噺の話

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2018年 02月 16日 ( 1 )

 先日、三遊亭兼好の『品川心中』の通しを聴いて、その舞台である品川のことやサゲのことなど、いろいろと思うことがあった。

 まず、兼好がマクラでふった「品川の客 ニンベンありとなし」の川柳のこと。

 この“あり”は「侍」、“なし”は、「寺」。

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 日本近代史研究家、西山松之助の対談集『江戸っ子と江戸文化』(小学館創造選書)は、昭和57(1982)年に発行された本。
 以前、下町とはどこなのか、ということについて、引用したことがある。
2015年6月23日の該当ブログ
 紹介したのは、「第一章 江戸っ子のくらし」、池田弥三郎さんとの対談だった。

 江戸時代史専攻の竹内誠との対談の章「廓の悪所と出会い茶屋」に、品川のことで、次のように紹介されている。

竹内 いわゆる四宿といわれる内藤新宿・板橋・品川・千住などには、江戸からだけではなく、周辺の農村からも遊びにくる連中がいたようですよ。四宿は、ちょうど農村との接点になりますからね。
西山 それはいたでしょうね。品川の場合などは「品川の儲け七分は芝の金」といわれたように、増上寺からあのあたりにかけて寺がいっぱいありましたし、また増上寺のお坊さんの数はいまと違って莫大なものでしたからね。坊さんはいちおう品行方正を建前としてはいますけれど、じっさいは、むかしから坊さんはなまぐさいものと決まっている。だから、彼らはよく品川へ出かけていったようですよ。
竹内 品川にはもう一つ薩摩の藩邸がありますね。
西山 それと 鍋島があります。で、薩摩の紋が丸に十の字で泡盛が有名でしょう。鍋島は抱茗荷なんですが、川柳に「泡盛も茗荷もわっちは好きんせん」というようなのがある(笑)。これはやはり、九州からきた荒武者どもがしょっちゅう品川へいっていた証拠でしょうね。
竹内 いわゆる「浅黄裏」といわれたヤボな田舎武士、そういう人たちが常連だたんでしょうね。

 なるほど、「品川の客 ニンベンありとなし」なわけだ。
 薩摩の浅黄色、で思い出すのは、『棒鱈』。
 あの噺の中で、芸者が薩摩の田舎武士に、「最近、お見限りじゃないですか、品川の方でお遊びと聞いておりますよ」などと言うが、彼らにとって品川は、ホームグラウンドということだね。

 さて、先日の兼好の“通し”の「下」は、通常とは違っていた。
 お染に突き落とされた品川の海で死装束をずぶ濡れにさせ、犬に吠えられながらも親分の家にたどり着いた金蔵。博打の最中での突然の訪問者に慌てる例のドタバタ騒ぎ。親分は金蔵の話を聞き、一同は金蔵がお染に復習するのを手伝うのだが、彼らは金蔵を早桶に乗せて白木屋に連れて行く、という設定。
 この場面で、私は『幕末太陽傳』で金蔵に扮した小沢昭一さんの映像を思い浮かべていた。

 小沢さん扮するアバタの金蔵、“アバ金”のあの姿である^^

 『幕末太陽傳』については、ずいぶん前だが書いている。
 落語を素材にした、川島雄三監督の大傑作。
2012年1月9日のブログ
 
 兼好の「下」は、本人の工夫なのかどうか知らないが、『幕末太陽傳』に影響を受けたのではないか、と思った。

 そして、その改作も悪くないと感じた。

 ただ、サゲにはもう一工夫欲しいように思う。
 この噺や、『居残り佐平次』のサゲは、今では通じにくいので、噺家がいろいろと工夫している。
 兼好のサゲは明かさないが、あの筋書きなら、こんなサゲもあると思う。

親分 金蔵、お染が出てこねぇのなら、お前が乗りこんで脅かしてやれ。
金蔵 あっしが、いえそりゃぁ、できません。
親分 どうしてできねぇんだ。その立派な足があるじゃねぇか。
金蔵 いえいえ、昨日の飲み食いのオアシが、ありません。

 今ひとつか・・・・・・。
 では、こういうのはどう。

親分 金蔵、お染が出てこねぇのなら、お前が乗りこんで脅かしてやれ。
金蔵 へぇ、あの野郎(と言って、お染の部屋へ)
   こら、なんてぇ薄情な女だ!
お染 なんだい、幽霊だって言うけど、オアシがあるじゃないか。
   だったら、昨日の飲み食いの勘定も払っておくれ。
金蔵 えっ(と、驚いて)そっちの、オアシはない。

 どっちも、日光の手前(いまいち)かな。

 今後、別なサゲを思いついたら、ご紹介するつもり。

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by kogotokoubei | 2018-02-16 20:54 | 落語のネタ | Comments(2)

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by 小言幸兵衛