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噺の話

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2013年 05月 09日 ( 1 )

 昨年11月以来の銀座の喜多八の会。当日券の案内がエレベーター脇に貼られていたが、たしかに、これまでに比べて空席が目立った。それでも八割以上は埋まっていたように思う。結構真ん中あたりでまとまった空席があったのは、団体さんでのドタキャンか・・・・・・。受付で配布されたチラシの束の中に過去のネタ一覧があったのは、悪くないなサービスだ。
 そして、開演前と仲入りのBGMも良かった。曲名を書くと差しさわりがある(白酒が言っていたのだが、ブログで落語会のBGMの曲名が書かれているのを見つけ、JASRACから問合せがあったらしい)ので、私が好きなあのテレビの時代劇のエンディングテーマ、とだけ書くことにしよう。

次のような構成だった。
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(開口一番 瀧川鯉八 新作)
柳家喜多八 『唖の釣り』
柳家喜多八 『三人旅-びっこ馬-』
(仲入り)
太田その&松本優子 唄と三味線
柳家喜多八 『猫の災難』 
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瀧川鯉八 マクラと新作 (19:01-19:19)
 主催者から三か月前に、「喜多八師匠のご指名で」と開口一番役の依頼があったが、一度も高座を聞かれたことはないはずで、鯉昇一門の他の弟子と間違ったのでは、と思った云々のマクラから、妙に無駄な間のある新作を二席。本当に間違ったのかどうかは分からないが、喜多八は師匠鯉昇から「不思議な男」で「ホームランか三振か」と聞いていたようだが、いわばこの高座は三球三振。この人、不思議な魅力はあるのだが、そろそろそういったイメージに頼るような姿勢を正す必要があるだろう。いくら“フラ”があるなどと言われたところで、基本ができて、それからなのだから。分かりにくさと不気味さの漂う高座だった。しかし、それでも笑ってくれるゲラ子さんゲラ男さんが多かったなぁ。

柳家喜多八『唖の釣り』 (19:20-19:43)
 マクラで鯉八のことを少し語って、寄席ではなかなかできない噺と二席目のマクラで語ったこの噺へ。
 内容は、これぞ生の高座でしか味わえない「見る」高座を、顔の表情や仕草で表現たっぷりに演じて会場が笑いの渦となった。特に最後のヤマ、七兵衛が表情と手振りで寛永寺の寺侍に池で鯉を釣っている理由を説明する場面は秀逸。
 元は上方ネタで八代目正蔵が二代目桂三木助から伝授されて移植したらしいが、当初から「不忍池」と言わず、「寛永寺の池」と言っていたようで、喜多八も踏襲した。なぜ「不忍池」と明確に言わないのかは勉強不足で不明。大阪は天王寺の池だが、寛永寺の池には、しっかりとした名前があるのだから固有名詞でもよいように思う。

柳家喜多八『三人旅-びっこ馬-』 (19:44-20:07)
 いったん下がって、羽織を脱いだまま再登場。師匠小三治から三席ほど稽古をつけてもらった頃、「そろそろ脇へ行っていい」と言われ、他の師匠に稽古をしてもらうようになった、とのこと。この噺は金原亭馬好から伝授されたようだ。さすがに談志に習いに行こうとは喜多八も思わなかったということか。
 喜多八の田舎言葉は、結構好きだ。馬方が江戸っ子(馬方に言わせれば「いどの人」)をからかうところに、このネタの楽しさがあるが、主従逆転の趣があって好きだ。馬方の唄「馬は豆は好き 馬子は酒が好き 乗せたお客様は女郎が好き」も、何とも可笑しかった。
 一席目、二席目と寄席ではなかなか出来にくい噺が続いた。三席目のマクラで、「なかなか寄席では難しいん多ですが、昔習ったものですから、まぁいいかとやってみました」とのこと。言いでしょう、これも落語。だから、詳しい筋書を書こうとすると、いわゆる“放送禁止用語”が並ぶことになる。ぜひ、いつもお世話になる「落語の舞台を歩く」のサイトでご確認のほどを。談志家元の内容を元に、下記のような馬方の符牒なども説明してくれている。
「落語の舞台を歩く」サイトの該当ページ

■符丁;ヤミ=3、(闇とも)陰暦の月の三十日は闇夜なので、3・30・300などの数。
    ジバ=2、かごかき、馬方の符牒で、2をいう。20、200などの数。
 では、1~10までを馬方は、1=おじ、2=じば、3=やみ、4=だり、5=げんこ、6=ろんじ、7=せえなん、8=ばんどお、9=きわ、10=どて。業界隠語ですが、地方によっても変わってきます。


 駕籠かきもほぼ同じ符丁のようだが、「やみ」=「3」は、旧暦で暮らしていたからこその符牒である。だから、知っておくと落語の愉しみも増えるのだよ、旧暦は。

太田その&松本優子 唄と三味線「寄席の一日」 (20:23-20:42)
 このお二人は、二年前の秋(11月7日)の会でも登場していた。
2011年11月8日のブログ
 「昔の寄席の一日を体験していただきましょう」と、いつもは御簾の内で高座を支えているお二人が結構な唄と三味線を聴かせてくれた。
 登場した出囃子は次のような内容だった。五代目志ん生親子三人の出囃子が入ったのが嬉しかった。
 ○前座の上がり
 ○老松(志ん朝)→天国ではまだ二ツ目でしょうとこの順。少し涙腺がゆるんだ・・・・・・。
 ○武蔵名物(十代目文治)
 □序の舞(五代目小さん)
 □琉球節(先代、当代の林家正楽)
 □勧進帳(紙切りで弁慶の場合)
 △藤娘(同様紙切りのBGM)
  *○が二上がり、□が本調子、△が三下がり、と説明あり。ほう、そうなんだ・・・・・・。
   まったく素養のない私は、ただ、頷くのみ^^
 ・おいとこ(四代目柳好)
 ・鞍馬(馬生)→馬生一門に断りもなく談春が使っているのは、礼を失しているぞ!
 ・一丁入り(志ん生)
 この後、“ひざ”が太神楽の場合のいくつかの曲を披露。「数え唄」の寄席版、よく聴く。
 撥(ばち)の組どりの曲は、「米洗い~きぬた~千鳥」と三つをつないでくれた。これもよく聴く。
 二人でしっかり息も合って達者なもんですなぁ。
 さて、トリは、とふって特定の誰かの出囃子をやると差しさわりがある、と言って「皆さんでお好きな方の出囃子を想像してください」とのことで、「中の舞」を弾くことなく締めた。贅沢な顔ぶれの結構な「寄席の一日」でした。

柳家喜多八『猫の災難』 (20:43-21:20)
 寄席の十日間は、どうしても呑んでしまう。楽屋で臭いにおいの噺家に「お前、酒が残っているよ」「えっ、どこに」(と辺りを探す)というネタは、リアルで可笑しかった。昔は酒屋によって出す酒も違っていたなどのマクラからネタ出しされていた三席目へ。
 柳家伝統のネタ。これまた上方がルーツで三代目小さんが東京へ移植。ちなみに志ん生は『犬の災難』に替えて演じており、先日白酒で聴いた。今後、古今亭は“犬”ということになるのかどうか。柳家はもちろん“猫”で継承されているが、権太楼も聴いたことがあるが、私は四年半近く前、今はなき前進座で聴いた小三治の高座が、未だに忘れられない。
2008年11月1日のブログ
 特に“下戸”の小三治が、なぜこんなに酒飲みを見事に演じることができるのか、と衝撃を受けたのだった。三代目小さんも下戸だったらしい。配布されたプログラムの裏に、落語作家の本田久作が書いている。

三代目は手銭で目下の者に奢り、酔っていくさまを観察したという。喜多八の私淑する三代目の悪口は言いたくないが、これはあまり趣味のよい酒ではない。共に飲み、共に酔い、共に方言し、共に恥をかくのが酒なのに、下戸にはその機微が分からないのだ。大方、酒を毒か何かだと思っているのだろう。三代目を天才と絶賛した漱石も下戸で、だからなのか、吾輩の猫は酔っ払って溺死した、と書いている。


 この部分はなかなか楽しい。お題が“「ねこさい」と「やなきた」”とついており、落語通はこの噺を縮めて「ねこさい」と呼ぶらしいとあるが、私はそんな呼び方はしたくない。何でも縮めて言う傾向が嫌いだ。
 ただし、この日の開演前のロビーで、常連と思しきお客さん同士の会話の中で「ねこさい」と言っているのを耳にした・・・・・・。

 さて、喜多八の高座。ご本人には誠に申し訳ないのだが、どうしても師匠小三治と比べてしまう。熊五郎の酔い方も悪くはない。畳にこぼしてから「歯のすき間から吸い出すか」とスーッスーやるクスグリもなかなか楽しい。しかし、そこには、本当に酔っ払った喜多八が見えており、熊五郎には見えないのだ。
 どうも、上戸より下戸の方が酔っぱらいの演技が上手い、という説は成り立ちそうだ。それは、酒の席で冷静に酔っ払いを観察することができるからなのだろう。上戸は、周囲が酔っている時は、自分自身もそうなっているのだから、観察されることはあっても逆は難しい、ということだろう。きっと。


 この日の三席、「鯉」「馬」「猫」と言う動物シリーズとも言えるが、三席目を動物虐待ネタと解釈すれば、別な言い方もできるかもしれない。しかし、思うにネタ出しされた『猫の災難』のみ予め決めておいて、残る二席は三席目との関係性はなく、一席目と二席目の関連を意識して選んだような気がする。それにしてもこの会は、結構ゲラさんや、チラシめくりオジサンがいて、ノイジーな雰囲気なのが気になるなぁ。
 終演後、真っ直ぐに帰ればいいものを、つい喜多八の高座に刺激され、新橋駅前の居酒屋に一人で入ってしまった。いわば、一人居残り会。炙り〆鯖と烏賊の塩辛なんぞで広島の地酒をやって帰ると、帰宅は日付変更線を回る直前になった。締めのビールが欲しくなり連れ合いと呑んでいるうちに日付変更線も越え、ブログをつけ始めたのだが寝る前に書き終わることはなかった。今朝、猫が〆鯖をくわえて私の顔をひっかいていった夢を見たのは、一緒に寝ている愛犬が「起きろ」とばかりに私の顔の上に乗っかったからに違いない。
by kogotokoubei | 2013-05-09 00:15 | 寄席・落語会 | Comments(2)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛