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噺の話

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カテゴリ:ドラマや時代劇( 49 )

 「いだてん」について、先日、やや悲観的な記事を書いた。
 ビートたけし演じる古今亭志ん生の登場が、ドラマの流れを悪くするような気もして、今回は、クドカン流ドラマも策に溺れるかなと思っていたのだが、昨夜見て、だんだん面白くなってきた。

 昨夜は、ストックホルムオリンピックに、初めて日本選手を派遣するための陸上競技会が放送された。
NHKサイトの該当ページ

 金栗四三を演じる中村勘九郎の熱演、三島弥彦の飛び込みでの短距離競技参加での活躍など、素直に楽しむことができた。

 気になっていた、たけしや若き日の志ん生役の森山未來の登場は、いわば、箸休めと思えて気に障らなかった。
 志ん生の、高座で眠ってしまう逸話も登場^^
 起きてから、『芝浜』かと思いきや、ドラマの前フリ。

 「いだてんー東京オリムピック噺ー」が正式な題だから、こういう構成もむべなるかな。


 このドラマ、前半は、志ん生も含めると、三人の人物の物語。
 金栗四三、三島弥彦、そして、志ん生。

 この三人、生まれは順に明治二十四(1891)年、明治十九(1886)年、明治二十三(1890)年と、同世代。

 そうそう。NHKサイトの番組のページにある「年表」に、四三と志ん生の生まれた年は記されているが、弥彦の生年は、ない。これは、記すべきですよ。

 さて、金栗四三だが、彼の生家は、熊本県玉名郡春富村(現・和水町)で、十四、五代続く名家で、酒造業をしていた。父が四三が生まれる前に酒造業をやめた。
 四三は男四人、女四人という八人兄弟の七番目で、父と同じように幼少時は虚弱体質だったらしい。

 次に、三島弥彦。
 三島の経歴には、幕末の歴史が色濃く残っている。
 父は、三島通庸(みしま みちつね)で天保六(1835)年生まれの薩摩藩士。
 Wikipedia「三島通庸」から、引用。
Wikipedia「三島通庸」
薩摩藩士・三島通純の長男として生まれる。三島家は藩の鼓指南役の家柄であったが、示現流剣術とともに伊地知正治から兵学を学んだ。精忠組の一員として寺田屋事件に関与し謹慎を命じられるが、後に西郷隆盛に取り立てられ、藩主島津忠義から人馬奉行に抜擢される。戊辰戦争においては鳥羽・伏見の戦いで小荷駄隊を率いるなど活躍した。その後は藩政改革に参加し、民事奉行や日向都城の地頭などを務めた。この時の業績が認められ、大久保利通の計らいにより新政府に出仕する。
 ということで、三島については、「西郷どん」の流れを引き継いでいるとも言える。
 この弥彦の父三島通庸は、警視総監を務めていた時に亡くなっており、その時、弥彦は二歳。

 古今亭志ん生が、三島弥彦と対照的なのは、美濃部家は代々旗本であったが、維新を経て、父は巡査をしていた、ということ。警視総監の息子と、巡査の息子。

 余談だが、四三の故郷の熊本も、明治以降に多くの警察官を輩出した県。


 昨日の五回目で、金栗四三と三島弥彦は、オリンピック予選で優勝した。

 しかし、この二人がストックホルムに旅立つまでには、いろんな苦労、苦悩が待ち受けているに違いない。

 そして、志ん生は、憧れの名人橘家円喬の車夫として近づきになることは出来たが、果たして弟子になれるのか否か。
 車夫というのは、クドカンの創作だろうが、その工夫は悪くない。

 そうそう、昨夜も落語愛好家には楽しい場面があった。『鰍沢』を聞いているうちに、晴れているのに雨が降ってきたと感じた、という志ん生が語る円喬の思い出も、人力車に乗りながら円喬が『鰍沢』を稽古するのを聞いた若き日の志ん生に演じさせていたなぁ。
 ドラマの箸休めとして、志ん生の物語も楽しみにしよう。

 俳優の中では、三島弥彦の母を演じる、白石加代子さんが、いいねぇ。
 徳富蘆花の『不如帰』の意地悪な姑のモデルとなったことを怒っていたが、ハマリ役でしょう。兄の柴山景綱は、結婚した三島通庸と同じ精忠組の同志。
 和歌子自身が「女西郷」と称された女傑。

 このように、「いだてん」には、薩摩の歴史が、その背景に脈々と流れている。

 「西郷どん」では、西郷隆盛に大いなる影響を与えた水戸の藤田東湖が登場しないので、がっかりした。それが、見なくなった理由の一つ。

 その点、「いだてん」では、よく知らない人物でもあって、史実との相違点に気づくのは、せいぜい、志ん生の逸話の扱い方くらいのものだろう。


 金栗四三の活躍を描くことで、昨今、地震などの被害に見舞われた熊本が元気になるのも、実に良いことだろう。

 
 最後に、Wikipediaから、お三方の写真を拝借。

Wikipedia「金栗四三」
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                 金栗四三

Wikipedia「三島弥彦」
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                 三島弥彦

Wikipedia「古今亭志ん生」
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                 古今亭志ん生


 凛々しいアスリート二人の姿、そして、志ん生の笑顔。

 大友良英のキレのある音楽に乗ったクドカン流の遊び心のあるドラマで、同時代をそれぞれに生き抜いた明治男の物語、今後も楽しみになってきた。


by kogotokoubei | 2019-02-04 12:45 | ドラマや時代劇 | Comments(2)

 「いだてん」が、どうも面白くない。

 別に視聴率がどうのこうのという世の中の評判は関係なく、あくまで私見。

 中村勘九郎演じる金栗四三が、どうも表面的にしか描けていない気がする。

 また、周囲の人物を含めて、ステロタイプな役柄となっていて、中途半端なコメディの演技、という印象なのだ。

 また、ビートたけし扮する古今亭志ん生がところどころ登場するのだが、これで流れが切れてしまう。

 また、志ん生と金栗四三が年齢が一つ違いということで、森山未來が扮する若き日の志ん生が、四三の物語に挿入されるのも、このドラマを散漫にしてしまう。

 クドカンの脚本が、あまり知名度が高くない人物を主人公としていることから、たけし、志ん生によって、アクセントを与えようとしているのだろうが、その試み、今のところは、すべりそうな気がしてしょうがない。

 もう少し見るつもりだが、あれもこれもを詰め込もうとするあまり、それぞれが中途半端になりそうなのが、三回目までを見た印象だ。


 比較するべきではないだろうが、BS時代劇「小吉の女房」は、面白く見ている。
 金曜に見て、BSの「いだてん」の後で再放送を見たが、次回が楽しみだ。

 
by kogotokoubei | 2019-01-20 19:36 | ドラマや時代劇 | Comments(2)
 昨夜、NHKのBSで「いだてん」の後、新たに始まった時代劇「小吉の女房」を再放送で見た。

 だからなおさら比較しやすいのだが、ドラマとしては、「小吉の女房」が数倍、面白い。

NHKサイトの該当ページ

 まず、勝小吉役の古田新太が、落語用語(?)で言えば、ニンである。
 女房役の、沢口靖子も、久しぶりにテレビで見たのだが、いいねぇ。
 連続ドラマとしては遺作となる、江波杏子さんの味のある演技も楽しみ。

 勝海舟の父、勝小吉を描いた本は、何冊かある。

 何と言っても、本人の『夢酔独言』が、失敗談も含めたなんともあけすけな本で楽しい。記事にしたいと思いながら、まだ書いていない。

 子母澤寛の『父子鷹』も有名だが、まだ読んでいない。

 小松重男の『喧嘩侍 勝小吉』は読んだ。
 『夢酔独言』を小説としてコンパクトに読みやすくまとめてくれた本、と言えるかもしれない。
 この人は、『蚤とり侍』の作者だが、他にも『川柳侍』や『ずっこけ侍』なんて面白い本を書いている。


 「小吉の女房」、キャストも良く、大河では今年味わえない歴史ドラマとして、今後も楽しみにしたい。


by kogotokoubei | 2019-01-14 09:33 | ドラマや時代劇 | Comments(2)
 「いだてん」を、BSで見た。

 ビートたけしの古今亭志ん生は、「赤めだか」の談志よりは、良いと思う。
 しかし、あの弟子入り志願の若者には、ちょっとびっくり。
 まぁ、もう少し見ないと分からないなぁ、このドラマ。

 ドラマの最後に、このドラマは史実を基にしたフィクション、というテロップが出るのが、どうも気に入らない。

 逃げなのである、これは。

 そのあと、BSで桂歌丸のドラマ「BS笑点ドラマスペシャル 桂歌丸」の再放送を見た。


 「まんぷく」は、まだ見ている。
 
 いろいろ、気になることがある。

 以前、このドラマについて記事を書いた。
2018年12月13日のブログ

 あの記事では進駐軍に萬平(百福)が逮捕されたのは、手榴弾を海で爆発させた反乱罪容疑ではなく、従業員への小遣いが給与とみなされた脱税の容疑であり、それは徴税を強化した進駐軍の指示を受けたみせしめの逮捕で、巣鴨プリズンに二年近く収容されたのが史実である、と書いた。

 その後に、実際脱税容疑で逮捕される場面が続いた。

 なぜ、あんな手榴弾事件などを挟んだのか、疑問。

 
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『転んでもただでは起きるな!-定本・安藤百福-』

 以前も紹介した中公文庫の『転んでもただでは起きるな!-定本・安藤百福-』は、安藤百福発明記念館の編集による本。

 この本の巻末に「安藤百福の年譜」がある。

 生誕以降、最近のドラマの出来事まで、引用したい。

1910(明治43)年・・・・・・0歳
3月5日 当時日本の植民地だった台湾の台南県東石郡杜子街で生まれる。
76年に一度現れるハレー彗星が地球に接近。
幼少時に両親が亡くなり、兄二人、妹一人とともに、祖父母に引き取られる。

1924(大正13年)・・・・・・14歳
尋常小学校を卒業し、祖父の経営する織物業を手伝う。
そろばんが好きで数字に異常な興味を持つ。

1930(昭和5)年頃・・・・・・20歳頃
県の郡守(知事)に勧められ、杜子街に初めてできた図書館の司書になる。
世界文学全集、シェークスピアの戯曲、美濃部達吉の天皇機関説などを読む。
本に囲まれた静かな生活が性に合わず2年で辞め、家業に戻る。

1932(昭和7)年・・・・・・22歳
台北市永楽町に資本金19万円で「東洋莫大小(メリヤス)」を創業し独立。
編み物のメリヤス製品を日本から輸入して台湾で売る貿易商売を始める。

1933(昭和8)年・・・・・・23歳
大阪市の唐物町2丁目に「日東商会」を設立、貿易業務を本格化する。
日本一のメリヤス業者「丸松」などと組み、特注品を仕入れる。
商品は台湾で飛ぶように売れ、若くして財を築く。

1934(昭和9)年・・・・・・24歳
3月 社長業の傍ら夜間に学び、立命館大学専門学部経済科修了。

1941(昭和16)年・・・・・・31歳
12月8日 台湾出張中に「宣戦の詔勅」が発布されて太平洋戦争始まる。
メリヤス貿易は継続できなくなり断念。

1942(昭和17)年~1945(昭和20)年・・・・・・32~33歳
戦時下でも事業意欲は衰えず、幻灯機の製造、軍用機用エンジンの部品製造、炭焼き(兵庫県上郡)、バラック住宅の製造(兵庫県相生市)など、次々に事業を起こす。
軍用機エンジン工場で、国から支給される官給資材を横流ししたと疑われ、憲兵隊に拘束され拷問を受ける。45日後に無罪釈放されるが腹部に腸閉塞の後遺症を残す。

1945(昭和20)年・・・・・・35歳
3月21日 仁子と結婚。京都・平安神宮で挙式。
8月15日 終戦。疎開先の兵庫県上郡で玉音放送を聴く。
戦後、食べるものがなく栄養失調で亡くなる人々を見て、食の大切さに目覚める。大阪梅田の闇市でラーメン屋台に並ぶ行列を見る。これがチキンラーメン開発の原風景となる。

1946(昭和21)年・・・・・・36歳
4月 泉大津の旧造兵廠跡地の払い下げを受け、復員軍人などの若者に仕事を与えるため製塩事業(1949年3月まで)を始める。

1947(昭和22)年・・・・・・37歳
4月1日 名古屋に中華交通技術専門学校設立(1951年3月まで)。
10月7日 宏基(現・日清食品ホールディングス社長CEO)誕生。

1948(昭和23)年・・・・・・38歳
9月 大阪府泉大津市に国民栄養科学研究所設立(1951年3月まで)。病院用栄養食品「ビセイクル」開発。
9月4日 泉大津市汐見町に中交総社(資本金500万円)設立。
12月 製塩所で若者達に支払った「小遣い」から所得税を払っていなかったとして脱税容疑でGHQに逮捕され、巣鴨プリズンに収監(1950年12月に無事釈放)。

1949(昭和24)年・・・・・・39歳
1月26日 明美(現・堀之内姓)誕生。
9月 中交総社をサンシー殖産に商号変更し、大阪市北区曽根崎に移転。加工食品の輸出入を行う予定であったが休眠、1958(昭和33)年に日清食品として引き継がれた。

1951(昭和26)年・・・・・・41歳
11月 信用組合理事長に就任。

 まず、百福が台湾で生まれたことや、早くに亡くなった両親の代わりに、台湾で祖父母に育てられたということが、スルーされている。

 また、台湾でのメリヤス事業についても、まったく触れられていない。

 名古屋での事業についても割愛。

 あくまで、ある実在の人物をモデルにしたフィクションと言うことで、その人物の人生のすべてが拾い上げられるものではないのかもしれないが、スルーして良いものと悪いものがあると思う。

 「西郷どん」では、西郷隆盛にとって大きな影響力を持った人物、藤田東湖が登場しなかったことで、私は興味が半減した。

 品川の遊郭に徳川慶喜が忍んで遊びに行き、西郷や橋本左内に会う、などという筋書きにも、呆れた。

 そこまでではないにしても、安藤百福をその妻をモデルにするのなら、スルーしてはいけない歴史もあるだろう。


 少なくとも、植民地であった台湾で過ごした幼少期、そして、その台湾で若くして事業家とし才能を発揮したことは、何らかの形で足跡を明らかにするべきではなかったか、と思う。

 年譜には記されないが、百福にとって重要な周囲の人物のことも、スルーされている。
 なかでも、通産大臣や文部大臣を務めた田中龍夫と懇意にしていたことは、外せないと思う。

 田中龍夫は、総理大臣を務めた長州出身の田中義一の子息。

 百福と田中龍夫は同じ明治43年生まれで気が合ったとのこと。その田中龍夫のおかげで、佐藤栄作や福田赳夫らの厚誼を得ることが出来た。

 安藤百福の人生にとって、それらは重要な意味を持っていたのではないだろうか。

 幼少期から青年期までを過ごした台湾での体験、事業を成功させるために築いた人脈、そういう百福の姿をスルーしないことで、ドラマにもより深みが出てくるように思う。

 松坂慶子を道化役として安易な笑いを挟むだけの脚本では、安藤百福と仁子の苦難の人生を正しく描くことなど、できようがない。

 見ていても、やはり、軽いのだ。
 人間が、描けていないのだ。


 それに比べて、先ほどまで見ていた「BS笑点ドラマスペシャル 桂歌丸」(2017年放送の再放送)は、期待していなかったこともあるが、なかなか良かった。
 歌丸夫婦の、不遇時代の姿に、目頭が熱くなった。
 このドラマのことは、記事にするつもり。

by kogotokoubei | 2019-01-06 21:27 | ドラマや時代劇 | Comments(6)

 NHKの朝のドラマ「まんぷく」について、やはり小言を書かないわけにはいかない。

 実在の人物を“モチーフ”にした“フィクション”ということなのだろうが、気になることが多すぎる。


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『転んでもただでは起きるな!-定本・安藤百福-』
 中公文庫の『転んでもただでは起きるな!-定本・安藤百福-』は、安藤百福発明記念館の編集による本。

 実際の安藤百福の歩んだ人生や環境などの違いを指摘すると、生まれが当時の日本の植民地であった台湾であるとか、その台湾の地で祖父の経営する織物業を手伝っていたことなどがスルーされていることをはじめ、いくらでもあるのだが、まずは、最近の内容について。
  
 ようやく萬平や従業員の若者たちが進駐軍から解放されて、物語は次の段階に進んでいるが、あの事件、事実とは大きく違っている。

 まず、巻末の年譜から、1946(昭和21)年の出来事を引用。

 1946(昭和21)年・・・・・・36歳

   4月 泉大津の旧造幣廠跡地の払い下げを受け、復員軍人などの若者に仕事を
      与えるため製塩事業(1949年3月まで)を始める。

 だから、あの製塩事業は事実。

 また、翌昭和22年に、国民栄養科学研究所設立(1951年3月まで)し、栄養食品(名称は「ビセイクル」)を開発したのも、事実。

 しかし、ドラマのように萬平(百福)や従業員たちは、その後、手榴弾を海に投げたのから逮捕されたのではないし、捕まったのは百福だけである。

 1948(昭和23)年のクリスマスの夜だった。GHQ(連合国軍総司令部)の大阪文軍政部長が転勤するというので、安藤の経営する貿易会館(大阪府北区)で赤間文三大阪府知事や杉道助大阪商工会議所会頭らを招待して送別会を開いた。会が終わり、正面玄関から客を送り出したあと、会館の裏手に停めてあった車に乗ろうとすると、2人のMP(米国陸軍の憲兵)が安藤の身体を両側から抱え込んだ。有無を言わさずジープに押し込んだ。安藤には何が起こったか分からなかった。
 容疑は脱税だという。泉大津の若者達に渡していた小遣いが給与とみなされ、源泉徴収して納めるべき税金を納めていないというのだ。寝耳に水とはこのことである。善意が踏みにじられた思いだった。

 次に紹介するように、みせしめ、とも言える逮捕だった。
 
 GHQは、国の深刻な歳入不足を解消するために徴税を強める必要があるとして、日本の財務当局を奨励した。これを受けて税務署は厳しく徴収した結果、国民の間から激しい反税運動が起きている最中だった。新しく着任した軍政部長が新聞談話を発表していた。「アメリカでは税金を払うのは国民の義務である。日本人も納税義務を果たすべきであり、違反者は懲罰に処す方針」という。記事の中で安藤が名指しされていた。どうやらみせしめに使われたようだった。

 百福は、提訴に踏み切る。
 京都大学方角部長を務めた黒田覚博士ら6人の弁護団を組織した。

 収監されたのは、あの巣鴨プリズン。

 裁判が進むうち、税務当局の役人が「訴えを取り下げてくれないか」と言ってきた。取り下げるなら、即刻自由の身にしてもいいという。もし裁判で負ければ、反税運動を勢いづかせることにもなりかねない。旗色が悪くなったので、妥協を迫ってきたのだ。

 しかし、百福は、そんな誘いにも応じず、訴訟を継続。
 巣鴨には二年近く収監されていた。

 安藤が折れたのは、仁(まさ)子が息子の宏基の手を引き、まだ一歳半の娘の明美を抱いて面会に来た日だった。大阪から11時の夜行列車に乗り、翌朝東京に着く。朝に事務手続きを済ませて、午後一時からようやく面会が始まる。時間はたった45分しかない。金網を挟んで話をする。仁子は離ればなれになった寂しい生活の苦労を伝えようとうる。あっという間に時間がきて、また家族と引き裂かれる。
 小さな手を振って帰っていく幼い子供達の後姿を見て、さすがの安藤も「もうこのへんが潮時かもしれないな」という気持ちになった。

 私は、ドラマ以上に紹介した事実のほうがドラマチックに思えてならない。

 なぜ、みせしめの脱税容疑で逮捕されたことや、収監先が巣鴨プリズンであったことを、ドラマでは変えたのか・・・・・・。

 まさに、消費税アップを目の前にして、なんとも複雑な制度を導入しようとしている政府への忖度、と言うと大袈裟だろうか。

 筋書きにも閉口するが、期待した安藤サクラも、あの『百円の恋』や『万引き家族』の彼女は、あのドラマにはいない。
 夫を支える明るい妻、というステロタイプな役として、なんとも奥行きのない姿が求められているようだ。

 また、これまで書いてこなかかったが、あえて書こう。

 松坂慶子を、NHKは使いすぎである。

 「西郷どん」の母親役でもがっかりしたが、朝も、然り。

 なんというか、人間が見えてこないのだ、この女優の演技からは。

 そこには、歴史上の人物がいるのではなくて、松坂慶子といういつもの女優がいるのみ。

 別な女優はいくらでもいるだろうに。


 まだ、しばらくは見るつもりだが、少し期待が大きすぎたようだ。

 まぁ、それもいつものことだが。
 
 このドラマ、脚色の仕方、俳優の演技、それぞれが軽いのだ。

 題は「まんぷく」だが、とても、腹にはたまらない。
by kogotokoubei | 2018-12-13 12:36 | ドラマや時代劇 | Comments(2)

 NHKの大河「西郷どん」は、西郷と大久保役の俳優がそう悪くないと思い見続けてきたが、そろそろかな、と思っている。

 先週は、沖永良部島から戻った西郷が京に出向く場面だった。

 たしかに、久光は西郷嫌いであるが、あの煙管を噛む場面、多すぎる。

 史実では、あの後、久光は薩摩の京都藩邸の体制改革で西郷を軍賦役に登用している。
 そういったことも、しっかり表現すべきだろう。

 時代考証を担当する人も、史実とは違うことを認めているのだが、それって何か変でしょう。

 SmartFLASHの記事から引用する。
SmartFLASHの該当記事

 明治維新の英雄・西郷隆盛を鈴木亮平(34)が演じるが、「史実との違いを探せばきりがありません」と語るのは、鹿児島・志學館大学の原口泉教授(70)だ。
 『翔ぶが如く』(1990年)、『篤姫』(2008年)などの大河に携わり、『西郷どん』でも時代考証を担当。その原口教授自ら、史実との違いをツッコんでくれた。
 ということで、次のように史実と違う項目(フェイク)をあげている。

【フェイク1】西郷隆盛と主君の出会い
「第1回の放送で藩主・島津斉彬(渡辺謙)がお忍びで薩摩へ帰り、幼少期の西郷隆盛と出会います。しかし、当時斉彬が住む江戸から幕府の許可を得ずに帰るのは、不可能に近い。
 史実ではないので、『天狗』に化けて子供の西郷に会う、というような演出になっています。誤解がないように、番組の最後で、『このとき斉彬が薩摩に来た記録はありません』とナレーションを入れてもらっています」

【フェイク2】西郷は下戸
 主君・斉彬と西郷が飲み明かすシーンもあるが、「西郷は下戸です」。

【フェイク3】西郷家と大久保家の場所
 大河では、西郷家と盟友・大久保利通(瑛太)の家が隣同士という設定だ。
「実際には、150メートルほど離れていました」

【フェイク4】「妙円寺詣り」は夜
 島津義弘の武勇を偲ぶ地元行事、「妙円寺詣り」も描かれている。
「これは本来であれば、夜間におこなわれる行事です。キャストの小学生が夜のロケに出られないので、昼間に撮り終えたと聞いています」

【フェイク5】糸子は幼馴染みではない
 西郷は3人の妻を娶っている。3番めの妻が糸子(黒木華)だ。
「2人が幼馴染みという設定も史実に反します。脚本の中園ミホさんが『2人は子供のときに会わせたい』との希望でしたので、『まあ、いいでしょう』と」

【フェイク6】月照と西郷の関係
 林真理子氏の原作で、話題を呼んだのは僧・月照と西郷の関係だ。主君の斉彬を亡くし、絶望のあまり切腹を図る西郷を、月照が夜具に誘って慰める。尾上菊之助が演じる月照とのシーンは、どう描かれるのか……。
「2人の関係を、林さんは『ボーイズラブ』とおっしゃっていますが、私は月照と西郷は『一心同体』だったと思います。斉彬の君命を受けた西郷と、孝明天皇の勅命を受けた月照は、まさに志をひとつにしていた。男と男、男と女の愛など超えていたのです」

【フェイク7】糸子の奄美大島訪問
 物語の中盤で、妻・糸子が奄美大島に渡り、西郷の2番めの妻・愛加那(二階堂ふみ)とその息子・菊次郎と会う場面がある。
「時代考証の立場からは史実と違うと言いました。ですが、林さんはドラマ上、糸子と愛加那に、女同士で話をさせたかったと。これは歴史小説やドキュメンタリーではなく、新しいジャンルの物語だと思っています。あくまで西郷という人間を描いているのです」

 物語のプロット作りから参加した原口教授は、『西郷どん』で新しい西郷像を描こうと試みた。

 なんと、時代考証家が史実との違いを指摘してはいても、作家の意向で、ありえない出会いを捏造することを許しているということか。

 “新しいジャンルの物語”って、いったい何・・・・・・。

 朝の連続ドラマは、“特定の人物をモチーフとしたフィクション”と、嘘であると宣言している。まぁ、我慢しよう。

 しかし、大河は違うんじゃないの、と思っていたのだが。

 この時代考証家は、こう言っている。

「ぜひ、そういう番組を観ている若い人に観てもらって、新しい国づくりに役立ててほしいですね」

 嘘の歴史を押し付けておいて、何が“新しい国づくり”だろうか?

 そろそろ、このドラマからは撤退かな、と思っている。

 史実との明らかな違いが多いし、西郷隆盛を描くにあたっては不可欠な人物が登場しないなど、納得できないことが多すぎる。

 磯田道史も時代考証に名を連ねているのに、なぜそうなっているのか。
 彼もNHKの番組への出演が多いから、最近は人気タレントとして、了見が変ってきたのかもしれない。

 前半で一番ひっかかったのは、藤田東湖が登場しなかったこと。
 
 西郷にとって、斉彬を別とした恩師を二人あげるなら、橋本左内と、藤田東湖と言われる。

 ちなみに、「翔ぶが如く」では、元新国劇の大山克巳(旧芸名は大山勝巳)が藤田東湖を演じた。

 そして、「西郷どん」で配役でもがっかりしたのは、岩倉具視役。
 鶴瓶では、ちがうんだよねぇ、イメージが。第一に、私は彼を役者とは思っていない。
 ちなみに「翔ぶが如く」では、小林稔侍。

 15日の第二十六回「西郷、京へ」は、岩倉以外にも、いろいろと気になったなぁ。
 慶喜と久光の場面も、ああではないだろうと思う。

 そして、慶喜の側室が、あの女性とは・・・・・・。

 どうしても、女性を中心とするドラマにしようとする無理がある。

 特別番組に「翔ぶが如く」で西郷を演じ、「西郷どん」でナレーションをしている西田敏行が出演していた。鈴木亮平が映像で語っていたが、彼は「翔ぶが如く」の映像を見て、西郷役西田に政治的な長科白が多く、それをしっかり薩摩弁でこなしていたのことに驚いた、というようなことを言っていた。

 ということは、「西郷どん」には、政治的な科白が、ないということか。

 あの時期、登場人物に政治的な話がないはずはないが、それをあまり語らせていない、ということは間違いなかろう。

 妙に、間が多いのも気になる。

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海音寺潮五郎著『西郷隆盛』

 海音寺潮五郎の『西郷隆盛』を、読み返している。

 京に上った西郷と大久保の会話について。

「わしにも茶を下され。酒はあまり好きではなかのに、宴席となると、つい過ごしてしまう」
 と、西郷が言うと、大久保はみずから急須の茶を新たにして、ものなれた手で、淹れてくれた。
「ああ、うまい。もう一ぱい」
 重ねて所望してのんだ。
「京は茶もようごわすが、水がようごわすので、一しお茶がようごわすな」
 と、大久保もまたのんだ。
「菓子もうもうごわすな」
 むしゃむしゃと饅頭を、忽ち二つも食った。大久保は微笑してそれを見ていたが、西郷が三つ目に手を出したところで言う。
「食べながらでようごわす。用談にかかりもす」
「ああ、言うて下され」
 饅頭を食いながら、聞いている。
 大久保は極度に低い声になっている。それは久光のことであった。大久保の言うところによれば、薩摩の癌は久光である、頑迷で、まことにこまる、しかしながら、我々が多年の希望を達成するためには、藩の力を利用することは絶対に必要であるから、久光の機嫌を損なわないようにするしかない、それを考えたから、こうして特別に会うことにした云々・・・・・・。
「なるほど、わしがまたご機嫌を損ずるようなことをしはせんかと思われたわけでごわすな」
 と、西郷は笑った。
 (中 略)
「オマンサアは直情怪行、いつも信じるところを堂々と押して行くお人でごわすが、こんどはそれではいかんのでごわす。こまかな芸当が必要なのでごわす」
 西郷は瞑目して考えこんだ。しかし、これはやらなければならないことだ。この三、四年の間に幕府を倒し、日本の姿勢を立て直さなければ、日本は外国の餌食になってしまうことは確実なのだ。
「よろしい。やりもそ!」
 と、大きくうなずいた。

 
 この会話には、西郷と大久保の個性が、なかなか見事に描かれているように思う。

 「西郷どん」の中では、西郷も大久保も、あまりに表面的な人物としか描かれていないように思う。
 西郷には二枚腰、三枚腰のしぶとさがあることや、大久保は策士として西郷に大きな影響力があったことなど、もっともっと彼らを描くのなら、やり方があると思うなぁ。

 さて、大久保の助言を胸に西郷は久光との対面を終え、久光は在京の幹部を集めて、京都藩邸の組織を改造した。藩主名代は三男の薩摩図書、家老は小松帯刀、軍賦役を西郷が担うことになった。
 西郷の任ぜられた「軍賦役」の「賦」は「くばる」という意味だ。すなわち、軍事司令官の役目である。西郷ははじめて、天下第一の精兵をもって自任する薩摩藩兵の京都における総司令官になったのである。

 西郷に天が活躍する場を与えた京都で、これから内戦が始まる。

 さて、次週、禁門の変までは見ようか・・・・・・。

by kogotokoubei | 2018-07-17 12:54 | ドラマや時代劇 | Comments(6)
 NHKの朝ドラ「わろてんか」は、とても私には笑えないドラマになっている。

 “モチーフ”である吉本せいも夫も、あまりにも実際の彼らとはかけ離れすぎているし、フィクションとしても、このドラマはつまらない。

 主役夫婦を含め、人間の描き方が、なんとも薄っぺらなのだ。
 
 当時の大阪の空気、上方芸能界の息吹きを、感じることができない。
 

 これまで、このドラマの「チェックポイント」という記事を三回と、関連する記事を三回書いた。
2017年9月25日のブログ
2017年9月27日のブログ
2017年9月28日のブログ
2017年10月5日のブログ
2017年10月21日のブログ
2017年10月29日のブログ

 また、初代桂春団治と吉本せい、という題でも三回記事を書いた。
2017年10月6日のブログ
2017年10月8日のブログ
2017年10月10日のブログ

 矢野誠一さんの本、富士正晴の本、そして山崎豊子の本、などを頼りに書いた記事である。
 それらは、当時の上方の大衆芸能界、落語界の姿を少しでも分かりたいという思いで読んだ本である。

 まったくそういった内容の片鱗をも伝わらないドラマが、「わろてんか」である。
 あるいは、脚色の度が過ぎて、史実や人物の実際の姿を歪曲しているとも思え、誤解を与えかねないドラマになっている。

 たとえば、チェックポイントの三回目、9月28日の記事では、吉本吉兵衛(泰三)とせい夫婦の寄席経営にとって重要な支援者であった、浪速反対派の岡田政太郎がどう描かれるかがポイント、と書いた。

 岡田政太郎を“モチーフ”にしているのは、寺ギンという「オチャラケ派」の大夫元だろう。

 その名も、「オチャラケ派」・・・・・・。

 対するのは、「伝統派」とは、なんとも直球の酷いネーミング。

 実際は、伝統のある古典重視の桂派と、元桂派にいた噺家によって組織された、笑いを優先する三友派の二大派閥があって、その二つに岡田の浪花反対派安い木戸銭で対抗しようとしていた。

 寄席を手にした吉本夫婦は、その反対派の岡田と手を組んだのである。

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矢野誠一著『女興行師 吉本せい』(ちくま文庫)

 あらためて、矢野誠一さんの本から、そのへんのところを確認したい。

 吉本吉兵衛とせい夫婦が第二文藝館を手に入れて寄席経営を始めた頃の、大阪の落語界の勢力関係について。

 当時の大阪寄席演藝界は、両立する落語の桂派・三友派に対して、上本町富貴席の太夫元岡田政太郎の浪花反対派が、その勢力を競うというよりのばしつつあるといった状況にあった。
 吉本せいと吉兵衛夫妻の手になる第二文藝館は、この浪花反対派との提携で出発したのだが、このときの顔ぶれを、『大阪百年史』は、
<落語には桂輔六・桂金之助・桂花団治・立花家円好、色物に物真似の友浦庵三尺坊・女講談の青柳華嬢、音曲の久の家登美嬢、剣舞の有村謹吾、曲芸の春本助次(ママ)郎、琵琶の旭花月、怪力の明治金時、新内の鶴賀呂光・若呂光・富士松高蝶・小高、軽口の鶴屋団七・団鶴、義太夫の竹本巴麻吉・巴津昇、女道楽の桐家友吉・福助らであった>
 と記している。
 無論、開場興行にこれらの藝人全員が顔をそろえたというわけではなく、岡田政太郎の浪花反対派との提携によって、これだけの顔ぶれが用意されたという意味であろう。のちに、ひとつ毬の名人といわれ、むしろ東京で活躍した春本助治郎の名を見出したりするものの、一流とはいいかねる顔ぶれである。

 桂派と三友派については、ほぼ六年ほど前に初代春団治のことを書く中でふれた。
2011年10月6日のブログ

 桂派は、初代桂文枝の流れを引き継ぐ一派。

 その初代桂文枝の弟子が二代目文枝襲名を競う中で、文三に敗れた文都(のちの月亭文都)が桂派を抜けて出来たのが、三友派である。

 そういった、上方落語界が脈々と胎動していたダイナミズムなども、あのドラマからはまったく伝わることがない。

 三友派ができて二十年近く後に、吉本せいと吉兵衛夫妻は第二文藝館を手に入れたのだが、当時の桂派と三友派を向こうに回して、まったくの端席であったから、岡田の反対派との提携は、吉本せいと吉兵衛夫婦にとって生き残りを賭けた重要な転機であった。


 そして、時は流れ、隆盛を誇った桂派は次第に人気が陰って三友派に吸収される形となった。
 そして、勢力を伸ばした吉本は、ついに、その三友派を代表する桂春団治を陣営に取り込むことになる。

 だから、単純に「伝統派」と「オチャラケ派」の対立構造ではない。

 その後、岡田の事業も、吉本興行は吸収することになる。

 寺ギンが元僧侶という設定も、なんとも無理があるなぁ。

 岡田政太郎と同じ、風呂屋の倅でもいいじゃないか。

 “モチーフ”のある“フィクション”と謳っているがために、無理に設定を変えているような、そんな気がしてならない。

 たまには、史実通りの設定でも、いいじゃないか。

 そもそも、「オチャラケ派」という名前を聞いた段階で、私は気が抜けた。

 そして、寺ギンと吉本夫婦との取り分をめぐるギスギスした関係が描かれるのを見て、「これじゃだめだ。吉本夫婦も岡田政太郎も浮かばれない」と思った。

 あの当時、桂派と三友派に対抗するには、売れない落語家や若手、そして、たくさんの色物さんで顔付けした、木戸銭の安い寄席で勝負するしかなく、吉本夫婦にとって、岡田の反対派は、重要なパートナーであっても、敵対する間ではない。

 ある特定の人物を“モチーフ”とするフィクションとことわっているが、その“モチーフ”を描く上で、変えてはいけない部分もあると思う。

 生家の場所の脚色(大阪ではなく京都)、家族構成の脚色(後に事業を手伝う弟たちの不在)も、史実と変える必然性をまったく感じないが、寄席経営の最初の一歩に関し、ここまで“オチャラケ”にされたんでは、ついていけない。

 上方芸能にとって重要な人物たち、そしてその歴史まで“オチャラケ”にされている気がして、見ていてストレスがたまるようになった。

 それでは、健康にも良くない^^

 今週は、落語『堪忍袋』を“モチーフ”にした筋書きのようだが、見ている方の堪忍袋も破れる寸前なのである。

 ということで、さよなら、とても笑えない「わろてんか」!


by kogotokoubei | 2017-11-28 21:47 | ドラマや時代劇 | Comments(0)
 雨で、今週もテニスは休み。

 ワールドシリーズの第四戦を見ていた。
 これで、2勝2敗か。
 昨日のダルビッシュは残念だったが、前田は良く投げたなぁ。

 今日の9回のドジャーズの攻撃を見ると、このシリーズは、まったく予想できなくなった。
 ベリンジャーの復活は、大きいなぁ。
 しかし、両チームとも、クローザーに信頼が置けない。
 もし、七戦まで行って、果たしてダルビッシュに登板のチャンスが残っているのか、どうか。
  
 などなども考えながら、NHKの「わろてんか」のこと。

 まだ、なんとか、見続けている。

 嫌なら見なきゃいいのに、の声が聞こえて来るが、どこまで脚色し、「モチーフ」の人物や時代背景を逸脱するか、しばらく見てみようと思っている。

 藤岡てんが、駆け落ちした北村藤吉の実家の米穀商で、ほとんど女中奉公をするという筋書きの中で、機転をきかせる場面があった。

 北村屋では、食事する際に、わざと漬物樽の臭いにおいのするようにして、使用人がたくさん食事をしないよう図って(?)いた。
 それを、主人公てんの機転で解決したことが描かれた。

 この話には「モチーフ」である吉本せいの実体験に、ネタ元がある。

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矢野誠一著『女興行師 吉本せい』(ちくま文庫)
 矢野さんの本から、引用する。

 せいの奉公先は、月一円五十銭の給金をくれたが、船場でも有名なしまつ屋であった。「身体は労働をいとわず、心は正直に」
 という母親の信条が身についていた幼いせいだが、なにごとも節倹だいいちというこの船場の実業家の家風には苦労させられた。
 大勢の奉公先や女中の食が、あまりすすんではいけないと、漬物樽をわざわざ土蔵のわきの雨のかかる場所に出し、食事中に悪臭がただようようにしたという。
 たまりかねたせいが、朋輩の女中たちにはかった。
「明日から、毎日一銭ずつ出しおうて、土生姜買わへん?それ刻んでかけたら、少しは臭みも消えるやろ・・・・・・」
 これが家老の耳にはいり、せいはひどい叱責を受けた。この叱責は、かなりこたえたらしく、後年機嫌のいいときなど親しいひとに何度も語っているのだが、悪臭をはなつ漬物に生姜を刻むことを提案した、幼からざる才覚を自慢している気味もあった。

 ということで、あの逸話は、せいが奉公していた頃のことを、彼女があとで述懐したものが下敷きになっている。

 次に、「わろてんか」で、北村家にいるてんを母親が訪ね、藤吉の母親にしっかりと釘を刺した後、てんに白い喪服を渡す件があったが、あのネタ元は何か、ということ。


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山崎豊子著『花のれん』

 『花のれん』から引用。
 夫吉兵衛が妾の家で亡くなった後、通夜の最中の出来事。

 多加は、するっと小柄な体を四畳半ほどの納戸の中へ辷(すべ)り込ませ、電燈をつけると、引戸の左側の古い箪笥に手をかけた。赤錆びた鋲の引手が、きしみをたて、折り畳まれた絹々しい衣服の間から、樟脳の臭いが眼にしみた。三段目の引出しに手を入れ、一枚、二枚と着物の裾をはね、一番底になった白い衣服を引き摺出した。強い樟脳の臭気が納戸一杯にたち籠め、白い衣服が多加の肩に載った。白い帯がくるくると胴に巻きつけられ、おたいこの垂れをきゅうきゅっと押え込んで、白羽二重の帯〆めを結ぶと、多加は再びふらふらと、もと来た暗い廊下を伝って奥座敷へ引っ返した。
 「あっ、白い喪服を・・・・・・」
 と、最初に声を上げて腰を浮かせたのは、多加の伯母であった。伯母の横で膝を崩さず、硬い姿勢で通夜酒を含んでいた父の孫一も、体を前のめりにして、狼狽した。座敷一杯の坐った弔問客が、一斉に多加を見守った。
 多加は、初めて自分が、白い喪服を着てしまったことに気付いた。それは多加が堀江中通りの米屋から二十一歳で、西船場の河島屋呉服店に嫁いで来る時、ほかの嫁入り荷物をは別に、父が定紋入りの風呂敷に包んで多加に手渡した着物である。真っ白な重みのある綸子(りんず)に、墨色で陰紋をぬいた白い喪服であった。白繻子の帯と帯〆めを重ねて、無骨な父が、口ごもりながら、
「船場の商家で夫に先だたれ、一生二夫に真見えぬ御寮人さんは、白い喪服を着てこころの証をたてるしきたりがある。お前が小学校へ入った年に死んだ母親が、もし将来、船場に嫁ぐような縁があったら、何をおいても白の喪服だけは、持たしてやっておくなはれと、これだけ頼んで死によったもんや」
 と前置きして、手渡ししてくれた白い喪服である。

 矢野さんが前掲の著書で何度か触れているが、晩年の吉本せいは、自分の体験、逸話をやや過剰に脚色しているふしがある。

 だから、せいの思い出話を、そのまま受け取ることは危険な面もあるのだが、奉公時代の漬物の臭い対策、夫の葬式での白い喪服の逸話は、信用できそうだ。

 それにしても、矢野さんが丹念な調査を踏まえた史伝や、山崎豊子の小説とは、設定なども含め、あのドラマの脚色には理解できにくい面が多い。

 落語で言うなら、本来の古典落語の筋から、あまりにも自分なりにいじり過ぎている、そんな印象。

 そもそも夫の実家に、許嫁(いいなずけ)がいた、なんて設定、どこから引っ張り出したのだろうか。

 そして、もっとも不思議なのは、『花のれん』も同様なのだが、せいの弟が登場しないこと。

 吉本という企業の発展に、林正之助や、林勝(弘高)は大いに貢献した。

 彼らが生存中には、ありえない脚色の実話からの逸脱なのである。

 なんと、山崎豊子は、その弟たちが生存中に『花のれん』を書いている・・・・・・。

 あの作家には、モデル(モチーフ)となった人物からの抗議などが少なくないが、それもむべなるかな、か。

 ある人物や事象に光を当てると、周辺の人物や事象がその影になってしまったり、あるいは、存在そのものが“亡き者(物、事)”となることもあるが、それは結構危ういことではないかと、思うのだ。

 
 「わろてんか」、なんだかんだ小言を言いながら、もう少し見てしまうかもしれないなぁ。
 しかし、とても、わらって見ているわけではないのだ。

by kogotokoubei | 2017-10-29 14:38 | ドラマや時代劇 | Comments(0)
 自分で、“怒涛の一週間”と呼んでいる日々が、なんとか無事に終わった。
 
 ということで、久々のブログは、つい、先ほどしばらくぶりに見てしまった「わろてんか」のこと。

 ある人物を「モチーフ」とした「フィクション」とことわっているとはいえ、どうしても「モチーフ」となっている人物と、ドラマの人物との違いに、首を傾げざるを得ない。

 吉本吉兵衛(泰三)を「モチーフ」とする北村藤吉の描き方には、その脚色の逸脱ぶりが、気に障る。

 今日の「わろてんか」では、吉本せいを「モチーフ」とする、藤岡てんを嫁にもらいたいため、藤岡家の家族の前で、芸道の遊びはこれきりやめると宣言し、最後の芸として太神楽の升の傘回しを披露した。

 違うのだよ、吉本吉兵衛が好きで、自分でも演じた芸は。
 そして、その芸の違いは、その人物の個性の違いでもあるのだ。

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矢野誠一著『女興行師 吉本せい』(ちくま文庫)

 たびたび紹介している、矢野誠一さんの『女興行師 吉本せい』から引用する。

 昭和37年に歿した大阪の漫談家花月亭九里丸は、東京に出てくると神田伯山、徳川夢声との三人看板で売れた人だが、芸のほうははなはだしく言語不明瞭であまり面白くなかった。終生、吉本興業の禄をはんだことを誇りにしていて、上方演芸の研究家としても確固たる足跡を残している。その編著『大坂を土台とした寄席楽屋事典』(渡辺力蔵刊)で、吉本吉兵衛のことを、
<だらしない極道者ではない>
 としながら、こう書いている。
<好きな道としてその頃大流行の剣舞を旦那芸として覚えたのが病みつきとなって、その芸を大勢の人達に見せたさに、女賊島津お政本人出演のざんげ芝居の大夫元になって、地方巡業をして、泰三自身が幕間に出て、黒の紋付小倉の袴、白鉢巻に白だすき、長い刀を腰にぶち込んで、詩吟につれて、鞭声粛粛夜渡河、暁見千兵擁大牙で飛んだり跳ねたり。少年団結白虎隊、国歩艱難戍堡塞で女の子に手を叩かせたりしてゐたのはよかったが、興行にはズブの素人の悲しさ、狡猾な地方興行師の悪辣なわなに陥されて散々の大失敗。これがため家業の荒物問屋が二度までも差押えの憂き目を見た>
 ここには、大店の若旦那のひとつのタイプがうかがえる。落語家に、縮緬の座布団を贈ったり、高座着をこしらえてやったりしているうちはよかったが、好きが昂じて自分も舞台にといった旦那衆は、よくある型で、その時分は少なくなかったのである。

 このように、実際の吉本吉兵衛は、あくまで、当時の若旦那の遊びとして、自らは詩吟をバックに剣舞を演じ、趣味が昂じて一座を持って失敗した男だ。

「わろてんか」の藤吉のように、芸人に憧れて、一芸人として旅興行に付いて行ったような人物ではないし、自ら演じた芸は、藤吉の傘回しと吉兵衛の剣舞では、あまりにも違う。

 吉本せいの実家の大阪の米穀商、藤岡てんの実家の京都の薬問屋、吉本吉兵衛の実家の荒物問屋と北村藤吉の実家の米穀商、といった設定の違いは許せるが、重要な登場人物は、「モチーフ」とする人物の個性、持ち味を生かして欲しいものだ。

 そろそろ、あのドラマからは退散の時期が近いが、もう少しだけ我慢(?)するつもりだ。
by kogotokoubei | 2017-10-21 10:32 | ドラマや時代劇 | Comments(0)
 矢野誠一さんの『女興行師 吉本せい』を踏まえ、NHKの「わろてんか」のチェックポイントと題して記事を三つ書いた。

 第二のチェックポイントは、せいのきょうだいは、どう描かれるか、だった。
2017年9月27日のブログ

 見ている方はご存じの通りで、NHKサイトの同ドラマのページでも確認できるように、主人公藤岡せいには、兄一人、妹一人という設定。。
NHKサイトの「わろてんか」のページ

 年齢順に並べると、こうなる。

   藤岡新一
    |
   藤岡てん
    |
   藤岡りん

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矢野誠一著『女興行師 吉本せい』(ちくま文庫)

 あらためて矢野誠一さんの本から、確認の意味で引用。
 せいの父、林豊次郎は文久元年(1861)十二月十日生まれ、母ちよは、元治元年(1864)三月十二日生まれとある。父二十七歳、母二十五歳のときの子になるせいは三女で、せいが生まれたとき、すでに明治十六年(1883)生まれの長男信之助、二十年(1887)生まれの次姉きくがいた。むかしのひとの例にもれず、豊次郎とちよの夫婦には子供が多かった。せいの生まれたあとも、千之助、正之助、勝、治雄という四人の弟と、ふみ、はな、ヨネ、富子のこれまた四人の妹ができている。死亡した長女をふくめ、十二人のきょうだいである。
 この十二人のきょうだいのなかで、明治三十二年(1899)年一月二十三日に生まれた三男の正之助と、明治四十年(1907)二月一日生まれの四男勝のふたりの弟が、後年のせいの仕事に大きな役割を果たすことになる。四男の勝は、昭和十四年に、その名を正式にそれまで通称として用いていた弘高と変更している。

 亡くなった長女も含め、十二人きょうだい。

 弟や妹の正確な順番は分からないので、弟四人、妹四人の順で並べるてみる。

   林信之助
    |
   林きく
    |
   林せい
    |
   林千之助
    |
   林正之助
    |
   林勝(弘高)
    |
   林治雄
    |
   林ふみ
    |
   林はな
    |
   林ヨネ
    |
   林富子   

 家族構成が、藤岡はなと吉本せいでは、あまりにも違う。

 そして、吉本興行というお笑いの一大帝国を築いた吉本せいを“モデル”にするなら、弟の正之助と勝(弘高)を描かないのは、まったくの片手落ち。

 しかし、“モチーフ”にした“フィクション”だから許されるのだろう^^

 今後、幼馴染の武井風太が正之助を“モチーフ”として、てんを支えるようになるのかもしれないが、「わろてんか」のシナリオなどを調べていないので、どうなるかは分からない。
 もし、そうだとしても、身内と幼馴染とでは、まったく意味合いが違う。

 せいの夫吉本吉兵衛が亡くなる少し前から、吉本せいは、頼りになるのは身内だけとばかりに、正之助を、その後に勝を自分の商売に引っ張り込んだ。

 弟だからこそ姉の意を受けて可能だった面があったはずで、幼馴染では、肉親との関係性に大きな違いがある。

 
 第一週を見ているだけでも、ドラマは、“モチーフ”とは、あまりにかけ離れている印象だ。
 生家の大阪と京都の違い、米問屋と薬問屋の違い、きょうだい構成や富裕度を含めた幼少期の家庭環境の違いなど、フィクションであると強調せんがための設定変更の努力と思えて、ハハハ・・・・・・と笑ってしまえる。

 後に夫となる人物との出会いも、吉本せいと吉兵衛とのそれとは、あまりにもかけ離れた“物語(フィクション)”。

 今後登場する、実際には存在しなかったはずのイケ面俳優演じる人物の登場なども含め、もはや、“モチーフ”という言葉すら相応しくないと思われる設定変更。

 すでに、明白だ。「わろてんか」は、吉本せいの物語ではない。

 チェックポイントの一番目や三番目の検証は、まだ先のことになるが、見続けることができるかどうか・・・・・・。

 チェックポイントの四番目には桂春団治のことを想定していたが、その記事を書くかどうか、思案中。

 ドラマが進むにつれて、吉本せいのドラマとして見ている視聴者の誤解は、どんどん拡大しそうで、それこそ、わろてんか、である。

by kogotokoubei | 2017-10-05 12:36 | ドラマや時代劇 | Comments(0)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛