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カテゴリ:今週の一冊、あるいは二冊。( 146 )

ウイルス、そして感染症について学ぶ(5)-石弘之著『感染症の世界史』より。_e0337777_14485301.jpg

石弘之著『感染症の世界史』
 2014年に洋泉社から発行された後、2018年に角川ソフィア文庫で再刊された石弘之さんの『感染症の世界史』からの、最終五回目。

 「終章 今後、感染症との激戦が予想される地域は?」から。

 感染症の巣窟になりうる中国

 今後の人類と感染症の戦いを予想するうえで、もっとも激戦が予想されるのがお隣の中国と、人類発祥地で多くの感染症の生まれ故郷でもあるアフリカであろう。いずれも、公衆衛生上の深刻な問題を抱えている。
 とくに、中国はこれまでも、何度となく世界を巻き込んだパンデミックの震源地になってきた。過去三回発生したペストの世界的流行も、繰り返し世界を巻き込んできた新型のインフルエンザも、近年急速に進歩をとげた遺伝子の分析から中国が起源とみられる。
 13憶4000万人を超える人口が、経済力の向上にともなって国内外を盛んに動き回るようになってきた。春節(旧暦の正月)前後にはのべ約三億人が国内を旅行し、年間にのべ一億人が海外に出かける。最近の12年間で10倍にもふくれあがった大移動が、国内外に感染を広げる下地になっている。

 すべて「あとの祭り」なのだが、武漢があのような状況になったことから、いちはやく春節での国内外の大移動を禁じていたら、また、日本が入国を阻止していたら、と思わないではいられない。

 実際の春節期間の国内外の移動は、自粛により例年の半分位に減っていたが、それでも、とんでもない人数のウイルス感染者が国内外に散らばったのである。

 Wikipediaの「新型コロナウイルス感染症の流行(2019年ー)」から、中国の発生の履歴を振り返る。
Wikipedia「新型コロナウイルス感染症の流行 (2019年-)」

2019年11月
11月17日 - 湖北省出身の55歳の男性が新型コロナウイルスの最初の症例であった可能性が中国のデータから発覚しているが、中国当局はデータを公開しなかったとサウスチャイナ・モーニング・ポストが報じている。

2019年12月
12月8日 - 中華人民共和国の湖北省武漢市の保健機関により、原因不明の肺炎患者が初めて報告された。
12月30日 - 原因不明の肺炎について記載された公文書を勤務先の病院で発見した李文亮がWeChatに画像として投稿した。2020年1月7日、原因が新種のコロナウイルスと特定された。
12月31日 - 世界保健機関(WHO)への最初の報告が行われた。

2020年1月
1月1日 - 華南海鮮卸売市場を閉鎖。
1月7日 - 原因が新種のコロナウイルスであることを確認。
1月9日 - 最初の死者が出た。
1月13日 - 中国国外として初となる、タイでの感染者を確認。
1月16日 - 日本での感染者を確認。
1月19日 - 韓国での感染者を確認。
1月20日 - 広東省でのヒト - ヒト感染が確認されたことが発表。クルーズ客船「ダイヤモンドプリンセス号」が横浜港を出港。
1月21日 - 台湾、アメリカ合衆国での感染者を確認。
1月22日 - マカオでの感染者を確認。
1月23日 - 武漢市が人の出入りの制限を始める。香港、シンガポール、ベトナムでの感染者を確認。
1月24日 - ネパールでの感染者を確認。
1月25日 - 日本で武漢市在住の30代女性旅行者の感染を確認。マレーシア、フランス、オーストラリアでの感染者を確認。クルーズ客船「ダイヤモンドプリンセス号」から香港人男性が下船。

 1月25日が、旧暦の1月1日、春節だった。
 中国の情報公開が十分ではなかったこともあるが、実態として、春節前に、正しく怖がる状況は進んでいたなぁ。

 本書に戻ろう。
 中国での感染拡大の危険性は、その防疫体制にも原因がある。

 中国国内の防疫体制は遅れている。世界保健機構(WHO)とユニセフの共同調査によると、上水道と下水道が利用できない人口は、それぞれ3億人と7億5000万人に達する。慢性的な大気や水質の汚染の悪化から、呼吸器が損傷して病原菌が体内に侵入しやすくなり、水からの感染の危険性も高い。

 石さんは、感染拡大をもたらす要因として、次のような点を指摘する。

 膨張する感染症の温床

 国連の将来人口予測(2013年)によると、世界人口は2050年に96億人を超える。20世紀はじめには世界の都市居住者は人口の15%にすぎなかったが、2008年前後には都市人口が農村人口を上回った。2030年までに、都市人口は50億を超え、人口の70%を超えると国連は推定する。2010~2025年の間に世界の100万人都市は324から524に、1000万人以上のメガ都市は19から27に急増する。
 この都市人口の増加は、大部分が発展途上地域のサハラ以南アフリカ、南アジア、西アジアなどの都市のスラムで発生している。都市人口に占めるスラム人口の割合は、2005年時点でアフリカは七割以上、南アジアでは六割近い高率となる。アフリカでは15年、西アジアでは26年でスラム人口が倍増することになる。都市のスラム化は微生物の培養器である。
 人間の勢力圏の拡大につれて、森林や低湿地の破壊で野生動物の生息地は狭められ、新たな宿主を求めて人に寄生場所を変えてきた。コウモリが原因になった、西アフリカのエボラ出血熱やボルネオ島のニバウイルスの感染爆発がその好例である。

 今は、経済先進諸国の都市での感染拡大が問題になっている。
 そして、怖いのが、発展途上国にも感染の手が延びたら・・・ということだ。
 いったいどうなるのだろう。

 環境破壊による都市化、スラム化、衛生管理の不備は、ウイルスの大好物なのだ。

 もう一つの、感染拡大の原因が高齢化。

 世界の高齢化と感染症

 今後の世界人口の増加と高齢化を考えると、感染症はますます脅威を増すだろう。20世紀前半の集団発生は、学校や軍がその温床になったが、21世紀後半は高齢者がそれに取って代わることだろう。
 国連の予測によると、2050年には世界の65歳以上の人口は、現在の8%から18%になる。このとき、日本38.8%(2010年は22.7%)、中国25.6%(8.2%)、米国21.2%(13.1%)、インド13.5%(4.9%)。日本は現在も2050年時点においても、高齢化のトップランナーであることは変わらない。
 (中 略)
 高齢者は外出が減って孤立しがちになり、他人から免疫を受け取るチャンスも少なくなる。発病しやすくなり、発病すれば重い症状に陥りやすい。
 人と大きさを比べると、ウイルスは10憶分の1、細菌は100万分の1でしかない。人の遺伝子が三万数千個もあるのに対し、ウイルスは多くても300個、細菌は1000~7500個ぐらいだ。
 地上でもっとも進化した人と、もっとも原始的な微生物との死闘でもある。ときには膨大な数の犠牲者を出す代償を払って人側が免疫を獲得し、あるいは巨額の研究費で開発された新薬で対応すると、微生物はそれをかいくぐって新手を繰り出してくる。微生物との戦いは先が見えない。

 長い戦いになるのは、覚悟しよう。

 しかし、その時期を少しでも短くするためには、できる限りのことをしたいと思う。
 ということもあって、こんなちっぽけなブログでもできることがないかと思い、新型コロナウイルス関連の記事を挟んだので、このシリーズの記事が遅くなってしまった。

 お付き合いいただいた皆さん、ありがとうございます。

 そして、一緒にこの戦いに勝つために、頑張りましょう!
by kogotokoubei | 2020-03-29 18:27 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(0)
ウイルス、そして感染症について学ぶ(4)ー石弘之著『感染症の世界史』より。_e0337777_14485301.jpg

石弘之著『感染症の世界史』
 2014年に洋泉社から発行された後、2018年に角川ソフィア文庫で再刊された石弘之さんの『感染症の世界史』からの四回目。

 「第二部 人類と共存するウイルスと細菌」の「第三章 ピロリ菌は敵か味方かー胃がんの原因をめぐって」より。

 実は、私は、昨年医者の勧め(脅し?)で、ピロリ菌を退治した。
 果たして、それで良かったのか・・・・・・。
 また、ピロリ菌とは、どんな奴(?)だったのかも、知りたい。

 ピロリ菌の大きさは。1ミリの250分の1ほど、胃内の酸性度の弱いときは胃粘膜細胞の表層で、アミノ酸やペプチドを栄養源として増殖する。胃内部が強い酸性になると、ウレアーゼとよばれる酵素をつくりだして、胃の粘膜中の尿素をアンモニアと二酸化炭素に分解する。このアンモニアで胃酸を中和して「安全な」環境を保っているのだ。
 かつてはほとんどの人が感染していたらしい。現在でも、世界人口の半数が保菌者とみられる。日本でも5000万人~6000万人、人口の半数近くがこの菌を持っている。50歳以上の人では七割が感染しているが、若い人では20~30%ほどだ。
 これだけ多くの人が感染していながら、胃潰瘍などの病気になる人は少ない。発病する人は感染者の25人から50人に一人といわれる。逆に、胃がん患者の98%から菌が見つかる。国立がん研究センターの研究では、ピロリ菌の感染者が胃がんになるリスクは、無菌者の5倍も高い。
 
 そうそう、もう捨てたが、ピロリ菌退治をする前に医者からもらったパンフレットに、同じようなことが書いてあった。
 それを説明しながら、医者が、退治しましょうね、って脅したのだ。

 でも、私は一回目の一週間では除菌できず、二回目に禁酒を一週間して毎日いろんな薬を日に三度服用し、やっとピロリ君(?)とおさらばしたのであった。

 欧米でも20世紀前半には、ほとんどの人がピロリ菌を持っていた。
 ということで、このピロリ菌は、人類の大移動の謎を解明するのに、役立っている。

 ピロリ菌が語る人類の移動

 民族によって異なるピロリ菌の遺伝子の変異から、人類のたどった足跡を推測できる。
 生物は自分のDNAをコピーして子孫に受け継ぐ途中で、コピーのミスから突然変異が起きてそれが蓄積されて進化していく。DNAはいわば「進化の化石」でもある。遺伝子に変異が、ある時間で一定の割合で起こるとすれば、そのい変異した数によって、同じ祖先をもつ生物種がいつごろ分岐したのかが推定できる。これを「分子時計」という。
 生物の種類によっても遺伝子の変化速度は異なるが、ある遺伝子が10万年に一個の割合で変化が起きているとすると、二つの種の遺伝子に50個の違いがあれば、500万年前に分岐したことになる。この分子時計を利用すると、人類は487万年(プラスマイナス23万年)前にチンパンジーと共通の祖先から分かれたことが推定できる。

 プラスマイナスの数字が、ダイナミックで、いいなぁ^^

 引用を続ける。
 
 細菌の増殖のスピードは早く、遺伝子の変異にかかる時間が人などに比べて格段に速いため、進化の足跡をたどりやすい。英国のケンブリッジ大学やドイツのマックスプランク研究所の科学者のチームは、さまざまな人種や民族からピロリ菌を採取して遺伝子を比較、この分子時計を使ってその進化をシミュレーションした。
 それによって、アフリカ人の持つピロリ菌の遺伝子の多様性は、東アフリカから距離が遠くなるのにしたがって減少する。つまり分岐した年代がしだいに新しくなる。ピロリ菌の先祖は人類の胃袋に潜んでアフリカを旅立ち、中央アジアや欧州、東アジアを経て、北米、南米に広がっていったとする仮説を発表した。
 この移動の間にピロリ菌もさまざまに遺伝子を変異させて、現在では七種の系統に分けることができる。

 ということで、次がピロリ菌の七つの系統。
 ①ヨーロッパ型(ヨーロッパ、中東、インドなど)
 ②北東アフリカ型
 ③アフリカⅠ型(西アフリカなど)
 ④アフリカⅡ型(南部アフリカ)
 ⑤アジア型(北部インド、バングラデシュ、タイ、マレーシアの一部など)
 ⑥サフル型(オーストラリア先住民、パプアニューギニア)
 ⑦東アジア型(日本、中国、韓国、台湾先住住民、南太平洋、米国先住民など)

 北米には、さまざまな系統が入り込んでいるらしい。人種のルツボということだね。
 
 そして、このピロリ菌の遺伝子の系統を元に、日本の科学者がある仮説を立てた。

 大分大学医学部の山岡吉生(よしお)教授はさまざまな民族のピロリ菌を分析することで、ピロリ菌から人類の壮大な移動経路を描き出した。それによると、アフリカを出て5万8000年前ごろから広がったピロリ菌は、3万年前にはアジアに達した。そこから、5000年前ごろまでに東南アジアや太平洋に広がった。
 もう一つの経路は、アジアから当時陸続きだったベーリング海峡を渡って、北米から南米へと南下していった。アフリカ人と日本人では、ピロリ菌の遺伝子の配列が50%も違い、逆に日本人と北米の先住民はよく似ていることもわかった。
 ピロリ菌の変異と人の移動は、これまでに人類学による人類移動の年代や、言語学による異なった言語の分岐年代などの研究成果ともよう合致する。

 ということで、これが、本書に掲載されている、大移動の地図。

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 ピロリ菌のおかげで(?)、人類大移動の歴史を解明することができた、ということだ。

 この後、本書では、ピロリ菌にはアレルギーを抑制しているという研究成果もあり、必ずしも悪役とは決めつけられないと書かれている。

 花粉症を含むアレルギー体質の私は、読んでいて、なんとも不安になったのである。

 う~ん、一週間禁酒までして退治した私だが、ピロリ君と、仲良く共存した方が良かったのか、どうか・・・・・・。
by kogotokoubei | 2020-03-28 08:36 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(4)
ウイルス、そして感染症について学ぶ(3)-石弘之著『感染症の世界史』より。_e0337777_14485301.jpg

石弘之著『感染症の世界史』
 2014年に洋泉社から発行された後、2018年に角川ソフィア文庫で再刊された石弘之さんの『感染症の世界史』からの三回目。

 「第一部 二十万年の地球環境史と感染症」の「第三章 人類の移動と病気の拡散」から。

 交通の発達がもたらしたSARS

 今後、どんな形で、新たな感染症が私たちを脅かすのだろうか。それを予感させるのが、中国を震源とする重症急性呼吸器症候群(SARS)の突発的な流行であろう。この強烈な感染力を持ったウイルスは、2002年11月に経済ブームにわく広東省深圳市で最初の感染者が出た。当時、地方から多くの若者が出稼ぎのために集まってきた。
 広東省では、野生動物の肉、つまり「野味」を食べる習慣が根づいており、「野味市場」にはヘビ、トカゲ、サル、アザラシ、イタチ、ネズミ、センザンコウなどさまざまな生きた動物やその肉が売られている。野味市場や野味を提供する料理店で働いている出稼ぎの若者に、野生動物からウイルスが感染したと考えられる。発病すると、高熱、咳、呼吸困難などの症状を訴え、衰弱して死んでいく。
 このころ、上海と香港を経由してハノイに到着した中国国系米国人のビジネスマンが、原因不明の重症の呼吸器病にかかって入院、香港の病院に移送されたものの死亡した。その後、彼が最初に入院したハノイの病院では、医師や職員ら数十人が同じ症状を示し、また緊急移送された香港の病院でも、治療にあたった医師や看護師が発病して死者が出た。
 一方、同じころ香港でも感染が広がっていた。広東省広州市の病院で肺炎の治療にあたっていた中国人医師が、SARSに感染していることに気づかずに香港に出かけ、市内のホテルに宿泊した。
 その医師は具合が悪くなり病院に運ばれたが、客室はその医師が吐いたものや排泄物が飛び散っていた。この客室を清掃したホテル従業員が、同じ器具で別室を掃除したためにウイルスが広がり、宿泊していたシンガポール人、カナダ人、ベトナム人ら16人が二次感染した。さらに、彼らがウイルスをそれぞれの国に持ち帰ったために海外への感染が広がっていった。
 その中国人医師が入院した香港の病院では、あっという間に50人を超える医師や看護師が同じ症状で倒れて、病院の機能はマヒしてしまった。さらに、同じ病院に入院していた男性が弟の住む市内の高層マンションを訪ねたために、そこに住む321人が感染した。マンションの下水管の不備で、その男性の飛沫や糞尿に含まれていたウイルスが、トイレの換気扇に吸い上げられてマンション内に拡散した可能性が高い。
 病原体は新型コロナウイルスであることが判明、「SARSウイルス」と命名された。強い病原性と医療関係者への感染は、世界中を恐怖に陥れた。3月12日にWHOが世界規模の警報を出したときには、流行は中国の広東省、山西省からトロント(カナダ)、シンガポール、ハノイ、香港、台湾に広がっていた。結局、収束した2003年9月までに、WHOによると世界30カ国・地域で8098人の感染者、774人の死亡者が確認された。

 すでに、COVID-19による感染者数と死者数は、SARSを大きく上回った。

 SARSの自然宿主は、最初はハクビシンが疑われたが、これは中間的な宿主で、コロナウイルスが分離されたキクガシラコウモリが震源とみられる。
 だが、既知のどんなコロナウイルスとも遺伝子構造が大きく異なる新しいものだった。

 ウイルスは、変異を続け、生き延びようとしている。

 SARSの次に、コロナウイルスの脅威を目の当たりにしたのは、SARSからほぼ十年後だ。

 感染症の新たな脅威

 人間の社会の変化のすきをついて侵入してくる病原体は、それぞれ異なった場所や時期に根を下ろし、その後は人間同士の接触を通じて新たな地域に広がっていく。もしかしたら、第二、第三のSARSや西ナイル熱がすでに忍び寄って、人に侵入しようと変異を繰り返しているかもしれない。
 すでにその心配が出てきた。2012年暮れから13年五月のかけて、サウジアラビア、カタール、チュニジアなどの中東で、SARSに酷似した呼吸器病「MERSコロナウイルス感染症」が発生した。Middle East Respiratory Syndromeの略である。英国とフランスでも、中東から帰国した人に接触した男性が感染した。

 調べてみると、MERSによって、2018年5月末までに全世界で、2220人が感染し、790人が死亡している。
 感染数はSARSより少なかったが、死亡率が四割近かった。
 
 同じコロナウイルスでも、変異により、さまざまな特徴を持つ。

 そして、間違いなく、かつてより、人の移動速度が速まり、その規模も拡大している以上、ウイルスの到達範囲も、拡大する。

 この章、石さんは、こう結んでいる。
 
「移動手段」が、徒歩、馬、帆船、汽船、鉄道、自動車、飛行機へと発達するのにつれて、これまでにない速度と規模で人と物が移動できるようになり、SARSや西ナイル熱のようにそれに便乗した病原体も短時間で遠距離を運ばれる。しかも、人類は都市で密集して暮らすようになり、感染する側には絶好の条件が整った。

 新型コロナウイルスは、密集した都市で感染数を増やし、その感染者の移動により、到達距離を伸ばしている。

 ウイルスも、生き残るために、必死なのである。

 では、人間のほうは、どれほど必死にウイルスと戦おうとしているのか。

 私は、時差通勤とはいえ決して空いていない電車で会社に通っているが、その電車は、神奈川-東京-埼玉をまたいでいる。
 もちろん、関西の電車も、大阪、兵庫、京都にまたがって走っている。

 首都圏や関西圏は、つながっているのだ。

 東京、大阪など個々の首長が危機感をあおってみても、お隣までは検討範囲に入っていないのは、あまりにも不思議だ。

 それぞれの首長のスタンドプレーにしか思えない。

 こういう状況であるからこそ、国のリーダーシップが求められるのだが、その国のリーダーが、もっともスタンドプレーがお好きなようなのが、あまりにも残念。

 大陸間を渡って感染が広がるのである。

 島国であることは、利点にもなる。

 日本という島全体を鳥瞰し、ウイルスと戦う発想が必要だ。
 
by kogotokoubei | 2020-03-26 12:54 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(0)
 東京都の新型コロナウイルス感染者急増で、都知事が緊急事態宣言を発表した。

 しかし、あくまで「自粛」なのである。

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石弘之著『感染症の世界史』
 2014年に洋泉社から発行された後、2018年に角川ソフィア文庫で再刊された石弘之さんの『感染症の世界史』からの二回目。

 「第一部 二十万年の地球環境史と感染症」の「第一章 人類と病気の果てしない軍拡競争史」より。

 約二十万年前、アフリカで誕生した現世人類の祖先が、十二万年ほど前にアフリカから移動を始めた。
 その理由は、いくつか考えられるとして、次のような要因が挙げられている。
 ・野生動物を食べ尽くした
 ・気候や環境の変動に追われた
 ・他の霊長類に敗れた
  あるいは
 ・感染症から逃れるため

 ともかく、ご先祖様は、大移動を始めた。

 移動には、わずかな道具、武器、生活用具えお背負い、言語、技術、神話、音楽、信仰なども新たな土地へ運んでいったことだろう。意図せざるお供もいた。ネズミ、ゴキブリ、ダニ、シラミ、ノミ、寄生虫などの小動物。さらに目に見えない膨大な数の細菌、ウイルス、原虫、カビなどの微生物も人や動物に寄生して移動した。
 微生物に大部分は無害だが、病気を起こす「病原性」を持つものもあった。たとえば、ウイルスは生物と非生物の両方の性質を併せ持ち、インフルエンザや風疹やヘルペスなど多くの病気を引き起こす。
 細菌はバクテリアともよばれ、細胞分裂で増殖する単細胞生物。ピロリ菌や結核菌など多彩な顔ぶれだ。さらに、マラリアやアメーバ赤痢などを引き起こす原虫。このほかにも、水虫の原因になる真菌、肺炎やツツガムシ病を引き起こすリケッチアなどの病原性微生物が知られている。
 こうした微生物のなかには、狩猟時代には野生動物から、定住農耕生活に入ってからは家畜からも人に宿主を広げたものが多い。新たな土地に進出した人類は、気候風土や新たにつくりあげた文化に適応するために肉体を進化させた。野生動物や家畜から人体にすみかを替えた微生物も、同じように宿主の進化につれて変わっていった。

 人類の移動に伴い、小動物や寄生虫、そして、ウイルスを含む膨大な微生物も移動した。

 ウイルスは、必ずしも悪い奴ばかりではない。
 人の遺伝情報(ゲノム)が2003年にすべて解読されてから、たんぱく質をつくる機能のある遺伝子はわずか1.5%しかなく、全体の約半分はウイルスに由来することがわかった。多くは「トランスポゾン」といわれる自由に動き回れる遺伝子の断片だった。進化の途上で人の遺伝子に潜り込んだものだ。過去に大暴れしたウイルスの残骸かもしれない。

 生命の誕生においても、ウイルスは重要な働きをしている。
 胎児の遺伝形質の半分は父親由来なので、本来なら母親は拒絶反応を示すはずである。
 なぜ、胎児は、守られているのか。

 拒絶反応を引き起こす母親のリンパ球は、一枚の細胞の膜に守られて胎児の血管に入るのが阻止されていた。1970年代に入って、哺乳動物の胎盤から大量のウイルスが発見された。1988年に、スウェーデン・ウプサラ大学のエリック・・ラーソン博士によって、この細胞の膜は体内にすむウイルスによってつくられたものであることが突き止められた。つまり、ウイルスは生命の本質部分をにぎっていることになる。

 ということで、ウイルスは、必ずしも“悪役”ばかりではない。

 しかし、もちろん、悪役もいる。
 
 これまで発見されたウイルスは、約5400種。

 しかし、これはほんの一部でしかない。

 さまざまなウイルスを運ぶことで知られるインドオオコウモリから、五十八種のウイルスが見つかっている。約5900種の既知の哺乳動物が、それぞれ五十八種の固有のウイルスを保有していると仮定すれば、ウイルスは少なくても34万種は存在することになる。もしも約6万2000種の既知の脊椎動物にまで拡大すると、360万種にもなる。
 ほとんどは人と無関係だが、なかにはうまく人体に忍び込んで常在菌として共存するものもいる。やっかいなのは、無害にみえても、断続的に病気を引き起こしたり、突如として病原性を身につけたりするものだ。

 未知のウイルスの数も、膨大なのだ。

 今回の新型コロナウイルスにしても、ようやく見つかった七種目のコロナウイルス。

 人類誕生にとって重要なウイルスもあれば、その生命を奪うことになる悪役ウイルスもある、ということは覚えておこう。

 悪役のウイルスにとっても、哺乳類、なかでも人類の体内は、格好の居場所。
 温度が一定で、栄養が豊富だから。

 そして、人類が森林破壊、都会への人口集中などを進めて結果、ウイルスが生き残る環境が向上した。

 人類と感染症の関係も、人が環境を変えたことによって大きく変わってきた。人口の急増と過密化も感染症の急増に拍車をかけている。インフルエンザ、ハシカ、水痘(水ぼうそう)、結核などの病原体のように、咳やくしゃみから飛沫感染するものによって、過密な都市は最適な増殖環境だ。超満員の通勤電車の中で、インフルエンザ患者がくしゃみをした状況を想像してみてほしい。


 東京都は、今週末のみで「自粛」は大丈夫、と思っているのか。

 ニューヨーク、ロンドン、ミラノ、マドリッド、東京・・・・・・。

 過密な都市での感染拡大は、あえて言えば、必然的である。
 
 都知事、そして、首相の後手後手で、五月雨式の対策は、都民や国民よりも、自分のことしか考えていないのではないか、という疑問を抱かせる。

 断固とした意思表示と、責任を取る覚悟が、この国のリーダーに、欠けている。

 今、本当に感染拡大を阻止する覚悟があれば、まず、この本を読むことから始めて欲しい。

 人類より、はるか昔から生き残ってきたウイルスとの闘いは、そんな安易なものではないことが、分かるはずだ。

by kogotokoubei | 2020-03-25 22:27 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(2)
 新型コロナウイルス感染拡大に関し、ネットでは有益な情報も得られないことはないが、もちろんデマや、偏見、誤った楽観主義もはびこっている。

 専門家と言われる人々の意見もメディアで聞くのだが、対処の方法などはためにもなるが、より基本的な知識の習得にはなりにくい。

 そもそもウイルスとは何で、感染症には、これまでどんな歴史があったのか。

 先日書店で見つけた本が、これだ。

ウイルス、そして感染症について学ぶ(1)ー石弘之著『感染症の世界史』より。_e0337777_14485301.jpg

石弘之著『感染症の世界史』
 2014年に洋泉社から発行された後、一昨年、角川ソフィア文庫で再刊された『感染症の世界史』。私が入手したのは、今年2月の第四版。売れているのだ。

 著者の石(いし)弘之さんは、昭和15年生まれで、朝日新聞社でニューヨーク特派員や編集委員などを経て退社され、ザンビア特命全権大使や国際協力事業団参与などを務めた方。 
 代表作と言える著書『地球環境報告』(昭和63年、岩波新書)は、ずいぶん前に読んだ。
 世界八十か国以上を自ら調査し、地球生態系の崩壊が加速度的に進行し、砂漠化、森林の消滅、さらには酸性雨、フロンガス、食品の化学汚染などが危機的な状況にあることを指摘したルポルタージュの傑作だ。

 そして、今、この状況の中、新たな代表作になりつつあるのが、この本。

 「はじめに」の最後の部分を、ご紹介。

 地球に住むかぎり、地震や感染症から完全に逃れるすべはない。地震は地球誕生からつづく地殻変動であり、感染症は生命誕生からつづく生物進化の一環である。十四世紀のペストといい、二十世紀初期のスペインかぜといい、感染症は人類の歴史に大きく関わってきた。今後とも影響を与えつづけるだろう。
 微生物は、地上最強の地位に登り詰めた人類にとってほぼ唯一の天敵でもある。同時に、私たちの生存を助ける強力な味方でもある。その絡み合った歴史を、身近をにぎわす感染症を選んで、環境史の立場から論じたものが本書である。この目に見えない広大な微生物の宇宙をのぞいていただければ幸いだ。

 石さんは、感染症の原因となる微生物は、人類よりはるか昔、四十億年前からずっと途切れることなくつづいてきた「幸運な先祖」の子孫であり、人間が免疫力を高め、防疫体制を強化すると、微生物もそれに対抗する手段を身につけてきた、と説く。

 環境破壊や感染症の現場を、石さんは体を張って取材してきた。
 
 「あとがき」の冒頭部分から、そんな著者の病歴(?)をご紹介。

 人間ドックで書類をわたされて、検診の前にさまざまな質問の回答を記入せよという。面倒な書類なのでいい加減に欄を埋めて提出したら、若い看護師さんから「既往症をしっかり記入してください」とたしなめられた。
 しかたがないので「マラリア四回、コレラ、デング熱、アメーバ赤痢、リーシマニア症、ダニ発疹熱各一回、原因不明の高熱と下痢数回・・・・・・」と記入して提出したら、「忙しいんですからふざけないでください」と、また叱られた。
 ふざけたわけではなく、アフリカ、アマゾン、ボルネオ島などで長く働いていたので、注意はしていたつもりでもさまざまな熱帯病の洗礼を受けた。ジャングルのテントの中で高熱で半分意識を失って横たわっているのも、トイレに座ったきり一晩中動けないのも、思い出すだけでもつらいものだ。よくも生き残ったと思うこともある。

 なんとも凄い体験であろうことか。

 それだけ、ジャーナリストとして体を張った取材をしてきたということだろう。

 「序章 エボラ出血熱とデボラ熱」の中で、「森林破壊が引き出したウイルス」という項目の部分に、こう書かれている。

 過去のエボラ出血熱の流行の大部分は、熱帯林内の集落で発生した。だが、ギニアの奥地でも人口の急増で森林が伐採されて集落や農地が広がってきた。森林の奥深くでひっそり暮らしていたオオコウモリが、生息地の破壊で追い出されてエボラ出血熱ウイルスをばらまいたのかもしれない。
 映画『アウトブレイク』のなかで、アフリカの呪術師のこんな言葉が引用されている。「本来人が近づくべきではない場所で人が木々を切り倒したために、目を覚ました神々が怒って罰として病気を与えた」。
 エボラ出血熱の流行は大規模な自然破壊の直後に発生することが多い。たとえば、ガボンはマンガン鉱、ウラン鉱などの地下資源の宝庫だ。1994年にガボンでの流行は、金鉱山の開発で広大な森林が破壊された直後に発生した。
 かつて国土の大部分が熱帯林でおおわれていたシエラレオネでは、国土の4%しか森林が残されていない。それも壊滅するのは時間の問題だ。リベリアで残された熱帯林は20%以下で、その森林の伐採権の多くが海外の企業に売り渡されている。
 以前にコートジボワールのタイ国立公園を調査したことがある。手つかずの熱帯林が残され、コビトカバやボノボなど絶滅危惧種に指定された希少な動植物の宝庫で、世界自然遺産にも登録された。だが、焼き畑が虫食い跡のように広がっているのを目の当たりにして愕然とした。
 近隣のマリ、ニジェールなどサハラ砂漠南縁のサヘル地帯では、過去四十年間に繰り返し深刻な干ばつに見舞われてきた。そこから逃げ出した飢餓難民が国立公園内に入り込んで違法な農業で暮らしている。ここで「タイ森林株」のエボラ出血熱ウイルスが発生したことは容易に理解できる。

 長年環境問題を取材してきた石さんとしては、環境破壊と密接な関係にある感染症への調査は自然の流れだったのかもしれない。

 環境破壊と貧困は、感染症と深く結びついている。


 さて、石さんの本で、感染症の勉強を続けようと思う。
 
 次回は、ウイルスとは、いったいどんなものなのかということを中心に、紹介したい。

 最後に、KADOKAWA WEB文芸マガジン「カドブン」に、2月20日付けで石さんへの、新型コロナウイルスに関するインタビューが掲載されている。

 この本の重版に合わせた記事のようだ。

 一部引用する。
「カドブン」の該当インタビュー

――今後の流行をどうみていますか。

石:感染症の拡大パターンについては、さまざまなシミュレーションが行われてきました。2 つの予測を紹介しましょう。

 新型インフルエンザ流行のときに、国立感染症研究所がつくった感染拡大のシミュレーションがありますが、これには背筋が寒くなりました。

 ある男性が新型インフルエンザにかかって電車で出社すると、4 日後には 30 人だった感染者が 6 日後には 700 人、10 日後には 12 万人に広がるという結果でした。むろん、コロナウイルスがこうなるとは限りませんが。

 もう一つ、「スモール・ワールド現象」といわれる数学的なシミュレーションがあります。小説の題材になり、TV番組でも取り上げられました。米国の心理学者ミルグラム教授が、米国中部のネブラスカ州の住人 160 人を無作為に選び、東海岸の特定の人物に知り合いを伝って手紙を受け渡せるか、という実験をしました。

 その結果、わずか 6 人が介在すれば、まったく知らない人にまで届くことができました。各国の同様の実験でも同じような結果でした。

 つまり「人類は 6 人が仲立ちすればすべて知人」ということです。手紙をウイルスに置き換えてみてください。容易ならざる事態であることは理解いただけるでしょう。

 世界で感染症を取材してきた人の言葉である。

 たしかに、「自粛」期間の辛さは募るが、そのストレスに耐え、ウイルスとの闘いに勝たなければならないのだろう。

 イギリスのジョンソン首相は、日本時間の本日早朝、必需品の買い物や治療、絶対的に不可欠な仕事への通勤などごく一部の理由によるものを除く外出を、ただちに禁止すると発表した。

 では、日本は・・・・・・。
 外出禁止令が出されていない以上、自分たち自身で、判断し行動しなければならないし、日本人は、それができるはずなのだ。

 今日は、久しぶりに会社もアルバイトも休み。
 犬の散歩以外は家にいて、この本を読んでいた。

 時差出勤とはいえ、それほど空いていない電車での通勤や、人出不足の中でのアルバイトはしょうがないとは思うが、不要不急の外出は戒めなければ、と思う。

by kogotokoubei | 2020-03-24 19:36 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(2)
徳川夢声著『話術』より(3)_e0337777_09345776.png

徳川夢声著『話術』

 徳川夢声の『話術』からの三回目。
 本書初版は、昭和二十二年刊行の秀水社版。二年後に白揚社からも刊行された。二年前に再刊された文庫の元になったのは、白揚社が平成十五年に出した新装版。

 本書の最後に「話道の泉」と題されている。

 さまざまな歴史上の話術の達人の逸話が取り上げられていて興味深いので、ご紹介したい。
 たとえば、この人物の、こんな行動が取り上げられている。

 黒田孝高(如水)、病に臥し、死前三十日ばかりの間、諸臣を罵辱す。諸臣思うに、病気はなはだしく、殊に乱心の体なり。別に諌むべき人なしとて長政(孝高の息)に告ぐ。長政もっともと思い孝高に、諸臣畏れ候間少し寛(ゆるやか)にし給えと言う。孝高これを聞き、耳を寄せよといわれし故長政寄せければ、「是は汝(な)が為(た)めなり、乱心にあらず」と小声で言われけり。
 是は諸臣に厭がられて、早く長政の代になれかしと思わせんためなりしとぞ。
 故菊池寛氏によると、戦国時代の武将の中で、どうしても五人選べということになるとこの黒田孝高を一人加えないわけには行かないそうだ。その目先の利くことは、秀吉、家康以上ではないかと思われるという。
 この死の直前における、諸臣罵倒侮辱の件は、ある意味では大話術である。
 家来どもを交々(こもごも)枕元に呼んで、セガレのことは何分頼むと、千言万語を費やすよりは、片端から怒鳴りつけ、叱り飛ばし、毒舌のあらん限りをつくして、
「早くこんなオヤジくたばれば好い。とてもこれではやりきれん。一日も早く、息子の代になってもらいたい。」
と、思わせた方が、はるかに効果的で、セガレのためになるわけ。
 話術においてもその通り、千語万語を用いるより、意外の方向から一言二言で、同じ効果をあげる場合がある。

 冒頭の引用は、吉川英治の『黒田如水』と思われる。

 なるほど、あえて嫌われ者になる言動を発して、世代交代を穏便に行おうとするのも、たしかに話術かもしれない。

 他にも、こんな逸話が。

 第一次大戦当時の、アメリカ大統領、ウッドロー・ウィルソンも、雄弁家列伝には欠かすことのできない大物だが、
「一時間位の長さの演説会なら、即座に登壇してやれる。二十分ほどのものだったら二時間ほど用意が要る。もし五分間演説だったら一日一晩の支度がないとできない。」と言ったことがある。面白い言葉だ。

 これ、よく分かるなぁ。
 以前、社内研修を企画したり自分で講師をしたりすることがあった。
 入社三年目のプレゼンテーションの研修で、同じようなことを話したことがあるが、自分が何かを話すにおいても、まったく同感で、短ければ短いほど、長い時間準備する必要がある。
 無駄な時間がないから、いかに要点を絞って、かつ効果的な話をしなければならないか考えなければならない。
 実際に研修で社員にプレゼンテーションをしてもらうと、準備が足らない人は、肝腎の要点を話す前に時間切れになったり、途中であせってしどろもどろになることが多かったものだ。
 お客のキーマンに、エレベーターで一緒になった時に、どれほど効果的なセールストークができるか、日頃から訓練することが大事、なんて話もあるね。

 つい、話が発展してしまった^^

 続けて、海外の話術の達人について。

 英国首相ロイド・ジョージは、北ウェルズ生れの五尺そこそこの小男であった。第一次世界大戦中のある日、南ウェルズ地方に演説に出かけた。
 司会者は大のロイド・ジョージ崇拝者であったが、彼を紹介するとき、こんなことを言った。
「実は、正直に申しますと、かねて畏敬するこの偉人は、もっと身体(からだ)の大きい堂々たる方と予期していたのですが、今日はじめてお目にかかって、実に意外に存じた次第で・・・・・・」
 すると首相は、大男の司会者に、ジロリと一瞥を与えておいて、
「実は、私も意外に驚いたことがあります。それは、私の生れた北ウェルズとご当地とでは人物を計る標準がまるで違ってるらしいことです。どうも、司会者の今のお言葉によると、南ウェルズでは人物をアゴから下の大きさで計るようですが、私共の北ウェルズ地方ではアゴから上の大小で人物を計るのであります。」
そう言って、自分自分の大頭を、愉快に振ってみせた。果然、破れんばかりの大喝采であった。


 このスピーチについて夢声は、とっさの機転ではなく、ロイド・ジョージが、かねて自分の欠点を心得ていて、万一に備えていたからだろう、と書いている。

 こういった逸話の蓄積は、夢声の座談やスピーチでも生かされたに違いない。

 本書を読んで感嘆したのは、とにかく引き出しが多い人だ、ということ。

 各説「第一章 日常話」に、知人関係の座談法の要点として、次のことを挙げている。

 A.教養が深く見聞が広く、話題が豊富であること
 B.共通の話題を選ぶこと
 C.相手の話をよく聞くこと

 BとCは、いわば「HOW」であって、話すという行為に関する手法や留意点ということになるが、Aは「WHO」であり、、自分自身のあり方に関することだ。
 
 まず、そういう人物にならなければ、話術も上達しようがないということが、本書を読んでもっとも感じるところである。

 まだまだ、未熟であることを痛感し、本書のシリーズはお開きです。

by kogotokoubei | 2020-01-16 12:47 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(2)
徳川夢声著『話術』より(2)_e0337777_09345776.png

徳川夢声著『話術』

 徳川夢声の『話術』からの二回目。
 本書初版は、昭和二十二年刊行の秀水社版。二年後に白揚社からも刊行された。二年前に再刊された文庫の元になったのは、白揚社が平成十五年に出した新装版。

 前回は、徳川夢声が、小学校の高等科の頃から、雨で体育が休みになった教室で落語を演じるほど好きだった、ということをご紹介した。

 今回は、本書の主眼である「話術」について書かれた部分からご紹介。

 総説「第二章 話の根本条件」では、話術の条件として、次の項目を提示している。

 (1)人格と個性
 (2)言葉の表現
 (3)声調と口調
 (4)間の置き方

 (1)から(3)までのご紹介を大胆に割愛し、「間」について紹介したい。

 夢声、なかなかユニークなたとえをしている。

 ハナシというものは、喋るものですが、そのハナシの中に、喋らない部分がある。これを「間」という。こいつが、実は何よりも大切なもので、食物にたとえていうと、ヴィタミンみたいなものでしょうが、直接、ハナシのカロリーにはならないまでも、このヴィタミンMがな欠けては、栄養失調になります。

 ヴィタミン「M(間)」とは、言い得て妙^^

 夢声は、ハナシに限らず、芸術と名がつくものには、音楽、美術、彫刻、文学、演劇、みな「間」が、重要な位置を占めているという。

 そして、実に興味深い、ある人の言葉が紹介されている。

 久保田万太郎氏は、
「忠臣蔵の四段目は、マの芝居ですよ」
と言われたが、あの長時間の幕に、台詞は非常に少ない。判官が切腹するというだけで、一幕のほとんど全部が済んでしまう。かりにこれを六代目(尾上菊五郎)がやると、あの長い時間を、満場水をうったる如くもたせるが、大根役者だと、その半分の時間しかもたない、その上客は大ダレとなる。要するにいわゆる「マ」がもたないのです。

 あの、判官切腹、出物止めの四段目を、「間」と言い切るのも、凄い。

 たしかに、長い忠臣蔵において、重要な間なのかもしれない。

 もちろん落語に関しても話は及ぶが、噺そのものに限らず、このようなことが書かれている。

 高座に落語家出てきました。彼は、高座に姿を現わし、中央まで歩いて、座布団にすわり、お辞儀をしました。
 ただこれだけで、この落語家は巧いか、拙いか見物にはわかっています。たったそれだけの動作、あるかないかの表情、その中にバランスの破れたところがあったら、これはもう拙いに決まっています。一人二人では鈍感な客も、大勢そろうと一種の連鎖反応が起こるでしょう。群集心理というものは、恐ろしい「勘」をもつものです。
 ですから、ハナシをする場合、コトバだけの研究では足りません。そのコトバにもたせる「マ」の研究、話している間の表情動作すべてにわたるバランスの研究、そこまで行かないと満点とはいえません。

 これ、よく分かるなぁ。

 舞台脇から高座にとぼとぼ歩いて、高座に落ち着く、その所作でも、たしかに巧拙は察しがつく。
 そういう動作、表情も含めて、「間」と捉えているのだ、夢声は。

 では、コトバだけでなく、「マ」の研究、いったいどうすればよいのか。

 では、その研究はどうするんだ?
 答えは平凡です。たくさんの経験をつむこと、絶えずその心構えでいること、これです。
「何か“マ”の簡単にわかる虎の巻はないのかい?」
だって? そんなものはありませんよ。何しろカンの問題ですから。

 ということで、経験をつむこと、絶えず心構えでいることで、なんとか、私の素人落語も磨いていかねば^^


by kogotokoubei | 2020-01-15 20:27 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(0)
 今回は、この本。

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徳川夢声著『話術』

 徳川夢声の『話術』は、初版が昭和二十二年秀水社の刊行。二年後に白揚社からも刊行された。二年前に再刊された文庫の元になったのは、白揚社が平成十五年に出した新装版。

 著者を知らない人も多いかもしれない。
 同書表紙扉にあるプロフィールを元にご紹介。

 徳川夢声 Tokugawa Musei (1894-1971)
 島根県益田生れ。本名福原駿雄。東京府立一中を卒業後、活動写真弁士となる。1915(大正4)年より“徳川夢声”を名乗る。独特のリアルな語り口で一世を風靡した。トーキーの時代を迎えると、漫談家、俳優、文筆家として活躍。’39(昭和14)年、ライフワークとなる吉川英治原作『宮本武蔵』を初めてラジオで朗読する。戦後は日本初のラジオのクイズ番組「話の泉」(NHK)への出演のほか、テレビにも進出。いくつものレギュラーを抱える。(後略)

 活動写真の弁士については、ちょうど映画「カツベン」が上映されていて、若い人にも良い歴史の情報提供になっているかもしれない。

 私個人も、「宮本武蔵」も「話の泉」も聞いたことはない世代だが、テレビで晩年の夢声の姿を見たことはある。

 さて、“話芸の名手”が、戦後すぐに著した本では、どんな“話術”の極意が明かされているのか。

 全体の構成は、このようになっている。
 
  総説
   第一章 話の本体
   第二章 話の基本条件
  各説
   第一章 日常語
   第二章 演壇話
  話道の泉

 拙ブログにおいて、徳川夢声の名は、落語関係の本について書いた記事で、何度か登場している。

 落語も好きだったし、実は、子どもの頃から自ら落語を演じていたのであった。

 各説「第二章 演壇話」の「演芸」からご紹介。

 私にとって落語は、実に結構な話術のお手本でした。私は、このお手本によって、無意識に勉強していたのであります。
 無意識と言うとおかしいかもしれませんが、私自身は落語によって、別に修業してる気は毛頭なかったので、ただ、好きで真似をしていたに過ぎないからです。後年、話術を自分の職業にしようなどとは夢にも想わなかったのであります。
 小学生のころ、雨が降って体操の時間が、お休みになると、私は教室で話をしたものであります。その話というのが、多くは落語でした。今日から考えると、随分乱暴な無茶なことですが、お女郎買いのお噂など、申し上げたこともあります。
 例の、フラれた客が忌々しがって、赤銅(あかがね)の洗面器を失敬し、背中に忍ばせて帰りかけると、オイランが送って何か嬉しがらせを言って、背中をポンと叩くと、ポワーンと鳴るーおや、今のは何だい、と言われて、なァに分れの鐘だよ、と下げるーあれを教室でやったのでした。
「うん、分れのカネか、ハッハッハッ」
 と聞いている先生が一番ウケて、喝采をしてくれました。

 こういう話を知ると、徳川夢声という人に、大いに親近感を抱く。

 私も、小学生の頃に教室で友達と組んで漫才を披露したり、中学や高校の予餞会などで落語を演じたものだ。

 とはいえ、夢声のように、バレ噺まではやらなかった、もとい、やれなかったけどね^^
 駿雄(としお)少年の落語のレパートリーは、私なんかより、とんでもなく多かった。

 それは、高等一年生ごろから始まったことー高等一年は今日の小学校五年、その時代は小学校が四年、高等科が四年という制度でしたーで、高等二年、三年がその絶頂でありました。とにかく、雨の降る度に、何かしら新しい話を、二ツなり三ツなり演ずるのでありますから、タネの仕入れが大変であります。
 そのタネの大部分は、文芸倶楽部や、小さん落語集とか馬楽落語集とかの活字から仕入れるので、落語の寄席へ通ったわけではありませんでした。耳から落語を聞いたのは、そのことまでは、ほんの数える程度のものでありました。私が盛んに色物席通いをしたのは、中学三年ごろからであります。

 なるほど、雨の日の出演のために、ネタを一所懸命に仕入れていたのだね。

 私も、受験勉強中にラジオの落語を楽しんだが、高校時代のネタの仕入れ先(?)は、もっばら興津要さんの『古典落語』だった。

 昭和四十七年の「上」から、「下」「続」「続々」「続々々」、そして昭和四十九年の「大尾」までの全六冊は、発行されるのを待ちわびて、親には参考書を買うと嘘をついて小遣いをもらい、本屋に駆けつけたものである^^

 この本を読んで、これまでは遠くにいた話術の達人を、身近に感じることができた。

 第一回は、これにてお開き。

by kogotokoubei | 2020-01-14 12:36 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(2)

立川談志著『食い物を粗末にするな』より(3)_e0337777_11582298.jpg

立川談志著『食い物を粗末にするな』

 『食い物を粗末にするな』から三回目。
 同書は、2000年3月に講談社+α新書で発行。副題に、「並の日本人」の食文化論、としてある。

 前回、本書の題に相応しい、第一章から紹介したのだが、実は、本書全体としては、それほど題にちなんだ内容ばかりとは言えない。

 これは、家元の他の著書でも時折あることだが、いろんな話題に発散したり、横道にそれたりしている。また、それが魅力でもある。

 そんないろんな話の中に、岩室温泉への小さな旅の記事でご紹介した、田んぼのことは、しっかり書かれている。

 「第三章 食いたきゃ己の手で作れ」から、引用。

 ズッシリと重い米

 家元、威張るようだが(いつも威張ってるが・・・・・・)、なんと、「田圃」を持っているのだ。つまり、“米が穫(と)れる土地を持ってる”ってことだ。それも米処は本場も本場、新潟の米処、西蒲原郡は岩室という土地だ。
 どうでえ、偉いだろ。有名人で田圃を持ってるのは、家元と、あと・・・・・・、日本の家元天皇家ぐらいだ。小渕も、菅も、不破も、小沢も持っていない。たけしも、毒蝮も高田も、長嶋も持ってはいまい。
 でも、考えて見りゃあ、妙な話だ。以前だったら、“田圃を持ってる”なんてなァ、田舎っぺいの証拠(あかし)だったのに・・・・・・。
 日本中が田舎っぺいになり、それが東京に集ってきたから、東京中は田舎っぺい。“故郷の訛を上野駅に懐かしく聞きに行った”啄木の時代が羨ましい。

 上野駅にある啄木の歌碑のことなど、どれだけの人が知っているやら。
 明治四十三(1910)年刊行の『一握の砂』の次の詩が、15番ホームにある。

   ふるさとの訛なつかし
   停車場の人ごみの中に
   そを聴きにゆく
         
 新幹線ホームしか知らない人が、今はほとんどではなかろうか。

 かつて、上野駅は、田舎っぺが憧れた駅だったなぁ。
 私が、五歳頃に父に連れられて、招待旅行で初めて東京に来たのも、寝台列車で上野が終点だった。
 なんと、その時に、はとバスで浅草演芸ホールに立ち寄って、てんや・わんやの漫才に笑ったことを覚えている。落語は、覚えていない^^

 本書に戻ろう。

 田圃を持つようになったキッカケも面白い。つまり、家元縁も由緒(ゆかり)もない。新潟の岩室の地に“何で田圃を持ったのか”ということが、ネ。
 ある時、この村の有志、と言うのか“村起こし”か、“興し”か知らないが、その有志の一人から手紙が来たよ。
「どうです家元、田圃を持ちませんか、一反ぐらいどうですか。この村は豊かだし、温泉も出る。米か美味い。それに競(くら)べると隣の村は温泉は出ないし、米も良くない。食べものは不味いし、土地も痩せてて、選挙違反も多い・・・・・・」
 粋な文句だ、呼びかけだ。家元の受けを狙い、当てている。加えて、“隣の村に桂三枝が来る・・・・・・”とサ。ということでOK、家元、お引き受け。


 岩室温泉について書いた記事で、談志の田圃のことを、岩室温泉観光協会のサイトから引用した。
岩室温泉観光協会のサイト
 この本では、大幅に割愛しているが、田圃を持つまでには、落語会での縁があった。
 あらためて、ご紹介。

談志の田んぼ開始までの経緯

昭和60年12月岩室村商工会青年部主催「第1回岩室寄席 春風亭小朝独演会」開催。昭和61年4月「吉窓・小満女二人会」により上記青年部員を中心に岩室落語会発足。
その後、岩室寄席と並行して小さな落語会を毎年開催し、現在まで続く。昭和62年江戸文字 立川文志師に談志師匠出演を依頼。12月「第3回岩室寄席 立川談志独演会」開催。
これが私たちと談志師匠との出会い。昭和63年~ 小さん、志ん朝、円楽、円蔵、円窓、各師匠出演の 岩室寄席を開催。平成5年12月「第9回岩室寄席 立川談志独演会」開催。平成6年11月「第10回岩室寄席 立川談志独演会」開催。
この10回をもって、商工会青年部主催の「岩室寄席」終了。
「岩室寄席」は終了したが談志師匠との接点を持ちつづけたいと 岩室落語会のメンバーは思っていた。そこで
.
「家元談志の田んぼ」

1)田んぼ一反の米を毎年師匠に進呈させていただく。(コシヒカリ8~10俵)
2)その田んぼは談志師匠の米であることを表示する。
3)年一度、田植え、稲刈り又は生育の視察の際に落語会、または宴会を持っていただく。
と談志師匠にお願いする。

江戸文字 立川文志師のお骨折りもあり、また、米に弱い世代でもあり、快諾していただく。平成7年10月25日の収穫祭=稲刈りより「談志の田んぼ」開始。
以降、毎回お家元来田し、手植え、手刈り、天日乾燥による農作業を実践。毎回、田植えと稲刈りにお家元が訪れ、夏井のじいちゃん、ばあちゃん、とうちゃん、かあちゃんと農作業に勤しむ不思議な空間、時間。この地に合うのか合わないのかを超えた存在感?そこで交わされる会話。教えてあげない。今度来ればいい…
 
 こういう、いきさつ。

 談志は、田植えに出向き、稲が実るまで土地の人に任せて、刈り入れ「新嘗祭」に再訪。

 仕事を終えて、・・・・・・と言っても大して刈るわけじゃあない。何せ天皇と同じくらいの労働力・・・・・・。その後に飲むビールも結構だが、そこに出される握り飯の旨さは格別。一口にこれを褒めるとすると、「米がズッシリと重い・・・・・・」、御飯が重いのだ。パンみたいに軽くない。
 ナニ、パンと比べることはないが、都会の米と違う。軽くない。重い、・・・・・・くどいか。そして一粒一粒がピカピカと秋の陽に輝いて・・・・・・、これが沖縄は粟国島の塩で食うと文句なし、この塩も旨(うめ)え・・・・・・。

 岩室温泉の記事で紹介した写真をあらためて。

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 高島屋の囲炉裏端でお茶を飲んでいる。

 これが、「ズッシリ」と重い握り飯を味わった後、なのかどうかは分らない。

 落語会の後か、あるいは田植えか稲刈りの後なのか・・・・・・。


 この正月、久しぶりに若い頃に知り合った金子君との縁で岩室へ行き、家元の写真を見つけて、ずいぶん前に読んだ本を再読した。

 家元は、たんに食べ物を大事にしただけでなく、日本の食文化を大切にしていたと思う。

 タピオカの店の行列を見たら、家元ならどう言ったか。

 叱ってくれる大人がどんどんいなくなり、その役割が自分たちの世代に回ってきたようにも思う。
 こんなちっぽけなブログでも、何か出来ることはないか、なんて思うこともある。


 さて、そろそろ、「食」を少しでも支えるためにバイトに行かなきゃ。

by kogotokoubei | 2020-01-11 10:27 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(2)
立川談志著『食い物を粗末にするな』より(2)_e0337777_11582298.jpg

立川談志著『食い物を粗末にするな』

 『食い物を粗末にするな』から二回目。
 同書は、2000年3月に講談社+α新書での発行。
 副題に、「並の日本人」の食文化論、としてある。

 「第一章 “捨てる”“残す”に腹が立つ」の冒頭からご紹介。

 地獄であり餓鬼である

 食べ物について書く。世の中ァ豊かで平和である証拠は、雑誌ィ見ても、車内や駅の広告見ても、テレビでも、何でも何処でも「旅」と「食い物」の話である。いや「旅と食い物」でなく、「食い物と旅」である。その旅という旅行とて、食い物の伴わない旅なんざァ現代(いま)の世にゃあ通用しない。ま、人間食わなきゃ死んじまうから、まず、生きていくためにゃあ「食う」ことであり、そのためにゃあ「食い物」、とこうなるだろうが、それにしても酷い。
 こんなに世の中に食い物が氾濫しているのに、まだあせり、ガッつき、あれも、これもと食い漁り、“それを食わなきゃ生きてる価値が無い”とばかりに群がり、集まり、食らいつく。見ようによっちゃあ地獄であり餓鬼である。

 “地獄”とか“餓鬼”といった言葉が、なんとも家元らしくはある。

 この本は約20年前のものだが、はたして今の日本はどうなのか。

 「食い物と旅」番組は増えるばかりだし、「食い物の氾濫」は、止まることがない。

 そして、多くの「食い物」が、捨てられている。

 引用を続ける。

 戦中、戦後の、あの物資(もの)の無かった時代、芋と水ばかりの中にわずかに米の浮いていた「雑炊」を、命を賭けて奪い合ったあの頃と、図式は一つも変わっていない。昔のそれは“己の生命(いのち)”という生きるためだったが、現代(いま)は・・・・・・一体何のためか、少なくとも、“生きる、死ぬ”という生命の問題ではあるまいに。なら何だのだろう。かほどに食い物に有り余る現代(ごじせい)に“未だ食ってない食物(もの)が残っている”“それを食わないでは死に切れない”とばかりに世界の食い物を、珍を、奇を、求めて血眼である。
 ちょいと世間に評判になると、といっても“テレビが写した”“テレビに映った”だけでその店の前には餓鬼共が並んでケツカル。これもまたヤミ市で、食い物を待つあの頃の風景と似て、貧乏人の姿とダブル。こんなに食い物が余ってるのに、何で、行列(なら)んでまで、その食い物を欲しがるのか・・・・・・。ちょいと考えて見てみりゃあ、さほどの食い物でもあるまいに。

 まさに旬(?)のタピオカを例にあげるまでもなく、メディアが、なかでもテレビが取り上げ、そこに行列ができ、それを売るお店が激増するという構図は、20年前から変わらない。

 いまや、テレビ情報がネットで拡散される。LINEで映像付きで友人から送られ、「私も行かなきゃ!」と、“友達の輪”が広がる。

 ちなみに、タピオカ、私はずいぶん前に、訳の分らないエスニック料理屋で食べて以来、まったく口にしていない。好みもあろうが、何が良くて、行列してまで・・・・・・。

 さて、家元が憤慨する飽食日本ではあるが、地球全体を見れば、まったく違った現実が存在する。

 日本農業新聞が、昨年の「世界食料デー」10月16日に、こんな記事を載せている。
日本農業新聞の該当記事

飽食の向こう側で、一体何が起きているのか。国連などによると、世界の穀物生産量は毎年26億トンを超す。在庫もあり、人類の胃袋を満たすのに十分な生産がある。なのに9人に1人が慢性的な栄養不足に苦しむ。アジアやアフリカに集中し、3年前から増加に転じている。気候変動や政情不安が危機に拍車を掛ける。

 この世界では、8億人が飢え、19億人が食べ過ぎで、うち6億人は肥満である。なぜこんな食の偏在が起きるのか。

 先進国を中心に世界の食料の3分の1、13億トンが毎年廃棄されている。日本も「フードロス大国」で、年間約640万トンが捨てられている。国民1人が毎日、茶わん1杯分のご飯を捨てているのに等しい。37%と過去最低の食料自給率しかない国で、この大量消費・廃棄である。

 食べ物を捨てることは、生産に要した大量の水や土壌などの資源を無駄にすることでもある。長距離輸送に伴う二酸化炭素(CO2)排出など環境にも負荷を与える。

 自分が捨てる茶碗一杯のご飯で、救われる人もいる、という想像力を持つことは大事だろう。

 「フードロス」は、Wワークで飲食関係のアルバイトをしている私としても、実に切実な問題だ。
 そのお店は、セントラルキッチンではなく現場で仕込むものが多いお店。また、それを“売り”にもしている。

 もし作り過ぎると、期限を過ぎたら捨てざるを得ない。昨日のバイトでも、期限切れのため捨てたものがあった。
 とはいえ、仕込みが少なすぎると、販売チャンスを逃がす。券売機に「売り切れ」の赤ランプがつく。それを見て帰るお客さんの姿を見ると、寂しくなるのだよ。

 また、お客さんの食べ残しを捨てる時は、なんとも複雑な心境になる。
 「不味かったのか?」「量が多すぎたのか?

 とにかく、もったいない。

 本書に戻る。

 家元の「弁当箱」のこと。

 一口に言うと、「食べ物を粗末にしすぎる」。ナニ世の中食べ物ばかりではないけれど、いくら日本が豊かでも、ああ簡単に食い物を捨てては不可(いけ)ない、残しては駄目だ。まして談志(あたし)のように戦中、戦後と物資(もの)の無い時代に生きてきた年代の者にとっては、気が狂いそうになるほどの食い物の氾濫と、それらを平気で“残す”“捨てる”という行為に我慢が出来ない。腹が立つ。
 (中 略)
 それでネ、そこで作ったのが、立川談志のタッパーウェア、つまり、「談志パック」の出現、出番である。ナニ、それほどのモノに非ズで、普通のタッパーに山藤章二画伯による家元の似顔絵が描いてあって、
 ●食べ物は大切に
 ●パーティ・宴会の残り物は持って帰ろう
 ●乾杯前に詰め込むのは禁ずる
 ●責任は自分で負い、自分のリスクで食え
 ●ニセ物に気を付けろ
 と、こういう文章であります。

 この弁当箱、欲しいなぁ^^

 
by kogotokoubei | 2020-01-09 12:47 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(4)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛