噺の話

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カテゴリ:落語の舞台( 2 )

根岸の件、補足。

 一昨日の根岸に関する記事に、「あの落語家一家」という表現を使ったが、鍵コメで、その一家について蔑んでいる、との批判をいただいた。

 まったくそんなつもりではなく、今日「根岸」と言うと、落語愛好家のみならず、「ねぎし三平堂」の存在が大きすぎて、過去に子規など多くの文人・墨客が暮らした地であることが忘れられる傾向にあるとの思いが、あの記事を書いた背景にある。

 まぁ、頻繁に拙ブログにお立ち寄りいただくほとんどの方は、誤解なく受け取っていただいているとは思うが、どうにも、自分の気持ちがおさまらないので、補足しておきたい。

 前回の記事で、根岸の地に「ねぎし三平堂」があることや、三代目金馬、そして「根岸の文治」と言われた八代目桂文治が住んだ地であることは、割愛した。

 それは、かつては、子規をはじめ、落語家以外の文人・墨客がたくさん愛した土地が、根岸だったということを、伝えたかったからである。

 あらためて書くが、私は、初代三平のことや奥さんの海老名香葉子さん、三平の父である七代目林家正蔵について、批判的に見ているということはない。

 たとえば、以前、ちくま文庫『東京百話-人の巻-』から、海老名香葉子さんのエッセイ「竿忠の家」について、記事を書いている。
2015年8月19日のブログ
 あの方の反戦を訴える活動も、尊いものだと思っている。

 また、昨年、『源平盛衰記』について、初代三平のことを書いた記事もある。
2017年2月19日のブログ
 談志は、あのネタを三平から教わったことなどを紹介した。

 では、七代目正蔵については、どうか。
 音源も少し持っているが、初代三平のクスグリが、父譲りだったことが、よく分る。
 軽い口調の楽しい高座なのだ。

 また、2015年12月に、NHKの「ファミリーヒストリア」で、七代目正蔵の『相撲風景』を見た。実に貴重な記録だと思う。
2015年12月6日のブログ

 この時の記事には、九代目正蔵が、祖父に関する映像を見ての、「初めて知った」という反応に、違和感を覚えたことも書いている。

 Wikipediaででも分ることなのに・・・と思ったものだ。
 「正蔵」という名を襲名するにあたって、祖父のことなども調べただろう、と思うのだが。

 また、あの時の「ファミリーヒストリア」は、最後が「ねぎし三平堂」の宣伝のような構成になっていて、がっかりした。

 
 あらためて書くが、七代目正蔵、初代三平、そしてエッセイストであり反戦活動家である海老名香葉子さんについては、何ら悪い印象はない。

 しかし、幻の林家九蔵襲名に関する記事で書いたように、今の海老名家は、何か勘違いをしているのではないか、という思いがあるのは事実だ。

 九代目の正蔵は、こぶ平時代からメディアに頻繁に露出していたこともあり、NHKも含めて大事にされているだろうし、そういった人気や人脈も踏まえ、落語協会の副会長にもなったのだろう。

 弟の二代目三平も、なぜあの人気番組のレギュラーになったのかは、海老名家というブランドの大きさも、間違いなく左右しただろう。

 好みももちろんあるが、当代正蔵と三平の落語について、私は良い印象を持っていない。

 それは、あくまで特定の噺家さんへの芸の評価。

 是々非々なのであって、七代目正蔵、初代三平の芸については、決して悪く書いたことはない。

 ただし、香葉子さんも、他の親のように、年齢を積み重ねるうちに、自分の子供が可愛いあまりに、周囲への目配りができにくくなってきたのかな、という思いはある。

 あの林家九蔵襲名問題については、いろんな意見があると思う。
 たしかに、根岸にもっと早く伺いを立てていれば、と私も思うが、もし、海老名家が快く三代目九蔵の襲名を認めていたら、周囲もあの一家を好意的に思っただろうに、それが残念だ。

 こんなことを書くと、また、反対意見の方から批判がありそうだな・・・・・・。
 
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by kogotokoubei | 2018-05-23 12:48 | 落語の舞台 | Comments(10)

根岸のこと。

 今日は二十四節気の小満だが、先日、柳家小満んの『茶の湯』を楽しんだ。

 舞台となった根岸は、今日では、ある落語家ご一家が住む地という印象が強いが、あの地については、少し認識をあらためる必要があると思う。

 二冊の落語関連本からご紹介したい。

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 まずは、北村一夫さんの『落語地名事典』(昭和53年、角川文庫)より。
 前半には、根岸が登場する落語の抜粋が並ぶ。

根岸

 ・・・・・・いろいろ思案した結果、おいらんを身請けして根岸の里へ妾宅をかまえてかこいました・・・・・・「悋気の火の玉」
 ・・・・・・日も長々と六阿弥陀、五阿弥陀ぎりで、引っ返し、根岸へまわった罰あたり・・・・・・「芝居風呂」
 へェ、東京といえば東京でございますが、モウ片ッ隅でございまして、根岸の御院殿の傍におりました・・・・・・「猫の茶碗」
 むすこさんは、江戸っ子でございますから、風流も心得ておりました、根岸に別荘がございます・・・・・・「茶の湯」
                            (他、「お若伊之助」)
▼台東区根岸一ー五丁目のうち。
 かつては呉竹の根岸の里といわれた閑静な地で、音無川が流れ、鶯や水鶏(くいな)の名所だった。地内に時雨ヶ丘、御行の松、梅屋敷、藤寺などがあった。文人の住居や大商人の寮などの多かったところである。
▼光琳風の画家で、文人としてきこえた酒井抱一、町人儒者亀田鵬斎、『江戸繁盛記』の著者寺前靜軒をはじめ、文化・文政頃からこの地に住んだ有名人ははなはだ多い。
  山茶花や根岸はおなじ垣つづき 〔抱一〕
 明治期には饗庭篁村(あえばこうそん)、多田親愛、村上浪六、幸堂得知、正岡子規などがここに住んだ。有名人である点では、ここに豪壮な妾宅をかまえていた掏摸の大親分仕立屋銀次もひけはとらない。

 子規の句。
  妻よりも 妾の多し 門涼み

 子規が主催した根岸短歌会は、後にアララギ派に発展した。

 だから、以前は多くの方が、根岸->子規、という連想をしたはず。

 また、根岸短歌会のことや饗庭篁村らの文人のことを、根岸派と呼んだ。

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吉田章一著『東京落語散歩』(角川文庫)

 吉田章一さんの、平成9(1997)年に青蛙房から最初に発行された『東京落語散歩』からも引用したい。

 天王寺の前の芋坂を進んで鉄道を越える。通りに出た右角にある羽二重団子の店(荒川区東日暮里五ー54-3)は、文政二年(1819)に創業し、藤棚があって藤の木茶屋といわれた。餡と醤油だれの団子を供す。圓朝人情噺にも登場し、明治以後文人にも親しまれた。
 このあたりから根岸の里(台東区根岸)になる。元は今の荒川区東日暮里四・五丁目と一緒に金杉村といったが、明治二十二年に音無川以南が下谷区に編入されて、今の根岸一~五丁目になった。呉竹の里ともいい、台東区根岸二ー19~20が輪王寺宮の隠居所御隠殿の跡である。公弁法親王が京から取り寄せた訛りのない鶯数百派を放って鶯の名所となった。弘化四年(1847)から関東大震災まで、梅屋敷(根岸二ー18)周辺で鶯鳴き合わせ会が催された。文人墨客が住み、茶の湯、悋気の火の玉にあるように隠居所や妾宅が多かった。

 鶯谷の地名の由来が、紹介されているねぇ。

 輪王寺宮の名前を見ると、吉村昭の『彰義隊』を思い出す。

 『落語地名事典』と重複もあるが、もう少し引用する。住居の番地は割愛。

 そのほか根岸には次のような多くの文化人たちが住んだ。
 俳優市川白猿、伊井蓉峰、画家酒井抱一、谷文晁、北尾重政、初代及び二代目柳川重信、岡倉天心、儒学者亀田鵬斎、『江戸繁盛記』も作家寺門靜軒、寺堂得知、森田思軒、俳人河東碧梧桐、寒川鼠骨、漢学者大槻如電・国語学者大槻文彦、浜野矩随の門人の彫刻家、二代目浜野矩随。


 今日、根岸は、どうしてもあの落語家一家の住む地、という印象が強いのだが、少し歴史を紐解いてみれば、根岸の印象は変わる。

 根岸、子規をはじめ多くの文人・墨客が住んだ地だったんだよね。


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by kogotokoubei | 2018-05-21 12:23 | 落語の舞台 | Comments(4)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛