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噺の話

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カテゴリ:幸兵衛の独り言( 285 )

 川崎の事件は、なんとも言えない悲しみと空しさが募る。

 さまざまなメディアで。あの事件が報道されている。

 その中で、街頭での声やメディアでのコメンテーターなる人たちの発言が、いろいろと物議を醸している。

 どんな発言が話題になっているかは、あえて書かない。

 
 こういう事件があると、随分前に書いた、ある本に関する記事を思い出す。

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中島梓『コミュニケーション不全症候群』

 それは、中島梓さんの『コミュニケーション不全症候群』。
 1991年8月に筑摩書房から単行本として発行され、1995年12月に文庫化。

 八年ほど前、二度、長い記事を書いた。
2011年3月5日のブログ
2011年3月6日のブログ

 今思えば、3.11の直前だった。
 
 最初の記事は、本書の引用を中心に、どんなことが書かれているかを紹介し、翌日、補足的な記事を書いた。

 その二つ目の記事と重複するが、こういう事件の背景にある社会病理について、考えたい。


 あの本の「最後の人間」の章から引用。

 ここに、なぜ「おタク」や「ダイエット」などを素材として「コミュニケーション不全症候群」というテーマで本を書いたのかについて、著者中島さんの思いが書かれている。

 もっとずっと重大に見えるたくさんの問題−たとえば環境破壊、地球の汚染、戦争や飢餓がこれほど身近に迫った臨界点をかかえているように見えるとき、なんでわざわざコミュニケーション不全症候群−いうなればほんのちょっとした不適応ないし過剰適応の問題を俎上にあげてまじめに考えなくてはならないのか。
 それは警察の機構と似ている。−「犯罪が起こらなくては何もできることはない」のである。おタクのなかのあるものがゆきずりに幼女を殺せばはじめておタクという存在は社会問題となる。が、それはすぐに次の−そう、たとえば、見捨てられている少年たちが女子高校生をさらって監禁し、ついになぶり殺してしまった、というような事件にとってかわられ、人々の関心と有識者の意見とはすぐに、それまでのおタクについての考察から、放任家庭への批判へとうつりかわってゆく。同じように拒食症で20キロになって死に瀕してはじめて、少女たちは多少なりともかえりみられるだけの価値のある存在、つまりは立派な「患者」として扱われるようになるだろう。
 本当はそれでは遅いのだが、そういう扱いが幸いにして間に合うことはなかなかない。いや、彼ら彼女たちがそのような、さまざまな異様な症状を呈するにいたったのはそもそも大体が、それほどに−殺人をおかしたり20キロにまで自分自身をすりへらすようなことになるまでに、社会から無視され、かえりみられず、かえりみるだけの価値もない存在として扱われていたからなのだ。社会は彼らをちゃんとした人間として正視しなかったし、彼らもまた自分たちの同類をそうしなかった−彼らの場合はそうするだけの余力はもう残ってなかったのかもしれない。また彼ら自身も社会に対してそういう期待をもつこともなかったのだ。そうするかわりに彼らは自分自身の頭を虚構の砂のなかに埋める−さながら駝鳥のようにだ。そうして何も見ないで生きようとする。

 中島さんの文章は、特にこの評論は、独特の言い回しもあって分かりにくい部分もあるが、私なりの理解とちょっとした主張にまとめると、こういうことになる。

(1)現代社会は、自分自身が安心していられる“テリトリー”が、常に侵害される恐れがある
(2)そのテリトリー外の人とのコミュニケーションが、なかなか上手く行えない傾向にある
(3)いわば「コミュニケーション不全症候群」と言うべき病は、必ずしも“ヘンな人”や
   “異常な人“といった特定個人の問題ではなく、現代人がすべからく侵されかねない
   社会病理である
(4)そういった環境に過剰適合したものとして、「おタク」や「ダイエット」、そして行き
   過ぎたダイエットによる摂食障害などの問題がある。
(5)しかし、こういった社会病理に起因する問題は、特定個人が何か問題を起こしたり、
   ニュースになるような事態になって初めて、あくまで“個人”の問題として警察が扱い
   マスコミも取り上げるが、本質的な社会病理のことは滅多に話題にならない
(6)重要なのは、その特定個人による“事件”の背景にある社会病理の実態を知ることと、
   それをどう解決するかという議論なのである


 さまざまな事情、背景から、自分の狭いテリトリーに閉じこもりがちな人に対し、その殻を一層固いものにしてしまうような発言や行動は、決して今回のような事件の解決にならないと思う。

 すでに“犯人”である人物に対し批判するのは、周囲の同調も得られやすい。
 そういう時の発言は感情的になりやすいが、多くのメディアは、それを煽る。

 そうやって、犯人を批判、指弾することは、同じような事件の発生を抑制する効果があるのかどうか。

 大事なことは、“犯人”を出さないことではないのか。

 安倍内閣を含め、登下校時の安全確保、ということを力説するが、それで問題の本質部分が解決できるのだろうか・・・・・・。


 中島梓さんが『コミュニケーション不全症候群』を書いてから三十年近く経とうとしている。
 彼女が指摘した、“社会から無視され、かえりみられず、かえりみるだけの価値もない存在として扱われ“る人は、間違いなく増えていると思う。

 同じような事件が起こらないようにするには、寛容な姿勢で、相互扶助の精神が生きる社会が必要だと思う。

 3.11の後、そういう社会に戻りつつあったように思うが、残念ながら、あれだけの犠牲があったにもかかわらず、不寛容な社会に戻りつつある。

 “さながら駝鳥のように”“自分自身の頭を虚構の砂のなかに埋める”人が増えているのではないか。

 防御の観点でいろいろ考えることも、大事かもしれない。

 しかし、警備を厳重にすることにも限界がある。

 AIを活用して画像認識技術で危険と思われる人物を特定する、なんてことが可能な時代だ。
 中国では顔の認識技術と罰金の引き上げで、交通違反や犯罪を減らしている。

 しかし、行き過ぎると、常に監視の眼が光る息苦しい社会になる危険性がある。

 ジョージ・オーウェルの「1984」の社会は、技術的には現実性を帯びてきた。

 そんな息苦しい社会を、多くの人が望むのだろうか。

 やはり“犯人”をできるだけ生み出さないための社会の姿を模索することが大事ではないか。

 あえて、「甘い!」という批判を覚悟で書くが、イソップ寓話の「北風と太陽」の教えを思い出す必要があると思う。

by kogotokoubei | 2019-05-31 21:54 | 幸兵衛の独り言 | Comments(2)

新元号にちなんで。

 ちょっと、元号で遊んでみました。

   新しい元号の二字を明示(明治)して、出典対象(大正)も明らかにし、
   皆で「令和」と唱和(昭和)するなり。失われつつある、平静(平成)の世。



 おそまつ・・・・・・。
by kogotokoubei | 2019-04-01 21:30 | 幸兵衛の独り言 | Comments(4)

 ドナルド・キーンさんが、亡くなった。

 1922年、日本の元号なら大正11年生まれ。
 北海道の実家で元気に暮らす私の父と同じ年の生まれなので、勝手に親近感を抱いていた。

 だから、もっと生きて、後輩の我々日本人たちに、言葉を残して欲しかった。

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ドナルド・キーン著『日本人の戦争ー作家の日記を読むー』

 昨年8月、四回にわたって『日本人の戦争ー作家の日記を読むー』について、記事を書いた。

 その四回目の内容と重複するが、キーンさんの言葉を紹介したい。
2018年8月6日のブログ


 巻末の「文學界」2009年9月号に掲載された平野啓一郎との対談から、キーンさんの言葉を引用。
キーン 私が戦地で出会った兵たちの日記は、忘れがたいものでした。まだそういう日記があったら、どこまでも探しに行きたいほどです。南太平洋のどこかの島で食べ物がなくなって、マラリアに罹って、近いうちに死ぬだろうと予期した兵が、家族について書く。そして最後の一行は英語で、これを拾うアメリカの軍人は家族に返してくださいと書いている。そういうことが、私は忘れられないんですね。戦争のとき、私はアッツ島と沖縄にいましたが、あのときのことを忘れません。そして、今度この本を書いたのはそのためです。あのとき読んだ日記、あるいは当時の日本の捕虜との付き合いは決して忘れられません。


 キーンさんは、二度、死んでもおかしくない体験をした、と語っている。

 一度目は沖縄に向かう洋上で、「カミカゼ」に襲われた時。特攻機操縦士のミスで助かった。

 もう一度は沖縄に上陸してから。「捕虜になったら殺される」と日本兵から脅されていた市民が隠れる洞穴でのこと。投降させようと洞穴に入ると、そこに機関銃を構えた日本兵がいた。
 驚いて飛んで逃げたが、なぜか日本兵が引き金を引かなかった。

 そんな体験をしたキーンさんは、日本と日本人、日本文化を深く愛した。
 そして、憲法九条を守ること、反戦を力強く訴えていた。

 今の政治家や官僚たちに、爪の垢を飲ませたかった人。

 ドナルド・キーンさんの、ご冥福を祈る。


by kogotokoubei | 2019-02-28 19:36 | 幸兵衛の独り言 | Comments(4)
 「お笑い三人組」の主役の一人、一龍斎貞鳳さんが、二年余り前に亡くなっていたことを、今日のニュースで知った。

 サンスポから引用。
サンスポの該当記事

2019.1.10 12:24
一龍斎貞鳳さんが死去…テレビ草創期のバラエティー番組「お笑い三人組」で人気

 テレビ草創期のNHKのバラエティー番組「お笑い三人組」に出演して人気を博した元講談師で、参院議員も務めた一龍斎貞鳳(いちりゅうさい・ていほう、本名今泉正二=いまいずみ・しょうじ)さんが2016年12月27日、脳梗塞のため東京都内で死去していたことが10日までに分かった。90歳。福島県出身。三回忌を済ませたのを機に遺族が公表した。

 1938年に五代目一龍斎貞丈に入門し、54年に真打ち昇進。「お笑い三人組」では落語家の四代目三遊亭金馬(当時は小金馬)、物まねの故・三代目江戸家猫八さんと共に出演し、茶の間の人気者となった。

 71年には自民党から参院選に出馬して当選。本名を議員名として国立演芸場の設立などに尽力したが、1期で引退。その後は講談界に戻らず、政治評論活動などをしていた。
 
 亡くなったことが、二年以上も、伏せられていたんだ・・・・・・。

 芸能人をめぐるどうでもいいネタの取材のために身辺をストーカーまがいの行動でかぎまわる人間が多い今日、ずっと貞鳳さんの訃報が表面化しなかったということに、なんとも言えない切なさを感じる。

 NHKの「お笑い三人組」は、最初はラジオだったが、昭和31(1956)年からテレビ放送になり、昭和41(1966)年まで約十年間続いた。

 私は、小学校低学年の頃に家族と一緒に見た記憶があり、「アハハ ウフフ 三人元気に顔出して、ニコニコニッコリ笑ったら、心はいつでも青空だ」のテーマソングは、よく覚えている。

 舞台設定の違い、キャスティングの違いなどで、第一期、第二期、第三期と分けられるが、私が覚えているのは、最後の第三期。
 Wikipedia「お笑い三人組」から、キャスティングを引用。
Wikipedia「お笑い三人組」

満腹ホール(ラーメン屋)の金ちゃん(竜助):三遊亭小金馬
ニコニコクレジット社員の正ちゃん(今泉正二):一龍齋貞鳳
クリーニング屋の八ちゃん(八太郎):江戸家猫八
金ちゃんの妹(かおる):音羽美子
正ちゃんの妻(真知子):桜京美
おたまちゃん(珠枝、八ちゃんの恋人):楠トシエ
おたまちゃんの母・おふで:武智豊子
クリーニング屋「峰松」の主人:渡辺篤
金ちゃんの父:木田三千雄
頑太(満腹ホールのアルバイト):矢野目がん


 主役の三人を支える脇役陣に、喜劇役者の名優が並ぶ。

 音羽美子さんは、主役の妻、妹、恋人という女性三人の中では、おとなしい美人という役回り。

 桜京美さんと楠トシエさんが、とにかくパワフル。

 桜京美さんは、「アイ・ラブ・ルーシー」のルーシーの初代声優でもあったなぁ。

 楠トシエさんは、あの頃流行った「トランジスターグラマー」の見本のような人であったように思う。

 猫八さんとの「八ちゃん、おたまちゃん、うー」というギャグが懐かしい。

 そのおたまちゃんの母親おふで婆さんの武智豊子さん、好きだったなぁ。
 あの甲高い声を思い出す。
 「女エノケン」と言われた人だ。
 
 渡辺篤さんは、もちろん、テレビで他人の家を訪問しているあの人ではない^^
 黒澤映画で名脇役だった人。

 あのドラマの凄さは、今日のバラエティと称する愚かしいテレビ番組とは、一線を画している。

 なんと言っても、公開生放送なのだ。

 それで、思い出したのは、三代目江戸家猫八さんのこと。

 広島で被爆し、原爆症の辛さから、あの生放送の日も体調が悪い日もあったことを、晩年に告白されている。

 2014年の原爆投下の日、記事を書いた。
2014年8月6日のブログ

 三人組は、ついに、金馬さんだけになった。

 貞鳳さんが、参議院議員を辞めた後に講談界に戻らなかった理由は、知らない。

 講談師の時代も、司会などですでに売れっ子になっていたことから、講談には未練がなかったのかもしれない。

 今や、松之丞人気もあって、講談があらためて注目を集めていることを考えると、一龍斎貞鳳さんが、人知れず亡くなっていたことが、なんとも言えない寂しさをもたらす。

 今頃、猫八親子と一緒に、昔話に花を咲かせているのかもしれない。

by kogotokoubei | 2019-01-10 21:27 | 幸兵衛の独り言 | Comments(4)
 12月24日の末広亭で、ホームランが、正月三日に生放送での出演依頼があった、と話していた。
 しかし、何らかの都合で出演しないかもしれない、と言っていたので、さてどうなったかと思いしばらくNHKの「新春生放送 東西笑いの殿堂」を見ていた。

 実際に出演していたので、良かった。

 しかし、ややネタはすべったかな^^

 その前にスタジオで太神楽の翁家和助と小花が出ていたが、こちらのほうが盛り上がっていたね。

 和助、土瓶の芸、仙三郎の後継者として期待したい。
 小花は久しぶりだが、うまくなった。

 こういう寄席の伝統芸を知る人が増えるのは良いことだと思う。

by kogotokoubei | 2019-01-03 14:47 | 幸兵衛の独り言 | Comments(6)
 私は関西の大学の体育会で軟式庭球をしていた。

 今は、毎週日曜、硬式テニスを楽しんでいる。

 スポーツは観るのも好きで、中でもラグビーは大好き。

 ずいぶん前だが、今の会社のラグビー部が出来た時、ノックオンを含めまったくルールを知らないメンバーのために、ルールブックを作ったなんてこともある。

 昭和60年1月15日には、当時住んでいた越後から、国立競技場に行き、あの新日鉄釜石と同志社の日本選手権決勝を目撃している。

 だから(?)、ラグビーについて、少し書かせていただく。

 今、CSで今日の大学選手権の準決勝を観たところ。

 天理が帝京に完勝した。
 
 帝京の10連覇を、関西の大学が阻止したことが、まず、嬉しい。
 
 とにかく、低いタックルが帝京の突進を、ことごとく防いだ。
 それは、ノーサイドまで、続いた。

 また、体重差を感じさせない、スクラムの強さに、練習量を感じた。

 それと熱いハートを保ちながらも、クールな頭脳を感じたプレー。

 後半、帝京にトライを返されながらも、その後にゴール前でモールに組み変えてからのトライで点差を広げるなど、試合巧者ぶりを発揮した。


 今年の天理は、強い、と再認識

 小松節夫監督の長年の指導が花咲く年になりそうだ。

 2012年1月、三点差で帝京に負けた雪辱を果たしただけで満足はしていないはず。

 明治も早稲田を破って勢いに乗っているとは思うが、黒い軍団に死角はなさそうだ。

 関西リーグで同志社を零封した時に、まず、その強さを感じた。

 留学生がいるいない、ということを同志社側は言いたいかもしれないが、ルール内でのチーム編成である、言い訳はできない。


 まぁ、小松監督が同志社OBなので、全関西代表、ということで頑張ってもらいたい。

 関西三連覇の今シーズン、打倒関東をこのチームなら果たしてくれそうだ。

 決勝が実に楽しみになった。

 ぜひ、あの昭和60年の同志社以来、34年ぶりに関西の優勝を期待している。
by kogotokoubei | 2019-01-02 20:27 | 幸兵衛の独り言 | Comments(6)

皆さん、良いお年を。

 今年は、二月に連れ合いのお父さんが八十六歳で亡くなったので、年始のご挨拶は遠慮させていただいたため、我が家のシーズー、ミミーとユウの記念写真は撮らなかった。

 しかし、彼らが元気なことを何とかお伝えしたく(?)、本日の散歩の写真をご紹介。

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 これが、二人ともカメラ目線の一番良い写真、かな。
 左が女の子のミミー、来年4月で10歳。
 右が男の子のユウ、来年9月で9歳。

 年末大サービス(?)で、他の写真も^^
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 いろんなことがあった一年。

 どんな元号になるか知らないが、来年は、世界も日本も皆さんも、そして我が家にとっても良い年でありますよう祈ります。


by kogotokoubei | 2018-12-31 12:50 | 幸兵衛の独り言 | Comments(4)

 一昨日17日の記事別アクセス数の結果を見て、驚いた。

 二年余り前に飯島友治さんの本を元に三代目三遊亭小円朝について書いた記事のアクセス数が、一日で1895と、2000近くになっていた。
2016年4月29日のブログ

 ひと月でも特定の記事へのアクセス数が1000を越えることは稀なのに、一日でこの数とは・・・・・・。

 もしかすると、システム障害かもしれない。

 ちなみに二番目にアクセスが多かったのは、五年以上前に、談志家元の本の引用などで四代目三遊亭小円遊について書いた記事だが、アクセス数は300位で、この数も通常では考えられない数なのだ。
2013年10月5日のブログ

 ただし、「笑点」の人気者だった小円遊の記事は、結構安定的にアクセスがあるので、そうは驚かないのだが、小円朝という地味な噺家さんの記事へのアクセス急増は想定をはるかに超えている。

 きっと、この現象は、四代目三遊亭小円朝の訃報が影響しているのだろう。

 15日に、四十九歳という若さで肺炎で亡くなったとのこと。

 残念ながら、生の高座に出会ったことはない。

 円楽一門。

 師匠は六代目三遊亭円橘。
 父も噺家の三代目三遊亭円之助。

 円橘も円之助も、三代目小円朝の弟子だった。

 多くのメディアの訃報の中で、スポーツ報知がもっとも詳しかったので、引用する。
スポーツ報知の該当記事

 小円朝さんの父親は3代目・三遊亭円之助。1996年に父親の弟弟子になる三遊亭円橘に入門。97年に二ツ目に昇進し4代目・円之助を襲名。2005年5月に真打ちに昇進し4代目・小円朝を襲名した。

 ここ数年は体調を崩し入退院を繰り返していた。今年6月には兄弟弟子が「小円朝再生落語会」を開催し、「芝浜」を熱演していた。11月末にインフルエンザから肺炎を発症し入院。今月7日に予定されていた「第2回 小円朝再生落語会」は師匠の円橘が代演した。

 関係者によると、亡くなる前日の14日、師匠・円橘や兄弟弟子がお見舞いに行った時は円橘の「来年4月に落語会を開くから頑張れよ」の激励にはっきり返事をするなど、意識もあったが、翌早朝、眠るように息を引き取ったという。

 最後の高座は10月、千葉・富浦での落語会だった。小円朝さんは落語協会での修業経験もあり、5代目円楽一門会が出演する両国寄席で、太鼓などの鳴り物や、前座修業のしきたりなどを教える良き兄貴分でもあった。

 落語協会での修行経験、とあるが、最初小三治に弟子入りしたのだった。前座名は、さんぽ。入門順では、一琴と三三との間に入る。二年ほどで破門となってしまっている。
 小三治の奥様、郡山和世さんの名著『噺家カミサン繁盛記』に名前を探したが、見つからなかったなぁ。

 お父さんの円之助も、昭和4(1929)年生まれで、小円朝が高校時代の昭和60(1985)年に亡くなっており、決して長命とは言えなかった。

 萬橘、橘也の兄弟子にあたる円橘一門の総領弟子。

 三代目小円朝の記事では、飯島友治さんが、三代目について「微笑みを演じる芸」と形容していたことを紹介した。

 訃報に掲載されている四代目の柔和な写真から、そんなことを思い出した。


 高座への出会いはなかったが、四代目三遊亭小円朝のご冥福をお祈りする。
 
by kogotokoubei | 2018-12-19 12:36 | 幸兵衛の独り言 | Comments(2)
 昨夜の「チコちゃんに叱られる」に、神田松之丞が登場した。

 お題は「年の瀬」。

 番組に講談の高座が登場しての一席。

 年の瀬や大晦日、いかに借金の取立てを防ぐか、という話。
 落語愛好家なら、どんな話になるか、ある程度想像がつく。
 ところが、「落語では、大晦日一日中葬式をして」借金返済を逃れる噺がある、などと言っていたが、『掛取り』『狂歌家主』『睨み返し』『言訳座頭』など、年の瀬の代表的な落語ネタのことが登場しなかったなぁ。

 これは、チコちゃんや岡村は許しても、落語愛好家は、許さないぞ^^

 また、新宿末広亭に松之丞が出演すると行列が凄いとチコちゃんが言っていたが、私が先月25日の日曜日、彼が夜席仲入りに出た日に行った末広亭では、そんなことはなかったぞ^^


 同じ寄席で仕事をする講釈師、年の瀬の代表的な落語ネタは、言って欲しかった。

 それにしても、松之丞人気は、バブルだと思うなぁ。

by kogotokoubei | 2018-12-15 11:15 | 幸兵衛の独り言 | Comments(8)
 昨日の記事で、三笑亭笑三の私が聴いた最後の高座を、2012年の池袋での『悋気の火の玉』と書いたが、実は2015年7月、国立演芸場における、夢丸の真打昇進披露興行での『ぞろぞろ』だった。

 訂正し、お詫びします。

 検索したつもりで、見逃していた。

 それだけあの『悋気の火の玉』の印象が強かったとも言えるが、『ぞろぞろ』についても、こんなことを書いていた。歌丸の代演での仲入りの高座。
2015年7月6日のブログ

三笑亭笑三『ぞろぞろ』 (25分)
 仲入りは、歌丸の代わりに、今年10月で満90歳を迎える長老が登場。腰は曲がっていたが、自力で高座に上がった。 
 言葉には結構力があるし、よく通る。
 マクラでは、お賽銭の金額の調査をしたら、八割が十円。たった十円で、なんと人間は欲張るものか、とふって本編へ。
 途中、言いよどみはあったが、漫談ではなく、しっかりとネタを披露した。高座から下がりながらのサゲにした後姿を見て会場は一瞬沈黙したが、無事で良かった(^^)
 五月五日の末広亭、披露興行は夜だったが、昼の部の後半から会場に入り、トリの歌丸が板付きだったことを思い出す。長期休養中の会長の代役を、協会の相談役がしっかり果たした。
 実に得難い高座に出会えた、そんな思いを抱きながら、仲入り。

 六年余り前の高座は覚えていて、三年余り前のこの高座を、忘れていたとは・・・・・・。

 ブログを読んで、ようやく少し思い出した。
 サゲの時、一瞬ドキっとしたのだ。

 そうそう。口上でも、三本締めを「三々九度」と言って、笑わせていた。


 卒寿の噺家さんの高座に出会えたのは、これまでこの高座と2016年5月末広亭での米丸だけ。

 天国の笑三さん、あの高座を忘れていて、ごめんなさい。

by kogotokoubei | 2018-12-12 12:18 | 幸兵衛の独り言 | Comments(4)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛