噺の話

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2018年 08月 08日 ( 1 )

 今日8月8日は、ジャズアルトサックス奏者、キャノンボール・アダレイの命日。

 1928年9月15日にフロリダ州タンパで生まれ、1975年8月8日にインディアナ州で、脳梗塞で亡くなった。47歳の誕生日を迎える前だった。

 本名は、ジュリアン・エドウィン・アダレイ。

 キャノンボールは愛称だが、その名がついた由来には二説ある。「キャノン=大砲」の「ボール=弾丸」、つまり昔の大砲の弾は炭団を大きくしたような丸い鉄の玉だったので、彼のでっぷりとしたおなかの出具合からきたという説と、「人食い=キャニバル」のように大食いだったから、という説。

 その大食いが糖尿病を招き、彼の死期を早めたと言ってよいだろう。

 ジュリアンの父親はコルネット奏者で、そうした家庭環境もあって少年期にはサックスを吹くようになっていた。成人してからは地元の高校で音楽の教師をやりながら自分のバンドを率い、地味に活動していた。

 キャノンボールは朝鮮戦争が始まった1950年に徴兵されている。配属は軍楽隊で、彼は音楽監督に抜擢されている。その後、1955年に教職の修士課程を取るためにニューヨークへ向かった。

 そのニューヨークで、伝説的なデビューをすることになる。

 1955年6月19日。グリニッジ・ヴィレッジにできたばかりのジャズ・クラブ「カフェ・ボヘミア」に、ジュリアンと弟ナットのアダレイ兄弟は居た。それは、ニューヨークに着いた初日だった。
 ボヘミアのハウスバンドはベースのオスカー・ペティフォードのバンドだったが、いつものサックス奏者が現れない。たまたま居合わせたサックス奏者チャーリー・ラウズに代役を頼んだのだが、彼は楽器を持っていない。そこに、アルト・サックスを抱えていたキャノンボールがいた。ペティフォードはジュリアンに楽器を貸してくれと頼んだところ、なんと自分が演奏すると言い出したのだ。
 ペティフォードは、生意気な太っちょを懲らしめるつもりで、とんでもないハイ・スピードで演奏を始めたのだが、キャノンボールは難なくこなしてしまった。一夜にして、キャノンボールの存在がニューヨークのジャズ・シーンに知られることになった。

 カフェ・ボヘミアでの飛び入りが、ジュリアンを教師の道から、ジャズアルトサックス奏者への道に変えた。

 この1955年は、3月にアルトサックスの巨星チャーリー・パーカー(愛称バード)が亡くなった年だった。だから、キャノンボールを「ニュー・バード」と呼ぶ人もいた。

 デビュー後、キャノンボールはマイルスのバンドで多くのアルバムに参加し、その後、弟ナット(コルネット奏者)とバンドを組んでヒットアルバムを出すことになる。

 さて、キャノンボールの命日に何を聴こうか、と思いながら、ある本をめくってみた。

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 後藤雅洋さんの『ジャズの名演・名盤』(講談社現代新書)は1990年の発行。
 著者後藤さんは、老舗ジャズ喫茶、四つ谷「いーぐる」の店主であり、ジャズ評論家としても有名。

 後藤さんはキャノンボールについて、本書でこう書いている。

 事あるごとに言っているので、少々しつこいと思われるかもしれないが、『サムシン・エルス+1』はキャノンボール・アダレイのアルバムではない。いくらジャケットに名前が大きく書かれていても、このアルバムの実際のリーダーは、キャノンボールではなくマイルスなのである。嘘だと思うなら、このアルバムの目玉、「枯葉」を聴いてみればよい。この曲のムードを決定するおいしいフレーズは、全部マイルスが吹いているから・・・・・・。

 たしかに、そうだろう。
 では、後藤さんはどんなアルバムをお奨めしているのか。

 改めてキャノンボール探究の第一手を考えようとすると、少々困ったことが持ち上がる。マイルスがらみでないキャノンボールも、実は二面性があるからだ。
 まず、パーカー直系の、バリバリと吹きまくるインプロヴァイザーとしての顔を、より広く一般に知られるファンキー・キャノンボールである。個人的には前者の方が好みなのだが、世間的な評価は後者にある。それに、キャノンボールの場合、「ファンクの御用商人」などと辛辣なことを言われても、必ずしも本人の意にそまぬことをしているわけでもない。むしろファンキーは彼の陽性な資質にぴったり合った音楽であるとの見方も成り立つわけだ。
 そこで、彼が弟のナット・アダレイと組んだ記念すべきファンキー・バンドの第一作『キャノンボール・アダレイ・イン・サンフランシスコ』から紹介しよう。
 と思ったのだが、その前に先程から使っている「ファンキー」なることばの説明をしておこう。ファンキーは元々がスラングで、黒人臭さを意味し、そこから「ファンキー・ジャズ」は、黒人特有のアーシーな感覚を強調したジャズということになる。実際の演奏のスタイルはハードバップで、これに“ファンキーな”味付をしたのがファンキー・ジャズなのだ。もっとも、何事にもやりすぎということがあるもので、味付が濃くなり過ぎたものは「オーバー・ファンク」などと言われ、硬派フアンからはバカにされていた。

 ということで、「ファンキー」の説明のあと“イン・サンフランシスコ”のことにふれて、この路線を突き進めて行った果てに大ヒット作『マーシー・マーシー・マーシー』があると解説。

 そして、次のように続く。
 ここらでいよいよ僕の本名盤『キャノンボール・アダレイ・クインテット・イン・シカゴ』を聴いていただこう。テナーの巨人、ジョン・コルトレーンとがっちり四つに組んで、一歩も引けをとっていない。艶やかで朗々と鳴るパーカー派キャノンボールの素晴らしいソロを聴けば、これが『マーシー・マーシー・マーシー』のアルト吹きと同じ人物なのかと考えこんでしまう。アップテンポでのインプロヴァイザー振りも凄いが、「アラバマに星は落ちて」で見せる歌もの解釈に適切さも聴き所。ともかく、キャノンボールで一枚だけと言われたなら、僕は躊躇なくこれをとる。

 私は、正直なところ、一枚、と言われたら、サンフランシスコかシカゴか、はたまたボサノバか・・・・・・。

 しかし、後藤さんがシカゴを奨める理由は、よ~く分かる。

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1.Limehouse Blues (Furber-Braham)
2.Stars Fell On Alabama (Frank Perkins-Mitchel Parish)
3.Wabash (Julian Adderley)
4.Grand Central (John Coltrane)
5.You've A Weaver Of Dreams (Victor Young-Jack Elliot)
6.Tha Sleeper (John Coltrane)

Personnel
Julian Cannonball Adderley(as)
John Coltrane(ts)
Wynton Kelly(p)
Paul Chambers(b)
Jimmy Cobb(ds)

1959/2/3
Universal Recording Studio B,Chicago
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 1959年にマーキュリーから出されたこのアルバムは、マイルスの呪縛から解き放たれたキャノンボールとコルトレーンが、生き生きと演奏しているのが伝わる。

 このアルバム、'Cannonball & Coltrane'というタイトルでも呼ばれる。

 ジャズファンは、私も含め、サンフランシスコに対して、キャノンボールのシカゴ、と呼ぶ人が多いと思う。

 では、後藤さんもお奨め、'Stars Fell On Alabama'を聴きながら、キャノンボールを偲ぼうか。
 

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by kogotokoubei | 2018-08-08 21:36 | 今日は何の日 | Comments(8)

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