噺の話

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柳家つばめ_落語の世界
 この本から、懲りずにまた。

 柳家つばめは『私は栄ちゃんと呼ばれたい』を代表とする新作派として有名。

 とはいっても、彼が古典落語に否定的か、というとそんなことはない。

 「古典落語のすばらしさ」から引用する。
 まず、その冒頭部分。

 新作落語をけなす、古典落語家はいる。
 しかし、古典落語をけなす新作落語家はいないだろう。
 それほど、古典は完成されたものなのだ。
 古典の内容には、あらゆるケースが盛り込まれている。
 だから、新作落語をつくったが、古典のある噺に似てしまったので、やめてしまった、という例がずいぶんあるだろうと思う。
 古典にないものをつくろう。
 古典からぬけだそう、と、皆ずいぶん心がけているにちがいない。
 私は、古典落語が好きでなければ、いい新作落語はできないものと思っている。
 かつて、新作派を代表する噺家だった人の言葉だ。
 やはり、分かっていらっしゃるのだ、この人。
 
 つばめの古典落語の賛美は、続く。

 たいしたものだと思う。
 その人間心理をえぐる表現。
 心理をえぐるだけなら、心理学でいい。
 それを表現するだけなら、小説にまかせよう。
 しかし、落語は、それを誰にもわかりやすく、笑えるように表現している。
 そして、ごく自然な情景描写。
 このすぐれたものが、多数の落語家の手をへて、言いかえれば大衆の手によって、つくられたのである。
 ある一人の天才、文豪の手によってつくられたものではない。
 だから、私は、大衆を信じる。
 だから、と言うことはないが、とにかく、私は、大衆の叡知、を尊敬している。

 まさに、落語愛に満ちた言葉の数々。
 数多くの落語家、いわば、大衆の手によってつくられた古典落語の素晴らしさを、柳家つばめは愛し、評価していた。

 では、古典を、今の姿のままに演じればいい、と思っていたか言うと、そうではない。
 ある落語家の言葉を借りて、つばめは次のように指摘する。

 亡き四代目小さん!
 私の師匠の旧師匠に当たるひと。
 彼は言っている。
「創作力のない者は、噺家ではない」
 ずばり言ったものだ。
 これは、何も、新しい噺をどんどん創り出さなければいけない、という意味ではない。
 古典落語でも、その演者の創意が加わらなければいけない、ということである。
 噺そのものを、より良くし、また、時代に合う、誰にでもよくわかる演出を創り出さなければならないということだ。
 こうも言っている。
「芸は動いていなくてはいけない」
 一年前の噺と、現在の同じ噺と、一分一厘狂いがない、というのはいけない。いや、狂ってはいけない部分はもちろんある。しかし、全体をこれでいいと思い込んでしまって、そのとおりにしかやらない、というやり方はいけない、と言っているのだ。
 常に、噺に創意を加えよ、ということ。
 残念ながら、私は、四代目の師匠には接していない。
 しかし、現在の五代目の師匠をはじめ、いろいろな人を通じて聞く、四代目の見識というものに、最大の敬意を払う。

 四代目小さんについては、過去の記事で何度かふれたことがある。

 たとえば、四年ほど前、五代目の本や興津要さんの本を元にした記事。当時売れっ子の歌笑が客席を爆笑させた後に上がるのを、どの噺家も嫌ったが、四代目小さんは、歌笑が客席をひっかき回した直後の高座で、客をしっかりおさえていたという話をご紹介した。
2014年5月15日のブログ

 この章を読んでいて、四代目小さんの言葉や、つばめの指摘などから、最近読んだある本に思いが及んだ。

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畑中洋太郎著『技術の街道をゆく』

 それは、「失敗学」の提唱者である畑中洋太郎の『技術の街道をゆく』だ。
 司馬遼太郎の本に敬意を表した題名の本で、国内外の技術の現場を訪ねながらの出合いや見聞に基づき、苦境を迎えている日本の技術者に対して示唆に富んだエール送っている書、と言えるだろう。

 その本の中で、有田焼の現場を訪れた著者は、次のように言う。

 有田焼が400年間まったく何も変わっていないか、というと必ずしもそうではない。世につれ時代につれ、技術に対する人々の要求は移り変わってゆくものである。また、技術に対する制約条件も変わってゆく。それでも同じ物を作り続けていかねばならないとき、技術は変わらなくてはいけない。
 ただし、有田焼で注目すべきところは、「変えないために変える」という動作を一貫して行ってきたことである。有田焼をその発祥から時間軸に沿って、「技術」「ニーズ」「リソース」「経済」「時代」「人」「生活」「芸術」という要素の変遷から見ていくと、技術の根幹は変えずに、要素をさまざまに変えて現在に至っている様子がわかる。

 古典落語における「創作力」も、まさに「変えないために変える」力ではなかろうか。
 「芸は動いていなくてはいけない」という言葉にも、同じような意味合いを感じた。

 ということで、先日の三田落語会における扇遊のマクラで思い起こした柳家つばめの本をめくりながら、落語と有田焼という二つの世界の伝承における共通性について、考えていた。

 「変えないために変える」-なかなか、深~い言葉ではなかろうか。


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by kogotokoubei | 2018-02-28 22:21 | 落語の本 | Comments(4)
 先日の三田落語会で、入船亭扇遊がマクラで高校時代の落語のバイブルとして、談志の『現代落語論』と権太楼の最初の師匠、柳家つばめの『落語の世界』の名を挙げた。

 『落語の世界』については、河出文庫で再刊されて久し振りに読み、記事に書いた。
2009年12月29日のブログ

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柳家つばめ_落語の世界

 扇遊のマクラでこの本のことを思い出し、また、めくってみた。

 以前の記事にも書いたが、構成は、師匠小さんの餞(はなむけ)の言葉の後、次の二十一の章が並んでいる。

 自殺した落語家・入門・楽屋入り・前座の仕事(その1・その2)・噺の稽古・
 下座さん・小言のかずかず・覚えること・二つ目前夜・二つ目の悲哀・迷い・真打・
 新作落語の苦しさ・古典落語のすばらしさ・評論家・定席天国・噺家の収入・
 高座のおきて・高座での考えごと・師匠と弟子


 久しぶりに読んだが、やはり、この本はいいなぁ、と思うことしきり。

 たとえば、「評論家」の章に、次のように書かれている。

 評論家は、どんな風にあってくれたらいいなあ、と落語家は思っているか、だいたい仲間の気持ちを推察し、言葉を思い出し、私の考えを加えると、次のようになる。
 まず、落語界のためになるような評をしてほしい。
 当たり前だ! と怒られそうだが、また、よっぽど見当はずれでない限り、何を書いてくれても、落語界のためになるのだが、そんな消極的なものでなく、積極的な、ためになる評がほしい。
 当たりさわりのない、無難な評も結構。誰もが認める名人と言われる人の噺をほめて終わるのも、それは、良いものは良いのだし、絶対に良いものを、一般に奨めるのも、評論家の一つの仕事だとは思う。
 しかし、それだけしかないんじゃ、観客の感想手記と変わらないみたい。
 評論が発表されたことによって、今までとちがった、何か、よい影響が見られるのでなければ、評論家の存在が、疑われるのではないだろうか。

 ねぇ、なかなかいいこと言っているでしょう。

 誤解なきよう付け加えるが、私は評論家ではもちろんない。そうなろうとしているわけでもない。
 せいぜい、記録とともに感想をブログで書いているだけである。

 評論家について、つばめは次のように続ける。

 評論の真価は発見にある、と私は思う。
 一般の人々には見えない、何かを、評論家の優れた洞察力によって、大衆の前にむき出してみせる。
 これが値打ちではないだろうか。
 その発見が、たまたま間違っていたとしても、それを恐れて、何もしない者よりも、より立派な評論家であることは間違いはない。

 なるほど、と思う。
 我々落語愛好家は、そういった“発見”を知り、「どれどれ、それじゃ、今まで聴いたことがないけど、聴きに行こうか」と動機づけられ、同じような発見を共有することで、喜びを感じることもある。
 
 しかし、そういった発見ができるためにも、つばめは次のような姿勢を評論家に期待する。
 
 だから。
 次に望みたいことは、あらゆる場で、あらゆる芸を、必ず見てほしい。
 もし、落語評論家というなら、あらゆる落語公演を見てほしい。
 有名も、無名も、上手なのも、下手なのも、面白いのも、面白くないのも、あなたの好きなのも、嫌いなのも、みんな見て、知っていてほしい。
 それは、上手で、面白くて、好きなのだけ見たい、聞きたいだろうけど、それは、自由な客の立場であって、評論家と言うんなら、下手な、嫌いなものも、聞く必要がある。

 結構、評論家諸氏には、耳が痛い点を突いている。
 
 つばめが、こう指摘するには、彼が次のような評論を求めているからだ。

 たとえば、
「文楽の○○という噺は、すばらしい芸だ」
 と書いた時、他から声があり、
「○○という噺は、AもBもCもDもやりますが、それより良いですか」
 と言われた時、
「然り、その四人の○○も聞いたが、Aはこの点で、Bはあの点で、CとDとは、ともにこうしたことで、文楽の○○よりおとっている」
 と言ってもらいたい。
 でなければ、せめて、
「その四人の○○は聞いていないが、同系統の噺であるAとBの△△、CとDの□□を聞いたが、おそらく、四人とも○○をやっても、この点で、文楽の○○に及ばないだろうということは明白である」
 ぐらいのことは、言えるようにしておいてほしい。

 なんとも、具体的な例示であることか。

 読んでから思った。
 果たして、現在の評論家に、つばめが求めるような評論が出来る人はいるのだろうか。

 Aさんか、あるいはBか・・・・・・。
 Cは△△で、Dは□□だしなぁ・・・・・・。

 なんてことを書くと、「お前は落語評論家の評論家か!」とお叱りを受けそうだ。
 それでなくとも、拙ブログが引用が多いことで、某評論家氏からご批判を受けている。
 私は、その方こそ、つばめが求める評論家に近いと思っていただけに、残念。

 まぁ、こちとらは、ただ落語好きの還暦過ぎのオヤジ。
 年に何十回と寄席や落語会に行けるわけでもない。

 とはいえ、つばめの指摘は大事にしたい。
 好きな噺家ばかりを追いかけるのは、ここ数年やめている。

 行ける回数が少なければ少ないほど、今まで聴いたことのない噺家さん、ベテランよりも若手、行ったことのない落語会などに行きたいと思うようになった。

 先日の八起寄席のように、嬉しい発見もある。

 さて、次は、どんな発見に出会えるか。
 また、そんな発見を共有させてくれる評論家に、出合えるのだろうか。
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by kogotokoubei | 2018-02-27 12:29 | 落語の本 | Comments(2)
八五郎 いますか?
ご隠居 おや、八っつぁんじゃないか、お上がりよ。
八五郎 言われなくても、上がらせていただきやす、よっと。
ご隠居 どうした、やけにご立腹じゃないか。
八五郎 そりゃぁそうですよ、ご隠居。
ご隠居 何かあったかい。
八五郎 何かどころじゃねぇですよ、あの裁量労働制だとかを無理矢理通すために、
    厚労省で、目茶苦茶な数字を使っている、っていうアレですよ。
ご隠居 あれかい、毎日のように、何百も異常データがあったことが報道されているね。
八五郎 それですよ。調べたら、一日2時間しか働かねェことになっていたとか、
    週や月の数字があるのに、一日ゼロ時間だったとか、どうなってんですか。
ご隠居 まぁ、首相も、大臣も「精査する」と言っているから、これからも
    まだまだ、妙な数字が見つかるかもしれないね。
八五郎 裁量労働ってのは、仕事によっちゃ残業代払わねえで決まった給金で働いて
    もらおうってんでしょう。その方が仕事時間が短くなる、っていうことに
    してぇがために、いい加減な数字を使っていたわけですよねぇ。
ご隠居 まぁ、そういうことになるな。
八五郎 それにしても、調べるのにだって、人手がかかりまさぁ。
    役所の職員が調べるのに時間がかかってんでしょうが、あの役所の
    人たちの残業代は、あっしらの税金から払うんですよねぇ。
ご隠居 その通りだね。
八五郎 これ、裁量労働制の法律を通したい役所の作戦ですか。
ご隠居 えっ、どんな作戦なんだい。
八五郎 役所で残業時間が増えると、その人たちの仕事時間が増えて、結局、残業代を
    もらう人より、裁量労働の方が仕事時間が短くなるなんてこと考えているの
    かもしれねぇ。
ご隠居 八っつぁん、公務員は裁量労働制の対象から除外されているんだよ。
八五郎 えっ、そうなんですかい。それじゃァ、「精査」すればするほど、税金がかか
    らぁな。それこそ、無駄ってんもんじゃねぇですか。
    出鱈目な数字使ってでも、通したいほどのいい法律なら、まず、公務員から
    裁量労働制にして欲しいもんでさァ。
ご隠居 そのへんは・・・精査しなきゃならないね。
八五郎 いや、だから、役所の残業代が増えるのは、精査のせいさ!


 オソマツ・・・・・・。
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by kogotokoubei | 2018-02-26 21:39 | 八五郎とご隠居 | Comments(4)
 この日を最後に休会となる三田落語会の昼の部に行くことができた。

 その前に、居残り会リーダー佐平次さんのブログで教えていただいた、今月末で閉店する池袋の古書店、八勝堂に立ち寄り、残り少ない落語関連本の中から三冊ほど購入。

 ぎりぎりまで八勝堂にいたので、昼ごはんは会場の仏教伝道センターでコンビニで買ったおにぎりを一個。

 久しぶりのこの会だが、何度もお見かけしている多くのご常連をお見かけする。
 チケットを一緒に購入していただいたI女史が、珍しく少し早めにお越しで、隣の席に落ち着かれ、狭い通路をへだてた隣りは、佐平次さん。M女史もそのすぐ近くだった。

 こんな構成だった。
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開口一番 柳家小はだ『道灌』
柳家権太楼 『代書屋』
入船亭扇遊 『花見の仇討ち』
(仲入り)
入船亭扇遊 『明烏』
柳家権太楼 『藪入り』
----------------------------------------

 順番に感想など。

柳家小はだ『道灌』 (15分 *13:31~)
 はん治の二番弟子。初だ。へんな癖はなく、この噺そのものの可笑しさで、ご通家の多い会場から結構笑いをとっていた。兄弟子の小はぜ同様、今後が楽しみだ。

柳家権太楼『代書屋』 (31分)
 珍しく、湯呑みが置いてある。その謎は、マクラで解けた。
 前日の日暮里で、喉の調子が悪く『笠碁』をどこでやめようかと思っていた、とのこと。それで、気休めで湯呑みが置いてあるようだが、「飲みません」と言って笑わせる。
 「湯呑みが似合う落語家じゃない」と卑下し、「生年月日~!」じゃ、飲めないでしょう、と笑いをとる。円生師匠のような口調なら飲めますけど、と円生がお湯を口にする仕草を真似てみせた。それほどは、似ていなかったけどね^^
 開口一番の『道灌』のことから、「今月は、ANAで文蔵の『道灌』ばかり、聞いている」とつなげた。飛行機の移動では、どうしても落語のチャンネルに合わせるらしい。意外だった。ANAのもう一席は、神田蘭の講談とのことで、躊躇った後に、その感想を話してくれたが、中身は内緒。女優さん上がりで綺麗なんでしょうが、綺麗と言えばカーリング、とオリンピックのことになり、しばらくして本編へ。
 開演前、プログラムでこれまで演じたネタを見ながら、「「代書屋、やってないですね」とI女史相手呟いていたが、まさか、それがかかるとは思わなかったなぁ。
 心配させたが、喉の不調をあまり感じさせない、いつもの権太楼ワールド。何度聴いても、やはり、可笑しい。

入船亭扇遊『花見の仇討ち』 (33分)
 権太楼が立て前座時代に前座修業をしていたと、当時のことを振り返る。その頃の権太楼(ほたる)は結構あちこち仕事があって寄席にはあまり来ていなかった、とのこと。アルバイトが結構忙しかったんだよね。
 8分ほどのマクラの後、少し時期的には早いが、この噺。
 浪人役の熊、六部の半公と彼の叔父さん、金さんたち巡礼役、助太刀に入る浪人者たち、など、多くの登場人物をきっちり演じ分けた。なかでも、仲裁役の半公が叔父さんの家で酒に酔い潰れて来ないため、なんとも気合いの入らない不安いっぱいの仇討ちの様子が、頗る可笑しかった。

ここで仲入り。
室内の暖房が効きすぎて、若干眠くなったなぁ。
席を立ち、気分を替えて後半に備えた。

入船亭扇遊『明烏』 (33分)
 権太楼の師匠つばめの『落語の世界』と、談志の『現代落語論』が、高校時代のバイブルだったとのこと。それは、私にも当てはまるが、私は噺家にならなかった^^
 オリンピックで成績が良かった人の会見は聞いていても楽しいが、企業や役所が不祥事で謝るのは見ていて楽しくはない。謝って欲しいのは、佐川さんでしょう、に同感。
 清水寺の清玄と桜姫のことから、本編へ。
 こういう高座を、どう言えばいいのだろう。大いに、「変えないことの大事さ」を感じた。
 本来の筋、くすぐりを、一切いじっていない。
 時次郎が吉原でぐずる際は、「女郎を買うと、かさをかきます」もそのままだし、二宮金次郎も登場する。翌朝、ふられた男の小道具は、お決まり、甘納豆。
 噺本来の持ち味を、存分に引き出し、笑わせどころは、しっかり。
 この人ならではと思ったのは、時次郎の泣きじゃくる場面などに感じたが、それはそれで、大いに結構なのだ。
 数年前は、独演会はほとんど開かなかったこの人や一朝、今では独演会の数がなんと多くなったことか。
 六十歳半ば、本格派で艶もあり、今もっとも乗っている人かもしれない。
 すでに出来上がった噺は、そのままでも楽しいです、そのまま演ればいいんです、という確固たる哲学があるようにさえ思えた高座、今年のマイベスト十席候補とするのに迷いなし。

柳家権太楼『藪入り』 (38分 *~16:17)
 マクラなしで本編へ。
 このネタになるとは、まったく思わなかった。
 これまで出ていない噺と時期から、『人形買い』を期待していたのだがなぁ。
 後で居残り会の先輩から、落語研究会でも演じ、もっと、くさかった、とのこと。
 そういうことなら、とてもとても、くさかった、ということだ。
 最後の場面などは、親子三人で泣きじゃくっている。
 金馬や今輔で親しんできた内容と、次のような違いがあった。
 ・父親の病気を、父親は急性肺炎としていた
 ・その肺炎は、結構重く、どうなるか不安になって、母親が吉兵衛さんにお願いし、
  お店の息子に知らせてもらった
 ・母親が子供の財布の中を見たのは、こづかいを入れてやろうとしたから、と説明
 ・サゲは、沢庵にかけた地口
 これほど、親が冗舌なこの噺は初めてだし、これでもかとばかりに泣きの入ったも、初めて。
 権太楼は最近よく演じていて、どうもこのネタを「磨いている」らしい、との先輩のご見解。
 う~ん、この噺、ニンじゃないように思うなぁ。
 
 
 終演後は、事前に相談していたように、I女史のホームグラウンドで、魚屋さんがお店の奥で開いている居酒屋さんで佐平次さんも交え三人での、居残り会。
 お店で仕入れている新鮮な魚が、なんとも美味いし、安い!
 ついつい、菊正宗の徳利が空く。
 落語のことやら、I女史の北国の旅行の土産話、などなどで、つい時間が経つのを忘れていた。

 いやぁ、久し振りの落語と居残り会は、実に楽しかった。
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by kogotokoubei | 2018-02-25 17:35 | 寄席・落語会 | Comments(8)

 今年の二つの協会の真打昇進披露興行の案内を、末広亭のサイト「寄席だより」から、まとめて引用したい。
新宿末広亭サイトの該当ページ
■新真打 桂夏丸、神田蘭 5月上席に昇進披露

 落語芸術協会の桂夏丸と、女流講談の神田蘭がめでたく真打に昇進。披露は5月上席(かみせき、1日~10日)夜の部の当末広亭からはじまり都内各寄席で行われる。両名のプロフィールを紹介する。
 〔桂夏丸〕2003年3月に桂幸丸(ゆきまる)に入門し夏丸。07年9月二ツ目、18年5月真打。師匠幸丸は福島県(須賀川市)出身だが夏丸はお隣の群馬県は吾妻郡に84年8月15日生。
 〔神田蘭〕04年1月神田紅に入門して蘭。08年5月真打。夏丸同様入門時の芸名を通す。埼玉県春日部市の生まれ。

■落語協会は秋に5名が真打に昇進

 新真打の5名は古今亭駒次(師匠は志ん駒、以下同じ)、柳家さん若(さん喬)、柳家花ん謝(花緑)、林家たこ平(正蔵)、女流落語の古今亭ちよりん(菊千代)。
 当席は10月上席の夜の部に、昇進披露が行われる。

 ちなみに、神田蘭の「08年5月真打」は「二ツ目」の誤り。昇進時期、芸協のサイトで確認すると、7月になっているなぁ。

 落語協会の秋の五人昇進については、以前、紹介した。
2017年10月22日のブログ

 あらためて、その五人の入門と二ツ目昇進時期は、次の通り。

古今亭駒次
 2003(平成15)年3月古今亭志ん駒に入門、2007(平成19)年2月二ツ目昇進
柳家さん若
 2003(平成15)年柳家さん喬に入門、2007(平成19)年2月二ツ目昇進
柳家花ん謝
 2003(平成15)年柳家花緑に入門、2007(平成19)年2月二ツ目昇進
林家たこ平
 2003(平成15)年11月林家こぶ平に入門、2007(平成19)年5月二ツ目昇進
古今亭ちよりん
 2003(平成15)年古今亭菊千代に入門、2007(平成19))年5月二ツ目昇進


 両協会とも、落語家は、全員が2003年入門、2007年二ツ目昇進。

 芸協は、二人なので、全日程二人とも出演になるのか、と思う。

 落語協会は、十日間の興行のうち二日づつ主任を務めるのだろう。


 ちなみに、芸協は、夏丸、蘭の後の二ツ目は、次のような人が続いている。
 夏丸とは、入門、二ツ目昇進時期で一年以上間隔のあいた人が並ぶ。

瀧川鯉斗   2005(平成17)年3月入門、2009(平成21)年4月二ツ目昇進
橘ノ双葉   2005(平成17)年3月入門、2009(平成21)年4月二ツ目昇進
柳亭小痴楽  2005(平成17)年10月入門、2009(平成21)年4月二ツ目昇進
昔昔亭A太郎  2006(平成18)年2月入門、2010(平成22)年2月二ツ目昇進
桂 伸三   2006(平成18)年4月入門、2010(平成22)年8月二ツ目昇進
三遊亭小笑  2007(平成19)年3月入門、2011(平成23)年4月二ツ目昇進
春風亭昇々  2007(平成19)年4月入門、2011(平成23)年4月二ツ目昇進
春風亭昇吉  2007(平成19)年3月入門、2011(平成23)年5月二ツ目昇進
笑福亭羽光  2007(平成19)年4月入門、2011(平成23)年5月二ツ目昇進

 来年は昇進はないだろう。
 再来年、鯉斗、双葉、小痴楽の三人の昇進かと思う。
 その三人の披露目で全員が毎日出演するなら、個性的な顔ぶれになり、なかなか楽しそうだ。
 なお、協会のサイトの昇吉のプロフィールでは、二ツ目昇進時期を2010(平成22)年5月と誤って記載されている。こういうミスは、すみやかに直してもらいたいなぁ。
 「あれっ!?」と思って、結構調べるのに手間をかけたのだよ^^

 落語協会も、今後の昇進候補者を確認しよう。

柳家わさび  2003(平成15)年11月入門、2008(平成20)年3月二ツ目昇進
柳家喬の字  2004(平成16)年入門、2008(平成20)年3月二ツ目昇進
初音家左吉  2004(平成16)年6月入門、2008(平成20)年3月二ツ目昇進
柳家ほたる  2004(平成16)年6月入門、2008(平成20)年3月二ツ目昇進
三遊亭たん丈 2004(平成16)年入門、2008(平成20)年11月二ツ目昇進
柳家一左   2004(平成16)年11月入門、2008(平成20)年11月二ツ目昇進
三遊亭歌太郎 2004(平成16)年8月入門、2008(平成20)年11月二ツ目昇進
柳亭市楽   2005(平成17)年3月入門、2008(平成20)年11月二ツ目昇進
三遊亭歌扇  2005(平成17)年8月入門、2009(平成21)年6月二ツ目昇進

 結構悩ましい。
 入門時期と、前座で楽屋入りする時期が、どんどん間隔が空いている。
 白酒が、「待機児童」と表現していた。
 よって、二ツ目昇進時期を基準に考えるならば、2008年3月が四人、同年11月も四人なのだ。
 なんとなく、来年春に、わさび、喬の字、左吉の三人、秋に、ほたる、たん丈、一左、歌太郎、市楽までの五人かなぁ、などと思っている。

 今年の披露目では、駒次の会にはなんとか行きたいものだ。師匠が天国で見守っているはず。


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by kogotokoubei | 2018-02-22 19:27 | 真打 | Comments(4)
 俳人の金子兜太さんが、亡くなった。

 戦時中のことを含め、さまざまなメディアでお人柄、業績などが紹介されているので、私ごときがくどくど書く必要はないだろう。

 もうじき、旧暦小正月なので、この句をご紹介するにとどめたい。


左義長や 武器という武器 焼いてしまえ

 本当に、その通り。

 偉大な俳人にして、反戦の旗頭だった金子兜太さんのご冥福を、心よりお祈りいたします。

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by kogotokoubei | 2018-02-21 20:31 | 幸兵衛の独り言 | Comments(2)
 長い歴史を誇る八起(やおき)寄席に、ようやく行くことができた。
 相模大野駅近くの焼肉屋さん八起で開催される会。
 電車で隣り駅という近所でありながら、これまで縁がなかったのだ。
 偶数月第三月曜日開催で、奇数月には、近くのグリーンホールで開催されている。

 同会のホームページに、その沿革などが説明されている。
「八起寄席」のホームページ

 焼肉屋さんが、若い落語家が芸を披露できる場が少ないと聞いて、昭和61年に始めたとのこと。三十年を超える歴史がある。

 落語協会、落語芸術協会、立川流、円楽一門の四派からそれぞれ幹事が任命されていて、所属を超えた人選で開催されてきた会。

 旧幹事には柳家喜多八、瀧川鯉昇の名が並んでいた。

 今は、立川談修、瀧川鯉橋、三遊亭兼好、古今亭文菊が幹事となっている。
 幹事役の誰かと若手が出演、というスタイルのようだ。

 今回は鯉橋が幹事で、若手が三遊亭歌太郎。

 電話したところ、席はたぶん大丈夫だろうが、できれば開演三十分前の六時半までに来て欲しい、とのこと。たぶん、女将さんだったと思う。

 ご指導通り、六時二十分頃に着いた。
 正面の入り口を開けると、暖簾があって、その向うが厨房っぽい。要するに、勝手口だったのだ。
 「すいません」と声をかけると、暖簾をはねのけて、私服の歌太郎が出て来た。
 歌太郎が「お客さんですが、入ってもらっていいんですか」と女将さんに声をかけると「ダメダメ、お客さんはお店の玄関から」とのこと。
 歌太郎から、「私も間違えたんですよ」と言われいったん出てみると、なるほど、少し横に客の入り口があった。
 あらためて靴を脱いでポリ袋に入れて中へ。木戸銭千円を、以前は海苔の入れ物だったようなガラス瓶に入れる。先のお客さんは三人。
 最終的に、焼き肉店の中に、約二十人、空席(空きスペース)は二席ほどだったかなぁ。高座のすぐ前のテーブルの席に落ち着く。掘り炬燵風の客席なので、脚が楽だ。

 なんと、開演前なら限定メニューで飲食可能とのことで、お酒一合と、唯一の肴のもやしを注文できた。熱燗で体を温めているうちに、常連と思しき方々が三々五々お越しだった。

 壁には、談志と女将さんが一緒に写っている写真や、その談志の出演したグリーンホールでの会の写真などが貼ってある。
 焼肉屋さんだからであろう、天井は全体が煤けていて、後で歌太郎がマクラで言っていたが、“時代”がついている。

 そんなお店の様子を眺めながら、癖になりそうな美味いもやしで一杯やるうちに、開演時間。

 厨房と客席を仕切る暖簾をくぐって、厨房の方から客席に座っているお客さんの後ろの狭いスペースを体を斜めにして演者が高座に上がる。

 私の席と高座との距離は、二メートルほどか。砂かぶりではなく、唾かぶり席^^

 こんな構成だった。

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開口一番 三遊亭あんぱん 『初天神』
三遊亭歌太郎 『やかん』
瀧川鯉橋   『蒟蒻問答』
(仲入り)
三遊亭歌太郎 『電報違い』
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それぞれ、感想など。

三遊亭あんぱん『初天神』 (12分 *19:02~)
 笑遊の二番弟子の前座さんは、初めて聴く。
 ご通家ばかり二十人の目の前のお客さんを前にした前座さんだから、致し方ないだろうが、なんとも緊張しっぱなしで、可哀相になった。しかし、こういう場で冷汗をかくことが、今後につながるはずだ。頑張って欲しい。

三遊亭歌太郎『やかん』 (21分)
 私服とは、当たり前だが、噺家の姿になって登場すると印象が変わるねぇ。すぐお隣のお客さんが「おめでとう」と声をかけた。きっとNHKの大賞のことだろう。この声に歌太郎は二席目でふれて、マクラでしっかり逸話をご披露。
 やはり、初出演らしい。歌太郎の名の由来などのマクラで客席を温める。久し振りだが、体も噺も大きくなった印象。歌太郎として四代目とのこと。歌ぶとの頃から聴いているが、師匠は、その前座名を漢字にする案を推したらしい。しかし、それが酒の席で、つい「嫌です」と断り、「歌太郎」の名を希望したとのこと。10分弱のマクラからこの噺へ。魚の根問いなどから川中島の合戦となったが、なかなか見事な講釈。終始持ち味の明るさで通した好高座。私より前にいらっしゃったお客さんは、実際に唾かぶりだったのではなかろうか。

瀧川鯉橋『蒟蒻問答』 (23分)
 幹事としての出演。鯉昇の四番弟子だったが、その後六年半、下の弟子ができず諦めていたらその後たくさん入門して、今や十五人とのこと。師匠から聞いた大師匠の八代目小柳枝のことや、師匠二番目の師匠である柳昇と四代目柳好との逸話など、こういう席でなければ聴けないマクラが楽しかった。
 八代目小柳枝は、寺に借金のため五万円で売られた、という話から本編へ。師匠のこのネタも何度か聴いているが、この人の高座もなかなかに結構。あまり使いたくないが、この人の“本寸法”の高座、好感が持てる。

 終わって仲入りになったが、近くのお客さん同士が、師匠は、座間で『餃子問答』を演じたとお話しされていた。なるほど、鯉昇ならありそうだ。最近座間に行けてないからなぁ。

三遊亭歌太郎『電報違い』 (33分 *~20:50)
 10分ほどの仲入りの後、再登場。
 一席目の客席からの「おめでとう」は、たぶんNHKのことかと思います、とその時の大変だった旅の話を披露。台風のため新幹線が豊橋で止まり、結果、11時間かかって大阪に着いたとのこと。
 この件は、大賞受賞のニュースでも紹介されていた。
スポニチの該当記事
 高座から落語家の審査員同士がヒソヒソ話をしていて「あれ、何か間違えたか?」と不安になったことや、実は賞金があって、その金額が・・・といった話など、約13分のマクラの後、ネタ帳を見てこれまで演じられていない噺を、と本編へ。とはいえ、前日の落語会でもかけていて、その会にいらっしゃったお客さんの顔があったようで、「初めて聴くつもりで、お願いします」とことわっていた。
 なるほど、この噺なら初めてだろう。
 初代三遊亭円歌の作品で、大師匠の三代目円歌も持ちネタにしていた作品。
 石町の生薬屋の旦那と出入りの植木屋の信太(しんた)が旅に出て、名古屋で心中しようとする若い男女に遭遇して、その二人を助けたことから、帰宅する予定が遅れることになった。旦那が信太に「明日帰れんから、そう電報を打ってくれ」と頼む。
 信太が郵便局に行き『アスアサケエレン』の電報を頼むのだが、担当の職員に、旅の途中の横浜、静岡の遊郭で女にもてすぎて弱った、などと長々話し続ける場面が、聴かせどころだ。
 この場面、『粗忽の釘』で、八五郎がお隣に行って女房との馴れ初めをくどくど聞かせたり、『小言幸兵衛』で、仕立屋を前に、幸兵衛が妄想話を聞かせるのに、似た要素を持った話ともいえる。『うどん屋』の酔っ払いと、うどん屋の会話にも似てなくはない。
 さんざん、どうでもいい話を聞かされた郵便局の職員。
 「分かりました。では電文は『アスアサケエレン』ですね。で、誰のお名前で」
 「ダンナだよ」
 「そのダンナお名前は?」
 「昔から旦那で通っているので、名前は知らねぇ。そうだ、その下に
  俺の名前のシンタと入れておいてくれ」
 ということで、どういう電文になるかは、お察しの通り。
 生では初めて聴くことができた。こういう噺を継承してくれるのは、私は実に嬉しい。
 マクラを含め、今年の新人賞候補として色を付けておく。


 終演後、馴染みのお客さんを八起の女将さんが暖かく見送る。
 手作りの落語会、とは、まさにこういう会のことを言うのだろう。
 来月の第三月曜は談修が幹事でグリーンホールで開催。
 四月は文菊の幹事でお店での開催である。

 また、縁があれば、ぜひ来たいと思う。
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by kogotokoubei | 2018-02-20 21:46 | 寄席・落語会 | Comments(6)
 東京新聞のコラム「筆洗」の筆者は、たびたび落語を素材に楽しい記事を提供してくれるが、本日の内容も、なかなかの出来栄え。
 同新聞サイトより引用する。
東京新聞サイトの該当コラム

願いごとがあって、願をかけて三年間酒を断つことにした。しかし、やっぱりつらい。それで、その期間を六年間に延ばして、夜だけは飲んでもかまわないことにした。古い小噺(こばなし)である▼続きがある。夜だけにしてみたが、やっぱりつらい。そこで断酒の期間を十二年間にしてもらって毎日、朝晩飲んでいる-。まことに勝手な禁酒の方法で、これならば、何年でも続けることができる▼これとよく似た話を最近聞いたが、笑い話ではなく、どうやら真剣な話らしい。政府がカジノ解禁に関連して自民、公明両党に示したギャンブル依存症対策である。日本人客と日本に住む外国人については、カジノへの入場回数を週三回、月単位では十回程度に制限することを提案している▼カジノ通いも週三回ならば、依存症になる心配はないとでも言うおつもりか。このあたり夜だけ飲んでの「禁酒」と同じで、カジノを導入したい政府の示した甘い規制案では依存症対策になるまい

 後半はサイトでご確認のほどを。

 なかなか、適切な比喩として落語の小咄を使っていると思う。

 ギャンブル依存症については、かつてスポーツ選手のギャンブルに関わる問題で書いたことがある。
2016年4月12日のブログ

 その記事の中で、精神科医で作家でもある帚木蓬生さんが雑誌「週刊ポスト」に書いた内容を紹介したが、再度、引用したい。
NEWSポスト・セブンの該当記事
 ギャンブル依存は本人の性格でも自己責任でもなく、「脳内の報酬系神経伝達物質ドパミンが異常分泌する精神疾患であり、病気。ピクルスが胡瓜、たくわんが大根には戻れないように、本人の意志ではどうにもなりません」と、作家で精神科医の帚木蓬生(ははきぎ・ほうせい)氏は言う。

 その実態を広く訴えたのが、『ギャンブル依存とたたかう』(2004年)や『やめられない』(2010年)だとすれば、本書『ギャンブル依存国家・日本』の主語は国や社会。つまり日本では患者以前に社会そのものがギャンブルなしでは生きられない、またはそう思い込む、依存体質に陥っているというのだ。
 “社会そのものがギャンブルなしては生きられない”という依存体質に陥っていないか、という問題提起は、実に重要だ。

 二年前の記事では引用しなかった部分を紹介したい。

「何しろパチンコ、スロットの管轄は各都道府県の警察と公安委員会で、全日本遊技事業協同組合や日本遊技機工業組合等々も含めて、彼らの大事な天下り先というのが日本の現状です!」
 また競馬は農水省、競艇は国交省、競輪は経産省の管轄にあり、中には赤字に陥った公営競技場を閉鎖する予算が確保できないことを理由に放置、各自治体の財政をかえって圧迫している例も多い。そうまでしてギャンブルをやめたくない日本では、東京オリンピックを睨んで新たなスポーツ振興くじの導入も検討され、〈これが文科省の仕事か〉と、帚木氏は筆を荒らげる。

「そんな発想を役人がすること自体、日本が依存体質から抜け出せない証。もはや〈人権侵害〉という視点を我々は持った方がいい」

 ギャンブル依存症の対策をするどころか、国そのものが、どっぷりとギャンブル依存体質にはまっている、ということが問題である。

 従来、野球やバドミントン、そして、相撲などの世界でギャンブルによる問題が起こると、ほとんどのメディアは、本人の責任やら所属する組織の管理不行き届きなどを中心に論じていて、ギャンブル依存症という視点がほぼ欠落していた。

 当事者の問題はあるし、組織の管理面の問題は、もちろん存在する。

 しかし、病気という認識の元に、病根をいかに絶つかという論議にまで発展させることが必要だと思う。

 そういう意味で、小咄を巧みに盛り込んだ味のあるコラムだった。

 もし、ギャンブル依存症という病気であるという視点を持たないならば、紹介した小噺に似たような、本質を離れた、笑い話のような処方しか思い浮かばないことになろう。

 それは、ギャンブル依存体質の役人や政治家による妄想であり、欺瞞でしかない。
 帚木蓬生さんが指摘する「人権侵害」という視点を持った議論が求められる。

 引用された小咄は、笑ってばかりはいられない、人間の弱さの本質に迫る。
 アハハ、と笑ってしまった後、『壺算』のように、その内容がなぜおかしいのか、つい考えさせる上質なアイロニーを含んでいる。

 落語の持つ魅力は、こういうところにもある、と思う。

 落語好きと思しきコラムニストによる今日の「筆洗」、大いに共鳴できた。

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by kogotokoubei | 2018-02-19 21:54 | メディアでの落語 | Comments(0)
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矢野誠一_落語歳時記
 今日二月十八日は、旧暦の正月三日。

 旬の噺、『蔵前駕籠』のことを矢野誠一さんの『落語歳時記』で読んでいて、関連した逸話に目が止まった。

 幕末のある正月の出来事、という噺。
 まず、この本の冒頭部分を、ご紹介。

 三日 無精ひげさまになりたる三日かな

蔵前駕籠(くらまえかご)

    慶応四年という年は、不思議な年で、正月の三日から鳥羽と伏見の
    戦いが始まりました。
      *
 物情騒然という言葉があるが、三百年の歴史を誇った徳川幕府が、いまや瓦解しようという時期の江戸市中などまさにそれであろう。とくに慶応四年(明治元年)の正月は、お屠蘇気分も抜けない三日に、「鳥羽伏見の戦い」が始まったのだから、これはたいへんなことであった。林家正蔵(彦六)の十八番として知られ、古今亭志ん生の飄逸味がなつかしい『蔵前駕籠』は、小品ながら優れた落語感覚の横溢した、洒落たはなしだが、この騒然たる江戸が背景になっている。

 この後、あらすじが説明されている。

 ご存知のように、当時、吉原通いの駕籠を蔵前通りで止めて追剥を働く者がいた。
 由緒あって徳川家へお味方する浪士と名乗り、軍用金が不足しているから、という理屈で駕籠の客の身ぐるみ脱がす、という事件が勃発した。
 駕籠屋も、だから吉原方面には夕方以降は駕籠を出さない。
 しかし、世の中には「女郎買いの決死隊」がいて、無理を言って吉原まで乗ったのだが・・・という筋書き。

 矢野さんの本では、この章の後半、ある小説家の逸話が紹介されていた。

 江藤淳による『漱石とその時代』(新潮社)の冒頭は、夏目漱石が生まれた慶応三年(1867)年の、ということは、『蔵前駕籠』の背景になっている時代の、江戸のありさまがかなり克明に書かれていて興味ぶかい。面白いことに、漱石の生家に、この頃流行りの強盗がおしいっていて、江藤淳はこう書いている。
  「牛込馬場下の夏目小兵衛の家に、軍用金調達と称する抜身をひっ下げた黒装束の八人
  組が押し入って、五十両あまりの小判を強奪して行ったのはこの頃のことである。幕府
  は旗本に命じて諸隊を編成させ、市中の巡回にあたらせたがあまり効果がなかった。警
  察力に期待できないことを知った夏目家では、それ以来柱を切り組にしてその中に有り
  金を隠すことにした」
 まったく駕籠屋と同じ被害にあっているわけで、黒装束の八人組などというのも『蔵前駕籠』をほうふつさせる。
 のちには、正岡子規と連れだって、さかんに寄席通いをするようになり、その作品に、落語からの影響が少なからず認められる漱石だけに、『蔵前駕籠』に接していないはずはなく、自分の生まれた年に生家で起こった事件と落語とのつながりにどんなものが去来したか、文豪の胸のうち、興味ぶかくもある。

 へぇ、蔵前駕籠に登場するような物騒な連中が、なんと漱石の生家を襲っていたんだねぇ。

 矢野誠一さんが『落語讀本』で明かしていることだが、実は、漱石自身が作品に、この強盗騒ぎのことを書いている。
 青空文庫の『硝子戸の中』から、引用する。
青空文庫「硝子戸の中」(夏目漱石著)
ついこの間昔私の家へ泥棒の入った時の話を比較的詳く聞いた。
 姉がまだ二人とも嫁かたづかずにいた時分の事だというから、年代にすると、多分私の生れる前後に当るのだろう、何しろ勤王とか佐幕とかいう荒々しい言葉の流行たやかましい頃なのである。
 ある夜一番目の姉が、夜中に小用に起きた後、手を洗うために、潜戸を開けると、狭い中庭の隅に、壁を圧るような勢いで立っている梅の古木の根方が、かっと明るく見えた。姉は思慮をめぐらす暇もないうちに、すぐ潜戸を締めてしまったが、締めたあとで、今目前に見た不思議な明るさをそこに立ちながら考えたのである。
 私の幼心に映ったこの姉の顔は、いまだに思い起そうとすれば、いつでも眼の前に浮ぶくらい鮮やかである。しかしその幻像はすでに嫁に行って歯を染めたあとの姿であるから、その時縁側に立って考えていた娘盛りの彼女を、今胸のうちに描き出す事はちょっと困難である。
 広い額、浅黒い皮膚、小さいけれども明確はっきりした輪廓を具えている鼻、人並より大きい二重瞼の眼、それから御沢という優しい名、――私はただこれらを綜合して、その場合における姉の姿を想像するだけである。
 しばらく立ったまま考えていた彼女の頭に、この時もしかすると火事じゃないかという懸念が起った。それで彼女は思い切ってまた切戸を開けて外を覗こうとする途端に、一本の光る抜身が、闇の中から、四角に切った潜戸の中へすうと出た。姉は驚いて身を後へ退いた。その隙に、覆面をした、龕灯提灯を提さげた男が、抜刀のまま、小さい潜戸から大勢家の中へ入って来たのだそうである。泥棒の人数はたしか八人とか聞いた。
 彼らは、他を殺めるために来たのではないから、おとなしくしていてくれさえすれば、家のものに危害は加えない、その代り軍用金を借かせと云って、父に迫った。父はないと断った。しかし泥棒はなかなか承知しなかった。今角の小倉屋という酒屋へ入って、そこで教えられて来たのだから、隠しても駄目だと云って動かなかった。父は不精無性に、とうとう何枚かの小判を彼らの前に並べた。彼らは金額があまり少な過ぎると思ったものか、それでもなかなか帰ろうとしないので、今まで床の中に寝ていた母が、「あなたの紙入に入っているのもやっておしまいなさい」と忠告した。その紙入の中には五十両ばかりあったとかいう話である。
 泥棒が出て行ったあとで、「余計な事をいう女だ」と云って、父は母を叱りつけたそうである。その事があって以来、私の家では柱を切り組くみにして、その中へあり金を隠す方法を講じたが、隠すほどの財産もできず、また黒装束を着けた泥棒も、それぎり来ないので、私の生長する時分には、どれが切組にしてある柱かまるで分らなくなっていた。
 泥棒が出て行く時、「この家は大変締まりの好い宅だ」と云って賞めたそうだが、その締りの好い家を泥棒に教えた小倉屋の半兵衛さんの頭には、あくる日から擦傷がいくつとなくできた。これは金はありませんと断わるたびに、泥棒がそんなはずがあるものかと云っては、抜身の先でちょいちょい半兵衛さんの頭を突ッついたからだという。それでも半兵衛さんは、「どうしても宅にはありません、裏の夏目さんにはたくさんあるから、あすこへいらっしゃい」と強情を張り通して、とうとう金は一文も奪られずにしまった。
 私はこの話を妻から聞いた。妻はまたそれを私の兄から茶受話ちゃうけばなしに聞いたのである。

 江藤淳も、この作品から知ったことだったのだろう、きっと。

 漱石の父と母のやりとりは、結構、可笑しい。

 また、小倉屋の半兵衛さんが、なんとも可愛そうだ。

 その時のご当人たちは、文字通り必死だったとは思うが、こういう後日談になると、つい笑ってしまう。

 それにしても、漱石は、この話、直接親兄弟から聞いたのではなかったんだ。

 ほぼ漱石が生まれた頃の夏目家の一大事件だったはず。
 普通の家なら、親子、兄弟姉妹で、「徳川様の終わる頃、おまえが生まれる前に、大変なことがあったんだよ」などと聞いていても不思議のないことなのだが。

 実は、夏目金之助(漱石の本名)は、波乱の幼少期を送っている。

 生後すぐに里子に出されたり、八歳で養子に出されたりしていたからね。
 実父と養父の中が悪く、夏目家に復籍したのは、二十一歳の時だ。

 だから、大好きな落語の『蔵前駕籠』のような強盗が生家に押し入ったということを、長らく肉親から聞くことはなく、妻から兄の話として伝達されたということなのだろう。

 『蔵前駕籠』のことを矢野さんの本で読んで夏目家の事件を知り、そこから漱石の書まで辿って行った結果、夏目金之助の幼少期の寂しさに思いがいたることになった。

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by kogotokoubei | 2018-02-18 17:11 | 落語のネタ | Comments(0)
 先日、三遊亭兼好の『品川心中』の通しを聴いて、その舞台である品川のことやサゲのことなど、いろいろと思うことがあった。

 まず、兼好がマクラでふった「品川の客 ニンベンありとなし」の川柳のこと。

 この“あり”は「侍」、“なし”は、「寺」。

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 日本近代史研究家、西山松之助の対談集『江戸っ子と江戸文化』(小学館創造選書)は、昭和57(1982)年に発行された本。
 以前、下町とはどこなのか、ということについて、引用したことがある。
2015年6月23日の該当ブログ
 紹介したのは、「第一章 江戸っ子のくらし」、池田弥三郎さんとの対談だった。

 江戸時代史専攻の竹内誠との対談の章「廓の悪所と出会い茶屋」に、品川のことで、次のように紹介されている。

竹内 いわゆる四宿といわれる内藤新宿・板橋・品川・千住などには、江戸からだけではなく、周辺の農村からも遊びにくる連中がいたようですよ。四宿は、ちょうど農村との接点になりますからね。
西山 それはいたでしょうね。品川の場合などは「品川の儲け七分は芝の金」といわれたように、増上寺からあのあたりにかけて寺がいっぱいありましたし、また増上寺のお坊さんの数はいまと違って莫大なものでしたからね。坊さんはいちおう品行方正を建前としてはいますけれど、じっさいは、むかしから坊さんはなまぐさいものと決まっている。だから、彼らはよく品川へ出かけていったようですよ。
竹内 品川にはもう一つ薩摩の藩邸がありますね。
西山 それと 鍋島があります。で、薩摩の紋が丸に十の字で泡盛が有名でしょう。鍋島は抱茗荷なんですが、川柳に「泡盛も茗荷もわっちは好きんせん」というようなのがある(笑)。これはやはり、九州からきた荒武者どもがしょっちゅう品川へいっていた証拠でしょうね。
竹内 いわゆる「浅黄裏」といわれたヤボな田舎武士、そういう人たちが常連だたんでしょうね。

 なるほど、「品川の客 ニンベンありとなし」なわけだ。
 薩摩の浅黄色、で思い出すのは、『棒鱈』。
 あの噺の中で、芸者が薩摩の田舎武士に、「最近、お見限りじゃないですか、品川の方でお遊びと聞いておりますよ」などと言うが、彼らにとって品川は、ホームグラウンドということだね。

 さて、先日の兼好の“通し”の「下」は、通常とは違っていた。
 お染に突き落とされた品川の海で死装束をずぶ濡れにさせ、犬に吠えられながらも親分の家にたどり着いた金蔵。博打の最中での突然の訪問者に慌てる例のドタバタ騒ぎ。親分は金蔵の話を聞き、一同は金蔵がお染に復習するのを手伝うのだが、彼らは金蔵を早桶に乗せて白木屋に連れて行く、という設定。
 この場面で、私は『幕末太陽傳』で金蔵に扮した小沢昭一さんの映像を思い浮かべていた。

 小沢さん扮するアバタの金蔵、“アバ金”のあの姿である^^

 『幕末太陽傳』については、ずいぶん前だが書いている。
 落語を素材にした、川島雄三監督の大傑作。
2012年1月9日のブログ
 
 兼好の「下」は、本人の工夫なのかどうか知らないが、『幕末太陽傳』に影響を受けたのではないか、と思った。

 そして、その改作も悪くないと感じた。

 ただ、サゲにはもう一工夫欲しいように思う。
 この噺や、『居残り佐平次』のサゲは、今では通じにくいので、噺家がいろいろと工夫している。
 兼好のサゲは明かさないが、あの筋書きなら、こんなサゲもあると思う。

親分 金蔵、お染が出てこねぇのなら、お前が乗りこんで脅かしてやれ。
金蔵 あっしが、いえそりゃぁ、できません。
親分 どうしてできねぇんだ。その立派な足があるじゃねぇか。
金蔵 いえいえ、昨日の飲み食いのオアシが、ありません。

 今ひとつか・・・・・・。
 では、こういうのはどう。

親分 金蔵、お染が出てこねぇのなら、お前が乗りこんで脅かしてやれ。
金蔵 へぇ、あの野郎(と言って、お染の部屋へ)
   こら、なんてぇ薄情な女だ!
お染 なんだい、幽霊だって言うけど、オアシがあるじゃないか。
   だったら、昨日の飲み食いの勘定も払っておくれ。
金蔵 えっ(と、驚いて)そっちの、オアシはない。

 どっちも、日光の手前(いまいち)かな。

 今後、別なサゲを思いついたら、ご紹介するつもり。

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by kogotokoubei | 2018-02-16 20:54 | 落語のネタ | Comments(2)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛