噺の話

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 架空の会見を考えてみた。

 太字は麻生読みで、(  )内が漢字と正しい読み。

記者 テレビ朝日が、福田前次官のセクハラ被害者が自社の社員であると
   公表し、財務省に抗議すると言っていますが。
麻生(顔をしかめ、口を曲げて)
   う~ん、福田に実際セクハラをしたか事実のユウム(有無 ウム)を
   確認したら、やってない、というんですからねぇ。
   私としては、福田の言葉を信用するしかないでしょう。
記者 では、なぜ、辞任したんですか。
麻生 これだけの騒動になって、とても落ち着いて仕事ができない。お騒がせした
   責任があるから辞めたい、と言う以上、認めるしかないでしょう。
   他にどういうショチ(措置 ソチ)をしたらいいんですか。
   まぁ、テレビ朝日の抗議内容は、それが届いたら、そのヨウサイ(詳細 ショウサイ)
   をね、精査します。
記者 大臣ご自身の進退について、どうお考えですか。
麻生 これだけハンザツ(頻繁 ヒンパン)に、いろんなことが起きることには、
   責任を感じていますが、辞めずに、この問題を解決することも私の責任です。
   さまざまな事実をフシュウ(踏襲 トウシュウ)して、ミゾウユウ(未曾有 ミゾウ)の
   困難を解決するのが、私の役目だと思っています。
記者 財務省を統督するのが、大臣の責務ですよね。
麻生 え、なに?
記者 ですから、組織を統督する責任がありますよね。
麻生 尊ぶ、責任?
記者 いえ、統督、です。
麻生 ・・・・・・。
記者 国家行政組織法10条に
  「各省大臣、各委員会の委員長及び各庁の長官は、その機関の事務を統括し、
   職員の服務について、これを統督する。」
  とあるのです、知りませんか。
麻生 へぇ、そうなの、これから、六法全書を精査して・・・・・・
記者 いえ、あなたは、国語辞典を精査してください。
麻生 ・・・・・・。


 この会見は、もちろんフィクションです^^

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by kogotokoubei | 2018-04-19 12:18 | 幸兵衛の独り言 | Comments(4)
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葉室麟著『河のほとりで』(文春文庫)

 この本から三回目。

 前回は藤沢周平について葉室麟がどう思っていたか、ご紹介した。
 今回は、司馬遼太郎のこと。

 司馬さんのソファー
 仏教的な世界観 培った 宗教記者時代

 <司馬さんのソファー>と呼ばれる長椅子がある。
 作家の司馬遼太郎さんは、もとは産経新聞の記者で若かりしころ、京都の宗教回りを担当していた。京都は各宗派の本山だけでも何十もあり、行事や人事も多く、これらを記事にするのが宗教回りの記者だ。司馬さんは東西両本願寺の記者室を中心に国内でも唯一、世界的にも珍しい「宗教記者クラブ」の創立メンバーのひとりだった。

 司馬作品は結構読んでいるが、このことは知らなかった。

 まさに、京都ならではの記者クラブと言える。

 引用を続ける。

その当時、司馬さんが宗教記者クラブの記者室で横になって本を読んでいた長椅子が、いまも<司馬さんのソファー>として保存されているのだ。
 京都、西本願寺の宗教記者室を訪れて拝見させてもらった。記者室の一角にあるソファーは、何の変哲もない長椅子に違いないのだが、司馬さんが新聞記者から作家に転身した後でも宗教記者時代の姿を覚えていたひとが多かったということだろう。
 そんなことを考えていると、宗教記者だった司馬さんはそのころの経験から仏教的な世界観を持つにいたったのではないかと、ふと、思った。
 司馬さんは戦時中、従軍して戦地に行く際には親鸞の『歎異抄』を持っていったという。「蓮如と三河」という文章の中で司馬さんは『歎異抄』を読んだ体験について、
「とくに『歎異抄』を読んでいるときに、宗教的感動とともに、芸術的感動がおこるのである。

 親鸞は弟子一人ももたず候

 ということばなどは、昭和十八年、兵営に入る前、暮夜ひそかに誦唱してこの一行にいたると、弾弦の高さに鼓膜が破やぶれそうになる思いがした」
 と書いている。生と死の問題を考えざるを得なかった戦時中だけでなく、戦後、作家になった司馬さんの作品の中にも仏教の影響が見え隠れする。

 この後、葉室麟は、司馬作品の中の仏教の影響の例として、『空海の風景』はもちろんとして、『国盗り物語』における斎藤道三の法華経の解釈のことや、『燃えよ剣』や『新撰組血風録』に見られる仏教的な無常感などを挙げている。

 そして、このエッセイは、次のような文章で締めくくられている。

 『「昭和」という国家』では、日本という国は昭和に入って「魔法の森」に入ったと述べ、この「魔法の森」のために数百万人の日本人が死んだとしている。そのことの是非はさておき、司馬さんは昭和という時代が、仏教でいう釈迦の教えが顧みられなくなる、 
 -末法の世
 に見えていたのではないかという気がする。
 もし、そうだとすると、司馬さんが存命なら昭和だけでなく、平成の今も「魔法の森」に入った末法の世だと思ったのではないだろうか。

 
 いわゆる司馬史観について、さまざまな意見があると思う。

 明治維新を高く評価し、それ以降、あの戦争までを暗黒時代と見なすことへの反論はあるだろう。
 維新の功臣たちを英雄視し、市井の人々への視線に欠けているという指摘もあるだろう。

 しかし、司馬史観に肩入れしないとしても、明治維新までと、それから日清・日露、そして太平洋戦争に向かう時代の様相の違いは大きい。
 もし、「魔法の森」に入ってしまったとするなら、それは、昭和からなのだろう、という指摘は否定できないように思う。


 そして、葉室が指摘するように、昭和が「魔法の森」に入ったとするならば、間違いなく、平成もまた「魔法の森」に舞い戻ってしまったのではなかろうか。

 戦争をしやすい国家にしようとする者が国のリーダーである状況は、あの戦争の前の日本の状況と似ていはしないか。

 しかし、同じ過ちをしてはいけない。
 早く、その森から抜け出さなくてはいけない。
 司馬遼太郎も、そして、葉室麟も、きっとそう言うに違いない。

 この文章を読んで、そんなことを思っていた。
 
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by kogotokoubei | 2018-04-17 20:36 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(0)
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葉室麟著『河のほとりで』(文春文庫)

 この本から再び。

 藤沢周平について書かれた章。
 まずは、葉室麟に藤沢周平のことを紹介してもらおう。

 藤沢周平文学
 たじろがず 過去を振り返る ひそやかな強さ

 藤沢周平さんは時代小説の大先達だ。わたし自身、藤沢作品をこよなく愛するファンのひとりでもある。
 七月に山形市に行く機会があったおりに、鶴岡市の藤沢周平記念館を訪れた。
 藤沢さんは昭和二年に山形県東田川郡黄金村大字高坂(現鶴岡市高坂)に生まれた。
 山形師範学校に学び、中学教師となったが、結核が見つかって休職、教師生活は二年間で終わった。六年余の闘病の後、東京の業界新聞社に就職した。仕事の傍ら小説を執筆し、昭和四十八年、直木賞を受賞した。四十五歳のときだ。故郷の鶴岡市では、藤沢さんの業績を讃えて、藤沢さんの書斎を再現し、自筆原稿や創作メモなどの資料を展示する市立記念館を建設、四年前にオープンした。

 この文章が西日本新聞に掲載されたのが2014年9月。だから、記念館は2010年のオープンということになる。
 藤沢の直木賞受賞は昭和47(1972)年の『暗殺の年輪』。

 葉室麟は、記念館で『風の果て』の特別展示を見たようだ。

 藤沢作品の中でも『風の果て』は特に好きだ。どこが好きなのかと言えば、中年にさしかかた男が過去を振り返らざるを得なくなったときの視線に思いがけないほどの温かさがあるからだ。
 生きていくことは過酷で、何かを得ていくことは、同時に大切なものを捨てることである。それだけに過去を振り向くには難しい。自分が見たくないものを見ようとはしない。蹉跌の苦情やひとを傷つけたかもしれない自らの傲慢さから目をそむけてしまう。しかし、藤沢作品には、たじろがずに過去を振り返るひそやかな強さがある。

 この文章を目にして、葉室麟がどれほど藤沢作品から影響を受けてきたかを知った。

 葉室が藤沢作品について評した、“たじろがずに過去を振り返るひそやかな強さ”は、葉室作品の主人公に、そのまま当てはまると思うからだ。

 この文章の後、藤沢が教科書に載っていた佐藤春夫の詩「望郷五月歌」を暗記していたことが『半生の記』に書かれていると、同詩の一部を紹介している。

 その『半生の記』で、藤沢が戦時中にクラス全員で予科練志願すべきと、級長として国を憂うる正義派ぶって級友をアジったことを悔いていることを葉室は紹介している。

 そして、こう言う。

 軍国主義の時代、戦争協力を当然のごとく叫び、意に従わない者を声高に非難した<愛国者>は多かったに違いない。だが、戦後になって、そのひとたちは自らがしたことを悔いただろうか。手のひらを返したように「仕方ない」ですませたのではないか。
 自らがしたことを後悔する誠実さ、やさしさは現代になって失われつつあるものだ。
 いまもなお藤沢文学がひとを癒やすのは、時代の波に押し流されない「悔いるやさしさ」があるからだ、とわたしは思う。

 「悔いるやさしさ」は、その根底にある「悔いる強さ」は、藤沢作品に魅かれた葉室麟の作品にも、感じるものだ。

 良き読み手が、良き書き手になったのだなぁ、と、このエッセイを読んで強く感じた。

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by kogotokoubei | 2018-04-16 21:42 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(0)
 13日の金曜日、仕事が休みで昼夜居続けするつもりでいたのだが、野暮用で家を出るのが遅れた。
 そのため、残念ながらお目当ての一人だった春風亭小柳枝の復帰高座には間に合わなかったが、昼の主任の鯉朝は一度聴きたかったし、夜の立川談幸の主任も楽しみなので池袋へ。また、夜の膝前は、寿輔。これまた目当ての一人。加えて、色物の膝替わりも良いしね。

 三時過ぎに入って、楽屋脇のモニターを見ると、日替わり出演の上方のべ瓶が『もぐら泥(おごろもち盗人)』)途中。
 一服していると、ボンボンブラザースのお二人が相次いで楽屋入り。なるほど、ああいうバッグにいろいろ入っているのか、と新たな発見。べ瓶の後の遊馬の次が出番。

 べ瓶がサゲたので客席に入ると、四割ほどの入り。
 まず、最後列のパイプ椅子に座り遊馬を聴いて、その後、三列目の上座側に座った。
 昼の部で聴いたのは、膝前、膝、トリだった。

 順に感想など。

三遊亭遊馬『権助魚』 (19分 *15:13~)
 久しぶり。少し痩せたかな。
 将棋の羽生の1400勝などの短いマクラから本編へ。
 こういう噺は、ニンだなぁ。
 旦那が「権助を連れて行くなら犬のほうがマシだ」には、笑った。
 権助が魚屋で仕入れる網取り魚は、鰊、スケソウダラ、目刺し、蛸、蒲鉾だが、蛸の時に、魚屋が「魚のことは何でも知ってる」と言ったのに権助が「蛸のイボイボはいくつあるかね」と聞くのは珍しい。
 
ボンボンブラザース 曲芸 (13分)
 繁二郎さん十八番の紙を鼻に乗せる芸、なんと、客席に降りて一周してくれた。
 お手伝いしたお客さんも、なかなかのもの。芸協の色物の中心コンビ。膝の役割をしっかり。

瀧川鯉朝『死神』 (32分 *~16:19)
 お目当ての一人。ようやく聴くことができた。
 マクラで、今回の席の裏テーマは、療養していた小柳枝の復活だった、と語る。
 この日も元気に出演したようだし、前日は、柳昇一門の落語会があり、そちらにも総領弟子として出演したとのこと。なお、鯉朝も最初は柳昇に弟子入りした人。
 モニターで小柳枝の高座を見ていた一門二番弟子の桃太郎が、ぼそっと「大丈夫だ」と呟いたのを、鯉朝は耳にして嬉しかったと語る。なかなか、いい話だ。
 ネタは、サゲを改作しているが、私としては、今一つ、という印象。
 しかし、小柳枝の近況報告は、嬉しかった。
 なお、鯉朝のブログを見ると、この日の出演者の写真の中に、その小柳枝も含まれている。
瀧川鯉朝の該当ブログ
 小柳枝は五月の池袋上席の昼の部、鯉昇と交互出演とのこと。
 高座がはねてから、鯉朝は客席を回って割引券を配ってくれた。この人、お客への気配りを感じる。新作もやるようだ。また、聴きたくなった。

 昼の部がはねても、八割位の方はそのまま残っていたような気がする。

 さて、夜の部始まり。

立川幸吾『子ほめ』 (12分 *16:33~)
 初。談幸の弟子。
 この後の吉幸が、まだ入門数ヶ月、二十歳と言っていた。
 声が大きくはっきりしているのは良いのだが、ほとんど、棒読み。
 精進していただこう。

立川吉幸『大安売り』 (15分)
 兄弟子として幸吾のことをフォローするようなプロフィール紹介の後、相撲の話題になって、栃ノ心が好き、と語る。なぜなら、怪我で幕下まで降格して復活したから。降格は、辛いですよー、と自虐ネタ。
 自分も芸協に入って前座からやり直したからねぇ。
 そういった苦労を重ねた吉幸の高座は、寄席ならではのネタ。本人が実に楽しそうに演っているように見受け、降格の苦労の甲斐もあったように思う。

宮田 陽・昇 漫才 (15分)
 中国各州の位置ネタ、十八番とはいえ、何度聴いてもたいしたものだ。
 「重力波」->「十六茶」のネタなど、全編笑えた。芸協の色物、充実している。

笑福亭里光『東の旅・発端』 (16分)
 最前列に前の日にもいらしたお客さんを発見し、「同じネタですんません」と詫びる。
 東京の下座さんとはいくつも合わせるのが難しいので、という言訳だったが、この人は鶴光の弟子で東京で活動している。他のネタももっているだろうに、と思う。
 リズムが今一つだった。
 六年前の6月、縁あって同じ池袋の真打昇進披露興行に来ている。
2012年6月17日のブログ
 本当はその日の主任の予定だった柳城が病気で出演できなくなり、彼のお客さんを前に柳城の十八番ネタを演るという気配りのある噺家さん。
 東京で初の上方落語の真打という謳い文句だった。ぜひ、今後も精進して欲しい。

神田紅『髪結新三・鰹の強請』 (15分)
 この人の講談は好きだ。
 新三、弥太五郎源七、大家の長兵衛それぞれが生き生きと描かれた。
 長兵衛は三十両を並べる際、講談では五両包みで六つだが、歌舞伎では一枚一枚、などという解説も親切。
 最前列の前日も来られたお客さんは、しっかり続き物として楽しめただろう。

マジックジェミー 奇術 (12分)
 卵のネタをお客さんを舞台に上げてやったが、お客さんがなんとも味のある方だった。

柳亭楽輔『天狗裁き』 (19分)
 ずいぶん久しぶり。五年前の国立演芸場以来。
 芸風は小遊三に似ているのだが、もう少し粗っぽい、という感じ。
 
桂歌春『元犬』 (21分)
 仲入りは、この人。歌丸の総領弟子だが、最初は桂文生と同じ二代目桂枝太郎に入門した人だ。
 大学は葉室麟と同じ。
 昭和24年生まれだから古稀だが、高座はいつも明るく若々しい。しかし、良くも悪くも、軽妙という形容が当てはまりそうだ。

鏡味よし乃 太神楽 (12分)
 くいつきは、初めての女性一人の太神楽。
 協会のプロフィールを確認すると、ボンボンブラザースの繁二郎さんの弟子のようだ。
 五階茶碗から傘を披露。明るい笑顔を一所懸命の芸、好感が持てた。

立川幸之進『のめる』 (19分)
 談幸の二番弟子を初めて聴くことができた。
 この日は、兄弟子の吉幸と順番が入れ替わって、深い出番。
 まだ、細かい所作、たとえばご隠居の家の戸を開ける仕草に戸の重さを感じないなどの問題はあるが、全体には、楽しい高座だった。弟弟子も入ったことだ。今後も頑張ってもらいましょう。

古今亭寿輔『堀の内』 (21分)
 久しぶりだ。
 黄色のテトロンの着物が、なんとも言えない。
 「男ばかりだねぇ」と一言。たしかに、四十人位の客席、女性は四名だったかな。
 最前列のお客さんが前日も来ていたことを思い出し、「ネタ、替えなきゃいけないじゃないの」と笑う。実際にネタを考えていたようで、「三年で四回位しか演らないネタ」と本編へ。
 家を出て間違えて着いた場所が浦安。途中で道を尋ねた人が走り出し「こら、逃げるなぁ」と言うと、「ジョギングしているんです」は可笑しかった。本来の内容に、独特のクスグリを挟むが、これが大爆笑。女房が金坊に「お父っつんに湯屋に連れてってもらいなさい」と言うと、「いやだ。それくらいならイスラム国に行く」は、少し旬を過ぎたネタとはいえ可笑しかった。湯屋で手拭いを前に出す仕草をして、「この噺、円遊師匠に教わったんですが、こうやって手拭いを前に出すんですよ」と回想。そうだったんだ。
 連日のお客さんのおかげで、寿輔の珍しいネタを楽しむことができた。
 寄席の逸品賞候補として、印をつけておく。

東京ボーイズ 歌謡漫談 (14分)
 いつもの、何とも言えない味の漫談。
 ♪高崎は今日も雨だった、は、ぜひCDリリースを期待したい^^

立川談幸『宗珉の滝』 (31分 *~20:32)
 かつての落語の名人は、まず高座に着いてから、お湯を口に含み、痰を切り、なかなか話し始めない。一番の名人は、何も話さず終わる、と喜多八を思い出させるマクラから本編へ。
 師匠横谷宗珉をしくじり、上方に旅に出た宗三郎が、旅籠岩佐屋に泊まる。
 実は無一文、という筋書きは『抜け雀』や『竹の水仙』に似ている。大きく違うのは、この岩佐屋の主人。宗三郎の仕事が彫り師と聞いて、何か作った物があるかと、宗三郎が持っていた鍔を見る。そして「どうして、こんな死んだ虎を掘ったんだ」と言う。それを聞いた宗三郎、姿勢を正して頭を下げ、「この虎を死んでいると言ったのは、師匠の次にご主人が二人目」と、破門のいきさつを話す。その主人の目利きを頼りに、これから修業をし直すので、弟子にして欲しいと頼む宗三郎。主人も意気に感じて空いた部屋で修業をさせる。そんなある日、紀州藩留守居役の木村又兵衛が宿を訪れて・・・筋書きはこのへんまでにしておこう。
 前半は、宗三郎の江戸っ子の滑らかな口調が心地よい。そして、怒った時の岩佐屋の主人が、なんとも威厳があり、それまでの柔らかな高座が、しっかり引き締まった。
 かと言って、固い調子がずっと続くわけでもない。酒を飲みながら三日三晩、殿様のために彫った那智の滝の鍔が二度殿様に受け入れられず、岩佐屋の主人に一喝されて心を入れ替え、那智の滝に二十一日打たれ断食した後に彫った鍔も駄目なら腹を斬る、と言った宗三郎に、よし私も腹を斬ろう、そして、お前達も、と使用人たちに言う場面などは、実に可笑しい。
 サゲの後、なぜ、見た目は前の二作より劣るように見えた鍔が、殿様の目に留まったのかを木村又兵衛を通じて確認した後、志ん朝などの音源では、晴れて破門が解け、二代目宗珉を継いだ、となるのだが、談幸は二代目になったとはしなかった。
 これは独自の解釈なのかどうか、わからないが、そもそもこの講談が元の噺の主人公は実在したかどうか不明なので、必ずしも二代目としなくても良いのだろう。
 江戸っ子の流れるような語り口は、一朝と双璧ではないかと思った好高座。今年のマイベスト十席候補としたい。


 約五時間半の池袋、やや腰に疲れを感じたものの、夜の寿輔と談幸の二席だけでも、来た甲斐があった。

 やはり、寄席はいいねぇ。
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by kogotokoubei | 2018-04-15 17:12 | 寄席・落語会 | Comments(12)
 葉室麟が昨年12月に亡くなったことを知った時は、しばらく、呆然とした。

 まだ六十代後半だ。

 発行されている作品の七割位は読んでいると思う。
 
 実在の歴史上の人物がモデルの本もあるし、フィクションもあるが、登場人物につい感情移入してしまう名作、佳作が多い。

 これから、まだまだ歴史時代小説好きを楽しませてくれると思っていたので、残念でならない。


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葉室麟著『河のほとりで』(文春文庫)
 『河のほとりで』は、その葉室麟のエッセイ集。

 2月に文春文庫のオリジナルとして発行。

 内容の大半は西日本新聞に掲載されたものだ。
 
 「書物の樹海で」の章は、他の作家の作品の解説が中心。

 その中の2015年4月発行の山本兼一著「おれは清麿」の解説から引用したい。

 山本兼一さんとは生前、安部龍太郎さん、伊東潤さん、佐藤賢一さんととものに歴史座談会でご一緒したことがある。
 座談会が終わって、中華料理店での打ち上げで山本さんの隣に座らせていただいた。にぎやかに雑談しながら、ふと横を見ると、山本さんはいつもにこやかな表情で杯を傾けておられた。
 聡明で人徳のある方だという印象だった。
 それだけのご縁だったと思っていたが、振り返ってみると、山本さんが『利休にたずねよ』で直木賞をとられたとき、わたしも候補のひとりだった。
 このときは、同じ時代小説家の北重人さんも候補だった。五十歳過ぎの歴史時代小説家三人がそろって恋の話を書き、直木賞候補になっていると、ある新聞に書かれた。

 この第140回直木賞、葉室は『いのちなりけり』、北重人は『汐のほとりで』で候補になった。
 『いのちなりけり』には続編があり、その『花や散るらん』も直木賞候補になった。
 この二冊を通して、雨宮蔵人と咲弥という男女の数奇な人生を中心に、赤穂事件の背景への独自の解釈で味付けをしたもので、たしかに、『いのちなりけり』だけでは、直木賞選考委員も本命とは推しずらかったかもしれない。

 引用を続ける。

 初候補のわたしにとっては、照れくささもあり、晴れがましさもあった。しかし、三人のうち、北さんは直木賞候補の翌年に急逝され、昨年、山本さんも永い眠りにつかれた。
 残されたひとりとしての寂寥感はもちろんあるが、それ以上に逝かれた山本さんや北さんが何を作品に込められていたのだろうか、と日々、考えてしまう。
 三人とも作家としては中年になってからの<遅咲き>のデビューで歴史時代小説を書くにあたっては、それぞれの人生と重なり合う思い入れがあったはずだ、と思うからだ。

 その葉室麟も、永い眠りについた。
 
 読者である我々の寂寥感は、まだ癒されない。

 もう新作がないと思うと、まだ読んでいない作品を、急いで読む気になれないのだ。

 このエッセイ集では、藤沢周平、司馬遼太郎という先輩歴史時代小説作家について書かれた文もあり、次回は、その中からご紹介するつもり。

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by kogotokoubei | 2018-04-13 12:38 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(2)
 かつて、柳家喜多八と三人で睦会として開催していた扇遊と鯉昇(二人)が、毎回ゲスト(三客)を招く企画に替わったが、その四回目に初めて行くことができた。

 6時半には桜木町駅に着き、急いで一蘭で腹ごしらえ。

 会場の入りは八割ほどだっただろうか。

 睦会の時も、満席になった記憶はないので、まあまあということか。

 こんな構成。
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(開口一番 三遊亭馬ん長『つる』)
入船亭扇遊 『厩火事』
春風亭一朝 『蛙茶番』
(仲入り)
林家 花  紙切り
瀧川鯉昇  『味噌蔵』
--------------------------------------

 出演順に、感想などを記す。

三遊亭馬ん長『つる』 (16分 *19:00~)
 初。円馬の弟子とのこと。
 ご隠居が、若い衆のような口ぶり。全体に粗っぽいが、勢いを感じ、私の印象はそれほど悪くなかったのだが、終演後の居残り会で、他のお三方は全員「うるさ過ぎ」とのことで、評価は悪かったなぁ。

入船亭扇遊『厩火事』 (28分)
 自分が入門した時は、両協会を含め、真打ちは百人くらいだった、と振り返る。
 最近の言葉は判らない、KYなんて、柳家小三治でしょう、で笑った。
 この噺は、十八番の一つと言って良いだろう。
 お崎、旦那、亭主、それぞれの人物がしっかり演じ分けられていた。旦那が、亭主の悪口を言った時の、お崎のなんとも言えない表情などに、女性を演じることにかけて、東京落語界では屈指の芸達者であると感じさせる。
 落語の教科書のような高座。
 調べてみたら、2012年と2014年の扇辰との二人会で、この噺を聴いている。
 また、同じ会場の、この会の前身の睦会では2009年1月に聴いている。
2009年1月6日のブログ
2012年8月8日のブログ
2014年4月23日のブログ
 何度聴いても、流石、である。

春風亭一朝『蛙茶番』 (25分)
 芝居の大向こうについてのマクラから、この噺か、あるいは『芝居の喧嘩』か、どっちかなぁ、と思いながら聴いていた。どちらにしても、十八番、と言えるだろう。
 とにかく、半公の喜怒哀楽が、聴きどころ、見どころだった。
 舞台番という役目にふてくされていた半公を丁稚の定吉が、呼びに行く。
 お店の旦那に、化け物の芝居をする時は役をやる、今回は舞台番、と言われたと言って怒りまくっている半公の“怒”の場面は、江戸っ子の立て板に水の啖呵が心地よい。
 いったん帰った定吉が番頭に知恵を授けられあらためて半公を訪ね、半公が惚れているミー坊の名を出した際、喜びのあまり半公の声が裏返ったのには、笑った。
 湯屋に縮緬の褌を忘れているとも気づかず、かしらとその娘に往来で出会い、つい、着物の裾をめくってみせた場面の可笑しさは、なんとも言えない。
 下手に演じると、下品になる噺だが、流石の一朝、楽しく仕上げた。
 マクラを引くとほぼ二十分。寄席で鍛えた技量と言えるだろう。

 昨年6月、新宿末広亭で弟子一之輔の見事なこの噺を聴き、年間マイベスト十席に選んでいる。
2017年6月9日のブログ
 弟子の好高座は、その手本が良いからだ、ということを再認識。

 仲入りで、佐平次さん、I女史、F女史と立ち話。
 I女史と、「今日は、それぞれの十八番の日だね」ということで一致。
 
林家 花 紙切り (19分)
 2011年の新宿末広亭初席以来。
2011年1月8日のブログ
 その時、こんなことを書いている。
◇花:へぇ~っ、芸協には、こんな美人の女流紙きり芸人さんがいるんだ、と楽しく見させてもらった。トークもほど良い毒があり、私は好きだ。
 たしかに美人の部類ではあると思うが、あれから七年も経つと、やはりねぇ・・・・・・。
 ご挨拶代りの「京の舞妓」、リクエストで「藤娘」(あまり舞妓と違わないのでは^^)、なかなか声がかからないので「大谷翔平」(今ひとつ)、遅刻気味のリクエストで「パンダ」、師匠の今丸と同じように、最後はお客さんの横顔。加えて「長崎ぶらぶら節」を踊るサービス(?)付き。

 なお、女性の紙切りは、もう一人、三遊亭絵馬がいる。
 成瀬の東雲寺のさん喬、新治の会に出演していた。
2013年11月4日のブログ
 その時に新治が説明してくれたが、あの会の第一回では、花も出演したとのこと。
 技術は二人ほぼ互角かなぁ。トークは絵馬の方が上だと思う。
 絵馬は、東京演芸協会の所属で、こちらがプロフィール。
東京演芸協会サイトの該当ページ
 
瀧川鯉昇『味噌蔵』 (41分 *~21:24)
 十八番の日なら、きっと食べる場面のあるネタか、と思っていたら、この噺。
 マクラでは、五年前、飛行機のチケットを買う際、年齢の欄に正直に60歳と書いたら、係の人から「正直に書いてください」と言われた、というネタで会場が爆笑。
 仲入り前の二人は、落語協会で、きっちり、長い噺を聴かせる。芸協は、「あれ、終わったの!?」という高座。九十代で現役の噺家は芸協にしかいない。それだけ、力を抜いて楽にやる、などとふっていたので、逆に長講になるだろうと予想していた。
 ケチな味噌屋の主人が、周囲の薦めで嫁をもらう、というプロローグを長めに挟むが、他の人にはない鯉昇ならではの構成。
 番頭が、好きなものを順に言え、というのに対して、甚助さんが考えた挙句「梅干し」というのが、なんとも可笑しい。番頭が他にないかと言うのに「納豆」、でも笑った。木の芽田楽を売り出したのは「角のカラ屋」。その豆腐屋では、ただのオカラしかもらったことがないから、カラ屋だと思っていたという話には、彼ら使用人の日々の悲惨な食生活を思い、泣けてくる^^
 好きなものの中に「蒟蒻畑」が登場するのも、妙に笑える。
 女房の実家に泊まるはずの旦那が帰った後のドタバタで、蛸の酢の物の大皿を股の下に隠す甚助さんの何とも言えない表情が、秀逸。
 その酔った甚助さんの、解読不能の言葉にも会場大爆笑。
 食べる場面は、お手のもの。
 たっぷりの山葵で刺身を挟んで食べた時の驚愕の表情や、芋の煮っころがしをフウフウしながら頬張る場面などは、面目躍如。
 三人とも十八番ネタの競演の中で、芸協を代表して(?)の好高座、今年のマイベスト十席候補とする。


 終演後は、楽しみにしていた居残り会。
 リーダー佐平次さん、やはり事前にチェックしてくれていた。
 本命だったにぎわい座裏の居酒屋は、カウンター席のみで満席に近く、四人では無理。しかし、佐平次さんは他の店にも目をつけていた。流石。
 今年開店したばかりの焼き鳥がメインの、洒落たお店があり、ちょうど、テーブル席が空いていた。

 入ると、BGMが、ジャズ。
 なかなか、いい感じだ。
 焼き鳥や、焼き竹の子や卵焼き(焼きづくし^^)など美味しい料理を肴に、落語のことや能のこと、そして、I女史が、八十代、七十代、六十代の女性よったりで行ったフランス旅行のお話などで盛り上がり、高清水の二合徳利が次々に空く。今月中に、またお会いすることを約束し、名残惜しくお開き。
 帰宅が日付変更線を越えたのは、言うまでもない。

 あらためて、久しぶりの鯉昇も良かったし、扇遊、一朝も十八番で楽しませてくれた良い会だったと思う。

 そろそろ、喜多八ロスから、仲の良かった噺家さん達も、そして聴くこっち側も立ち直りつつあるような気がする。

 昨夜、我々が焼き鳥を串から外して食べていたのを、喜多八は空の上から、「そりゃぁ本寸法じゃござんせんぜ!」と、睨んでいたにちがいない^^

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by kogotokoubei | 2018-04-12 12:47 | 寄席・落語会 | Comments(4)
 春風亭一之輔が、いろんな落語の舞台を歩く毎日新聞の企画「ぶらっと落語歩き」が、三月をもって連載終了とのこと。

 同新聞の記事から引用。

毎日新聞の該当記事

記者の目
「ぶらっと落語歩き」連載を終えて 街の未来図、探しながら=濱田元子(論説室兼東京学芸部)
2018年4月11日 東京朝刊

 古典落語を手がかりに、東京の「今」に、江戸の「昔」を探す。そんなたくらみから2013年4月、落語家の春風亭一之輔さんを案内人に始めた連載「ぶらっと落語歩き」(東京本社版朝刊)に、この3月でひと区切りつけた。振り返れば、「花見の仇討(あだうち)」から「三味線栗毛」まで56の噺(はなし)を取り上げた。往時の面影はほとんど失われてしまった東京だが、落語を重ねてみることで、埋もれた“地層”から思いがけなく江戸のかけらを見つけたことも少なくなかった。街も人も変わりゆくなかで、変わらないものもあっていい。どんな街で、どう生きたいのか。今またあらためて突きつけられているような気がする。

 結構楽しみにしていた。

 埋もれた“地層”から思いがけなく江戸のかけらを見つける、なんて、なかなか味のある表現。

 引用した内容の先は有料記事なのが、残念。

 「三味線栗毛」の最終回からも、少し引用。

毎日新聞の該当記事

 実は雅楽頭は実在した大名の名前。というわけで、一之輔さんとやって来たのが、かつての江戸城、今は皇居の大手門の前(東京都千代田区大手町1)。現在の大手町・丸の内かいわいは大名小路と呼ばれ、武家屋敷が建ち並んでいた。その中でも大老になれる家系であった酒井雅楽頭の屋敷があったのは、大手門のすぐ近く、江戸城に面した“一等地”だ。

 武家屋敷の面影はまったくなく、代わりに大企業のオフィスビル街へと変貌。皇居と堀が往時の名残をとどめる。

 「雅楽頭ってすごいよねえ。こんなところに屋敷を持ってたなんて。登城にも遅刻できないですよね」。大手町はホール落語会が多く、一之輔さんにとっては意外となじみの場所。「ランチタイムになるとタイ料理とかいろんなものを売りに来てますよね。そんなに高くないんです」

 このあたりの光景が一変したのは明治の初期。1871(明治4)年、雅楽頭屋敷跡に旧大蔵省の庁舎が置かれ、74(同7)年には旧内務省と合同の木造2階建ての新庁舎が建設された(1923年の関東大震災で焼失)。さらに時代は下り、現在は三井物産と三井不動産による大規模再開発工事の真っ最中。2020年2月末には2棟の高層オフィスビルが建つ予定という。
 『三味線栗毛』、現役なら喬太郎の高座を思い出す。

 2020年に向け、ますます、江戸のかけらを発見できる地層は、深くなるばかり。

 サイト「はなしの名どころ」の管理人、田中敦さんの本『落語と歩く』に関する記事で紹介したが、田中さんは、時代とともに失われる落語の舞台について「文庫(アーカイブ)」をつくる必要性があることを主張されていたが、まったくその通りだ。

 ほおっておくと、どんどん、落語の舞台は面影がなくなったり、その地名が味も素っ気もないものに変わってしまう。


 このちっぽけなブログででも、何かできることを考えたい。
 

 毎日の連載については、別な噺家さんで、再開を期待している。

 新シリーズは、ぶらっと歩きながら、小さな木札でもいいので、落語の名所案内を残すなんて企画はどうだろう。

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by kogotokoubei | 2018-04-11 17:53 | 幸兵衛の独り言 | Comments(0)
 ワールドカップ直前での、サッカー男子日本代表監督更迭。
 
 あらためて、日本サッカー協会という組織のお粗末ぶりに呆れている。

 滅多にサッカーのことで記事は書いていないが、三年近く前、アギーレ監督解任の際にも、日本サッカー協会の問題について書いた。
2015年6月18日のブログ

 その記事でも書いたことだが、ブラジルでの男子W杯、ザッケローニ・ジャパンの予選リーグ敗退が決まるや否や、日本サッカー協会はアギーレ監督体制づくりに動いた。
 結果、アギーレは八百長事件に巻き込まれて辞職することとなった。
 これを称して、「アギーレ帰った」と言う(^^)

 そして、その後に選ばれたのが、ハリルホジッチ監督だ。

 今につながる監督問題の根っこは、明らかにアギーレを選んだ時にある。

 日本サッカー協会のお粗末な履歴を整理すると、こうなるのではないか。

 (お粗末1)八百長疑惑のあったアギーレを、拙速に監督にしたお粗末
 (お粗末2)結局、アギーレを解任することになったのに、協会の幹部は、
       誰ひとり、任命責任を負わなかったお粗末
 (お粗末3)アギーレ選定と同じ顔触れで後任監督探しを行ったお粗末
 (お粗末4)W杯出場を決めたハリルホジッチ監督を、協会として管理、および
       支援できなかったお粗末
 (お粗末5)W杯二か月前という時期になって、ハリルホジッチを解任したお粗末

 現在、アギーレは実刑判決の可能性が高くなっている。

 当時から八百長疑惑があったアギーレを監督に推した中心人物は、当時の原博実専務理事と霜田正浩技術委員長である。

 そして、この二人が、ハリルホジッチの監督就任にも中心となって動いていた。

 なぜ、アギーレの後任探しを、早い話が失敗した、人を見る眼がなかった同じメンバーに任せたのか、当時の大仁会長の責任も小さくはない。
 もちろん、協会理事や副会長を歴任してきた現田嶋会長の責任も問われるべきだろう。

 そして、遅ればせながら、その後に原、霜田の二人は協会人事で降格されたので、結果として、ハリルホジッチを助ける役割の幹部がいなくなったということも、今回の解任にはつながっているのだろう。

 しかし、ハリルを解任するなら、昨年12月に東アジアE-1選手権で韓国に1-4で惨敗した時に、判断すべきだった。
 
 今回もヨーロッパでの惨敗から解任までに、時間を空けすぎている。
 あのテストマッチの結果で解任もありえる、と考えていたのなら、敗戦から間髪を入れずに決めて発表すべきだった。

 とはいえ、それにしても本大会の直前であるのには変わりがない。

 ここまできたら、ハリルと心中する覚悟が必要だったろうに。

 練習試合でみじめな試合をしたら、それを反省し、協会はハリルと徹底的に話し合いを行い、また、選手との関係を良好にする努力を行いW杯に臨むべきだったのではないか。

 後任の西野監督は、同世代でもあり応援したいのだが、あまりにも準備期間が短短すぎる。

 なお、西野については、1996年アトランタオリンピックのブラジル戦、いわゆるマイアミの奇跡ばかりが取り上げられるが、結果として予選リーグは突破できなかった事実についても、メディアは伝えるべきだろう。

 さて、予選リーグの相手は、結構強敵揃いである。

 ロシアW杯こそ、奇跡を願うしかなさそうだ。


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by kogotokoubei | 2018-04-10 08:32 | 幸兵衛の独り言 | Comments(6)
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田中敦著『落語と歩く』(岩波新書)

 この本から、四つ目の記事。

 落語を調べる際に度々お世話になる「はなしの名どころ」の管理人さん、田中敦さんの本。
「はなしの名どころ」
 
 円朝の「上野下野道の記」について書いているので、やはり、同時代に円朝と対抗していた談洲楼燕枝についても、本書からご紹介しておきたい。

  「第4章 三遊亭圓朝と人情噺」より。

 初代談洲楼燕枝

 初代談洲楼燕枝は、三遊亭圓朝とならび称される落語家です。亡くなった年も圓朝と同じ明治三十三年(1900)でした。市川團十郎と親交が深かったことから、柳亭燕枝から談洲楼に亭号を改めました。今でも作品が演じられる圓朝にくれべて、残念ながら燕枝の作品を耳にする機会はほとんどありません。

 本書の発行は、2017年1月。
 著者田中さんにしては、柳家三三が『嶋鵆沖白浪』を口演していることをご存知ないのかなぁ、とこの部分を読んで不思議に感じた。

 とはいえ、円朝作品に比べれば、あまりにも燕枝作品は知られることがないのは事実だ。

 著者は、書籍やネットで知ることのできる燕枝の作品を紹介してくれる。

 現在、手軽に読むことができる燕枝の作品は、『名人名演落語全集』第一巻(立風書房、1982年)に掲載された「西海屋騒動」の一部、「続噺柳糸筋(やなぎのいとすじ)」の長編人情噺と数題の落語に過ぎません。よく筆が立つ人で、速記者を頼まず自分で原稿を書きました。そのためか、修辞に富んだ文語的な表現が多く、今の感覚では読みにくいと感じられます。演題のんみが伝わっている作品を含め、『名人名演落語全集』に燕枝の全作品リスおTが載っています。
 なお、下記の燕枝作品については、インターネットを通じて読むことができます。
「島鵆沖白浪(佐原の喜三郎)」「善悪草園生咲分(よしあしぐさそのうのさきわけ)」「墨絵之富士」「仏国三人男」(フランスの翻案もので、地名の一部が二本のものに置きかえられている)。また、雑誌『百花園』には、しばらく客演のように三題噺を連載していましたが、三十一号からは、「海気の蝙蝠」「元旦の怪談」(『クリスマス・キャロル』の翻案)、「痴情の迷」「函館三人情死(しんじゅう)」「怪談 浮船」「和尚次郎心の毛毬栗(いがぐり)」と次々と作品を発表しています。
 へぇ、『クリスマス・キャロル』の翻案まで演っていたんだ。

 この後、「函館三人情死」のあらすじと、その舞台への旅の思い出がつづく。

 それにしても、燕枝のネタ、島鵆と西海屋以外、知らなかったなぁ。

 ぜひ、ネットで読むつもりだ。

 さて、本書の最終章に移る。

 「第5章 失われゆくもの 残す力」から。 

 著者田中さんならではの提言が語られている。

 何千とある落語名所との出会いは、個人にとっては一期一会。ほとんどが二度と訪れることのない場所でしょう。ところが、誰も来ないと思うような山奥に入っても、誰かしらの踏み分け道があるものです。どんな場所でも、一年を通してみれば、何十人、何百人という人がその地を訪れているはずです。一人ではできないことも、多くの人の経験が寄せ集まると、自然と大きな残す力になると考えます。

 「上野下野道の記」の旅で紹介したように、田中さんは、すでに今は幹線道路ではない山道も辿って、落語の舞台を探索している。

 きっと、こんなところに来るのは自分一人だろう、と思える場所も多かっただろうが、たびたび「えっ、こんなところにも来ている人がいる!?」と、驚かれたのに違いない。

 道や橋や昔の味わいのある地名などが、時の移ろいの中で失われていくことへの憂いから、なんとかならないか、と思う気持ちには共感できる。
 
 落語の速記として残されたものもあるが、演目のみは残っていて、その中身は謎のものだって多い。

 数多くの速記本に目を通し、日本全国の落語の舞台を訪ねた著者田中さんは、消えて行く落語、そしてその舞台のことを、大いに案じている。

 そこで、提言。

 落語の文庫(アーカイブ)
 
 すでに演芸関係の図書館・資料館が、関連図書や演者の愛蔵品などの収蔵を行っています。ここで保存しておこうと提案しているのは、個人でもできる範囲のものです。たとえば、落語名所の写真や土地にまつわる聞き書きといった、もっとバーチャルなものになります。
 取り壊されてしまった建物や、変わってしまった風景などが、古い絵はがきに写真として残されていることがあります。名所旧跡にくらべて、むしろ、ありふれた路地のたたずまいなどの方が、写真に残っていないのかもしれません。残らないものは、残すしかありません。持っていないならば、集めることです。まずは、失われてしまわないうちに収集・保存しておくことが先決でしょう。

 読んでいて、田中さんが、あの「はなしの名どころ」という膨大な落語情報のサイトをつくった動機が、分かったような気がした。

 田中さんは「文庫(アーカイブ)」以外に、「籾蔵(レポジトリ)」という言葉も使っている。

 落語の籾蔵(レピジトリ)

 江戸時代には、飢饉のときなどに備えて籾すりしていない米を備蓄する籾蔵というものが設けられていました。「梅若礼三郎」では、寝たきりの亭主を抱えた夫人が幕府に籾蔵の配給を願うくだりがあります。上方落語の衰退を愁いて、五代目松鶴らが四十九冊の雑誌『上方はなし』を出版したことは、第3章に書きました。先人が籾蔵に残した種籾が、蒔かれ育てられ、今の上方落語の美田につながっているのです。
 落語の文庫は、それを公開し、利用してもらうことで、将来的には籾蔵になるかもしれません。もちろん、権利関係の問題など、解決すべき課題はあるでしょう。遺伝子資源の宝庫である世界中の植物の種子は、国家間の難問を乗り越え、実際にノルウェーの極寒の島の地下深くの種子貯蔵庫に保存されていると聞きます。公開の時が来るまで、奥蔵に眠らせておくのでも構わないと思います。また、落語の知恵だけでなく、愛好家の本業の知恵を集めれば、技術的な面も運用面もきっとクリアできると期待しています。
 
 籾蔵、という言葉、なかなか味わい深い。

 膨大な落語速記本に目を通し、その多くの舞台を踏破してきた著者だからこその提言なのかもしれない。

 このあと、著者田中さんは、自分たちで落語の名所をつくろう、という提案をしている。
 コイン程度の小さなプレートでもいいから、落語の名所に、そっと置いてみましょう、というのだ。

 なるほど、それは、楽しそうだ。

 これにて、このシリーズは、お開き。

 ぜひ、私も、小さい旅でもよいから、落語と歩いてみようと思う。

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by kogotokoubei | 2018-04-08 15:50 | 落語の本 | Comments(2)
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田中敦著『落語と歩く』(岩波新書)

 この本から、三つ目の記事。

 落語を調べる際にお世話になるあのサイト「はなしの名どころ」の管理人さんの本。

 あのサイトで、とにかく落語の舞台を丹念に歩いていることに驚いていたが、その旅の背景に、どれほどの準備があるのか、この本を読んで分かった。
「はなしの名どころ」
 とはいえ、著者田中さんが訪ねたくても、それが叶わないこともある。

 時代の流れの中で、落語の舞台だった地名が、今はなくなっていることも少なくない。

 そんな地名のことについて、「第3章 まだ見ぬ落語をたずねて」から紹介したい。

 失われた地名

 すでに無くなってしまった場所も訪問しようがありません。大規模なものでは城や川、小さなものでは橋や路地、旅館や飲食店などです。市町村合併や住居表示の実施により、地図から消えてしまった地名もあります。
 旧地名や跡などについては、近ごろ自治体が説明板を建てるようになったり、親柱を保存展示したりするようになってきました。個人・団体が地名を表示してくれていることもあります。
 (中 略)
 本所達磨横町は、二席の落語にとって、とても大事な地名です。「文七元結」の長兵衛親方の住まい、「唐茄子屋政談」の酸いも甘いもかみ分けた叔父さんの家が、達磨横町にあります。昭和五十八年(1983)に、江戸本所郷土史研究会が墨田区東駒形一丁目に木製の立て札を建てています。区画整理によって道筋が変わっていますので、多少場所はずれているようですが、本当にありがたいことです。写真では文字が見えませんので、一部を引用します。

    旧本所達磨横町の由来

  江戸時代から関東大震災後の区劃整理まで此の辺りを本所表町番場町と
  謂い紙製の達磨を座職(座って仕事をする)で作っていた家が多かった
  ので、番場では座禅で達磨出来るとこ と川柳で詠まれ有名であり天保
  十年(1839)葛飾北斎(画家)が八十一歳で達磨横町で火災に遭ったと
  謂われる。
  初代三遊亭円朝口演の「人情噺 文七元結」は六代目尾上菊五郎丈の
  当り狂言で(中略:文七元結の梗概)文七とお久は偕白髪まで仲良く
  添い遂げたと謂う。(後略)

 風情ある立て札でしたが、墨色は次第にあせてきており、ついには木札が朽ちてしまったのでしょうか。今は、区の教育委員会が建てた将棋の木村義雄名人の生誕地を示す金属製のプレートに置きかわっています。

 
 本書には、「旧本所達磨横町の由来」の立て札の写真も掲載されている。

 その写真は、「はなしの名どころ」サイトの「墨田区」のページで確認できる。
 「はなしの名どころ」サイトの該当ページ

 しかし、この立て札は、もうないんだね・・・残念。

 本書は、コラムも楽しい。
 この章の最後には「刻まれた名店」というコラムがある。
 大阪の料亭「網彦」、そして、品川の「島崎楼」の後、懐かしい寄席のことについて、旅で見つけた、その名が刻まれたある物について紹介されている。

【神田立花】戦前、時局にそぐわない五十三種の落語を禁演落語と定め、浅草本法寺に“はなし塚”を建てて封印しました。戦後、それらの禁演落語は法要が執り行われて復活し、代わって戦時の落語が封印されました。その本法寺のの石積み塀に、噺家の名前や、東京各地の寄席の名前が朱色の文字で刻まれています。神田立花演藝場、麻布十番倶楽部、人形町末廣、上野本牧亭、川崎演藝場、昔の池袋演藝場・・・・・・、今は営業をしていない寄席の名がここに眠っています。

 私は、関東地域で住み始めたのは、昭和の晩年なので、人形町末廣も、昔の池袋演藝場も、知らない。

 はなし塚のある本法寺には、そのうち行ってみたいと思っていたので、ぜひ、これらの寄席の名が刻まれている石積みの塀も見てこよう。

 この本を読みながら、著田中さんのように、現存する地、そして、失われた地名の現在地を含め、ぜひ落語と歩く旅をしたくなってきた。

 また、田中さんには到底及ばないが、書籍の“山脈”のほんの一部にも、登りたいと思っている。

 次回は、著者の熱い思いをご紹介して、最終回とするつもりだ。


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by kogotokoubei | 2018-04-06 12:21 | 落語の本 | Comments(0)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛