噺の話

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2018年 01月 30日 ( 1 )

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桂小南著『落語案内』(立風書房)
 この本からの三回目。

 さて、日本橋の呉服問屋をやめて、退路を断って金馬に入門した金次郎少年は、金太郎という名前をもらう。
 金太郎という名は、以前に講談の先代貞丈師(一龍斎)の弟さん、今の貞丈さんの叔父さんて方が、金馬師匠の家にいて、これを名乗っていたんです。
 とってもいい男で、咄の上手だったそうです。ただ、酒が強くって、師匠も好きなんでその供をしながら馬鹿呑みしたんですね。それが祟って若死にしてしまったんです。
 で、この金太郎が空いていたんで、私にいきなり金太郎という名をつけてくれたんですね。山で遊ぶ金太郎で、山遊亭金太郎、洒落た名前で。
 ところが兄弟子の歌笑さんには、当時名前がなかったんです。師匠は本名の「治男」と呼んでました。
 金次郎より二年も前に入門していた歌笑に、まだ名前がなかったんだなぁ。
 その理由は・・・次のような小南の指摘から推測することはできる。

 四角い顔で、とくにエラが張っていて、口が大きく、眼が吊り上がって、しかも窪んでいて、片方の眼は、まるで横を向いている。極度の斜視で、弱視でした。しかも眉毛が短くて、珍しい顔でした。
 そんなわけで、咄の方はまるで駄目。
「お前、噺家おやめ」
「いえ、噺家になります」
 ほとんど毎晩のように師弟でやってましたね。
 金馬は、本気で歌笑に噺家になるのを止めさせようとしていた、ということだろう。
 だから、名前はしばらく与えなかったのではなかろうか。
 そもそも、金馬が治男に「一席やってみろ」と言うと、咄ではなく歌を歌っていたというから、師匠としても、彼が本当に噺家になりたいのかどうか、疑っていたかもしれない。

 さて、金太郎の方はどうかと言うと。
 歌笑さんが唄ばっかりですから、
「金太郎、一席やれ」
 って、こっちにお鉢が廻ってくる。
「へぇッ」
 これは稽古をつけてもらえると思うから、覚え立ての咄をやりますよ。
「ええ、一席申し上げます。八っつあん」
「なんだ」
「こっちへお上がりよ」
「やだよ」
 師匠が合いの手を入れるんですよ。
 つまり、オモチャですよね。
 で、
「俺が返事をしなくなるまでやれ」 
 という。
 やれるもんじゃないですよ。

 兄弟子歌笑は、結局、柳家金語楼の弟、昔昔亭桃太郎の元に行き、『音楽風呂』や『ジャズ風呂』という自慢の歌を生かせる新作落語を覚えるのだが、師匠の金馬は、「そんなものは落語じゃない」と、つれなく当たった。

 さて、金太郎はというと、咄の稽古どころではなく、金馬宅に先に住んでいる家族(?)の面倒をみることになる。

 金馬師匠という方は、動物を飼うのが好きでしてね。家には、いろんな動物がいましたね。
 犬がいて、伝書鳩がいて、鈴虫が十何種類といました。
 この犬については、ずいぶん話があります。
 ドーベルマンですよ。この犬が、脚がばかに細くって長くて、顔も長くて、獰猛な面構えしてるんですよ。
 “ジュゲム”という名がついてまして、これがいなや犬でしたよ。

 犬好きの私としては、この部分、少し厭~な思いがしたなぁ。
 さて、どんな犬だったというのか。
 
 師匠は、こんな利口な犬はないと、さかんに可愛がっていました。
「お座り」
 といえば、ぴたっと座る。
「お廻りッ」
 くるくると廻る。しかもニコッと笑う。犬も笑うんです。

 可愛いじゃないか^^
 しかし、我が家の犬は、笑わないなぁ.

 ところが、これ、師匠が声をかけるとやるんで、私や歌笑さんがやっても知らん顔してる。それどころか、じろっと睨んで、ぷいっと横を向く、憎らしいんです。

 そりゃそうだ。犬は人間を見ぬくのである。
 金太郎がジュゲムを、いやな犬と思う理由は、それだけではない。人間様より、食い物が良かったのである。

 このジュゲムのご飯がスキヤキなんです。
 私と歌笑さんはコロッケ。
 このスキヤキが食いたくてしょうがない。
 ある日、そのスキヤキを持って行くと、台所で歌笑さんが待っていて、
「おい、金ちゃん、ね。これ食っちゃおう、食ちゃおうよ」
 そういって、肉だけ食っちまったんです。
 犬のやつは、貰えるのを知ってるから、ハウスに入って、ヨダレを垂らして待ってるんですよ。
 で、肉なし丼を持ってったら、食わないんです。「ううっ」っていいやがって、そのうちピューっと師匠のところへ行って、「クウン、クンクン、クワン」っていいつけやがる。「あいつらが肉を食っちゃった」ってね。
 これがバレて、こっぴどく叱られてね。
 やなやつですよ。犬のクセにね。
 
 スキヤキなんか食べていたジュゲムは、長生きしたのかどうか・・・・・・。
 さて、他にもジュゲムや鈴虫、河鹿などをめぐる笑える逸話がいくつかあるが、それは割愛。

 金太郎の前座時代について。

 私が、はじめて噺家として寄席に行ったのは、内弟子になって三ヵ月くらい経ってからですね。
 東宝名人会、日比谷の宝塚劇場の五階、この間までありましたが、いまはなくなってしまいました。
 金馬師匠が名人会の専属だったんです。
 師匠は、名人会ができたときに、寄席の出演者の中から引き抜かれて専属になりました。おかげでほかの寄席からボイコットされて、以来亡くなるまでフリーというか一匹狼の存在でした。
 でも東宝名人会というところは、一種独特の格式がありました。
 なにしろ、当時売り出し中のバリバリの桂右女助さん(のちの三升家小勝、『水道のゴム屋』の咄で売り出した)が、寄席では大看板なのに、名人会では前座扱いでしたからね。
 それもそうで、うちの師匠のほかには、四代目柳家小さん、私の所属している落語芸術協会の前々会長で、先年亡くなった春風亭柳橋。柳家金語楼。先代の春風亭柳好。「エッヘッヘの柳枝」といわれた春風亭柳枝とか、大看板中の大看板が揃って出たんですからナ。
 曲芸は春本助次郎、この人は本牧亭のご主人になりました。そう、柳家権太楼もいました。あの、旅行けばァーの『次郎長伝』を演って<虎造節>を売りまくった、広沢虎造さんが二ツ目でしたからねえ。
 (中 略)
 この東宝名人会の前座なんです、私が。
 ところが、前座といっても、ただいるだけの前座でした。
 なずかというと、名人会というのは、前座を置くことはないんです。普通の寄席と違って、前にも申し上げたように、大看板ばかりが出演するシステムですから、若手を育てる必要がない。 
 これが寄席ですと、前座がいて二ツ目、若手真打、大看板といて、前座が楽屋の雑用をやって、先輩方に殴られたり、叱られたりしながら、噺家らしく育って行くわかですが、名人会にはこれがない。
 舞台の方は、ちゃんと舞台係の人がいる。これは、四代目小さん師匠の親戚の人でしたね。下座は、おきんさんといって、意地悪な人でした。なぜかっていうと、全然鳴物をさあえてくれないどころか、触らせてもくれませんでした。もっとも、出演者が偉い人ばかりですから、鳴物の方も、昔噺家をやっていて、いまはそれをやめて、昼間勤めて、夜アルバイトに太鼓や笛をやるという人がいて、これが大変なうまさ。
 こういうわかですから、なんにも用事がないんです。せいぜい、舞台から下りた師匠の着物をたたむとか、お茶汲みをい手伝うくらいしかないんです。

 
 とにかく、東宝名人会の顔ぶれが、凄い。
 私が好きな柳枝の名もあるが、この頃は七代目。

 さて、何もやることのない、東宝名人会の前座。
 歌笑は、弟弟子が入ったのを幸い、金太郎に名人会の前座役を押し付けて、二代目三遊亭円歌の元に行った。そして、結局、円歌の身内(弟子ではない)として、寄席に入ることになる。

 では、その後の金太郎は、いったいどんな修業の道を歩むのか・・・は次回。
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by kogotokoubei | 2018-01-30 12:27 | 落語の本 | Comments(2)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛