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噺の話

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カテゴリ:落語評論( 4 )

 志ん生の最初の師匠のことを、何冊かの本で探っている中で、ある本の解説を読んで、いろいろ考えさせられた。

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大西信行著『落語無頼語録』

 それは、大西信行さんの『落語無頼語録』の、永井啓夫さんの解説の中の文章。

 なお、この本は、昭和48年に「話の特集」に連載され、昭和49年に芸術生活者から単行本として発行されたものだ。
 ちなみに、この単行本のAmazonのレビュー(一件)は、私が書いたもの。
 なお、昭和51年には、角川文庫で再刊されている。

 永井さんの文章の順番を逆にして、まず、本書と著者について書かれた部分を先に引用する。

 大西信行の『落語無頼語録』は、こうした固陋なはなし家たちに向って正面から堂々と所信をぶっつけた壮挙ともいうべき評論である。大西の<毒舌>には、すでにゆるぎない定説がある。たとえば老練の歌舞伎俳優中村翫右衛門に対して「翫右衛門は名優ではない」と評し、歌舞伎界の誤れる通説に一石を投じたのも大西であった。それまで翫右衛門が登場すれば、必ず繊細で写実的な<名人芸>という賛詞を呈することが劇通や批評の慣習となっていた。だから大西の提言によって驚愕したのは翫右衛門ではなく劇通や批評家だったのである。<名優>という虚名から解放され、ひとりの俳優として批判を浴びせられたことは、翫右衛門にしてみればむしろ役者冥利だったといえよう。
 大西にとって、落語史上<神様>のようにあがめられている三遊亭円朝も名人ではなかったし、「功成り名を遂げた生涯」と新聞が書き立てた桂文楽の死に対しても<自殺説>を主張して哀悼の意を表することとなる。<はなし>とは、しょせん<人>によって語られるものである。だから語り手が「うまいはなし家になりたい」と思ったとき、円生も馬生も談志も、すべて一刀両断に斬られることになる。

 大西さんの鋭い批評家精神は、たしかに、異彩を放っている。

 本書については何度か記事にしているが、たとえば2016年1月に、次のような内容を紹介した。
2016年1月26日のブログ

 三遊亭円朝だけではなしに、そのほかいろいろな分野で、おなじような評価のされ方が、日本ではありがちなのだともいえよう。
 たとえば、あの役者はうまいとだれかがいうと、いつの間にかみんながその役者をうまいというようになり、いったんうまいといわれた役者のやったことだと全部が全部名舞台名演出だと、だれもが疑いをはさむこともなく信じこまれてしまう。そんなバカバカしい現象が、日本という風土には生じやすいもののようだ。
 そのことをひどく不愉快だとも、恥ずかしいことだとも、たまらなくいやだとも、ぼくは思っている。
 あの文楽にだって出来の悪い高座はあった。名優菊五郎も舞台を投げた日があった。
 いや、その日その日の出来のよし悪し以前に、主題の把握の誤りや、役づくりの失敗も、どんな名優名人にもなかっとはいえない筈だ。
 それを正しく判断する目を耳を、みんながみんな失くしてしまっていては困る。
 三遊亭円朝にしても・・・・・・

 連載が始まった昭和48年は、文楽が亡くなってから、まだ二年。
 そんな時期に、このようなことを書く人は、他にいなかったことだろう。

 永井さんは、そんな大西の本を評価する背景を、最初に引用した文章の前段で、当時の落語批評と落語家の実態に照らして、次のように指摘する。
 
 現代落語の質的解明には、江國滋・三田純市・矢野誠一・山本益博らのような見巧者の愛情にみちた指摘も多い。しかし、かんじんのはなし家たちは、落語ばかりでなく伝統芸能の世界ではいずれも共通のことだが<批評>はすべて悪意と曲解によるものとして耳を藉(か)さない。これは現代の伝統芸能が抱えている最大の不幸であろう。

 昭和48年、すでに安藤鶴夫さんは、いない。
 永井さんが挙げた中に、当時ご健在だった榎本滋民さんの名がないのが、残念。

 さて、この本の発行から四十年余りが経過している。

 果たして、落語批評と落語家の関係は、変わったのか、否か・・・・・・。

 少なくとも、永井さんが名を挙げた方を含め、批評を公にする落語の見巧者は、圧倒的に減ったのは間違いがない。

 一方の落語家の方はどうか。

 批評を悪意と曲解によるものと考える落語家は、もしかすると減っているのかもしれない。
 とはいえ、聞く耳を持っているとしても、聞かせる言葉がなければ、コミュニケーションは成り立たない。

 落語批評、とりわけ大西さんのような、媚びることなく、いいものはいい、悪いものは悪い、と明言する人は、今、どれだけいるのだろうかと思うと、暗澹とせざるを得ない。

 芸人を育てるのは客であり、その客の中に、批評家も含まれると思う。

 しかし、職業としての落語批評家、評論家は、成り立ちにくい時代。

 その代わりと言うわけでもないが、ネットの役割は大きくなった。

 よく拝見するブログでも、その視点や批評内容に感心することが度々ある。

 見巧者の方のブログを読んで、自分の聴き方、見方の甘さを反省することも少なくない。

 好みの噺家さんの高座の評価は、どうしても甘くなる。

 大西さんや永井さんの文章をあらためて読んで、いろいろ考えさせられた。

 ネットは匿名性により、長所も短所もある。

 “つぶやき”同様に、「良かった」「面白かった」とか「良くなかった」「面白くなかった」とだけ書かれる高座もあるだろう。

 もし、“批評”として価値がある内容とするには、「何が」「どう」良かったのか、あるいは、悪かったのか、そして、改善するならどうすればいいのか、というヒントも提示できなければならないと思う。

 もちろん、大西さんご指摘のように、噺家さんも人間。
 体調の悪い時だって、あるだろう。
 そんなことも含め、その批評に当事者が読むに耐える内容でなければ、批評とは言えないのではないか。

 落語会、寄席の備忘録として始めたブログだが、出会った高座の感想を書いている以上は、やはり、いい加減なことは書きたくないとも思う。

 “小言”も、聞くに耐えるものでありたい。

 奢った言い方になるのを承知で書くが、拙ブログも、読んでいただいて落語家さんが耳に痛くはあるが参考になるような、身内では表面化しにくい批評となるよう努めなければならないなぁ、と思っている。

by kogotokoubei | 2019-04-18 12:27 | 落語評論 | Comments(8)
 落語・演芸評論家の川戸貞吉さんの訃報に接した。
 
 サンスポから。
サンケイスポーツの該当記事

2019.3.12.05:00
演芸評論家の川戸貞吉氏が死去、「現代落語家論」など著書多数

 演芸評論家の川戸貞吉(かわど・さだきち)氏が11日午前11時55分、直腸がんのため東京都杉並区の自宅で死去、81歳。横浜市出身。通夜は13日午後6時から、葬儀・告別式は14日午前9時半から杉並区和泉3の8の35、龍光寺大師堂で。喪主は妻、恵子(けいこ)さん。早大の落語研究会で活動し、1961年にアナウンサーとしてラジオ東京(現TBS)に入社。ディレクターに転身後は数々の落語番組を制作。学生時代から立川談志さん、五代目三遊亭円楽さんらと交流し、五代目柳家小さんさんにも目をかけられた。「現代落語家論」「落語大百科」など著書多数。

 多数の著作があるが、代表作はこの記事でも挙げている『現代落語家論』だろう。

 私も、何度か記事で引用させてもらっている。
 五代目小さんの十三回忌追善落語会が開かれていた頃に書いた記事で、川戸さんのこの本から、他の人の著作では知りえない逸話を引用した。

 重複するが、あらためで紹介したい。
2014年5月14日のブログ

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 川戸さんは、早稲田の落研時代から当時の小ゑん(談志)や全生(五代目円楽)と懇意になり、TBS入局後に、今につながる落語研究会の再開を企画した人。

 本書は昭和53年五5月10日初版発行なので、あの落語協会分裂騒動の直前。よって、著者は翌年早々に『新現代落語家論』を書くことになる。

 さて、上下二巻のうち下巻にある小さんの章からの引用。

 不精な私だが、『落語日記』と称して、落語に関する日記だけは、つけてきた。この日記から、小さんの芸談を、少し拾い出してみよう。

 昭和四十二年十月三日
 夜、イイノホールへ行く。楽屋では正蔵・小さん両師のやりとりが印象に残った。
 小さんが正蔵に、いろいろと聞いている。まず朴炭(ほおずみ)のこと。『湯屋番』に出ているという。
「家の愚妻さんも使っているよ。四代目(四代目小さんのこと)も使っていた」
 と、、正蔵がいう。
 朴炭は朴の木の炭で、それでこすると、たいへんすべすべするそうだ。
「垢すりも近頃は使わなくなったねェ」
「昔は三助が使ったが」
 と、しばらく雑談。
『湯屋番』は小さんの十八番といわれているのに、まだ調べている。頭が下がる。
 (中 略)
 この夜の小さんの演しものは『王子の狐』。

 稲荷町と目白の楽屋話、なんともいい感じだ。
 横で聞いていた人が羨ましい。しかし、誰にでも話すようなことではない。
 やはり、川戸さんが小さんや正蔵が心を許して話せる相手だった、ということだろう。

 日記の紹介を続ける。
 
十月八日
 夜、小さん師と飲む。『王子の狐』について話を聞いた。前座・二ツ目時代に八代目文治から教わったもので、ずっとオクラにしていたという。
「久々此間(こないだ)演ったが、もう忘れちゃったよ」
 そういってケラケラ笑った。
 四代目小さんは、狐をだます人間を二人連れにして演っていたという。『そのほうが演りやすいから』という理由からであった。
「なるほどそのほうが演りやすいやね」

 今まで『王子の狐』で二人連れで狐をだます噺は聞いたことがないが、なるほど面白いかもしれないなぁ。

 この師匠四代目小さんにまつわる逸話を、昭和四十八年三月二十二日の日記の、小さんの会話の途中からご紹介。

「とにかく昭和の名人というと、五代目円生、三語楼、四代目小さん、八代目文治だな。文楽師匠は、まだそのあとだよ。あたしも三語楼の噺を聞いて噺家になろうと思ったんだから。そりゃァ素人のときは、三語楼を追いかけたもんだ」
 それから話は、自分の師匠四代目小さんのことに移った。
「うちの師匠は本当に上手かった。でも、うちの師匠の本当のよさをわからねえ奴が、大勢いたね。あの小勝(五代目小勝)だってそのうちのひとり、それから正岡容。
 その人が、うちの師匠のことを悪くいったんだ。『志ん生の代わりに四代目が出たが、あれじゃァ代演にならない。志ん生の代わりに小さんなんて・・・・・・』等と書いたんだな。いまにして思うと、これはセコだとかなんとかいうんじゃァない。芸風が違うから代演にならないという意味なんだろうけれど、なにしろこっちゃァ若かったからねェ、浅草のほうの鳶の鳶頭(かしら)が見せてくれたんだが、『うちの師匠のことをこんなに悪くいうなんて』と思ったら、体がぶるぶる震えてきたね。『よーし、あの野郎明日ぶん殴りに行ってやる』と思ったン。『そうだそうだ』なんて、鳶頭もこっちを煽るしね。本当に行こうと思ったン。
 ところが、その晩に赤紙がきて、こっちは軍隊に連れてかれちゃったァ。いまから考えると、殴らなくていいことしたよ」
 本当だ。もしこのとき殴っていたら、おそらく大騒動になっていたに違いない。
 もし、小さんが正岡宅に殴りこみに行っていたら五代目を継ぐこともできなかったかもしれない。

 学生時代からの談志との縁、そして、テレビ局の演芸担当としての仕事柄もあるだろうが、昭和の落語家との交流の幅広さや深さ、という点においては、この人を超える人はいなかったのではなかろうか。

 昭和の名人たちの得がたい逸話で、川戸さんの著作からしか知ることができないものは少なくない。
 
 たとえば、『現代落語家論』から、志ん朝の二ツ目時代の奮闘ぶりを紹介したことがある。
2011年10月1日のブログ

 実に貴重な記録でもある。川戸さんしか書けない内容だと思う。


 また、学生の頃から集めはじめた高座の録音テープも有名。自身が担当したTBSラジオの「早起き名人会」でも放送され、『席亭 立川談志の「ゆめの寄席」』などがCD化された。

 川戸さんのライブラリーに関しては、NHKラジオで、玉置宏さんが「早起き名人会」の音源を無断で使用したことが発覚し、川戸さんと玉置さん側でひと悶着あったが、落語愛好家としては、なんとも言えない残念な事件だった。

 小朝が書いた文章への抗議なども含め、やや、喧嘩っぱやい性格だったかもしれない。

 談志の著作では「貞やんを知らない奴は、(落語の世界の)モグリ」と書かれていたなぁ。

 昭和の落語家、落語界の語り部が、また一人旅立った。

 3月11日という命日は、忘れることはないだろう。


 家元が、「よっ、待ってました!」と迎えていたに違いない。

 川戸貞吉さんのご冥福をお祈りします。
by kogotokoubei | 2019-03-13 12:27 | 落語評論 | Comments(2)
 ブログを書いていることもあり、落語に関するニュースを日に一度はチェックする。
 今日、あの番組に関して、こんな記事を見つけた。
 「週刊ポスト」や「女性セブン」を発行している小学館のサイト「NEWSポスト・セブン」における「笑点」に関する記事。「週刊ポスト」6月17日号の記事らしい。

 番組そのものについては、司会者が替わろうが視聴率が高かろうが、まったく関心がなくて見てもいないが、この記事に、出演する噺家に関する広瀬和生という人のコメントがあり、それがどうもひっかかった。
「NEWSポスト・セブン」サイトの該当記事

 広瀬という人は、落語に関する本も書いているし、落語愛好家の間では有名だと思う。

 彼が、あの番組の出演者に関して、次のようにコメントをしている。

 まず、昇太について。
「もちろん好みはあるでしょうが、私は笑点メンバーだけでなく、今の落語家の中で昇太さんがトップクラスに面白いと思っている。彼は新作落語が得意といわれますが、実は古典も面白い。

 昇太師匠の信条に『人は追い詰めると変なことをする』というのがあるのですが、たとえば彼の演じる『時そば』は、『一人なのに二人連れのように振る舞う客に恐怖するそば屋』と『二人の客を一人で演じるプレッシャーに押しつぶされた客』という『二人の追い詰められた男』のドタバタの表現が絶妙です」

 『時そば』は上方版をベースにした昇太の生の高座を実際に聴いて感心した憶えがあるので、後半については同意できる。

 では、他のメンバーについて。
「林家木久扇師匠は、誰でも知っているあのキャラクターが魅力。三遊亭好楽さんは正統派の古典落語を手堅く務め、ネタ数が多い。三遊亭小遊三さんは滑稽話がものすごく上手い。

 三遊亭円楽さんは、先代の五代目・円楽のネタも引き継いで人情話から軽い話まで何でもできる。やっぱり先代の円楽師匠が『円楽』という名前を継がせただけはありますね。

 林家たい平さんは落語協会のホープとして、彼の本格的な古典落語の才能は春風亭小朝も高く買っていた。三平さんは、とにかく明るくて寄席を盛り上げる華があります」

 もちろん、最初に広瀬氏がことわっているように「好み」の問題はある。
 落語家の評価も人それぞれであって当然だと思う。 

 見解が違うことは悪いことではない、という前提で書くが、この記事の中の好楽、円楽、三平に関する評価は、私には同意できない。

 私が気になったのは、「この人、こんなコメントをする人だったのか?」ということ。

 「この落語家を聴け!」というような、刺激的なタイトルで落語評論の本を書いている人が、あの番組のあの顔ぶれについて、「ヨイショ」に近いようなことを言う人だったとは、どうしても思えなかったので、違和感を抱いたのだ。

 広瀬和生という人、落語については相当肥えた耳を持っていると思っていた。
 だから、好楽や円楽、三平について、こんな評価をする人だったっけ、と驚いた。

 そもそも、「笑点」出演者に関するコメントを受けるような人とも、私は思っていなかった。

 以前は、見解は私と違うことがあるが、数少ない硬派、辛口の得がたい落語評論家だと思っていたのだが、少し芸風が変わってきたかな。

 このコメントは、雑誌とネットに公開されている内容だ。
 最近になって落語に興味を持った人も、目にすることだろう。

 記事の冒頭には、小学館から発行されているこの方の著書の名前も出て来るし、同書のAmazonのバナーも表示されている。

 この方、最近は落語会も主催されているらしい。

 落語家への距離が近づくことが、彼の評論の切れ味に影響を与えているのか、と思うのは邪推だろうか・・・・・・。

 私は、職業として落語評論をしているわけでもないし、落語会を主催しているわけでもない。
 だから、自分の「好み」で、自分の思いを次に書く。

  好楽は、“正統派の古典落語を手堅く務める”噺家とは、思えない。
  円楽は、“人情話から軽い話まで何でもできる”、とは到底思えない。
  三平に、“寄席を盛り上げる華”などないことは、寄席で彼の高座を三分も聴けば分かる。

 これらは、それ相応の鑑識眼をもった落語愛好家の方と共有できる見解ではないかと思うのだが、果たしていかがだろうか。

 広瀬和生という人が、落語の指南役として少なからず存在感がある人だと思うからこその小言である。

 若手二ツ目を中心にした会に、若い女性客が駆けつけるなど、新たな落語ブームの到来かと、言われている。

 落語評論家と認められている方の言葉や著作は、それ相応の影響力を持つだろう。

 別に個人的な怨みなどは、いっさいないことを、おことわりしておく。
 
 どうしても、以前からのイメージでは、紹介したようなコメントをするような人に思えないので、つい、書いてしまった次第である。


by kogotokoubei | 2016-06-13 21:29 | 落語評論 | Comments(18)
 昨日1月16日は、榎本滋民さんの命日だった。
 2003年のこの日、火事で逃げ遅れて亡くなったので、十三回忌になる。

 落語評論をする人は、これまで多くいらっしゃったが、榎本さんは私の好きな評論家、あるいは、落語の優れた聴き手の上位に間違いなく入る。

 本来は敬称略の拙ブログで、どうしても‘さん’づけで呼びたい人の一人。

 生まれが早い順に、ざっと、私が知っている範囲で、副業であろうと落語に関して評論的な作品を残している人を並べてみる。明治生まれから、昭和は戦前生まれの人までとする。

□明治生まれ
 岡鬼太郎(M5年生まれ)、野村無名庵(M19生)、久保田万太郎(M20生)、
 今村信雄(M25生)、小島政二郎(M25生)、正岡容(M37生)、宇野信夫(M37生)、
 安藤鶴夫(M41生)、暉峻康隆(M41生)、宇井無愁(M42生)

□大正生まれ
 加太こうじ(T7生)、小島貞二(T8生)、興津要(T13生)

□昭和生まれ(戦前生まれまで)
 色川武大(S4生)、小沢昭一(S4生)、大西信行(S4生)、榎本滋民(S5生)、
 山本進(S6生)、江國滋(S9生)、矢野誠一(S10生)、保田武宏(S10生)、
 麻生芳伸(S13生)、川戸貞吉(S13生)、延広真治(S14生)、平岡正明(S16生)、
 京須偕充(S17生)

 抜けはあるかもしれないが、主だったところは並んでいるのではなかろうか。

 榎本さんは、岡鬼太郎、久保田万太郎、宇野信夫という、明治の劇作家や劇評家の流れを継承している人といえるだろう。
 自ら「花の吉原百人斬り」「愛染め高尾」や「たぬき」などの戯曲を書く人なので、「落語特選会」の解説では、落語の舞台となる江戸や明治の生活、文化や風習に関して詳しく説明してくれたし、頗る楽しく、そして勉強になった。

 榎本さんの本を読んだり、落語特選会の解説を聴くと、落語の聴き方や見方について、大いに参考になる。

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 何度か引用している榎本さんの『落語小劇場』(三樹書房)。
 劇作家らしい題名のついた本、下巻の巻末にある「はね太鼓」から引用する。

 以前の歌舞伎は、座頭役者が演出家をかねていたから、上演のたびに脚本の細部に変更があり得たが、現在では、せりふもほとんど一字一句まで定型化されていて、俳優のいわゆる仕勝手は非難されるし、久し振りに発掘された演目の場合は、かならず外部の識者に監修・補綴・潤色・演出を依頼して定本を作り、これに準拠するのが常識になっている。だから、「古典歌舞伎」ということばが、存在し得るわけなのである。
 落語も以前は、台本製作の才能や演出の適性に富んだ演者が多くいた。だから、つぎつぎに名作が生まれ、演出も改良されていたわけなのだが、現在では、演出者を完全にかねることのできる演者は、絶無ではないにしても、ごく少ない。
 もっとも、歌舞伎俳優と同様に、演者としてすぐれていさえすれば、それで十分に立派なのであり、演出者の力量が欠けていることを指摘されたところで、いささか悲しんだりくやしがったりするには及ばないのである。
 ことわっておくが、ここで私のいう演出とは、ちょっとした表現の工夫などではない。状況の把握、展開の調整、用語の選定、風俗の考証、その他、一編の落語を話芸として成り立たせるすべての要素を、統合し発揚する作業のことである。
 落語は、演者と演出家をかねる一人芸であるにはちがいないが、厳密な意味での演出力のない者が、演じにくいとか受けないとかいうくらいの理由で、勝手気ままにテキスト・レジイするのは、公共文化遺産の私有化であり、ゆゆしい破壊ですらある、といわなければならない。
 演劇と話芸、戯曲と演芸台本の次元の相違は重々承知しながらも、なおかつ私が古典落語の定本化をうながし、克明なテキスト・レジイの必要を主張するのは、以上の観察からである。とはいえ、これはもとより一朝一夕に成ることではなく、議論百出するところでもあるから、私はとりあえず、検討用の試案として、私見を提出してみたにすぎない。

 
 この本、私が持っているのは昭和58年の三樹書房版だが、最初は昭和40年代に寿満書店で発行されているらしい。

 だから、名人や実力のある中堅や若手が大勢いた昭和40年代の落語界について、榎本さんは、“現在では、演出者を完全にかねることのできる演者は、絶無ではないにしても、ごく少ない”と評しているのだ。

 だったら、今日の落語界で、演出者をかねることのできる演者は、存在するのだろうか・・・・・・。

 テキスト・レジイ(略してテキレジ)は、舞台用語で台本を変更することを意味する。

 紹介した文章において、“勝手気ままにテキスト・レジイするのは、公共文化遺産の私有化であり、ゆゆしい破壊ですらある”という指摘を、今日の噺家さんは、十分に噛み締めるべきではないかと思う。 

 榎本さんの“私見”は、落語の歴史を継承してきた数多の噺家さんに敬意を示せ、と言っている。
 噺の内容には、そうなった理由もあれば、多くの先人たちの苦労が背景にある、ということを演者側はもちろんだが、聴く側も肝に銘じたいと思う。
 
 一日遅れの榎本さんの十三回忌に、そんなことを思っていた。
by kogotokoubei | 2015-01-17 08:37 | 落語評論 | Comments(2)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛