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カテゴリ:幸兵衛の独り言( 257 )

M-1が今年の第10会大会を最後に終了するらしい。 スポニチに載っている島田紳助のコメント。 スポニチの記事

大会委員長であり、発起人とも言える島田紳助(54)は「漫才に対する感謝・恩返しの気持ちと、後輩達が漫才で夢の世界に行ってくれたらと、10年前の吉本興業の谷君とM−1を作りました。私の中でほんの少し漫才に恩返しできた気持ちです。最後のM−1で、また一組スターが生まれる事を心より願っています」とコメントを発表した。



 サンケイスポーツには微妙に内容の違う下記のコメントが紹介されている。 サンケイスポーツの記事

イベントを企画した大会委員長の紳助は「たくさんの後輩が育ち、漫才を目指す若者が増え、レベルも上がった。漫才へ恩返しできた気持ち。最後のM−1で、また1組スターが生まれることを心から願ってます」とコメントし、国民的イベントに成長したことに満足している様子。



 12月12日に行われた準決勝の会場で、今年で終了の件が発表されたらしい。主催者のコメントは次の通り。

主催するよしもとクリエイティブ・エージェンシーは「この大会から、若い才能を発掘し、多くのスターを生み出した。目的を達成できた」と説明。放送を担当する朝日放送も「全国に漫才を広めて国民的イベントとして成長した。ステップアップするいい時期として発展的に解消する。今後は新たなイベントに取り組んでいきたい。前向きなピリオドです」と語った。

 

 他のメディアにも、“発展的終了”というような紹介がされている。確かに、視聴率的には悪くないし、今年も予選参加組数が4,000を越えているようだから、この番組のファンや視聴率低迷にあえぐ他の番組の制作者などから見れば、「なぜ、やめるの?」ということなのかもしれない。

 私は、あえて言えば、ホッとしている。
 以前に、いわゆる“ショートコント”や“一発ギャグ”ばかりをたれ流すテレビのお笑い番組が相次いで終了することについて書いたが、ああいった番組が数多く生れたことにM-1の影響は小さくなかったはず。
2010年9月15日のブログ
 M-1での持ち時間は、予選一回戦が2分、二回戦・三回戦が3分、準決勝と決勝でさえ4分である。寄席だって短くても10分以上の出番はある。予選の2分で生き残りをかけるため、出場者はたった2分間でインパクトを与えることができる“一発芸”に賭けるようになるのはやむを得ない。そして、そういった“芸”を持つ多くの若手お笑い芸人を、一山いくら、とばかりに出演させる、制作費も中身もお手軽なお笑い番組が同時多発的に始まった。それらの番組は、どのチャンネルを回しても、同じような顔ぶれ同じような内容に終始するから、出演者もその“芸”とやらも飽きられるのは時間の問題だった。 そういった番組発生の源はM-1にあったと、私は見ている。

 さて、そのM-1、これまでの優勝者と事務所、そして予選参加組数は次のようになっている。
□第1回(2001年) 中川家 吉本興業(大阪) 1,603組
□第2回(2002年) ますだおかだ 松竹芸能 1,756組
□第3回(2003年) フットボールアワー 吉本興業(大阪) 1,906組
□第4回(2004年) アンタッチャブル プロダクション人力舎 2,617組
□第5回(2005年) ブラックマヨネーズ 吉本興業(大阪) 3,378組
□第6回(2006年) チュートリアル 吉本興業(大阪) 3,922組
□第7回(2007年) サンドウィッチマン フラットファイヴ 4,239組
□第8回(2008年) NON STYLE よしもとクリエイティブ・エージェンシー東京 4,489組
□第9回(2009年) パンクブーブー よしもとクリエイティブ・エージェンシー東京 4,629組

 過去九回中、吉本の所属が六回と三分の二を占める。出場者そのものに吉本所属の人が多いのだろうし、あくまで結果なのかもしれないが、ちょっとねぇ・・・・・・。
 参加組数が年々増えているということは、それだけ参加するためのハードルが低いということであり、“一発芸”で“一発”当ててやろうとコンピを組む若者が増えている、ということでもあるのだろう。もちろん、生まれる数も多いが、消えていく数も相当に多いはず。

 もし、10分持たせる芸でなければ勝ち残れないルールなら、こんなには参加しないと思う。それは、過去の優勝者のうち、どれだけ寄席で10分持つか、と想像するだけで分かることだ。寄席では、時間がかかる舞台設営を伴うコントなどは望めないし、客も期待していない。それこそ、「しゃべり」だけで10分間会場を沸かせるのは、大変なことである。
 こんなこと言うと、こういう指摘もあるだろう。「昔はしゃべくり漫才が中心だったけど、テレビの時代なんだからしゃべくりだけでなく、ショートコントだっていいじゃないか!」など。
 しかし、島田紳助がこの番組を発案した時、彼が恩返ししたかったのは、彼を育てた上方ならではの“しゃべくり”漫才の世界じゃなかったのか、ということ。
 紳助という芸人については必ずしもポジティンブな見方をしていないが、彼の“恩返し”という気持は評価できなくもない。最初は、若手漫才芸人が陽の目を見る場をつくろうという、純粋な思いもあったのだろう。

 では、芸人としてそれ相応の地位にまでたどり着いた島田紳助という個人ではなく、企業として成長した吉本が“恩返し”すべきなのは何か、とあえて問おう。それは明らかに“上方落語”ではないだろうか。初代と二代目の春団治、三代目の三遊亭円馬、東京での柳家金語楼などなど、吉本は、かつて落語、とりわけ上方落語の隆盛に貢献してきた歴史がある。しかし、その後は漫才に強く傾斜した結果、噺家が活躍する場が減り、そうじゃなくても元気をなくしてきた上方落語が風前の灯の状態になることを後押ししたとも言える。ある意味、上方落語を踏み台にした結果の吉本の今の繁栄なのだ。M-1が終了し、同じ漫才で新たなイベントを考えるのはビジネスとして構わないが、せっかくの機会である。漫才のことを考えるだけでなく、その歴史の重要な場面で踏み台にしてきた上方落語への恩返しを考えても、決してバチは当たらないだろう。

 そういえば、今年4月には、吉本、松竹芸能、米朝事務所が合同で「上方落語まつりinミナミ」を開催した。2010年4月28日のブログ
 この企画は吉本の上方落語への恩返しの気持の第一歩と考えられないこともない。これだけに限らず、ぜひ吉本がバックアップして上方落語が末長く活気づくような企画を考えてもらいたいものだ。たとえば、繁昌亭が主催する賞だけでなく、「よしもと上方落語新人賞」というような若手の登竜門的な賞の主催などはどうだろうか。もちろん、所属事務所を問わず、たっぷりな持ち時間で、若手落語家が憧れるようなイベントになれば、漫才だけではない吉本、としてその存在感も増すだろう。もはや、創業者吉本家でも、その後継だった林家の会社でもないのだから、過去のしがらみはないだろう。落語がまだ元気な今のうちだからこそ、その灯を消さず、いやもっと輝かせるような企画を、ぜひご一考願いたい。
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by kogotokoubei | 2010-12-13 11:08 | 幸兵衛の独り言 | Comments(2)
柳家三三が初代談洲楼燕枝作の『嶋千鳥沖津白浪』の三夜連続口演をしたことに関連して、燕枝のことを書いた。
2010年11月19日のブログ

 
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関山和夫著『落語名人伝』(白水Uブックス)

 その際に、関山和夫著『落語名人伝』(白水Uブックス)から次の文章を引用した。

 三遊亭円朝の辞世の句「目を閉じて聞き定めけり露の音」には仏教的な“悟り”が感じられて感銘深いものがあるが、談洲楼燕枝が残した「動くもの終りはありてこぶ柳」には悲痛な感じがただよっている。
 柳亭燕枝があえて談洲楼といったのは、むろん市川団十郎から来ているのだが、それが烏亭焉馬への憧憬の志を含んでいることは見逃せない。落語中興の祖といわれる烏亭焉馬は、五代目団十郎に傾倒して談洲楼焉馬と称したが、燕枝は焉馬を追慕したようである。燕枝は若いころから道具入りの芝居噺を演じたが、声色は河原崎権之助(のちの九代目市川団十郎)の真似が一番うまかったという。よほど成田屋が好きだったのであろう。


 燕枝が憧れた烏亭焉馬が贔屓にした団十郎について少し説明するため、「成田屋」のホームページから家系図を拝借した。ちなみに、このホームページには、今回の騒動に関しては何も情報はなく、初春花形歌舞伎にも海老蔵の名前がまだ残っている・・・・・・。
成田屋HPの家系図のページ
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 烏亭焉馬のことについては、何と言っても延広真治著『落語はいかにして形成されたか』が詳しい。
延広真治『落語はいかにして形成されたか』(平凡社)
 

 いつの時代でも、芸人に対する熱心な贔屓客は存在する。しかし、烏亭焉馬の五代目市川団十郎に対する肩の入れよう異常ともいうべきであった。団十郎にちなんで談洲楼と号し、大工の棟梁としてお手のものの室内の装飾、調度には団十郎の定紋にちなむ三升の模様をつけ、三升紋の手ぬぐいや三升の布目象嵌の煙管を商うほどであった。加えて団十郎贔屓の団体三升連を組織してその中心となり、種々の活動を行った。その最大のものは『御江都餝鰕(おえどかざりえび)』(寛政四年)から『以代美満寿(いよみます)』(文政元年)にいたる七部の三升連狂歌俳諧集の編集で、入集者のみでも約千四百名に上っている。大田南畝・山東京伝・式亭三馬・石川雅望(宿屋飯盛)・鹿都部真顔らはいずれも連中の一員である。
 また、六代目団十郎に先立たれた五代目団十郎の没後は、まだ幼かった七代目団十郎の後見役を引き受け、彼を代々の団十郎に対して恥ずかしくない江戸の花に育てあげている。観客の動員数によって役柄のよしあしが左右される芝居の世界にあって、焉馬は三升連の肝煎として、つねに一定の観客を動員した。若い七代目団十郎にとって、それはさぞかし心丈夫であったに相違ない。


 焉馬は寛保三(1743)年に生まれ、文政五年(1822)年に没している。ほぼ年齢の同じ五代目団十郎を贔屓にし、五代目の孫である七代目の大支援者であったわけである。ちなみに六代目は二十二歳の若さで風邪をこじらせて亡くなったらしい。家系図の右側の下のほう三人が五代目、六代目、七代目である。
 私は歌舞伎には詳しくないが、調べることはできる。焉馬が幼い頃から擁護した七代目は、団十郎の名を息子に譲った後で、海老蔵を名乗った。実は、十二代の団十郎のうち、初代、二代目、そして七代目の三人が団十郎の後で海老蔵を襲名している。海老蔵から団十郎というステップは当代を含め五人。そして、六人目がいつ誕生するかは、今回の騒動もあって今は何とも予測がつかない。
 
 落語中興の祖と呼ばれる烏亭焉馬のように力強い団十郎贔屓、三升連のリーダーは期待できないにしても、今の成田屋の危機に、彼らを支援する三升連のような“連中”が存在しないのだろうか。ちなみに、“連”の人を“連中”というのだから、決して悪い言葉でもなかろう。
 歌舞伎という芸能があまりにも庶民から距離を置いてしまったことは間違いないだろう。中村座、森田(守田)座、市村座という江戸三座や、神社や寺院の境内で開催される「宮地芝居」に親しんだ時代における歌舞伎の娯楽としての有難さは、今の時代に望むべくもない。
 そして、“梨園”などと呼ばれる世界の人々と庶民との間隔は、噺家と寄席の客よりは、間違いなく距離がある。だから、今回のような騒動になった場合、客の立場から海老蔵を擁護する声がほとんど聞こえないのも無理からぬことなのかもしれない。歌舞伎も落語も、そして相撲も江戸時代に大衆芸能だった頃からは変貌を遂げてるのはいたし方ないが、こういった事件の時に、マスコミに登場する擁護側の声は、その世界の人か評論家や専門家ばかりで、客の側の声はあくまで一人一人の感想でしかないように思う。そんなことを考えると、まだ落語の世界の親近感や庶民性に安心したりもするのである。

 しかし、もし、威勢のいい三升連的な方が今でもいらっしゃるなら、マスコミは、ぜひそういった人の声も拾い上げて欲しいと思う。もちろん、そういうご贔屓がいれば、あんな情けない会見そのものがなかったかもしれない。なぜなら、もし親が気が動転したのかどうか知らないが、あの会見の前にどうすべきかを指導できなかったにしても、贔屓の威勢のいい旦那達がいれば、彼が過ちを素直に認め、決して嘘をつかずに誠実に謝罪させるようにしていたと思うのだ。海老蔵の芸について語る資格は私にはないが、あの会見の芝居が下手だったことは、よくわかる。

 そして、いつものようにマスコミのやかましさには閉口する。誤った行動はもちろん指弾すべきだが、携帯電話が戻っただの、婚約指輪の消費税がどうしたといった内容にまで波及すると、「他にも重要なニュースはあるだろう!」と言いたくなるじゃないか。また、焉馬や燕枝と団十郎の関係のように、名のある噺家が今回の騒動について何らかの発言をしているようにも思えない。歌舞伎と落語の世界にも随分距離が出来たようだ。せいぜい最近の落語会で“梨園”と“離縁”の駄洒落を聞くだけである。

 私自身は『淀五郎』『中村仲蔵』『七段目』など、あくまで落語で歌舞伎の世界を楽しめればそれでも結構。しかし、そういった噺だって歌舞伎があったからこそなのだ。今回の騒動の中で、歌舞伎そのものが弱体化するのは、やはり日本人として困る。マスコミは観測記事や周辺の瑣末なことではなく、成田屋や歌舞伎界があらためて襟を正すにはどうすべきか、といった論議を展開できないのか。あえて言えば、個人的な問題ではないはず。歌舞伎の世界の、構造的な問題があるように思う。

 今回と同じような失態を繰り返さないためには、相撲界と一緒で、その彼らの閉じられた世界だけの自浄作用には期待できないだろうから、厳しい目をもち鞭と飴を使い分けられる、大人の客の声が重要なはずだ。そこであらためて思うのだ。平成の三升連の棟梁は、いないのだろうか・・・・・・。

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by kogotokoubei | 2010-12-10 15:07 | 幸兵衛の独り言 | Comments(0)
「東西落語名人キャンペーン“東の志ん朝、西の枝雀”EMI&SMD2社共同で実施」というタイトルの記事が目に入ったので、どんな内容かと思い読んでみて、“う~ン”と首をひねった。
asahi.comのニュース

 のっけは威勢がいい。

株式会社EMIミュージック・ジャパン
株式会社ソニー・ミュージックダイレクト
==============================================
EMI Music Japan&Sony Music Direct共同施策!
東西落語名人キャンペーン
“東の志ん朝、西の枝雀”実施
==============================================
株式会社EMIミュージック・ジャパン(本社:東京都港区、代表取締役社長兼CEO:市井三衛 以下、EMI)と株式会社ソニー・ミュージックダイレクト(本社:東京都千代田区、代表取締役:古澤清 以下、SMDR)は、2社共同で古今亭志ん朝と桂枝雀の店頭旧譜キャンペーン「東西落語名人キャンペーン“東の志ん朝、西の枝雀”」を行なうことになりました。SMDRが発売している古今亭志ん朝の旧譜全商品とEMIが発売している桂枝雀の旧譜全商品を対象とし、東で上方落語、西で江戸落語の魅力を相互的に伝える本キャンペーンで落語全体の活性化を図ります。


 ほう、確かに志ん朝はSony、枝雀は東芝EMIが豊富な音源を誇るが、“共同”でいったいどんな「活性化」策を実施するのかというと、こんな内容。

■期間:2010年12月13日(月)~2011年1月31日(月)
■対象商品:EMI発売の「桂枝雀」全商品、SMD発売の「古今亭志ん朝」全商品(CD、DVD、BOX SET)
■特典:対象商品購入1タイトルにつき1冊「オリジナル特製カレンダー(志ん朝Ver. または、枝雀Ver.)」
    *特典はなくなり次第終了とさせていただきます。

   

 私のように、すでに二人の音源を数多く持っている落語愛好家は別として、これから二人の落語を楽しもうとする人にとって、1タイトルにつき1冊のカレンダーって、魅力があるのだろうか?
 早い話が、二人のカレンダーを欲しい場合は、最低2作品購入で手に入るということだ。そして、そのアイデアの貧困なのは、「欲しい人は品切れになる前に早く買って!」と煽っていること。印刷すればいいんだから、期間中購入者には全員付けなさいよ。!
 大そうに掲げた「落語全体の活性化」、ってこういうことなの。

 この2社が「共同」するなら、活性化策としては、こんなんじゃなく次のようなアイデアではないかと思う。
□案-その壱-
「東西で演出が違う同じ(ルーツの)ネタを二人の名人で聴くカップリング企画」
(例)
・志ん朝『堀の内』&枝雀『いらちの愛宕詣り』
・志ん朝『愛宕山』&枝雀『愛宕山』
・志ん朝『宿屋の富』&枝雀『高津の富』
・志ん朝『千両みかん』&枝雀『千両みかん』
・志ん朝『佐々木政談』&枝雀『佐々木裁き』
など。
一枚のCDに収めるのが難しければCD2枚セットで、単品を2枚買うより割引したセットにしたら、これから二人を聴く人にとっては魅力的ではなかろうか。もし割引しないのなら、カレンダーを2枚付けましょう。

□案-その弐-
「志ん朝厳選10作&枝雀厳選10作のセット企画」
この10作は、インターネットで落語ファンの投票で決めればいい。そうすれば、古手の落語愛好家を巻き込んだ「活性化」策になるんじゃないの。「ファンが選んだ10作セット!」というふれこみだ。

 この2社の今回の「共同」企画は、すでに所有するライブラリーの商品形態はそのままで、オマケだけで販促するための「協調」企画であって、別に両社が別々に実施してもいい内容であり、何ら“シナジー”を感じない。作品そのものを共同のコンテンツにしないで、何の「共同」の意味があるのか、私には疑問だ。 昔のフォークソングなどでも複数のレコード会社の共同企画なら、各社の音源を一つのCDに収めたコンテンツにするではないか。

 せっかく豊富な昭和の名人二人の音源を所有する両社が手を握るのであれば、もうちょっと企画立案段階において、当事者たちのアイデアを「活性化」して欲しいものだ。私はまったく魅力を感じない。
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by kogotokoubei | 2010-11-27 09:57 | 幸兵衛の独り言 | Comments(2)
12月の末広亭の余一会は通常と違って29日の開催だが、その案内に昼の部が「扇遊・正朝 二人会」、夜の部が「さん喬・権太楼 二人会」と案内されている。
新宿末広亭 12月29日の余一会

 本当に正朝が出演するのだろうか。末広亭は、この日から正朝出演が解禁?
たしか、事件のあったのは、末広亭で主任だった期間ではなかっただろうか・・・・・・。

 他の寄席にはまだ名が見当たらないが、これが謹慎明け定席への復活初日となり、その後他の定席でも復活していく先駆けとなるのだろうか。

 ともかく、落語協会も本人も、何ら“説明責任”っていうやつを果たしていない。
 夜の部の権太楼だって、復活できるのかどうか心配なので、この“余一会”そのものが告知通りに開催されるのかどうか・・・・・・。
 末広亭さん、大丈夫?!
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by kogotokoubei | 2010-11-24 10:57 | 幸兵衛の独り言 | Comments(0)
噺家さんのブログの中で、その更新頻度の高さと内容の楽しさで結構好きなものの一つに春風亭柳朝のブログ「総領の甚六」がある。昨日11月19日の内容に、あの正朝が11月19日に落語協会に復帰、と書いてあった。
柳朝のブログ「総領の甚六」 11月19日

池袋演芸場さんヨル席を勤めてから急ぎ光が丘IMAホールへ。謹慎中だった春風亭正朝師匠が本日より落語協会へ復帰に相成りました。去年の9月に光が丘へ玉の輔師匠と急遽代演に来た際には事件のことをワタシ自身も知らなかったので、『月日が経つのは早いものだと…』今日は少しホッとしております (^_^;) お弟子さんの正太郎君が一番ホッとして嬉しかったと思います。よく耐えたもんな…

我々芸人は舞台でしかお返しが出来ません…皆様応援宜しくお願いします!



最初は処罰に煮え切れなかった落語協会が、週刊誌によって事件が公になり、ホームページで処分を公開したのが昨年の11月20日。よって、一年間の謹慎が明けたということか。2009年11月20日のブログ

 まだ、本人のブログには今年の正月の挨拶のまま。落語協会のHPには何ら告知はないし、芸人紹介のページにも、まだ春風亭正朝の名は復活していない。まぁ、古い業界である、デジタルな反応は期待できないし、まだ手続きが残っているのかもしれない。協会幹部と一緒に定席席亭へのご挨拶あたりから始まるのだろう。

 彼のファンを含む落語ファン、弟子の正太郎、寄席や落語会の関係者など多くの人たちに有形無形の迷惑をかけた償いは、「舞台」で返すと言えば聞こえはいいが、それだけでは済まされない。もっと別の形での落語界への恩返しを考えて欲しいものだ。ボランティアでの落語会開催やチャリティなど含め、いろいろありえるだろう。

 私は、あの事件の後で、彼の著作を褒めたブログを削除した。だから、なおさら事件による落胆と怒りは強い。しかし、捨てようと思ったその本も付属のCDも、なぜかまだ持ったままである。あえて、「罪を憎んで、人を憎まず」を肝に銘じたからである。しかし、事件以降はその本を読む気にも、CDの内容を聞く気にもなれない。

 もし昨年の週刊誌上で一部の噺家の聞書きとして書かれたように、事件を起こした彼の性癖が根深いもので、かつ今回の処罰を軽く考えているようなら、再犯の有無にかかわらず、協会ではなく落語界から追放すべきだろう。
 柳朝のブログにある彼の笑顔に、どんな了見が隠されているのか、今後しっかり見届けたい。なぜなら、本来ならば、その歯切れのいい江戸弁と粋で東京の落語界を将来背負って立つ一人になることを期待していた人だからである。その周囲の期待をしっかり受け止めることができるだけの器量があるのか、器用なだけの噺家なのかが今後問われるということを本人がしっかり自覚して欲しい。これからが彼の噺家人生の勝負なのだ。一年後に、また彼のことを書く時にはどんな内容になるか、ある意味では楽しみである。
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by kogotokoubei | 2010-11-20 10:10 | 幸兵衛の独り言 | Comments(6)
11月6日に放送された「NHK 新人演芸大賞-落語部門-」は、春風亭一之輔が大賞を受賞し、これで東京勢が三連勝となった。この賞は、前身となる賞において選考手法の変遷がいろいろあったが、1994年から現在のような「落語部門」「と「演芸部門」とに分かれての表彰になった。

 そこで、1994年以降の大賞受賞者を東と西に分けて並べてみる。。
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        西             東
1994年                桂平治
1995年                柳家三太楼(→三遊亭遊雀)
1996年                古今亭志ん次(→志ん馬)
1997年  桂宗助
1998年                柳家喬太郎
1999年  桂都んぼ(→米紫)
2000年                林家彦いち
2001年  桂三若
2002年                古今亭菊之丞
2003年                古今亭菊朗(菊志ん)
2004年  桂かい枝
2005年                立川志ら乃
2006年  笑福亭風喬
2007年  桂よね吉
2008年                三遊亭王楽
2009年                古今亭菊六
2010年                春風亭一之輔
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 東の11勝、西の6勝と、ほぼダブルスコアになっている。この結果をどう考えるかは難しいが、間接的に次のようなことが結果に影響していそうな気がする。
・賞に対する価値観の違い →東>西 *あくまで邪推
・出演可能な二つ目相当者の母集団の差 →東>西
・前座・二ツ目・真打昇進制度の有無 →東:有、西:無

 さて、では来年は、どうなりそうか・・・・・・と考えると“鬼が笑う”のだろうが、西が有利、ということは言えるかもしれない。なぜなら、審査委員や主催するNHKが、東西のバランス感覚を働かせるだろう、ということがひとつ。そして、東で頭一つ抜け出た優勝候補者と私が思っていた一之輔と菊六がすでに受賞してしまったためでもある。
 そして、今回の放送で、私は2008年に大賞受賞を逃した時の菊六と同じような悔しい表情を、発表後のまん我に見たのだ。たしかに、まん我の芸は悪くはなかった。また、2008年には『骨つり』というより東京の『野ざらし』で勝負し、今年は贅沢かつ無謀(?)にも三代目(春團治)に稽古をつけてもらった『お玉牛』というネタで勝負したチャレンジ精神を高く評価する。来年、まん我が予選を突破した時は、大本命と見る。今年出演した由瓶も来年またチャンスがあれば、ダークホース的存在になるかもしれない。妙に印象に残る人なんだよねぇ。何かある、という感じ。
 それでは東はどうか、と言うと今年出場した立川流の二人のうち談修は来年は出場しない(できない?)だろうし、志ららはネタが“はまれば”可能性があるが、確率はあまり高くないかもしれないなぁ。三振かホームランか、という感じでブレが大きい人。となると、落語協会か芸術協会の二ツ目が優勝を狙うことになるのだろうが、今一つ本命が見当たらない。数年後に入船亭辰じんが二ツ目に昇進して出場可能になった場合は期待できるし、受賞して欲しいと思う。春風亭ぽっぽだって将来は可能性がある。女流での初受賞を目指してほしい。そうだ、立川こはるもいたぞ!彼女のほうが実力はあるなぁ。いずれにしても、ここ数年以内に女流落語家が大賞を受賞するのも時勢的にはいいことだろう。

 そろそろ“鬼”がやって来て「まだ、来年のことグダグダ言ってるのか」と噛みつかれそうなので、このへんにしておこう。

 それにしても、今年の審査結果の講評で神津友好のおっさんの乱れぶりはひどかったなぁ。意味不明だったぞ。酒でも飲んで審査してたんとちゃうの(笑)
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by kogotokoubei | 2010-11-10 12:08 | 幸兵衛の独り言 | Comments(2)
フジポッド「お台場寄席」のことを何度か書いているが、同じフジポッドの新企画として「ふじ特撰落語会」というイベントが始まるらしい。
ふじ特撰落語会のHP

 「お台場寄席」や、そのコンテンツの一つである「目玉名人会」で司会を務めるアナウンサーの塚越孝が次のように口上を述べている。

こんにちは。フジテレビアナウンサーの塚越 孝です。
11月18日に神楽坂・赤城神社参集殿のこけら落しとして「ふじ特撰落語会」が開催される運びとなりました。
3月17日、浅草・東洋館での「圓生杯争奪」では、両師匠に評論家の方々も加わって、私が討論会の進行を致しました。
今回は小さなホールなので、両師匠を挟んで鼎談。私が互いに「圓生」を譲る気はないのかなど、質問をぶつけます。
あの討論会から8ヶ月後に実現した二人会。フジテレビの動画配信サービス「フジポッド」では、この模様を、11月22日から毎週月曜日更新の4~5話シリーズ(予定)で無料配信します。ぜひご期待下さい。


そして、第一回の「番組概要」として、こう書かれている。

第一弾は、今、落語界で大きな話題となっている「七代目圓生襲名問題」の渦中にある二人が、奇跡の揃い踏み。題して、「やっぱり圓生は俺だ!『円丈・鳳楽二人会』~あの対決から8ヶ月!!」。
1979年に古典落語の名人・先代三遊亭圓生が亡くなってから永く空席となっていた名跡。生前の円楽が弟子の鳳楽を圓生に指名。これに円丈が異議を唱え、ここから円丈・鳳楽による「圓生」を巡った争いが始まりました。
円丈が「芸の上で決着を」と呼びかけ。鳳楽がこれに「一回やりましょう」と応じたことから、3月17日に浅草東洋館で「圓生争奪杯」が開催されました。落語界内外の話題をさらった対決から8ヶ月。ついに両師匠が再び競演する日が訪れました。

【番組情報】
収録:2010年11月18日 第一回『ふじ特撰落語会』(神楽坂・赤城神社参集殿)
配信:
フジテレビ動画配信サービス「フジポッド」にて11月22日より無料配信。
毎週月曜日更新 全4~5回(予定)

【出演者】
三遊亭円丈 / 三遊亭鳳楽

【解説】
塚越 孝(フジテレビアナウンサー)


 HPには二人の写真、プロフィールも掲載されているが、円丈と鳳楽の“再戦”が、さて、あれから半年以上も過ぎて、落語界では「大きな話題」になってるの?
 主催は「粋まち」、制作協力がフジテレビジョン、協賛は冨士フィルムとなっている。

 まぁ、「神楽坂のまち興し」「赤城神社参集殿のPR]を考えるチームと、自前のコンテンツが不足で少しでも配信できる素材が欲しいフジポッドが意気投合し話題性のある落語会を企画した、つもりなのだろう。

 ちなみに「粋まち」という組織は、NPOから発展した株式会社らしい。
「粋まち」のHP


 会場の赤城神社のHPに、この神社の提唱する“キーワード”である「ヒトイキ」という言葉の説明が次のように書いてある。赤城神社のHP


赤城神社では、コレまでの伝統と地域に根ざしながら、これからのくらしを育む新しい文化活動をはじめます。
キーワードは「ヒトイキ」。
これは、一息であり、人息、人粋、人意気であり、神の域に接する人の粋と考えています。あわただしい日常の中で、自分を見つめて、気持ちを確認し、人が集い、つながる場をつくっていきたいと思います。



 「そうか、塚越が仲に入って円丈と鳳楽の抗争(?)をなだめ、あらたに二人を“つなげる”ためのイベントか」などと深読みしても、まず間違いなくハズレだろう。*分かってて書くな、と言われそう・・・・・・。

 まぁ、配信されるようだから聞いてはみようと思うが、とても神楽坂に行く気にはなれない。特に「鼎談」が想像できてしまい、とても“粋”な内容になるとは思われないからだ。盛り上がるとは思えないなぁ。

 さて、この企画が円生襲名問題に「一息」入れることになるのか、それとも「一息」入れるべきところを、マッチポンプ役がはしゃいで無駄な混沌を作り出すのか・・・・・・。どうしても後者のような気がしてしょうがないのだが、どうなることやら。

 正直、私の中では関心が急激に冷めつつある襲名争いであり、冷却期間をおいて近い将来に兼好に継いでもらいたいという思いもある。以前にも書いたが、円丈も鳳楽も、そして円窓も“ニン”ではない。誰が継いでも、芸風、力量、年齢(将来性)などで違和感がある。逆に言えば、誰が継いでも「セコ円生」として中継ぎをして、次につなげてもらっても結構。
 そんな思いで、秋の夜は過ぎていく・・・・・・。(なんてね!)
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by kogotokoubei | 2010-10-20 18:28 | 幸兵衛の独り言 | Comments(4)
昨日10月16日に行われた平成22年度NHK新人演芸大賞<落語部門>の結果が、落語協会のHPや本人のブログ、さまざまなニュース、そして落語愛好家の方のブログで発信されているので、11月の放送の前に私も書くことにした。
落語協会のHPのニュース
春風亭一之輔のブログ“いちのすけえん”
MSN産経ニュス
 一之輔のブログに書いている通り、放送は、11月6日(土)15時50分~16時55分のNHK総合。

『初天神』だったんだ・・・・・・。

 さて、受賞するか否か関わらず、私は一之輔の来年真打昇進を期待しているが、受賞したほうが昇進はしやすいだろう。先日書いた通り、“年功”では先輩がたくさんいるが、十○人抜きがしばらくぶりにあってもよいだろう。2010年10月13日のブログ

 一之輔には、それだけの実力と人気が間違いなくある。落語協会が、来年は一之輔、再来年に菊六、この二人の昇進を英断することを強く期待している。
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by kogotokoubei | 2010-10-17 15:45 | 幸兵衛の独り言 | Comments(2)
 今週末16日(土)に、恒例の「NHK 新人演芸大賞」の落語部門の本選(決勝)が行われる。観覧募集はもう終了したが、今年は東京での開催。下記の案内にあるように、渋谷の「NHKみんなの広場 ふれあいホール」での開催。
「NHK 新人演芸大賞」の日程や場所
落語部門は午後1時半:から3時半の2時間で収録するらしい。たしかに一人の持ち時間10分余りしかなかったはず。審査も含め2時間あれば撮れてしまうわけだ。しかし、審査時間も1時間に満たないいうことだろうなぁ。声の大きな人の言いなりにならなければいいが・・・・・・。

テレビ放映は例年通りなら11月23日だろうが、芸能ニュースや会場へ行かれた落語愛好家の方のブログでその模様や結果が速報されることと思う。私もニュースやブログを楽しみに待つ。

本選出場者は、複数のブログ情報によると次の通りらしい。

春風亭一之輔、立川志らら、立川談修、桂まん我、笑福亭由瓶

それぞれの入門年と師匠は次の通り。
一之輔:平成13(2001)年に一朝に入門。平成16(2004)年に二ツ目昇進。
志らら:平成9(1997)年に志らくに入門。
談修:平成7(1995)年に談志に入門。
まん我:平成11(1999)年に文我に入門。
由瓶:平成9(1997)年に鶴瓶に入門。

一之輔は平成19(2007)年以来。三年前の演目は十八番の『鈴ケ森』。なかなかの出来だったが、桂よね吉の『七段目(芝居道楽)』には勝てなかった。私の採点では、二人はほぼ同点だったので異存なし。二人に続いて良かったのが菊六の『権助提灯』だったと記憶する。
志らら、まん我は一昨年、平成20(2008)年に出場。志ららは『壷算』、まん我が『野ざらし(骨つり)』だった。まん我も良かったのが、それ以上に感心したのは菊六の『やかん』。しかし、なぜか王楽が大賞。この結果にはブログで疑問を書いた。
2008年11月24日のブログ

 談修と由瓶はこれまで聞いたことがないので、コメントできない。

 さて今年の興味は、関東の落語愛好家の多くが本命と思うだろう一之輔が、果たして大賞を取るかどうか、ということ。
 昨年の菊六は入門年次でもっとも若かったが、四年連続本選出場という実力を発揮して栄冠を獲得した。まったく異存のない結果だった。
2009年11月23日のブログ
 菊六は平成14(2002)年の入門なので、一之輔の一年後輩だが、先に大賞を受賞した。だから、今年の出場者の中で入門年次がもっとも若いことは一之輔のハンディにはならないはず。同じ落語協会からの出場者はいないので、立川流二人と上方二人との戦いということ。予選に誰が出たのか知らないが、落語協会と落語芸術協会の二ツ目代表と言ってもよいだけの人気と実力を有していると思うので、個人的にはぜひ大賞を取って欲しい。予選の演目は分からないが、時間と彼の持ちネタから想像すると『短命』あたりかなぁ。どう刈り込んでも、とても『五人廻し』や『らくだ』をかける時間はないだろう。『抜け雀』もあるか・・・・・・。まぁ、それは当日の楽しみということにしよう。

 そして、大賞を受賞してもしなくても、小三治新体制になった落語協会には、一之輔を来年真打に昇進させて欲しい。もう十分に真打の実力と人気があるし、個人的にはチケットが取りにくくなり困ったものだが、独演会での動員力はたいしたものである。

 もし一之輔が昇進する場合、いわゆる“何人抜き”になるかを予想してみる。
彼より入門年次と二ツ目昇進の両方で先輩の二つ目は、次のような名が並ぶ。
(落語協会HPより。名前の五十音順)
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三遊亭亜郎:平成9(1997)年入門、平成14(2002)年二ツ目。
三升家う勝:平成12(2000)年入門、平成15(2003)年二ツ目。
柳家右太楼:平成12(2000)年入門、平成16(2004)年二ツ目。
金原亭馬吉:平成12(2000)年入門、平成15(2003)年二ツ目。
金原亭馬治:平成12(2000)年入門、平成15(2003)年二ツ目。
柳家喬四郎:平成11(1999)年入門、平成14(2002)年二ツ目。
柳家喬之進:平成12(2000)年入門、平成15(2003)年二ツ目。
三遊亭金兵衛:平成10(1998)年入門、平成13(2001)年二ツ目。
金原亭小駒:平成9(1997)年入門、平成12(2000)年二ツ目。
柳家小権太:平成11(1999)年入門、平成14(2002)年二ツ目。
桂才紫:平成11(1999)年入門、平成15(2003)年二ツ目。
柳家さん弥:平成12(2000)年入門、平成16(2004)年二ツ目。
柳家初花:平成12(2000)年入門、平成16(2004)年二ツ目。
古今亭志ん公:平成11(1999)年入門、平成15(2003)年二ツ目。
古今亭朝太:平成10(1998)年入門、平成15(2003)年二ツ目。
三遊亭司:平成10(1998)年入門、平成15(2003)年二ツ目。
川柳つくし:平成9(1997)年入門、平成12(2000)年二ツ目。
三遊亭天どん:平成9(1997)年入門、平成13(2001)年二ツ目。
鈴々舎風車:平成11(1999)年入門、平成14(2002)年二ツ目。
入船亭遊一:平成11(1999)年入門、平成15(2003)年二ツ目。
柳家麟太郎:平成11(1999)年入門、平成15(2003)年二ツ目。
-------------------------------------------------------------
 同期は別として、同じ二ツ目の一之輔の先輩は、この二十一名。

 ちなみに、今秋の真打昇進者五名は、平成8(1996)年と平成9(1997)年の入門で、二ツ目昇進は全員が平成12(2000)年。入門年次と二ツ目昇進の時期を考えると、従来通りの年功序列なら次の方々は、よほどのことがない限り、来春の昇進当確者。
金原亭小駒:平成9(1997)年入門、平成12(2000)年二ツ目。
川柳つくし:平成9(1997)年入門、平成12(2000)年二ツ目。
三遊亭天どん:平成9(1997)年入門、平成13(2001)年二ツ目。
三遊亭金兵衛:平成10(1998)年入門、平成13(2001)年二ツ目。

そして、春のもう一人と秋は、平成14(2002)年の二ツ目昇進者も対象となり、次のような名前が並ぶ。
三遊亭亜郎:平成9(1997)年入門、平成14(2002)年二ツ目。
柳家喬四郎:平成11(1999)年入門、平成14(2002)年二ツ目。
柳家小権太:平成11(1999)年入門、平成14(2002)年二ツ目。
鈴々舎風車:平成11(1999)年入門、平成14(2002)年二ツ目。

この八名の次に入門が古く悩ましいのは、入門が平成10(1998)年で二ツ目昇進が平成15(2003)年のこの二人。
古今亭朝太:平成10(1998)年入門、平成15(2003)年二ツ目。
三遊亭司:平成10(1998)年入門、平成15(2003)年二ツ目。

もし、この十人が来年の春と秋に真打に昇進すると、綺麗な従来通りのエスカレーターである。

さて、それでいいのか!?

 非常に身勝手な案を出す。

 春の昇進は小駒、つくし、天どん、金兵衛、そして亜郎の五名として、秋は年功基準を取りはずして、あえて思い切った実力主義で昇進者を決めて欲しい。競馬の天皇賞だって春と秋のレースは場所も距離も違うじゃないか。
*ちょっと無理があるか・・・・・・。

 たとえば、秋の昇進の基準は、「NHK 新人演芸大賞」本選出場の実績や大賞受賞、その他の賞の受賞歴、寄席席亭の評価などを加味し、決めるというもの。
もし一之輔が昇進したら、上述した春の昇進者五名以外の先輩十六人抜きである。
ただし、菊六が昇進した場合はあと六人ほど多い先輩を抜くことになるので二十二人抜き。過去にはそれ以上の例がある。実績、実力を考慮したら、まったく問題ないと私は思うが、一之輔が来年昇進するなら菊六は再来年でも結構。*少しは譲歩もしないと(!?)

 落語協会は、来年の昇進者の名をまだ発表していない。大幅な改革を水面下で検討しているのではないか、と内心期待しているのだが、まったく勘違いかもしれない。
志ん五師匠の四十九日過ぎに、新たな常任理事を含む役員の任命などがあってから、いろいろと動き出すのだろうとも思うが、ぜひ実力とやる気のある若手噺家に夢を持たせるような昇進者の選抜があることを望んでいる。
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by kogotokoubei | 2010-10-13 17:38 | 幸兵衛の独り言 | Comments(4)
今日9月19日の朝日新聞の「天声人語」で、明日が命日である(初代)林家三平のことを書いていた。噺家のことを題材にしてもらえたことは落語愛好家としてはうれしくもあるのだが、その内容にもう一つ納得できず、書くことにした。部分的に引用するが、全文はasahi.comでご確認のほどを。朝日新聞 9月19日付「天声人語」

 “マクラ”はこうだ。

ある時代、「型破り」はほめ言葉だった。逆に、無難を旨とし、勢いと遊びを欠いたデジタルの世からは、破壊のエネルギーにあふれた初代林家三平の高座が恋しい。早いもので、「昭和の爆笑王」が鬼籍に入って明日で30年になる▼若い頃の古典落語はとっちらかり、噺がまとまらない。ところが、生来の明るさゆえにそれがまた受けた。大御所たちの渋面をよそに、客席での人気はテレビの登場で全国区になる▼世相小話をつないで、歌あり客いじりありの異形の高座。



 “揚げ足”をとるような言い方になるが、かの「天声人語」なのであえて書く。
 この文章では誤解を招く。三平の「古典」が「生来の明るさ」で受けた、ということはないはず。あくまで“異形”と筆者が評する芸が受けたのだ。人気が出てから唯一ともいえる古典(らしき)ネタ『源平』は別にして、若い時の三平の「古典」が「生来の明るさ」で受けたという話は聞いたことがない。
 東宝名人会の専属であった七代目林家正蔵という偉大な父を持ち、強いプレッシャーや周囲の目があったはずだ。当時は、“親の七光り”でなんとかなる時代ではない。若い時に古典では芽が出ずもがき苦しんだ結果として、テレビという新たなメディアを意識したあの「異形」の三平の芸が生まれたはずだ。もちろん、はかま満緒たちブレーンの存在も大きかっただろうが、三平が経験したであろう過酷な修練の日々は想像できる。

 そして、文章の真ん中あたりに次のエピソードが紹介されている。

時事ネタを求めて7紙を購読していたそうだ▼出番前、共演者と談笑していても父親の手は冷たく汗ばんでいたと、次男の二代三平(39)が『父の背中』(青志社)に書いている。はぐれぬよう楽屋でずっと手を握っていた者だけが知る緊張だ。指先から血の気を奪ったのは「爆笑の使命」の重さだろう


 出番前には三平でなくても緊張はする。あの志ん朝師匠が、出番前に必ず手に「人」と指で書いて飲み込む御まじないしていた、という逸話だってある。「爆笑の使命」の重さを象徴するエピソードなら、別にあの次男の本などから引用する必要もなく、いくらでもあるはず。
 そして、サゲがこうだ。

型にとらわれず、目の前の客を笑わせたい。初代三平の誠心誠意は、皆が明日の幸せを素朴に信じた時代に呼応する。爆笑王への郷愁、詰まるところ右肩上がりへの憧れらしい。懐かしむつもりが、ついつい無い物ねだりになった。


 このサゲがもっともがっかりする。三平を題材にして、サゲがこれ?
 筆者は「三平に郷愁を感じる。そして、三平が活躍していた頃の右肩上がりの日本にも思いは募る。ついつい、三平への郷愁で今の日本の無い物ねだりをすることになってしまった」、ということを言いたいわけか?
 竜頭蛇尾というか、一貫性に欠け、なんとも味わいの不足した文章と言わざるを得ない。「昭和の爆笑王」の命日、ということで書き始めたはずなのに、最後がコレ?
 テレビというメディアに相応しい芸を生み出したから三平は時代の寵児になったのだから、例えば、“ネタ見せ”お笑いテレビ番組の終了を引き合いにして、サゲにすることもできたように思う。私ならそうするなぁ。例えば、「三平はテレビというメディアに相応しい芸を開拓した革命児ともいえるだろう。昨今相次ぐテレビの“ネタ見せ”お笑い番組の終了を思うと、取替えの可能なタレント達と唯一無二の芸人との大きな違いを考えざるを得ない」とかね。でもこんなこと書いたら、同じ系列のテレビの人間と喧嘩になるか・・・・・・。

 三平の最大の貢献は、テレビ的な演芸を生み出したことで人気者になり、結果として寄席にも大勢の客を集めたこと、と多くの方が指摘している。当時二ツ目で主任を務めたのは三平と円歌の二人だけのはず。三平が出る日の寄席に主演した噺家の“ワリ”は間違いなく多く生活の足しにもなっただろうし、何より三平をきっかけにして寄席に通い始めた客も多いだろう。

 テレビというメディアの存在は彼の人気爆発への必要条件ではあるが、「右肩上がり」の景気が三平人気の必要条件であったわけではなかろう。筆者がそういう連想をしたとしても、「天声人語」って、そんな個人的な感慨だけで書いていいの?そもそも、この筆者は落語やその歴史をどれだけ知っているのだろうか。

 ・言葉足らずのマクラ
 ・引用するエピソードの不適切さ
 ・サゲの唐突さ、話の一貫性のなさ、味わいのなさ
 天声人語って、いつからこんなレベルになったのだろう、と購読者として余計な心配をしてしまった。

 一時大学試験に頻繁に出題されるということで受験生の家庭で朝日新聞の購読が多かった、という時代があった。あるいは、未だに試験に出るのかもしれない。このような内容ばかり書いていると、数年後にこの筆者は、“大学受験のために『天声人語』を読みなさい、と高校の国語の先生が言っていた時代”への郷愁を感じるかもしれない。
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by kogotokoubei | 2010-09-19 18:04 | 幸兵衛の独り言 | Comments(4)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛