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噺の話

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2014年 05月 04日 ( 1 )

内幸町ホールでの開催と併せて通算第27回目らしい。昨年6月の深川の会にも来た。2013年6月16日のブログ
 その後の内幸町の会には行けなかったので、米二は約一年ぶり。今回は二人の弟子を引き連れての会で、ネタ出しされていた二席も楽しみだったが、ブログに「大阪京都で好評だった無礼講トーク付きです」とあって、このトークへの期待も、少しはあった。
 ちなみに、二年前が一門全員で同じ深川での会だった。2012年5月26日のブログ
 途中で神保町に立ち寄り掘り出し物を二冊購入。その後、清澄白河へ。この会場の時の楽しみでもある会場近くの小奇麗な古書店に立ち寄り、その隣りの、平日は居酒屋さんで土曜の昼のみラーメン屋さんに変身するKで生ビールと醤油ラーメンの昼食の後に会場へ。一昨年初めて食べて気に入ってたのだが昨年は満員で諦め、高くてまずい深川丼を食べたことを思い出す。

 300席の会場の入りは五分から六分ほどだったろうか。ゴールデンウィークで皆さんいろいろと予定もあるでしょう。会場の空きがなかなかなくて、この時期は空いていたので強開催、というようなことがブログに書いてあったなぁ。

次のような構成だった。
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桂二葉 『子ほめ』
桂二乗 『短命』
桂米二 『代書』
(仲入り)
「無礼講トーク」
桂米二 『三枚起請』
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桂二葉『子ほめ』 (16分 *14:01~)
 アフロヘアーの二番弟子が登場。二年前(『道具屋』)に比べると、さすがに上手くなったと思うし、途中一瞬の絶句が仲入り後のトークでも話題になったが、それすら笑いを誘っていた。この人の得な持ち味だろう。喜いさんが、なんとも元気で可愛気があって結構。東京の女流噺家に小言を書いた後だが、この人は将来大いに楽しみである。

桂二乗『短命』 (23分)
 二年前に感じたことだが、声が良いので聴いていて心地よい。二年前のこの会(『茶の湯』)、その後テレビでNHK新人演芸大賞の高座(『癪の合薬』→東京の『やかんなめ』) を見たが、上方正統派の噺家さんとして順調に歩んでいるように思う。上方にしては大人しすぎるとも言えないことはないが、東も西も無理に笑いをとろうとする噺家さんが多い中で、私は好感を持っている。

桂米二『代書』 (42分)
 パソコンの誤変換や、無筆に関する小咄をいくつかマクラでふって本編へ。
 大師匠四代目米團治作の内容をほぼ忠実にサゲまで演じた。
 だから、次のような複数のお客さんが代書屋を訪れる。

・履歴書を書いてもらいに来た職人風の男、田中彦二郎。
 (今日では、ほとんどこの人のみが登場する型)
・結納の受け取りを書いてもらいに来た、中気で字が書けない書道家。
・渡航証明書を書いてもらいに来た、朝鮮人。
・書道家の家の女子衆(おなごし)が主人に代わって筆代を払いに来て、
 その領収書を書いてもらおうとして、サゲ。

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桂米二著『上方落語十八番でございます』(日経プレミアシリーズ)
 日本経済新聞のNIKKEI NETに七年間連載してきた「京の噺家桂米二でございます」を元に四年前に発行された桂米二の本である。
 この本について書いた記事へのコメントのやりとりから、居残り会仲間のYさんとの交流が始まったのである。今回もYさんにチケットをお願いした。
2010年5月14日のブログ
 さて、この本の『代書』の章からご紹介。作者である大師匠の四代目桂米團冶のあらすじを紹介した後に、このように書かれている。

 この噺、私はいつも原作通りサゲまでやらせてもらっています。ところが後半、朝鮮人が出てくるので差別ととらえられるのか、ここの部分は放送ではなかなか流してもらえません。
 「代書」は作者である四代目米團治の実体験に基づくものです。当時の大阪市東成区役所のすぐ近所で商売をされていました。困っている朝鮮人のためにずいぶん世話を焼いて、表彰されたこともあると聞いています。
 ですから落語の「代書」も差別どころか、代書屋はこの渡航証明が欲しいと言ってきた朝鮮人のために一生懸命書いてあげるのです。商売には違いありませんが、誠意を持って応対しています。内容を聴いてもらったらなんでもないのに、ただ出てくるというだけで問題視されるのは困ったものです。
 そういうこともあるので、私は逆に途中で切って高座を降りることはしないで、できるだけ最後まで聴いていただきたいのです。


 こうした原作への思い入れがあるのだ。おかげで滅多に聴けない米團治→米朝と継承され、形は変えながらも今に残る名作を、しっかりサゲまで聴くことができた。

「無礼講トーク」 (20分)
 仲入り後、三人が登場。二葉が今年の三月で丸三年ということで通いの前座修業は卒業したらしい。修業中に二葉はツィッターで「今から洗い物します」などどつぶやいていたらしいが、二階の師匠からツィッターで「黙ってやれ」との返信があったことを二乗が明かす。米二もなかなかのサイバー人間だからね。これまでの弟子お二人の失敗談なども披露された最後に、「何かご質問は?」とのこと。どうも我らがリーダーSさんと私の二人のみ手を挙げたようだ。
 Sさんが私も聞きたかった二葉のヘアースタイルのことを質問されたので、私は弟子の二人がなぜ米二師匠を選んだかを聞いてみた。二葉の答えがなんとも笑わせてくれた。

桂米二『三枚起請』  (40分 *~16:37)
 この噺も多くの東京落語と同様、元は上方。初代三遊亭円右が東京に持ち帰ったと言われている。噺の基本的な筋書は東西で変わらないが、花魁に起請文を貰った可愛そうな三人組の関係は次のようになっている。なお東京版は志ん朝の音源を元にしている。

[東京版]                 [上方版]
唐物(とうぶつ)屋の亥のさん     下駄屋の喜六
経師屋の清公              指物屋の清八
棟梁                    仏壇屋の源兵衛

 三人に起請文を大安売りした花魁は、東京版では“新吉原江戸丁二丁目朝日楼内喜瀬川こと本名中山みつ”、上方版は “(難波新地)宇津木見世小輝こと本名たね”である。
 この小輝が書く起請文が、かなばかりで読みにくいこと。加えて喜六に書いたものは「あなた」の「な」と「ふうふ」の「う」が抜けているというしろもの。
 上方落語のことでしばしばお世話になる「世紀末亭」さんの「上方落語メモ」から米朝版を引用。最初の喜六が源兵衛に起請文を見せる場面。
「世紀末亭」さんのサイトの該当ページ

喜六 肌身離さず持ってんねや
源兵衛 ちょっと見せぇちゅうねん
喜六 これ、あだやおろそかに扱こぉてもろたら困るぞ
源兵衛 大層に言ぃないな……。えらい字ぃやなぁまた「ひとつてんはつきしやうもんのこと……」よぉ書きよったなぁ、仮名ばっかりで、ミミズ這ぉたよぉな字やで「わたくしことねんあけさふらへば」か、候やみななぁ漢字で書いといてもらえ。ちょぼ一つ打ったかて候になんねや「さふらへば」て読みにくぅてしゃ~ない。「あたさまと……」何や、この「あたさま」ちゅうのわ?
喜六 「あなた」の「な」が抜けたぁんねん
源兵衛 肝心なとこ抜いてもらいなやおい「あなたさまとふふに……」「ふふ」て何や?
喜六 「ふうふ」の「う」が抜けたぁる
源兵衛 ぎょ~さん抜けたぁんねやなぁ「ふうふになりさふらうことじつしやうなり……」ごじつのためよってくだんのごとし」うワァ~ッ、立派に書きよったなぁ「げたやきろくさま……」こんな商売書いてもらいなやおい。これがなぁ友 禅屋とか、小間物屋とかやったらまぁ粋(すい)なけども、下駄屋喜六様ちゅな色気がなさ過ぎるやないかお前。「うつぎみせこてることほんみやうたね」本名付きやなぁ。


 この後に源兵衛が「な」と「う」の抜けのない、くしゃくしゃの起請文を喜六に見せる。その二人のところに清八がやって来て、小輝から頼まれた二十両をこしらえるための妹を巻き込んだ苦労話を芝居がかりで披露する。ただし、清八は喜六の証文を読み上げた後で、急いで自分の起請を取り出して読み上げるので、このあたりはやや慌しい。そういったこともあり、終演後の居残り会で、ちょっとした疑問が提示されることになるのだった。
 私は関西で学生時代を過ごしたこともあり、こういう上方の言葉に抵抗がない。それどころか、なんとも柔らかい言葉のやりとりが好きだ。
 ほぼ同じ構成の噺でも東西で味わいは異なるし、もちろん噺家さんによっても百人百通り。加えて、同じ噺家さんでもその都度工夫を加えたり体調のせいもあり、違っている。だから落語は楽しいのだ。

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『落語の鑑賞201』延広真治編(新書館)

 延広真治編集二村文人・中込重明著『落語の鑑賞201』(2002年9月5日初版発行)には次のような説明がある。

 上方落語で、東京には初代三遊亭円右が移したと言われている。東京では吉原だが、大坂では難波新地が舞台になっている。桂松光の『風流昔噺』(万延元・1860)には,「三まいぎしょう 但しわたしやからすとむこずらじや」とある。「むこずら」とは、ここでは恋敵の意味になる。喜久亭寿暁の『滑稽集』(文化六・1809成立・写)の中に、「北国三人壱座」とあるのが、この咄を指していると思われる。

 
 なるほど、仲の良い三人組だから、彼らの共通の敵が花魁ということで復讐することになったが、それぞれが「おれが間夫(まぶ)」と思っていたら、恋敵同士での喧嘩になっても不思議ではない。
 それにしても、“幻の二代目円朝”である初代円右が上方から移した、ということと、円右より古い東京の噺家である喜久亭寿暁のネタ帳とも言える「滑稽集」にこの噺がある、ということが矛盾している。きっと、上方で普及していたネタを寿暁が個人的に演じていたが他の噺家に普及するに至らず、円右が高座にかけることで東京でも広まった、ということなのだろう。
 かな釘流の起請文での笑いを挟む本家上方版、なかなか結構な高座だった。


 終演後は、我らがリーダーSさん、米二のメル友でもあるYさん、そして日本と世界をダイナミックに飛び回るスーパーレディI女史とのよったりで、門前仲町まで散歩。深川はとにかくお寺が多い。なかでも法華さんが集中している印象だ。お昼にラーメンをいただいたKのご主人も、このあたりはほとんどがお寺の借地とおっしゃっていたなぁ。少し遠回りはしたがSさんが当たりをつけて電話で予約してくれていた赤札堂近くの居酒屋Yで居残り会である。

 会津若松出身のご主人と奥さん二人で切り盛りする、カウンターのみ六席のお店。昨年八月に初孫が生まれたらしい。開店から十七年になるとのこと。初めて見たとんでもなく大きな熊本の赤茄子を焼いてもらい鰹節と醤油で食べたら、なんともジューシーで旨いこと。もつ煮込みやら牡蠣フライ、瓜の漬物などなどすべてが結構。会津の地酒との相性もピッタリで、短い時間ながら十分に満足。
 もちろん落語の話も美味しい肴だったが、途中でSさんから、『三枚起請』で何か言い間違いがあったのではないか、とのご指摘。私は気がつかなかったが、もしかすると、起請文のあて先の名前で何かあったのかもしれない、と思っていた。この疑問は翌日もメールで論議(?)の的だったが、まぁ、これ以上は記憶も戻りそうにない^^

 帰宅してからはちょうど世界卓球女子、準々決勝の日本対オランダ戦。連れ合いとビールをちびちびやりながら、つい最終戦まで見た。平野の一戦を見ながら「これは最終戦だな」とは思っていた。石川が二勝してから追いつかれた時は「これはまずいかな」と思ったのだが、よく勝った。結構良い気持ちのまま風呂へ入って爆睡だった。
by kogotokoubei | 2014-05-04 16:42 | 寄席・落語会 | Comments(4)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛