噺の話

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2018年 03月 01日 ( 1 )

 先日、三田落語会に行く前に、池袋で二月いっぱいで閉店した古書店、八勝堂に立ち寄り、落語関係の本を三冊買った。

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坊野寿山著『粗忽長屋』

 その中の一冊が、この坊野寿山著『粗忽長屋』である。
 昭和59(1984)年に創拓社から発行された。
 表紙には、副題として「文楽、志ん生、円生の素顔」としてある。
 また、表紙ではタイトルよりも「粋狂」という文字の方が、目立つ。

 坊野寿山(ぼうの じゅざん)は、明治33(1900)年に生まれ、昭和63(1988)年に亡くなった川柳家。花柳界を舞台にした川柳「花柳吟」の第一人者として知られ、「鹿連会」と名づけた落語家たちの川柳会を主催した人。

 本書は、寿山の弟子だった昭和の名人たちの大半が亡くなった後の発行でもあり、彼らの実像が、失敗談を中心にして明かされている。

 たとえば、こんな話。

 恋女房と焼きもち亭主

 玉井の可楽の後に八代目可楽になった柳楽は、舌がよく廻らぬ人だった。「舌たらず」とか「まくりなたらぬ」とか、志ん生が悪口を云っていたものだ。
 柳楽が北海道巡業へ行った時、一座の下座をしていた「幸久和(こうくわ)」という小唄の女がいた。小唄幸兵衛の弟子で、ちょっと乙な女だった。この幸久和が風邪を患ったので、柳楽が世話をやいているうちにいい仲になってしまった。
 ところが、夫婦になったものの、師匠の幸兵衛が怒り、幸久和は破門されてしまった。
 仕方なく入谷に新世帯を持ち、小唄指南所を始めることにした。といっても弟子なんかいないので、私が月謝を払って、みんなで蚊弟子(一日に何回も習いに出入りして、さも忙しい師匠のように見せる、宣伝係の弟子)になった。
 志ん生、馬の助の万ちゃん、文都などと、一日に二、三回行っては、声を変えたりして沢山の弟子がいるように見せたものだ。その内に盛んになって、我々は蚊弟子をやめさせてもらった。
 もともと色っぽい女だったが、小唄を教えている時には更に色っぽいと評判だった。亭主の柳楽は下足番でヤニ下がっていたものの、色男の弟子なぞが来ると、気になって仕方がなかった。
「今のは嫌な客だね」と柳楽がよく愚痴っていたものである。
 すると志ん生が、
「今頃はね、師匠の股のとこに手を入れたりして習っているんだよ」などと、火に油をそそぐような悪口を云う。
 しまいには、
「あの客は断わろう」なんて柳楽が云い出す始末だった。

 “蚊弟子”たちの奮闘ぶりが、目に浮かぶようだ。
 ほとんど、落語の世界^^

 八代目可楽は、志ん生を頼って落語家になった人で、二人は仲が良かった。いわば、悪友。
 志ん生の意地悪な言葉に、短い舌を口の中でからませて怒っている可楽の姿なども想像され、実に印象深い逸話。
 馬の助は、後の八代目金原亭馬生で、本名が小西万之助のため、万ちゃん。
 この人も志ん生の悪友で、結城昌治さんの『志ん生一代』には、頻繁に登場する。
 文都は、桂文都で、八代目文治門下。後の九代目土橋亭里う馬。

 とにかく、寿山師匠、あの世からでは文句も言えまい、というノリで、多くの落語家の秘密を暴露している。

 戦前戦後の落語界を知る上でも、実に貴重な本だと思う。


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by kogotokoubei | 2018-03-01 12:32 | 落語の本 | Comments(2)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛