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噺の話

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2016年 02月 16日 ( 1 )


 昨日から、道頓堀角座で三代目の追悼興行が始まった。

 日刊スポーツから引用。
日刊スポーツの該当記事

桂春団治さん追悼興行で珠玉の「お玉牛」が“復活”
[2016年2月15日21時32分]

 1月9日に心不全のため亡くなった3代目桂春団治さん(享年85)の追悼興行が15日、大阪・道頓堀角座で始まり、高座映像で春団治さん珠玉の「お玉牛」が“復活”した。

 21日まで同所で続く同興行では、毎回、生前の高座映像が流されるが、初日のこの日は、06年に芸能生活60年記念舞台で演じた「お玉牛」だった。

 艶と色気、そしてかわい気。春団治さんの“らしさ”が詰まった「お玉牛」は男の夜ばいを描いたネタ。扇子を牛の尻尾に見立て、くるりと回り、自分の額を打つ所作は、春団治さんにしか出せない“味”として、落語ファンの心をつかんできた。

 スクリーンに映し出された春団治さんへ、満席の客席からは大きな拍手。下げが終わり、映像が途切れても、拍手は鳴りやまなかった。

 春団治さんの名演について、門弟筆頭の桂福団治(75)は「あれだけの(動きの多い)所作があるネタでも、額縁からはみ出さない。日本絵のようです。師匠のもとで学んでよかった」と振り返った。

 あえて多くのネタに手を出さず、厳選したネタを磨き上げて高座に上がった春団治さんは、本題に入る前の「枕」も振らず、流れるように羽織りを脱ぎ、ネタに入った。所作のひとつひとつが美しく、計算され尽くしていた芸風だった。

 またこの日は、一門による口上も行われ、福団治は「こんなに集まっていただき、春団治師匠はさぞかし天からほほ笑まれていることでしょう」と、満席の客席を見渡し、感謝した。

 春団治さんは足指のけがをきっかけに「正座できんで高座には上がれん」と言い、晩年の2年半ほどは高座に上がることはなかった。それでも、自宅ではけいこを続けており、3番弟子の桂春若(64)は「ある日、自宅にうかがったら、代書屋のけいこをしてはった」と明かした。

 また、春団治さんのファンで、高校時代に弟子入りした2番弟子の桂春之輔(67)は、弟子入り当時の思い出を披露。「師匠の家に電話して『弟子に入りたい』と言いますと、『うちはうどん屋ちゃうわ』と断られた」と話していた。


 関西に住んでいらっしゃる落語愛好家の方が、羨ましい。

 『お玉牛』は、私が生で三代目を聴いた最後の演目だ。

 福団治が言うように、“額縁からはみ出さない。日本絵のよう”な高座に出会えたのは、僥倖だった。 


 映像で故人の高座を鑑賞する、ということで思い出すのは、2009年12月に、新百合ヶ丘の麻生市民館で行われた「桂枝雀 生誕70年記念落語会」の『つる』の映像だ。
2009年12月4日のブログ

 その映像を観た感想を、次のように書いていた。
枝雀ビデオ落語『つる』
不思議な体験だった。正面のスクリーンに「ひるまま」の出囃子で枝雀が登場すると、ビデオの会場(ABCホール?)も麻生市民館の1,000人の会場からも拍手。
そして、その笑いもビデオと会場で呼応する。会場には、この噺そのものを初めて聴く人も少なくなかったようで、私の席の周囲の中年から高齢者までの複数の女性が、笑いころげていた。
私は後半、笑いながらだんだん目がかすんできた。

 日々脳細胞が激減する中で、あの日のことは、結構よく覚えている・・・・・・。

 笑いながら、涙が止まらなかった。

 角座では、同じような体験をする人が、大勢いらっしゃるように思う。
 同じ噺家さんを愛する人で埋まった空間で、映像とはいえ、珠玉の高座を一緒に観て聴くということも、素晴らしい一期一会であると思う。

 あの時には、そんな思いで聴いていた。
 そして、2009年のあの場所には、枝雀の師米朝とともに、三代目がいらっしゃって、私は初めて生の高座、『祝い熨斗』に出会うことができたのだった。
 今日16日以降の映像の演目や出演者などにご興味のある方は、角座のサイトでご確認のほどを。
道頓堀角座のサイト

 ちなみに、今日16日の映像は・・・やはり内緒にしておこう。

by kogotokoubei | 2016-02-16 12:39 | 寄席・落語会 | Comments(2)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛