噺の話

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カテゴリ:小さな旅ー2018年4月、北海道への帰省( 5 )

 昨日、無事、帰った。

 滞在中に書き切れなかったことなどを。

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 これは、現在閉館中の伊達開拓記念館の前に植えられている、記念樹の松。

 明治9年、時の太政大臣 三条実美が伊達開拓村を視察に訪れた時に植えたもの。

 明治新政府の立役者の一人と言われる三条実美。
 文久3(1853)年の八月十八日の政変で、長州に追いやられた「七卿落ち」一人として有名。
 歴史ドラマでは、明治6(1873)年、征韓論をめぐり、西郷ら征韓派と岩倉や大久保利の征韓反対派の板挟みになり、その心労から人事不省状態に陥った、なんともひわよな姿が、印象的だ。
 
 南の方の騒動が収まった後、北の大地を訪ねていたんだねぇ。

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 これは、実家の庭の梅。

 ほころびかけているが、滞在中には、まだ咲かなかった。

 北海道は、もうじき、梅も桜もほぼ同時に咲く。

 北国の人が、春を実感する季節になろうとしている。

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 町の中心街は、歴史街道、フロンティア街道などと名づけられ、白壁と瓦屋根で統一されている。

 歩いて、結構空き家が多いのが目立つ。

 北海道ではもっとも気候が温暖で、市も移住政策を積極的に進めており、実際に多くの方が移り住んではいるが、郊外に大型商業施設もできており、商店街がシャッター通りと化す状況は、他の地方都市と同じ傾向にある。

 市民の平均年齢は、結構高いだろう。

 かつては、室蘭の製鉄所などに勤める方も多かったが、かれこそ数十年前から“鉄冷え”で、今日、仕事を求める若者は、札幌に出る人が多い。

 私の二人いる兄の子供も、何人かは札幌で勤めている。

 小学校や中学の同級生で地元に残っている人は、公務員か自営の人がほとんど。

 一昨日夜、同級生と飲んだ際、何人かは、すでに旅立っていることを知った。

 そうそう、同級生と会った24日の昼は、天馬、というお店に両親と三人で行った。
 20日金曜日に、テレビで北海道出身の女性演歌歌手が訪問したことが放送されたらしく、数年前に行ったことがある父親が、「また、行きたいなぁ」と言っていたので、電話すると、テーブルが一つ空いたので、今なら、とのこと。さっそく、タクシーを呼んで出かけた次第。
 ご主人の実家が漁師というお店で、刺身も焼き魚も、美味くて安い。
 1280円の刺身定食が、なんと豪華だったことか。
 96歳の父と91歳の母が、美味しそうに刺身やホッケ焼きを食べて喜んでいた。

 20日の番組の内容は、STVのサイトに紹介されている。
 “旅のトビラ〜江戸の記憶が残る街「伊達」探訪”という番組だったようだ。
 伊達家の子孫自ら、杜このみという歌手を伊達ゆかりの場所に案内した後で、そのお店で食事をしたらしい。
 私は料理の写真を撮らなかったので、ご興味のある方は、こちらのサイトでご覧のほおを。道の駅や有珠の善光寺などにも立ち寄ったことが紹介されている。
札幌テレビ(STV)サイトの該当ページ

 食べながら、「お前が来たから来れた」と言われると、また来なくちゃ、と思う。
 

 街並は大きく変わっていたが、故郷の人、そして、味は変わらないなぁ、と思った帰省だった。
 
 両親が健在なうちに、元気な旧友との再会も楽しみに、出来るだけ行こうという思いを強くした。


 これにて、今回の帰省シリーズは、お開き!

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by kogotokoubei | 2018-04-26 12:27 | 小さな旅ー2018年4月、北海道への帰省 | Comments(2)
 無事、羽田に着き、今、自宅近くの駅に行く、リムジンバスの中。

 今朝、実家の最寄駅である、JR北海道の伊達紋別駅から特急に乗り、南千歳で乗り換えて、新千歳空港まで行って・・・という小旅行。

 空港では、ラーメンを食べた。
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 元気な兄ちゃんの誘いに乗って、サッポロラーメンの「空(そら)」の味噌ラーメン、880円なり。
 なかなか、美味かったよ。

 話は戻って、これは、朝九時頃撮影した、故郷の駅。

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 この記事は、千歳へ向かう特急の車中で、書き始めた。

 伊達紋別駅前交番の前に、こんな案内板があった。

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 少し、アップ。
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 私のガラケーでは、よく映っていないが、下(南)の海が、噴火湾。内浦湾とも言う。
 この湾に面しているために、この地は温暖なのである。

 噴火湾は、海の幸の宝庫でもある。
 なかでも、ホタテは有名だ。
 帰省中、ホタテの稚貝を、毎日食べていた。

 昨日の散歩で、西浜という、漁師が住む一帯を散策した。

 その浜に出るには、この気門別(きもんべつ)川を渡る。
 
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 喜門別川とも書く。私は、喜門別の方のイメージの方が強い。
 また、子供の頃は、きもべつ、と呼んでいたような気がする。

 アイヌ語のキムン・ペッ(山に入る川、の意)が名前の由来らしい。

 その川岸にも、浜から飛んできたカモメがいた。

 曇天で映りは悪いが、その浜、西浜の写真。

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 西浜では、子供の頃に、よく泳いだものだ。

 しかし、今は護岸がされており、船が安全に停泊しているのと裏腹に、泳ぐ場所がなくなった。

 とはいえ、伊達のすぐ近くには、有珠山で有名(?)な、有珠の海水浴場があり、そちらに、夏は多くの人が泳ぎにやって来る。


 そうそう、昨夜、中学時代の野球部の同級生と会ったが、野球部メンバー数名と試合の前の日に西浜で泳ぎ、勝てると甘く見ていた相手にボロ負けした思い出話になった。

 中学時代、全道大会の室蘭地区予選決勝で、僅差で負けた時の思い出話にも、花が咲いた。

 同級生も私も、勝った試合より、負けた試合の記憶が鮮明だ。

 それは、どんな過去の記憶でもそうなのかもしれない。

 街は大きく変貌しているが、同級生とは、すぐにあの頃に戻れる。
 ありがたいことだ。

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by kogotokoubei | 2018-04-25 15:13 | 小さな旅ー2018年4月、北海道への帰省 | Comments(2)
 こちらが、私のガラケーで撮った、宮尾登美子文学記念館の写真。

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 宮尾 登美子さんは、大正15(1926)年4月13日に高知県で生まれ、平成26(2014)年12月30日に、故郷高知で旅立たれた。

 さて、なぜ、高知出身の宮尾登美子さんの文学記念館が、北海道の伊達にあるのか・・・・・・。

 その理由の前に、この記念館のことを、伊達市のサイトからご紹介。

伊達市サイトの該当ページ

太宰治賞や直木賞など多くの文学賞を受賞している作家の宮尾登美子さんは、伊達市近郊の山荘で平成11年から15年までの間「宮尾本平家物語」を執筆し、その間市内でも講演会を行うなど多くの市民と交流を深めました。
その結果、市民の多くの皆さんから文化・社会教育の場として文学記念館建設要望が市に出され、平成17年4月に伊達市が当館を整備しました。
高知県出身で30代後半から文筆活動に始めた宮尾登美子さんは、直木賞受賞作の「一絃の琴」や「序の舞」「陽暉楼」「蔵」などのヒット作を続々と世に送り出し、その多くが映画化・テレビドラマ化されています。
当館には、宮尾文学の軌跡や代表作品を紹介するとともに、宮尾さん自身が愛用した着物や小物、机などを展示しています。

 ということで、四年間、伊達の山荘で、宮尾さんは「宮尾版平家物語」を執筆した。

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 では、なぜ、伊達だったのか。

 昨日、記念館で展示品を見ても、いただいたパンフレットを読んでも、伊達と宮尾さんの縁を物語る情報がなかったので、記念館の受付の方にお聞きした。

 伊達とのご縁は、宮尾さんの小説の挿画を数多く手がけられた、画家の野田弘志さんが、とりもったらしい。

 都会の夏が苦手だった宮尾さんは、どこか避暑に適した場所をお探しだったらしい。

 お知り合いの野田さんから、伊達のことを教えてもらったことが、きっかけだったとのこと。

 宮尾さんが亡くなった翌年の一月の週刊朝日に、追悼記事が載った。

 AERA.dotから引用。

AERA.dotの該当記事

宮尾登美子さん 晩年“人付き合い絶つ”手紙を書いていた
2015.1.16 16:00

 直木賞作家の宮尾登美子さんが老衰で亡くなった。享年88。

 宮尾さんは、1926年に高知市に生まれ、芸妓(げいぎ)紹介業の家に育った。家業に対する嫌悪感は、のちに太宰治賞を受賞する自伝的小説、『櫂』を生み出した。

 17歳で結婚し、教員の夫、長女と旧満州へ渡る。敗戦後1年あまり、難民収容所で過ごした。この壮絶な体験をもとに、極限状態に置かれた人間のエゴイズムをのちに描いた小説が『朱夏』だ。宮尾さんは、

「饅頭一つ欲しさに、赤ん坊の娘を市場で売ろうかとさえ思った」(週刊朝日98年11月27日号)

 と、当時を回想している。

 (中 略)

 86歳になった12年春には、故郷の高知市で一人暮らしを始める。同じ高知市出身で親しくしていた作家の山本一力さんには、

「この年になると、いてもたってもいられない。高知が見たい」

 と話していたという。

「この時期から、母は人生の整理整頓を始めたのでしょう。人付き合いを絶っていきました」(次女・環[たまき]さん)

――これから高知市に住みますが住所は未定です。申し訳ございませんが、手紙も電話も遠慮いたします。宮尾さんは、こうした文面のはがきを、仕事の関係者や知人、友人に送った。

 人付き合いを絶ってから二年半後の12月、宮尾さんは旅立った。

 このハガキを受けとった一人である野田さんのコメントが掲載されている。
宮尾さんの小説の挿絵を担当し、友人として付き合いの深かった日本画家の野田弘志さん(78)も、このはがきを受け取った。

「宮尾さんが平家物語の執筆のために北海道の伊達市に建てた山荘は、私の家から50メートルほどのご近所です。長年の飲み食い友達でしたが、はがきを境に宮尾さんの消息は、ぷつりと途絶えました。宮尾さんと40年来の付き合いがある作家の加賀乙彦さんも心配して、一緒にずいぶん宮尾さんの行方を捜しました」


 加賀乙彦さんの『湿原』の挿画が、野田さんの出世作と言われている。

 野田さんは、だて噴火湾アートビレッジのスーパーバイザーを務められている。
 
 小説家と挿絵を担当した画家との縁が、この記念館につながっていったわけだ。

 記念館には、手書き原稿も展示されているのだが、なんとも綺麗な読みやすい字に、驚いた。一字一字、丁寧に書かれたことが、分る。

 宮尾登美子さんの人柄が、その文字には現れていたように思う。

 展示されていた着物それぞれには、その着物の謂れや宮尾さんの思いが紹介されていた。

 晩年は、故郷にお帰りになったわけだが、七十代に、きっと濃密な四年間を伊達の山荘でお過ごしになったのだろう。

 宮尾登美子文学記念館は、まちの重要な文化的財産。
 入場は、無料。

 ご興味のある方は、来春、すぐ近くの「だて歴史文化ミュージアム」が開館した後にでも、ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。

 亘理藩の伊達邦成主従が開拓した土地という歴史、そして、宮尾登美子さんと縁のある土地、歴史と文化の香りあふれるのが、「北の湘南」伊達なのです。

 しかし、今日の散歩では、せっかく白壁で統一した商店街も、閉店した店が多く、シャッター通りに化していた・・・・・・。

 さて、そろそろ中学の同級生との飲み会に出かけねば^^

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by kogotokoubei | 2018-04-24 17:21 | 小さな旅ー2018年4月、北海道への帰省 | Comments(2)
 昨日は、実家近くの伊達開拓記念館周辺を散策し、その近くにある宮尾登美子文学記念館に立ち寄った。

 まず、開拓記念館のことについては、昨年12月に、NHKの「歴史秘話ヒストリア」で放送された「北の大地に夢をひらけ! お殿さまの北海道開拓史」のことからご紹介。

 NHKのサイトの同番組のページから、引用。
NHKサイトの該当ページ

エピソード1 北に懸けた八千人の命

幕末、戊辰戦争に敗北し、領地を400分の1にされてしまった亘理(わたり 宮城県)の伊逹家。家臣とその家族、武士の誇りを守るため、当主の伊逹邦成(だて くにしげ)が決断したのは「北海道開拓」でした。未知の大地にすべてを賭ける―邦成たちの覚悟を後押ししたのは不思議な飾りのよろいかぶと―。

 ということで、北海道胆振支庁にある伊達市は、仙台伊達藩の支藩である亘理藩の伊達家が開拓した場所。

 エピソード2も、引用。

エピソード2 「和」で荒れ野を切り開け!

新天地・北海道に渡った伊逹家主従は、すぐさま苦難に見舞われました。開拓のための農具や種を積んだ船が事故で着かず、土地を耕すどころか深刻な食料不足に陥ります。絶体絶命の危機に対し「3つの和」でのぞんだ邦成。窮地を乗り切る「和」の秘策とは?

 伊達家主従の苦難の歴史の詳細は、また後日書くことにしたい。

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 この写真は、開拓記念館敷地内の、迎賓館。

 「歴史秘話ヒストリア」でも詳しく紹介されていた。

 どのような建物かは、伊達市のサイトからご紹介。

伊達市サイトの該当ページ

迎賓館は、伊達邦成が伊達の開拓にあたった功績で明治政府から男爵の位を受けた祝いに、家臣らによって明治25年に建てられた邸宅です。
当館は、洋室と和室を取り合わせた構造で全体的に数寄屋(茶室)風の書院造の建物で、開拓状況視察のために来道した明治政府高官や開拓使などを接待するために利用されました。
平成4年に市の有形文化財に指定されています。


 賊軍として新政府から追われるように北海道へ移り住んだ伊達邦成一行だが、開拓の成果を評価され、男爵となったのは、歴史の皮肉とも言える。

 これが、伊達邦成公の像。
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 実は、伊達開拓記念館は、昨年11月末に閉館している。

 なぜかと言うと、よりパワーアップした施設を現在建設中であるからである。

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 来年春に、開拓記念館の展示内容を含む、「だて歴史文化ミュージアム」がオープン予定なのである。

 来年も、また来なくちゃ!

 このミュージアムは、道の駅のすぐ近くに建設中なのだが、同じ敷地内には、びっくりドンキー伊達店がある。

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 そして、店内では、同じグループ企業である牧家(ぼっか)のチーズなどが販売されている。

 実は、伊達は、牧家の所在地なのである。
牧家のサイト


 日曜の夕食では、牧家のカチョカヴァロチーズ、杏仁豆腐を楽しんだ。

 亘理藩、伊達邦成主従が開拓した伊達の牧場で、新たな食の歴史が刻まれている。

 そして、その地に、宮尾登美子さんの文学記念館がある。

 土佐出身の宮尾さんが、なぜ伊達との縁が出来たのか・・・・・・。

 そして、この地で、どんな宮尾作品が生まれたのか、などは次の記事にてご紹介。

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by kogotokoubei | 2018-04-24 10:05 | 小さな旅ー2018年4月、北海道への帰省 | Comments(0)
 昨日から、故郷北海道に帰省中。

 昨年も、同じ時期に二泊三日で帰ったが、今年は三泊四日の小旅行。

 まずは、羽田空港の蕎麦屋への小言。

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 出発ゲート近くにある蕎麦屋。
 空港価格、ということだろうが、最低価格が680円で、お奨めの肉うどん(そば)が980円、おろしうどん(そば)が880円は、高すぎる。
 
 もちろん、食べなかった^^

 新千歳空港に兄に迎えに来てもらい、故郷、伊達市へ。

 伊達は、仙台藩が開拓して、その名を残した場所。

 噴火湾に面した、北海道の中ではもっとも温暖な地。

 少しだけ散歩し撮った、市役所前の写真。

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 ご覧のように「北の湘南」と言われているのだよ。

 昨日は、90歳を超えた両親がともに元気なのを確認できて、とにかく良かった。


 さて、今日はもう少しじっくり散歩し、昔の面影がどれほど残っているか、あるいは、どれほど変わっているか、確認するつもり。

 また、ジャズ好きの従兄の家に遊びに行こうと思っている。

 明日の夜は、中学時代の友人と会う予定になっている。

 今朝も、天気は良く、思ったほど寒くはない。

 やはり「北の湘南」なのである。

 ところどころ写真も撮り、旅の記録として記事にするつもり。

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by kogotokoubei | 2018-04-23 07:38 | 小さな旅ー2018年4月、北海道への帰省 | Comments(8)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛