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噺の話

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2019年 10月 12日 ( 1 )

 台風19号の影響で、バイトのお店の営業時間が変更となり、シフト変更もあって、私は休みとなった。

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 ということで、このシリーズの三回目。

 柳家小満んが「東京かわら版」で連載していた「噺の細道」が河出から書籍化されたのが、『江戸東京落語散歩ー噺の細道を歩く』。

 「東京かわら版」への連載が、平成十六年一月からの五年間。
 本は、十年前、平成二十一(2009)年の発行。

 前回は、「日本橋」からご紹介した。第一章の最初の項目だった。

 今回は、「第二章 上野を中心に」から、「谷中全生庵」を歩く(?)ことにしよう。
 さっそく、冒頭から引用。

 新聞の催物案内に、「山岡鉄舟展」(谷中全生庵にて)とあって、出掛けることにした。
 不忍池通りの団子坂交差点は、二つの坂道の谷間にあたる。片方が文京区の団子坂で、片方は少し入った処で台東区の三崎坂(さんさきざか)となる。八代目桂文楽十八番「悋気の火の玉」で、火の玉を鎮めるお経を谷中の三崎、木蓮寺の和尚に頼むが、その架空の木蓮寺はこの辺りということになる。いや、それよりも、ここ三崎村は三遊亭円朝の名作「牡丹灯籠」の名場面として登場する。お盆の十三日、死んだはずのお露さんがカランコロンと、萩原新三郎の処へ訪ねて来て枕を交わす。人相見の白翁堂勇斎に諭されて、お露の住んでいるという谷中三崎村を尋ねてみるが、一向に知れない。その帰り道、新幡随院を通り抜けようとして目についたのが、新しい角塔婆に掛かった牡丹花の灯籠で、それは毎晩、お婆さんのお付きの女中お米が堤げてくる灯籠であったのだ。その新幡随院の跡地が現在の銭湯「朝日湯」で、三崎坂へ掛かってすぐの右側にある。
 江戸末期の古地図によると、新幡随院の隣のわずかな土地が三崎町で、さらにその隣には三軒の寺が並んでおり、その三軒目が現在もある天竜寺だ。この寺は「指物師名人長二」の、育ての親の菩提寺として出てくる。その天竜寺の前にあるのが、円朝の墓所のある全生庵だが、江戸の地図には載る由もない。すなわち、谷中全生庵は、明治十六(1883)年に山岡鉄舟が建立した寺なのである。

 この冒頭部分だけで、「悋気の火の玉」「牡丹灯籠」「名人長二」の三つの噺が登場だ。

 「名人長二」については、森まゆみさんの『円朝ざんまい』を元に、この噺について複数回に分けて紹介した。
 その中で、もちろん、天竜寺は登場する。
2013年8月28日のブログ
 森さんは天竜寺ではなく天龍院としていたが、どうも天龍院のほうが正しいようだ
 『円朝ざんまい』では、湯河原で出生の秘密を知った長二が、実の親達の無慈悲を嘆き、養父の供養をと、谷中三崎の天龍院へまいって、和尚に特別の回向をたのみ、丹精をこらして経机、磐台(きんだい)をつくって本堂に納め、両親の命日には、雨風をいとわず墓参りをするのだった、と書かれている。
 
 新幡随院跡地の朝日湯は、まだあるのかな。
 銭湯のことだから、佐平次さんにお聞きしなけりゃ^^

 山岡鉄舟のことは、あまりにもよく知られているので、本書には丁寧に説明もあるが、割愛。

 とはいえ、全生庵の名の由来は、外さないでおきたい。

 明治七(1874)年、鉄舟が淀橋に住んでいた頃、近所の菓子屋に全生庵と書かれた扁額があり、尋ねてみたところ、この額は鎌倉建長寺の開山大覚禅師の書で、禅師が船で難破をして漂着した谷中三崎に(ということは、当時は湾の岬だったのだろう)、茅堂を建て全生庵と名付けた。その頃、近くに住んで親しくしていた菓子屋の先祖が、その扁額を貰い受けて代々伝えられたものだという。菓子屋の当主はこの扁額を鉄舟に譲りたいと申し出たので、その好意を受けることにして鉄舟の自邸に保存をしていた。 その後、天皇の北陸御巡行に従って訪れた富山県で、名刹国泰寺の越叟和尚と知り合い、帰京後、屏風千二百双の揮毫をして、国泰寺の本堂修復を遂げさせた。明治十三年、山岡鉄舟は、維新の際に国事に殉じた霊を慰めるために、一寺の建立を思い立つ。越叟和尚に相談をすると、谷中三崎に国泰寺の末寺が廃院となっているとのことで、この寺を再興させることにした。明治十五年、寺の隣接地を入手したところ、ここがかの菓子屋の宅地であったので、廃院になっていた寺がすなわち、往時の全生庵の所在地であったことが判明した。この奇縁に驚いた鉄舟は、翌明治十六年一月に普門山全生庵の官許を得て、越叟和尚が国泰寺と住職を兼ねることになった。
 富山の国泰寺は、臨済宗の名刹。臨済宗国泰寺派の大本山。
 そのホームページの「国泰寺について」からは、全生庵へもリンクできる。
「大本山 國泰寺」のサイト

 栄西を開祖とする臨済宗は、禅問答(公案)が行われる。

 鉄舟と円朝との禅を通じたつながりは、つとに知られている。

 もちろん、小満んは、円朝が鉄舟との交流から、「無舌」の心境にいたったことを紹介している。「無舌居士」の号を天龍院の滴水禅師から授かったと書いた後、次の円朝の言葉で締めている。

  無舌の号を得て

 閻王に舌を抜かれて是からは
    心のままに偽も云はるる 三遊亭円朝 

 今ほどまで、MLBのナショナルリーグの優勝決定戦、第一戦を見ていた。

 アニバル・サンチェスという35歳の投手が、八回ツーアウトまでノーヒット・ノーランのピッチング。
 この記事を途中で書くのをやめて見ていたが、150キロには届かないスピードでも、淡々とコーナーをつくベテランの打たせて取るピッチングに、禅の悟りのようなものを感じた。

 ナショナルズ、強いなぁ。

 さぁ、次回は、どこを散歩しようか。

 まずは、三回目の記事、これにて、お開き。
by kogotokoubei | 2019-10-12 12:54 | 落語の本 | Comments(2)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛