仲間との旅行の宴会で披露した時には、この科白を言わなかった。そうか、この科白入れて、また、やってみようか^^
 昼の部全体を通じても、際立った高座に、寄席の逸品賞候補として、色をつけておく。

桂小文治『浮世床-本-』 (14分)
 久しぶりだが、少し痩せたかな。
 相変らず、品のある高座。
 芸協で、こういう品格を感じるのは、小柳枝とこの人かな。
 前半は、戦争ごっこで「へい力」を競う、などやや下がかった内容もあるのだが、この人では下品に感じない。
 姉川の決戦の部分は、少し急ぎ気味だったが、寄席らしい結構な高座。

新山真理 漫談 (13分)
 芸協が「公益社団法人」、落語協会は「一般社団法人」と強調する。私はその違いについて過去に記事を書いているが、漫談のネタとしては、あまり笑えない。
 そこまで敵対視するような内容には興醒めだし、いつもの楽屋の高齢者が薬を飲む時間、というのも飽きてきた。鉄板ネタとまでは言えないから、マンネリとしか言いようがない。

雷門助六『仕立おろし』 (14分)
 この高座で、二階席が開き、途中からお客さんが入って来た。やや、騒がしかったぞ。
 この人の笑いを誘うような“間”、相変らずだが、好きではないなぁ。
 師匠八代目なら味わいのあった本編も、どうもリズムが悪く、笑えない。


三遊亭円遊 『?』(漫談?) (15分)
 九月で七十五歳になったとのこと。昭和18年生まれの未なので、私の一回り上。
 女房と孫の機嫌を取り合う様子を、ギャグを挟みながら、という内容。ネタなのか漫談なのか、不明。
 受けが悪いと上手の楽屋を見て「今日の客はダメだ」とでも言いたい素振りをするのは、私にはまったく可笑しくなかった。あれだけくどいと「笑えないのは、演者のせい!」と反発したくなるじゃないか。
 かつて、「底抜け脱線ゲーム」に出演していた若円遊も、頑固な爺さんになってしまったなぁ、という印象。

新山ひでや・やすこ 漫才 (14分)
 十八番の「最高」で客席を沸かす。こういうベテランの色物は、安心して観ていることができる。

三遊亭遊三『ぱぴぷぺぽ』 (16分)
 仲入りは、この人。
 初めて聴いた新作。
 贔屓の旦那が宴席で無茶ぶりをするので、「あいうえお~」で指定された曲を歌ってみせる。「青い山脈」や「りんごの歌」を披露。次に「ぱぴぷぺぽで、歌え!」となって、これもなんとかこなしてしまう、という内容。
 実体験に基づいているようではあるが、さて、どうなのかな^^
 客席に合わせたのかもしれないが、なかなか珍しいネタを楽しむことができた。
 昭和13年生まれ。この歌、実際にボケ防止に効果ありそうだ。

古今亭今輔『札-1グランプリ』 (16分)
 クイツキは、寿輔の弟子のこの人。
 落語初体験のお客様が多かったからかもしれないが、いつもの「パネルクイズ アタック25」に出場した話から、本編へ。
 2013年の6月に池袋で聴いている。
 あらためて、こんなあらすじ。
 財務省が、次の紙幣(お札)に印刷する有名人を決めるためにオーディションをすることになった。いわゆる“歴女”に任せたら一万円は直江兼続、五千円は真田幸村、千円は伊達政宗になり、ドラマで演じたイケメン俳優を起用しろ、ということになるから、オーディションを行おうということになった次第。さて一人目が太宰治、二人目は坂本龍馬(というか、武田鉄也)、そして三番は織田信長。太宰の面接では、彼の作品が散りばめられて、最後は、グッバイ。龍馬は、中途半端に似た武田鉄也が笑える。信長は、やや狂気の姿。
 初落語のお客さんを含め、客席を十分に温めた。

松乃家扇鶴 俗曲 (15分)
 6月の国立演芸場で、初めて聴き、なんとも言えない芸に魅かれた。
 あの時と同様、 高座に、ちょこんと座って、ゆるゆると始まる。
 まずは ♪ストトン節、から。
 男は、女性の「捨てちゃ、イヤーン」というその声に弱い。「それでは、皆さんもご一緒に」で、客席から微妙な笑い。
 ♪猫になりたや、も十八番なのだろう。
 代々の大相撲の横綱の名を並べ始めたが、6月とは違って、途中でシコ名が出てこない。鶴竜は二階席のお客さんに助けてもらったのだが、稀勢の里は登場しないまま。休場ということか^^
 円遊と同じ、昭和18年生まれ。こんなこともあるさ。

三遊亭円丸『悋気の独楽』 (15分)
 談幸の代演。
 調べてみたら、2012年4月の国立で、初めて歌丸の円朝もの『双蝶々 雪の子別れ』を聴いて驚いた日に、文治の代演で『宮戸川』を聴いていた。
2012年4月14日のブログ
 定吉の可愛さ、お妾の色気、女房の怖さ、など短い高座でもしっかり描かれていて、好印象。

三遊亭金遊『開帳の雪隠』 (13分)
 未見で、楽しみにしていた人の一人。
 『心眼』は、当代一、と評する落語愛好家もいらっしゃるようだ。
 さすがに寄席での尺、そんな大ネタはかかるはずもないが、この珍しい噺を、小気味良く演じた。
 声が良い。アナウンサーにでもなれそうな声質。
 回向院の前にある駄菓子屋さんの老夫婦が主人公の、地味な噺だが、味わい深く聴かせてもらった。
 この噺は、四年前の鈴本夏祭りで、三三で聴いて以来。
2014年8月21日のブログ
 寄席ならではのネタ、とも言えるだろう。 
 寄席の逸品賞候補としたい。

江戸家まねき猫 動物ものまね (6分)
 膝代わりは、ボンボンブラザースの代演でこの人。
 馬と鹿の会話、好きだなぁ。短いながら、しっかりトリにバトンを渡した。

古今亭寿輔『しりとり都々逸』 (26分 *~16:33)
 最前列に昨日も来ていたお客さんがいらっしゃって、やりにくいと笑う。
 昨日は、二列目に座っていたお子さんが、ゲラゲラ大きな声で笑うので、予定していたネタを変更したと語る。
 この日も最前列には十三歳の少年。
 マクラで「うどんも、蕎麦も、ラーメンも好きで」と言ったので、「ラーメン屋か!」と喜んだが、こちらのネタ。
 超高速、都々逸や川柳の掛け合い、という感じ。
 登場したものを、少しご紹介。

 「恋に焦がれて 泣く蝉よりも 泣かぬ蛍が 身を焦がす」
 「イカとタコから 生まれた子供 これがほんとの イカレタコ」
 「オシリ九つ 持ってる動物 これがホントの 九尻鬼(吸血鬼)」
 「吸血鬼 アル中吸って 二日酔い」
 「惚れた数から 振られた数を 引いて残るは 女房だけ」

 『雑俳』の川柳・都々逸版という感じ。
 一つづつのネタで笑っている間に次に進んでいる、という調子だった。
 このネタ、スピードとリズムが実に大事だと思うが、寿輔は、ほとんど言い間違えもせず、突っ走った。
 寿輔らしい高座で楽しめたのだが、私は『ラーメン屋』か古典を期待していたのだよ。


 さて、ここで昼の部がお開き。

 一階は桟敷を含めほぼ満席、二階も半分くらいはお客さんが入っていたのではなかろうか。

 一時、芸協の寄席の客の入りが悪く、ここ末広亭の席亭から苦情があったことを、遠い昔のように思い出す。
 しかし、日曜だからこその入りだろう。

 ベテランが漫談でお茶を濁す、かつての悪弊が見受けられた。
 また、笑いを催促するような間であるとか、笑いがないのは客のせい、とでも言うような洒落では済まない不遜な態度にも閉口した。
 亡き歌丸会長の存在が大きかったことを、感じないわけにはいかない。
 
 後半は、さあどうなるものか、と思いながら、少しだけ佐平次さんと立ち話。
 夜の仲入り、茶楽を聴いて出ましょうか、となった。

 夜の部は、次の記事で。

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by kogotokoubei | 2018-11-26 15:03 | 寄席・落語会 | Comments(4)
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平岩弓枝著『橋の上の霜』

 春風亭栄枝の本を挟んで、この本から五回目。

 前回は、直次郎、狂歌名四方赤良が、吉原は松葉屋の新造、三穂崎を身請けしようとしていた、ところまでだった。

 この後、直次郎は妻の理世から、高木市太郎の家に、三穂崎と同衾していて亡くなった隠居の幽霊が出るという噂があることを聞く。

 高木市太郎が三穂崎を身請けし、尼にして隠居を弔おうとしているのは、そういうこともあってのことか、と直次郎の気が重くなるのだった。
 

 ある五月雨の日、内藤新宿の平秩東作の家で月末の狂歌会があるので、直次郎は出かけた。
 そこには、あの唐衣橘洲が来ていた。
 隠居を弔うために、三穂崎を身請けし尼にしようとしている旗本高木市太郎の肩を持つ橘洲は、最近の高木家の幽霊ばなしのことを話題にするのだった。

「神楽坂のさる旗本の隠居が、吉原の振袖新造に入れあげて、そいつの腹の上で極楽往生を遂げたそうな」
 菅江と木網が制したが、橘洲はかまわず続けて。
「女に未練が残って、隠居はどうにも行くべきところにたどりつけぬ、幽霊になってまで三保の松、三保の松とわめき散らし、あげくの果は、その女の情夫にたたろうという勢いなそうな」
「およしなされませ、橘洲先生」
 ぴしっと遮ったのは元木網で、
「お若い先生をおからかいなさるのも、よい加減になさいませ。四方先生には奥様もお子もおありのこと、なんで、そのような女子とかかわりをお持ちなさいますものか」
 橘洲が高笑いをした。
「そうともよ、四方どののお内儀は良妻賢母、それに四方どのに優るとも劣らぬ策士じゃでな」
 腹の虫を押さえていた直次郎が、橘洲の言葉に眉を上げた。
「我が家の女房が策士とな」
「はてさて、まことに騙されたか」
 いよいよ面白そうな橘洲が、
「幽霊ばなしを信じたのか」
 がんと横面をひっぱたかれたような気がした。
「戯作者は高木どのの妹、七江どのじゃ。それに、貴公のお内儀が一役、買って、女と貴公が手を切るようにもちかけた。流石、四方どののお内儀、近頃、評判の山東京伝よりも役者が上じゃよ」
 雨の中を直次郎はとび出した。

 ずぶぬれになって帰宅した直次郎は、妻を殴った。

 父の吉左衛門が息子を奥へやって、母が着がえの世話を焼いているところへ、駕籠で浜辺黒人がかけつけて来た。
 直次郎は会わなかったが、吉左衛門に今日の顛末を語って戻って行ったらしい。
 やがて、直次郎の書斎へ吉左衛門が利世と里世を伴って入って来た。
「浜辺黒人どのから話はきいた。実は、わたしも知っていたのだ」
 思いがけない父の言葉に、直次郎は再び、かっとなった。
「こんなことになるのではないかと、女どもをとめたのだが、それ以外に、そなたを三穂崎という女から遠ざける法はあるまいといわれてな。止むなく、知らぬふりをして居ったのだ」
 直次郎が打ちのめされたのは、妻も両親も三穂崎の名を知っていたことである。

 直次郎の心中、いかばかりか。
 
 おろおろと母が泣いた。
「今度のことは、高木様からきいて来たのは里世さんだが、そうするように勧めたのは、この私なのですよ。母がこうしてあやまります。許してたもれ」
 父の吉左衛門も息子をなだめた。
「女子の無分別とは思うが、里世の気持ちも察してやれ、女子は夫だけが頼りなのだ。お前に女が出来たと知って、どのように苦しんだか・・・・・・」
 なにをいわれても、直次郎の怒りは鎮まらなかった。
「ともかくも、手前は三穂崎を身請けいたします。こうなっては、あとにはひけません」

 直次郎の揺れる思いに、この幽霊騒動が背中を押した、ということか。
 
 翌朝、直次郎は松葉屋を訪ねた。
 そこには、偶然にも高木市太郎の妹、この度の幽霊騒動の仕掛け人と言える七江も来ていた。三穂崎の妊娠の噂を聞きつけて確認に来たのだった。
 追って、大文字屋の主人、加保茶元成や蔦屋重三郎も集る。
 
 七江に直次郎は、三穂崎の子は必ずしも直次郎の子とは言えないが、それでも身請けするかと聞かれた。直次郎、「幽霊ばなしに騙されて、惚れた女を断念したとあっては、手前の男が立ちません。この上は刀にかけても三穂崎は手前の手活けの花とします」と、七江に向かって言い放つ。
 七江も高木家で身請けすることを、諦めざるを得なかった。

 身請けの金大半は、作品の前金ということで蔦屋重三郎が出してくれることになった。
 三穂崎は、引き続き加保茶元成の別荘、逍遥亭に留まることとなり、直次郎は、三穂崎を身請けすることができた。

 しかし、この身請けが、先々直次郎の身に大きな不幸を呼び込むことになる。

 直次郎は、三穂崎のいる逍遥亭に入り浸りとなり、自宅にはほとんど帰らなくなった。
 妻の里世は、精神状態に狂いが生じ、とうとう、近くの神社の楠の大木に丑の刻まいりをすると願いが叶うという噂を聞き、毎夜、藁人形に釘を打ち付けるという行動に出た。
 平秩東作がその姿を確認し直次郎に告げる。
 直次郎が深夜その里世の姿を認め、家に連れ帰り、深く里世に謝り、ようやく自宅に戻るのだった。

 しかし、そうなると、三穂崎が、直次郎を憎むのも必然。
 その心労もあったのだろう、三穂崎は流産。

 直次郎の弟、金次郎の進言もあり、家を増築し、三穂崎を引越しさせた。

 妻妾同居は、当時はそれほど珍しいこととは言えないが、それは、大店で、妻もよく知る女中などが妾となって同居し、仕事も助け合うなどの場合はともかく、貧乏侍の家に吉原の元新造が同居するのであるから、決して平穏な同居とは言えない。

 自業自得とは言え、直次郎は不安を抱えながらの生活を送ることになる。

 そして、世は将軍家治から家斉の時代に。
 田沼意次は失脚し、倹約と文武が奨励される、住みにくい時代が到来した。

 そんな時、ある落首が、江戸のみならz、上方にまで流行った。

   世の中にかほど(蚊ほど)うるさきものはなし
         ぶんぶぶんぶというて身を責めるなり

   まがりても杓子は物をすくうなり
         すぐなようでも潰すすりこぎ

   孫の手のかゆい所へとどきすぎ
         足のうらまでかきさがすなり

 中でも、最初の落首は、女こどもも口にするほどになった。

 そして、この落首が、直次郎、四方赤良の作という噂が広まったのだった。

 狂歌と落首はまったく違うものとして、落首は作ったことのない直次郎。
 訊ねられる都度、否定はするが、噂とは怖ろしいもの。

 ついに、上司から呼び出しがあった。

 さあ、その後、直次郎はどうなったのか・・・・・・。

 それは、ぜひ、本書を読んでご確認のほどを。
 

 大田直次郎、号は南畝、狂歌名の四方赤良、後の蜀山人。

 後世に残る数々の狂歌や戯作で有名なこの人物、決して順風満帆な人生を歩んだとは言えない。

 話半ばながら、このシリーズこれにて、お開き。


 さて、本日は日曜だが、恒例のテニスは都合の悪い人が多いため人数が揃わず休みとなった。
 そうなれば、落語だ。

 末広亭の昼夜居続けに、これから出向く予定。

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by kogotokoubei | 2018-11-25 09:36 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(0)

 平岩弓枝著『橋の上の霜』の記事を続けているが、少し、ここで仲入りとしたい。

 内容も、やや深刻なムードが漂っているので、気分を変えよう。

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春風亭栄枝著『蜀山人狂歌ばなし』
 狂歌、なかでも蜀山人が大好きな落語家の春風亭栄枝は、『蜀山人狂歌ばなし-江戸のギャグパロディーの発信源-』という楽しい本を書いている。

 平成9(1997)年、三一書房から初版発行。

 『橋の上の霜』は、大田直次郎という人物の物語が中心で、狂歌などの作品はそう多くは紹介されていない。
 
 ということもあって、栄枝の本から、蜀山人の狂歌を紹介したくなったのだ。
 併せて、栄枝の楽しい文章もね。

 『橋の上の霜』の記事は、大田直次郎が、吉原は松葉屋の新造、三穂崎を身請けするかどうか、という話に進んでいる。

 さて、そのあたりの頃を含め、栄枝の本から、引用。
 平岩さんと妻や新造の名前の字が微妙に違うが、それぞれ原文のままである。
 どちらが正しいかは、勉強不足で不明。ご容赦を。

 さて、天明六年(1786)というと、あの狂歌ブームで南畝得意の絶頂期でした。
 そんな時、南畝は吉原の遊郭・松葉屋の三保崎という遊女を身請けしています。身請けとは、廓内での借金すべてを代わりに払ってあげ、廓から出してやることです。
 つまり、今でいえば大型の「援助交際」ってとこでしょうか・・・・・・。
 (中 略)
 しかし当時、南畝が遊女・三保崎を身請けしたというビッグニュースは、時の三流スキャンダル誌に絶好なネタとて大いに書きまくられたかも知れませんね。
「大田南畝が援助交際!」
「独占スクープ 南畝に愛人発覚!」
「愛人が綴る南畝との愛欲の日々 本誌に独占手記!」
 などなど大きな活字が躍って、江戸の市中を賑わせたかも知れません。
 しかし一方、妻のお里与さんにとっては、この上ない苦悩の時期だったといえます。

  世の中は 酒と女が 敵なり
   どうか敵に めぐり会いたい

 と南畝自身も歌に詠んでいますが、世の中の男どもすべてが、「そう、そう、その通りだ。うまいこというもんだ」なんていっていること間違いありません・・・・・・。
 この歌はなんの説明も必要とせず、落語のマクラに大いに使わせてもらっています。

 やっと、狂歌が登場し、落語との関係性も出た。

 なかなか、敵にはめぐり会えないのが、私の今日この頃^^

 ということで、太田直次郎、蜀山人については、こちらの本からも、今後紹介するつもり。

 志ん朝と同じ昭和13年生まれの栄枝は、最初の師匠が私が大好きな八代目柳枝。
 百枝の師匠としての方が知られているかもしれない。
 この本、実に楽しいのですよ。

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by kogotokoubei | 2018-11-22 12:27 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(0)
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平岩弓枝著『橋の上の霜』

 この本から四回目。

 ざっと、あらすじを振り返る。
・大田直次郎、狂歌名は四方赤良、後の蜀山人は、吉原は松葉屋の新造(花魁の一歩手前)の三穂崎に入れあげていた。
・その三穂崎の客が、なんと松葉屋で三穂崎と同衾中に亡くなった。
・三穂崎は気の病になり、直次郎の狂歌の弟子である大文字屋主人、加保茶元成の別荘で静養することになった。
・亡くなった客は、直次郎の家の近くに住む、旗本の高木市太郎の父だった。その市太郎が、三穂崎を身請けし、尼にして父の菩提を弔わせたいと松葉屋に申し出たとのことで、直次郎の心中は穏やかではない。
・狂歌仲間の唐衣橘洲とはある事情から疎遠だったが、久しぶりに狂歌会に橘洲が顔を出した。
・その橘洲に呼ばれて小料理屋へ行くと、そこには、高木市太郎が居た。

 ということで、さて、その小料理屋での会話から再開。

「高木様、大田直次郎にございます」
 橘洲がいい、直次郎は頭を下げた。相手は旗本である。
「大田直次郎とやら、頭を上げてくれ、今日は私用だ」
 若い声であった。直次郎とほぼ同年齢の筈なのに、二十代の若者のような張りがある。
 容貌も若かった。
 鼻筋が通って、鼻梁が高い。切れ長のいい眼をしていた。唇はやや薄いが、形は悪くない。濃い眉は如何にも意志が強そうだが、容貌の総体から受ける感じはむしろ、優しかった。
 体つきといい、堂々たる偉大丈夫である。
 横にひかえている橘洲の小柄なのが、一層、貧弱にみえる。
 意識して、直次郎は上体をそらし、胸を張った。そうでもしないと位負けしそうな相手である。
「さて、なにから申そうか」
 視線が合うと、高木市太郎は女のように微笑んだ。直次郎は慄然とした。高木市太郎の笑顔の中に、なにか異様な妖しさを感じたためである。
「その方は吉原、大文字屋主人と昵懇ときいたが、左様か」
 直次郎が黙っていると、橘洲が代りに答えた。
「大文字屋主人は加保茶元成と申しまして、この者の狂歌の弟子でございます」
 直次郎は、狂歌ときいた時、美男の旗本が鼻の先で笑ってうなずいたのを、素早くみて取った。
 これは屈辱であった。
 狂歌師、四方赤良としての直次郎の盛名を相手は軽蔑している。
「然らば、その方より大文字屋主人に申しきかせい。三穂崎と申す女は松葉屋の抱えである。何故に、他の妓楼の女を手前の寮へかくまって返さぬのか。不埒ではないか」

 この時の直次郎の心中は、もちろん穏やかではない。
 若々しい旗本の市太郎に、狂歌師であることを、蔑まれていることで、ハラワタが煮えくり返るようだったに違いない。

 やむなく、直次郎は頭を上げた。
「高木様には、なんの故に、左様なことを仰せられますのか、手前にはわかりかねますが」
 市太郎がふたたび笑った。今度の笑いには、残忍な気配がある。
「知らぬか」
「存じません」
「さらば申そう。あの女は我が父・寛斎が目をかけつかわした者、さだめて恩を感じて居ろう。我が父、歿きあとは、苦界より救い出し、仏の道に入らせようと思う」
「当人が、それをのぞんで居りましょうか」
「なに・・・・・・」
「憚りながら、それは、あまりにも世間知らず、身勝手なお考えかと存じます」
 旗本を相手に、なにをいい出すのかと、直次郎は自分自身にあきれていた。が、舌のほうはもう止まらなくなっている。
「廓は来る客は、侍、町人の別なく、定めの金を払って登楼いたします。妓楼の女にとって、客は商売。商売に色も恋もなく、恩の義理のと申すのは筋違いでございます。ただし、高木様のお父上が、三穂崎の間夫であったとおっしゃるなら、話は別でございますが」
 高木市太郎が凄いような眼で直次郎をみつめたが、直次郎は臆さなかった。
「売り物、買い物の客と遊女の仲で、客の一人が死んだからとて、一々、遊女が出家していては、吉原は坊主だらけになりましょう。それこそ、吉原田圃を尼寺だらけにしたところで追いつきは致しますまい」
 橘洲が手を上げて直次郎を制した。

 直次郎も侍とはいえ、70石五人扶持、役人の“はしくれ”に過ぎない。
 相手は、旗本。
 なんとも、凄いことを言ってのけたものだ。

 しかし、最後の“吉原田圃を尼寺だらけにしたところで”の啖呵、いいねぇ。

 直次郎の言葉を制した橘洲が、「売り物、買い物の女ならば、金を払って身請けして、尼にしようと、殺そうと高木様の御勝手であろう」などと言うものだから、直次郎は、仙台公と高尾太夫の逸話を引き合いに出し、「無理無態に廓の女の髪を切ったの、殺したのと、もし世上に知れたらなんとなさるか」と高木に迫った。

 流石に高木市太郎が顔色を変えた。
 しかし、やがて口を出た彼の声には、もう動揺はなかった。
「成程、その方の申すこと、一々、もっともと聞いておこう」
 帰るぞ、と唐衣橘洲に声をかけて立ち上がってから、直次郎をふりむいた。
「大事なことを忘れて居った。先だっての葬儀にはそこもとの御妻女どのも手伝いに参られたそうだが、まことか」
 直次郎は軽く会釈をした。忌々しいが事実だから仕方がない。
「妹の話では、その折、口さがない女どもが三穂崎と申す女の噂などいたし、又、三穂崎に大層、執心の者が御徒屋敷の中に居るとやら姦しくいいたてていたそうな。おそらくはそこもとの耳にも達していような」
 直次郎は体中が火の海になった。
 高木市太郎の笑い声が廊下のむこうへ遠ざかり、唐衣橘洲がそのあとを追って行くのを茫然とみつめた。

 このあと、四谷の小料理屋を出た直次郎は、気がつくと、三穂崎(おしづ)が静養する大文字屋の別荘(寮)に来ていた。
 
 そして、おしづに言うのだった。

「高木市太郎になぞ、お前を渡さぬ。俺が身請けをするが、それでよいか」
 おしづは口を半びらきにしたまま、直次郎をみつめた。自分の耳疑っているかのようである。
「おしづ、お前は俺に身請けされるのがいやか。どうなのだ」
 女の反応のなさがじれったくて、直次郎は細い肩をつかんで、乱暴にひきよせた。
 おしづの手が、直次郎の胸に触れた。指先に力をこめて、男の体をまさぐってくる。
 不意に女体が指の先から蛇に化したようであった。直次郎は逃げられなくなった。

 あらあら、高木市太郎への敵愾心から、ついに、直次郎は言っちゃった。

 しかし、この後、すんなりと事は進まないのであった。

 今回はこれにて、お開き。

 これまで紹介した内容は、第一章「恋よ恋」と第二章「七人の敵」。
 全体で480頁の、まだ70頁が済んだばかり。

 次の章は「山王祭」になるが、これからは要約をしながら、少し先を急ぐつもり。
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by kogotokoubei | 2018-11-21 12:27 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(0)
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平岩弓枝著『橋の上の霜』

 この本から三回目。

 松葉屋の三穂崎の客が倒れて医者が呼ばれた、というのが前回最後のお話。

 その客はそのまま亡くなった。

 直次郎は、勤めからの帰り道で同僚の岡島金五郎から、その客が、牛込の自宅からそう遠くない旗本の高木市太郎の父親であったことを知る。

 毎日その大きな家の前を通っている、その家の隠居だったのだ。

 三穂崎、本名おしづは、その出来事から気の病になり、大文字屋の主人、加保茶元成の別宅で療養していた。

 その元成から、直次郎は意外なことを聞くのだった。
 それは、洲崎の料理屋升屋で接待を受け、飲みすぎて一眠りした後のこと。

 主人は心得ていて、客をかえし、直次郎が眼がさめる頃を見はからって、酔いざめの水を持って屋敷へ来た。
「もし、お目ざめになられましたか」
 掛け布団を押しのけて、起き上った直次郎に、
「実は、あちらのお座敷に大文字屋の御主人がみえられて居りますが・・・・・・」
「一人か」
「おつれさまがございましたが、皆様、もうお帰りで、大文字屋さんだけが、先生のことを耳にされて、酔いがさめられるのをお待ちになって居ります」
「それは、すまなかった」
 襟をかいつくろっている中(うち)に、女中が大文字屋主人の加保茶元成を呼んで来た。
「お目ざめでございましたか」
 なにか、よい狂歌はお出来になりましたかと訊かれて、直次郎は破顔した。
「久しぶりに、旨い酒を飲んで大酔したばかり、なんの風雅も湧いて来ないな」
 少し、酒が欲しいと宗助に命じたのは、大文字屋主人と二人だけで話がしたかったからであって。
 で、宗助が去ると、すぐに低声(こごえ)でいった。
「先だっての、三穂崎の客は、高木と申す旗本の隠居ではなかったのか」
「やはり、お耳に入りましたか」
 元成のほうも、その話だったらしい。
「屋敷が近くなのだ。なんの因果か、家内が頼まれて、葬式の手伝いに行った」
 流石に、元成は眼を丸くした。
「そのようなことがございましたか」

 直次郎は、蔦屋からの依頼の作品が書き上がらないので、おしづとは暫く会っていないので、大文字屋に様子を聞くのだが、まだ気が高ぶって落ち着かないとのこと。
 そして、大文字屋から驚く話を聞くのだった。

「先生は御存知でございましょうか。高木様とおっしゃる旗本の御当主様のことでございますが・・・・・・」
 高木市太郎であった。
「顔は知らないが・・・・・・」
 近所に住んでも、身分が違った。
「かように申しましては、なんでございますが、なくなったお方が廓へ通って居られたこと、ひどく、お怒りとか聞いて居ります」
 直次郎は夜の海を眺めた。
「まあ、快くは思わぬだろう」
 隠居の父親がとんでもない場所で死んだばっかりに、随分、世間体の悪い思いをしているに違いなかった。
「金も使ったらしいし、公けにはならなかったが、噂はけっこう広まっている」
「それが、松葉屋へ使をよこしなさいまして三穂崎さんを落籍(ひか)したいといってみえたそうでございます」
 直次郎にとっては、青天の霹靂であった。
「なんで、息子が身請けをするのだ」
 ひょっとして、三穂崎に一目惚れをしたのかと思ったが、事実は、それどころではなかった。
「松葉屋の主人が手前に申しますには、高木様では三穂崎さんを身請けして、尼にして、御隠居様の菩提をとむらわせようとおっしゃるので・・・・・・」
 加保茶元成が顔をしかめ、直次郎はあっけにとられたまま、視線を宙に浮かせた。

 これには、直次郎が驚くのも当然。
 自分が間夫と信じて疑わない三穂崎を訪ねた客がその場で亡くなったことも心中穏やかではないのに、その子供である当主の高木市太郎が、三穂崎を身請けし、尼にして亡くなった父の弔いをさせようというのだから。


 さて、ここで、いわゆる狂歌三大人を確認。

 もちろん、直次郎の四方赤良、そして、すでに登場している朱楽菅江。
 そして、もう一人とは。

 月に数度は狂歌の会がある。
 その月の末の向島での狂歌会には、久しぶりの顔がみえた。
 唐衣橘洲(からころもきっしゅう)という狂歌名をもつ人物で、小身ながら田安家の侍であった。
 本名は小島源之助といい、狂歌では直次郎よりも、むしり先輩格であった。四谷にある彼の屋敷では、しばしば狂歌の会が催され、門弟も多い。
 実をいうと、直次郎とは古くからの友人であった。唐衣橘洲、朱楽菅江に直次郎を加え、狂歌三大人と呼ばれた時期もある。それが数年前から、いささいあ疎遠になっていた。
 きっかけは二つの狂歌集の出版をめぐってであった。
 今から四年前の天明二年に、唐衣橘洲が中心となって『狂歌若葉集』を編纂するにあたって、何故か橘洲が直次郎と朱楽菅公の狂歌を一首も加えなかったものである。
 その理由については、直次郎や朱楽菅江と親しい友人の間で、
「橘洲は自分が狂歌の先輩にもかかわらず、狂歌師としての名声は四方赤良、朱楽菅江に上を越されてしまったので、それをねたんで、若葉集から二人の狂歌を除いたのだ」
 と、もっぱら噂をされた。

 その『狂歌若葉集』と時期を同じくして、 直次郎と菅江の二人で狂歌集『万載(まんざい)狂歌集』を編纂し、これが大当たりで続編も発行された。
 かたや若葉集は、続編の予告をしていたにもかかわらず、それが発行されることはなかった。
 『万載狂歌集』によって、四方赤良の名声はさらに上った。
 それから疎遠になった二人だったが、久しぶりに狂歌会に顔を出した橘洲から、数日して、使が来て、四谷の小料理屋で会いたいとの報せ。

 旧交を温めようということか、と思った直次郎がその小料理屋を訪ねたのだが。

 待ちくたびれた頃に、廊下に足音がして、まず橘洲が座敷へ入って来た。続いて、もう一人、侍であった。
 お納戸色の紋付の着流しで、帯にはさんでいる印籠は玉兎の蒔絵の見事なものだし、手に下げている刀の造りも贅沢であった。
 先に来た直次郎が遠慮して下座にいるのに、なんの会釈もなく、床の間を背にして座布団に端座した。着流しのくせに、おっとりと品がいい。
「お引き合わせ申そう、こちらは高木市太郎様だ」
 橘洲の口調に居丈高なものがあるのに、直次郎は気づいた。
 しかし、それよりも今、自分の前にいる相手が高木市太郎と知った驚きのほうが遥かに大きかった。

 なんと、数年前から疎遠だった唐衣橘洲が、三穂崎を身請けして尼にしようとしている、旗本の高木市太郎を連れて来るとは・・・・・・。

 この後、三人はどんな会話を交わすことになるだろうか。

 それは、次回のお楽しみということで、今回はこれにてお開き。惜しい切れ場だ。

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by kogotokoubei | 2018-11-19 19:54 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(0)
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平岩弓枝著『橋の上の霜』

 この本から二回目。

 直次郎は狂歌会の後、松葉屋に三穂崎を訪ねてから二日ほどおいて、内藤新宿に、平秩東作(へずつとうさく)を訪ねた。

 もともと、甲州中馬宿渡世をしていた稲毛屋の主人だが、父親の死後、煙草屋に転業し今は手広く商いをしている。直次郎とは、内山賀邸の同門であり、狂歌仲間でもあった。平秩東作は狂歌名で、本名は金右衛門という。直次郎よりも二十三歳も年上であり、大変な子福者で、今は商売を子供達にまかせて、伊豆の天城山で炭を焼かせて、江戸へ運んで商売をしたり、誘う人があると蝦夷地へまで旅に出たり、好き勝手な隠居暮しをしている。

 この平秩東作は、平賀源内との親交があった人としても知られている。源内が獄死した後に遺体の引き取り手がなかったのだが、危険を犯す覚悟の上で東作が引き取った、とされている。

 その年上の友人の東作を、直次郎は、松葉屋で会った老人のことを語った。

「左様、その仁が三穂崎さんの客ということは、あり得ないことではございませんな」
 大体、新造を買う客は、老人が多いのだと東作はいう。
「年をとってくると、孫ほどの年の女がよくなると申しましてな。振袖に前帯という新造の出立(いでたち)もさることながら、十七、八の若い娘に色気を出すのが多うございます」
 吉原あたりでも、成熟した華魁は老人には重荷で、むしろ、青くさい新造のほうが具合がいいというむきがある、と笑っている東作も六十歳を過ぎている。六年前に妻をなくして、目下、独りであった。
「手前が知っている話でも、いい年をした隠居が、孫娘のような新造に夢中になって大枚の金を散財したというのがございますよ」
 持部屋のない新造に、部屋を持たせ、見習女郎から一人前の姉女郎に昇格させてやるには、かなりな金が要る。

 その昔のお金持ちの高齢者の遊びとは、そんなものだったのか。
 たしかに、若い子が近くにいるだけで、こちらも若返るということはあるなぁ。
 私も還暦を過ぎていて、なんとなく、そういった傾向は分からないでもない。しかし、とても、悠々自適ともいえないし、遊ぶ余裕も、気持ちもない(ということにしておこう^^)

 この後、直次郎は東作から、あまり三穂崎にのめり込むことのないように、という序言をもらい新宿を後に牛込の家に帰った。
 家には、蔦屋重三郎からの便が届いていた。

「至急、お願いしたいことがございまして、是非、四方先生にお出で頂きたいとの主人の口上でございます」
 蔦屋は、吉原大門口にある書肆だった。主人の重三郎は蔦の唐丸の狂歌名を持つ、直次郎の弟子でもある。

 直次郎にとって、蔦屋は重要な商売仲間でもあった。

 好都合とも思い、蔦屋へ向かった直次郎だが、蔦屋は大文字屋に出かけていて留守。
 しばらく待っていると、蔦屋の番頭と一緒に大文字屋の主人、加保茶元成が一緒にやって来た。

「まずいところへお出でになりました」
 いいにくそうに、
「三穂崎さんのお客が、急に具合が悪くなったようでございまして・・・・・・」
 今、医者が松葉屋へ入ったという。
 大袈裟なことだと、直次郎は思った。
 酔って気分が悪くなったのなら、「袖の梅」という万能薬でも飲ませておけばよい。
 それにしても、三穂崎にもう先客が登楼しているというのが不快だった。
 その客がはやばやと帰れがよいが、具合が悪いから泊るとでもいい出したひには、なんのために吉原まで来たのかわからない。
 蔦屋重三郎も帰って来たが、どうも、仕事の話という雰囲気でもなかった。
「とのかくも、先生、お口汚しに・・・・・・」
 奥の部屋で酒の用意がされ、ちょっとした肴も並んだが、直次郎にしてみれば、到底、腰をすえて飲むどころではない。
「三穂崎の客というのは、何者なのだ」
 厚顔なのを承知で訊くと、
「それが、商家の御隠居とばかり思って居りましたところ、お侍だったそうで・・・・・・」
 というところをみると、馴染客である。直次郎はいよいよ、腹が立って来た。
「隠居というからには、老人か」
「はい、七十をすぎたとみえるお方で、なんでも御旗本とか」
 旗本の隠居ときいて、直次郎は消沈した。
 こっちは御目見以下の七十俵五人扶である。
 (中 略)
「病気はなんなのだ、持病でも出たのか」
 年甲斐もなく、若い女にうつつをぬかすから、そんなことになるのだと、直次郎はいささか痛快であった。
「それが、松葉屋のほうでは、ただ、具合が悪くなったというばかりで、要領を得ませんので・・・・・」
 ありようは、蔦屋重三郎が新しい著作のことで、直次郎に依頼をしたいというので、それなら三穂崎に知らせておかなくては、と松葉屋へ使をやったところ、すでに、客が来ているという。
「なんとも不手際なことで、どうにかならないかと、主人のほうへかけ会って居ります中に、お客が病気と知れましたので・・・・・・」
 加保茶元成は恐縮しているが、その様子はどこか不安そうであった。

 三穂崎の客は旗本の隠居だった。
 その客が倒れた。
 そして、大文字屋の主人、加保茶元成からうかがえる不安とは・・・・・・。

 今回は、ここまで。
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by kogotokoubei | 2018-11-18 16:27 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(0)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛