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噺の話

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カテゴリ:映画など( 13 )


 昨日は、テニスクラブもまだ閉鎖中で時間があったので、観ていなかった映画「新聞記者」を観てきた。

 東京新聞の望月衣塑子さんの著書『新聞記者』を原案とした映画で、日本アカデミー賞で、作品賞、主演男優賞、主演女優賞の主要部門を獲得し、あらためて上映されていたようだ。

 望月記者自身を森達也が自らカメラを回して撮った「i ー新聞記者ドキュメントー」という映画は、昨年12月に観ていた。
2019年12月9日のブログ

 また、望月さんの著書『新聞記者』や、望月さん、前川喜平さん、マーティン・ファクラーさん三人による書『同調圧力』を先に読んでいた。

 そういうこともあって、映画「新聞記者」には、やや、勘違いした期待を持っていたようで、正直なところ、観終えて、「あれっ?こういう映画だったの?!」という印象。

 ちなみに、新百合ヶ丘のイオンシネマだったが、上映10分前には客席に私一人、最終的には10人ほどになったが、離れた客席に点在していた。
 天井は高いし、新型コロナウイルスのクラスターにはなりにくい環境だと思うのだが、とにかく、閑古鳥が鳴いていた。

 この映画の感想を書くというより、『同調圧力』の望月さんが書いた章から、この映画に関する部分を引用しながら、私の勘違いのことなどにも触れてみたい。

 ---ここからはネタバレになるので、ご留意のほどを---


映画「新聞記者」のこと。_e0337777_14405684.jpg

『同調圧力』(角川新書)

 2019年6月に発行された、望月衣塑子、前川喜平、マーティン・ファクラー三人の共著『同調圧力』については、昨年四回記事で紹介した。

2019年12月12日のブログ
2019年12月15日のブログ
2019年12月16日のブログ
2019年12月19日のブログ

 その中で、「第1章 記者の同調圧力 望月衣塑子」から。

 3 同調圧力に屈しない人々

 一つ一つ作り上げていく映画の現場

 思い通りにいかないことも多々ある毎日だが、それでももう少し頑張ってみようと思えるのは、同調圧力をものともせず、プロフェッショナルを貫く人々の生きざまを目の当たりにする機会が多いからかもしれない。
 そのひとつが、映画製作の現場だ。
 『新聞記者』が原案となり、映画になることが決まった。話がもち込まれたのは本が出て数か月がたったことのこと。出版社を通じて、映画プロデューサーの河村光庸(みつのぶ)さんにお会いした。
 河村さんひゃ寺山修司の長編小説を映画化し、俳優の菅田将暉氏が主演した「あゝ、荒野」など、数々のヒット作を手がけ、挑戦的な映画に挑み続けている敏腕映画プロデューサーだ。
「『新聞記者』を読んで、新聞記者、個を応援していけるような映画を作りたい、と思ったんだよね」
 という。私の本が誰かの想像力を刺激したのだとしたら本当にうれしい。河村さんは安倍一強が続く現在の政治や社会の状況に対して、強い危機感をもっていた。普段から政治にそれほど関心のないような若い層などにも、映画の力で働きかけていきたいと話してくれた。
「今の社会や映画産業に風穴を開ける映画を作りたいんだよ」
 初対面ながら、3時間ほどにわたって熱い思いを語ってくれた。
 とはいえ当初は、原案ではあるが、「モリカケ疑惑」や伊藤詩織さんへの準強姦疑惑事件などを扱った『新聞記者』の映画化は、かなりのハレーションがるのではないかと思っていた。広告業界や芸能事務所なども、政治的な摩擦を避けたいと思う人が多いだろう。
 やはり、その後かなりの紆余曲折があったそうだ。脚本家は7人入れ代わり何度も脚本が練り直された。私への連絡も半年ほど途絶えたときがあり、やはり難しかったのか、立ち消えになってしまったのかな・・・・・・と思ったりもした。

 紆余曲折の内容は、分らないが、当初の構想から、内容は変遷してことは間違いないだろう。
 そこには、変えざるを得ない、さまざまな圧力もあったのだろうか。

 脚本家は7人入れ代わったとのことだが、さて、最初の段階で、どんな脚本だったのか・・・・・・。

 引用を続ける。

 しかしその間も河村さんは奔走し続けてくれていた。クランクイン直前の2018年11月、脚本が完成した。
 監督は、7人の若者の青春群像劇である「青の帰り道」や、俳優の山田孝之氏と共に手がけた「デイアンドナイト」などのヒット作を次々と生み出し、若手でもっとも注目されている藤井道人さんが引き受けてくださった。シム・ウンギョンさん、松坂桃李さんのダブル主演も決まった。錚々たる面々だ。名前を聞いただけで興奮した。

 望月さんご自身は、映画化されたことへの喜びもあるだろうから、こういう書き方になるのだろう。

 しかし、私が観終わって浮かんだ疑問の一つは、なぜ、韓国人女優を採用し、帰国子女という設定で、たどたどしい日本語を主人公が語るのか。

 そういう設定に、どんな必然性があったのか・・・・・・ということだった。

 また、東都新聞の記者吉岡は、日本人の父と韓国人の母の間に生まれ、父も新聞記者だったが、あるスクープを「誤報」と非難され、自殺をとげていた、という設定。

 たしかに、望月記者のお父さんは、業界紙の記者ではあった。

 とはいえ、シム・ウンギョン演じる吉岡のたどたどしい日本語は、この映画のリズムを狂わせているように、私には思えてならない。

 紆余曲折、7人脚本家が変更、という経緯に、どうもその疑問の答えがありそうだ。

 まず、日本人女優で、主人公の新聞記者を演じさせることに、リスクがあったのではなかろうか。
 それは、事務所側の抵抗もあったかもしれないし、候補となった女優自らが辞退したのかもしれない。
 河村プロデューサーは韓国映画界にも通じているから、韓国人女優の起用、ということはあり得るのだが、私には、無理筋に思えてならない。

 紆余曲折の結果なのだろう。

 私は「i -新聞記者ドキュメントー」を観ていることもあるし、望月さんの著書を読んだり、テレビやネットで彼女の姿を見ているので、あのエネルギッシュな姿を、主人公の女性記者に期待していた。

 しかし、シム・ウンギョン演じる記者吉岡は、まったくそういうキャラクターには描かれていない。

 どちらかと言うと、静的で、目や細かな表情で演技するタイプで、「あら、これは望月さんがモデルとは言えないなぁ」と思ってしまった。
 

 その時点で、私のこの映画への期待は、大きな勘違いだった、と反省することになった。

 とはいえ、この映画の冒頭から、当の望月さんが登場したのには、びっくりもし、嬉しくもあった。

 『同調圧力』から引用。

 撮影は2018年11月末から、14日間かけて行われた。
 一番初めの撮影は、実は私と元文科事務次官の前川喜平さん、マーティン・ファクラーさんの座談会で、南彰さんが司会役を務めてくれた。このときのやりとりが絶妙な形で映画に織り込まれるのだが、それはぜひ映画館で観ていただけたらと思う。

 はい、映画館で観させていただきました^^

 それにしても、14日間での撮影とは、驚いた。

 ある意味、そんな短期間でよく作ったね、とも思うが、そうなると、内容には限界も出てくるのは、やむなし。

 伊藤詩織さんをモデルとしているレイプ事件のことや、前川喜平さんとモデルとしている文科省官僚への内調のトラップなどのい描き方が、どうしても断片的になった。

 また、もう少し深く描いて欲しかったのは、内閣情報調査室という“闇の集団”のこと。

 情報室のトップ、多田役を演じたのは、田中哲司だが、彼の演技そのものが悪いとは思わない。
 問題は、彼の背後に蠢く悪の元凶をどう描くかなのだが、悪役は多田という人間を描くだけの印象。
 また、映画の調査室の映像は、どこかの会社といった印象。

 多田の背後にある悪の根源をイメージすることができなかった。

 その多田の部下である、松坂演じる杉原。
 杉原がかつて信頼していた外務省時代の上司の神埼が自殺するのだが、その経緯での神埼の苦悩、内調の怖さも描ききれていない。


 兄弟ブログ「幸兵衛の小言」で以前紹介した『官邸ポリス』という本がある。

映画「新聞記者」のこと。_e0337865_16102597.jpg

幕蓮著『官邸ポリスー総理を支配する闇の軍団』(講談社)

 モリカケ問題への対応を含め、政府を支える闇の組織を、元警察庁キャリア官僚が内部告発した本として話題になったのが、『官邸ポリスー総理を支配する闇の軍団』だ。

 著者は、幕蓮というペンネームで、巻末のプロフィールには、「東京大学法学部卒業。警察庁入庁。その後、退職」とだけ記されている。
 
 Amazonには、多くの否定的なレビューが投稿されている。
 それだけ、この本の帯にある「92%は現実」を裏付けていると私は思う。

 主要登場人物の仮名と、実際の人物と思われる名を並べてみる。

  内閣官房副長官 瀬戸弘和--->杉田和博
  内閣情報官 工藤茂雄 ------->北村滋
  警察庁総括審議官 野村覚--->中村格

 実名の三人、ここ数年、いろんな場面でネットに登場する。

 さて、森友学園問題の部分を引用したい。

 まさに「国策捜査」の実態はこうだったのか、と思わせる内容。

 なお、本書では、盛永学園で門池理事長、となっている。ちなみに、首相の名は、多部。

 事実はどうであれ、このままでは総理の印象が悪化するばかりだー瀬戸副長官は、大阪府警の毛利本部長に直接、電話した。
「門池を黙らせられないか?」
 毛利本部長は、それまでの盛永学園に関する情報を整理して、門池周辺への聞き込みを強化した。すると、塚田幼稚園が教員の人数を偽り、補助金を不正受給している疑惑が浮上した。それは、瀬戸副長官に伝えられ、当然、工藤情報官以下の内調メンバーにも情報共有された。
 そして2017年3月、当該補助金の不正受給疑惑が新聞で報道された。
 しかし一方で、財務省の佐藤理財局長が、国有地売却について「財務官として、価格を提示したことも、先方から買いたいと希望があったこともない」と国会答弁していた。
 既に、Sを通じて近畿財務局が作成した書類を入手し、それらに目を通していた瀬戸や工藤は、佐藤局長の答弁に冷や冷やしていた。しかし、財務省の答弁に意見を言うわけにもいかず、不安に思っていたところ、四月に入って大阪地検が、財務省職員らに対する告発を受理した。そうして国が不当に安い価格で国有地を売却したとする背任容疑で捜査を開始し、その後、証拠隠滅や公文書等毀棄などの告発も受理した。
 不正受給疑惑が報道された後も、むしろ財務省が世間の批判を浴び出したことに浮かれて、門池の放言は止まらなかった。野党も門池の胡散臭さに気づきつつも、多部政権を攻撃する好材料と考え、連日、話題にした。もうこうなれば、最後の手段だ。
 -門池に、「なか」に入ってもらうしかない。

 この後、“闇の集団”は、盛永学園の銀行口座や門池夫妻の個人口座を調べ、どの口座にもまとまった金がないことを確認。クレジットの信用調査もブラック分類になっていることが判明。

 といった内容で、実にリアルな“闇の集団”の描写が続く。

 「新聞記者」は、加計問題をモデルとして、そこに生物兵器研究という隠された目的を加え、首相と懇意な人物によって特区での新医大開設が画策されていることを、吉岡と杉原が暴く、という展開。

 生物兵器、という大きな悪を引っ張り出したのも、紆余曲折の結果なのかもしれない。

 首相のお友達に便宜を図る、というだけでは、リアルな世界と同じなので、味付けをしたような気がする。

 吉岡には父の自殺、杉原には神埼の自殺、というそれぞれの謎を解きたいという思いでの共通項がある。

 二人の協力で、医大開設にまつわる疑念への裏づけを取り、東都新聞の一面で吉岡による記事を見た多田が、直接吉岡の携帯に電話し、「お父さんのスクープは誤報ではなく事実だった、しかし、彼は死んだ」と謎かけ的な脅しをかける。

 その電話の直後、多田は目の前にいる杉原に、「外務省に戻してやろう、しかし、すべて忘れろ」、と告げる。

 呆然となって多田の部屋を出た杉原。

 心配で駆けつけてきた吉岡と杉原は、道路を隔ててお互いを見つめる。

 多田の目は空ろだ。

 そして、エンディング・・・・・・。

 多田の姿は、果たして、神埼の二の舞になる危険性を暗示しているのかどうか。


 神埼のモデルは、このたび遺書と手記が公開された、赤木俊夫さんだろう。

 そういう意味では、赤木さんは、「新聞記者」の神埼さんだ、という話題が広がることは良いことかもしれない。


 この映画が日本アカデミー賞を受賞したこと自体は、私は喜んでいる。

 それは、河村プロデューサーが製作の動機として望月記者に語った、現在の政治、社会情勢への危機感が、映画界の多くの人によって共有されたということだろうから。

 また、本物の内調(?)の怖さを考えると、よくぞこの映画をつくってくれた、とも思う。

 とはいえ、もろ手を挙げて喜べない部分があるのも、事実なのだ。
 
 私は、脚本家が7人変わった背景や、紆余曲折の中身が気になってしょうがない。

 やはり、主役は、日本人の女性記者であって欲しかった。

 「i -新聞記者ドキュメントー」で映像化された、キャリーバッグを引き摺りながら精力的に現場での取材を続け、官房長官に露骨に嫌がらせを受けながらも質問を繰り返す望月記者がモデルなら、もっとアグレッシブに権力に立ち向かう日本人女性によって、新聞記者を描いて欲しかった、というのが本音だ。


 古くなるが、スリーマイル島の原発事故の少し前に、映画「チャイナシンドローム」で原発の闇を暴こうとするジャーナリストを演じたのは、ジェーン・フォンだった。

 日本のジェーン・フォンダの出現には、まだ時間が必要なのかもしれない。

 映画を観終わって、実は、そんなこと思っていた。

by kogotokoubei | 2020-03-23 12:47 | 映画など | Comments(0)
 3月8日に観た映画だが、まだ公開間もないこともあり、記事は公開していなかった。

 少し時間も経過したので(?)、ご紹介したい。


映画「ジュディ 虹の彼方に」公式サイト

 ---ここからはネタバレになるので、ご留意のほどを---

 レネー・ゼルウィガーがアカデミー賞主演女優賞を受賞したこの映画は、ジュディ・ガーランドの晩年のロンドン公演期間が中心となるが、冒頭とカットバックで少女時代のことも登場する。
 
 キャスト、あらすじ、感想など、の順で記したい。

<キャスト>

ジュディ・ガーランド: レネー・ゼルウィガー
      *少女期: ダーシー・ショウ
ルイス・B・メイヤー: リチャード・コーデリー
シドニー・ラフト: ルーファス・シーウェル *ジュディの3番目の夫
バーナード・デルフォント: マイケル・ガンボン *ロンドンのナイトクラブのオーナー
ミッキー・ディーンズ: フィン・ウィットロック *ジュディの5番目の夫
ロザリン・ワイルダー: ジェシー・バックリー *ロンドン公演中のスタッフ
ローナ・ラフト: ベラ・ラムジー  *ジュディとシドニーの娘。
ジョーイ・ルフト:ルーイン・ロイド *ジュディとシドニーの息子
バート: ロイス・ピアソン *バンドマスターのピアニスト
ロニー・ドネガン: ジョン・ダグリーシュ
ライザ・ミネリ: ジェマ・リア=デヴェロー
ダン:アンディ・ナイマン
スタン:ダニエル・サークェラ

<あらすじ>
◇冒頭部分と途中のカットバック/少女期のドロシー
 田舎娘ジュディが、その歌唱力を評価されMGMに抜擢されて、「オズの魔法使い」のドロシー役を目指している。リチャード・コーデリー扮するMGM創設者の一人メイヤーが、太っていてはライバルの子に負けるからと、痩せるための薬を渡される。映画では名は明かされないが、史実では、アンフェタミン(覚醒剤)。食欲を抑制するのである。そして、眠れないと、また睡眠薬を渡される。
 1939年、17歳でドロシー役となり、一躍スターの道を歩み始めるのだが、薬漬けにされてきたジュディの姿が、晩年の不幸に導く序章として描かれる。

◇晩年のジュディ
 場面は、一気に30年後。
 アルコールと睡眠薬の飲みすぎで情緒不安定となり、遅刻や無断欠勤を重ねたジュディには、もはや映画の仕事もなくなっていた。
 場面は、三番目の夫シドニー・ラフトとの子供、ローナとジョーイを連れて場末のクラブに出演しているジュディの姿に変わる。
 疲れ果ててホテルに戻ると、宿泊費を滞納しているため、追い出される。
 行くあてのないジュディは、二人の子の父親であるシドニーの家へ。
 映画では明かされていないが、ジュディがアカデミー賞主演女優賞にノミネートされた映画「スター誕生」のプロデューサーだったのが、シドニー・ラフト。
 シドニーに、薬と酒まみれのジュディに子供たちの養育は無理だからと、二人の子を預けるように言われる。
 しかし、ジュディはかたくなに拒否。
 ストレスがたまる中でジュディは、二人目の夫ヴィンセント・ミネリとの子、ライザ・ミネリの家へ。
 ちょうどパーティーをしていて、客の中に、ナイトクラブを経営しているというミッキー・ディーンズ(フィン・ウィットロック)がいた。
 彼は、ジュディを尊敬し、また、好意をもって優しくジュディに話しかける。
 ジュディは、心強い相談相手を得て、一時の心の平安を得た。そんな時、ロンドンのナイトクラブTalk Of The Townのオーナー、バーナード・デルフォント(マイケル・ガンボン)が、ロンドン公演の話を持ってきた。アメリカではもはやその名声の凋落傾向にあるが、イギリスでのジュディはまだまだ人気もあるから、一ヶ月公演を行いたいと言うのだ。
 まずは、経済的に立ち直って、子供達と暮らしたいと思うジュディは、シドニーに子供たちを預け、ロンドンへ。
 バーナードは、ロザリン・ワイルダー(ジェシー・バックリー)をロンドン公演中の付け人とした。舞台初日、クラブに来ないジュディ。ロザリンが迎えに行く。
 うまくショーが務まるか不安だったジュディだったが、なんとか歌い、踊りきった。それは、疑心暗鬼だったロザリンも感動させるだけの見事なショーだった。
 公演中のある日、舞台を終えたジュディを“出待ち”していたのが、ダンとスタンのゲイのカップル。ジュディは、二人と夜食を一緒に食べようと誘うのだが、どの店も閉まっており、2人のアパートへ行く。そこでダンは、男性間の恋愛そのものが違法で、スタンも刑務所に入っていたことを打ち明ける。しかし、彼らはジュディの歌声に救われたと涙ながらに話し、ジュディと心を通わせる。
「世間は自分たちと違う人間が気に食わないのよ。そんなのはクソくらえだわ」と励まし、♪Get Happyをダンのピアノでジュディは一緒に歌う。
 ミッキーが訪ねてくれたこともジュディの支えとなった。ミッキーは、アメリカで安定的にジュディが生活できるよう、ジュディの名前を冠した映画館チェーンをつくる契約を交渉中であった。喜ぶジュディは、ミッキーと結婚式を挙げた。
 ショーの人気が高まり、テレビのインタビューが入った。しかし、司会者がつい残してきた子供のことなどを話すために、不快になり、そして精神的にいらついたジュディ。
 アルコールと睡眠薬の飲みすぎで、ショーに酔っ払って出演し、失態。
 バーナードに謝罪すると、彼は医者に診てもらうよう薦めた。「オズの魔法使」からのジュディのファンだというセラピーの医師は、「自分を見失わないで」と声をかけるのだった。
 シドニーがロンドンへやって来た。子供達がシドニーと暮らしたいと言っているから、親権を譲れというのだ。信じられないジュディ。悶々としてホテルに戻ると、悪いことは重なる。アメリカに契約交渉に行っていたミッキーがいた。ジュディの名前を関して映画館の話は、破談になった。ミッキーを痛罵するジュディ。
 ジュディは、シドニーの話を確認するために、公衆電話で子供たちの意志を確認したら、シドニーの言う通り。
 愛する子供たちを失った悲しみで、泣き崩れるジュディ。
 アルコールと薬漬けに戻ったジュディは、再び舞台をだいなしにした。
 もう、バーナードも我慢はできない。ジュディは、予定より早く公演から下ろされ、主役をロニー・ドネガン(ジョン・ダグリーシュ)に譲ることになる。
 ロザリンと、バンドリーダーのバートが、お別れ会を開いてくれた。
 そこで、ケーキが供される。しかし、少女時代は、太るからと糖分を控えさせられ、また、成人して後は、アルコールと薬まみれで、ケーキなど食べることのなかっただろうジュディ。じっと見つめ、一口食べて「美味しい」と言うのだった。
 最後なので、ショーを客として観たいという願いを聞き入れたロザリン。
 舞台脇でジュディは、ドネガンに、一曲だけ歌わせてくれと懇願した。ドネガンは快くジュディを舞台に引き上げた。
 さぁ、無理なお願いはしたものの歌えるかどうか不安だったジュディだが、意を決して歌いだしたのが、♪Come Rain Or Come Shineだ。
 観客も、本当はジュディの客。この歌に大盛り上がり。
 そして、二曲目。♪Over The Rainbowを囁くように歌い始めたのだが、いろんな思いが交錯して、歌えなくなる。
 沈黙を破ったのは、客席にいたダンだった。歌声は会場に伝播した。
 客が皆立ち上がって歌ってくれている。感謝の言葉も胸に詰る、ジュディ。
 映画は、この半年後ジュディは亡くなったと、テロップで告げる。

<感想など>
 まず、映画では描かれなかった点を補足。
 ジュディ・ガーランドの本名は、フランシス・エセル・ガム(Frances Ethel Gumm)。父親がボードビリアン、母親がピアニストの家庭で三人姉妹の末っ子として生まれている。
 芸名の「ジュディ」は、彼女が好きだった歌のタイトルから、「ガーランド」はあるボードビリアンが彼女たち姉妹を評して「ガーランド(花輪)のようだ」と言ったことから付けたと言われている。
 デビューは、13歳の頃、二人の姉と一緒に、ガム・シスターズとしてであった。
 メトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)と専属契約をする際、当初採用候補だった別の候補を推す社長のルイス・メイヤーは、「ジュディを追い出せ」とプロデューサーのアーサー・フリードに命じたらしい。しかし、ジュディの歌唱力に注目したフリードがメイヤーの指示をを無視してジュディと契約を結んだと言われる。

 さて映画のこと。
 私は、ラスト近く、解雇されたにも関わらず、舞台に飛び入りで歌った♪Come Rain Or Come Shineの途中から目頭が熱くなり、最後の曲♪Over The Rainbowを客席からダンが歌い出した時、涙がこらえられなくなった。
 ちなみに、ダンとスタンは、実在の人物ではないが、見事な脚色だ。LGBTQ+が強く親近感を抱くジュディの姿を映像化するために、あの二人の存在は大きかった。
 何より全曲を自ら歌ったレネーの歌唱力と、スタッフの努力もあるだろうが、見た目もジュディの再来かと思わせるその演技には、アカデミー賞主演女優賞受賞を、十分に納得させた。

 そこで思うのは、ジュディが、1954年、32歳の時の「スタア誕生」で、ゴールデングローブ賞では受賞した主演女優賞を、アカデミー賞では取れなかった、ということ。
 通説では、制作したワーナー・ブラザースが、ジュディの撮影中の遅刻や出勤拒否などに伴う制作費の増大を問題として、受賞のための宣伝などを行わなかったことに加え、授賞式前に「彼女ではもう二度と映画は撮らない」と宣言したことが背景にあったとされる。
 受賞を逃したことにより、ジュディの私生活は再び荒れ、自殺未遂を起こすようになった。

 歴史に禁物の“もし”ではあるが、もしアカデミー賞主戦女優賞を受賞していたら、ジュディの人生も変わっていたのではなかろうか。

 ハリウッドでは、ジュディのように、痩せ薬としてアンフェタミンを投与されていた女優も少なくなかったのかもしれない。当時は、合法でもあった。
 寝ようとしても寝れない薬を飲まされ、その結果、寝るために睡眠薬を飲む。
 これでは、体も神経もボロボロになってもしようがない。

 ロンドン公演中、夢に出るのは、少女時代の辛いことばかり。
 メイヤーの怖い顔と言葉。
 母親からわたされる薬。

 それでも、なんとか頑張っていたのに、最愛の子供達を失ったと知った心境は、いかばかりだったろう。

 ジュディの死は、自殺ではないかという考察もあるようだ。
 もう、疲れきっていたんだろう。
 
 47年の人生の晩年で、短期間とはいえ、輝きを取り戻した時を描いた映画。

 そこには、歌って踊るエンターティナーのジュディ・ガーランドと、家族を失い、アルコールと薬で心身ともにぼろぼろになっていたフランシス・エセル・ガムが、見事に描かれていた。

 この映画を観て思い出す女性が二人いる。
 一人は、ミス・ワカナだ。ワカナ・一郎という夫婦漫才で戦前一世を風靡した。
 吉本興業が戦中に慰問団として組んだ“わらわし隊”のメンバーとして、戦地にも赴いた。疲労回復のためと始めたヒロポン(メタンフェタミン)中毒となり、36歳での死因は心臓発作と言われているが、ほとんど自殺ではないかと思っている。

 もう一人の女性は映画「ローズ」で描かれた、ジャニス・ジョップリンだ。
 彼女も薬が原因と思われるが、27歳で亡くなっている。

 人の幸福は存命期間で計ることはできないが、芸能界で生きていく中で、薬害で若くして亡くなった二人よりも、ジュディは少しは長く生きることができた。

 不安でならない公演だったが、彼女は、喝采を浴びる時間もあった。

 「歌わせて、ここでしか生きられないから」という言葉が、重い。

 ロンドンで、短いながら幸福な時間を得られたのであれば、それが救いである。

 アカデミー賞にノミネートされた作品は、これで5本観たことになる。
 私の採点は次の通り。

 「パラサイト 半地下の家族」★★★★★
 「1917 命をかけた伝令」★★★★★
 「ジュディ 虹の彼方に」★★★★☆
 「ジョジョ・ラビット」★★★★☆
 「フォード対フェラーリ」★★★

 さて、まだまだ自粛ムードたっぷりだが、映画にも落語にも、行きたいなぁ。

by kogotokoubei | 2020-03-18 21:27 | 映画など | Comments(2)
 一昨日、映画「1917 命をかけた伝令」を観た。

 素朴な疑問が、「この映画が、作品賞を取れなかったんだぁ」、ということ。

 それだけ「パラサイト 半地下の家族」への評価が高かったともいえるが、私の評価は、どちらも★五つだ。

 監督賞は、サム・メンデスで良かったんじゃないかなぁ。

 あまりにも、臨場感があって、「フォード対フェラーリ」よりも、車酔いに似た感覚になった。

 あるいは、ジェットコースターに2時間乗っていたような感じ。

 とにかく初めて味わう映画体験、と言える。

 「ワンカット」という言葉だけは目に入っていたが、あえて予備知識を持たずに観た。結果、それが良かったと思う。

 だから、これからご覧になる方も、何も知らずに映画館へいらっしゃることをお奨めします。

 ---ということで、ここからはネタバレになるので、ご注意を---





 最初に、サム・メンデスのインタビューから、この映画製作のきっかけについて、映画.comから引用。
「映画.com」の該当記事

メンデス監督「10、11歳の頃、祖父が第一次世界大戦での体験を語ってくれた。それで戦争という概念を理解したんだ。1916~18年まで戦地に赴いた祖父は、18歳の時に最前線へと駆り出された。僕を膝の上に乗せて語っていたのは、メッセージの伝令について――その記憶の断片が、今でもずっと胸に焼きついてる。祖父の言葉の核心が、映画へと発展していった。ただし、本作は、祖父自身の話ではない。若き2人の兵士は、僕が作り上げたキャラクターで、祖父ではないんだ。あくまで祖父の精神と、自分よりも何か大きな物事を信じ、無私無欲で、自らを犠牲にした当時の女性たちなど、僕の心にずっと残っていたものを反映させたものだ」

 まず、背景はこういうことです。
 実話、ではない。
 しかし、限りなくノンフィクションに近づく体験をもたらしてくれる。

 その魅力は、なんと言っても「ワンカット」という言葉に代表されるだろう。

 戦場で短い休息をとっている若い兵士が目を覚ます場面に始まり、最後まで、観る者を1917年4月6日から翌日までの、第一次世界大戦のフランスの戦地の一日の体験にと引きずり込む。

 とはいえ、二時間近い「ワンカット撮影」、なのではない。

 公式サイトにもあるように、「全編を通してワンカットに見える映像」ということだ。
映画「1917 命をかけた伝令」公式サイト

 あらすじなどは、いろんなサイトから確認できると思うので、この映画がどのように出来たか、「ワンカット映像」ということを中心に紹介したい。

 Wiredには、そのあたりのことが詳しく紹介されている。
Wiredの該当記事

 アカデミー賞視覚効果賞を受賞したチームの言葉。

この映画のVFX(視覚効果)チームは、2時間にわたって虚構の世界を切れ目なく維持しなくてはならず、映画制作そのものを考え直す必要に迫られた。「映画をワンカット撮影にすることは、これまでも行われてきました」と、アカデミー視覚効果賞を獲得したムーヴィング・ピクチャー・カンパニー(MPC)の視覚効果アーティストで、『1917』のVFXスーパーヴァイザーを務めたギヨーム・ロシェロンは言う。「でも、どれも室内の閉ざされた環境で撮られていました」

例えば、最近「ワンカット映画」として注目を浴びた2014年の『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』では、主人公が壁に隠れて見えなくなったり、角を回って歩いて行ったりすることで、ひとつのカットがつくられている。『1917』では、大半のアクションが野外で行われるため、このようなカットをつくるチャンスはずっと少ない。このため、複雑なデジタルカットに頼ることになる。

「制作の初期段階から、どうしたら切れ目のない映画に見せられるかを念頭においたおかげで、見た目でもカメラワークでも、切れ目がまったく判断できないように追求しました」と、メンデス監督と映写技師のロジャー・ディーキンスとともに本作にかかわったロシェロンは言う。「場面の切り替えはどれも手品のようです」
 私が観ていて、一箇所だけ、ここは別なカットをつないだな、と思う場面があったが、ほとんどが、ワンカットと思わせる二時間。

 それも、屋外で戦争シーン、となるとスタッフの苦労は大変だっただろう。

 引用を続ける。

さらにショットの種類ごとに、多種多様なアプローチがとられている。戦闘機の墜落ショットでは、納屋に墜落するシーンをVFXチームがデジタルで制作し、実際の現場で戦闘機のレプリカを撮影したものとブレンドした。

「シーンからシーンにつないでいくには、非常に高度なレンダリングとアニメーション、そしてブレンドの技術が必要です」と、ロシェロンは言う。「あるシーンをシェパートン・スタジオで撮影し、次のシーンはグラスゴーで撮影して、このふたつを完全に途切れなく何とかブレンドしなくてはなりません」

 あの戦闘機の墜落場面、凄かった!

 そして、敵機の操縦士を救い出すことで、悲劇が始まる。
 
 次にオスカー撮影賞を受賞した、あの「ショーシャンクの空に」のロジャー・ディーキンスへのインタビューをGIZMODOから引用したい。
GIZMODOの該当記事

──本作はサム・メンデス監督がワンカットで撮影することを前提に脚本を書いたそうですが、その脚本を読んでみて、もっとも撮影が難しそうだと感じたシーンはありましたか?

ロジャー・ディーキンス(以下ロジャー):脚本を読んでどのシーンが難しそうだと考えることはなかったな。どれが難しそうか、というより、全部難しそうだったから、すぐにどうすれば撮影できるのかを考え始めたよ。それからリハーサルを沢山して、各ショットをどうやって撮影するか、そしてどんな道具を使って撮影するかを決めていったんだ。
で、実際に撮影を始めると、シーン毎にやることの難しさが違ったね。たとえば、主人公のスコフィールドが壊れた橋を渡るシーンでは巨大なワイヤーシステムが使えたけど、塹壕の中を走るシーンではそうはいかない。どのシーンもそれぞれの難しさがあったよ。

 そうそう、あの壊れた橋を渡る場面、「あっ、クレーンだ!」とは思ったものの、そのカメラの流れがまったく途切れないのだ。

 公式サイトには、塹壕や戦場を作る場面も公開されている。

 スタッフが苦労して作った塹壕の中を、スコフィールドは、1600人の命を救うために走る。

 最後には、兵士が多くて前に進めないから、塹壕を出て、敵の砲撃の真っ只中を駆ける。

 ともかく、どの場面も、そこに自分がいる感覚が続く。

 ロジャー・ディーキンスの言葉を、もう少し。

──1番難しかったのに1番苦労が伝わりにくいシーンはあったりしますか?

ロジャー:観客には全部簡単そうに思ってほしいよ。だって、それはつまり、観客にカメラを意識させなかったということだからね。カメラワークに気づいて欲しくないのは、この作品に限らない。キャラクターの試練には目を向けて欲しいけど、カメラの向こうの人たちの苦労には注目して欲しくないかな。
ただ、難しかったシーンをあげるなら、間違いなく映画の終盤で出てくる、破壊された街のところだね。コンセプト的にも難しかったし、技術的にも苦労したよ。でもさっきも言った通り、苦労を見て取られていないと良いんだけど。

 あの破壊された街のシーン、印象的だった。

 ロジャーやスタッフの苦労は報われたと思う。
 自然に、あの戦場に観る者を引き込んでいた。

 公式サイトのTrailerに、メーキング的な撮影中の映像や監督を含めたインタビューがある。
 俳優陣とスタッフの苦労が、よく分かる。
 晴れの日はリハーサルをして、曇りになるのを待っていたんだね。


 ワンカットというキーワード以外の魅力について。

 まず、キャスト。

ウィリアム・スコフィールド - ジョージ・マッケイ: 伝令役の若きイギリス兵
トム・ブレイク - ディーン=チャールズ・チャップマン:伝令役の若きイギリス兵
スミス大尉 - マーク・ストロング
レスリー中尉 - アンドリュー・スコット
ジョセフ・ブレイク中尉 - リチャード・マッデン
ラウリ - クレア・デバーク
エリンモア将軍 - コリン・ファース
マッケンジー大佐 - ベネディクト・カンバーバッチ
サンダース軍曹 - ダニエル・メイズ
ヘプバーン少佐 - エイドリアン・スカーボロー
リチャーズ中尉 - ジェイミー・パーカー
ハットン中尉 - マイケル・ジブソン
コリンズ大佐 - リチャード・マッケイブ

 
 何と言っても、まだ二十代のスコフィールドを演じたジョージ・マッケイの体当たりの演技が出色。
 この人、将来オスカーを取る役者になるんじゃないかな。

 主役の若い兵士二人が無名同然だったのと対照的に、それぞれ短い出番なのだが、脇役の顔ぶれが、凄い。

 私が、「渋い!」と思ったのは、スミス大尉のマーク・ストロング。

 スミス大尉とスコフィールドが、壊れた橋の地点で別れる際、相棒を亡くし、一人「攻撃中止」の伝令を届けに前線に向かおうとするスコフィールドに、スミスは「分っていると思うけど、悲しみを引き摺るなよ」と言う。

 スミス大尉も、多くは語らなくても、深い悲しみに遭遇してきた人であろうことが、伝わる。

 キャスト以外の名優(?)は、多くの動物。

 もちろんCGも使ってのことだろうが、自然に見えたなぁ。

 そして、映像で象徴的なのは、桜(チェリー)だ。

 ブレイクが、懐かしそうに花を見ながら、その品種を語っていたのは、悲劇の少し前のことだった。

 ブレイクの最後の場面、泣けた。

 そして、ドイツ軍から逃げ、崖から飛び降りたスコフィールドは川を流されるのだが、つい、気を失いかけた場面で、散った桜の花びらが流れ、彼は力を取り戻す。

 ブレイクが桜の花となってスコフィールドを導いた、ということか。

 作り物とはいえ、川岸に折れ重なるリアルな死体を乗り越えて着いたところが、伝令を届ける相手D連隊がいるクロワジルの森だった。

 スコフィールドは、歌に誘われて森の中へ。

 突撃前のひと時、一人の兵士が“I Am a Poor Wayfaring Stranger”を歌うのを、兵士たちが聞き入っている。



 「私は貧しい旅人」という題のゴスペルであり、フォークソング。

 多くの人が歌っているが、エミルー・ハリスなんかもいいよね。

 この映画で静寂が訪れる時間が二つあるとしたら、この場面と、あの廃墟の街で彼女と赤ん坊に出会う場面かな。水筒に牧場でミルクを入れてきて良かった^^

 この映画、音楽も良い。

 担当は、ランディ・ニューマンの弟、トーマス・ニューマン。
 彼も「ショーシャンクの空に」の人。


 とにかく、観終わって、しばらく席を立てなかった。

 この映画が、作品賞を取れなかったんだ・・・・・・。

 間違いなく、歴史に残る作品。

 最後に、映画.comから、サム・メンデス監督の言葉を引用。
メンデス監督「観客には、全てのキャラクターと足並みをそろえ、彼らとともに呼吸をしながら旅路を歩んでもらいたかった。そこでロジャーは、カメラを“3人目のキャラクター”としてとらえることで、ワンショットを成し遂げてくれたんだ」

 そうなんです。

 観客が三人目の兵士として戦場にいる、そんな映画だった。

 だからこそ、戦争の理不尽さ、むごたらなさが、深く伝わってきた。
by kogotokoubei | 2020-02-20 12:54 | 映画など | Comments(2)
 昨日、映画「ジョジョ・ラビット」を観た。

 少しでも、アカデミー賞作品賞でノミネートされている作品を観ておきたかったからだが、都合で、都内で上映されている「アイリッシュマン」には行くことができず、海老名のTOHOシネマズで、この映画。




 キャストを、まず並べてみる。

ヨハネス・"ジョジョ"・ベッツラー: ローマン・グリフィン・デイヴィス - 10歳の少年。
エルサ・コール: トーマシン・マッケンジー - ユダヤ人の少女。
ロージー・ベッツラー: スカーレット・ヨハンソン - ジョジョの母親。
アドルフ・ヒトラー: タイカ・ワイティティ - ジョジョの“仮想”の友達。
クレンツェンドルフ大尉: 通称“キャプテン・K” サム・ロックウェル
フロイライン・ラーム: レベル・ウィルソン
フィンケル: アルフィー・アレン
ディエルツ: スティーブン・マーチャント- ゲシュタポ。
ヨーキー: アーチー・イェーツ- ジョジョの“現実”の親友。

 ---ここからはネタバレになるので、ご注意のほどを---

 公式サイトに、結構、詳しくあらすじが掲載されているので、まず、前半部分から引用。
映画「ジョジョ・ラビット」公式サイト

 10歳のジョジョ(ローマン・グリフィン・デイビス)は、ひどく緊張していた。今日から青少年集団ヒトラーユーゲントの合宿に参加するのだが、“空想上の友達”アドルフ(タイカ・ワイティティ)に、「僕にはムリかも」と弱音を吐いてしまう。
 アドルフから「お前はひ弱で人気もない。だが、ナチスへの忠誠心はピカイチだ」と励まされたジョジョは、気を取り直して家を出る。
 時は第二次世界大戦下、ドイツ。ジョジョたち青少年を待っていたのは、戦いで片目を失ったクレンツェンドルフ大尉(サム・ロックウェル)や、教官のミス・ラーム(レベル・ウィルソン)らの指導によるハードな戦闘訓練だった。何とか1日目を終えたもののヘトヘトになったジョジョは、唯一の“実在の友達”で気のいいヨーキーとテントで眠りにつくのだった。
 ところが、2日目に命令通りウサギを殺せなかったジョジョは、教官から父親と同じ臆病者だとバカにされる。2年間も音信不通のジョジョの父親を、ナチスの党員たちは脱走したと決めつけていた。さらに、〈ジョジョ・ラビット〉という不名誉なあだ名をつけられ、森の奥へと逃げ出し泣いていたジョジョは、またしてもアドルフから「ウサギは勇敢でずる賢く強い」と激励される。元気を取り戻したジョジョは、張り切って手榴弾の投てき訓練に飛び込むのだが、失敗して大ケガを負ってしまう。

 結構、ネタバレの内容^^

 とはいえ、実際に観ないことには味わえない魅力がたくさんある。

 前半のコメディ感たっぷりな内容の中でも、風刺が良く効いているし、監督のセンスの良さを感じた。

 たとえば、冒頭の、ドイツでヒトラーが国民を熱狂させる場面でのサントラが、なんとビートルズの「抱きしめたい」のドイツ語版なのだ。
 ヒトラーとビートルズを重ね合わせることで、あの時代のドイツ国民大多数のヒトラーへの思いは、本質はアイドルへの熱狂と変わらない、という強いメッセージ。
 これ、鋭い^^

 ジョジョの“仮想”の友人、アドルフも、そういったアイドルでもあるが、ジョジョの心の「天使」と「悪魔」の表現でもあるだろう。そして、大事な友達だ。
 監督ワイティティが自ら演じているのだが、この人物の設定が、映画のリアリティを妨げているかというと、そんなことはない。
 つい弱気になるジョジョを励ましたり、話し相手になったりするアドルフだが、コミカルな言動では笑ってしまう。
 また、“現実”の友人、ヨーキーが、実に良い味を出している。
 この映画、ジョジョとヨーキーの二人の子役の演技が、特筆ものだ。

 ヒトラー・ユーゲントのキャンプ映像で流れるのが、トム・ウェイツの「I Don't Wanna Grow Up(大人になんかなるもんか)」なんてぇのも、音楽好きの心を、くすぐるよねぇ。

 さて、そのキャンプ二日目、手榴弾が木に当たってジョジョの足元で爆発する。
 どうなることか、と心配させるが、観る者が想像したほどの怪我ではなかったのが、救い。

 さて、後半へ。公式サイトの引用を続ける。
 
 ジョジョのたった一人の家族で勇敢な母親ロージー(スカーレット・ヨハンソン)がユーゲントの事務局へ抗議に行き、ジョジョはケガが完治するまでクレンツェンドルフ大尉の指導の下、体に無理のない奉仕活動を行うことになる。  その日、帰宅したジョジョは、亡くなった姉のインゲの部屋で隠し扉を発見する。恐る恐る開くと、中にはユダヤ人の少女が匿われていた。ロージーに招かれたという彼女の名はエルサ(トーマシン・マッケンジー)、驚くジョジョを「通報すれば? あんたもお母さんも協力者だと言うわ。全員死刑よ」と脅すのだった。
 最大の敵が同じ屋根の下に! 予測不能の事態にパニックに陥るジョジョだったが、考え抜いた末にエルサに「ユダヤ人の秘密を全部話す」という“条件”をのめば住んでいいと持ち掛ける。エルサをリサーチして、ユダヤ人を壊滅するための本を書くことを思いついたのだ。その日から、エルサによるジョジョへの“ユダヤ人講義”が始まった。エルサは聡明で教養とユーモアに溢れ機転も利き、ジョジョは次第にエルサの話と彼女自身に惹かれていく。さらには、ユダヤ人は下等な悪魔だというヒトラーユーゲントの教えが、事実と異なることにも気づき始める。
 そんな中、秘密警察のディエルツ大尉が部下を引き連れて、突然、ジョジョの家の“家宅捜索”に訪れる。ロージーの反ナチス運動が知られたのか、それともエルサの存在が何者かに通報されたのか──緊迫した空気の中、エルサが堂々と現れインゲになりすます。その場は何とか成功するが、事態は思わぬ方向へ──大戦が最終局面を迎える中、新たに生まれたジョジョとエルサの“絆”の行方は──?

 
 後半は、映画「パラサイト 半地下の家族」のような展開、と言ってよいだろう。
 “隠れ部屋”の存在が、それまでのコメディ映画的なイメージから、一気に、ミステリータッチに変わる。

 この映画は、いろんな側面がある。
 ブラック・コメディであるが、間違いなく反戦映画である。
 そして、主人公ジョジョの心の成長物語、ともいえる。
 父が不在、母と二人で暮らすジョジョは、つい、父がいないことで母親にあたるのだが、そこで母親役のスカーレット・ヨハンソンの名演技があった。
 暖炉の墨を鼻の下につけて、父親に扮して、太い声で我がままを言うジョジョを叱る。
 そして、母と父の二人の役を演じて、踊ってみせるのだ。
 この場面、幇間のお座敷芸を思い浮かべた^^
 アカデミー助演女優賞ノミネートは、まさのこの場面の演技が大きく評価されたのだろう。

 さて、屋根裏部屋にいた、ユダヤ人エルサと出会ったジョジョは、ドイツ勝利、アーリア人一番、というそれまでの考え方に、次第に疑問を抱く。
 ユダヤ人の頭には角はないし、同じ、人間じゃないか・・・・・・。
 そして、ジョジョは、母が、反政府活動をしていることを、知る。
 母親は、それまでジョジョのナチス・ドイツへの信奉に否定的な発言は、したことがない。
 ジョジョは、動揺する。

 次第に、心は、ナチス、戦争への疑問が首をもたげてくる中で、蝶が舞い、ジョジョを誘い出した場所で出会う、悲しい母との別れ。
 ここで、私の目頭が熱くなった。

 この映画では、靴が一つの象徴となっている。
 それは、この場面での母の靴であり、母がジョジョの靴紐を結ぶ場面。
 そして、最後には、エルサの靴紐がほどけているのを、ジョジョが結んであげる。
 大人になったのだ。

 さて、目頭が熱くなったもう一つの場面は、キャプテン・Kとジョジョとの別れの場面。
 キャプテン・K役のサム・ロックウェルが、いいのだ。
 ヒトラー・ユーゲントのキャンプでの挨拶の時から、彼は、根っからの軍人ではない雰囲気を醸しだしているが、その心情は、次第に彼の行動で明らかになる。
 まず、エルサがインゲとなって姿を曝け出した秘密警察の家宅捜査の場面に、Kは現われて、エルサを救うのだ。エルサが身分証明書に記されたインゲの誕生日を間違えたのだが、Kは見のがすのだった。
 キャプテン・Kは、ジョジョも救ってくれる。
 米軍が占拠した街で、ジョジョはナチの軍服を着ていることで米軍に捕まってしまい、そこで、キャプテン・Kに出会う。Kは、ジョジョの軍服を脱がせ「この、ユダヤ野郎!」と突き放すことで、米軍の手から逃がし、その後・・・銃声が響く。

 戦争で傷を負い、ヒトラー・ユーゲントでの仕事に追いやられた彼も、もちろん戦争の犠牲者。
 
 米軍が街を占領し、銃撃はおさまった。
 心の友達アドルフが血を流しながら登場するが、ジョジョは彼を窓から叩き出した。
 もう、ジョジョは、仮想の友人を必要としないのだ。

 エルサに独軍が勝ったと嘘をついて、ジョジョはエルサを外に出す。
 そのエルサから平手打ちを受け、「そうくると思った」と言うジョジョの表情は、怒っていない。
 エルサは、戦争が終わったら何がしたいか、と以前ジョジョに聞かれた時に答えたように、踊りだす。
 ジョジョも一緒に踊る姿でこの映画はエンディング。

 実に良い締め方だ。

 笑いあり、涙あり、怒りありの反戦映画の佳作だと思う。

 映画館の暗闇の中、エンドロールの挿入歌を確認して、この監督のセンスの良さを再認識。

 これが、発売されているサントラのリスト。

1. 抱きしめたい(ドイツ語版) – ザ・ビートルズ
2. タブー – レクオーナ・キューバン・ボーイズ
3. ディプシー・ドゥードゥル(feat.チック・ウェブ・アンド・ヒズ・オーケストラ) – エラ・フィッツジェラルド
4. 大人になんかなるものか – トム・ウェイツ
5. エヴリバディズ・ガッタ・リヴ – ラヴ
6. ママ (ドイツ語版) – ロイ・オービソン
7. ヒーローズ (ドイツ語版) – 2002 Remaster – デヴィッド・ボウイ
8. ジョジョのテーマ – マイケル・ジアッキーノ
9. 歌劇《ファウスト》から ワルツと合唱 – ロジェ・ワーグナー、ハリウッド・ボウル交響楽団
10. 蝶の羽根 – マイケル・ジアッキーノ
11. ローズのノクターン – マイケル・ジアッキーノ
12. ワルツ 《春の声》 作品410 – ウィーン少年合唱団(指揮者:ゲラルト・ヴィルト)

 選曲が、いいのだよ。

 ジョジョ役の、ローマン・グリフィン・デイヴィスが、オスカーの主演男優賞のノミネートされていないのは、アカデミー賞に年齢制限があるからなのだろうか。

 授賞式前に、オスカー作品賞ノミネート作品を、三本観ることができた。
 私の★の評価は、こうだ。

 「パラサイト 半地下の家族」★★★★★
 「ジョジョ・ラビット」★★★★☆
 「フォード対フェラーリ」★★★

スコセッシとデニーロの「アイリッシュマン」と、全編ワンカットという「1917 命をかけた伝令」は、受賞式の後でも、観たいと思っている。


by kogotokoubei | 2020-02-06 12:47 | 映画など | Comments(0)

「パラサイト 半地下の家族」公式サイト



 映画「パラサイト 半地下の家族」の感想、三回目。

 構成や演出といった監督の手腕による、この映画の魅力について。

 ---まさに、ネタバレになるので、ご注意のほどを---

(1)コメディ/コン・ゲーム/ミステリー/ホラーの全てを味わえる魅力
 前半は、キム一家が、パク一家に寄生(パラサイト)するプロセスをコミカルに描く、良質のコメディの楽しさがある。
 もっと言えば、キム一家が、一人づつ偽装してパク一家に寄生していくプロセスは、コン・ゲームとしての楽しさがある。ジェフリー・アーチャーの「百万ドルを取り返せ!」を彷彿とさせる、騙しの手口を見るワクワク感があった。
 寄生する順番で書くと、キム家の長男ギウは、名門ソウル大学の学生として、妹ギジョンが作った偽の大学合格証を持って、パク家を訪ねた。
 妹は、アメリカで美術を学んだと偽りパク家を訪問。パク家の長男ダソンの絵を観て、彼には心の病があると指摘し、ネットで知った美術による診療が必要と母親を説得。その際、これは偶然としか思われないが、ダソンに小学一年生のとき、何かトラウマになる事件があった、と言い、母親は驚き、ギジョンにすっかり騙される。
 そして、ギジョンは、女好きと思われるパク家の運転手にベンツで送ってもらう途中で、なんと下着を脱ぎ後部座席に捨てる仕掛けを施す。見事に、この下着をパク家の主人が発見し、妻と相談して穏便に運転手を辞めさせる。
 まんまと策略が功を奏して、ギジョンは、親戚の金持ちの運転手をしていたと偽り、父ギテクを紹介。
 ギテクがギウと一緒にベンツのディーラーへ行って試乗しながら構造を覚えるなんて姿も、なかなか可笑しかったなぁ。
 さて、最後は、家政婦への攻撃だ。
 なぜか子供たちが好きな桃を出さないのは、桃アレルギーと知り、家政婦ムングァンへの桃作戦を開始。
 ムングァンが病院に行く様子をスマホで取ったギテク。その映像をパク家の母ヨンギョに見せて、「実は、ムングァンは結核だ」と告げる。ムングァン、理由もなく解雇。目出度くキム家の母、チュンスクが、新しい家政婦となって、キム一家四人全員の寄生が完成。
 この前半のコン・ゲーム的なコメディで、大いに笑った。

 そして、パク一家が、息子の誕生日は外で祝うという恒例行事のためキャンプに出かけた、雨の夜。
 コメディーは元家政婦ムングァンの訪問から、いきなりミステリータッチになり、地下の存在が明かされてからは、ホラーの色彩を強く帯びてくる。

 こんな、ごった煮的な、お腹いっぱいの映画だから、人によっては、その展開についていけないかもしれない。しかし、このリズムに乗れたら、これほど楽しい映画もないだろう。

(2)“外し”の巧みさー予定調和ではない魅力
 次に構成、演出上での魅力を挙げるなら、観客の思いを、見事に裏切ってくれることだろう。
 たとえば、あの雨の夜、見る者は、次第に勢いを増す雨から、「おい、パク家が帰ってくるんじゃないか、大丈夫か?」という不安を抱いて当然。そこに、チャイムの音だ。「ほーら、帰ってきた!」と思ったら、ドアチャイムの映像には、あのムングァンが、雨に濡れ、情けない様子で写っているではないか。
 なんとも、巧い、外し方。
 そして、地下の秘密が明かされ、つい、隠れそこなったキム家とムングァン夫婦との、壮絶な戦いとなる。その様子につい見入っているところへ、電話。
 パク家が、あと8分で家に着く、とのこと。着くまでにジャージャー・ラーメンを作ってくれ、と家政婦となったチュウスクに注文。
 母はジャージャー・ラーメン作りを急ぎ、他の三人は、地下を片付け、また、宴の後を片付け・・・という中で、パク一家のご帰還。
 まだ、見られたくない場所が、あちらこちらに。このあたり、「見つかったら、どうなる?!」と観客への不安の与え方も、巧いのだ。
 外し方の魅力は、最後の方にもある。
 それは、キク家の長男ギウが、金持ちになって、父が地下に隠れたままの元パク一家の家を買う、という夢の映像。これ、空想の映像と分った人もいるかもしれないが、私は騙された^^
 「えっ、もうそんなに金持ちになっちゃったの?」と思っていたら、残念でした、となるわけだ。
 なんとも、見事な外し具合であろうか。

(3)セットの魅力
 あの半地下の家も、高台の豪邸も、セットと知って驚いた。
 プロダクション・デザイナーのイ・ハジュンが、監督ポン・ジュノの難しい注文に応え、半地下は、そのかび臭い臭いもしそうな空間に仕立て、高台の豪邸は、一階のみ200坪という、誰もが羨む豪邸に作り上げた。
 半地下の家の周辺には、農薬を撒く前に、ハエやゴキブリも撒かれていた^^
 この細部までの入念な作り込みは、「万引き家族」で是枝監督がこしらえたあの家のことを思い出させる。しかし、ポン・ジュノ監督とイ・ハジュンの方が、スケールは大きい。
 アカデミー賞美術賞の方が、作品賞より受賞確率が高いのではなかろうか。
 それだけの魅力が、あのセットにはあった。


 ということで、映画「パラサイト 半地下の家族」の魅力についての記事、これにてお開き。

 アカデミー賞ノミネート作品、もう一本くらいは観ておきたいものだ。

by kogotokoubei | 2020-01-24 08:57 | 映画など | Comments(2)

「パラサイト 半地下の家族」公式サイト




 この映画の魅力について、二回目。

 前回は、貧富の差の「縦構造」が、映像として見事に描かれていることが魅力、と書いた。

 もちろん、他にもこの映画の魅力はたっぷりあって、俳優陣も極めてレベルの高い演技を披露する。

 ---ここからは、ネタバレになるので、ご注意のほどを---

 あらためて、この映画の舞台である三層構造を確認。

高 台    豪邸に住むパク一家
           |
地 上        |
           |
半地下    主人公たちキム一家
           |
           |
           |
地 下  元家政婦ムングァンが築いた世界

 
 キム一家が、この縦構造を上に行ったり、下に巻き込まれたりする映画、と言えるだろう。

 では、主役のキム一家四人について、それぞれ、もっとも私の印象に残った演技を書きたい。

 まず、半地下に住むキム一家の父、キム・ギテク役のソン・ガンホの演技。

 この人は、海外の映画賞での受賞歴もある、韓国を代表する男優だが、なるほどと思わせる演技だった。

 もちろん、笑ってしまった場面もいくつかあるが、やはり、一家が寄生(パラサイト)していた富豪一家の主人、パク・ドンイクに殺意を抱いた、あの時のあの表情が、もっとも強く印象に残った。

 それまでも、「臭い」について伏線が張られており、ギテクは、自分の臭いについて大いに気にしていた。
 そして、地下居住者で元家政婦ムングァンの夫が倒れた体の下から、ドンイクは、車のキーを、まるで汚物をつかむように持って、倒れた息子を病院に連れて行こうと歩き出す姿を見たギテク。
 余興のためインディアンの格好をしたその目に、殺意が芽生える。
 あの演技には、しびれたなぁ。

 次に、キム家の長男、ギウ役のチェ・ウシク。
 彼の演技が印象的だったのは、この映画の大きな分岐点となった場面。
 パク家で息子の美術の先生を捜しているとパクの妻ヨンギョから聞いた時、一瞬の間のあと、彼に策略が浮かんだ、あの表情だ。
 妹を従兄弟の友人と偽って、アメリカに留学して美術を学んだジェシカとして紹介することで、「寄生」の第二弾が始まる。
 もちろん、大雨の中、高台から半地下へ向う途中に、足元をじっと見つめる姿も印象に残るが、この男優さんの持ち味は、笑顔ではないかと感じた。

 次に、キム家の長女、ギジョン役のパク・ソダム。
 キム一家で、唯一亡くなってしまうので、あの惨劇の場面は、もちろん記憶に残っているのだが、禁煙のネットカフェで煙草を吸い続けながら、兄ギウのソウル大学の合格証を偽造してしまう姿も印象的だった。
 そうそう、パク家を初めて訪ねる際、玄関のチャイムを押す直前に、ギウと声を揃えて偽の自己紹介を復唱する場面には、笑った。
 また、冒頭シーンで、上の階の家のWiFiが通じる場所を探す場面などでは、中学生くらいの印象だったが、パク家で家庭教師をする場面での大人ぶった様子には、さすが女優、と感じたなぁ。
 
 さてキム一家のトリ(?)は、母親チョンソク を演じた、チャン・ヘジン 。
 元ハンマー投げのメダリストという設定の、しっかりした体形。
 パク家の家政婦となった際の変身ぶりもなかなかのものだったが、やはり、あの場面が印象に残る。それは、元家政婦ムングァンが、地下から戻ろうとした際の、あのケリの一撃だ。あれは、女と女、というかオバサンとオバサンの戦いを象徴する一撃だった。

 キム一家以外では、このオバサン同士の戦いで蹴られたムングァン役のイ・ジョンウンの演技が印象的だ。
 パク家の息子ダソンとインディアンごっこをする場面などが可笑しいが、やはり、あの雨の晩に解雇されたパク家を訪ねた場面以降、この人の演技が際立っている。
 私は、ノミネートされていないが、オスカー助演女優賞でも不思議はないと思っている。スタントを使っている場面もあろうが、体当たりの演技、というインパクトがあった。


 さて、キム一家は、パク一家に寄生するまでは、全員が失業していた。
 しかし、四人は能力がなかったり、なまけ者だったわけではない。

 たぶんに、運に見放されてきた、一家ということだろう。

 父のギテクは、さまざなま事業を試み、失敗してきた。
 
 たとえば、父の職歴とムングァンの夫の職歴に共通する「台湾カステラ」。
 これは、2016年から17年頃に韓国で大ブームとなったお菓子。
 今の日本なら、さしづめ「タピオカ」だろう。当時、大行列を生み出していたが、あるTV局が2017年3月に放送したドキュメンタリー番組で、「大量の食用油や添加物を混ぜている」「安い粉ミルクや賞味期限切れの生クリームを使っている」と告発して、ブームが急激に終了。実は、その後当のテレビ番組の内容はフェイクだったとされるのだが、消費者の興味はすでに消滅していた。
 その結果、ギテクやムングァンの夫のような「元台湾カステラ店のオーナー」という失業者が増えたという次第。

 貧富の差や、前回の記事で書いた「縦構造」の存在位置の違いをもたらす要因は、それほど、その人間の能力や努力の必然的な結果とは言えないだろう。
 運だったり、ほんの少しのタイミングの違いなどによるのかもしれない。

 そういったことも、この映画から感じたことである。

 ということで、今回は俳優篇だった。

 次回は、監督・演出の魅力に関して書く予定。

by kogotokoubei | 2020-01-21 09:36 | 映画など | Comments(2)

 話題の韓国映画「パラサイト 半地下の家族」を観た。

 カンヌのパルムドールを受賞し、アカデミー賞にもノミネート。

 前半は、何度も笑った。
 そして、ある家へのある人の訪問から、一気にミステリータッチに変わる。
 
 全編を観て、格差社会や社会の歪み、家族とは何か・・・などを深く考えさせる映画だった。

 そうなると、どうしても「万引き家族」を思い出す。

 しかし、あちらは、“擬似家族”であり、そうであることが映画の大きな土台となっている。

 「パラサイト 半地下の家族」は、本当の、血のつながった家族が主役。
 そして、大きな特徴は、格差社会の“縦構造”が、見事に映像化されていること。

 高台の高級住宅地に住む裕福な家族。

 半地下の家では、目の前の道路が消毒されると、消毒薬が入り込む。
 それでも、便所コオロギ退治にちょうど良い、と父は窓を開けたままにさせておく。

 そして、後半明らかになる、もう一つの世界。

 ---ここからは、ネタバレになるので、ご注意のほどを---

 「半地下」の「半」には、深い意味がある。
 もちろん「地上」ではないが、「地下」でもない。

 この映画の舞台は、三層構造である。

高 台    豪邸に住むパク一家
           |
地 上        |
           |
半地下    主人公たちキム一家
           |
           |
           |
地 下  元家政婦ムングァンが築いた世界

 この「縦構造」が、効果的に映像化されている。

 冒頭のシーンは、キム一家の半地下の家(空間)から地面への視線だ。
 
 酔っ払いの立小便、道路の消毒などが、見上げる目線から描かれる。

 そして、友人ミニョクから、お金持ちの家の娘の英語の家庭教師のアルバイトを譲られたキム家のギウが、パク家を訪ねる際は、ゆるやかに曲がった坂道の先の高台に、その豪邸が現われる。彼らの家との高低差が、見事に印象づけられる。
 
 貧富の高低が、空間の高低に置換されている。これぞ、映像の力。

 そして、キム一家四人全員がパク家で職を持つことができ、パク家がキャンプに出かけた夜の、広い庭を眺めながらの豪華な夕食。雨の中、ある訪問者の登場から、それまで何度も笑わせられたコメディは、一気にサスペンスに模様替えをし、より、「縦構造」の下方に、舞台は進んでいく。

 この映画の魅力の一つは、間違いなく、この「縦構造」にあると言えるだろう。

 あの事件の後、キム家の母以外の三人が、大雨の中で半地下の家に戻ろうとする際、どれほど、下って行ったことか。

 公式サイトの予告映像にも若干のヒントはある。
 しかし、実際に見なければ、「縦構造」を見事に描いた映像の魅力は、味わえないだろう。

「パラサイト 半地下の家族」公式サイト


 
 もちろん、他にも演出や俳優など多くの魅力があるが、それは次の記事にて。

by kogotokoubei | 2020-01-18 09:12 | 映画など | Comments(2)
 昨日は、映画「i -新聞記者ドキュメントー」を観た。

 喪失感にいたたまれなくて外出しようと思ったものの、寄席で笑う気分にはなれず、ネットで公開中の映画を確認し、新百合ヶ丘のイオンシネマに行ったのであった。

 東京新聞の社会部記者である望月衣塑子さんの著作を元にした映画「新聞記者」は話題になったが、観ていない。

 映画ではなく、記者望月衣塑子本人の活動を、森達也監督が自らもカメラを回して撮ったのが「i -新聞記者ドキュメントー」だ。



 上映開始1時間ほど前に着き、空席だらけの中から、四列目の中央の席を確保。
 同じビルのラーメン屋さんで昼食。
 何を食べても、美味くない。

 シネコンに戻ると、結構人であふれている。
 人気のディズニーアニメも上映されており、親子連れや若いアベックが多かったが、この映画の上映されていたシアターの観客は、ツバナレしていなかったと思う。

 老夫婦が二組に、後一人の客がちらほら。たぶん、7~8名。

 さて、上映開始。

 ネタバレ情報を含むので、ご留意のほどを。

 望月記者の沖縄辺野古の取材から始まり、彼女の精力的な活動がスピーディに映像化されている。

 菅官房長長官記者会見の様子、カメラを回している森監督と官邸を警備している警察官とのやりとり、望月記者と前川喜平さん、伊藤詩織さんとの交流の様子や、籠池夫妻へのインタビューなどが、余計な説明など入らず、まさに、ドキュメントとして進行する。

 パソコンなどの入ったキャリーバッグを引き摺りながら精力的に走り回る姿に、どこからこのエネルギーが沸き起こるのか、と思う。

 その源は、反権力の強い意志、そして、怒りなのだろう。

 辺野古の取材では、取材したい人物の家を訪ねるものの、何軒も空振りに終わる姿も映し出される。一日借り切ったのであろう、タクシーに戻り、また次の取材候補先に向かう。
 ミサイル要塞化が進む宮古島の住民の方々の声を伝えようとする姿もある。 

 本来の、取材記者の姿なのだろうと思う。

 一人が語る真実に出会うために、果して何人の空振りがあるのだろうか。

 その辺野古では、国は埋め立てには、海を汚染する赤土は10%以内としているのに、埋め立て現場の赤土は、どう見ても半分近いのが、素人でも分かる。

 この問題に関する野党ヒアリングの後、望月記者は防衛省の責任者が車に逃げ込むまでを執拗に追いかける。
 「話せないようなことをしないでください」という訴えには、まったく同感だ。

 7月の地裁の口頭弁論の後、車に乗る前に、準強姦罪に問われている山口敬之に迫った場面は、山口自身が映像として登場することが少ない中、貴重。

 なお、伊藤詩織さんへの強姦について、山口敬之がどうやって空港での逮捕の危機を脱しようとしたかについては、元警察庁キャリアによる内部告発本として話題になった『官邸ポリス』から、兄弟ブログ「幸兵衛の小言」で3月に紹介した。ご興味のある方はご覧のほどを。
「幸兵衛の小言」の該当記事

 印象的だったのは、保釈後の籠池夫妻へのインタビュー場面。

 夫人が、望月さんや森さんにお菓子、どら焼きなどを勧める場面は、この映画で唯一笑える場面かな^^

 籠池氏が、「私は憲法九条を支持します、原発には反対です」と明言するあたりは、右も左も保守もリベラルもなく、個々の論点については同意できる人物であることを実証するものだった。

 ただし、前川さんが「仲の良い楽しい夫婦です。しかし、あの学校の設立趣意は、いただけなかった」という言葉、私も同感だ。

 籠池夫婦にとって、望月記者は、信頼でき、本当のことを話せるジャーナリストなのだろう。

 それは、伊藤詩織さんにも通じるはず。彼女が望月記者を信頼しているということは、映像から明白に伝わる。

 そして、前川喜平さんも、然り。

「i ー新聞記者ドキュメントー」を観て。_e0337777_14405684.jpg


『同調圧力』(角川新書)

 中心的な映像と言える、官房長官記者会見での望月記者いじめは、望月さん、前川さん、そして、元ニューヨーク・タイムズ東京支局長マーティン・ファクラーさんとの共著『同調圧力』でも中心テーマの一つとして紹介されている。

 2019年1月24日の官房長官記者会見のやりとりを、同書から引用する。

 映画で紹介された辺野古の赤土の投下問題に関する望月記者の質問でも顕著だったが、質問途中に、本来は中立の官僚であるべき内閣府の上村報道室長が、質問を妨害する発言を挟む。

望月 東京オリンピック・パラリンピックについてお聞きします。東京都や国の公費で賄う事業のうち、大会組織委員会が随意契約で・・・

上村報道室長 質問は簡潔にお願いします。

望月 スポンサー企業に発注する事業が、事業名、契約名、金額などがすべて非公表になっていました。非公表分が含まれる共同実施事業は総額で・・・

上村報道室長 質問に移ってください。

望月 4050億円で、これは国の税金が投入されています。使途がブラックボックスになっていることについての・・・

上村報道室長 質問に移ってください。

望月 政府の認識をお聞かせください。

菅官房長官 契約内容は組織委員会にお尋ねください。

上村報道室長 この後の日程がありますので、次の質問、最後でお願いします。

望月 首相の珊瑚発言について再びお聞きします。報道したテレビ局の幹部が昨日、番組の制作上・・・

上村報道室長 質問は簡潔にお願いします。

望月 今回の場合は発言をそのまま放送したと説明しましたが、沖縄防衛局は野党ヒアリングの場で・・・

上村報道室長 質問に入ってください。

望月 過去に何らかの経緯で総理に口頭説明はしたかもしれないが、収録直前に総理に・・・

上村報道室長 質問に入ってください。

望月 珊瑚移設の説明はしてないと話していました。野党は資料ももらわずに、あのような発言をしたのかと批判しておりました・・・

上村報道室長 質問してください。

望月 事実認識をお答えください。

菅官房長官 いずれにしろ環境保全措置には最大限の配慮をしながら、環境監視等委員会の指摘、助言をもって行っております。

 上村報道室長は、東大法学部を卒業し、内閣府に進んだ人。
 本人の意思かどうかは別として、こんなことをする人達の給料に、税金が使われている。
 森達也監督がカメラを持って官邸に向かうのを制止する警察官の給料も、我々の血税が使われている。

 しかし、彼らは、自らの意志で、そのような、やりがいも働き甲斐もないと思しき仕事をしているわけではなかろう。

 映画での望月記者は、上村報道室長も被害者の一人として認識しているようで、それをやらせている政府権力に、大きな怒りを抱いていることが、ひしひしと伝わる。

 望月記者が、国会議事堂内で迷子になる場面にテロップが流れる。
「集団行動は苦手のようだ」とか「方向音痴であるらしい」など。緊張して見る者を、ほっとさせる演出が良い。

 ナレーションによる説明など挟まず、映像が映し出す望月記者の実像、そう、単数形の「i」が主役なのだ、というコンセプトが一貫としている。

 対照的なのが、記者クラブに代表される大勢の人々。

 『同調圧力』で、望月記者は、記者クラブのメリットとデメリットの両方をあげている。
 とはいえ、望月記者が指摘する通り、国民の知る権利という観点からは、デメリットの方が圧倒的に多い。

 映画では、海外のジャーナリストとの短い会話も挟まれているが、海外に日本のような記者クラブは存在しない。

 森達也監督は、官房長官記者会見に参加するために、記者クラブへの入会について事務方と電話で話しをする様子をリアルに映像化している。

 しかし、入会へのハードルは高い。すでに記者として三ヵ月以内に書いた記事があることなど、映像メディアではそもそも無理な内容を含め、新規参入を拒む条件がたくさんあり、断念した。

 民主党政権時代にその閉鎖性を改善する動きがあったが、今の内閣記者クラブは、新規の会員参加を断固として拒んでいる。

 間違いなく、それは、内閣の意向が背景にあるのだ。

 いわゆるブラ下がり取材などの特権を、新たなメディア人には与えたくない、というクラブ会員の保守性も、根本的な問題であるのは当然。

 望月記者は、官房長官記者会見の後に、クラブの記者室に立ち寄ることもなく、次の取材地に急ぐ。

 彼女は、「群れない」のである。

 忙しい最中に大急ぎで簡単な食事をとる場面や、短いながら愛する子供を抱き上げる様子も、人間望月衣塑子の側面を物語っていた。

 最後の場面は、今年参院選の街頭応援演説で安倍首相が登場し、一部の聴衆が「アベ帰れ!」と叫んでいる場面。
 TBSのカメラを見つけ、「TBS、ちゃんと映せよ!」という声も混じる。

 その後、別な演説会場で菅官房長官が応援に立つ場面。

 その姿を一人凝視する、望月記者。
 無言の姿から、悔しさ、怒り・・・そして、負けないぞという意志が伝わる。

 映像の力、だなぁ。

 沖縄辺野古埋め立て問題、モリカケ問題、強姦事件、文科省文書隠匿事件、それぞれの当事者個人「i」が戦う姿勢を援護しようとする、新聞記者の「i」の姿。

 ニュース報道で、その一部しか知らなかった一人の新聞記者の姿を、もう少し知ることができた。それだけでも、価値のあるドキュメンタリーだと思う。


 観たい方は、同映画HPでご確認のほどを。
「i -新聞記者ドキュメントー」公式HP


by kogotokoubei | 2019-12-09 21:27 | 映画など | Comments(4)
 樹木希林さんの訃報に接し思い出すのは、「万引き家族」での、海のシーンだ。

 久しぶりに日本映画を劇場で観たことは記事にも書いた。
2018年6月25日のブログ

 その記事の最後に、この映画は、「樹木希林、そして、安藤サクラの演技を観るだけでも、価値がある」と書いた。もちろん、今でも、そう思う。

 海のシーンとは、擬似家族がそろって海水浴に行き、皆が仲良く遊んでいる姿を浜辺で傘を差して眺めている樹木希林さん扮する初枝が、つぶやく場面。

 声は、聞き取れない。
 その科白は、樹木さんのアドリブだったらしい。

 「ありがとうございました」

 口の動きから、そう言っているはず。

 初枝は、その海水浴のすぐ後に、旅立つ。

 サイゾーが運営するサイトの一つであるWEZZYに、カンヌのパルムドールを受賞した際の監督の会見が紹介されている。

 樹木希林という女優と、あの海のシーンについ是枝監督が語っているので引用したい。

WEZZYの該当記事

 現地時間5月14日に開かれたカンヌ国際映画祭公式記者会見のなかで、是枝裕和監督が樹木希林の存在について語るのを聞いていた松岡茉優が突如涙を浮かべる一幕があり、マスコミでもそこが大きく取り上げられたが、その是枝監督の発言とはいったいいかなるものだったのか。

<僕はやっぱり自分がつくるものを、希林さんに出ていただけるものにするために努力をします。努力をしないで甘いまま彼女の前に立つと見透かされるので、希林さんの前で恥ずかしくない監督になりたいと思うんですね。そういう役者がいることはすごい大切なことで、監督にとって>

 これに続けて是枝監督は、この作品で一番最初に撮った夏の海のシーンでの樹木希林のアドリブが作品の方向性を決定づけたことに感謝。そして、作品をつくる過程において「いち役者」以上の関わりをしてくれるからこそ、何度も彼女と仕事をしたくなるのだと述べていた(『そして父になる』『海街diary』『海よりもまだ深く』など、樹木希林は彼の映画には欠かすことのできない是枝組の常連である)。

 あの声に出さない「ありがとうございました」のアドリブの一言が、作品の方向性を決めた・・・ということか。

 擬似家族ではあったが、その家族たちには深く感謝していた、という初枝の心境を樹木希林さんは表現したかったのだろう。

 その言葉は、初枝同様に死期が近いことを察していた樹木希林さんご本人の言葉でもあったように思えてならない。


 映画全体からは、是枝監督が抱き続けるテーマ「家族って何?」という問いが突きつけられる。
 そのテーマも、樹木希林さんが抱き続けたものかもしれない。


 これまで“希林さんに出ていただけるものにするために努力”した是枝監督にとって、今後、そのエネルギーを注ぐ対象はどの俳優さんになるのだろうか。

 あまりにもその存在が大きすぎて、なかなか希林さんに代われる人が見つかりそうにないかもしれない。

 訃報に接し、そんなことを思っていた。


by kogotokoubei | 2018-09-19 12:54 | 映画など | Comments(0)
 昨日は、午前中の雨で日曜恒例のテニスは休みとなった。

 寄席に行こうかとも思ったが、久し振りに日本映画を観に行った。
 カンヌ国際映画祭で、最高賞のパルム・ドールを受賞した、「万引き家族」だ。
「万引き家族」公式サイト

 劇場で映画を観るのは、昨年八月の「約束の地-メンフィス-テイク-ミー-トゥー-ザ-リバー」以来。
2017年8月24日のブログ

 日本映画となると、2012年の「聯合艦隊司令長官 山本五十六」以来になる。
2012年2月5日のブログ

 次の柴田家全体が、この映画の主役と言ってよいだろう。

   役名  :  俳優
  柴田初枝 : 樹木希林
  柴田 治 : リリー・フランキー
  柴田信代 : 安藤サクラ
  柴田亜紀 : 松岡茉優
  柴田祥太 : 城桧吏
  凛*じゅり: 佐々木みゆ

 多くの感想や評論がネットにも溢れているだろうから、似たようなことは書きたくないのだが、やはり、安藤サクラという女優の凄さを再認識させる。

 以前、CSの「百円の恋」で初めてこの女優さんを観て、「日本にもこんな凄い人がいるんだ!?」と驚いた。

 まさに“体当たり”の演技という印象で、この人の演技からは、汗の臭いが伝わってくる。

 是枝監督は、親の死を隠しての年金詐欺が着想のヒントであったと語っているが、他の様々な現在の日本の社会病理がこの映画の背景にある。

 なかでも、つい最近の目黒虐待死事件の記憶が、六人目の家族となった少女(凛)とダブった人は少なくないだろう。

 最後まで、少女の声にならない悲鳴が、この映画からは聞こえるのだ。

 柴田家という「疑似」家族を中心にしているが、その相関関係は、映像で伝わる凛の他は、あまり詳しい説明が挟まれない。

 是枝監督の小説では明らかにされているこの家族の相関関係については、あえて、最小限のヒントが明かされるだけ。

 観る者の想像力を刺激する映画とも言えるだろう。

 それにしても、信代役の安藤サクラの取り調べ室での演技は、泣かせる。

 家族って何だ、親子って・・・・・・。 

 犯罪者を断罪することは、そう難しいことではない。
 だが、この映画は、その犯罪は日常と紙一重であることを気づかせてくれる。

 より大きな問題は、その犯罪を招いた真因は何か、ということ。

 普通の人が、なぜ犯罪者になるのか。
 彼、彼女を社会から疎外させてしまったことこそ、断罪されるべきではないか、という是枝監督の訴えが、観終わってからジワジワと心の中で広がってくる。

 ここから先は、ネタバレ注意
 知らずに観たい人は、ご覧になってから読んでください。

 この映画は、まさに、「今」を映し出している。

 私は、亜紀が働く風俗店の彼女の客、あの四番さんが、新幹線殺傷事件の犯人になることも、ありえると思う。

 あの事件の犯人が、親ではなく、祖母と暮してたということを、初枝と亜紀との関係から思い出していた。

 是枝監督は、特異な家族の姿を描いたのではない。
 あの家族を中心に、まさに現在の日本社会の日常を描いたのである。
 それが、特異であったり、異常であるとするなら、日常が異常と紙一重であるということだ。

 この映画は、普通の人が犯罪者になる、その紙一重の隙間にいったい何があるのか、それを考えさせる。

 翔太は、その紙一重のところで普通の世界に留まることができたことが、大きな救いだ。

 また、見かけは「普通」なのに、その実態は「異常」であることや、その逆もあるということを、この映画は突きつける。

 たとえば、凛を虐待している両親は普通を装う仮面をかぶった異常な夫婦だが、彼らは結果としてこの映画の中では、犯罪者ではなく被害者として扱われる。

 柴田家の一人一人は、いわゆる、社会的な弱者と言える。
 
 だから、この映画の底流には、社会的弱者をつくるのは誰か、という問題提起が流れている。
 
 そんなことを思っていたら、是枝監督のインタビュー記事が目に入った。
 朝日のサイトから引用する。
朝日新聞の該当記事

 ■「祝意」辞退で話題

 パルムドールを受賞して以降、SNS上で「文化庁の補助金を受け取っていながら、日本の恥部を描く反日映画を作った」と攻撃されたり、政府の「祝意」を受けることを是枝監督が「公権力とは距離を保つ」と断ったりした。そんなニュースをマスメディアが拡散することで、映画の知名度が大きく広がった。

 「炎上商法じゃないよ(笑)。僕がトロフィーを持って文部科学省に出向き、大臣と写真を撮ったりして“大人”の対応をしたとすると、それは日ごろ僕が言っていることとは真逆の行為だから」

 「芸術への助成を“国の施し”と考える風潮は映画に限ったことじゃない。大学の科研費もそうだし、生活保護世帯への攻撃も同じです。本来、国民の権利のはずですよね。今回、政府の補助金がどうあるべきかが可視化されたことが一つの成果だと思っています」

 東京・下町の片隅でひっそりと、しかし楽しく生きる家族の物語。父親と男の子がペアで万引きしたり、祖母の年金を不正受給したりして生活費の足しにしている。そのため、「犯罪者を擁護している」などと批判を浴びた。しかし、映画は、罪の意識が芽生えた時の男の子の哀(かな)しみをきちんと繊細に追っている。

 「そこが、この映画の軸なんだけどね。でも、それは見れば分かるから、話題になっているのはむしろいいことじゃないか。批判も含め、普段映画を見ない人たちの口の端に上っているということですからね」


 ■政府批判は真っ当

 「公権力とは潔く距離を保つ」との発言には、反発と同時に称賛も多く寄せられている。こうした話題を集めるのは、映画というものが大衆性を持っており、社会に大きな影響を与えうる芸術だからである。

 「補助金をもらって政府を批判するのは真っ当な態度なんだ、という欧州的な価値観を日本にも定着させたい。いま、僕みたいなことをしたら、たたかれることは分かっています。でも、振る舞いとして続けていかないと。公金を入れると公権力に従わねばならない、ということになったら、文化は死にますよ」

 政府の「祝意」を断ったことは、実に爽快。

 犯罪者を擁護している、などと批判する人は、この映画を観ているのか疑問。
 観ていてそんな馬鹿なことを言っているなら、そんな目には銀紙でも貼っておけばいい。

 落語協会も落語芸術協会も、補助金をもらっている。
 では、落語家は政府の批判はできないのか・・・とんでもない。

 話を、戻す。

 この映画は、いいです。

 全体としても優れているし、樹木希林、そして、安藤サクラの演技を観るだけでも、価値があると思う。
 
by kogotokoubei | 2018-06-25 12:27 | 映画など | Comments(10)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛