噺の話

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カテゴリ:師匠と弟子( 3 )

 先日の居残り会で、喜多八の話題も出た。

 さん喬の高座についての会話の中で、二、三人の方が、喜多八の『五人廻し』が良かった、と回想。

 あんな噺家、今はいないねぇ、と瞬時、お盆らしく亡き噺家を偲ぶ。

 その話の中で、私は、小三治の奥さん郡山和世さんの本(『噺家カミサン繁盛記』)から、として喜多八入門の際の逸話を紹介した。

 しかし、書いていた本は、記憶違いだった。
 『噺家カミサン繁盛記』をめくったのだが、その件は書いていない。
 あら、どの本だったっけと探した結果、ある本で発見。

 居残り会メンバーへのお詫びを含めて、紹介したい。

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浜美雪著『師匠噺』

 その話を読んだのは、浜美雪著『師匠噺』だった。

 この本は、何度か紹介している。
2009年1月24日のブログ
2010年6月16日のブログ
2018年5月7日のブログ

 春風亭柳昇のこと、柳昇と昇太、さん喬と喬太郎のことで引用したが、小三治と喜多八の章からは初めて。

 副題が「じゃあしょうがねえな」となっているが、なぜこんなお題になったのか。
 まず冒頭部分、懐かしい喜多八の姿が目に浮かぶ内容なので、少し長くなるが引用する。

 師弟関係というものは、年齢が近いと親子というよりは、兄弟や先輩後輩、もしくは会社の上司と部下、あるいはコーチと選手の関係に近くなってくるのかもしれない。
 いい例が柳家小三治と喜多八の師弟関係だ。
 喜多八は小三治の二番目の弟子で、年齢は十しか違わない。
 そんな喜多八のことを、小三治夫妻はこう語っている。「(前座修業のため師匠宅に通ってきた)弟子のなかで一番気を遣った」と。
 いったい喜多八の何がそうさせたのか。
 少なくとも、酔って暴れたとか、何か問題を起こしたという武勇伝の持ち主だからではない。
 というのも、喜多八は、そんなことをする体力さえなさそうに見えるからだ。
 やや肩を落とし、うつむき加減でとぼとぼと高座まで歩いてきたかと思うと、「はぁ、どっこいしょ」とばかり高座に座り、ふうっとため息をつきながら、世にも情けなさそうな顔でしばし会場を見渡す。
 その疲れきった姿に、なにかほっとしたような、どこか共感が入り交じった笑い声がさざ波のように会場のそこここから舞台へと寄せ返す・・・・・・。
 世に落語家は数々あれど、疲労困憊気味の登場ぶりがチャームポイントになり、独特のフラを生み出していることにおいて、喜多八の右に出る者はいない。
 ところが、である。
 ひとたび喜多八が言葉を発すると、今度は軽い驚きと笑いが生まれる。
 喜多八は、まくらで決まって、二時間ドラマの色悪にぴったりな、憂いを含んだ顔で、ぽそっとこうぼやく。
「あのお、やる気がないわけじゃないんです、虚弱体質なだけなんです。だから、高座まで歩いてくるだけで、体力の大半を使い果たしちゃってるんです」
 ところが、その言葉や表情とは裏腹の浪々とし響くテノールばりの豊かな声、喜多八がまさに芸も体力も盛りを迎えていることを雄弁に物語っている語り口と、それまでの疲労困憊ぶりとのギャップに驚き、観客の肩すかしからすとんと力が抜け、喜多八流のユーモアに引き込まれてしまうのだ。
 そして、観客は深く納得するのだ。この、やや斜に構えた、観客の心を軽くいなし、肩すかしを加えながら、自分の世界へと観客を巻き込んでいく芸風はまさしく、柳家小三治の弟子以外の何者でもないな、と。
 二時間ドラマの色悪、とは言い得て妙^^

 私は、喜多八の高座の感想で、たびたび、あの疲れたという仕草、表情に、「騙されてはいけない」と書いた。

 いきなり発する大声なども、喜多八落語ならではの演出の一つだった。

 静と動、弱と強の落差をあれほど見事に使い分けた噺家は、いないのではなかろうか。

 そして、斜に構え、観客の心を軽くいなして、肩すかしを食らわせながら、自然に自分の落語世界に客を巻き込む・・・なるほど。

 その表現の仕方は違うものの、小三治と喜多八には、野球にたとえるならば、いきなり直球を投げないという点で、共通点はあるだろう。

 変化球の緩~いボールを見せておきながらの時たま投げるストレートは、バッターにはスピードガンの示す数字よりも速く感じる、ということか。

 あるいは、力まないので直球が手元で伸びる、とでも言えるかな。

 師匠小三治が昭和十四年十二月十七日生まれ、喜多八は昭和二十四年十月十四日生まれ。たしかに、ほぼ十歳の差。

 
 さて、では入門の時のことを引用。ここにも、二人の共通点がからんでくる。
 気難しそうに見える小三治だが、入門はあっさり決まった。
「何時だったか忘れましたけど、夜、高田馬場の家に行ったら、すぐに家に上げてくれたんです。
 で、師匠は『何で落語家なんかになりたいんだ』なんて訊いてきたんですけど、こっちもひねくれてるから『そりゃ、好きに決まってるじゃないですか』(笑)。
 あとでおかみさんに言われましたよ『お前はうちのお父ちゃん(小三治)によく似てるねえ、嫌なとこまで』って(笑)
 ともかく、生意気にもそんな答えをしたもんですから、二人とも黙っちゃった。
 そしたらややしばらくしてうちの師匠が『お前の親の商売は何だ?』って訊いてきた。
 それで『教員で』って答えたら、『それじゃあしょうがねえな』(笑)。
 うちの師匠の父親という人も学校の校長をしてましたから、僕と同じだと思ったんでしょう。親に逆らってまで落語家になろうとしているっていうところが。
 だから、なんの苦労もなく即入門を許されて、次の日から師匠の家に通うことになったんです」
 こうして1977年2月に入門が許され、通い弟子の生活がスタートした。
 ということで、この本で読んでいた話だった。

 教員の子は、似るんだろうねぇ、きっと。
 
 それにしても、師匠の女将さんに「嫌なとこまで師匠に似ている」って言われた時、喜多八は、内心では嬉しかったのかな・・・・・・。
 
 郡山和世さんの本からは、小八時代の、ある逸話を紹介したことがある。
 オカミサンにお土産を持ってくることが多かった小八なのだが・・・これが、結構笑えるんだよね。
2012年12月2日のブログ


 今思い出すと、高座に上がる際の、なんとも気だるい仕種や表情は、晩年は封印していたように思う。

 そんな演出はもう不要だ、と思っていたのかもしれない。

 実際に気だるいに違いない病身になって、その姿を客に見せまいとしていたかもしれない。

 私が実際に聴いた高座や居残りのお仲間の目撃談でも、げっそり痩せ細った姿ではあっても、晩年の喜多八の声は高く張りがあり、目をつぶって聴いていたら、全盛期と変わらないと言っても良かった。

 亡くなる四か月前2016年1月、板付きだった横浜にぎわい座睦会の『やかんなめ』は、忘れることができない。

 存命だったら、今年、古稀を迎えるはずだった。

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by kogotokoubei | 2018-08-20 18:54 | 師匠と弟子 | Comments(10)
 前の記事、文春オンラインから、喬太郎が真打昇進した後、これからは小さんや志ん朝とライバルであると思い、楽屋で震えた、という話を紹介した。

 現役を引退したコーチや監督に指導を受けるスポーツの世界の師弟関係と、まだ現役の芸人さんが師匠として弟子を育てる関係は、たしかに、違ったものなのだろう。

 師匠は一所懸命に自分のライバルを育てている、とも言える。

 落語とスポーツの世界の師弟関係の相違点が、もう一つ。

 落語家の弟子は、自分で師匠を選んでいる、ということ。

 師匠と弟子はライバル、ということで、以前にそんなことを紹介した記事を書いたような気がして、少し遡ってみた。
 ずいぶん前の記事が見つかった。

 その師匠は、五代目春風亭柳昇。そして、弟子は昇太。
 柳昇の命日に書いたものだ。
2010年6月16日のブログ

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浜美雪著『師匠噺』

 その際に引用した本は、浜美雪著『師匠噺』。
 Amazonには、レビューを書いていた。(ドートマンダー名義)

 古い記事と重複するが、柳昇と昇太の師弟について、あらためて同書から引用したい。

 落語に対するファイティング・スピリッツでもこの師弟は似ている。
 昇太の高座からは「やってやろうじゃないの」の光線がビシビシ飛んでくる。独演会であろうがホールの落語会であろうが地方のいわゆる営業といわれる落語会でえあろうが、学校寄席であろうが、もちろん寄席であろうが、高座には俺さまが一番ウケてやるという気迫がみなぎっている。その気迫が必ずや爆笑に巻き込む。
 柳昇もまた、闘う落語家だった。
 八十三歳で亡くなるまで、柳昇は闘う姿勢を失わなかった。
「あの風貌であの口ぶりなんで、そうは見えないかもしれませんけど、うちの師匠は実はすごいファイターだったんです。だって輸送船の甲板から機関銃で米軍機を撃ち落そうとした人ですからね(笑)。
 だから、『戦争には勝たなきゃダメだね。それには敵のことをよく研究して、敵がもってない武器で戦わないといけないね。それは落語も同じだね』ってよく言ってました」
 戦争で手を負傷して、戦前の職場へ復帰がかなわなかった柳昇にとって、落語は食べるための命綱、背水の陣で臨んだ世界だった。

 柳昇の戦争体験は、自著の『与太郎戦記』に描かれ、映画にもなった。

 昭和19年にアメリカ戦艦の攻撃を受けて乗っていた船が沈没しながらも生き延び、玉音放送は入院中の北京の病院で聞いている。

 そういう体験が、柳昇のファイティング・スピリッツの背景にある。

 昇太は、こんな逸話も紹介している。
「弟子にだって、負けたくないって思う師匠でしたからね(笑)。亡くなる直前まで寄席に出ていたんですけど、最後まで誰にも絶対負けないっていうオーラが高座から出てました」
 当の柳昇自身、こんなことを語ってくれたことがある。
「人生喧嘩ですよ。
 泥棒でも戦争でも早くやったほうが勝ちだね。負けちゃだめ。
 人間、泥棒根性がなかったら偉くならないですよ」
 新作への思い入れも昇太以上だったかもしれない。昇太の時以上に新作は異端視され、古典に負けたくないという思いが常に心のなかに熱くたぎっていたに違いないからだ。
 柳昇が八十近くなった頃、昇太が柳昇の古典落語の会を企画し、意向を確かめたことがあった。
 だが、師匠の返事はノーだった。
「ありがとう。
 でも、やらない。
 そんな会をやると、もう柳昇は新作が書けなくなったと思われるからね」
 
 あらためて、なかなか良い話だと思う。

 晩年のテレビで見た、あの飄々とした優しい表情からは、壮絶な戦争体験をしたことなどは、とても察することができない。

 柳昇は、「新作の芸協」の大きな柱だった。

 その伝統は、ファイティング・スピリッツとともに弟子に伝承された、と思いたいが、あの人気番組の司会者になった弟子に、今、どれほどのファイティング・スピリッツがあるのかは、正直、疑問もある。

 
 ともかく、落語家の師匠と弟子。
 弟子は、ある時から、師匠をライバルとも思い、精進する。
 師匠もまた、成長する弟子をライバルとみなして、負けないように切磋琢磨する。

 他の伝統芸能にも、そういった関係性があるのかもしれない。

 なかなかに、深~い関係だと思う。


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by kogotokoubei | 2018-05-07 21:10 | 師匠と弟子 | Comments(4)
 昨夜、NHKのEテレの「グレーテルのかまど」を見た。昨年放送された内容の再放送だが、見て実に感じることがあった。
 実は、拙ブログにコメントをいただいたご縁から、昨年大阪でお会いし、真田丸の里、そして、坂の大阪の散策をご案内いただいた山茶花さんから、ご連絡をいただいたのだった。
 どんな、内容だったのか。
 まず、NHKのサイトから、引用する。
NHKサイトの該当ページ
グレーテルのかまど
「桂米朝師匠の栗(くり)きんとん」

若手落語家・桂吉坊さんが、人間国宝である桂米朝師匠から芸のヒントをもらったのが、秋の味覚“栗きんとん”。ひとくち食べればホロリ、師匠と弟子の絆の味に迫ります。

上方落語の演目「足上がり」。かつてこのネタをものにしたいと苦労していたのが、若手落語家の桂吉坊さん。人間国宝である桂米朝師匠からもらった意外なヒントは、“栗(くり)きんとん”。そのホロリとした口どけと栗の風味が教えてくれたこととは?栗きんとんが結んだ、師匠と弟子の絆に迫ります。スタジオのヘンゼルは、素朴な茶巾絞りタイプの栗きんとん作りに挑戦。古くから縁起物として愛されてきた栗の魅力を堪能します。

【出演】瀬戸康史,【声】キムラ緑子

 この『足あがり』というネタ、知らなかった。

 吉坊は、丁稚の定吉が栗きんとんを食べる場面を描くのに苦労していた。吉坊自身が、栗があまり好きではなかった。
 だから、この噺を演じる自信ができない吉坊に、米朝は「栗きんとん」を実際に食べさせることで、吉坊の悩みを解きほぐす。
 そのとき、吉坊が食べず嫌いだった栗きんとんの、なんと美味かったことか。

 それは、食べず嫌いせず、何でも挑戦してみなはれ、という米朝からのメッセージと吉坊は受け取った。
 
 番組では、米朝が実に好奇心旺盛で、現代のことでも、知識を習得しようとする姿勢が衰えなかったことを、吉坊が振り返る。

 吉坊は、吉朝の弟子だが、吉朝門下は、弟子に大師匠米朝の元での前座修行を恒例としていた。

 番組では、その前座時代の米朝と吉坊の写真も何枚か紹介されていた。

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『米朝ばなし』(講談社文庫)

 知らなかったこの噺を、『米朝ばなし』で確認した。
 この噺は『蔵丁稚』(『四段目』)と似ていると前置きして、次のように筋書を説明している。
 
 道頓堀の小屋で、丁稚が番頭に連れられて芝居見物をさせてもらう。「一足先に帰ります」という丁稚に、番頭が「帰ったら、だんなには、番頭はんのお供で播磨屋さんのお宅へ行ったら、えろう碁がはずんでました。あんまり遅うなったんで、私、一足先に帰って参りましたが、番頭さんは、もう一手、二手見せてもろうて帰ります、とそういうふうにだんさんに言うといてくれ」「ほな、先に帰らしてもらいます」同じ座敷にいた芸者が「あ、ちょっと」と小遣いを包んでくれる。
 喜んで店へ帰ってくると、だんなが「なんでこないに遅うなったんや」「へえ、播磨屋さんへ・・・・・・」「播磨屋さんは、さいぜんまでここで、どうしても番頭どんに会いたい、言うて待ってはったにゃ。あんまり遅いんで、いましがたお帰りになったところじゃ。ほんまのことを言いなはれ!」「・・・・・・芝居に行ってました」「なぜそれを正直に言わん。中座か、ちょっと後ろから立ち見か」「そんなしょうもない」「えらそうに言いな。平場でもおごったか」「桟敷でんがな」「桟敷!」
「へえ。芸妓はんやら、お茶屋の女将やらみな一緒で、御馳走を前にぎょうさん並んで、番頭はん、ちびちびお酒飲みながら見てはりまんねん。“こんなことしたら高うつきまんねんやろな”ちゅうたら“これみな、筆の先から出るんや”言うてはりました」
 番頭が、芸妓といちゃつきながら芝居見てるとことまで、みんなしゃべってあいまう。
「そういうことしてくさったか。あした請け人を呼んで、話をつけてしまおう」「え!番頭は、お暇が出まんのん、足があがりまんのん・・・・・・。えらいことしゃべってしもたな。番頭はんの悪いとこは、丁稚の私が謝りますさかい・・・・・・」「アホなこと言うな。・・・・・・番頭が帰ってきても、何も言うことはならんぞ」
 足があがる、というのは、クビになることを言うた。
 
 この後、サゲまでが簡潔に書かれている。

 師匠と弟子、いろんな形での教えはあると思うが、この季節に相応しい、心をあたため、口の中に甘みがじわーっと浮かんでくるような逸話だった。

 明日の朝、再放送。ご興味のある方は、ぜひ。
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by kogotokoubei | 2017-10-24 12:33 | 師匠と弟子 | Comments(4)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛