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カテゴリ:小さな旅ー岩室温泉 2019~2020( 3 )

岩室温泉にて(3)

 三回目最終の記事は、まず、良寛と岩室温泉の縁について。

 高島屋の囲炉裏端に、こんな良寛さんが鎮座まします。

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 前回の記事で、「霊雁泉」の額の文字も、良寛であると説明した。
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 岩室温泉観光協会のサイトに、しっかり、良寛との縁も説明されている。
岩室温泉観光協会のサイト

 良寛和尚(俗名:山本栄蔵)は出雲崎の庄屋橘屋の長男として、宝暦8年(1758)生誕。
 18才で光照寺(出雲崎)で悌髪し、仏門に入る。22才から37才の間、岡山県倉敷市「円通寺」で国仙和尚の弟子として修行、「大愚良寛」と改める。その後、国上寺五合庵、乙子神社、寺泊の密蔵院で69才まで住まいし、晩年の6年間は島崎(旧和島村)の木村家で供養うを受け、天保2年(1831)1月6日74才で死去。
 国上山での頃から、良寛和尚は旧岩室村の医家・山岸楽斎や小川家、堀越家をはじめ岩室温泉、間瀬に度々足を運び、多くの詩歌を詠んでいます

 私は、新潟市に一年、長岡に六年、二十代の時に住んでいるので、良寛が出雲崎生まれであることは知っていた。
 しかし、岩室との関係は、知らなかったなぁ。

 観光協会のサイトには、こんな短歌と歌碑のことも紹介されている。

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 さて、次は、高島屋料理長と私との縁について。

 私が大学を出て、とある広告代理店に就職し最初の勤務地が新潟市の支店。

 翌年、長岡の支局(支店より大きい)に転勤となり、あるアパートに住んだのだが、その一階が、住居も含め割烹料理屋さんだった。

 二階が私の部屋。

 そのお店とは、家族のようなお付き合いになり、仕事が終わると、「ただいまぁ」とお店に入る生活を、六年近く過ごしたのであった。

 支払いは、盆暮れでまとめて。
 ほぼ毎日のように、夕食はそのお店^^

 知り合いのテレビ局の若手や、行きつけのジャズ喫茶の仲間を誘って、割烹の主人に無理を言って、「河豚フルコース呑み放題五千円」とかの企画をして、数名集めて宴会をしたことも、度々。

 実は、連れ合いとの縁も、その長岡のジャズ喫茶仲間からの紹介であった。

 その割烹で修行をしていたのが、今は高島屋の料理長となった、金子君。

 宿を離れる前に、彼が挨拶に来てくれて、少し立ち話。
 ほとんど、昔のままだ。

 もっと年は私より下かと思っていたが、一つ違いだった。

 あのアパートの割烹で勤めた後も、いろんなお店で修行を重ね、高島屋に来て三十六年になると言う。

 彼がこの老舗旅館の料理長になったと年賀状で知り、二十年ほど前に、連れ合いと義父、義母、連れ合いの弟一家四人と大勢で年末に泊まって以来の、再会だ。
 
 彼から、ぜひまた、じっくりできる時期にと言われたが、まったく同感。

 一緒に、飲みたいものだ。

 いろいろ、懐かしい、お互い若い頃の思い出が、たくさんある。
 たぶん、ちょっとした喧嘩も、したはず。
 お互い二十四、五の頃だからね。

 高島屋のサイトには、このように紹介されている。

高島屋のサイト

 花鳥風月を慈しむ心と繊細な技で、ひと品ひと品手間を惜しまずお作りする伝統日本料理です。
 高島屋のお料理はその日仕入た旬の食材で献立を創ります。
 料理長金子靖のプライドをかけた繊細なお料理をぜひご賞味下さい。

 その料理、たしかに、どれも美味しかった。

 献立表の最初に出される酒菜は、この内容。

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 写真を撮るのは、忘れて食べた^^

 かろうじて撮ったのが、焼き物。

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 献立表には、こんな挨拶があった。
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 ほぼ四十年前、お互い二十台前半で出会った金子君と私。

 その彼が、立派に老舗旅館の食を守っていることは、嬉しい限り。

 また、そうは忙しくない時期に来て、ぜひ、一献酌み交わしたいものだ。

 では、岩室シリーズは、これにてお開きです。
by kogotokoubei | 2020-01-03 09:27 | 小さな旅ー岩室温泉 2019~2020 | Comments(4)

岩室温泉にて(2)

 さて、岩室温泉で年を越した記事、二回目。

 泊まった宿、高島屋のすぐ脇にある北国街道の里程標。

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 元旦朝の散歩で、その近くの交差点「岩室」で撮った交通標識が、こちら。

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 時代の流れか^^

 北国街道について、岩室温泉観光協会のサイトから引用。
岩室温泉観光協会のサイト

大和朝廷が開き、上杉謙信が整備した北国街道。新潟湊が発展すると出雲崎から新潟まで延長されました。
 江戸時代には、脇街道として制定され信州追分(上田)から直江津で北陸道に合流、出雲崎-弥彦-岩室-新潟までを「北国街道」と呼びました。

 大和朝廷にまで、さかのぼるとは。

 朝風呂に入った後、散歩する前に玄関広間に出て、池を眺めた。
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 少しだが、雪。

 庭を眺めた目を上にやると、こんな額が。
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 これは「霊雁泉」と書かれており、書いたのは、良寛なのである。


 観光協会のサイトに、この「霊雁」の由来が紹介されている。
岩室温泉の生い立ち

 岩室温泉は、別名「霊雁の湯」とも呼ばれています。
 それは、正徳三年(1713)、白髪の老翁が庄屋高島庄左衛門の夢枕に立ち、そのお告げ通りにこの地を探すと、一羽の傷ついた雁が泉流に浴して怪我を癒 していたことから、源泉を発見したとされる不思議な言い伝えに由来しています。また、寛政十二年(1800)の「岩室村明細帳」という報告書によると、温 泉地としての営業がおおやけに認められたのが、正徳三年であったと記されています。この公認があった年から、岩室が温泉地として一層活気づき、その後の発 展の出発点となったことを考慮すると、この「霊雁の湯」伝説には、さらなるこの地の繁栄を願う村民の思いが込められていることがうかがわれます。

 こういうおとぎ話のような話、好きだなぁ。

 さて、散歩している間は、それほどでもなかった雪が、部屋に戻ると、一時だが少し強く降ってきた。

 部屋の庭の笹にも、雪が。
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 落語『ねずみ』などのマクラ、「旅人は ゆき呉竹の 群雀 泊まりては発ち 泊まりては発ち」を思い出した。
 
 そうそう、談志家元と岩室との縁について、ご説明しなければ。

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 観光協会のサイトに、しっかり説明がある。
 長くなるが、引用したい。

「談志の田んぼ」で岩室と交流

 日本有数の米作地帯=越後平野を特徴づけていた「はさ木」。
岩室温泉から程近い夏井地区に今も残され、越後の田園風景を懐かしむ俳人、写真家や画家が訪れる。その中の一反の田んぼに一枚の看板。立川流落語会家元=立川談志師匠が、自ら手で苗を植え、稲を刈り、はざ架けをするもの。

談志の田んぼ開始までの経緯

昭和60年12月岩室村商工会青年部主催「第1回岩室寄席 春風亭小朝独演会」開催。昭和61年4月「吉窓・小満女二人会」により上記青年部員を中心に岩室落語会発足。
その後、岩室寄席と並行して小さな落語会を毎年開催し、現在まで続く。昭和62年江戸文字 立川文志師に談志師匠出演を依頼。12月「第3回岩室寄席 立川談志独演会」開催。
これが私たちと談志師匠との出会い。昭和63年~ 小さん、志ん朝、円楽、円蔵、円窓、各師匠出演の 岩室寄席を開催。平成5年12月「第9回岩室寄席 立川談志独演会」開催。平成6年11月「第10回岩室寄席 立川談志独演会」開催。
この10回をもって、商工会青年部主催の「岩室寄席」終了。
「岩室寄席」は終了したが談志師匠との接点を持ちつづけたいと 岩室落語会のメンバーは思っていた。そこで
.
「家元談志の田んぼ」

1)田んぼ一反の米を毎年師匠に進呈させていただく。(コシヒカリ8~10俵)
2)その田んぼは談志師匠の米であることを表示する。
3)年一度、田植え、稲刈り又は生育の視察の際に落語会、または宴会を持っていただく。
と談志師匠にお願いする。

江戸文字 立川文志師のお骨折りもあり、また、米に弱い世代でもあり、快諾していただく。平成7年10月25日の収穫祭=稲刈りより「談志の田んぼ」開始。
以降、毎回お家元来田し、手植え、手刈り、天日乾燥による農作業を実践。毎回、田植えと稲刈りにお家元が訪れ、夏井のじいちゃん、ばあちゃん、とうちゃん、かあちゃんと農作業に勤しむ不思議な空間、時間。この地に合うのか合わないのかを超えた存在感?そこで交わされる会話。教えてあげない。今度来ればいい…


 という縁なのであった。

 “この地に合うのか合わないのかを超えた存在感”とは、なんとも言い得て妙^^

 家元が食べ物を粗末にしないことは、有名。
 そういう題の本まで書いている。

 賞味期限など無関係に、冷蔵庫にある食材で、なんとも不思議な料理をこしらえて、弟子たちにも食べさせていた。

 そういう考えが、この「談志田圃」にもつながったのかもしれない。

 では、少し長くなったので、次回は、良寛と岩室、そして、私と高島屋との縁などについて書くつもり。

 実は、今日は休みの予定だったのだが、バイトのメンバーのお一人が身内に不幸があり出れなくなり、助っ人に行くのである。

 持ちつ持たれつ、だからね。

by kogotokoubei | 2020-01-02 13:30 | 小さな旅ー岩室温泉 2019~2020 | Comments(6)

岩室温泉にて(1)

 なぜか、談志。

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 大晦日から一泊、連れ合いと義母と三人で、新潟は岩室温泉の高島屋に泊まった。
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 囲炉裏のある、歴史を重ねた宿。

 将棋の棋聖戦の会場でもあり、テレビドラマで使われたこともあって、館内に写真が掲示されていたが、なんと、家元も2008年にいらっしゃったようだ。

 今朝の新潟ならではの、具沢山の雑煮などの朝食。

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 いただいた場所は、明治天皇が休憩されたという部屋。
 国の有形文化財である。

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岩室温泉 高島屋のサイト

 新潟の奥座敷と称される、「岩室温泉」。

 その中でも築260年超えの庄屋屋敷に泊まれるのが、「高志(こし)の宿  高島屋」。
 この宿の初代が、温泉を掘って、岩室温泉の歴史が始まった。

 料理も自慢で「泊まれる料亭」と銘打たれている。

 ほぼ20年ぶりでの宿泊。

 実は、この宿の料理長とは、40年前に最初に出会っている。

 今、連れ合いの長岡の実家に戻り、先ほど着いた連れ合いの弟さんと、家の片付け中。

 もう少し詳しくは、家に帰ってから、ということで。

 ともかく、本年もよろしくお願い申し上げます。

by kogotokoubei | 2020-01-01 15:50 | 小さな旅ー岩室温泉 2019~2020 | Comments(4)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛