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噺の話

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2014年 08月 25日 ( 1 )

落語愛好家仲間であり、ブロガーとしても人生の先輩としても尊敬しているのが、我らが居残り会のリーダーである佐平次さん。
 その佐平次さんの弟さんで弁護士をされている鈴木篤さんが本を出されたことを、佐平次さんのブログ「梟通信」で知った。『わたくしは日本国憲法です。』という本だ。
「梟通信」の2014年8月21日の記事
 出版社の朗文堂さんのサイトを拝見すると、なかなかユニークな会社のようだった。
 佐平次さんのブログでは、本書希望の場合に著者鈴木篤さんの江戸川法律事務所に連絡する手はずが書かれていたのだが、少しでも早く読みたいこともあるし、三田落語会は夜席でその前に神保町の古書店巡りをするつもりだったから、直接出版元に行ってみようと思い金曜日にメールで訪問の件をご連絡したところ、本来は定休日だが出社される方がいるので来店可能とのこと。
 
 そういうことで、土曜の午後、新宿二丁目交差点近くの朗文堂さんに立ち寄らせていただいた。

 ビルの四階に上がると、扉のガラスにこんな風に表示があった。

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 ビルの外には看板など一切ないので、「ここで間違いないのか?」と不安気に上がって行ったのだ^^

 中に伺うと、出社されているとメールで返事をいただいた大石さんだけでなく、社長の片塩さんもいらっしゃった。

 つい、この本を知ったいきさつなどをご説明していると、大石さんがお茶を出してくださり、少しお話をさせていただくことになった。

 片塩さんは、著者である鈴木篤さんとは長野高校の同級生で、顧問弁護士もしていただいている古くからの友人ということから、今回出版を請け負われたようだ。以前は近くの末広亭で落語もよく聴かれたらしい。先代小さんがお好きだとのこと。
 同じ信州から大都会に出てきた友人鈴木篤さんのことは、人権派弁護士としての活動やご苦労もよくご存知なのだろう。言葉数は多くないが、片塩さんとの会話から、お二人の友情の厚さが伝わった。

 事務所には、今では貴重な活版印刷の機械があり、壁際には活字が棚に収まっている。学生時代に新聞社でアルバイトをしていたことがあるので、非常に懐かしい空間だ。

 朗文堂さんは、「タイポグラフィ」に関する書籍の出版が多く、「タイポグラフィ」を学ぶ「新宿私塾」も開催されている。
 片塩さんによると、日本は明治になって一気に活版印刷が産業として入り込んだが、ヨーロッパでは古くから学問としての歴史を持っている、とのこと。
 サイトにある「新宿私塾」の紹介ページには、冒頭、次のように記されている。
朗文堂サイトの「新宿私塾」のページ

「新宿私塾」はタイポグラフィをまなぶための、ちいさな教育機関です。 
 書物と活字づくり、すなわち「タイポグラフィ」の 550 年におよぶ魅力的な歴史をまなび、本格的なタイポグラフィの教育と演習を通じて、あたらしい時代の要請に柔軟に対処する能力を身につけた、タイポグラフィの前衛を養成します。


 少数しか塾生を募集していないので、いつもすぐ定員になるようだ。ご興味のある方は、朗文堂さんにご連絡ください。

朗文堂 タイポグラフィ・スクール 新宿私塾
〒160-0022 東京都新宿区新宿 2-4-9 中江ビル 4F
telephone 03-3352-5070 , facsimile 03-3352-5160



 さて、片塩さん、大石さんとの楽しい会話の後、事務所を辞して持ち帰った本を、近くの喫茶店に入りさっそく読み始めた。

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鈴木篤著『わたくしは日本国憲法です。』(朗文堂)

 しばらくして、「その通り!」と何度も頷く自分がいた。

 朗文堂さんの本書紹介ページにある、下図のチラシ(フライヤー)の冒頭には次のように書かれている。
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 わたくしは日本国憲法です。

  あなたがた日本国民が、
  平和のうちに幸せな生活を送れるように、
  あなたがたを守るために生まれてきました。
  わたくしを手放さないでください。
  わたくしを葬らないでください。



 朗文堂さんの紹介ページから「はじめに」の一部も引用。
 なぜ、著者鈴木篤さんが、「日本国憲法」の立場で本書を執筆したか明かされている。

 現実には戦後の六八年間、この国に民主主義や民主主義を守り育てようとするひとびとがいなかったわけでは決して無い。
それどころか、戦後の歴史は、民主主義を踏みにじろうとする勢力と、平和と民主主義と基本的人権を守ろうとする勢力との闘いであったといっても過言ではない。

 そして、憲法をないがしろにしようとする勢力が政権を握り続けてきたにもかかわらず、そうした多くの先達による、粘りつよくて勇敢な闘いがあったからこそ、平和が守られ、根本のところで民主主義と基本的人権が守られてきたことは紛れもない事実なのだ。

 そうした力は、いまも特定秘密保護法成立を阻止しようとして、官邸や国会前に集まったひとびとや、日に日に強くなっている、集団的自衛権行使容認に反対する国民各層の声としてあらわれている。

 しかしそうした悲鳴にも似た反対の声にも関わらず、安倍政権は、国民はおろか国会をも無視して、ついに集団的自衛権の行使容認を閣議決定という形で押し通してしまった。
それを許してしまったことの背後にあるのは、「ながいものにまかれ」、「みんなが望んだからわたしもと成り行きに身を任せ」、「どこからどうしてこうなったのかには責任を負わず、それを追求しようともしない」という、いわゆる「無関心層」の存在ではないのか。

 一個人に過ぎない者が憲法に成り代わって、憲法を一人称とするこのような本を発行することについては、「僭越だ」とか、「おこがましい」等の批判も多々あることだろうが、それはほかでもない、そうしたひとびとに、憲法自身が語りかけるという形を取りたかったからである。

 憲法は、憲法に関心を持たないあなたにとっても、かけがえのない味方なのだ、それを失うことは、あなたにとって取り返しがつかないことだということを、なんとしてもわかってほしいというおもいからこのような文体を採用したのだ。



 新宿の喫茶店を出て、神保町に移動して目当ての本を見つけてから、あらためて喫茶店で続きを読んだ。

 ほぼ2ページに一度位、「その通り!」と心の中で叫び続けながら半分ほど読んだところで、落語会のある三田に移動。
 好みのラーメン屋でも食べながら読んでいたが、読み進むうちに、この本は全国民の必読者であり、中学の副読本とすべき、などという思いが強くなる。
 しかし、本書にも現在の教育現場の問題が指摘されているが、まったく憲法の精神に反する実態となっているから、ほとんどの教師や教育委員会が、本書を選ぶことはないだろう。
 本書で著者が丸山真男の言葉から指摘するように、教育者の多くも「既成事実への屈服」「権限への逃避」をし、ながいものにまかれているからだ。

 まずは、この本とのありがたい出会いのことで第一章(?)とするが、次回は、「旧教育基本法」について記載されている部分を中心に紹介したい。この前半の教育問題をはじめ、この本の内容は、目から鱗の連続である。
by kogotokoubei | 2014-08-25 00:25 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(2)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛