噺の話

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2018年 04月 17日 ( 1 )

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葉室麟著『河のほとりで』(文春文庫)

 この本から三回目。

 前回は藤沢周平について葉室麟がどう思っていたか、ご紹介した。
 今回は、司馬遼太郎のこと。

 司馬さんのソファー
 仏教的な世界観 培った 宗教記者時代

 <司馬さんのソファー>と呼ばれる長椅子がある。
 作家の司馬遼太郎さんは、もとは産経新聞の記者で若かりしころ、京都の宗教回りを担当していた。京都は各宗派の本山だけでも何十もあり、行事や人事も多く、これらを記事にするのが宗教回りの記者だ。司馬さんは東西両本願寺の記者室を中心に国内でも唯一、世界的にも珍しい「宗教記者クラブ」の創立メンバーのひとりだった。

 司馬作品は結構読んでいるが、このことは知らなかった。

 まさに、京都ならではの記者クラブと言える。

 引用を続ける。

その当時、司馬さんが宗教記者クラブの記者室で横になって本を読んでいた長椅子が、いまも<司馬さんのソファー>として保存されているのだ。
 京都、西本願寺の宗教記者室を訪れて拝見させてもらった。記者室の一角にあるソファーは、何の変哲もない長椅子に違いないのだが、司馬さんが新聞記者から作家に転身した後でも宗教記者時代の姿を覚えていたひとが多かったということだろう。
 そんなことを考えていると、宗教記者だった司馬さんはそのころの経験から仏教的な世界観を持つにいたったのではないかと、ふと、思った。
 司馬さんは戦時中、従軍して戦地に行く際には親鸞の『歎異抄』を持っていったという。「蓮如と三河」という文章の中で司馬さんは『歎異抄』を読んだ体験について、
「とくに『歎異抄』を読んでいるときに、宗教的感動とともに、芸術的感動がおこるのである。

 親鸞は弟子一人ももたず候

 ということばなどは、昭和十八年、兵営に入る前、暮夜ひそかに誦唱してこの一行にいたると、弾弦の高さに鼓膜が破やぶれそうになる思いがした」
 と書いている。生と死の問題を考えざるを得なかった戦時中だけでなく、戦後、作家になった司馬さんの作品の中にも仏教の影響が見え隠れする。

 この後、葉室麟は、司馬作品の中の仏教の影響の例として、『空海の風景』はもちろんとして、『国盗り物語』における斎藤道三の法華経の解釈のことや、『燃えよ剣』や『新撰組血風録』に見られる仏教的な無常感などを挙げている。

 そして、このエッセイは、次のような文章で締めくくられている。

 『「昭和」という国家』では、日本という国は昭和に入って「魔法の森」に入ったと述べ、この「魔法の森」のために数百万人の日本人が死んだとしている。そのことの是非はさておき、司馬さんは昭和という時代が、仏教でいう釈迦の教えが顧みられなくなる、 
 -末法の世
 に見えていたのではないかという気がする。
 もし、そうだとすると、司馬さんが存命なら昭和だけでなく、平成の今も「魔法の森」に入った末法の世だと思ったのではないだろうか。

 
 いわゆる司馬史観について、さまざまな意見があると思う。

 明治維新を高く評価し、それ以降、あの戦争までを暗黒時代と見なすことへの反論はあるだろう。
 維新の功臣たちを英雄視し、市井の人々への視線に欠けているという指摘もあるだろう。

 しかし、司馬史観に肩入れしないとしても、明治維新までと、それから日清・日露、そして太平洋戦争に向かう時代の様相の違いは大きい。
 もし、「魔法の森」に入ってしまったとするなら、それは、昭和からなのだろう、という指摘は否定できないように思う。


 そして、葉室が指摘するように、昭和が「魔法の森」に入ったとするならば、間違いなく、平成もまた「魔法の森」に舞い戻ってしまったのではなかろうか。

 戦争をしやすい国家にしようとする者が国のリーダーである状況は、あの戦争の前の日本の状況と似ていはしないか。

 しかし、同じ過ちをしてはいけない。
 早く、その森から抜け出さなくてはいけない。
 司馬遼太郎も、そして、葉室麟も、きっとそう言うに違いない。

 この文章を読んで、そんなことを思っていた。
 
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by kogotokoubei | 2018-04-17 20:36 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(0)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛