噺の話

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2018年 05月 27日 ( 1 )

 落語に『西行』がある。
 二代目、そして三代目三遊亭円歌の十八番だったようだ。

 内容は、西行が、天皇の側室、染殿の内侍に一目ぼれして、歌を交わすうちに内侍に気に入られ一夜をともにする。西行が「またの逢瀬は」と問うと、「阿漕であろう」と返される。その「阿漕」の意味がわからなかったが西行だが・・・とサゲにつながる。

 西行が登場する落語は、他に『鼓ケ滝』がある。

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白洲正子著『西行』
 
 先日、自宅付近の古書店で、文庫ばかり五冊手に入れた。
 そのうちの一冊が、この白洲正子さんの著『西行』だった。

 落語の『西行』でも、染殿の内侍の「阿漕」という言葉の説明があるが、もう少し、この言葉の背景や、西行という人について、本書で知ることができた。

 西行、元は北面の武士佐藤義清’のりきよ)が出家した理由は、『西行物語』では、親友の佐藤範康の急死にあると、されているらしい。

 本書より引用。

 西行物語によると、その前日に鳥羽法皇の命により、西行こと佐藤義清は、御所の障子に、十首の歌を一日のうちに詠んで奉ったので、褒美に「あさひまろ」という太刀を賜わった。また、待賢門院の方へも召されて、美しい御衣の数々を頂戴したため、衆人は驚き羨んだだけでなく、家族の人々にも大いに面目をほどこしたという。
 さて、その夜は同じ北面の武士の佐藤範康とともに退出し、翌朝範康の家へ行くと、ン門前で多くの人々が立ち騒いでいる。何事が起こったのか問い質すと、殿は今宵亡くなられましたと、十九になる若妻と、八十を越えた老母が、身も世もあらず嘆き悲しんでいる。義清は夢に夢みる心地がして、人の命のはかなさを痛切に思い知らされるのであった。
 (中 略)
 それを機に義清は出家に踏み切るのであるが、『源平盛衰記』は、ぜんぜん別の物語を伝えている。

 引用部分、「翌朝」訪ねたのに、「今宵」亡くなった、というのは少し変なのだが、これは本書のまま。

 いずれにしても、つい前日まで一緒だった二歳年上の同僚の突然の死が、佐藤義清に与えた精神的なダメージは多きかったとは思う。
 しかし、『源平盛衰記』は、別な物語を伝えているらしく、その物語とは何か気になる。
   さても西行発心のおこりを尋ぬれば、源は恋故とぞ承る。申すも恐ある
   上﨟(じょうらふ)女房を思懸け進(まひ)らせたりけるを、あこぎの浦
   ぞと云ふ仰(おはせ)を蒙りて、思ひ切り、官位(つかさくらゐ)は春の
   夜見はてぬ夢と思ひなし、楽み栄えは秋の夜の月西へと准(ながら)へて、
   有為の世の契を逃れつつ、無為の道にぞ入りにける。(崇徳院のこと)
 西行の発心のおこりは、実は恋のためで、口にするのも畏れ多い高貴な女性に思いをかけていたのを、「あこぎの浦ぞ」といわれて思い切り、出家を決心したというのである。「あこぎの浦」というのは、

  伊勢の海あこぎが浦に引く網も
  たびかさなれば人もこそ知れ

 という古歌によっており、逢うことが重なれば、やがて人の噂にものぼるであろうと、注意されたのである。
 あこぎの浦は、伊勢大神宮へささげる神饌の漁場で、現在の三重県津市阿漕町の海岸一帯を、「阿漕が浦」「阿漕が島」ともいい、殺生禁断の地になっていた。そこで夜な夜なひそかに網を引いていた漁師が、発覚して海へ沈められたという哀話が元にあって、この恋歌は生れたのだと思う。或いは恋歌が先で、話は後からできたという説もあるが、それではあまりにも不自然で、やはり実話が語り伝えられている間に歌が詠まれ、歌枕となって定着したのあろう。

 この後、世阿弥が作曲した『阿漕』の能について書かれている。

 漁夫のざんげ物語が、いつしか西行の悲恋の告白に変って行き、「阿漕々々といひけんも、責一人に度重なるぞ悲しき」と、前シテの老人が泣き伏すところなど、まるで西行がのりうつって、恨みを述べているかのように見える。
 室町時代になると、「あこぎ」という詞(ことば)と、西行は、切り離せないものになっていたことを示しているが、ものもとあこぎには、厚かましいとか、しつこいという意味があり、今私たちが使っているような、ひどいことをする、残酷である、という言葉とは違う。時代を経るにしたがって、ものの見かたの立場が変って来たのである。だから「あこぎの浦ぞ」といわれることは、最大の恥辱であったのだが、では、そんな冷酷な言葉を誰が投げつけたのかといえば、ただ「申すも恐ある上﨟女房」とあるのみで、相手は誰ともわかってはいない。朝廷に仕える女房たちとなら、西行は自由に交際していたし、源平盛衰記も、「申すも恐ある」とはいわなかったであろう。このように高飛車な言が吐けるのは、よほど身分の高い「上﨟」に違いないのである。

 あこぎ、という言葉、よほど酷いことをする相手に対しても、そう簡単には言えない。

 さて、ではいったい、どんな高貴な女性が、西行に「あこぎ」と言ったのか・・・・・・。

 佐藤義清の当時の勤務先(?)や、特別な環境で過ごしたある女性に着目した白洲正子さんの推理については、次の記事でご紹介。


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by kogotokoubei | 2018-05-27 19:12 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(0)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛