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噺の話

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2014年 03月 05日 ( 1 )

 昨日の『ずっこけ』というネタの記事の中で、三年ほど前の桂文生の高座のことを書いた。

 文生は、桂文朝、桂南喬と一緒に、昭和59年に落語芸術協会を脱退し、落語協会に入った人である。

 なぜ、そんなことが起こったのか・・・・・・。

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吉川潮著『戦後落語史』(新潮新書)

 ご存知の方も多いとは思うが、あえて芸協と鈴本との関係について書いてみたい。

 吉川潮著『戦後落語史』から引用。この本、著者が立川流の顧問であるため、立川流にやや肩入れ気味ではある。それは仕方のないこととして目をつぶり、戦後の東京の落語界の歴史を知るにはそれほど悪い本ではない。

 落語会の後の我らが居残り会では、奥さんへの嫉妬(?)もあって、伊集院静と同様、この人は評判が悪い^^

 さて、昭和59年に、何があったのか。
 池袋演芸場を除く三軒の寄席は、両協会が十日ごとに交互で興行を行う慣わしだった。ところが五十九年三月、鈴本の席亭、鈴木肇から「両協会の観客動員に開きがあり過ぎるので、芸術協会の興行に限り半数は落語協会の落語家を出す実質的合同公演にしたい」との提案があった。つまり、落語協会より芸術協会の興行は入りが悪いので、てこ入れ策として落語協会の落語家の出番を大幅に増やすということだ。

 2011年末、末広亭の席亭が芸術協会の納会で似たようなことを言った。ブログで紹介した朝日の記事から少し抜粋する。
2012年1月27日のブログ
---朝日新聞2012年1月26日の記事抜粋--------------------
真山社長は「具体的な数字をあげることは避けるが、芸術協会の時は客が入らない。所属の落語家の数も落語協会の半分で選択肢が狭い。なんとか考えて欲しいという問題提起をしたつもり」と話す。

 その後、芸協は円楽一門とが相談したようで、一時、円楽グループの客演による番組構成などもあったが、今では通常の芸協の番組が組まれている。

 桂宮治のNHKの優勝など、実力のある若手も育ってきたこともあり、今では芸協の席でも、客の入りが増えてきているのだと思う。私がよく行く土曜の昼席の入りは悪くない。何と言っても色物が落語協会より総合力で上だと思う。

 昭和59年の鈴本との間では、末広亭との関係のようには収まらなかった。
 六月二十六日、芸術協会が鈴本に出した要望書は、「落語協会からの応援は三人までで理事以上とする」、「出演料は芸術協会が鈴本から支払いを受け、それを落語協会の出演者にワリ(定席における出演料のソステム)で支払う」。「これらが受け入れられなければ芸術協会としては鈴本への出演を辞退する」というものだった。つまり条件を飲まなければボイコットすると表明したのだ。

 この後、芸協は米丸会長以下、末広亭を借り切って臨時総会を開いた。
 米丸会長が経過説明し、柳昇副会長以下、十六名の理事全員が発言。会員の意見は鈴本批判が大勢を占めた。そして、観客動員減少という問題の本質をはずし、感情論でボイコット決議に走ってしまった。米丸会長は、「皆がここまで結束してくれてほっとした」と言ったらしいが、反対意見を言いたくとも言えない者がいたことまで考えが及ばない。
 芸協の姿勢に鈴本が折れることはなく、結果として、昭和59年の八月下席を最後に芸協の鈴本への出演はない。

 そして、末広亭での会合では、とても言い出しにくかった三人が、芸協を去る日がやってくる。
 そんなあわただしい師走、芸術協会の中堅真打、文朝、文生、南喬が同時に脱会届けを出した。三人は鈴本の席亭に買われていて、鈴本の出演回数が多かった。恩ある鈴本に忠義を尽くしたわけで、落語協会は翌年一月一日付けをもって正式に「客分扱い」として鈴本に出演させると表明。いずれは正式な会員となる確約があったようだ。
 柳昇は三人を「裏切り者」と非難し、「私の眼の黒いうちは絶対許さない」と怒りをあらわにした。

 “客分扱い”など、まるでヤクザの世界^^

 とにかく、昭和59年に芸協と鈴本の協議(?)が物別れになり、それから三十年もたっているのだ。

 
 芸協と鈴本が、最近になって何らかの協議をしているという情報はない。

 鈴本はいち早く、消費税アップに伴い、四月からの木戸銭の改訂(値上げ)を決めたようだが、シニア割引の廃止など、私には理解しにくい内容だ。昼夜の入替え制であり、末広亭のような「友の会」制度もない。

 私は、鈴本の姿勢に疑問を感じている。私も、たまに“上から目線”“偉そうに”などと批判されることがあって、時には反省することもある(本当だよ!)。

 鈴本からも、ちょっと“上から目線”的で閉鎖的な印象を受けなくもない。もう少し大らかなところを見せてもらいたいものだ。六代目席亭には、まだ芸協を許せないという思いが残っているのだろうか。

 今、芸協は鈴本に頼らなくても活動の場には困らないかもしれない。鈴本も、落語協会だけで十分に番組が組めるかもしれない。
 しかし、あれから三十年、である。たとえば、上席、中席、下席のどれか一つだけでも十日間を芸協が受け持つなど、落語界全体を見据えた上での、歩み寄りがあってもよいのではなかろうか。東京の定席は国立を含めたって、たった五つしかないのだ。
 
 当時の芸協会長の米丸は健在だが、相手は代替わりしている。米丸の鈴本への恨みは深いだろうが、果たしてこのままでいいのか・・・・・・。

 客の立場で言わせてもらうなら、私は鈴本で、小柳枝や寿輔、宮治そしてボンボンブラザースなどによる芸協の定席をせひ見たいし、聴きたい。
 
 季節もそろそろ雪融けである。ぜひ、三十年を機に、この芸協と鈴本との間の氷壁が融けて欲しいと願う。
by kogotokoubei | 2014-03-05 20:32 | 落語芸術協会 | Comments(4)

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