人気ブログランキング |

噺の話

kogotokoub.exblog.jp
ブログトップ

カテゴリ:幸兵衛の独り言( 289 )


 昨日のテニスは、いつもより遅い11時から開始だった。

 クラブハウスに着くと、テレビの前に人だかり。

 マラソンだ。MGCの男子、ゴール前の様子に皆さんが歓声を上げていた。

 つい、私も見てしまった^^

 そこで思いついたのが、マラソンコースの言い立て。

 ちょうど、今日は午前中は時間があったので、ネットでコースの地図を見ながら、こんなもん書いていました。

 新国立競技場を出ますと、外苑西通りを右に折れまして、しばらくまっ直ぐに。靖国通りを右に折れて、そのまましばらくしたら道なりに外堀通りに。新見附橋を過ぎますと、まもなく5キロ。
 神楽坂通りを越えて飯田橋も過ぎまして、首都高を上に見ながら外堀通りをそのままに、後楽園を過ぎて水道橋の交差点に出ましたら、白山通りを右に行き、神保町の交差点に出ましたら左に折れて靖国通りを東へ。小川町を過ぎ、蕎麦屋まつやを左に見て淡路町を過ぎまして、須田町交差点を右に折れまして、中央通り。神田駅を過ぎて今川橋を越え、室町を通り日本橋の手前が、10キロ。
 永代通りに出たら左に折れまして、昭和通りを横切り首都高の下を走り、すぐに茅場町、新大橋通りに出ましたら左へ。江戸橋ジャンクションを過ぎて蛎殻町をそのままに、水天宮を右に見て、浜町中ノ橋を左に折れて、清州橋通り。東日本橋から右斜めへ進み、清杉通りへ。浅草橋を渡り、江戸通りへ出たら、須賀神社を左に見て、まっすぐに。柳橋を過ぎ蔵前橋通りを横切って、駒形橋西詰に出ましたら左斜めが並木通り。雷門が、やっと15キロ。
 雷門通りを右へ行きすぐに江戸通りも右へ。江戸通りから清杉通り、清杉橋通り、新大橋通り、永代通りと、来た道を戻ります。日本橋で中央通りに突き当たると、そこが20キロ。中央通りも来た道を戻り、外堀通りを右に曲がり、西新橋から日比谷通りを左へ。御成門を過ぎ、増上寺で折り返せば、すぐに25キロ地点。
 日比谷通りを戻り、西新橋からは外堀通りへ。新橋から中央通りへ入り、高架下を過ぎ、銀座の街を道なりに。靖国通りに戻って須田町が30キロ。神保町の交差点を左に折れて白山通りから内堀通りに入り二重橋で折り返し、また神保町に戻って35キロ。白山通りから外堀通り、靖国通りと来た道を戻って、40キロ地点を過ぎたら外苑西通りを左へ折れて、新国立競技場へ向かって、やっとゴール。
 真夏に走る選手も疲れるだろうが、書いてるあたしもくたびれた。

 ほんとにくたびれた^^

 真夏の五輪開催には、素直に賛同できないが、これは、洒落です、洒落。

 お店の名前をもっと織り込むとか、まだ改善の余地があるなぁ。
 間違いもあるかもしれない。

 バージョンアップしたら、またご紹介します。
by kogotokoubei | 2019-09-16 13:15 | 幸兵衛の独り言 | Comments(2)
 池内紀さんが、八月三十日に亡くなっていたことを知った。

 東京新聞より。
東京新聞の該当記事


 フランツ・カフカ作品などの翻訳で知られ、エッセイストとしても活躍したドイツ文学者の池内紀(いけうちおさむ)さんが八月三十日、死去した。七十八歳。兵庫県出身。

 東京外国語大を卒業し、東京大大学院を修了。留学先のウィーンでは、隣国のチェコスロバキア(当時)で一九六八年に起きた自由化運動「プラハの春」の行方を見守った。

 神戸大助教授や東京都立大教授、東京大教授を歴任したが、五十五歳で東京大を辞して文筆業に専念。カフカやエリアス・カネッティ、ギュンター・グラスらによる多くのドイツ語小説を翻訳したほか、「諷刺(ふうし)の文学」「ウィーンの世紀末」など幅広い著作を残した。

 今の時代、七十台は、早い・・・・・・。

 池内さんは、日曜喫茶室の準レギュラーとして、そのお声が懐かしい。

 以前、著書『二列目の人生』について、記事を書いた。

2017年12月25日のブログ
2017年12月29日のブログ
2018年1月2日のブログ

 最初の記事を読むと、葉室麟の訃報に接したことを、冒頭に書いていた。

 その頃だったか・・・・・・。

e0337777_15282902.jpg

池内紀著『二列目の人生-隠れた異才たちー』(集英社文庫)

 この本は、「日曜喫茶室」の過去の放送の中で、著者池内紀さんが、当時の「近刊」として説明していらしたのを聴いて知った。
 記憶が曖昧だが、「日曜喫茶室」で池内紀さんは、トップランナーではなく、その後ろを走ってきた人にも、さまざまな人生があって、それに興味を持って調べ始めた、というようなことをおっしゃっていたと思う。

 2003年に晶文社から単行本として発行され、五年後に集英社文庫入り。

 取り上げられた人物は次の通り。

  大上宇市  もうひとりの熊楠
  島 成園  松園のライバル
  モラエス  ハーンにならない
  中谷巳次郎 無口な魯山人
  西川義方  天皇のおそばで
  高頭 式  先ズ照ラス最高ノ山
  秦 豊吉  鴎外の双曲線
  篁 牛人  志巧を見返す
  尾形亀之助 賢治の隣人
  福田蘭童  尺八と釣り竿
  小野忠重  版の人
  中尾佐助  種から胃袋まで
  早川良一郎 けむりのゆくえ
  槁爪四郎  もうひとりのトビウオ

 私の記事では、この中から西川義方、福田蘭童、高頭式について紹介した。


 最初の記事で引用した「はじめに」を、今回は中略なしで紹介したい。
  はじめにー「記憶の訪問」のこと

 幸田文(あや)は父の露伴から家事その他きびしい躾を受けた。二十四のときに嫁いで十年後に離婚。だから「結婚雑談」というエッセイのはじめに、自分は離婚した経験をもつ女だから、結婚について満足なことは何一つ言えそうにない。もし言うとすると、「いびつな過去」を思い返して、「いびつなままの現在」から話すしかない。と断っている。
 この場合の「いびつな」は謙虚さから出た言葉だろう。大きな経験を、よく耐えた人に特有の意味深いことがつづられている。
 二十代のはじめから何度か見合いをした。そのうちの一つが結ばれて、あとは流れてしまったわけだが、流れ去ってあとかたもなくなるはずのものに、流れてもなお余情のあるものがある。恋ではなく特別な事件でもなく、なんとなく心に残る人のおもかげといったもの。だからこそ結婚というのが大きな事柄であることに、あらためて気がついた。
「結ばない縁のはしばしにも忘れないものがあって、こうして三十年過ぎた今も記憶の訪問に逢うからである」
 ちょうどこの『二列目の人生』を書いているときだった。「記憶の訪問」という言葉がひとしお身にしみた。まさにそんな気持ちで一人、また一人と対面していたからである。
 何か一つのことに打ち込んだ人は、たいていの場合、独自のルールをもっている。そのためしばしば世間から変わり者扱いされたりした。
 たしかに共通して「依怙地なところ」があった。仕事の仕方にも生き方にも、双方にわたる依怙地さ。最近はあまり使われない言葉だが、とても大切なことではあるまいか。そもそもすべてにわたって自分なりのルールをもたないかぎり、独自の仕事などできるはずがないのである。
 一筋縄でいかない反面、そういう人に特有の軽みというか愛嬌があって、どこかシャレているものだ。依怙地さが窮屈というのではなく、自分なりの自由さを確保したのにあたるからだろう。そにせいか、きまってたのしいエピソードが伝わっている。ふつうは奇人ぶりをいうものとしてひろまったようだが、むしり生粋の自由人のおもかげを伝えている。その人柄、その人となりの大きさがまざまざと見える気がした。
 あきらかに、その人でなくてはありえないエピソードなのに、なぜか誰にあってもあかしくないようでもある。どうやら夢のありかを伝えているせいらしい。
 
 「記憶の訪問」っていう言葉、良い響きだ。

 リンクした東京新聞には、次のような池内さんの一面が紹介されている。

 池内紀さんは晩年、新訳を手掛けたカントの哲学書「永遠平和のために」に強い思い入れを抱き、同書を題材にした講演会なども開いていた。

 「国連のもととなり、日本国憲法における画期的な『第九条』の基本理念となった」。池内さんは二〇一五年五月に本紙に寄せた原稿で、一七九五年に発表された「永遠平和のために」の重要性を強調していた。

 ワイツゼッカー元ドイツ大統領が「過去に目を閉ざす者は、現在も見えなくなる」と語った演説を引き、同書こそ元大統領が「たえず立ちもどった一点」ではないかと説いている。

 池内さんも、依怙地で、一筋縄ではいかない、独自のルールを持った人だったのだと思う。

 そして、どこか愛嬌があり、おしゃれな人。

 それは、四回ほど記事にした『はなしの名人ー東京落語地誌』を読んで、痛感したことでもある。

e0337777_14031992.jpg

池内紀著『はなしの名人-東京落語地誌』(角川選書)

 『はなしの名人-東京落語地誌』は、平成11(1999)年の8月初版発行で、内容は主に「野生時代」、一部「東京人」に掲載されたものだ。

 三年前に四つの記事で紹介した。
2016年6月16日のブログ
2016年6月17日のブログ
2016年6月24日のブログ
2016年7月6日のブログ

 ご興味のある方は、ご覧のほどを。


 また、頼れる大人が一人、旅立ったなぁ・・・・・・。

by kogotokoubei | 2019-09-06 12:58 | 幸兵衛の独り言 | Comments(0)
 大船渡高校の佐々木投手が、県大会の決勝で投げなかったことが、話題になっている。

 あの「渇!」のおっさん(おじいさん?)が、投げさせるべきだと言っていたことに対して、ダルビッシュが反論している。

 ダルビッシュを全面的に支持する。


 昨年の夏の甲子園、金足農のエース吉田輝星の投球数の多さが話題になり、兄弟ブログ「幸兵衛の小言」で記事を書いた。
「幸兵衛の小言」の該当記事
 同記事では、ニュースサイトの記事から、高校野球の予選や本選で数多く投球した選手の中で、プロでも活躍できたピッチャーは、ほんの一握りであることを紹介した。

 一年ほど前の兄弟ブログの重複するが、高校野球でエースを酷使するのは、もうやめるべきだ。

 高野連も重い腰を上げて、ようやく投球制限の検討を始めたようだ。

 参考になるのが、「ピッチスマート」の考え方だろう。

 MLBの公式サイトに、「ピッチスマート」の説明がある。
MLB.COMの該当ページ

 年齢ごとに投球数の上限の目安が設定されているのと、球数による休養日のガイドラインが設定されている。

 次のようなものだ。
e0337777_11003628.png


 17歳~18歳の一日の投球数の上限は、105球。
 投球数と休養日のガイドラインは、31~45球->一日、46~60球->二日、61~80球->三日、81球以上投げた場合は、4日の休養を取るように定めている。
 
 これは、一つの目安になると思う。

 「これでは層の厚いチームしか勝てない」とか、「休養日を多く設けると、開催期間が長くなり費用が増える」とか、いろいろ批判もあるかもしれない。

 しかし、高校野球は、いったい誰のためにあるのか。

 当事者たる一人一人の選手の野球人生を短くさせてでも、一時の「見世物」として楽しければいいのだろうか。

 私は、「勇気と感動をありがとう」などという言葉は、嫌いだ。

 今必要な勇気とは、選手の健康を最優先して、エースを酷使しない仕組みを導入することではなかろうか。

 大船渡國保監督の勇気を讃えたい。

 そして、夏の甲子園でも、エースの酷使がないことを祈るばかり。

by kogotokoubei | 2019-07-29 12:45 | 幸兵衛の独り言 | Comments(8)

いろいろ。

 一昨日20日の土曜日夜、地上波で初めて「万引き家族」が放送された。

 ある程度は予想していたが、20日、そして昨日21日のアクセス数に驚いた。

 昨年、樹木希林さんの訃報に接して書いた記事に、昨日も一昨日も、なんと、2000以上のアクセスがあった。一昨日は、3000に近かった。

 桁の間違いかと思って見直したが、間違いない・・・・・・。

 関連する記事へのアクセスも多かった。

 まぁ、それはそれとして、参院選だ。

 兄弟ブログに、「れいわ新選組」について記事を書いた。
「幸兵衛の小言」2019年7月18日の記事

 ほとんど、マスコミが無視していながら、二議席を確保。

 山本太郎は、99万票を獲得。しかし、落選。
 
 もちろん、そんなことも想定の範囲だろう。

 衆院選では、もっと大きな風穴が開く。
 
 とはいえ、もう少し若者が投票所にかけつけていたら、と思わずにはいられない。

 投票は義務制にするしかないのじゃないか。
 五割を切る投票率で、民意が反映された、と言えるのか。

 森達也は、れいわの応援演説で、カメラに向って、これいつ放送するんですか。選挙の後ですか。口惜しがらせるためですか、と言った。

 その日のニュースで、新橋や新宿の熱狂が放送されていたらと思うが、政権に忖度するメディアだけの責任ではない。

 権利を放棄するなら、義務化するしかないかもしれない。

 ちょうど六年前の今日、参院選で投票率が五割を切りそうだったことについて投票義務制のことを書いた。
2013年7月22日のブログ
 その記事への昨日のアクセスは、2番目に多かった。

 昨日、山本太郎が出演しているテレビへのツィートで、「消費税ゼロで時給1500円、財源はどうするの?」のような内容が表示されたが、れいわの主張を知らないということだろう。

 時給1500円も消費税廃止も、これまで軽減されてきた法人税、所得税を改正し、累進的に富める者から納税してもらう仕組みとセットなのである。

 「れいわ新選組」の公式サイトでは、丁寧に主張を解説している。
「れいわ新選組」公式サイト

 「消費税ゼロ・・・そんなことできるわけないだろう」という発想から、変えなければならない。

 消費税の増税分は、法人税、所得税で減った税収の補填に大半が費やされていて、社会福祉には、ほとんど回っていない実態から、変える必要がある。

 既成政党、既成事実を是とするのではなく、役人が政治家に忖度するのではなく、政治家が国民に忖度する国をつくろう、というのが、れいわの主張。

 消費税が、いったいどれほど社会福祉関連に使われているのか・・・そういったことをメディアはまったく報道しなくなった。

 こっちのブログでこんなことを書くと、「落語のことだけ書いていろ!」みたいな、コメントがきそうだが、この記事、「幸兵衛の独り言」ですから^^

 土曜日の夜、新宿に駆けつけることができなかったが、れいわのサイトで、生で見ることができた。まさに「新宿占拠」だった。

 前川喜平さん、良かったねぇ。メディアが終わったことにしているモリカケ問題も、しっかり語っていた。


 映画「万引き家族」は、「家族のあり方」を問いかけている。

 「れいわ新選組」は、「国のあり方」を、今後も問いかけるだろう。
 

by kogotokoubei | 2019-07-22 12:36 | 幸兵衛の独り言 | Comments(0)
 川崎の事件は、なんとも言えない悲しみと空しさが募る。

 さまざまなメディアで。あの事件が報道されている。

 その中で、街頭での声やメディアでのコメンテーターなる人たちの発言が、いろいろと物議を醸している。

 どんな発言が話題になっているかは、あえて書かない。

 
 こういう事件があると、随分前に書いた、ある本に関する記事を思い出す。

e0337777_11072019.jpg
中島梓『コミュニケーション不全症候群』

 それは、中島梓さんの『コミュニケーション不全症候群』。
 1991年8月に筑摩書房から単行本として発行され、1995年12月に文庫化。

 八年ほど前、二度、長い記事を書いた。
2011年3月5日のブログ
2011年3月6日のブログ

 今思えば、3.11の直前だった。
 
 最初の記事は、本書の引用を中心に、どんなことが書かれているかを紹介し、翌日、補足的な記事を書いた。

 その二つ目の記事と重複するが、こういう事件の背景にある社会病理について、考えたい。


 あの本の「最後の人間」の章から引用。

 ここに、なぜ「おタク」や「ダイエット」などを素材として「コミュニケーション不全症候群」というテーマで本を書いたのかについて、著者中島さんの思いが書かれている。

 もっとずっと重大に見えるたくさんの問題−たとえば環境破壊、地球の汚染、戦争や飢餓がこれほど身近に迫った臨界点をかかえているように見えるとき、なんでわざわざコミュニケーション不全症候群−いうなればほんのちょっとした不適応ないし過剰適応の問題を俎上にあげてまじめに考えなくてはならないのか。
 それは警察の機構と似ている。−「犯罪が起こらなくては何もできることはない」のである。おタクのなかのあるものがゆきずりに幼女を殺せばはじめておタクという存在は社会問題となる。が、それはすぐに次の−そう、たとえば、見捨てられている少年たちが女子高校生をさらって監禁し、ついになぶり殺してしまった、というような事件にとってかわられ、人々の関心と有識者の意見とはすぐに、それまでのおタクについての考察から、放任家庭への批判へとうつりかわってゆく。同じように拒食症で20キロになって死に瀕してはじめて、少女たちは多少なりともかえりみられるだけの価値のある存在、つまりは立派な「患者」として扱われるようになるだろう。
 本当はそれでは遅いのだが、そういう扱いが幸いにして間に合うことはなかなかない。いや、彼ら彼女たちがそのような、さまざまな異様な症状を呈するにいたったのはそもそも大体が、それほどに−殺人をおかしたり20キロにまで自分自身をすりへらすようなことになるまでに、社会から無視され、かえりみられず、かえりみるだけの価値もない存在として扱われていたからなのだ。社会は彼らをちゃんとした人間として正視しなかったし、彼らもまた自分たちの同類をそうしなかった−彼らの場合はそうするだけの余力はもう残ってなかったのかもしれない。また彼ら自身も社会に対してそういう期待をもつこともなかったのだ。そうするかわりに彼らは自分自身の頭を虚構の砂のなかに埋める−さながら駝鳥のようにだ。そうして何も見ないで生きようとする。

 中島さんの文章は、特にこの評論は、独特の言い回しもあって分かりにくい部分もあるが、私なりの理解とちょっとした主張にまとめると、こういうことになる。

(1)現代社会は、自分自身が安心していられる“テリトリー”が、常に侵害される恐れがある
(2)そのテリトリー外の人とのコミュニケーションが、なかなか上手く行えない傾向にある
(3)いわば「コミュニケーション不全症候群」と言うべき病は、必ずしも“ヘンな人”や
   “異常な人“といった特定個人の問題ではなく、現代人がすべからく侵されかねない
   社会病理である
(4)そういった環境に過剰適合したものとして、「おタク」や「ダイエット」、そして行き
   過ぎたダイエットによる摂食障害などの問題がある。
(5)しかし、こういった社会病理に起因する問題は、特定個人が何か問題を起こしたり、
   ニュースになるような事態になって初めて、あくまで“個人”の問題として警察が扱い
   マスコミも取り上げるが、本質的な社会病理のことは滅多に話題にならない
(6)重要なのは、その特定個人による“事件”の背景にある社会病理の実態を知ることと、
   それをどう解決するかという議論なのである


 さまざまな事情、背景から、自分の狭いテリトリーに閉じこもりがちな人に対し、その殻を一層固いものにしてしまうような発言や行動は、決して今回のような事件の解決にならないと思う。

 すでに“犯人”である人物に対し批判するのは、周囲の同調も得られやすい。
 そういう時の発言は感情的になりやすいが、多くのメディアは、それを煽る。

 そうやって、犯人を批判、指弾することは、同じような事件の発生を抑制する効果があるのかどうか。

 大事なことは、“犯人”を出さないことではないのか。

 安倍内閣を含め、登下校時の安全確保、ということを力説するが、それで問題の本質部分が解決できるのだろうか・・・・・・。


 中島梓さんが『コミュニケーション不全症候群』を書いてから三十年近く経とうとしている。
 彼女が指摘した、“社会から無視され、かえりみられず、かえりみるだけの価値もない存在として扱われ“る人は、間違いなく増えていると思う。

 同じような事件が起こらないようにするには、寛容な姿勢で、相互扶助の精神が生きる社会が必要だと思う。

 3.11の後、そういう社会に戻りつつあったように思うが、残念ながら、あれだけの犠牲があったにもかかわらず、不寛容な社会に戻りつつある。

 “さながら駝鳥のように”“自分自身の頭を虚構の砂のなかに埋める”人が増えているのではないか。

 防御の観点でいろいろ考えることも、大事かもしれない。

 しかし、警備を厳重にすることにも限界がある。

 AIを活用して画像認識技術で危険と思われる人物を特定する、なんてことが可能な時代だ。
 中国では顔の認識技術と罰金の引き上げで、交通違反や犯罪を減らしている。

 しかし、行き過ぎると、常に監視の眼が光る息苦しい社会になる危険性がある。

 ジョージ・オーウェルの「1984」の社会は、技術的には現実性を帯びてきた。

 そんな息苦しい社会を、多くの人が望むのだろうか。

 やはり“犯人”をできるだけ生み出さないための社会の姿を模索することが大事ではないか。

 あえて、「甘い!」という批判を覚悟で書くが、イソップ寓話の「北風と太陽」の教えを思い出す必要があると思う。

by kogotokoubei | 2019-05-31 21:54 | 幸兵衛の独り言 | Comments(2)

新元号にちなんで。

 ちょっと、元号で遊んでみました。

   新しい元号の二字を明示(明治)して、出典対象(大正)も明らかにし、
   皆で「令和」と唱和(昭和)するなり。失われつつある、平静(平成)の世。



 おそまつ・・・・・・。
by kogotokoubei | 2019-04-01 21:30 | 幸兵衛の独り言 | Comments(4)

 ドナルド・キーンさんが、亡くなった。

 1922年、日本の元号なら大正11年生まれ。
 北海道の実家で元気に暮らす私の父と同じ年の生まれなので、勝手に親近感を抱いていた。

 だから、もっと生きて、後輩の我々日本人たちに、言葉を残して欲しかった。

e0337777_15494147.jpg

ドナルド・キーン著『日本人の戦争ー作家の日記を読むー』

 昨年8月、四回にわたって『日本人の戦争ー作家の日記を読むー』について、記事を書いた。

 その四回目の内容と重複するが、キーンさんの言葉を紹介したい。
2018年8月6日のブログ


 巻末の「文學界」2009年9月号に掲載された平野啓一郎との対談から、キーンさんの言葉を引用。
キーン 私が戦地で出会った兵たちの日記は、忘れがたいものでした。まだそういう日記があったら、どこまでも探しに行きたいほどです。南太平洋のどこかの島で食べ物がなくなって、マラリアに罹って、近いうちに死ぬだろうと予期した兵が、家族について書く。そして最後の一行は英語で、これを拾うアメリカの軍人は家族に返してくださいと書いている。そういうことが、私は忘れられないんですね。戦争のとき、私はアッツ島と沖縄にいましたが、あのときのことを忘れません。そして、今度この本を書いたのはそのためです。あのとき読んだ日記、あるいは当時の日本の捕虜との付き合いは決して忘れられません。


 キーンさんは、二度、死んでもおかしくない体験をした、と語っている。

 一度目は沖縄に向かう洋上で、「カミカゼ」に襲われた時。特攻機操縦士のミスで助かった。

 もう一度は沖縄に上陸してから。「捕虜になったら殺される」と日本兵から脅されていた市民が隠れる洞穴でのこと。投降させようと洞穴に入ると、そこに機関銃を構えた日本兵がいた。
 驚いて飛んで逃げたが、なぜか日本兵が引き金を引かなかった。

 そんな体験をしたキーンさんは、日本と日本人、日本文化を深く愛した。
 そして、憲法九条を守ること、反戦を力強く訴えていた。

 今の政治家や官僚たちに、爪の垢を飲ませたかった人。

 ドナルド・キーンさんの、ご冥福を祈る。


by kogotokoubei | 2019-02-28 19:36 | 幸兵衛の独り言 | Comments(4)
 「お笑い三人組」の主役の一人、一龍斎貞鳳さんが、二年余り前に亡くなっていたことを、今日のニュースで知った。

 サンスポから引用。
サンスポの該当記事

2019.1.10 12:24
一龍斎貞鳳さんが死去…テレビ草創期のバラエティー番組「お笑い三人組」で人気

 テレビ草創期のNHKのバラエティー番組「お笑い三人組」に出演して人気を博した元講談師で、参院議員も務めた一龍斎貞鳳(いちりゅうさい・ていほう、本名今泉正二=いまいずみ・しょうじ)さんが2016年12月27日、脳梗塞のため東京都内で死去していたことが10日までに分かった。90歳。福島県出身。三回忌を済ませたのを機に遺族が公表した。

 1938年に五代目一龍斎貞丈に入門し、54年に真打ち昇進。「お笑い三人組」では落語家の四代目三遊亭金馬(当時は小金馬)、物まねの故・三代目江戸家猫八さんと共に出演し、茶の間の人気者となった。

 71年には自民党から参院選に出馬して当選。本名を議員名として国立演芸場の設立などに尽力したが、1期で引退。その後は講談界に戻らず、政治評論活動などをしていた。
 
 亡くなったことが、二年以上も、伏せられていたんだ・・・・・・。

 芸能人をめぐるどうでもいいネタの取材のために身辺をストーカーまがいの行動でかぎまわる人間が多い今日、ずっと貞鳳さんの訃報が表面化しなかったということに、なんとも言えない切なさを感じる。

 NHKの「お笑い三人組」は、最初はラジオだったが、昭和31(1956)年からテレビ放送になり、昭和41(1966)年まで約十年間続いた。

 私は、小学校低学年の頃に家族と一緒に見た記憶があり、「アハハ ウフフ 三人元気に顔出して、ニコニコニッコリ笑ったら、心はいつでも青空だ」のテーマソングは、よく覚えている。

 舞台設定の違い、キャスティングの違いなどで、第一期、第二期、第三期と分けられるが、私が覚えているのは、最後の第三期。
 Wikipedia「お笑い三人組」から、キャスティングを引用。
Wikipedia「お笑い三人組」

満腹ホール(ラーメン屋)の金ちゃん(竜助):三遊亭小金馬
ニコニコクレジット社員の正ちゃん(今泉正二):一龍齋貞鳳
クリーニング屋の八ちゃん(八太郎):江戸家猫八
金ちゃんの妹(かおる):音羽美子
正ちゃんの妻(真知子):桜京美
おたまちゃん(珠枝、八ちゃんの恋人):楠トシエ
おたまちゃんの母・おふで:武智豊子
クリーニング屋「峰松」の主人:渡辺篤
金ちゃんの父:木田三千雄
頑太(満腹ホールのアルバイト):矢野目がん


 主役の三人を支える脇役陣に、喜劇役者の名優が並ぶ。

 音羽美子さんは、主役の妻、妹、恋人という女性三人の中では、おとなしい美人という役回り。

 桜京美さんと楠トシエさんが、とにかくパワフル。

 桜京美さんは、「アイ・ラブ・ルーシー」のルーシーの初代声優でもあったなぁ。

 楠トシエさんは、あの頃流行った「トランジスターグラマー」の見本のような人であったように思う。

 猫八さんとの「八ちゃん、おたまちゃん、うー」というギャグが懐かしい。

 そのおたまちゃんの母親おふで婆さんの武智豊子さん、好きだったなぁ。
 あの甲高い声を思い出す。
 「女エノケン」と言われた人だ。
 
 渡辺篤さんは、もちろん、テレビで他人の家を訪問しているあの人ではない^^
 黒澤映画で名脇役だった人。

 あのドラマの凄さは、今日のバラエティと称する愚かしいテレビ番組とは、一線を画している。

 なんと言っても、公開生放送なのだ。

 それで、思い出したのは、三代目江戸家猫八さんのこと。

 広島で被爆し、原爆症の辛さから、あの生放送の日も体調が悪い日もあったことを、晩年に告白されている。

 2014年の原爆投下の日、記事を書いた。
2014年8月6日のブログ

 三人組は、ついに、金馬さんだけになった。

 貞鳳さんが、参議院議員を辞めた後に講談界に戻らなかった理由は、知らない。

 講談師の時代も、司会などですでに売れっ子になっていたことから、講談には未練がなかったのかもしれない。

 今や、松之丞人気もあって、講談があらためて注目を集めていることを考えると、一龍斎貞鳳さんが、人知れず亡くなっていたことが、なんとも言えない寂しさをもたらす。

 今頃、猫八親子と一緒に、昔話に花を咲かせているのかもしれない。

by kogotokoubei | 2019-01-10 21:27 | 幸兵衛の独り言 | Comments(4)
 12月24日の末広亭で、ホームランが、正月三日に生放送での出演依頼があった、と話していた。
 しかし、何らかの都合で出演しないかもしれない、と言っていたので、さてどうなったかと思いしばらくNHKの「新春生放送 東西笑いの殿堂」を見ていた。

 実際に出演していたので、良かった。

 しかし、ややネタはすべったかな^^

 その前にスタジオで太神楽の翁家和助と小花が出ていたが、こちらのほうが盛り上がっていたね。

 和助、土瓶の芸、仙三郎の後継者として期待したい。
 小花は久しぶりだが、うまくなった。

 こういう寄席の伝統芸を知る人が増えるのは良いことだと思う。

by kogotokoubei | 2019-01-03 14:47 | 幸兵衛の独り言 | Comments(6)
 私は関西の大学の体育会で軟式庭球をしていた。

 今は、毎週日曜、硬式テニスを楽しんでいる。

 スポーツは観るのも好きで、中でもラグビーは大好き。

 ずいぶん前だが、今の会社のラグビー部が出来た時、ノックオンを含めまったくルールを知らないメンバーのために、ルールブックを作ったなんてこともある。

 昭和60年1月15日には、当時住んでいた越後から、国立競技場に行き、あの新日鉄釜石と同志社の日本選手権決勝を目撃している。

 だから(?)、ラグビーについて、少し書かせていただく。

 今、CSで今日の大学選手権の準決勝を観たところ。

 天理が帝京に完勝した。
 
 帝京の10連覇を、関西の大学が阻止したことが、まず、嬉しい。
 
 とにかく、低いタックルが帝京の突進を、ことごとく防いだ。
 それは、ノーサイドまで、続いた。

 また、体重差を感じさせない、スクラムの強さに、練習量を感じた。

 それと熱いハートを保ちながらも、クールな頭脳を感じたプレー。

 後半、帝京にトライを返されながらも、その後にゴール前でモールに組み変えてからのトライで点差を広げるなど、試合巧者ぶりを発揮した。


 今年の天理は、強い、と再認識

 小松節夫監督の長年の指導が花咲く年になりそうだ。

 2012年1月、三点差で帝京に負けた雪辱を果たしただけで満足はしていないはず。

 明治も早稲田を破って勢いに乗っているとは思うが、黒い軍団に死角はなさそうだ。

 関西リーグで同志社を零封した時に、まず、その強さを感じた。

 留学生がいるいない、ということを同志社側は言いたいかもしれないが、ルール内でのチーム編成である、言い訳はできない。


 まぁ、小松監督が同志社OBなので、全関西代表、ということで頑張ってもらいたい。

 関西三連覇の今シーズン、打倒関東をこのチームなら果たしてくれそうだ。

 決勝が実に楽しみになった。

 ぜひ、あの昭和60年の同志社以来、34年ぶりに関西の優勝を期待している。
by kogotokoubei | 2019-01-02 20:27 | 幸兵衛の独り言 | Comments(6)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛