噺の話

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2018年 02月 11日 ( 1 )

 今日2月11日は、初代談洲楼燕枝の祥月命日。
 天保8年10月16日(1837年11月13日)に生まれ、明治33(1900)年2月11日に没した。
 ちなみに、その明治33年は8月11日に円朝が旅立っているので、実に東京の落語界にとって寂しい年だった。

 初代燕枝のことは、ずいぶん前、三三が燕枝作『嶋鵆沖白浪』を復活させたことに因み記事にしている。
2010年11月19日のブログ
 また、森銑三著『明治人物閑話』を元にも記事を書いた。
2016年12月13日のブログ
2016年12月14日のブログ
 
 先日、百年前の東京落語界の戦国時代の模様について、暉峻康隆さんの『落語の年輪』などを元に記事を書いたが、その中に二代目燕枝の名が登場した。
 三代目小さんとともに二代目禽五楼小さんの門下だった人。
 その二代目燕枝の弟子が、柳亭だが、燕枝を名乗っていた。昭和30年7月19日没。
 三代目は、ややその大きな名跡に負けていた、とも言われる。話芸はもちろん、俳諧、文筆など幅広く評価の高かった八代目入船亭扇橋を父に持ち、周囲の期待が大きかったことも、相当のプレッシャーだったのだろうと察する。

 昨年、小南の名が復活した。
 そして、何より、あの立花家橘之助に二代目ができた。その襲名は、あの『たぬき』の高座を聴いて、大成功だったと思っている。

 今空位の大名跡と言うと、まずは円生そして志ん生という三遊派の名前、そして、柳派には柳枝、そして燕枝ということになるだろうか。

 以前の燕枝の記事のきっかけになった『嶋鵆沖白浪』を、私は幸運にも最初の紀尾井ホール、再演の横浜にぎわい座、そして一昨年のイイノホールで聴くことができた。

 どれも実に良い高座であったし、何より、人情噺は三遊派、柳派は滑稽噺という先入観に対し、燕枝の名作を掘り起こした功績は大きい。

 その後、三三は全国で「たびちどり」と題して、この噺を披露しているが、なかなか結構な試みだと思う。

 そこで、思うのだが、三三に、六十余年にわたって空白となっている燕枝の名を継いで欲しいのだ。

 十分にその資格はあるのではなかろうか。

 師匠小三治は、周囲に六代目小さん襲名の期待があったものの、継ぐことなく小三治のままで噺家生活を全うするのだろう。

 しかし、今でも、小さんを継いで欲しかった、という声は小さくない。私も、そう思う。

 やはり、その名に相応しい人に、ぜひ懐かしい大きな名を蘇らせて欲しい。

 初代の命日に、強くそのことを思う。

 ご賛同いただける方も、少なくないのではないか。

 いきなり談洲楼ではなく、柳亭燕枝でも結構。
 その方が、協会会長の協力も得やすかろう。

 上方では、文枝の名をその十八番『三十石』の出来ない人物が強引に継いで、その名を落としめているのが、誠に残念。そもそも、既に噺家としての旬を過ぎての襲名だった。

 三三は、これからの人だ。彼なら名前負けもしないだろう。

 ぜひ、三三による四代目燕枝襲名のを期待する。

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by kogotokoubei | 2018-02-11 18:31 | 襲名 | Comments(4)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛