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噺の話

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ノエル・ペリン著『鉄砲を捨てた日本人』

 このシリーズ、二回目。

 本書初版は1984年に紀伊国屋書店から発行されているが、私が読んだのは、1991年の中公文庫版。副題は、「日本史に学ぶ軍縮」。

 前回、著者の日本語版への序文から、反戦、反核の強い思いがあることを紹介した。
 また、日本と日本人への深い思い入れなしに、この本は存在しなかっただろう。

 その背景には、著者自身の朝鮮戦争での従軍体験がある。

 「文庫版への序文」からご紹介。

 もう遠い昔のことになりますが、まだ若かった頃、私は日本の美しい自然景観のとりこになりました。それは、朝鮮戦争が勃発し、私が青年士官の身分で交替要員として戦地に派遣されたときのことです。そのとき、戦地に直接送られるのではなく、まず横浜近くに上陸し、そこから軍用列車で一路佐世保に向かいました。佐世保からは小型の日本製の軍艦に乗りかえて釜山に渡りました。釜山から軍用列車で前線に送られ、そこで新しい部隊に組みいれられて、戦闘に従軍したのです。


 朝鮮戦争と聞いて、18日に見た、NHKのBS1スペシャル「隠された“戦争協力” 朝鮮戦争と日本人」を思い出す。
NHKサイトの該当ページ

 通訳などで米軍の支援をするという名目で半島に渡った日本人が、実は、武器を渡され戦闘に加わっていたという事実は、衝撃的だった。

 話を戻す。
 ノエル・ペリンは、半島に渡る前に立ち寄った日本の記憶を記している。


 いまでも覚えているのは、横浜から佐世保までの三十時間位の鉄道の旅のことです。あれからずいぶん年月が流れましたので、やや誇張したところがあるかもしれませんが、それが横浜発の夜行列車であったこと、そして、翌日も乗りっぱなしであったこと、夏の夜が短かったとはいえ、汽車に乗っている間中、一睡もしなかったことなど、鮮明に覚えています私は、生まれて初めて眼にする日本の自然の美しい光景にすっかり魅入られ、眼の前につぎつぎと繰りひろげられる光景をどれも見のがすまいとしていました。段々畑と松の生えた山々は見事な調和を見せ、谷が随所にあり、その形状は変化に富み、ある峡谷には小川が流れ、別の谷で上流が深い峡谷になっていました。


 著者ペリンは、最後部のデッキに立ったままで、そういった日本の光景を見続けた。
 二、三時間ごとに警備兵が来て車内に戻るようにと注意されたらしい。

 私はこう答えたものです。
「もし、私がここに立っていることで、貴官に迷惑がかかるようなことがあれば、私はもうすでに五度も車内に戻るように注意されているのに、私がその警告に従わなかったと説明します。ですから気にしないでいただきたい。ありがとう、伍長」
 それは、いまから四十年も前のことですが、私が初めて軍規に従わなかった出来事でした(もっとも、そのときの私は警備兵よりも身分の高い中尉でしたから、なんということもなかったのですが・・・・・・)。それは同時に美しいものを大切にしようとするその後の生活の始まりともなりました。


 著者ノエル・ペリンは、小さな農場で牛を飼いメイプルシロップなどを作るなどの田園生活を送ったのだが、その生活を題材にしたエッセイ集も出している。
 その出発点が、朝鮮戦争に従軍する際に経由した日本で見た田園風景だった、ということか。

 それでは、本編にそろそろ入ろう。

 「初めに 世に知られていない物語」から。

 本書が物語るのは、ほとんど世に知られていない歴史上の出来事である。高い技術をもった文明国が、自発的に高度な武器を捨てて、古くさい武器に逆戻りする道を選んだ。そしてその国日本はこの逆戻りの道を選びとって成功した。この物語は、核兵器についての今日のディレンマー核が人類の輝かしい科学技術の進歩の象徴であると同時に、人類の絶滅の象徴でもあるというディレンマーにそのまま通用するわかではないにしても、類推をたくましくすれば、核兵器の廃棄という類似の事態を考える余地は十分にある。それゆえ、この話はもっとよく知られる価値がある。
 読者がこの物語を理解するに当たっては、日本史のほんのわずかな知識があれば十分である。

 この“日本史のほんのわずかな知識”、それほど、“わずか”とは言えない。

 日本人は、西暦八世紀頃から高い文化と技術ーとはいっても工業化以前の技術だがーをもっていた。その頃から数えて八百五十年あまり、日本はヨーロッパから完全に独立した発達をとげた。しかし日本の歴史にはヨーロッパの歴史と似たところがあった。というのはその間に日本は、ヨーロッパの騎士に似た甲冑に身を固めた武士のいる、まぎれもない封建社会を生み出したのである。日本人の武器のなかにはヨーロッパ人の武器に優るものさえあった。騎士道に似た武士道も存在した。複雑な宗教制度と多数の寺院をもち、その多くは、ヨーロッパで言えば聖フランシスのリトル・ブラザーズの平和主義の伝統というよりも、むしろかのテンプル騎士団の戦闘的な伝統に近いものをもっていた。日本人は莫大な富ももっていた。しかし、こと鉄砲については、これを持っていなかったのである。


 次回は、ようやく(?)鉄砲伝来のことについて。

# by kogotokoubei | 2019-08-21 12:47 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(0)
 三遊亭圓生の『江戸散歩』の川本三郎の解説の中で、ノエル・ペリンの『鉄砲を捨てた日本人』のことにふれていたことを以前紹介した。
2019年7月27日のブログ

 この本、久しぶりに再読。

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ノエル・ペリン著『鉄砲を捨てた日本人』

 初版は1984年に紀伊国屋書店から発行されているが、私が読んだのは、1991年の中公文庫版。
 副題は、「日本史に学ぶ軍縮」。

 著者は、1927年ニューヨーク生まれで、ダートマス大学英米文学教授だった方。環境科学も教えていたらしい。
 小さな農場でメイプルシロップをつくるなどの田園生活は、エッセイにもなっているとのこと。

 本書の一部は、The New Yokerに最初掲載されたようだ。
 
 ちなみに翻訳は、現静岡県知事の川勝平太。

 著者は、日本語版への序文に、このように書いている。

 日本はその昔、歴史にのこる未曾有のことをやってのけました。ほぼ四百年ほど前に日本は、火器に対する探求と開発を中途でやめ、徳川時代という世界の他の主導国がかつて経験したことのない長期にわたる平和な時代を築きあげたのです。わたくしの知るかぎり、その経緯はテクノロジーの歴史において特異な位置を占めています。人類はいま核兵器をコントロールしようと努力しているのですから、日本の示してくれた歴史的実験は、これを励みとして全世界が見習うべき模範たるものです。ささやかながら、本書もまた日本の経験をめぐって執筆したものです。
 この場をかりて敢えて希望を申し述べることが許されますならば、日本にいま一度新しい模範を示していただけないものか。日本が国の栄誉のために自衛隊の増強を決めたとしても、それはそれで仕方がありません。外部からとやかくいうべき筋合いのものではまったくないからです。それでもなおわたくしは、ワシントンの野心家の機嫌をとるだけのために日本が新式兵器に金をかけることのないよう、貴国に希望を託しています。

 1984年2月24日と記されているが、この著者の願いは、今でも妥当性のあるものだ。

 8月6日と9日、広島、そして長崎でのこの国のリーダーの言葉は、残念ながらノエル・ペリンが託した希望に沿うものではなかった。

 なぜ、唯一の被爆国の責任者が、核兵器廃止を大きな声で叫ぶことができないのか。

 なぜ、いまだに“ワシントンの野心家”の機嫌をとって、新式兵器を購入するのだろうか。

 鉄砲を捨てたある国の歴史のことを、次回からご紹介したい。


# by kogotokoubei | 2019-08-19 12:58 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(2)
 さて、このシリーズ、四回目。

 本当は15日金曜に見ていたが、再放送を確認。

 轟平九郎を襲った者は、ことごとく轟の刃に倒れた。命は救われたが大怪我を負った者もいた。
 彼らの中の一人の行動は、この先明らかになると思う。

 轟が襲撃されるのを目撃したことを菜々が市之進に報告したことで、市之進は菜々と轟の因縁を知る。

 佐知が亡くなってから叔父夫婦が世話をしたものの破談になった再婚話の相手、雪江が市之進を訪ねて来る。
 この雪江は、原作にはない脚色。
 彼女の存在、微妙。

 やがて風早家は閉門、菜々たちは屋敷を追い出され、市之進は江戸送りと決まる。
 菜々は、江戸送りになる市之進に一目逢うために走り出す。

 原作では、故郷の姿を最後に目にするために駕籠が止められたその時、あの和歌を菜々が詠唱するのである。

 原作から、ご紹介したい。

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葉室麟著『蛍草』
 『蛍草』は、双葉社から2012年に単行本、2015年に文庫化された。

 勢田獄は町筋を抜けて、半里(二キロ)ほど行ったところにある。菜々が急ぎ足で通り過ぎる道筋に町家は少なくなり、田圃が見渡せるあたりまでたどり着くと、大きな門構えが見えた。あれが勢田獄に違いないと、息を切らして菜々は門を見つめた。この牢屋敷に市之進は押し込められているのだ。しばらく眺めているうちに、鉄鋲を打った門がゆっくりと開いた。
 (中 略)
 駕籠は城下への道筋をそれて、街道へ出る近道の、田圃に囲まれた細い道をたどった。
 菜々はその後を目立たないよう追った。どうしても市之進に子供たちのことをしっかり守っていると告げたかったが、どうやって伝えたものかと考えあぐねた。
 そうこうするうち、突然、駕籠が止まった。街道に出るすぐ手前に一本の松がある。そのあたりは城下の町を一望できるので、遠方に送られる囚人に国許と別れを告げさせるため、ひと目眺めるのを許す習わしがあった
 菜々ができる限り近づいて様子をうかがっていると、護送の役人が網をのけて、駕籠の戸を開けた。市之進が駕籠から身を乗り出して城下の方角を眺めた。鬚はかなり伸びており、体はやや痩せたとうに見えた。
 市之進の姿を見た菜々は、大きな声で、
「月草の仮なる命にある人をいかに知りてか後も逢はむと言ふー」
 と和歌を詠唱した。
 佐知が好きだと言っていた万葉集にある和歌だと、市之進は知っているはずだ。「後も逢はむ」という言葉にまたお会いしたいという心をこめた。
 市之進は声のした方に顔を向け、菜々に気づいて、わずかに白い歯を見せて笑った。


 蛍草の押し花のドラマの脚色は、悪くない。
 しかし、著書に和歌などを効果的に織り込む葉室作品の味わいも、実に良い。

 市之進が、鉢植えの菊より蛍草が好きだ、と言った言葉、菜々は嬉しかったことだろう。
 そして、正助とよの二人が、菜々をなごませてくれる。

 次回は、市之進の危機をある人物が救う。
 そして、菜々の父が残した轟と日向屋の不正を裏付ける証拠が、ある人物の助けで明らかとなる。
NHKサイトの該当ページ

 今回登場した“死神先生”の他にも、いろいろ個性的な登場人物が増えるなぁ。

 来週も、楽しみだ。
# by kogotokoubei | 2019-08-18 19:54 | ドラマや時代劇 | Comments(2)
 少し、ブログのお休みが続いた。

 言い訳ではないが、ちょっとしたカミングアウトを。

 数年前から、会社の方は契約社員で、平均すると週三日勤務。繁忙期はもっと出るので、年間でやりくりしている。

 会社に出ない日は、まだ体も大丈夫だし、もちろん経済的な問題もあるし、飲食業のアルバイトをしている。

 62歳から一部の年金ももらっているし、家のローンも完済しており、単にお金のためだけでもない。

 学生時代は、運動部がオフの時期に京都の旅館でバイトをしていたこともあるが、結構、飲食業のアルバイト、好きかもしれない。

 しかし、飲食業の人手不足は、このお盆でも顕著。

 私は長岡の花火見学が早めの夏休みだったので、このお盆は他のメンバーが休む分をできるだけ補完すべく奮闘した次第。

 私のバイト先は、外国人の採用はしない。

 その妥当性は別にして、とにかく人手不足、なのだ。

 その仲間が、助け合って、ぎりぎりなんとか回っているのが実態。

 どんな人がバイト仲間にいるのか・・・・・・。

 ・諸般の事情で年金が少なく、70歳を超えてもがんばっている男性。
 ・二十代で子二人。旦那の稼ぎの補完のためにがんばっている女性。
 ・諸般の事情で、シングルマザーとしてがんばっている女性。
 ・ご主人が亡くなり、自分の生活と趣味のために働く、おばさん。

 などなど。

 みんな、がんばっている人たち、ではある。


 いろんな人がいるが、一部の人とは、会社の仲間よりも連帯感は強い。

 実は、前店長が半年ほど前に辞めてから、社員不在、バイトだけでなんとか運営している、そういうお店。

 食材の発注、シフト決め、月末たな卸しなどを、ほぼアルバイトだけで回しているのである。
 
 某フランチャイズチェーンの一店で、他の店を含め管理しているマネージャーが相談相手ということになる。

 いろいろ言いたいこともあるが、彼も(きっと)安い給料でがんばっているのを知っているので、バイト仲間は、忖度して助け合っている。


 これからは、こんな、Wワークおやじの独り言も少し書いていこうかと思っている。

 今夜は、連れ合いと久しぶりに外食し、そろそろいい気分で眠くなってきた。
 また、そのうち、何か書くことでしょう。

# by kogotokoubei | 2019-08-15 21:59 | Wワーカーおやじの独り言 | Comments(10)
 本日も、BSで「いだてん」から「蛍草 菜々の剣」というゴールデンタイム。

 「いだてん」は、“実感放送”が目玉だったねぇ。

 とはいえ、全般的にシリアスな内容で、五輪の光の部分を、陰で支えた多くの人たちがいたことが伝わってきた。
 
 そして「蛍草」は、佐知と菜々の悲しい別れ、だった。

 二人をつなぐものとして、原作とは違う脚色だが、蛍草の押し花。
 
 映像用の脚色として悪くない。
 
 原作では、蛍草について、菜々には佐知とには、こんな思い出がある。

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葉室麟著『蛍草』
 『蛍草』は、双葉社から2012年に単行本、2015年に文庫化された。

 葉室作品には、効果的に和歌などが素材となっているが、この作品にも登場する。

 庭で露草を見てしばらくたったころ、菜々が台所で水仕事をしていたおり、佐知が部屋に来るよう告げた。何の用事かと行ってみると、佐知は書物を広げて菜々に見るように勧めた。
 和歌がいっぱい書いてあるらしいが、菜々は和歌を学んだことがないので戸惑った顔をしていると、佐知は指差して、
「ここを読んでごらんなさい」
 と言った。菜々は、たどたどしく声に出して読んだ。

 月草の仮(かり)なる命にある人をいかに知りてか後も逢はむと言ふ

 という和歌だった。万葉集に作者不詳としてある歌だという。
「庭の露草は蛍草とも月草とも呼び名があると話しましたが、これは月草を詠っていますから、蛍草の歌でもあるのです」
 佐知はそう言って、和歌の意味をよくわかるように説いてくれた。
 露草の儚さにたとえ、わたしには仮初(かりそ)めの命しかないことを知らないのだろうか、後に逢ほうとあの方は言っているけれど、という意味だという。
 菜々がいまひとつ意味をつかみかねて首をかしげると、佐知は微笑んで、
「一夜の逢瀬を重ねた後、女人が殿方から又会おうといわれた際に、わたしは露草のように儚い命なのに、また逢うことなどできるのだろうか、と嘆く心を詠った和歌かもしれませんね」
 佐知が説いてくれる話を聞いて、菜々はせつない心持ちがした。
「菜々にはまだ早いかもしれませんが、ひとは相手への想いが深くなるにつれて、別れる時の辛さが深くなり、悲しみが増すそうです。ひとは、皆、儚い命を限られて生きているのですから、いまこのひとときを大切に思わねばなりません」
 佐知にそう言われて、なぜか目に涙が滲んできたことが脳裏によみがえった。

 この和歌は、原作では、大事なある場面で再登場することになる。

 もしかすると、この作品は、この和歌が発想の元だったのか、などとも思っている。

 ちなみに、原作には、悪徳商人の日向屋の主人は出てこない。
 本田博太郎、あまりにも、ニン^^

 次回は、今回最後の場面の結果から、風早家の一大事となるのだが、新たな個性的な人物も登場するようで、楽しみだ。
NHKサイト「BS時代劇 蛍草 菜々の剣」のページ

# by kogotokoubei | 2019-08-11 21:18 | ドラマや時代劇 | Comments(2)
 6日、直行直帰の仕事と重なるという僥倖により、行くことができた会。

 通算十回目の、最終回とのこと。

 受付でいただいたプログラムに、これまでの演目と主催の時期が記載されている。
 2008年から2013年までは東京音協主催、いったんお休みをして、2016年から東京音協で担当されていた五十嵐さんが独立されて「いがぐみ」の主催。
 
 これまで三度行くことができた。

 震災の直前、2011年3月の第四回が最初。池袋開催。
 翌2012年3月の第五回、そして、2013年3月の第六回が国立。

 あら、全部3月開催だ。だから、副題は「弥生の独り看板」だった。
2011年3月2日のブログ
2012年3月28日のブログ
2013年3月26日のブログ

 ということは、全て東京音協の主催だった。

 それぞれの三席は次の通り。

 2011年3月第四回 『盃の殿様』(花)・ 『夢金』(雪)・ 『景清』(月)
 2012年3月第五回 『花見小僧』(花)・『刀屋』(月)・『しじみ売り』 (雪)
 2013年3月第六回 『崇徳院』 (花)・『ねぎまの殿様』(雪) ・『佃祭り』(月)
 
 記憶は相当あやしくなってはきているが、当時のブログを読み直して、甦ってくる。

 ともかく、すべての会の後味が良かった。

 まだ、関内の会に行き始める前に、柳家小満んという噺家さんの魅力を知った会、ともいえる。
 ちなみに関内の会に最初に行ったのは、2014(平成二十六)年七月の第123回からだ。

 コンビニでお茶とおにぎりを買って会場に開演の20分前ほどに到着し、二階のロビーに行くと、佐平次さんと遭遇。
 居残り会のことをお聞きすると、さすがの大将、しっかりリサーチ済み^^

 会場に入る。
 最終的に、三百人の会場に六割ほどかな。

 出演順に感想などを記す。

三遊亭歌つを『新聞記事』 (15分 *19:00~)
 開口一番は、初めてかな、と思ったが五月の四代目圓歌披露で同じ会場で『牛ほめ』を聴いた前座さん。
 落語協会のHPのプロフィールによると、2017(平成29)年3月三遊亭歌奴に入門、2018(平成30)年1月21日前座となる。前座名「歌つを」、とのこと。
 白酒が「待機児童」と呼んでいた見習い期間が、結構長かったということか。
 五月の記事でも、そのキンキンする高音のことを書いたいたが、やはり気になる。
 高座全体は、そう悪くない。経験を積めば、また声の調子も変わってくるだろう。
 
柳家小満ん『花見心中』 (26分)
 まくらで、夕顔の絵から、木下長嘯子の「夕顔の咲ける軒端の下涼み 男はててれ女(め)はふたの物」のことを説く。この歌のこと、後で調べて分ったのだが、もう少しふくらませて欲しかった気がする。日本への外国人旅行者のことから、京都から江戸(東京)へ来た、善次郎という人物のことへ。
 これが、「花」のお噺で、なんとも珍しいネタ。
 (1)慶応から明治に変わる幕末維新の混乱期、京都の善次郎は、重兵衛という
   知り合いをたどって、江戸に出てきた。しかし重兵衛は、所帯をたたんで、
   国に戻ってしまった後。重兵衛の世話人という男、安田が面倒を見てくれて、
   江戸に残って呉服商を営んでみたもののうまくいかず、安田さんに何度も借金を
   頼みに行き、ついに「豆腐の角に頭をぶつけて死んでしまえ」と見放された。
 (2)落胆した善次郎、首をつろうと向島の土手の桜の木の下へ。さぁ、と決心した
   矢先、枕橋の方から若い男女がやって来たので、逃げるように木に登った。
   その二人、若旦那と使用人の女のようで、この世で添い遂げられないのなら、
   と心中の相談。緋毛氈を広げ、傘を開き、心中の始末をする人に迷惑がかかるからと、
   十両の金を用意して、いざ、という時、善次郎は木から落ちてしまう。
 (3)心中直前のふたりは驚いて逃げ出し、その場に残った十両の金を、善次郎はつい拝借。
   大家に相談はしたものの明治の混乱の江戸であり、届け出ても無駄だとその中から家賃を
   払って借金を返し、残った金を元手に再び呉服の商いを始めた。
   今度は、商売もは順調に進み、一緒に住む母親も不自由させることはなかった。
 (4)七年が過ぎたある日、店にやって来た夫婦者が、なんと、あの時の二人。
   善次郎は、残してくれた十両の金のおかげで店をここまでにすることができたと
   「命の親」とお礼するが、一方の心中夫婦も、あのとき逃げたおかげで、
   すぐに家族に見つかってしまい、結果として親の許しを得て夫婦になることができた、
   あなたさまこそ命の親でございます。三人が口をそろえて、「命の親」「命の親」と
   繰り返しているところへ奥から出てきた善次郎の母が、「善次郎の親は私です」
   というのが、サゲ。

 なんとも珍しいネタで、もちろん(?)初。お初は嬉しいのだが、それほど楽しめなかった。

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 居残り会で、たまたまカバンの中に横浜の会の千秋楽でいただいた演目一覧を自分でエクセルで表にしたプリントアウトを入れてあったので、ざっと見たが、このネタはなさそうだった。

 しかし、目でざっと探すなんでこたぁ、あてにならない。なんと後で表を検索してみたら、平成二十五(2013)年三月の第115回で、演じていた。

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 私が行き始める前・・・だ。
 あの、四代目橘家圓喬の持ちネタにあるらしいが、当代では、小満んだけではなかろうか。

柳家小満ん『大仏餅』 (17分)
 いったん下がってから、すぐ再登場。
 秀吉の金ピカ大仏など、大仏のマクラから、最初の師匠の最後の演目としてあまりにも有名な、このネタへ。
 とにかく、神谷幸右衛門の名が出て来て、良かった^^
 サゲは、目から鼻ではなく、工夫されていた。さすが。
 この噺は、関内のリストには、ねぜか見当たらない。お江戸日本橋亭では昨年演じているようだ。
 いろんな意味で、特別な噺なのだろう。

 ここで、仲入り。

柳家小満ん『名月若松城』 (46分 *~21:00)
 三席目は、講釈ネタ。
 蒲生氏郷と家来の西村権四郎との逸話を主とした内容。氏郷といえば、妻は信長の娘、冬姫。葉室麟の『冬姫』を思い出すなぁ。
 天下統一を目前にした秀吉だが、島津との戦い、九州征伐で豊前国・岩石城(がんじゃくじょう)の攻略に苦労する。氏郷は自ら城へ攻め込むのだが敵の弾が乗っていた馬に当たり落馬。門から出てきた島津の軍勢に取り囲まれ、さすがの氏郷ももはやこれまでかと覚悟を決める。その時、救いに来たのが西村権四郎。敵兵を討ち倒し、そのおかげで氏郷は窮地を脱した。秀吉勢は体制を整えなおし、岩石城は落城。
 氏郷は伊勢松阪三十万石の城主となる。ところが自分を助けてくれ権四郎には何も恩賞を与えない。
 一年経って八月十五日、月見の宴。ということで、しっかり「月」の噺。無礼講の席で氏郷は、岩石城での戦いの思い出話をするのだが、権四郎に助けられたことには、まったく触れない。権四郎は酒の勢いもあって氏郷と言い争いになる。氏郷の提案で相撲で決着をつけることになるのだが、忖度などしない権四郎は、氏郷を投げ飛ばす。権四郎は殿様の愚かを嘆き、門番に悪態をついて、松阪の城を出て行ってしまう。思い直した氏郷が権四郎を捜させるが、見つからない。
 そして、数年後、氏郷が移った会津若松城での月見の宴。氏郷の前に現れたのが・・・という後半は割愛。
 こちらも、関内のネタ一覧を検索すると、あった。

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 平成二十四(2012)年九月の第112回。まだ、行き始める前。
 八代目正蔵の音源があるようだ。
 小満ん、この長講では、途中の言いよどみも気になり、なかなか楽しめなかったのが、残念。


 珍しいネタ、そして、愛でたい「雪」「月」「花」での締めくくりということはできるが、少し、ご本人に気負いがあったような気もする。


 さて、あまり高座で笑えなかったのだが、終演後の居残り会では、佐平次さんが目をつけていた、会場近くに最近できた炉端焼き屋さんで、五人の居残りメンバーが、若い店員さんの言葉などに、大いに笑わされた。
 「焼き場ですから」「切り刻みます」「おれ、焼きます」などなど、焼き場担当の“なかじ”は、なかなか愛されるキャラクター。
 ということで、シマホッケなどを楽しみ、落語の話も肴に閉店までいれば、もちろん帰宅は日付変更線を超えたのでありました。  
# by kogotokoubei | 2019-08-08 08:59 | 寄席・落語会 | Comments(4)
 昨夜は、NHK BSプレミアムで、午後六時から「いだてん」、すぐ後「蛍草 菜々の剣」という、まさにゴールデンタイム^^

 「いだてん」では、1932年ロス五輪の地に到着した田畑政治率いる競泳陣に、ミュージカルを演じさせる、クドカンの演出を堪能。
 この作品、大河枠でなければ、ミュージカル仕立てで出来たかも、と思わせる。

 さておき、「蛍草」だ。

 二回目の放送の見せ場は、菜々の剣という副題からしても、次の場面。
 風早家の子供達が“かどわかし”(今なら、誘拐犯、だね)に捕らえられ、助けに向かった病身の佐知も含む親子の窮地。駆けつけた菜々は、藩の剣術指南役となった“だんご兵衛”(本名、壇浦五兵衛)から教わった捨て身の突きで相手を倒す。

 原作では、狂犬(たぶれいぬ)との戦いなのだが、犬好きの私は、この脚色は悪くないと思う。

 他にも、原作から良い意味で脚色されたテレビドラマならではの場面に、私は着目した。

 蛍草(別名、露草)は、朝咲き、夕方にはしぼむ。
 その蛍草を愛でる菜々に、佐知は、押し花を渡し、これならいつも蛍草を見ることができる、と伝える。
 これ、実は、原作にはないお話。
 脚本は、NHKのサイトによると、渡邉睦月、森脇京子のお二人。
NHKサイト「BS時代劇 蛍草 菜々の剣」のページ

 どちらの発案かは知らないが、原作者の葉室麟も、この脚色は問題なく受け入れたと察する。

 その原作から、一部紹介したい。

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葉室麟著『蛍草』
 『蛍草』は、双葉社から2012年に単行本、2015年に文庫化された。

 
 ドラマではかどわかしが相手だが、原作の狂犬と菜々の戦いの場面は、こう書かれている。なお、菜々の武器は、傘だ。

 いまにも飛びかかってやろうといむ目つきになっている、と菜々にはわかった。どう構えたらいいのだろう、と懸命に考えた。五兵衛が一度、見せてくれた<燕飛>や<猿飛>、<円之太刀>などの形を思い浮かべたが、狂犬相手では役に立ちそうもない。
 やっぱり、だんご兵衛さんが教えてくれたことは用をなさない、と胸の中でつぶやいた時、最初の稽古のおりに、
「弱い者が強い者を相手にした時、斬ろうとしても斬られるだけだ。できることは突きだけだ。突けば、たとえ相手に斬られても相打ちにできるかもしれぬ」
 と言った言葉が頭を過った。続けて五兵衛は、
「ただし、突くのは防御をせず、相手に自らの体をさらすのだから勇気がいる。突きの一手は勇気があってこそ相手を倒せるのだ」
 ともつけ加えた。
(勇気がありさえすればできるんだ)
 と思うと同時に、菜々の足の震えが止まった。佐知と子供たちを救うためには、勇気を振り絞らねばならない、そう自分に言い聞かせる。
 (中 略)
 ひと際、高い鳴き声をあげた犬が、地面を蹴って菜々に飛びかかってきた。瞬間、菜々は踏み込んで、
 -勇気
 と心で念じ、思い切って傘を突き出した。凄まじい衝撃が手から伝わってきたが、菜々は目を閉じたまま、傘の柄を握った手を離さず、力を加えた。

 全英女子オープンゴルフで優勝した渋野日向子プロは、18番ホールのパットを決める前、「勇気」と念じたのかどうか。

 『蛍草』の菜々の心の強さの後で、日本の若い女性アスリートの心の強さに、驚かされたなぁ。

 次回は、ついに佐知が・・・・・・。

 しかし、菜々は負けないぞ!

# by kogotokoubei | 2019-08-05 12:57 | ドラマや時代劇 | Comments(2)
 遅ればせながら、7月の記事別アクセスランキングは、次のような結果だった。

1.「万引き家族」における、樹木希林さんのアドリブのことなど。(2018年9月19日)
2.あれから八年・・・風化しつつある、甲状腺がん問題。(2019年3月11日)
3.四万六千日なら『船徳』(2008年7月10日)
4.「七夕」は秋の季語・・・・・・。(2010年7月7日)
5.今から140年前、なぜ明治政府は改暦を急いだのか。(2013年1月14日)
6.ヤクザと芸能界のこと、など。(2011年10月10日)
7.『野ざらし』—サゲまで聴きたい彼岸に相応しい噺。(2014年3月25日)
8.鈴本演芸場 七月上席 昼の部 7月7日(2019年7月8日)
9.『抜け雀』のサゲ-『米朝らくごの舞台裏』『落語鑑賞201』などより。(2015年5月15日)
10.落語を楽しむための「マナー」について。(2016年6月21日)


 1位の記事、なんと月間1万アクセスを超えた。初。
 地上波で放送されたことが、大きく影響したことは間違いないだろう。
 それにしても、驚くアクセス数だ。

 2位、こちらのブログでは珍しい時事的なネタが1000アクセスを超えた。個人的には、嬉しい。今年の記事は、なんとこれと8位の記事だけ^^

 3位、7位、9位に落語のネタに関する記事。
 3位の『船徳』について書いた記事は、2008年にブログを始めてほぼ一ヵ月後のもの。驚いた。

 4位は、この時期に増える「七夕」ネタ。これも9年前の古い記事だ。

 5位も、安定的(?)に多い、改暦の記事。

 6位は、吉本問題で増えたのだろう。

 8位は雨のおかげで行けた鈴本の記事。
 梅雨のあの雨が懐かしく思える、そんな猛暑が続くなぁ。

 10位は、最近安定的に多い、マナーの記事。

 

 この記事を1日に掲載しようと思っていたのだが、野暮用やら犬をペットホテルに預けるやらで書くことができず、翌日は長岡行きとなり、つい、遅くなってしまった。

 まぁ、そんなこともある。

 猛暑の中のテニスと、アフターテニスから帰ると、シーズーの二人が、膝に乗せろとやって来る。

 彼らにとって、初の留守番二泊三日は、やはり寂しかったかな。

# by kogotokoubei | 2019-08-04 15:54 | アクセスランキング | Comments(0)
 昨日と今日は、長岡の花火大会。

 今年、連れ合いのお母さんが入居した施設では、ベランダから花火が見えるとのことで、連れ合いと二人で昨日より長岡へ。

 我が家のシーズーたちは一昨日の夜のうちにペットホテルへ預け、新幹線で長岡駅に着いたのが昨日の朝10時過ぎ。

 ほぼ一ヶ月に一度、日帰りで来ている連れ合いは、駅前のレンタカー屋さんとは、顔なじみ。

 施設へ行き義母と合流して、まず通院が二件。
 昭和7年生まれ87歳なら、あちこち、いろいろある。
 ステッキをついて、義母はゆっくりなら歩ける。
 思った以上に歩けるようでよかった。

 花火大会のためもあって、どちらの病院も午後はお休み。

 通院後、久しぶりに、義母と三人で実家へ。

 昨年亡くなった義父の仏壇に手を合わせる。

 連れ合いが毎月来るのは、まず通院の付き添いと買い物。
 ということで、買い物へ。

 長岡も、商圏が完全に郊外型になってしまい、大型店舗で義母の欲しい物をあれこれ仕入れる。いわゆるモールの中での買い物のあと、近くで昼食。

 施設へいったん義母を返して、レンタカーを返却。
 また、翌朝も借りるのだ。

 駅裏の某ホテルの日本料理レストランに予約していた、花火弁当を三つ受け取り、駅から、施設へ徒歩。

 とにかく、凄い人手である。これが、8月2日の夕方4時頃だろうか。
 駅前の大手通りの脇の舗道を歩く、人、人、人。

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 初日は、NHK BSプレミアムで生放送、二日目はBS日テレで生放送とのこと。

 40年ほど前、長岡に6年住んだが、あの頃は、そんなことはなかったなぁ。

 いろいろ、映画やらドラマになったこともあるのだろうが、長岡花火は全国区になったようだ。

 義母の施設に着き、部屋で花火弁当を食べてから、午後七時を過ぎ、ベランダへ降りる。

 七時二十分から、打ち上げ開始。

 さすがに、橋げたから流れ落ちるナイアガラはベランダから見えなかったが、大型のスターマインや、中越地震からの復興祈念として始まったフェニックス、そして、三尺玉を楽しんだ。

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 これが、義母(左)と連れ合い(右)の間に上がった、8時30分、最初の三尺玉。
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 私のガラケーでは、なかなか伝わらないだろうが、三尺は、とにかくその音が違う。

 無事九時の二つ目の三尺も上がった。

 後は、全国の花火師の工夫した花火がしばらく上がってお開き。

 施設では酒を飲まなかったのだが、実家へ帰ってシャワーを浴び、お互い缶ビールを一缶飲むと、もう眠くなった。

 今朝、いったん返したレンタカーを借りに駅前まで20分ほど歩く。
 暑かった・・・・・・。

 レンタカーで施設へ行って義母を乗せ、まず、昨日病院から出た処方箋を持って、実家近くの薬局へ。

 今回は義母の買い物を二日に分けたので、今日は、昨日買えなかったものを仕入れにスーパーへ。こちらも、郊外のモールの中のお店。

 前でカートを押しているのが義母、後ろが連れ合い。
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 近くのお店で昼食。

 施設に戻り、買い物を義母の部屋に運び、これにて義母と別れ、実家に戻って荷物を積んで、レンタカーを返却。

 午後三時過ぎの新幹線に乗った。

 この記事、その新幹線で書いている。

 連れ合いは、隣で爆睡状態^^

 まぁ、なんとか、孝行めいたことは出来たかもしれない。

 あらためて、月に一度、日帰りで通院付き添い、買い物の付き合いなどをしている連れ合いのパワーを感じた次第。

 さて、大宮を過ぎた。

 帰宅してから、シーズーたちを引取りにいかねばならない。

 実は、今の二人は、初めての留守番。
 どんな顔をして待っているものやら。

 では、連れ合いが起きる前に、ここらでお開き。

# by kogotokoubei | 2019-08-03 16:39 | 小さな旅 | Comments(6)
 NHKのBS時代劇で、「蛍草 菜々の剣」が始まった。

 2015年にNHK総合木曜時代劇で『銀漢の賦』がドラマ化されて以来の、葉室麟作品の登場、実に嬉しい。

 舞台は、鏑木藩。

 故あって武士の娘であることを隠し、風早家に奉公することになった菜々が主人公。

 清原果耶が菜々を演じている。「あさが来た」にも出ていたし、「なつぞら」では、なつの妹役として、短い間ではあったが出演していた注目株。

 NHKサイトの同ドラマのページにあるように、菜々の父を死に追いやった男と、風早家の主人を陥れようとする敵が同じ人物。
NHKサイト「BS時代劇 蛍草 菜々の剣」のページ

 副題が暗示するように、その仇に立ち向かう菜々の姿を描くドラマが始まった。

 
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葉室麟著『蛍草』
 原作は、双葉社から2012年に単行本、2015年に文庫化された。

 題の由来について、ドラマの第一回でも登場した、風早家の妻佐知と菜々との会話を、原作から引用。
 夏の日はぎらぎらと照りつける。暑さを避けるように築地塀(ついじべい)のそばで日陰になっている草を取っていた時、菜々はふと手を止めた。塀の際に青い小さな花が咲いている。
「露草だー」
 菜々は額の汗をぬぐいながら、うれしくなってつぶやいた。青い花弁が可憐な露草は菜々の好きな花だ。早朝、露が置くことに一番きれいに咲いて、昼過ぎにはしおれてしまうから、摘んだりはしない。見かけた時にひっと眺めるだけだが、それでも幸せな気持ちになってくるから不思議だ。
 菜々がなおも腰を下ろして見入っていると、
「その花が好きなのね」
 佐知の声がした。菜々ははっとして立ち上がった。
「申し訳ありません、草むしりをしていたのですが、花を見つけて、つい手を止めてしまいました」
 菜々が頭を下げて言い訳をすると、佐知はさりげない口調で言った。
「謝ることはありません。きれいな花に目が留まるのは心が豊かな証ですから、ゆっくりと見てかまいませんよ」
 菜々の傍に腰を屈めた佐知は言葉を継いで、
「露草ですね。この花を万葉集には月草と記してありますが、俳諧では蛍草(ほたるぐさ)と呼ぶそうです」
 と教えた。月草や蛍草という名の響きに菜々は目を輝かせた。
「蛍草・・・・・・、きれいな呼び名ですね」
 深く心を動かされたように菜々が言うと、佐知は微笑んだ。
「そうですね。きれいで、それでいて儚(はかな)げな名です」
「蛍草は儚い名なのですか」
 佐知の横顔に目を向けながら菜々は不思議そうに言った。夏の夜に青白い光を点滅させる蛍のことはきれいだと感じるだけだった。蛍草という名を聞いても、蛍が止まる草なのだろう、とぼんやりと考えて、ほかに思いつくことはなかった。
「蛍はひと夏だけ輝いて生を終えます。だからこそ、けなげで美しいのでしょうが、ひとも同じかもしれませんね」
 佐知は感慨深げに言うと、菜々に顔を向けた。
「あなたの立ち居振る舞いを見ていると、武家の折り目正しさを感じます。紹介してくださった方は赤村のお百姓の娘だと教えてくれましたが、武家の血筋なのではありませんか」
 佐知に見つめられて菜々はどきりとした。

 二人の女性の会話が、ミステリアスな今後を暗示させる。

 佐知は、蛍の短い命に、何を思っていたのか・・・・・・。

 それにしても、題の付け方は、葉室麟らしいセンスの良さを感じるなぁ。


 第二回では、佐知と子供達に危険が迫るのだが、原作とは少し設定を変えているようだ。
 いずれにしても、菜々は、その危機を勇気を出して防ごうとするのだが・・・・・・。


 2017年の師走に接した葉室麟の訃報には、驚いた。

 もはや新作が出ないと思うと、未読の作品を、じっくり楽しみたいと思い、最近はあえて読まないようにしていたが、『蛍草』を再読して、やはり、葉室作品の素晴らしさを再確認した。

 『銀漢の賦』の次のドラマ化は、直木賞を受賞し映画化もされた『蜩の記』と同じ羽根藩シリーズ(『潮鳴り』・『春雷』・『秋霜』・『草笛物語』)か、大好きな『川あかり』を期待していた。

 しかし、『蛍草』も、葉室美学が底流に流れる佳品だ。

 日曜に「いだてん」から続けて見ることもあるだろうが、なんとも贅沢な時間になりそうだ。

 Wikipedia「ツユクサ」から、画像を拝借。
Wikipedia「ツユクサ」
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 「露草、月草、蛍草などの名で、秋の季語」と説明されている。

 明日8月1日は、旧暦七月一日。

 そう、暦では秋が始まるのだ。
# by kogotokoubei | 2019-07-31 21:36 | ドラマや時代劇 | Comments(2)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛