噺の話

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カテゴリ:今週の一冊、あるいは二冊。( 114 )


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春風亭栄枝著『蜀山人狂歌ばなし』
 蜀山人が大好きな落語家春風亭栄枝の『蜀山人狂歌ばなし-江戸のギャグ、パロディーの発信源-』からの二回目。

 平成9(1997)年、三一書房から初版発行。

 この本に、大田直次郎が狂歌名四方赤良や蜀山人を名乗る背景が書かれているので、ご紹介。

 蜀山人、四方赤良ペンネームの由来

 蜀山人というペンネームは、彼が五十代の時、大坂銅座役人として出張中にこの名前を使い出したといわれます。銅の異名を蜀山居士というらしいので、後の世までこの蜀山人がポピュラーな愛称として使われました。しかしそれ以前は、「四方赤良」で、これは日本橋の酒屋で売り出している味噌“四方の赤”から自分の筆名にしたそうです。つまり、いまでいうところの“タイアップ広告”のはしりといえそうです。

 こんな由来があったんだね。

 蜀山人の狂歌をいくつかご紹介。

 来週から師走。すぐに正月だ。
 有名な狂歌がある。
 
 大田直次郎は、駿河台に引越したことがある。

 この駿河台の緇林楼(しりんろう)、つまり南畝の新居には、来客が引きも切らなかったといいます。というのも、南畝は温厚な人柄に加えて、町人とも喜んで交わり、上下のへだてなく長屋の八っつぁん熊さんにまで慕われたためといいます。狂歌をはじめとする文人仲間や、その他大勢がこの新居にやってきます。特に、正月の年始客の多さに閉口したといいます。
 ところで南畝は、自作の狂歌を門口に書いて貼って置きました。
 
  初春は 他人の来るこそ うれしけれ
   とは言うものの お前ではなし

 こんな歌を読まされたら、訪問客だって入っていいかどうか迷ってしまうに違いありません。後年、名随筆家であり、漱石門下内田百閒氏がこの歌を一部変えて、

  初春は 他人の来るこそ うるさけれ
   とは言うものの お前ではなし

 この百閒先生もかなり変人ーいや、奇人的な印象を、私は持っています。
 黒澤明の『まあだだよ』は、内田百閒を主人公とした作品だったが、松村達雄扮する百閒先生が、この歌を玄関に貼っていた映像を思い出す。

 栄枝は、落語家らしく、あの落語中興の人物に関わる話も登場する。

 さて、焉馬が初めて開いたという第一回の落とし噺会に続く第二回は、鹿都部真顔、竹杖為軽、宿屋飯盛らと一緒に南畝=蜀山人も参加したといいます。このように回を重ねるうちに、寛政の改革で禁止令が下って中断してしまいましたが、焉馬にとっては最後になる落とし噺会が、文政三年(1820)、亀井戸の藤屋で開かれました。焉馬にとっては一世一代の華やかなリサイタルであったに違いありません。
 この時、焉馬、七十八歳というから死の二年前のことでした。
 この落とし噺会を大田南畝は、はっきりこう詠んでいます。

  万年の 亀井戸なれば おはなしの
   七十八と 聞くはうそかえ

 七十八歳という高齢にもかかわらず、これほど盛会な落とし噺会を催す焉馬に拍手を送り、七十八歳なんて嘘じゃないかなどと、場所が亀井戸だけに、「うそ替え神事」に引っかけて歌っています。

 なかなか洒落ている。

 しかし、南畝も寛延二年(1749)生まれなので、この時七十一。
 三年後、文政六年に亡くなっている。

 この本からは、落語の本、として、後日あらためて紹介するつもり。

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by kogotokoubei | 2018-11-27 12:36 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(0)
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平岩弓枝著『橋の上の霜』

 春風亭栄枝の本を挟んで、この本から五回目。

 前回は、直次郎、狂歌名四方赤良が、吉原は松葉屋の新造、三穂崎を身請けしようとしていた、ところまでだった。

 この後、直次郎は妻の理世から、高木市太郎の家に、三穂崎と同衾していて亡くなった隠居の幽霊が出るという噂があることを聞く。

 高木市太郎が三穂崎を身請けし、尼にして隠居を弔おうとしているのは、そういうこともあってのことか、と直次郎の気が重くなるのだった。
 

 ある五月雨の日、内藤新宿の平秩東作の家で月末の狂歌会があるので、直次郎は出かけた。
 そこには、あの唐衣橘洲が来ていた。
 隠居を弔うために、三穂崎を身請けし尼にしようとしている旗本高木市太郎の肩を持つ橘洲は、最近の高木家の幽霊ばなしのことを話題にするのだった。

「神楽坂のさる旗本の隠居が、吉原の振袖新造に入れあげて、そいつの腹の上で極楽往生を遂げたそうな」
 菅江と木網が制したが、橘洲はかまわず続けて。
「女に未練が残って、隠居はどうにも行くべきところにたどりつけぬ、幽霊になってまで三保の松、三保の松とわめき散らし、あげくの果は、その女の情夫にたたろうという勢いなそうな」
「およしなされませ、橘洲先生」
 ぴしっと遮ったのは元木網で、
「お若い先生をおからかいなさるのも、よい加減になさいませ。四方先生には奥様もお子もおありのこと、なんで、そのような女子とかかわりをお持ちなさいますものか」
 橘洲が高笑いをした。
「そうともよ、四方どののお内儀は良妻賢母、それに四方どのに優るとも劣らぬ策士じゃでな」
 腹の虫を押さえていた直次郎が、橘洲の言葉に眉を上げた。
「我が家の女房が策士とな」
「はてさて、まことに騙されたか」
 いよいよ面白そうな橘洲が、
「幽霊ばなしを信じたのか」
 がんと横面をひっぱたかれたような気がした。
「戯作者は高木どのの妹、七江どのじゃ。それに、貴公のお内儀が一役、買って、女と貴公が手を切るようにもちかけた。流石、四方どののお内儀、近頃、評判の山東京伝よりも役者が上じゃよ」
 雨の中を直次郎はとび出した。

 ずぶぬれになって帰宅した直次郎は、妻を殴った。

 父の吉左衛門が息子を奥へやって、母が着がえの世話を焼いているところへ、駕籠で浜辺黒人がかけつけて来た。
 直次郎は会わなかったが、吉左衛門に今日の顛末を語って戻って行ったらしい。
 やがて、直次郎の書斎へ吉左衛門が利世と里世を伴って入って来た。
「浜辺黒人どのから話はきいた。実は、わたしも知っていたのだ」
 思いがけない父の言葉に、直次郎は再び、かっとなった。
「こんなことになるのではないかと、女どもをとめたのだが、それ以外に、そなたを三穂崎という女から遠ざける法はあるまいといわれてな。止むなく、知らぬふりをして居ったのだ」
 直次郎が打ちのめされたのは、妻も両親も三穂崎の名を知っていたことである。

 直次郎の心中、いかばかりか。
 
 おろおろと母が泣いた。
「今度のことは、高木様からきいて来たのは里世さんだが、そうするように勧めたのは、この私なのですよ。母がこうしてあやまります。許してたもれ」
 父の吉左衛門も息子をなだめた。
「女子の無分別とは思うが、里世の気持ちも察してやれ、女子は夫だけが頼りなのだ。お前に女が出来たと知って、どのように苦しんだか・・・・・・」
 なにをいわれても、直次郎の怒りは鎮まらなかった。
「ともかくも、手前は三穂崎を身請けいたします。こうなっては、あとにはひけません」

 直次郎の揺れる思いに、この幽霊騒動が背中を押した、ということか。
 
 翌朝、直次郎は松葉屋を訪ねた。
 そこには、偶然にも高木市太郎の妹、この度の幽霊騒動の仕掛け人と言える七江も来ていた。三穂崎の妊娠の噂を聞きつけて確認に来たのだった。
 追って、大文字屋の主人、加保茶元成や蔦屋重三郎も集る。
 
 七江に直次郎は、三穂崎の子は必ずしも直次郎の子とは言えないが、それでも身請けするかと聞かれた。直次郎、「幽霊ばなしに騙されて、惚れた女を断念したとあっては、手前の男が立ちません。この上は刀にかけても三穂崎は手前の手活けの花とします」と、七江に向かって言い放つ。
 七江も高木家で身請けすることを、諦めざるを得なかった。

 身請けの金大半は、作品の前金ということで蔦屋重三郎が出してくれることになった。
 三穂崎は、引き続き加保茶元成の別荘、逍遥亭に留まることとなり、直次郎は、三穂崎を身請けすることができた。

 しかし、この身請けが、先々直次郎の身に大きな不幸を呼び込むことになる。

 直次郎は、三穂崎のいる逍遥亭に入り浸りとなり、自宅にはほとんど帰らなくなった。
 妻の里世は、精神状態に狂いが生じ、とうとう、近くの神社の楠の大木に丑の刻まいりをすると願いが叶うという噂を聞き、毎夜、藁人形に釘を打ち付けるという行動に出た。
 平秩東作がその姿を確認し直次郎に告げる。
 直次郎が深夜その里世の姿を認め、家に連れ帰り、深く里世に謝り、ようやく自宅に戻るのだった。

 しかし、そうなると、三穂崎が、直次郎を憎むのも必然。
 その心労もあったのだろう、三穂崎は流産。

 直次郎の弟、金次郎の進言もあり、家を増築し、三穂崎を引越しさせた。

 妻妾同居は、当時はそれほど珍しいこととは言えないが、それは、大店で、妻もよく知る女中などが妾となって同居し、仕事も助け合うなどの場合はともかく、貧乏侍の家に吉原の元新造が同居するのであるから、決して平穏な同居とは言えない。

 自業自得とは言え、直次郎は不安を抱えながらの生活を送ることになる。

 そして、世は将軍家治から家斉の時代に。
 田沼意次は失脚し、倹約と文武が奨励される、住みにくい時代が到来した。

 そんな時、ある落首が、江戸のみならz、上方にまで流行った。

   世の中にかほど(蚊ほど)うるさきものはなし
         ぶんぶぶんぶというて身を責めるなり

   まがりても杓子は物をすくうなり
         すぐなようでも潰すすりこぎ

   孫の手のかゆい所へとどきすぎ
         足のうらまでかきさがすなり

 中でも、最初の落首は、女こどもも口にするほどになった。

 そして、この落首が、直次郎、四方赤良の作という噂が広まったのだった。

 狂歌と落首はまったく違うものとして、落首は作ったことのない直次郎。
 訊ねられる都度、否定はするが、噂とは怖ろしいもの。

 ついに、上司から呼び出しがあった。

 さあ、その後、直次郎はどうなったのか・・・・・・。

 それは、ぜひ、本書を読んでご確認のほどを。
 

 大田直次郎、号は南畝、狂歌名の四方赤良、後の蜀山人。

 後世に残る数々の狂歌や戯作で有名なこの人物、決して順風満帆な人生を歩んだとは言えない。

 話半ばながら、このシリーズこれにて、お開き。


 さて、本日は日曜だが、恒例のテニスは都合の悪い人が多いため人数が揃わず休みとなった。
 そうなれば、落語だ。

 末広亭の昼夜居続けに、これから出向く予定。

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by kogotokoubei | 2018-11-25 09:36 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(0)

 平岩弓枝著『橋の上の霜』の記事を続けているが、少し、ここで仲入りとしたい。

 内容も、やや深刻なムードが漂っているので、気分を変えよう。

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春風亭栄枝著『蜀山人狂歌ばなし』
 狂歌、なかでも蜀山人が大好きな落語家の春風亭栄枝は、『蜀山人狂歌ばなし-江戸のギャグパロディーの発信源-』という楽しい本を書いている。

 平成9(1997)年、三一書房から初版発行。

 『橋の上の霜』は、大田直次郎という人物の物語が中心で、狂歌などの作品はそう多くは紹介されていない。
 
 ということもあって、栄枝の本から、蜀山人の狂歌を紹介したくなったのだ。
 併せて、栄枝の楽しい文章もね。

 『橋の上の霜』の記事は、大田直次郎が、吉原は松葉屋の新造、三穂崎を身請けするかどうか、という話に進んでいる。

 さて、そのあたりの頃を含め、栄枝の本から、引用。
 平岩さんと妻や新造の名前の字が微妙に違うが、それぞれ原文のままである。
 どちらが正しいかは、勉強不足で不明。ご容赦を。

 さて、天明六年(1786)というと、あの狂歌ブームで南畝得意の絶頂期でした。
 そんな時、南畝は吉原の遊郭・松葉屋の三保崎という遊女を身請けしています。身請けとは、廓内での借金すべてを代わりに払ってあげ、廓から出してやることです。
 つまり、今でいえば大型の「援助交際」ってとこでしょうか・・・・・・。
 (中 略)
 しかし当時、南畝が遊女・三保崎を身請けしたというビッグニュースは、時の三流スキャンダル誌に絶好なネタとて大いに書きまくられたかも知れませんね。
「大田南畝が援助交際!」
「独占スクープ 南畝に愛人発覚!」
「愛人が綴る南畝との愛欲の日々 本誌に独占手記!」
 などなど大きな活字が躍って、江戸の市中を賑わせたかも知れません。
 しかし一方、妻のお里与さんにとっては、この上ない苦悩の時期だったといえます。

  世の中は 酒と女が 敵なり
   どうか敵に めぐり会いたい

 と南畝自身も歌に詠んでいますが、世の中の男どもすべてが、「そう、そう、その通りだ。うまいこというもんだ」なんていっていること間違いありません・・・・・・。
 この歌はなんの説明も必要とせず、落語のマクラに大いに使わせてもらっています。

 やっと、狂歌が登場し、落語との関係性も出た。

 なかなか、敵にはめぐり会えないのが、私の今日この頃^^

 ということで、太田直次郎、蜀山人については、こちらの本からも、今後紹介するつもり。

 志ん朝と同じ昭和13年生まれの栄枝は、最初の師匠が私が大好きな八代目柳枝。
 百枝の師匠としての方が知られているかもしれない。
 この本、実に楽しいのですよ。

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by kogotokoubei | 2018-11-22 12:27 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(0)
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平岩弓枝著『橋の上の霜』

 この本から四回目。

 ざっと、あらすじを振り返る。
・大田直次郎、狂歌名は四方赤良、後の蜀山人は、吉原は松葉屋の新造(花魁の一歩手前)の三穂崎に入れあげていた。
・その三穂崎の客が、なんと松葉屋で三穂崎と同衾中に亡くなった。
・三穂崎は気の病になり、直次郎の狂歌の弟子である大文字屋主人、加保茶元成の別荘で静養することになった。
・亡くなった客は、直次郎の家の近くに住む、旗本の高木市太郎の父だった。その市太郎が、三穂崎を身請けし、尼にして父の菩提を弔わせたいと松葉屋に申し出たとのことで、直次郎の心中は穏やかではない。
・狂歌仲間の唐衣橘洲とはある事情から疎遠だったが、久しぶりに狂歌会に橘洲が顔を出した。
・その橘洲に呼ばれて小料理屋へ行くと、そこには、高木市太郎が居た。

 ということで、さて、その小料理屋での会話から再開。

「高木様、大田直次郎にございます」
 橘洲がいい、直次郎は頭を下げた。相手は旗本である。
「大田直次郎とやら、頭を上げてくれ、今日は私用だ」
 若い声であった。直次郎とほぼ同年齢の筈なのに、二十代の若者のような張りがある。
 容貌も若かった。
 鼻筋が通って、鼻梁が高い。切れ長のいい眼をしていた。唇はやや薄いが、形は悪くない。濃い眉は如何にも意志が強そうだが、容貌の総体から受ける感じはむしろ、優しかった。
 体つきといい、堂々たる偉大丈夫である。
 横にひかえている橘洲の小柄なのが、一層、貧弱にみえる。
 意識して、直次郎は上体をそらし、胸を張った。そうでもしないと位負けしそうな相手である。
「さて、なにから申そうか」
 視線が合うと、高木市太郎は女のように微笑んだ。直次郎は慄然とした。高木市太郎の笑顔の中に、なにか異様な妖しさを感じたためである。
「その方は吉原、大文字屋主人と昵懇ときいたが、左様か」
 直次郎が黙っていると、橘洲が代りに答えた。
「大文字屋主人は加保茶元成と申しまして、この者の狂歌の弟子でございます」
 直次郎は、狂歌ときいた時、美男の旗本が鼻の先で笑ってうなずいたのを、素早くみて取った。
 これは屈辱であった。
 狂歌師、四方赤良としての直次郎の盛名を相手は軽蔑している。
「然らば、その方より大文字屋主人に申しきかせい。三穂崎と申す女は松葉屋の抱えである。何故に、他の妓楼の女を手前の寮へかくまって返さぬのか。不埒ではないか」

 この時の直次郎の心中は、もちろん穏やかではない。
 若々しい旗本の市太郎に、狂歌師であることを、蔑まれていることで、ハラワタが煮えくり返るようだったに違いない。

 やむなく、直次郎は頭を上げた。
「高木様には、なんの故に、左様なことを仰せられますのか、手前にはわかりかねますが」
 市太郎がふたたび笑った。今度の笑いには、残忍な気配がある。
「知らぬか」
「存じません」
「さらば申そう。あの女は我が父・寛斎が目をかけつかわした者、さだめて恩を感じて居ろう。我が父、歿きあとは、苦界より救い出し、仏の道に入らせようと思う」
「当人が、それをのぞんで居りましょうか」
「なに・・・・・・」
「憚りながら、それは、あまりにも世間知らず、身勝手なお考えかと存じます」
 旗本を相手に、なにをいい出すのかと、直次郎は自分自身にあきれていた。が、舌のほうはもう止まらなくなっている。
「廓は来る客は、侍、町人の別なく、定めの金を払って登楼いたします。妓楼の女にとって、客は商売。商売に色も恋もなく、恩の義理のと申すのは筋違いでございます。ただし、高木様のお父上が、三穂崎の間夫であったとおっしゃるなら、話は別でございますが」
 高木市太郎が凄いような眼で直次郎をみつめたが、直次郎は臆さなかった。
「売り物、買い物の客と遊女の仲で、客の一人が死んだからとて、一々、遊女が出家していては、吉原は坊主だらけになりましょう。それこそ、吉原田圃を尼寺だらけにしたところで追いつきは致しますまい」
 橘洲が手を上げて直次郎を制した。

 直次郎も侍とはいえ、70石五人扶持、役人の“はしくれ”に過ぎない。
 相手は、旗本。
 なんとも、凄いことを言ってのけたものだ。

 しかし、最後の“吉原田圃を尼寺だらけにしたところで”の啖呵、いいねぇ。

 直次郎の言葉を制した橘洲が、「売り物、買い物の女ならば、金を払って身請けして、尼にしようと、殺そうと高木様の御勝手であろう」などと言うものだから、直次郎は、仙台公と高尾太夫の逸話を引き合いに出し、「無理無態に廓の女の髪を切ったの、殺したのと、もし世上に知れたらなんとなさるか」と高木に迫った。

 流石に高木市太郎が顔色を変えた。
 しかし、やがて口を出た彼の声には、もう動揺はなかった。
「成程、その方の申すこと、一々、もっともと聞いておこう」
 帰るぞ、と唐衣橘洲に声をかけて立ち上がってから、直次郎をふりむいた。
「大事なことを忘れて居った。先だっての葬儀にはそこもとの御妻女どのも手伝いに参られたそうだが、まことか」
 直次郎は軽く会釈をした。忌々しいが事実だから仕方がない。
「妹の話では、その折、口さがない女どもが三穂崎と申す女の噂などいたし、又、三穂崎に大層、執心の者が御徒屋敷の中に居るとやら姦しくいいたてていたそうな。おそらくはそこもとの耳にも達していような」
 直次郎は体中が火の海になった。
 高木市太郎の笑い声が廊下のむこうへ遠ざかり、唐衣橘洲がそのあとを追って行くのを茫然とみつめた。

 このあと、四谷の小料理屋を出た直次郎は、気がつくと、三穂崎(おしづ)が静養する大文字屋の別荘(寮)に来ていた。
 
 そして、おしづに言うのだった。

「高木市太郎になぞ、お前を渡さぬ。俺が身請けをするが、それでよいか」
 おしづは口を半びらきにしたまま、直次郎をみつめた。自分の耳疑っているかのようである。
「おしづ、お前は俺に身請けされるのがいやか。どうなのだ」
 女の反応のなさがじれったくて、直次郎は細い肩をつかんで、乱暴にひきよせた。
 おしづの手が、直次郎の胸に触れた。指先に力をこめて、男の体をまさぐってくる。
 不意に女体が指の先から蛇に化したようであった。直次郎は逃げられなくなった。

 あらあら、高木市太郎への敵愾心から、ついに、直次郎は言っちゃった。

 しかし、この後、すんなりと事は進まないのであった。

 今回はこれにて、お開き。

 これまで紹介した内容は、第一章「恋よ恋」と第二章「七人の敵」。
 全体で480頁の、まだ70頁が済んだばかり。

 次の章は「山王祭」になるが、これからは要約をしながら、少し先を急ぐつもり。
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by kogotokoubei | 2018-11-21 12:27 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(0)
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平岩弓枝著『橋の上の霜』

 この本から三回目。

 松葉屋の三穂崎の客が倒れて医者が呼ばれた、というのが前回最後のお話。

 その客はそのまま亡くなった。

 直次郎は、勤めからの帰り道で同僚の岡島金五郎から、その客が、牛込の自宅からそう遠くない旗本の高木市太郎の父親であったことを知る。

 毎日その大きな家の前を通っている、その家の隠居だったのだ。

 三穂崎、本名おしづは、その出来事から気の病になり、大文字屋の主人、加保茶元成の別宅で療養していた。

 その元成から、直次郎は意外なことを聞くのだった。
 それは、洲崎の料理屋升屋で接待を受け、飲みすぎて一眠りした後のこと。

 主人は心得ていて、客をかえし、直次郎が眼がさめる頃を見はからって、酔いざめの水を持って屋敷へ来た。
「もし、お目ざめになられましたか」
 掛け布団を押しのけて、起き上った直次郎に、
「実は、あちらのお座敷に大文字屋の御主人がみえられて居りますが・・・・・・」
「一人か」
「おつれさまがございましたが、皆様、もうお帰りで、大文字屋さんだけが、先生のことを耳にされて、酔いがさめられるのをお待ちになって居ります」
「それは、すまなかった」
 襟をかいつくろっている中(うち)に、女中が大文字屋主人の加保茶元成を呼んで来た。
「お目ざめでございましたか」
 なにか、よい狂歌はお出来になりましたかと訊かれて、直次郎は破顔した。
「久しぶりに、旨い酒を飲んで大酔したばかり、なんの風雅も湧いて来ないな」
 少し、酒が欲しいと宗助に命じたのは、大文字屋主人と二人だけで話がしたかったからであって。
 で、宗助が去ると、すぐに低声(こごえ)でいった。
「先だっての、三穂崎の客は、高木と申す旗本の隠居ではなかったのか」
「やはり、お耳に入りましたか」
 元成のほうも、その話だったらしい。
「屋敷が近くなのだ。なんの因果か、家内が頼まれて、葬式の手伝いに行った」
 流石に、元成は眼を丸くした。
「そのようなことがございましたか」

 直次郎は、蔦屋からの依頼の作品が書き上がらないので、おしづとは暫く会っていないので、大文字屋に様子を聞くのだが、まだ気が高ぶって落ち着かないとのこと。
 そして、大文字屋から驚く話を聞くのだった。

「先生は御存知でございましょうか。高木様とおっしゃる旗本の御当主様のことでございますが・・・・・・」
 高木市太郎であった。
「顔は知らないが・・・・・・」
 近所に住んでも、身分が違った。
「かように申しましては、なんでございますが、なくなったお方が廓へ通って居られたこと、ひどく、お怒りとか聞いて居ります」
 直次郎は夜の海を眺めた。
「まあ、快くは思わぬだろう」
 隠居の父親がとんでもない場所で死んだばっかりに、随分、世間体の悪い思いをしているに違いなかった。
「金も使ったらしいし、公けにはならなかったが、噂はけっこう広まっている」
「それが、松葉屋へ使をよこしなさいまして三穂崎さんを落籍(ひか)したいといってみえたそうでございます」
 直次郎にとっては、青天の霹靂であった。
「なんで、息子が身請けをするのだ」
 ひょっとして、三穂崎に一目惚れをしたのかと思ったが、事実は、それどころではなかった。
「松葉屋の主人が手前に申しますには、高木様では三穂崎さんを身請けして、尼にして、御隠居様の菩提をとむらわせようとおっしゃるので・・・・・・」
 加保茶元成が顔をしかめ、直次郎はあっけにとられたまま、視線を宙に浮かせた。

 これには、直次郎が驚くのも当然。
 自分が間夫と信じて疑わない三穂崎を訪ねた客がその場で亡くなったことも心中穏やかではないのに、その子供である当主の高木市太郎が、三穂崎を身請けし、尼にして亡くなった父の弔いをさせようというのだから。


 さて、ここで、いわゆる狂歌三大人を確認。

 もちろん、直次郎の四方赤良、そして、すでに登場している朱楽菅江。
 そして、もう一人とは。

 月に数度は狂歌の会がある。
 その月の末の向島での狂歌会には、久しぶりの顔がみえた。
 唐衣橘洲(からころもきっしゅう)という狂歌名をもつ人物で、小身ながら田安家の侍であった。
 本名は小島源之助といい、狂歌では直次郎よりも、むしり先輩格であった。四谷にある彼の屋敷では、しばしば狂歌の会が催され、門弟も多い。
 実をいうと、直次郎とは古くからの友人であった。唐衣橘洲、朱楽菅江に直次郎を加え、狂歌三大人と呼ばれた時期もある。それが数年前から、いささいあ疎遠になっていた。
 きっかけは二つの狂歌集の出版をめぐってであった。
 今から四年前の天明二年に、唐衣橘洲が中心となって『狂歌若葉集』を編纂するにあたって、何故か橘洲が直次郎と朱楽菅公の狂歌を一首も加えなかったものである。
 その理由については、直次郎や朱楽菅江と親しい友人の間で、
「橘洲は自分が狂歌の先輩にもかかわらず、狂歌師としての名声は四方赤良、朱楽菅江に上を越されてしまったので、それをねたんで、若葉集から二人の狂歌を除いたのだ」
 と、もっぱら噂をされた。

 その『狂歌若葉集』と時期を同じくして、 直次郎と菅江の二人で狂歌集『万載(まんざい)狂歌集』を編纂し、これが大当たりで続編も発行された。
 かたや若葉集は、続編の予告をしていたにもかかわらず、それが発行されることはなかった。
 『万載狂歌集』によって、四方赤良の名声はさらに上った。
 それから疎遠になった二人だったが、久しぶりに狂歌会に顔を出した橘洲から、数日して、使が来て、四谷の小料理屋で会いたいとの報せ。

 旧交を温めようということか、と思った直次郎がその小料理屋を訪ねたのだが。

 待ちくたびれた頃に、廊下に足音がして、まず橘洲が座敷へ入って来た。続いて、もう一人、侍であった。
 お納戸色の紋付の着流しで、帯にはさんでいる印籠は玉兎の蒔絵の見事なものだし、手に下げている刀の造りも贅沢であった。
 先に来た直次郎が遠慮して下座にいるのに、なんの会釈もなく、床の間を背にして座布団に端座した。着流しのくせに、おっとりと品がいい。
「お引き合わせ申そう、こちらは高木市太郎様だ」
 橘洲の口調に居丈高なものがあるのに、直次郎は気づいた。
 しかし、それよりも今、自分の前にいる相手が高木市太郎と知った驚きのほうが遥かに大きかった。

 なんと、数年前から疎遠だった唐衣橘洲が、三穂崎を身請けして尼にしようとしている、旗本の高木市太郎を連れて来るとは・・・・・・。

 この後、三人はどんな会話を交わすことになるだろうか。

 それは、次回のお楽しみということで、今回はこれにてお開き。惜しい切れ場だ。

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by kogotokoubei | 2018-11-19 19:54 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(0)
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平岩弓枝著『橋の上の霜』

 この本から二回目。

 直次郎は狂歌会の後、松葉屋に三穂崎を訪ねてから二日ほどおいて、内藤新宿に、平秩東作(へずつとうさく)を訪ねた。

 もともと、甲州中馬宿渡世をしていた稲毛屋の主人だが、父親の死後、煙草屋に転業し今は手広く商いをしている。直次郎とは、内山賀邸の同門であり、狂歌仲間でもあった。平秩東作は狂歌名で、本名は金右衛門という。直次郎よりも二十三歳も年上であり、大変な子福者で、今は商売を子供達にまかせて、伊豆の天城山で炭を焼かせて、江戸へ運んで商売をしたり、誘う人があると蝦夷地へまで旅に出たり、好き勝手な隠居暮しをしている。

 この平秩東作は、平賀源内との親交があった人としても知られている。源内が獄死した後に遺体の引き取り手がなかったのだが、危険を犯す覚悟の上で東作が引き取った、とされている。

 その年上の友人の東作を、直次郎は、松葉屋で会った老人のことを語った。

「左様、その仁が三穂崎さんの客ということは、あり得ないことではございませんな」
 大体、新造を買う客は、老人が多いのだと東作はいう。
「年をとってくると、孫ほどの年の女がよくなると申しましてな。振袖に前帯という新造の出立(いでたち)もさることながら、十七、八の若い娘に色気を出すのが多うございます」
 吉原あたりでも、成熟した華魁は老人には重荷で、むしろ、青くさい新造のほうが具合がいいというむきがある、と笑っている東作も六十歳を過ぎている。六年前に妻をなくして、目下、独りであった。
「手前が知っている話でも、いい年をした隠居が、孫娘のような新造に夢中になって大枚の金を散財したというのがございますよ」
 持部屋のない新造に、部屋を持たせ、見習女郎から一人前の姉女郎に昇格させてやるには、かなりな金が要る。

 その昔のお金持ちの高齢者の遊びとは、そんなものだったのか。
 たしかに、若い子が近くにいるだけで、こちらも若返るということはあるなぁ。
 私も還暦を過ぎていて、なんとなく、そういった傾向は分からないでもない。しかし、とても、悠々自適ともいえないし、遊ぶ余裕も、気持ちもない(ということにしておこう^^)

 この後、直次郎は東作から、あまり三穂崎にのめり込むことのないように、という序言をもらい新宿を後に牛込の家に帰った。
 家には、蔦屋重三郎からの便が届いていた。

「至急、お願いしたいことがございまして、是非、四方先生にお出で頂きたいとの主人の口上でございます」
 蔦屋は、吉原大門口にある書肆だった。主人の重三郎は蔦の唐丸の狂歌名を持つ、直次郎の弟子でもある。

 直次郎にとって、蔦屋は重要な商売仲間でもあった。

 好都合とも思い、蔦屋へ向かった直次郎だが、蔦屋は大文字屋に出かけていて留守。
 しばらく待っていると、蔦屋の番頭と一緒に大文字屋の主人、加保茶元成が一緒にやって来た。

「まずいところへお出でになりました」
 いいにくそうに、
「三穂崎さんのお客が、急に具合が悪くなったようでございまして・・・・・・」
 今、医者が松葉屋へ入ったという。
 大袈裟なことだと、直次郎は思った。
 酔って気分が悪くなったのなら、「袖の梅」という万能薬でも飲ませておけばよい。
 それにしても、三穂崎にもう先客が登楼しているというのが不快だった。
 その客がはやばやと帰れがよいが、具合が悪いから泊るとでもいい出したひには、なんのために吉原まで来たのかわからない。
 蔦屋重三郎も帰って来たが、どうも、仕事の話という雰囲気でもなかった。
「とのかくも、先生、お口汚しに・・・・・・」
 奥の部屋で酒の用意がされ、ちょっとした肴も並んだが、直次郎にしてみれば、到底、腰をすえて飲むどころではない。
「三穂崎の客というのは、何者なのだ」
 厚顔なのを承知で訊くと、
「それが、商家の御隠居とばかり思って居りましたところ、お侍だったそうで・・・・・・」
 というところをみると、馴染客である。直次郎はいよいよ、腹が立って来た。
「隠居というからには、老人か」
「はい、七十をすぎたとみえるお方で、なんでも御旗本とか」
 旗本の隠居ときいて、直次郎は消沈した。
 こっちは御目見以下の七十俵五人扶である。
 (中 略)
「病気はなんなのだ、持病でも出たのか」
 年甲斐もなく、若い女にうつつをぬかすから、そんなことになるのだと、直次郎はいささか痛快であった。
「それが、松葉屋のほうでは、ただ、具合が悪くなったというばかりで、要領を得ませんので・・・・・」
 ありようは、蔦屋重三郎が新しい著作のことで、直次郎に依頼をしたいというので、それなら三穂崎に知らせておかなくては、と松葉屋へ使をやったところ、すでに、客が来ているという。
「なんとも不手際なことで、どうにかならないかと、主人のほうへかけ会って居ります中に、お客が病気と知れましたので・・・・・・」
 加保茶元成は恐縮しているが、その様子はどこか不安そうであった。

 三穂崎の客は旗本の隠居だった。
 その客が倒れた。
 そして、大文字屋の主人、加保茶元成からうかがえる不安とは・・・・・・。

 今回は、ここまで。
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by kogotokoubei | 2018-11-18 16:27 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(0)
 ここ最近は、以前読んだ本をあらためて読むシリーズ(?)が続いている。

 忘れていることが、どれほど多いことか。

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平岩弓枝著『橋の上の霜』

 いつかこの本のことを書こうと思っていたので、そのためにも再読したのが、平岩弓枝の『橋の上の霜』。初版が昭和59年なので、昭和7年生まれの著者は、五十歳代の作品。

 平岩弓枝は、昭和34(1959)年、二十代にして『鏨師』で直木賞を受賞。
 ベストセラーとなった『御宿かわせみ』は、昭和49(1974)年に発表なので、その十年後の作品ということ。
 テレビドラマ『ありがとう』や『肝っ玉かあさん』、『女と味噌汁』シリーズを書きながらの多忙な時期の作品だ。それほど、書きたかったのが、この大田直次郎、別の名を狂歌師の四方赤良、その後の蜀山人の小説だったのだろう。

 川柳や狂歌は、落語のマクラにもよく登場する。

 狂歌といえば、蜀山人。本名、大田直次郎。号は南畝。
 
 大田直次郎は、田沼時代にどっぷりと漬かった人生を送った人だ。その恩恵もあったし、その反動も受けている人だ。

 決して、平穏な人生とは言えなかったことを、この本で知った。

 まず、どんな家柄だったのか。

 御目見以下の小身だが、御徒頭内藤惣右衛門の組下で七十俵五人扶持を頂く役人のはしくれである。

 物語は直次郎が三十八歳の時から始まる。
 すでに、直次郎は別の名を持っていた。

 七十俵五人扶持の生活は貧しかったが、ここ数年、大田家には余分の収入があった。
 直次郎が余技として書いた狂詩や黄表紙、洒落本が当って、かなりのみいりがあったところへ、狂歌が流行して、狂歌師、四方赤良としての彼の盛名が大いに上った。
 御家人としての大田直次郎を知らない者も、人気作家で狂歌の三大人の一人、四方赤良の名は女子供にも鳴りひびいている。

 狂歌師としての収入が増えたこと、そして、仲間の狂歌師や弟子である吉原の茶屋の主人たちとの交友も増えたことで、直次郎の生活が大きく変わった。
 吉原の松葉家の新造、三穂崎、本名おしづに通い続けて朝帰りが多くなった。
 当然、女房里世には狂歌仲間との寄り合いである、などど嘘をついているが、里世はうすうす気づいており、機嫌が悪く、つい二人の子供にあたったりしている。
 庭いじりをしていた父、吉佐衛門が庭に来た直次郎に、語りかける。

「近頃、だいぶ、夜が遅いな」
 直次郎は苦笑した。
 老人は早寝だが、目ざとくて、夜明け近くに帰ってくる息子の気配を知っている。
「相変らず、狂歌は盛んなようだが・・・・・・」
「狂歌会が多くて駒って居ります。手前は、狂歌と申すものは、いわば、その時、その場の思いつきで、わざわざ、一つ所に集って、ものものしゅう作るものではないと心得て居りますが、世間はそうも行かぬようで・・・・・・」
「つきあいはよい、遊びもよかろうが、あまり度を越すな」
 父親は男盛りの息子を眺めた。
 母親似で、なかなかの男ぶりでもある。背は親よりも高く、幼少から詩文に才能をみせただけあって、風格がある。物腰は柔かく、少々、きざなところも、今は魅力であった。
「先だって、山崎どのに出会うたが、其方は女子(おなご)にもてると申されて居ったぞ」
 直次郎は赤くなった。
「郷助の奴、ろくなことをお耳に入れませんな」
 同じ牛込に住む直次郎の友人であった。御先手与力で山崎郷助という侍だが、彼も亦、朱楽菅江(あけらかんこう)という狂歌名のほうが、世間の通りがいい。
「手前が新吉原へ参るのは、あそこの妓楼の主人たちが狂歌を好み、吉原連と申す仲間を作って居ります。それで、手前も招かれて参りますが、ただ、それだけのつきあいで・・・・・・」
 吉原の大文字屋の主人、村田市兵衛が加保茶元就(かぼちゃのもとなり)の狂歌名を持ち、同じく、扇屋、五明楼の主人、鈴木宇右衛門が棟上高見(むねあげのたかみ)と称し、いずれも、直次郎の門弟を気どっている。
「それはそれでよい」
 老父は照れくそうであった。四十に近い息子に今更、遊びの意見をする心算(つもり)はなさそうである。
「男が外でなにをするもよかろう。が、嫁女は家に居って、さぞ、気が揉めよう。外に気をとられて、内の花を忘れるな。庭の花とて水をやらねば枯れようが・・・・・・時には水をやれ。さすれば、孫を泣かすこともあるまいが」
 息子の顔をみずに、裏口へ去った。
 親父殿も鹿爪らしい顔をして粋なことを仰有(おっしゃ)ると、直次郎は可笑しくなった。

 狂歌仲間や弟子たちの名も登場した。

 この日、直次郎は、狂歌会に出向いた後、皆が村田市兵衛の大文字屋での宴会に行く中、一人松葉屋で待つ三穂崎に会いに行くのだった。

 帰りがけ、直次郎はある高齢な男とすれ違う。
 直次郎は、胸騒ぎがした。
 その男とは・・・・・・。それは次回のお楽しみ。

 さて、大田直次郎、別の名は四方赤良、どんな人生を送ることになるのか。

 初回は、これにてお開き。


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by kogotokoubei | 2018-11-17 14:36 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(0)

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 殿山泰司さんの『三文役者の無責任放言録』から、最終の三回目。

 殿山さんと川島雄三との密接な関係を示す部分から引用。
 なお、この文章は、以前にも紹介したように、『漫画読本』に連載されたもので、1963年7月の内容。6月11日に川島が亡くなって間もない時期の文章。

 -10年前の3年間ほど、毎年正月元旦から3日間、川島旦那はオレの家に居た。何処の酒場も開いてないからである。4日目になるとコツ然と姿を消して行方不明になった。東京無宿になるためである。オレが今でも時々東京無宿となるのは旦那の大きなエイキョウである。アリガトウでした。川島旦那が酔い痴(し)れて寝てしまうと、オレの側近のオンナは旦那を抱えてフトンへ運ぶのであった。《川島先生て意外と軽いのね》、オレはオンナの頬をピシッと叩いた。側近のオンナが言うべきことでない言葉を言ったからである。オレは聞きたくない言葉を聞いたからである。ああどうしてこう泣けるのだ。男は泣き虫じゃ。本当を言えばオレは追憶をケイベツする。しかし出てくる涙を誰が止められるのだ。

 
 川島雄三は殿山さんを含む多くの俳優に愛され、慕われた。
 
 だから、次のような会が開催されていた。

 川島旦那と周囲の人間たちによって、毎年1回パーティが持たれていた。オレたちはそれを《白山例の会》と言った。白山の某所に於て催されるからである。勿論川島雄三旦那が総裁である。このパーティではマジメな会話をするなんて愚かしい奴は1人も居ない。キタナラシイと思われるアソビをキタナラシク遊ぶパーティである。世界的にも最低である。最低こそ尊敬されるべきである。しかしオレの側近のオンナは《スケベエ会》であると看破した。誰かが密告しやがったかな。

 “キタナラシイと思われるアソビをキタナラシク遊ぶ”なんてぇパーティ、どんなものは覗いて見たくなる。

 その《白山例の会》で、殿山さんにとって晴れがましい催しがあった。

 オレが1962年度の主演男優賞なるものを2つばかり頂いたので、今年度のこのパーティの席上に於て、川島総裁に手から賞状を授与された。今にして思えばこの日が川島旦那との最後の日であったのだ。

 この1962年の主演男優賞とは、毎日映画コンクールの賞で、映画『人間』の演技が高く評価されてものだった。

 さて、川島総裁は、どのような言葉で殿山を祝してくれたのか。

 オレは悲しい。賞状を左に掲げる。

     賞  状

       新ばし浮人 殿山泰司
 右ノ者 浮人ノ身ヲ以て 映画界
 演劇界 TV界 トリコ界 オカマ界
 等々挺身シ 竿一本をヲ頼リニ 能ク
 主演賞ヲ奪取セリ 依ツテ
 玉杯一 玉一 ヲ相添エ ココニ
 コレヲ賞ス
   昭和三十八年三月十七日
           白山例の会

 この賞状を読む時の川島旦那の顔は、荘重そのものであった。オレも小学生の如く荘重な顔をした。他の人間はゲレゲラと笑ってやがった。不謹慎な。

 賞状の文面、名文と言えるだろう。
 続きを引用。

 家へ帰って頂いた小箱を明けてみたら、玉杯1しか出てこない。玉1なるものは何処にも無い。箱の底についてた説明書を読んで見たら、この盃に酒を満たすと玉1が浮んで見えると書いてある。慌てて酒を入れてみたら成程玉らしきものが浮んで見える。今度は水を入れるてみたらやっぱり玉が浮んで見える。ああこのオモチャの如き盃も、今では我が家の家宝となってしまったのだ。 
 敬愛する川島旦那よ。静かに眠って下さい。天国にも美酒や美女が沢山タクサンある筈です。広島も炎天下で汗の如く涙が出る。オレもボールペンをポケットにしまおう。再びサヨナラ。川島旦那よ。
 私もオニイサント一緒ニ川島旦那ノゴメンナサイ川島賛成ノ御冥福ヲ祈リタイト思イマス。有難う、ありがとう。小さな悪魔め。
 
 なんとも独特な文体ではなるが、殿山さんの川島雄三を思う心は、十分に伝わってくる。

 川島雄三没後二十六年、平成元(1989)年に、殿山さんも天国に旅立った。

 今頃は、美酒や美女で溢れる天国で、川島旦那と殿山さん、そして小沢昭一さんに加藤武さんなどが、キタナラシイと思われるアソビをキタナラシク遊んでいるに違いない。

 このシリーズ、これにてお開き。

 殿山さんは、本書の後にも何冊かエッセイを残してくれている。

 ぜひ、読んでみたいと思う。

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by kogotokoubei | 2018-10-19 23:57 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(0)


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 殿山泰司さんの『三文役者の無責任放言録』から、二回目。

 仕事先の広島で川島雄三の訃報に接し、流山のBARで飲みながら涙が止まらなかった、殿山さん。

 映画のロケ先の広島では、乙羽信子さんも一緒だったと書かれていた

 撮影していたのは新藤兼人監督の「母」。
Wikipedia「母(1963年の映画)」

 脳腫瘍の子供のいる主人公を乙羽さんが演じ、殿山さんは三人目の夫の役だ。

 
 さて、広島で泣き明かした、その後のこと。

 告別式の日、仕事の都合で偶然に東京に帰れた。しかしオレは汚れたシャツ1枚でサンダル履きであった。ウチへ帰る暇もなかった。小沢昭一に電話をした。構わないよ、その方が旦那も喜ぶんじゃないかな、と言ってくれた。川島旦那は解ってくれるだろうが、解ってくれない沢山の人間の眼がイヤであった。芝大門のお寺へ行かないことにお決意した。1万円の香典を事務所の人間に託した。
 何故1万円なぞとイヤらしきことを書いたのか説明したい。川島旦那の手下であった日活の今村カントクから、旦那がこの世に残したものは借金ばかりである。だから香典は1万円にしろと命令があったのである。命令は守らなければならない。命令は守られてこそ組織のチカラは発揮出来るのである。ツマランことを書くな、川島雄三伝だぞ。

 川島のこの世に残したものは、借金ばかり・・・・・・。

 弟子の今村昌平が、その借金を少しでも返済するための、香典一万円縛り、だったということか。

 「団塊世代の想い出」というサイトに「昭和の物価」というページがあった。
「団塊世代の想い出」の該当ページ

 昭和38年当時、公務員の大卒初任給が15.700円、かけそばやラーメンが40~50円、喫茶店のコーヒー60円、銭湯23円、映画館が250円という時代。

 私が八歳の時で、たしかに、近所のラーメン屋さんのラーメンが、50円だったような気がする。

 その高額な香典で、果たしてどんな供養ができたのだろうか。


 この後の部分も引用する。

 ああ又しても涙がポロポロと出る。思えば川島旦那とオレのそもそもの出会いは、昭和21年晩秋の大船撮影所であった。オレは中支より復員したばかりであった。オレにとっては見知らぬ撮影所であり、イヤな日常の中で、風景にも、オレの精神にも冷い風が吹いていた。そんな或る日、撮影所前のメシ屋でオレは得体の知れない酒を飲み、川島旦那も得体の知れない酒を飲んで居た。川島旦那はあのギロギロした眼でオレを睨みつけていた。何故睨みつけられたのかオレには判らない。オレの態度が不遜であったのであろうか。オレは人見知りをするからつい態度が不遜になってしまう。キライな習性である。しかしやがて酒のチカラで会話が始まった。川島旦那とオレとの交情の幕が開いたのだ。会話は主に織田作之助や太宰治に就てであった。初めての日、旦那とオレは初めて肩を並べて新橋へ出た。酒を飲むためである。記念すべき日であったのだ。涙が出る。

 話題になったという二人の作家について、川島は織田作は肯定的に、そして、太宰は否定的に語ったのであろう。
 殿山さんも同じような織田作と太宰への印象を抱いていたのかは分からないが、初対面で肩を並べて酒を飲みに行ったということから、意気投合したと察する。

 三歳上の殿山さんだが、川島との関係は年齢の差とは逆だったようだ。

 《下手な役者奴》と川島旦那によく言われた。下手な役者と言われることは役者にとっては不快な言葉である。しかし旦那の《下手な役者奴》の中にはユラメク様な愛情があった。胸の熱くなる様な信頼があったのだ。
 《下手なカントク奴》とオレも小さな声で言いたかったけどとうとう言えなかった。バカ、当り前ョ、オニイサンコソ死ネバヨカッタノヨ。

 なんとも独特の言い回しだが、殿山さんの川島雄三への想いが、十分伝わってくるではないか。

 二人で飲んだ時のこと。

 川島雄三は酒飲みであった。川島旦那は小児マヒであった。だから酒場で酔ってよく倒れた。パタンと倒れた。それはパタンと形容していい様な倒れ方であった。そんな時オレは手を貸さなかった。手を貸すなどとはいと易き行為である。手を貸さぬことこそ死ぬ程ツラかったのだ。オレは慌てて酒場のオンナに話しかけたり、眼をつぶって酒をガブガブと飲んだ。オレの胸の中を涙が流れていたのを誰も知るまい。酒場のオンナは非情なオレを睨みつけた。オンナなぞに何が判る。無礼者!!非情こそ厚き友情なのだ。非情こそ真紅に輝く花なのだ。オレは旦那の根性を尊重しただけである。川島旦那は何事も無かった様な顔をして再びオレの隣に坐って、酒を飲み始めるのであった。涙が出る。

 二人の男の、それぞれのダンディズム、ということか。

 倒れても助けないダンディズム、そして、何事もなかったかのように、カウンターのスツールに戻るダンディズム。

 小児マヒ、というのは誤りである。

 川島は松竹に入社時に、身体に何らかの問題があったわけではなく、助監督時代は、監督の指示により走り回っていたという証言がある。

 だから、成人してからの病であり、その病名は、藤本義一の『生きいそぎの記』について書いた記事の五回目に登場する。
2018年9月27日のブログ

 弁慶と牛若丸のどちらが好きか、という話題で川島と口論して家に帰った藤本が川島からの電報を見て、宿に帰る。
 川島が不在だった部屋にあった『家庭医学全書』の燐寸棒の栞のあるページで、藤本はその病名を目にした。
 シャルコー病、あるいは、筋萎縮性側索硬化症。これが、川島雄三の病だった。

 
 次の最終回は、そんな川島が殿山が初の映画賞を受賞したことを、どのように祝ってあげたのか、などを紹介したい。

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by kogotokoubei | 2018-10-16 12:36 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(4)

 川島雄三については、今年が生誕百年ということで、落語会を含みイベントが開催されているということを、以前書いた。
2018年6月13日のブログ

 なお、『幕末太陽傳』に登場するネタが披露される落語会は、六本木俳優座で10月29日~11月3日に開催。

 まだ、行くかどうか、迷っている。
 あの会、木戸銭も安くはないし、果たしてあの企画を天国の川島雄三は喜んでいるのかどうか、なんてことを思っている。

 また、川島と共同で映画「貸間あり」の脚本を書いた藤本義一の『生きいそぎの記』について、9月20日から五回にわたって紹介した。
2018年9月20日のブログ


 その川島雄三について、ある俳優さんが書いている本を、先日古書店で発見。

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 殿山泰司さんの『三文役者の無責任放言録』である。
 私の大好きな、俳優さんだ。

 角川文庫版だったが、この本の初版は昭和41(1966)年の三一新書。そして、この角川版は昭和59(1984)年発行だが、その後、平成12(2000)年には、ちくま文庫でも再刊されているようだ。

 いずれにしても、古書店でしか入手できない本。

 立ち読みして、買うことに決めた章が、この川島雄三について書かれた一文。

 冒頭部分を、引用。
小さな《川島雄三伝》《1963・7》

 オレ如き若輩が《川島雄三伝》なぞとオコガマシイ。百も承知。書くべき人は沢山居る。先輩諸兄よ。貧しい三文役者の非礼を許して下さい。書きたいのです。ポロポロと涙が出る。オレの涙にうるんだ瞳に免じて許して下さい。《小さな》と言う字を付けたのも原稿の枚数の関係ではありません。精神の関係です。叱らないで欲しい。イヤ叱られても書く。

 三一新書の初版発行は、前述のように昭和41年だが、内容は文藝春秋の『漫画読本』の連載が元であることを、本文庫解説で井家上隆幸が説明している。

 川島が亡くなったのは、昭和38(1963)年6月11日なので、まだ、記憶が鮮明な時の文章だ。

 引用を続ける。

 ロケ先の広島で川島旦那の訃に接した。信じたくなかった。嘘だと思った。同行の乙羽信子も《信じられない、信じられない》とツブやいていた。悲しくも本当であったのだ。ロケバスの中で、宿舎の部屋で、オレはポロポロと泣いた。川島旦那よ、何故オレよりも先に天国へなぞ行ってしまったんだ。極道なオレが先に行くべきであった。バカタレじゃ。オレも連れてってくれ。

 ね、まだ冷静さを取り戻してはいない、文章でしょ。

 殿山泰司は川島雄三より三歳上の大正四(1915)年10月17日生まれ。
 だから、川島が今年二月で生誕百年だったが、殿山は明後日に生誕百三年、ということになる。記念日とは、言えない。

 引用を続けよう。

 その夜、オレは流山のBARへ行って浴びる程ウィスキーを飲んだ。マダムが《どうしたの今夜は》と言った。《お通夜じゃ》《誰の》《知らん、誰でもエエ》。涙がポタポタとグラスの中に落ちた。ウイスキイと一緒に飲んだ。死ぬ者はバカタレじゃ、と怒鳴ったらしい。マダムもオンナ達も遠ざかってオレを一人にしてくれた。その心情が嬉しかった。

 ここで、日活のサイトにある『幕末太陽傳』のページのCastの紹介から、殿山泰司の短いプロフィールを引用する。
日活のサイトの該当ページ

仏壇屋倉造:殿山泰司
1915年10月17日-1989年4月30日。亨年73歳。
1936年に新築地劇団に入団。39年に千葉泰樹監督作品『空想部落』でスクリーンデビューを飾る。42年に興亜映画に入所し、第二次世界大戦をはさんだのち『森の石松』(49)などの吉村公三郎監督作品に参加し、50年に吉村公三郎監督が設立した近代映画協会に創立メンバーとして参加する。その後、様々なジャンルの映画に出演し名バイプレイヤーとしての地位を確立した。


 殿山さんの名は、五年近く前になるが、五街道雲助の本を紹介した記事の中で、雲助の「酒の師匠」であった、「かいば屋」の常連として登場した。
2013年11月21日のブログ

 「かいば屋」が、のれんを新しくする際、その字を書いたのが殿山さん。


 また、吉村平吉さんの『吉原酔狂ぐらし』を紹介した記事にも登場する。
2014年6月7日のブログ

 作者吉村平吉は、野坂昭如の『エロ事師たち』のモデルであり、『実録エロ事師たち』という著作もある。野坂昭如の原作を元にした映画は今村昌平監督により主役は小沢昭一さんだったが、吉村さんの“実録”の方は、日活ロマンポルノの曽根中生監督で映画化され、主演が殿山泰司さんだった。

 吉村、野坂、田中小実昌といった人たちとの“酔狂連”という文化的(?)サークルのメンバーとしても殿山さんの存在は大きかったようだ。


 次回は、香典の金額が明かされ、その金額を指定した人や、なぜそうだったかなどについても、ご紹介したい。


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by kogotokoubei | 2018-10-15 12:44 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(6)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛