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噺の話

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2014年 07月 21日 ( 1 )

 落語協会が発表した来春の十人同時真打昇進について書いた記事に、多くの方からコメントを頂戴した。
 あらためて真打昇進について落語愛好家の方の関心の高さを知ることになった。

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五街道雲助著『雲助、悪名一代』

 雲助の本からは何度か紹介しているが、彼自身が受けた真打昇進試験のことについて書かれた部分から引用したい。

 落語家には、前座、二ツ目、真打の三つの身分があります。前座は修業の身、二ツ目から一人前の落語家となるのですが、二ツ目と真打の違いはなにか。
 まず、真打となると「師匠」と呼ばれるようになります。そして弟子をとることができます。つまりそれなりの責任と、それに見合う芸を求められるようになるのです。
 ところが、なにをもって「真打にふさわしい」と認めるのか、その基準はあいまいなのです。


 そうなのだ。そのあいまいさが、いろいろと問題を生むのである。
 年功序列なのか、才能あるものを抜擢するのか、才能といっても、マスコミで売れることなのか、芸のよさなのか、また、それを誰が判断するのか。
 わたしの所属している落語協会では、歴代の会長がその基準を決めてきました。
 1965年から72年まで会長を務めた六代目三遊亭圓生は、自分が芸を認めたものしか真打に昇進させませんでした。
 圓生が会長であった八年間で真打に昇進したのはわずか数名。

 このわずか数名の中に、圓窓、小三治、扇橋が含まれている。

 圓生のあとを継いで会長となった五代目柳家小さんは、年功序列で年に二十名近くを真打に昇進させたため、その方針に反発した圓生が落語協会を脱会する大騒動が巻き起こりました。
 その結果、ある程度年季の経った二ツ目を対象に真打昇進試験を行い、会長はじめ理事会で協議して真打昇進の可否を決めることになりました。
 それを聞いた二ツ目は、みな大ブーイングです。試験が嫌いだから落語家になったのに、なんで受けなきゃいけないのかと、わたしももちろん嫌でした。

 あの昭和53年の大騒動は有名だが、その後の真打昇進試験のことは、意外に知られていないのではなかろうか。

 嫌でしたが、「第一回真打昇進試験を受けるように」という通達、通称・赤紙がやってきてしまったのです。
 なかには、赤紙が来てもボイコットする者もありました。ですが、わたしの師匠馬生がこのとき落語協会副会長でしたので、その弟子であるわたしは受けないわけにはいきませんでした。


ボイコットした一人が、故古今亭志ん五である。

 とにかく1980年11月19日、世間は山口百恵と三浦友和の結婚式に沸くなか、わたしは第一回真打昇進試験を受けました。
 試験場は池袋演芸場。
 持ち時間はひとり二十分で、わたしは『幇間腹』という演目をやりました。客席には会長小さん、副会長馬生をはじめ、理事がずらっと並んでいる。
 舞台へあがっても拍手もなければ笑いもしない、最悪の「お客様」でしたね。
 こんな試験で落されても嫌だな、どうなったかな、と思いながら馬生のお宅へ伺ったら、池波志乃に
 「お父ちゃんが、雲さんよかったって言ってたわよ」
 と言われて、はじめてほっとしました。
 落語に関しては、「なんでもいいんだよ」という師匠でしたから、わたしの落語についてなにか言ったというのを聞いたのは、あとにも先にもこの一度きりです。
 結果、わたしは合格して真打に昇進しました。

 この第一回真打昇進試験の合格者で昭和56年3月に昇進した噺家さんは雲助以外に、さん喬、今松など。

 しかし、この試験もそう長続きはしなかった。
 まず、ご存知のように、昭和58年、立川談志が自分の弟子二人が試験に合格しなかったことから落語協会を脱退する。
 
 そして昭和62年の試験で、とんでもない結果が出た。林家こぶ平(9代目林家正蔵)が合格した一方で、NHKなど多数の受賞歴があり、周囲からもその芸を高く評価されていた古今亭志ん八(後の古今亭右朝)が不合格となったのだ。これには寄席の席亭たちも承服せずに落語協会に強く抗議した。協会は急遽追試を行い、志ん八を合格させたが、これにより真打試験の存在意義が疑問となり試験制度が廃止された。落語協会の新副会長は、真打昇進試験について、複雑な思いがあるはずだ。
 なお、古今亭右朝についてご興味のある方は、以前の記事をご覧のほどを。
2009年4月29日のブログ

 私が、公開の場での真打昇進試験を奨めるのは、このような密室での試験の問題があったからでもある。

 歌舞伎などの伝統芸能、そして相撲などの世界は、閉鎖性、密室性が高く社会から隔絶された世界だからこそ、伝統を継承できてきた側面もある。それは決して悪いことばかりではなく、そうである必然性も歴史もある。

 歌舞伎には家柄という関門がある。相撲には、その体格などにおける基準がある。どちらも、その世界に誰でも入ることができるわけではない。
 さて、落語はどうか。入門希望者を師匠が断わることもあるから師匠の考える基準はあるかもしれない。
 しかし、あの世界に入るための関門は概して高くはない。まさに玉石混交の落語家志願者がいるわけだ。

 年功(年々)序列では、落語という芸能の水準を維持するためにならないばかりではなく、芸も心構えも中途半端な昇進が、本人の人生にとっても良いはずはない。
 何らかの試験という関門によって、落語界全体の水準を保つとともに、適性に欠ける者には、人生における別な選択肢を考える機会を与えるべきだろう。

 それを、どんな時期に、どのような内容や基準で行うかは、決して易しい課題ではないが、何らかのかたちでの通過儀礼は必要だと思う。
 なぜなら、あの密室での第一回試験でさえ、実施した意味はあったではないか。

 それは、何か。
 雲助が、間接的とはいえ、一生で一度師匠馬生からの褒め言葉を聞けたことである。
by kogotokoubei | 2014-07-21 07:04 | 真打 | Comments(4)

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