噺の話

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カテゴリ:今週の一冊、あるいは二冊。( 106 )



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 殿山泰司さんの『三文役者の無責任放言録』から、二回目。

 仕事先の広島で川島雄三の訃報に接し、流山のBARで飲みながら涙が止まらなかった、殿山さん。

 映画のロケ先の広島では、乙羽信子さんも一緒だったと書かれていた

 撮影していたのは新藤兼人監督の「母」。
Wikipedia「母(1963年の映画)」

 脳腫瘍の子供のいる主人公を乙羽さんが演じ、殿山さんは三人目の夫の役だ。

 
 さて、広島で泣き明かした、その後のこと。

 告別式の日、仕事の都合で偶然に東京に帰れた。しかしオレは汚れたシャツ1枚でサンダル履きであった。ウチへ帰る暇もなかった。小沢昭一に電話をした。構わないよ、その方が旦那も喜ぶんじゃないかな、と言ってくれた。川島旦那は解ってくれるだろうが、解ってくれない沢山の人間の眼がイヤであった。芝大門のお寺へ行かないことにお決意した。1万円の香典を事務所の人間に託した。
 何故1万円なぞとイヤらしきことを書いたのか説明したい。川島旦那の手下であった日活の今村カントクから、旦那がこの世に残したものは借金ばかりである。だから香典は1万円にしろと命令があったのである。命令は守らなければならない。命令は守られてこそ組織のチカラは発揮出来るのである。ツマランことを書くな、川島雄三伝だぞ。

 川島のこの世に残したものは、借金ばかり・・・・・・。

 弟子の今村昌平が、その借金を少しでも返済するための、香典一万円縛り、だったということか。

 「団塊世代の想い出」というサイトに「昭和の物価」というページがあった。
「団塊世代の想い出」の該当ページ

 昭和38年当時、公務員の大卒初任給が15.700円、かけそばやラーメンが40~50円、喫茶店のコーヒー60円、銭湯23円、映画館が250円という時代。

 私が八歳の時で、たしかに、近所のラーメン屋さんのラーメンが、50円だったような気がする。

 その高額な香典で、果たしてどんな供養ができたのだろうか。


 この後の部分も引用する。

 ああ又しても涙がポロポロと出る。思えば川島旦那とオレのそもそもの出会いは、昭和21年晩秋の大船撮影所であった。オレは中支より復員したばかりであった。オレにとっては見知らぬ撮影所であり、イヤな日常の中で、風景にも、オレの精神にも冷い風が吹いていた。そんな或る日、撮影所前のメシ屋でオレは得体の知れない酒を飲み、川島旦那も得体の知れない酒を飲んで居た。川島旦那はあのギロギロした眼でオレを睨みつけていた。何故睨みつけられたのかオレには判らない。オレの態度が不遜であったのであろうか。オレは人見知りをするからつい態度が不遜になってしまう。キライな習性である。しかしやがて酒のチカラで会話が始まった。川島旦那とオレとの交情の幕が開いたのだ。会話は主に織田作之助や太宰治に就てであった。初めての日、旦那とオレは初めて肩を並べて新橋へ出た。酒を飲むためである。記念すべき日であったのだ。涙が出る。

 話題になったという二人の作家について、川島は織田作は肯定的に、そして、太宰は否定的に語ったのであろう。
 殿山さんも同じような織田作と太宰への印象を抱いていたのかは分からないが、初対面で肩を並べて酒を飲みに行ったということから、意気投合したと察する。

 三歳上の殿山さんだが、川島との関係は年齢の差とは逆だったようだ。

 《下手な役者奴》と川島旦那によく言われた。下手な役者と言われることは役者にとっては不快な言葉である。しかし旦那の《下手な役者奴》の中にはユラメク様な愛情があった。胸の熱くなる様な信頼があったのだ。
 《下手なカントク奴》とオレも小さな声で言いたかったけどとうとう言えなかった。バカ、当り前ョ、オニイサンコソ死ネバヨカッタノヨ。

 なんとも独特の言い回しだが、殿山さんの川島雄三への想いが、十分伝わってくるではないか。

 二人で飲んだ時のこと。

 川島雄三は酒飲みであった。川島旦那は小児マヒであった。だから酒場で酔ってよく倒れた。パタンと倒れた。それはパタンと形容していい様な倒れ方であった。そんな時オレは手を貸さなかった。手を貸すなどとはいと易き行為である。手を貸さぬことこそ死ぬ程ツラかったのだ。オレは慌てて酒場のオンナに話しかけたり、眼をつぶって酒をガブガブと飲んだ。オレの胸の中を涙が流れていたのを誰も知るまい。酒場のオンナは非情なオレを睨みつけた。オンナなぞに何が判る。無礼者!!非情こそ厚き友情なのだ。非情こそ真紅に輝く花なのだ。オレは旦那の根性を尊重しただけである。川島旦那は何事も無かった様な顔をして再びオレの隣に坐って、酒を飲み始めるのであった。涙が出る。

 二人の男の、それぞれのダンディズム、ということか。

 倒れても助けないダンディズム、そして、何事もなかったかのように、カウンターのスツールに戻るダンディズム。

 小児マヒ、というのは誤りである。

 川島は松竹に入社時に、身体に何らかの問題があったわけではなく、助監督時代は、監督の指示により走り回っていたという証言がある。

 だから、成人してからの病であり、その病名は、藤本義一の『生きいそぎの記』について書いた記事の五回目に登場する。
2018年9月27日のブログ

 弁慶と牛若丸のどちらが好きか、という話題で川島と口論して家に帰った藤本が川島からの電報を見て、宿に帰る。
 川島が不在だった部屋にあった『家庭医学全書』の燐寸棒の栞のあるページで、藤本はその病名を目にした。
 シャルコー病、あるいは、筋萎縮性側索硬化症。これが、川島雄三の病だった。

 
 次の最終回は、そんな川島が殿山が初の映画賞を受賞したことを、どのように祝ってあげたのか、などを紹介したい。

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by kogotokoubei | 2018-10-16 12:36 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(0)

 川島雄三については、今年が生誕百年ということで、落語会を含みイベントが開催されているということを、以前書いた。
2018年6月13日のブログ

 なお、『幕末太陽傳』に登場するネタが披露される落語会は、六本木俳優座で10月29日~11月3日に開催。

 まだ、行くかどうか、迷っている。
 あの会、木戸銭も安くはないし、果たしてあの企画を天国の川島雄三は喜んでいるのかどうか、なんてことを思っている。

 また、川島と共同で映画「貸間あり」の脚本を書いた藤本義一の『生きいそぎの記』について、9月20日から五回にわたって紹介した。
2018年9月20日のブログ


 その川島雄三について、ある俳優さんが書いている本を、先日古書店で発見。

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 殿山泰司さんの『三文役者の無責任放言録』である。
 私の大好きな、俳優さんだ。

 角川文庫版だったが、この本の初版は昭和41(1966)年の三一新書。そして、この角川版は昭和59(1984)年発行だが、その後、平成12(2000)年には、ちくま文庫でも再刊されているようだ。

 いずれにしても、古書店でしか入手できない本。

 立ち読みして、買うことに決めた章が、この川島雄三について書かれた一文。

 冒頭部分を、引用。
小さな《川島雄三伝》《1963・7》

 オレ如き若輩が《川島雄三伝》なぞとオコガマシイ。百も承知。書くべき人は沢山居る。先輩諸兄よ。貧しい三文役者の非礼を許して下さい。書きたいのです。ポロポロと涙が出る。オレの涙にうるんだ瞳に免じて許して下さい。《小さな》と言う字を付けたのも原稿の枚数の関係ではありません。精神の関係です。叱らないで欲しい。イヤ叱られても書く。

 三一新書の初版発行は、前述のように昭和41年だが、内容は文藝春秋の『漫画読本』の連載が元であることを、本文庫解説で井家上隆幸が説明している。

 川島が亡くなったのは、昭和38(1963)年6月11日なので、まだ、記憶が鮮明な時の文章だ。

 引用を続ける。

 ロケ先の広島で川島旦那の訃に接した。信じたくなかった。嘘だと思った。同行の乙羽信子も《信じられない、信じられない》とツブやいていた。悲しくも本当であったのだ。ロケバスの中で、宿舎の部屋で、オレはポロポロと泣いた。川島旦那よ、何故オレよりも先に天国へなぞ行ってしまったんだ。極道なオレが先に行くべきであった。バカタレじゃ。オレも連れてってくれ。

 ね、まだ冷静さを取り戻してはいない、文章でしょ。

 殿山泰司は川島雄三より三歳上の大正四(1915)年10月17日生まれ。
 だから、川島が今年二月で生誕百年だったが、殿山は明後日に生誕百三年、ということになる。記念日とは、言えない。

 引用を続けよう。

 その夜、オレは流山のBARへ行って浴びる程ウィスキーを飲んだ。マダムが《どうしたの今夜は》と言った。《お通夜じゃ》《誰の》《知らん、誰でもエエ》。涙がポタポタとグラスの中に落ちた。ウイスキイと一緒に飲んだ。死ぬ者はバカタレじゃ、と怒鳴ったらしい。マダムもオンナ達も遠ざかってオレを一人にしてくれた。その心情が嬉しかった。

 ここで、日活のサイトにある『幕末太陽傳』のページのCastの紹介から、殿山泰司の短いプロフィールを引用する。
日活のサイトの該当ページ

仏壇屋倉造:殿山泰司
1915年10月17日-1989年4月30日。亨年73歳。
1936年に新築地劇団に入団。39年に千葉泰樹監督作品『空想部落』でスクリーンデビューを飾る。42年に興亜映画に入所し、第二次世界大戦をはさんだのち『森の石松』(49)などの吉村公三郎監督作品に参加し、50年に吉村公三郎監督が設立した近代映画協会に創立メンバーとして参加する。その後、様々なジャンルの映画に出演し名バイプレイヤーとしての地位を確立した。


 殿山さんの名は、五年近く前になるが、五街道雲助の本を紹介した記事の中で、雲助の「酒の師匠」であった、「かいば屋」の常連として登場した。
2013年11月21日のブログ

 「かいば屋」が、のれんを新しくする際、その字を書いたのが殿山さん。


 また、吉村平吉さんの『吉原酔狂ぐらし』を紹介した記事にも登場する。
2014年6月7日のブログ

 作者吉村平吉は、野坂昭如の『エロ事師たち』のモデルであり、『実録エロ事師たち』という著作もある。野坂昭如の原作を元にした映画は今村昌平監督により主役は小沢昭一さんだったが、吉村さんの“実録”の方は、日活ロマンポルノの曽根中生監督で映画化され、主演が殿山泰司さんだった。

 吉村、野坂、田中小実昌といった人たちとの“酔狂連”という文化的(?)サークルのメンバーとしても殿山さんの存在は大きかったようだ。


 次回は、香典の金額が明かされ、その金額を指定した人や、なぜそうだったかなどについても、ご紹介したい。


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by kogotokoubei | 2018-10-15 12:44 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(4)
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是枝裕和著『万引き家族』

 最終、四回目。

 まだ、上映中の映画館があるので、内容を知らずに観たい方は、ネタバレ注意なので、ご留意のほどを。

 今回は、祥太のこと。

 ある日、治は祥太を連れてパチンコ屋に行く。

 耳が良い祥太は、四方八方から大きな音が聞こえるパチンコ屋は嫌いだったが、しぶしぶ治に付き合った。

 治は、万引きのみならず、クラッシャーという道具で車上荒らしをしていた。

 パチンコ屋の駐車場は、治にとって格好の仕事の場なのだ。

 その時、ガラスの割れる大きな音がした。
 祥太が音のほうを見ると、赤い車の後部座席から、治が大きなアルファベットの文字がデザインされたバッグを取り出しているとことだった。
 腹の前でそのバッグを抱え、治は、普段の姿からは考えられないような素早さで翔太に向かって走ってきた。
 (中 略)
「すげえなぁ・・・・・・やっぱこれ」
 治は走りながら祥太にクラッシャーをかかげてみせた。
「・・・・・・僕の時はさぁ」
 それには答えず祥太は聞いた。
「・・・・・・ん?」
「助けてくれた時・・・・・・」
「あぁ?・・・・・・」
「あの時も・・・・・・何か盗もうとしてたの?」
 治は力の無い笑みを祥太に向けた。
「バカ、違うよ・・・・・・、あん時はお前を助けようとしたんだって」
 いつも「仕事」が成功した時と同様に治は拳を出した。祥太はその拳を拳で受けなかった。
「何だよ」と治は祥太の肩のあたりを叩いて、走り去る。祥太は立ち止まって治の背中を見送った。

 治の言葉は信じられるのだろうか・・・・・・。

 祥太と治の間に、大きな溝ができた出来事だった。

 この後、このように続いている。

 祥太がパチンコ屋が嫌いなのは、音の他にもうひとつ理由があった。
 夏の暑い日に車の中でひとり、シートベルトをしたままで座っていた。後部座席だった。ペットボトルがひとつシートに転がっていたが、ひと口飲んたら、お湯になっていて、やめた。
 遠くでパチンコの音が時おり鳴って、消えた。
 そんな時、ガラスの割れる音がして、その穴から車の中を覗いたのが治だった。
 治は祥太のシートベルトをはじして抱き上げた。
 それは治が祥太に繰り返し聞かせたふたりの出会いの物語だ。そしてそれは、もう祥太自身の記憶になってしまっていた。「祥太」という名前その時治がつけたものだった。治に命を助けてもらった。祥太はそのことをずっと感謝していた。
 だから治がりんを救った時も、こうやって自分も救われたんだと思ったし、だらしの無い「父親」でも、嫌いになれなかった。でも、今こうして祥太を残して逃げていく治を見ていたら、祥太の中でふたりの出会いの記憶が少しづつ変質していくのがわかった。治は祥太を助けようとしてガラスを割ったのではなくて、何かを盗もうとしてガラスを割ったら、たまたま祥太がいたのではないか?
 ただそれだけなのではないか。治を追うのをやめて道の真ん中に立ちつくした祥太は、自分の手のひらをじっと見た。
 祥太はこの日を境に、二度と治と「仕事」には出かけなかった。

 
 祥太は、大きな岐路に立っていた。

 治は、スーパーの商品は、まだ誰の物でもないから、もらってもいいのだと言い、その言葉を信じてきた。
 しかし、車のガラスを割って中の物を取ることは、その持ち主から奪うことではないか・・・・・・。
 その自問が、万引きだって、悪いことではないか、という自答になってきたと言えるだろう。

 治は、果たして車上荒らししていて、偶然に子供を見つけたのか、それとも、救い出すためにガラスを割ったのか・・・・・・。

 いずれにしても、ある町のパチンコ屋の駐車場の車の中にいた祥太を、治が救い出したことは事実であり、その場所や車のことは、後で信代が祥太に明らかにする。

 もし、柴田家の偽りの家族生活が続きいていたとしても、治と同じような「仕事」をする大人にはならなかっただろう。

 このシリーズは、映画を観た方に読んでいただくという前提なので、その後の筋書きは割愛し、話は飛ぶ。

 施設にいる祥太が、留置されている信代の希望で治と一緒に信代に会った後、祥太は治が一人で住むアパートに泊まる。

 祥太は治とひとつのふとんで背中合わせに寝た。
 雪に濡れた服は流しの前につるした洗濯ひもにかけ、電気ストーブを下に置いた。
 (中 略)
「あのね・・・・・・」
 祥太はずっと気になっていたことを思い出した。
「ん?」
「みんな・・・・・・僕だけ置いて・・・・・・、逃げようとしたの?」
 治の背中が強く固まるのがわかった。
「あぁ・・・・・・した。その前につかまっちゃったけどな」
「そっか・・・・・・」
 いつもの治なら「そんなこと無いよ。お前を迎えにいくとこだったんだ」と嘘をついたかもしれない。
 でも祥太と同じように、治も昼間ガラス越しに見た、信代の最後の笑顔がずっと頭から離れていなかった。
「ごめんな・・・・・・」
「うん」
「ごめん」
 治はもう一度謝った。祥太はもう返事をしなかった。
「父ちゃん・・・・・・おじさんに戻るよ・・・・・・」
 治はしぼるように言った。前から考えていた言葉ではなかった。さっき雪だるまを一緒に作りながら、初めて浮かんだ考えだった。
「父ちゃん」と一度も呼ばれていないのに、そんなことを言い出すこと自体、祥太はおかしく感じるかもしれなかったが、治は祥太の返事を待った。
「うん、いいよ」 
 祥太は背中を向けたまま言った。ふたりとも、もう何も喋らなかった。
 一人で罪を背負った信代は、面会の際に、祥太がどの町のパチンコ屋の駐車場にいたのか、どんな車でどの町のナンバーだったのかを伝えた。

 うろたえる治に対し、信代は「もうわかりなよ。私たちじゃダメなんだよ、この子には」と語気強く言った、

 治も、信代の言葉が身にしみたのだろう。

 さて、そろそろこのシリーズのサゲ(?)にかかろう。

 祥太は、翌日、バス停で治と別れる。

「わざとつかまった」
 祥太が言った。
「え?」
 治は聞き返した。
「僕、わざとつかまったんだ・・・・・・」
 祥太はもう一度そう言った。
 それが祥太の優しさなんだと治はすぐにわかった・
 終わりにしたのは治じゃなくて、祥太なのだと。
「おじさんのせいじゃないよ」
 目の前の少年は、そう言っているのだ。
 (中 略)
「祥太」
 治は小さな声で言って手を振った。祥太は聞こえないようだった。車内を歩いて一番後ろの席に座った。バスは動き出した。
「しょうた」
 もう一度呼んだ。気がついたら治はバスを追いかけて走っていた。祥太はこちらを見なかった。
 祥太は帽子を目深にかぶったまま、頑なに振り向こうとしまかった。振り向いて手を振ったら、きっと治はもっと辛いだろうと思ったからだ。
 しばらくバスを追いかけていた治の気配が、信号を3つ越えたあたりですっかり無くなった。そこまで待って、祥太はようやく窓の外を振り向いた。雪の残った舗道の植え込みが後ろに流れていく。

「・・・・・・父ちゃん・・・・・・」

 祥太は口の中で初めて、そう呼んでみた。


 実は、映画を観ていて、この言葉は分からなかったなぁ。

 その後、この本を読む前にネットで知った。

 初枝が、海で戯れる家族を眺めてつぶやく「ありがとうございました」と、この祥太の「父ちゃん」は、どちらも声にならない、言葉だった。

 今思うと、声に出せないということにも、大きな意味があったように思う。

 大きな声ではいえない、しかし、そう言いたい・・・・・・。


 これにて、このシリーズはお開き。

 長々とお付き合いいただき、ありがとうございます。

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by kogotokoubei | 2018-10-05 21:27 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(0)
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是枝裕和著『万引き家族』

 三回目。

 まだ、上映中の映画館があるので、内容を知らずに観たい方は、ネタバレ注意なので、ご留意のほどを。

 治と信代が、初枝の家に転がり込むことになった背景、そして初枝の本当の息子について書かれた部分。

 りんと信代がそうであるように、初枝と信代もお互いに「選んだ」親子だった。
 8年ほど前、信代は日暮里のスナックでホステスをしていた。治は最初、その店の常連客だったが、いつしかカウンターの中に入り、客の注文をとったりするようになった。そのうち夫の暴力から逃げてひとり暮らしをしていた信代のアパートで同居を始めた。その治がパチンコ屋で出会ったのが初枝だった。
 隣の客の玉を盗もうとしていた初枝に気づいて興味を持ち、初枝が暮らしていたこの家に遊びに来たのが始まりだった。
 初枝はひとり暮らしだった。女手ひとつで育てたひとり息子は結婚してしばらくは同居していたが、気の強い嫁と初枝のそりが合わず、一年足らずで別居することになった。
 その後息子からは、まったく音沙汰がない。仕事の関係で博多へ転勤になり、そのまま家族と向こうで暮らしているという噂を耳にしただけだ。
 「治」というのが息子の本名で、嫁の名が「信代」だ。初枝の家にふたりが転がり込むと決めた時に、この名を名乗ると決めたのだった。
 りんがりんでないように、信代は信代ではなく、治も治ではない。亜紀も含め、この家で暮らす家族のほとんどがふたつの名前を持っていた。

 「二つ名を持つ」家族たち・・・・・・。

 初枝は、夫に逃げられた後、実の息子からも捨てられていたわけだ。

 それにしても、初枝の息子夫婦の母親への態度は、少し酷すぎる。

 だからこそ、初枝にとって、同じ名前をつけた治、信代は、同居してくれる大事な家族、だったということか。

 家族をつなぐのは“血”なのか、それとも“関係性”なのか。

 これは、是枝監督が抱き続けるテーマと言えるのだろう。

 映画の中の印象的なシーンはいくつかあるが、その中の一つを小説から再現。

 信代とりんが一緒のお風呂に入っている場面だ。

「それどうしたの?」
 りんが信代の左手の二の腕についたヤケドを指差した。
「あぁここ?アイロンでジューって・・・・・・」
 信代は右手で自分のヤケドの痕に触れた。クリーニング工場で働き始めてすぐに出来た古傷だ。
「私も」
 りんは自分の左腕を信代に見せた。
 りんの腕にも同じようなヤケドの痕がある。細長い柳の葉のようなその形は、信代と同じだ。おそらく母親に折檻されたのだろう。
 どうしたの? と聞かれるたびに「転んだ」と見えすいた嘘をついてきたりんが、初めて自分からヤケドだと認めた。
「ほんとだ。同じだね」
 ふたりは腕を2本並べて傷を比べた。りんは指を伸ばして、ふいに信代のヤケドの痕に触れ、優しくなで始めた。
 信代は息を止めた。湯の中で心臓が高鳴るのがわかった。初めて経験する感覚だった。
「・・・・・・ありがと。・・・・・・もう痛くないよ・・・・・・大丈夫・・・・・・」
 信代はそう言ったが、りんは首を横に振って信代の傷をなで続けた。
 りんはきっと自分のヤケドに触っているのだ。その傷はまだ治らずに痛いままなんだ。
 そのかわりに私の傷に触れている。信代は自分の身体がほてっていくのがわかったけれど、「もう出ようか」とは口に出来なかった。

 是枝映画では、入浴シーンが効果的に挟まれるが、この場面も実に良い。

 ジーンときたなぁ、観ていて。

    仲の良い家族--->裸の付き合い--->入浴

 という一つの考えが、きっと監督の頭にはあるのだろう。


 さて、今回最後に紹介するのは、映画ではその音声を聞くことができなかった、初枝の“つぶやき”の謎解き。
 
 柴田家が、海水浴に出かけた時のこと。

 皆が、波打ち際で楽しそうに遊んでいる時、初枝が一人、シートに座り、治が失敬してきたパラソルの下で、幸せそうな五人の姿を見ていた。

 シートの上に初枝だけが残った。砂の上に投げ出した自分の素足が目に入った。白く皮膚のたるんだその足にはたくさんのシミがついていた。
「わぁすごいシミ・・・・・・」
 初枝は口に出して言ってみた。そうして太陽に照らされてすっかり熱くなっていた白い砂を手ですくい、自分の足にかけた。砂はサラサラとすねを左右にすべり落ちて、砂浜に戻った。ひときわ高い治の笑い声が聞こえ、初枝は顔を上げた。
 太陽が雲に入って急に日が陰り、初枝は背中のあたりに寒気を感じた。
 信代が合流し、5人は手をつないで波を待っている。その後ろ姿を見ながら、初枝は小さな声で呟いた。

 
「ありがとうございました」

 しかし、その声は、波音と5人の笑い声にかき消され、誰の耳にも届くことはなかった。

 映画の観客にも、その声は届くことはなかった。

 しかし、私は、初枝(樹木希林さん)の口の動きで、この言葉であると察した。
 映画を観た多くの方も、分かったのではなかろうか。

 私は、初枝が、そう長くはない寿命を察知し、血はつながっていなくとも、そして、年金という金がつなぐ関係であろうとも、柴田家の子供たちに心底感謝しているということを彼女が伝えるこの場面、実に美しいと思った。


 この言葉が樹木希林さんのアドリブであること、そして、そのアドリブが是枝監督にとって、この映画づくりの方向性を与えたこと、などは少し前の記事で紹介した。
2018年9月19日のブログ

 その記事でも書いたのだが、あの言葉は、初枝同様に死期が近いことを察していた樹木希林さんご本人の言葉でもあったように思えてならない。

 さて、次回を最終回と考えているが、あの映画の中で、もう一つあった声にならない“つぶやき”の謎について、書くつもり。

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by kogotokoubei | 2018-10-04 21:36 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(2)
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是枝裕和著『万引き家族』

 二回目。
 まだ、上映中の映画館があるので、内容を知らずに観たい方は、ネタバレ注意なので、ご留意のほどを。

 映画について書いた記事でも書いたが、柴田一家の役名と俳優を、もう一度確認。
2018年6月25日のブログ

 
   役名  :  俳優
  柴田初枝 : 樹木希林
  柴田 治 : リリー・フランキー
  柴田信代 : 安藤サクラ
  柴田亜紀 : 松岡茉優
  柴田祥太 : 城桧吏
  凛*じゅり: 佐々木みゆ

 今回は、初枝、そして亜紀について、映画では語られていなかった謎の解明を含めて紹介したい。

 信代の妹、という設定の亜紀は、祖母初枝が好きで、寝るときも初枝の布団で一緒に寝るほどだ。
 偶数月の15日、初枝と亜紀は銀行で年金を引き出してから、水神様の参道にある甘味所に入る。そこでの、二人の会話。

 かんてんをひとつ口に入れて、亜紀は仕事の説明を始めた。
「ちょっと脇チチが見えるニットのワンピースを着て、こうすんの」
 亜紀は自分の胸を左右から寄せて揺すってみせた。
「脇チチねぇ・・・・・・。そういうのが流行なんだ・・・・・・」
 初枝は顔をしかめるでもなく、興味津々で亜紀を見ていた。
「そ。3000円をお店と女の子で半々」
「いいわねぇ、そんなんでお金もらえて」
 初枝はおしるこの中に入っていたもつを箸でつまみ、音を立てて歯ぐきでしゃぶり始めた。他人が見たら相当不気味だったろうが、亜紀には気にならなかった。
「おばあちゃんだってもらってんじゃん・・・・・」
 初枝がもらっている年金は、亡くなった夫の遺族年金だった。男からもらっているという意味では大差ないと、亜紀は考えていた。
「私のは慰謝料みたいなもんだからさ」
「慰謝料?年金が?」
 亜紀はそう確認した。一瞬考えを巡らしていた初枝は「そう・・・・・・年金年金」と、亜紀の言葉を繰り返すと、しゃぶっていたもちを、「あげる」と言って亜紀のあんみつの上に乗せた。さすがにこのもちを食べる気にはならなかったが、ことさらそのことに嫌悪を示すこともなかった。
「そうだよねぇ・・・・・」
 同情するように亜紀は言った。初枝の夫は、結婚してまもなく外に女を作り、初枝と息子を残して家を出てしまったのだ。初枝は、何とか女手ひとつで息子を育てたが、苦労したことは間違いないし、何より捨てられたことに対する恨みつらみは相当なものだったろう。

 初枝の夫のことは、映画を観ても分かるのだが、この小説では明確に上のように書かれている。

 紹介した亜紀とのやりとりで、年金のことを勘違いしていた初枝は、いったい何を思っていたのか。

 これは、映画でも描かれていたが、初枝は、女を作り自分と息子を捨てた元夫の月命日に、夫とその女の息子の家を訪れる。
 行く前に電話をして、電車を乗り継ぎ、横浜郊外のその家に行くと、仏前に手を合わせ、その後、元夫の息子の嫁は紅茶とケーキを初枝に出すのがお決まりだ。
 そして、帰り際に三万円入りの封筒を受け取り、帰るのだった。

 その訪問の様子を記した後、次のような文が続く。
 
 ここへ彼女がやってくるのは、最初は単純な嫌がらせのためだった。
 前夫の葬式の時に寺で会い、それからたびたび訪れては、こうして金をもらって帰った。
 この金を初枝は慰謝料だと思っていた。
 そこで出会った娘の亜紀とたまたま帰りのバス停で一緒になり、声を掛けた。亜紀は自分でもよくわからない不満をこの家族に対して抱えていた。一緒に暮らさないか、と初枝が亜紀を誘った。亜紀は思いのほかあっさりとその提案を受け入れ、翌月にはもうあの荒川の家の住人になっていた。

 このような、亜紀が擬似家族の一員になった背景は、映画では語られていない。

 亜紀の風俗店の源氏名は、妹の名前である、さやか。

 なぜ亜紀が店で妹の名を名乗っているのか、初枝には何となくわかった。
 復讐なのだ。
 あとから生まれ、自分から両親の愛を奪った妹に対する亜紀なりの仕返しだ。別にさやかや両親に何か特別な落度や、亜紀に対する酷い仕打ちがあったわけではないだろう。だから、もし、そのことを知っても彼らにはまったく理由がわからないはずだ。亜紀のそのゆがんだ愛は、初枝がこの家に何度もやってくる感情と通じるところがあった。
(あの子の言う通り、私と亜紀は血はつながっていないのに、似ている)
 初枝はそう思っていた。そう思って余計に可愛がっていたのだ。

 初枝を捨てた前夫の孫にあたる亜紀。
 亜紀の祖母が、初枝から前夫を奪った女だ。
 
 亜紀から見ると、こういう関係。
 
  祖母ーーー祖父------x------初枝
      |
      |
      |
母ーーーー父
    |
   |
ーーーーーー
|       |
亜紀   さやか(妹)  

 亜紀にとっては、祖父、祖母、両親、そして、妹という家族、家系の全体が、嫌だったのかもしれない。

 そう考えると、初枝と亜紀には、敵の敵は味方、というような感情もあったのだろう。
 血はつながっていなくても、ある血への敵対心でつながっていた、とでも言おうか。

 ちなみに、映画における亜紀の本当の父である柴田譲は、緒形直人が演じ、母親の柴田葉子は、森口瑤子だった。

 あの映画、脇役も結構、贅沢なのである。


 さて、亜紀の両親の名で分かるように、初枝は、前夫の柴田姓を捨てなかった。
 
 そして、擬似家族での息子の治とその妻の信代という名は、実の息子とその嫁の名なのである。

 その初枝の息子は映画には登場しない。

 次回は、そのあたりも小説で補おうと思う。

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by kogotokoubei | 2018-10-02 21:18 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(0)

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是枝裕和著『万引き家族』

 映画『万引き家族』は久しぶりに映画館で観た日本映画だった。
 なおかつ、実に素晴らしい映画だった。

 映画のことは、記事に書いた。
2018年6月25日のブログ
 その記事の最後に、樹木希林、そして安藤サクラの演技を観るだけでも価値がある、と書いた。

 その樹木希林さんが亡くなり、あの映画のことを思い出していた。先日、書店で是枝監督の小説を目にして、つい購入。

 雨でテニスが休み。
 途中まで読んでいた残りを、映像を思い浮かべながら、じっくり楽しく読むことができた。

 また、舞台設定や登場人物の関係について、映像では詳しい説明が割愛されていた部分を埋めることができた。

 そして、音声にならなかった二人の人物の“つぶやき”の謎も明らかになった。

 まだ、上映中の映画館がある。
 ネタバレ注意なので、映画を観るまで知らずにいたい方は、ご留意のほどを。

 小説は、スーパーでの治と祥太の万引きから始まる。

 その“仕事”が首尾よく済んだ後の帰り道で、ある出会いがある。
 そして、その寄り道の後、あの家について書かれた部分から。

 映画では、なんとも言えない古さ、汚さが印象的だったが、あの家には次のような背景があった。

 祥太の暮らしている家は三方を高層マンションに囲まれた平屋の一軒家だった。裏通りにある「ホビー」という小さなスナックの隣に古い2階建てのアパートがある。もともとあった2階の平屋のうち、当時の大家が通りに面したほうだけを建て替えた。そのアパートの奥に隠れるように平屋のまま残されたのが翔太たちの家だ。何人も不動産屋が足を運んだが、この家に50年住んでいる家主の初枝は、決して首をたてに振らなかった。周囲の家がバブル期にすべて高層マンションに変わったあとも、この平屋だけは、くぼんだへそのように残り、立ち退くことも、建て替えることもないままに、やがて人々の意識からも消えてしまったのだ。

 映像でもある程度は察することはできたが、小説を読んで、納得。

 この後の文章も引用しよう。

「じいさん殺して床下に埋めているからじゃねえか」
 治はその話題になると、いつもそんな軽口を叩いた。

 映画を観た人は、この治の軽口が暗示的であること、お分かりだろう。
 
 “くぼんだへそのように“残った家に、スーパーで一仕事を終えて帰ってきた治と翔太が、途中の団地の外に一人寂しくしていた女の子を連れてきた。

 映画での不思議な家族の晩餐の姿を思い出す。

 樹木希林さんが演じた初枝の姿が、次のように描かれている。
「5つにしちゃ、きゃしゃだね」
 初枝はツメを切る手を少し休めて誰にともなく言った。初枝はほとんど白髪になった髪を長く伸ばして、頭の後ろでひとつに束ねていた。80歳近いわりには頭も身体もしっかりしていたが、いつも入れ歯をはずしていたので、笑うと黒ずんだ歯ぐきが見えて魔女のようだった。
 何も家族が晩ごはんを食べている脇でツメを切らなくてもよいものだが、初枝には普段からそんなふうに傍若無人なところがあった。というよりはむしろ、人が嫌がることをわざとしてみせて、周囲の反応を楽しむような底意地の悪い性格と言ったほうが正しいかもしれない。

 なるほど、そういう性格だったね。
 
 初枝のこの後の行動、発言。

 初枝は切ったツメを乗せた新聞紙を両手で持って立ち上がると、治のほうへわざとよろけてみせる。
 汚ねえなあ、と治は大きな声を出して、大げさに反対方向に避けた。
 初枝は新聞紙を広げたまま玄関に行き、乱雑に靴の並んでいる土間に勢いよくツメを放り、パタパタと新聞紙をはたいた。
「おばあちゃん、そこに捨てないでって言ってるじゃない」
 信代がそう声を掛けたが、間に合わなかった。
「よっこいしょ」
 初枝は悪びれることもなく、玄関から戻り新聞を部屋の隅に放ると、ゆりの傍らに座った。
「年寄りの年金当てにするなんて、本当に兄さんは甲斐性が無いね」
 稼ぎが極端に少ないことを突かれ、治は「うるせえババア」と本人には聞こえないくらいの小さな声で悪態をつくのが精一杯だった。
 初枝は治のことを「兄さん」と呼んだ。信代のことは「姉さん」と呼んでいた。翔太のことは「兄ちゃん」とか「坊主」とか「チビ」と呼んだが、「チビ」と呼ばれた時だけ、翔太は「チビじゃないよ」と言い返す。

 この物語のキーワードの一つ、“年金”が登場。

 さて、つい連れて来てしまった、ゆりと名乗る女の子を、信代に急かされ、治は信代と二人で返しに行く。その団地の部屋の近くに来たのだが。

 その時、ふたりが向かっていく先でガラスの割れる音が短く響いた。
「てめーがちゃんと見てねーからだろうが」
「そこで遊んでたんだって、さっきまで」
「男、引っ張り込んでたんじゃねーのか」
 ふたりは思わず立ち止まった。
 男女の罵り合う声は、たしかにゆりがさっきまで座っていた扉の奥から聞こえてきていた。
「ちょっと見てくるわ」
 治は背負っていたゆりを信代に渡し、足音を立てないようにしながら家の前まで近づいた。
「あのガキだって、誰の子かわかったもんじゃねーしな」
 男が女を殴る音が鈍く響いた。
「ちょっとやめてよ痛いっ」
 信代は思いがけずゆりを抱きかかえた。きゃしゃな身体つきなのは、服の上からでもわかる。それでも信代が感じていた重さは、実際のゆりの体重よりはるかに重かった。
「私だって産みたくて産んだんじゃないわよ」
 女がそう言ったのを耳にして、信代は足に根が生えたようにそこから動けなくなった。何度その言葉を聞いただろう。信代の母は酒を飲むたびに幼い信代に当たり散らし、そう言ったのだ。
「今ならバレなそうだ」
 治は、夫婦ゲンカの原因が自分の軽率な「誘拐」であることなど、みじんも感じていない。こっちにとっては好都合だと戻ってきて、ゆりを信代の手から受け取ろうとした。それを拒むように信代はその場にしゃがみ込んだ。
 女の泣きわめく声を遠くに聞きながら、信代は心の中で叫んだ。
「お前なんかにこの子を返してやるもんか」
 治に奪われまいとして、ゆりを抱きしめる手に力を込めたが、それは目の前の子への愛しさではなく、過去から湧き上がってきた憎しみが生んだ力だった。

 映画では、信代の母のことは、語られていない(はず)。

 しかし、それを想像することは、映像から可能だった。

 この小説は、あの擬似家族の謎の説明が省かれていた映画の内容を、補足してくれる。

映画が、あの家族の関係や、一人一人のプロフィールについて、説明を極力排していたのは、悪いことではなかった。映像化された部分だけで、十分だった。

 しかし、監督は、サービス精神が旺盛なのだろう。小説の形で、映画を二度楽しませてくれている。

 だから、映画を観てから読むべき小説、と言えるだろう。

 さて、次回は、映画での別な謎について。
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by kogotokoubei | 2018-09-30 19:18 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(0)

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『鬼の詩/生きいそぎの記-藤本義一傑作選-』

 このシリーズ、最終回。

 川島雄三と藤本義一のシナリオづくりの間、川島はいろんな話題を持ち出す。

 酒が入っていると、二人はちょっとした口論となることもあったが、そんな中で、ある二者択一問題(?)は、熱を帯びたものになった。

「君、弁慶と牛若と、どっちが好きですか」
 不意に聞かれて、おれは迷った。夜明けの疲れが重い。いい加減に聞き流しておくのが無難だと思って、おれは、そうですねえと曖昧に答えた。こんなことを別に深く考えるだけ野暮だと思ったのだが、これが相手の癪に触れたのだ。
「はっきりと答えてください」
「牛若です」
「牛若・・・・・・ぼくは弁慶、絶対に弁慶です」
 異様なほど力の入った言葉に、おれは唖然となった。
「弁慶の、あの壮烈さがいい。矢が何本も突きささっていて、死んでいるんだが、なお、敵の矢面に立っている。ぼくは、そういう人間が好きだ。いいと思う。牛若なんて、あんな小才の小僧。弁慶がわからん者は馬鹿です」
 おれは、むかっとなった。

 むきになった藤本が引き下がらず反論する。
 川島は、万年筆を藤本に投げつけ、怒鳴った。
 
「帰りなさい。帰れ!」
 畳に滲んだインキの色は、貪り食って滴った葡萄の汁の生々しさがあった。

 藤本は、宿を出た。

 なお、文庫の巻末に収録されている「下北半島・川島雄三映画祭」(1988年10月)の藤本の講演の内容では、弁慶派が藤本、牛若派が川島と逆だったようだ。

 宿を出た藤本は、映画館でギャング物の洋画を観た。

 おれは映画館を出て、閑散とした堂島の小さな古本屋に入り、何げなく『映画』という小冊子の創刊号を繰っていると、昭和十三年五月発刊の随筆欄に、「小さなものに」と題して川島雄三の短文が掲(の)っていた。
ーかつて、生態映画か何かで、花に蜜をもとめる蝶の、大写しの触鬚のはなやかな振動に、軽い眩暈(めまい)に似たものを感じたことがある。ある時又、フランスの女優アナベラの唇の動きに、それと同じおもひをした。
 と読むすすんでいる裡に、
ー二十日鼠に限らずすべて矮小な禽獣には、血液の量のすくなさが感じられて不安である。あるひはこれは病的な感覚に近い。けれども漫画映画などにみる小禽獣はさうした感覚からむしろ遠いものなので、物足らなさを覚えるものがある。かへって、ポパイなどのサディズムに、ある種の抵抗を感じる。
 おれは二百円を投じて、表紙のぼろぼろになった雑誌を買った。

 その後、藤本が家に帰ると、川島の電報が届いていた。内容は、

 「サヨナラヲイワズニカエルノハヒキョウデス、カワシマ。」

 雑誌という土産もある、藤本は宿に戻った。

 しかし、監督は部屋にいなかった。

 雑誌と置手紙でもしておこうと思って、おれは監督の部屋に入った。机の上は綺麗に整理され、新しいドイツの新薬の瓶があった。鉄分血行障害云々という日本語の解説文が瓶の横に展げられていた。
 おれは、短い詫びの文と雑誌を瓶の下に置き、部屋を出ようとして、ふわりと紫の風呂敷の乗った件(くだん)の白表紙の本が目についた。頁の間に爪楊枝か燐寸の軸のようなのが挟んである。おれは、厚いずっしりとした本を取りあげた。白背表紙のに剥げかかった金文字で『家庭医学全書』とあり、おれは、なんの躊(ためらい)もなく、薬の部分を折り取った燐寸棒の個所を展げた。
 びっしりと犇(ひしめ)くように並んだ活字を見た途端、おれの背筋に慄えがはしった。
 見てはならないものを見てしまった。
 脊髄の病気という五文字が黒い枠の中のい閉じ籠められ、シャルコー病のところに、何本も爪痕のような斜線が入っていた。括弧の中に、筋萎縮性側索硬化症という字が並んでいたが、その厄介な病名を全部覚えるまでに、おれは本を閉じて、息を詰めて、もとの場所に置き、風呂敷の真ん中を抓みあげて、もとどおり、ごく自然にかけられた風呂敷のイメージをつくりあげた。シャルコー病、シャルコー病と耳慣れない病名を、おれは部屋に戻ってからも繰り返していた。筋肉が縮んでいく病気だとは括弧の中に並んだ活字から漠然と理解出来たが、それが一体なにを原因にして起ってくるのかは皆目わからなかった。

 “件の”とあるのは、以前に、川島の部屋に無言で入った際、監督がその本を慌てて隠したことがあるのだ。

 自分が病を気にしていたことを、他人に隠そうとしていた川島。

 それも、彼のダンディズム、と言えるのかもしれない。

 藤本は、シナリオに養蜂家が出てくるので、蜂のことを調べるために中之島図書館に行った時、ついでに医学者で川島の病のことを調べている。

 その病が「先天的」であることを知る。

 先天的という文字だけが離れなかった。家族のことを話さない監督、故郷に憎悪の眼差を投げる男、なにが津軽の地にあったのだろうかと考えると、ストーブに馴染んだ躯に、薄っすらと汗の惨みを覚えるのだった。


 家族のことを話さない、川島。
 故郷については、憎悪の念を表わす川島。

 川島の故郷に関する思いについては、小沢昭一さんにも印象深い体験があるようだ。
 以前『KAWADE夢ムック 小沢昭一』から、藤本義一との対談を紹介したことがある。
2012年1月15日のブログ

 今村昌平と小沢さん、そして川島と三人がバーで飲んでいた時、今村が関心を持っていた東北地方のことを話題にしたところ、川島は実に不愉快な顔をしたらしい。

 いったい、彼にとって、故郷とは、そして、家族とは何だったのだろう・・・・・・。

 昭和38(1963)年6月11日、川島雄三は、四十五歳で旅立った。

 遺作『イチかバチか』公開の5日前での急死だった。直接の死因は肺性心となっているが、筋萎縮性側索硬化症が関係していないはずはなかろう。

 監督予定の三作品があった。

 ・『江分利満氏の優雅な生活』(1963年/東宝、原作:山口瞳)
   これは、岡本喜八が監督した。
 ・『忍ぶ川』(1964年/東宝、原作:三浦哲郎)
 ・『寛政太陽傳』(1964年/東宝)

 この中の「寛政太陽傳」という題が、大いに気になるじゃないか。

 Wikipediaの「幕末太陽傳」から引用する。

Wikipedia「幕末太陽傳」
 「影響」の部分。
スタッフ、キャストのうち、今村昌平とフランキー堺は特にこの映画と川島から影響を受けている。今村が昭和56年(1981年)に製作した『ええじゃないか』は、舞台を両国橋周辺に移し時代も数年先としているが、『幕末太陽傳』でやり残した部分を映画化した気配が濃厚な作品だった。フランキーは生前の川島と東洲斎写楽の映画『寛政太陽傳』を作ろうと約束していたという。それが果たされずに川島が死亡したため、フランキーは俳優業の傍ら写楽の研究を続け、平成7年(1995年)に自ら企画・製作に参加して『写楽』(篠田正浩監督)を作り上げた。フランキーが高齢になったため、写楽役は真田広之が演じることになりフランキーは蔦屋重三郎役に回ったが、川島は「写楽はフランキー以外に考えられない」と語っていた。フランキーは師とあおぐ川島との約束を果たし、その翌年に死去している。川島を師と仰ぐ藤本義一は、舞台を大阪にした『とむらい師たち』の脚本で、勝新を川島に見立て、主人公を造型した。(葬式屋の生涯:墓場は、川島が好んで使用したシーン)。ラストで勝新が生と死の挟間で彷徨する地獄とも思えるシーンは、川島の出身地恐山そのものである。
 『ええじゃないか』、『とむらい師たち』は、どちらもCSで観ている。

 歴史に「IF」はタブーを承知で、もし、川島雄三の脚本・監督、フランキー堺主演で『寛政太陽傳』が製作されていたら、『幕末太陽傳』に並ぶ代表作となったのではなかろうか。

 さて、この本のことに戻る。

 『生きいそぎの記』のやや暗い部分の引用が多かったが、鍋にビールを注いで大失敗する逸話などもあるし、川島と藤本の楽しい会話などもあるので、必ずしも全編通じて暗いわけではない。

 とはいえ、やはり、読後には川島の病のことを思わないではいられなかった。

 川島雄三の宿痾のことを思うと、いろんな感情が浮かんでくる。

 なお、『生きいそぎの記』は、小説として脚色されている部分もあるから、巻末の講演記録と両方を読むことで、川島雄三という人物像がより鮮明に浮かび上がってくるように思う。

 このシリーズ、これにてお開き。

 長々とお付き合いいただき、ありがとうございます。


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by kogotokoubei | 2018-09-27 19:18 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(6)
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『鬼の詩/生きいそぎの記-藤本義一傑作選-』


 このシリーズ、四回目。

 宝塚の宿で、川島雄三と、弟子の藤本義一は、シナリオづくりに取りかかる。

「さあ、今日からシナリオの構成に入ろう」
 と宣言があってから、二人がとりかかったのは、所謂、脚本構成の第一段階である筋書きではなく、登場人物の性格設定でもなく、一軒の家の設計であった。おれは、それまで二、三の監督についてシナリオのイロハを習っていたので、一軒の家の設計図に十日を要すとは思っても見なかった。その家も、はじめの構想では大阪近郊の安普請のアパートだったのが、次第に趣を変えて、零落したお邸に奇妙な人種、妾、インポテンツの男、発明家、天文学者、予備校生、フラッパーな女子大生、ホステス、仲居、闇医者を住まわせることになった。正午から夕方まで、新聞紙を展げた大きさの全紙に、二人はああでもない、こうでもないと定規、分度器を使って線を引いた。
「この部屋には、腰から尻の線の不潔な女を一人住いさす。抜き襟で、後から見ると溜息の出るような猥褻な女がいいのです」
「師匠、炊事場、便所は共同にしますか」
「勿論です。あ、湯殿がない。風呂場、風呂場だ。共同風呂だ。その玄関の横に設計してください」
 このへんのやりとりだけを読むと、なかなか楽しそうに思える。

 しかし、その後、藤本義一にとって楽しいばかりとは言えない日々もあったようだ。

 二週間を経て、ようやくお邸の設計図が出来あがった。監督は手首から指先が反りかえる奇妙な手付で絵筆を握り、踏石のひとつひとつに淡いブルーの絵具を塗り、楽しそうであった。不図(ふと)、設計図の中の離屋を見ると、戸口に無数の格子縞模様が描かれていて、これはなんですか、昨夜の段階までなかったですがめと訊ねると、おれは座敷牢だといった。
「座敷牢・・・・・・誰が住むんですか」
「空部屋でげす。どういうわけか、ここに座敷牢があるのでげすな。その昔、誰かがこの中で阿鼻叫喚というわけでげす。ここに天体望遠鏡を持ち込んで、天文学者が住み込むのも一興でげすな」
 そんなことを喋る場合は、長い睫をひくひく動かせて、伏目がちになり、自らの脆い魂の一面をのぞかせた。茶色の細い絵筆が格子を丹念に塗りあげていくのを見ていると、もうその座敷牢の内側の雰囲気が、おれに伝わってくるようであった。風の死んだ空(か)らし蒸しの部屋の様子が陰気な翳りを見せて忍び込んできた。
「妾が旦那の来ぬ間に、ここに予備校生を連れ込んで情交ということも考えられるのでげす。尻に葦の花茣蓙(はなござ)を敷いて、予備校生の童貞を、あれエとかなんとかいいながら奪うのも一興でげすな。終った後の女の尻に花茣蓙模様がくっきり刻まれて、炎天下名もなき虫の死骸かな、うつ、ふっ、ふぁ、・・・・・・」
 時に、女に対して限りない憎しみを抱くような言葉を吐いた。酒が入ると淫猥な言葉が飛び出し、アノ小サナ臭イ穴ヲモッタ動物といった表現を呟きながら、酒をたてつづけに呷るのである。そういう時は、下手に割り込んではならない。いいたい放題、捨てておけば、言葉はいつしか飽和点に達して消えてしまった。

 この座敷牢が、映画の中でどのように描かれたのか、記憶にない。
 
 もしかしたら、最終段階で設計図から除外されたかな。

 川島雄三の女性への思いは、彼の半生でのどんなことが影響しているのだろうか。

 その謎は、本書を読めば明らかになるのか・・・・・・。

 設計図の目処がつき、シナリオづくりは次のステップに進む。

 設計図が丹念に彩色されて数日後には、それまでは、ばらばらであった登場人物の性格が次第に明確になってきた。慌て者、早合点、お調子者、淋しがり屋、金の亡者、信仰気狂い狐憑き、性的健忘症、謀反人、等々、いずれもが監督の分身であった。すでに監督の中に原作は埋められ、別の分身が続々と登場を開始し、原稿用紙の上には、奇怪な老若男女が跋扈跳梁の時を待っていた。性格の設定に詰ると、今度は二人は植木屋に変じて、またも設計図を展げ、このあたりに篠竹を数本植えよう、いやいや、葉鶏頭の燃えるようなのがよろしい、彼岸花はどうだろう、紅玉散りばめた柿の木、いや満開の桜の老樹と、四季の約束など忘れはてて、邸の庭を飾りたてた。
 設計図-人物設定-設計図・・・・・・と行き来して、二人の共同作業は続いたわけだ。

 ここからは、題材となっている映画のこと。

 昭和34(1959)年6月公開の映画「貸間あり」は、ずいぶん前にCSで観た。
 内容は、相当忘れている。

 確認のために、Allcinemeのサイトから、まず解説を引用。
Allcinemaの該当ページ

井伏鱒二の同名小説を原作に、「洲崎パラダイス 赤信号」「幕末太陽傳」の川島雄三監督が大阪の風変わりなアパート屋敷に住むバイタリティにあふれた個性豊かな住人たちの悲喜劇を描いた群像ドラマ。アパートの2階に住む与田五郎は4ヵ国語に堪能で、小説、論文、翻訳などの代作を中心によろず引き受け業を営んでいた。そこへ、学生の江藤が受験の身代わりを申し込んできた。ついでに、1つ空いているアパートの空き室を借りようとするが、そこは一足先に陶芸一筋の三十娘、ユミ子が借りることに……。
 川島監督と共に脚本を担当した藤本義一自ら“重喜劇”と称した本作は、繰り出されるギャグの数々はあまり笑いに結びつかないが、監督の座右の銘ともいうべき“花に嵐の喩えもあるさ、サヨナラだけが人生さ”が劇中でも使用されているように、残り短い命を悟った監督の死生観とでもいうべきものが通底していて、深く鋭い人間洞察に溢れた作品に仕上がっている。監督の分身ともいえるフランキー堺演じる五郎が、愛する女性に追われながら、なぜかどこまでも逃げ続ける姿が、まるで将来というのを確実なものとして受け入れることのできない男の覚悟と見えなんとも痛ましい。

 「監督の死生観とでもいうべきものが通底」とは、言い得て妙。

 五郎役は、あのフランキー堺。
 他の人を含め、Allcinemaからキャスティングもご紹介。

フランキー堺 与田五郎
淡島千景 津山ユミ子
乙羽信子 村上お千代
浪花千栄子 おミノ
清川虹子 島ヤスヨ
桂小金治 洋さん(谷洋吉)
山茶花究 熊田寛造
藤木悠 ハラ作(西原作一)
小沢昭一 江藤ミノル
加藤春哉 高山彦一郎
益田キートン 野々宮真一
沢村いき雄 御隠居
加藤武 小松
市原悦子 高山教子
西岡慶子 お澄
西川ヒノデ 岸山
渡辺篤 宝珍堂
長谷川みのる 刑事
津川アケミ 登勢
中林真智子 女店員
頭師満 宏
宮谷春夫 四方山
青山正夫 菩提寺
守住清 地廻り
楠栄二 記者


 凄いでしょ、この顔ぶれ。
 
 二年前の『幕末太陽傳』を最後に日活を離れ、東宝系の東京映画での作品だが、太陽傳の出演者も多い。

 小沢昭一さん、加藤武さん、などは川島組と言ってよいのだろう。

 川島が落語界から映画界に引っ張り込んだ(?)桂小金治さんも重要な役で登場。
 市原悦子さんは昭和11年生まれだから、この映画に出演した時、23歳。

 
 今回は、このへんでお開き。

 次回の最終回では、藤本が川島の病の謎について、また“見てはいけないもの”を見てしまう場面をご紹介。


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by kogotokoubei | 2018-09-25 19:36 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(0)
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『鬼の詩/生きいそぎの記-藤本義一傑作選-』


 このシリーズ、三回目。

 撮影所の掲示板にあった張り紙を見て川島を訪ねた藤本は、川島の面接に合格し、川島が泊まっている宝塚の定宿に行くことになった。

「お湯、入ってますさかいに、どうぞ・・・・・・」
 女将が去ると、監督は、窓際に立って、不安定に前後に揺れる体を踏みとどまらせたといった格好で、背広の釦(ぼたん)を外しながら、この旅館の湯は、ビニールパイプで温泉を引き込み、それをまたガスで温めるのだといい、泉質はやや塩分を含んでいるが、石鹸の泡立ちもいいし、ぬめりがないなどどいった。
 おれは、監督が一個の釦に、かなり手古摺っている様子を奇妙な光景を見物するかのように眺めていた。釦穴をひろげようとする左の指先が外側に折れるような不自然さを示し、右の拇指と人差し指が、黒い一個の釦を抓もうとして何度も滑った。グリーンのジャージ系統の背広は、おれの前で、ゆっきうり前後に揺れつづけている。ようやくのことで釦は外れ、背広の前が開いた。おれは監督の背にまわって、両肩から背広を脱がしにかかた。徒弟制度の礼儀といったものである。

 私は、川島雄三のことを、この本で初めて知ったと言ってよい。
 だから、川島の病のことなどはまったく知らずにいた。

 最初に、この後に続く文章を読んで、なかなかその姿が想像し難かったことを思い出す。

 ひとつの肩が脱け、もうひとつの肩から袖を外そうとしたのだが、奇妙なことに、背広は一枚の板のように、監督の背に貼り付いているといった感触だった。おれは、力を籠めた拇指の先で、背中から背広を剥がすようにして、背広を脱がせた。その途端、監督の肩胛骨が不自然な捩れをみせて、肩先は顎をかすめるようになり、前のめりに崩れ、さらに愕いたことには、おれの手に握られている背広は、くるっと内側に巻き込んだ態で、筒状になった。一体、なにが起ったのかおれには皆目わからなかった。一瞬、唖然となり、次に、見てはいけないものを見た時に覚える動悸の昂まりと身体の慄(ふる)えを感じた。
「丹前!」
 監督は両方の肩を体の前に巻き込んだ姿勢で、両胸を子供のように投げ出し、顎を突き出し、虚空の一点を睨み据えるようにして怒鳴った。

 この後、藤本は監督の背広をハンガーにかけようとして苦労する。その特異な身体に合わせて、背広も特異な仕掛けがあったのである。

 川島雄三が自らの姿を曝け出したことも、弟子入り志願者への面接の続きだったのではなかろうか。

 “見てはいけないものを見た”藤本の態度は、川島にとってその面接に合格するものだったのかもしれない。


 この夜、鍋を囲んで二人は飲んだ。

 話はあちことにとび、はじめての夜は、由比正雪、丸橋忠弥といった謀反浪人の話が並んだ。おれは、次回作の構想だろうと考えているとそういうわけもなく、次回作は大阪の安普請アパートに犇く男と女の色と欲だといった。
 二時間ばかりで、二人で二升近くの酒が空いた。おれは頭の芯に鈍い羽音が聞える感じがしたが、酒の酔は、頭の片隅に塊となって全身にはまわらなかった。緊張のせいもあったが、この人が一体どんな精神構造をもっていて、肉体の欠陥とどういうふうに結びついているのかを見守ろうとしているうちに、変な塊が頭の片隅に棲についたといっていい。

 二人の、創作活動が、始まった。

 今回は、本書のもう少し先の内容にしようかと思っていたのだが、やはり、紹介した宿での出来事は割愛できないと思った。

 本書を読んでから、川島雄三という人を、その肉体のことを抜きには語れないと思った。
 それは、精神面にも少なからず影響したであろうし、その結果作品にもその傷跡が残ったのではないかと思うのだ。


 次回は、少し話を進めたい。

 
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by kogotokoubei | 2018-09-24 09:23 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(0)
 前回の記事で、川島雄三生誕百周年記念の落語・講談の会において、すでに神田松之丞の11月1日の昼夜口演のチケットが売り切れていること、私には、彼の人気は、少し異常に思える、と書いた。

 なんと、昨夜、テレビ朝日の「報道ステーション」に何気なくチャンネルを合わせたら、彼が出演しているではないか・・・・・・。
 講談人気の牽引車、という扱いでの出演。

 松之丞は、若い人は講談を新鮮な感覚で捉えていて興味を持ってくれていること、できるだけ難しい言葉は使わないようにしていること、もっと多くの先輩講釈師も聴いてもらいたい、などと語っていた。
 
 先日、柳家喬太郎の新作『ハンバーグができるまで』の舞台化のことや、彼があの作品を創作する背景のことなどを書いた。
 喬太郎も、多くの若い人たちにとっては、落語は新鮮な芸能として捉えられてる、と語っていたなぁ。

 では、映画は、今の若い人にとってどんな娯楽として捉えられているのだろうか、などど少し強引に本編へ。
 

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『鬼の詩/生きいそぎの記-藤本義一傑作選-』

 さて、藤本義一著『生きいそぎの記』からの第二弾。

 撮影所の掲示板で“股火鉢ノ川島”による人材募集の貼り紙を見た藤本の、その後。

「おもろい募集やな、一遍、行くか」
 おれは先輩にいった。
「やめとけ。あかん。行かん方がええ」
 先輩は断固として反対した。理由は、川島雄三に従(つ)くと、先ず胃潰瘍になるか肝臓をやられるという。
「ま、一遍、どんな人か会うてくる」
 好奇心であった。過去に、川島作品のいくつかを観ていた。ドタバタ喜劇もあれば、変にもの悲しい作品もあり、その差が著しい監督だというのがおれの印象だった。論理を均衡させようとしてドタバタになったり、論理と抒情が微妙な融け合いをみせて文芸作の香気になったり、記憶の断片では冷たい部分と変にあったかい部分が混り合っていた。一貫して感じられるのは、人間の孤独がどの作品にもちりばめられ、画面の底から、人間は本来孤独を内に包んでいるので、どうしても避けることが出来ないぞという呻きのようなものであった。
 おれは名前をいい、貼り紙を見たのだといった。
 気魄と情熱に溢れた監督の像を想像していたおれには意外だった。貼り紙通り石油鑵に股火鉢の監督は、杉綾織のオーバーの襟を立て、じろりとおれを睨み上げた。異様に赤い唇を突き出すようにして、瞬きもせずにおれの眼を見返した。艶のある髪の束が額に垂れていたが、それが、都会人ふうな投げやりな憂鬱ではなく、むしろ病的な兆候に思えた。伊達のポーズではない。肉体からやってくる姿なのだ。五坪足らずの助監督室が、その時、おれには荒涼とした暗い雪の原のように見えた。その雪原の真ん中に、一人の癲癇の重積発作を凝(じ)っと待っている少年がいる。そんな感じだった。
「助監督、志望ですか」
「いえ、シナリオ・ライター、志望です」
「支那料理屋ねえ、う、ふっ、ふぁ」
 おれも調子を合わせて笑おうとしたが笑えなかった。監督の眼は笑っていないのだ。おれは金縛りになった。こんな緊張はついぞなかった。

 “病的な兆候”や“肉体からやってくる姿”という表現は、その後に明らかになる川島雄三の病を暗示している。
 
 それにしても、“シナリオ・ライター”--->>>“支那料理屋”は、可笑しい。
 この後に、川島雄三の哲学、のような印象的な言葉が続いている。

「人間の思考を、今、仮に百とします。思考を言葉にすると百の十分の一の十です。その言葉を文字にすると、そのまた十分の一です。思考の百分の一が文字です。文字で飯を食っていくには、せめて、思考の百分の二、いや、一・五ぐらいの表現が出来ないことには失格です。わかりますか、君は・・・・・・」

 なかなか含蓄ある言葉。
 
 ブログにしたって、考えていることは、なかなか上手く表現できないものだ。
 いかに、百分の一を、一・五にまで引き上げるのか・・・・・・。
 実に、深~い。

 この後、川島雄三による口頭試問があった。

「君、酒、好きですか」
「好きです」
「君、女、好きですか」
「好きです」
「コイコイ、ハチハチ、チンチロリンはどうですか」
「あまり、やりません」
「どうしてですか」
「勝てば当り前だと思い、負けると口惜しいのです」
「う、ふっ、ふぁ。では、今夜から来なさい。但し、シナリオについては、手をとって教えるということはしない。そんなことをして、出来るのなら、誰でも映画を創れます」


 ということで、藤本は川島の面接(?)に合格した。

 今回は、つい、マクラが長くなったので、このへんでお開き。

 次回は、少し時間を進めて、川島雄三という人を、藤本義一の筆を借りてご紹介したい。後、二回、あるいは三回、このシリーズ続ける予定。

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by kogotokoubei | 2018-09-22 09:17 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(0)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛