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噺の話

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2013年 03月 26日 ( 1 )

一昨年は、震災直前の3月1日に池袋で開催だったことを、思い出す。芸術劇場の改装後も昨年同様に国立演芸場での開催となった。会場は七分ほどの入り。何とも言えない気持ちだ。チケットが取りにくくなっては欲しくないが、もう少し入って欲しい、という複雑な思い。

 前回までは、過去のネタがプログラムに記載されていたが、今回はなかったなぁ。
 昨年のブログを元に、過去五回の演目を並べてみる。2012年3月28日のブログ

①平成20年3月15日 花見酒・雪とん・三十石
②平成21年4月 1日 百年目・柳田格之進
③平成22年4月 5日 雪てん・青の別れ・花見の仇討
④平成23年3月 1日 盃の殿様・夢金・景清 
⑤平成24年3月27日 花見小僧・刀屋・しじみ売り

 昨年の『しじみ売り』は良かったなぁ。一昨年は、三席とも素晴らしかった。

 さて、今回は、どんな「雪月花」で楽しませてくれるのかを楽しみに隼町へ。

 次のような構成だった。
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開口一番 柳亭市弥『高砂や』
柳家小満ん 『崇徳院』
柳家小満ん 『ねぎまの殿様』
(仲入り)
柳家小満ん 『佃祭り』
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柳亭市弥『高砂や』 (19:00-19:16)
 1月の月例三三の開口一番以来だが、ネタも同じなら、マクラもほぼ一緒。しかし、イイノホールの三三ファンよりは、暖かい笑いと拍手があった。小満んファンは懐が深い^^

柳家小満ん『崇徳院』 (19:17-19:43)
 マクラもそこそこに本編へ。とにかく、熊さんが絶品。随所に江戸の職人ならではに科白が巧みに挟まれていた。若旦那の病が恋患いと知り、笑わない約束なのに大笑いした後の科白、「そんな古風な病をどこで背負い込んできました」などが、まさにサマになる。また、「崇徳院」を「人喰い」と言ったり、若旦那も旦那も美人のことを「水もたれるような」と表現するのだが、熊が「あ、それそれ水たれ女」とまぜっ返すのも可笑しい。
 若旦那が一目惚れした謎の女性を、床屋や湯屋を探し歩いている場面で、空いている床屋から帰ろうとする熊を呼び止めるのに対し、「混んでいる所、つっかえている所を探して歩いている」と言うと、床屋が「どぶ掃除みたいな人だね」も効いている。
 この噺は、初代桂文治作なので、もちろん上方がルーツ。上方版では、若旦那と“水たれ女”お嬢さんとの出会いは高津(『高津の富』の舞台でもある)や生玉明神で、別れ際にお嬢さん自らが「瀬をはやみ~」の句を書いて若旦那に渡す。東京版になった時に誰かが創作したのだろうか、小満んは、上野の清水様の桜の枝に結んでいた短冊が、ちょうど落ちてきたのをお嬢さんが拾って渡す、と変えている。このへんは好みもあるのだが、私は、自ら書くほうが好きだ。そこに、女性の若旦那への「謎かけ」を含む意思表示が明確に表れていると思うからだ。しかし、そういった女性の出すぎた行為よりも、偶然短冊が落ちてきた、という“縁(えにし)”の方に軍配を上げる人も、もちろんいるだろう。どちらも、よく出来た演出だとは思う。ちなみに志ん朝など古今亭は、お嬢さんが自ら短冊に書く上方の本来の演出。小満んは、積極的な女性像を描くより、桜がとりもつ“縁”を重視したように思う。
 もっと細かな東西の違いを言うなら、小満んはお嬢さんが落として若旦那が拾うのが「塩瀬の茶袱紗」としているが、たとえば昨年八月にJAL名人会で聴いた笑福亭松鶴の渾身のこの噺でもそうだったが、上方は“緋”」塩瀬の茶袱紗である、「緋」の一言で鮮やかな袱紗の色が浮かぶ分だけ、上方版に軍配を上げたい。ホントに些細な違いで、「重箱の隅」つつきと言われそう^^
 サゲは、熊さんのお嬢さん陣営の親方の喧嘩で鏡が割れて地口、というスタイルではなく、「こうやって一対の若い夫婦ができあがるという、崇徳院というお噺・・・・・・」で締めた。
 江戸っ子職人熊さんの粋な科白などを含め、「雪月花」の「花」を彩る噺は、非常に楽しかった。

柳家小満ん『ねぎまの殿様』 (19:44-20:04)
 次は大名のお噺で、と「カタカナのトの字に一の付けようで、上になったり下になったり」ときたから、「えっ、金馬の定番のマクラで『目黒のさんま』か?」と早とちりした。
 短いマクラから入った本編は、「雪月花」の「雪」に相当する噺。本郷のお殿様、降り出した雪を見て、「雪見じゃ!」と三太夫を供に馬で外出。三太夫さんも大変だ。湯島切通しの坂をジグザグに「つづら降り」し、下谷広小路に来ると、いろんな店や屋台が並ぶ。「煮売屋」から旨そうな匂いがするので、殿様、下馬して入っていった。実際には、江戸時代にあり得ない話だけど、そこが落語。町人が旨そうに食べているものは何かと店の若い衆に尋ねると、早口で「ねぎま」と言うので、殿様には「にゃー」としか聞こえない。その「にゃー」を注文し、酒は「ダリか三六か」と聞かれるので、当てずっぽうでダリを頼む。このダリ、終演後の居残り会で、「ダリって何だったっけ」と、ちょっとだけ話題になった。帰宅の電車の中で思い出した。四を表す寿司家の符牒だったなぁ。だから、一合四十文の灘の生一本か、三十六文の並の酒か、と殿様は聞かれたわけだ。滅多に飲まない熱燗の酒と、豪快に油ぎったねぎまで良い気分になってご帰還の殿様。
 次の日の昼食時、御膳番に「にゃー」を所望する。朝、晩は殿様と言えども好きなものを食べることはできないが、昼だけは何か食べたいものを希望してよかった、とのこと。案外、殿様も楽ではない。御膳番は「にゃー」が分かるはずもなく、三太夫に聞いてそれが「ねぎま」と判明。さて、どうやって作ろうと、いうことになってここからは、『目黒のさんま』とほぼ同じような筋書となる。
 「煮売屋」でアツアツのネギを食べて中の芯が口で飛び出し、店の若い衆に「ネギ鉄砲」と教わった殿様が、屋敷で食べた後で、「ネギは種子島にかぎるぞ」が可笑しかったが、それがサゲではないので、念のため。

柳家小満ん『佃祭り』 (20:16-20:55)
 日本の四季は「かかかっか」と四つの「か」で表すことができる、という話から。花の“か”、瓜の“か”、水果(果物)の“か”、そして火の“か”、ということから、果物の中でも梨のことを縁起で「ありの実」と昔は呼んで、歯痛のまじないで、梨を川に流し戸隠さまに願をかけた、というサゲのための大切な解説。もちろん、佃島の由来も、昔は旧暦六月の晦日の開催だった、なども説明し本編へ。
 ここで、「おや、花、雪、の次の月は六月晦日の新月か・・・・・・」と首をひねねったが、さすがに小満ん、最後にしっかり「月」を見せてくれた。

 この噺は、相当前に書いたことがあるので、その内容を元に小満ん版にて筋書を紹介。2008年8月9日のブログ

(1)神田お玉ケ池の小間物屋の主、次郎兵衛さんは、大の祭り好き。今日もやきもち焼きの女将さんに「どうせお祭りが白粉(おしろい)つけて待っているんでしょう」などと言われながらも佃祭りに出かけた。

(2)祭りを楽しみ、目一杯帰りの乗客を乗せた暮れ六つの終い船で帰ろうと船に足を踏み出した次郎兵衛さんの袖を引く女がいた。次郎兵衛さんが女に引き止められているうちに船は出てしまう。しょうがなく女の話を聞いたところ、実は三年前に奉公先の主人の金三両(五両とする場合もある)を盗まれ、橋(本所の一つ目の橋、とか吾妻橋など設定はいろいろ)から身を投げようとしたところを助けたのが次郎兵衛さんだった。女は結婚して佃に住んでいるので、ぜひ寄って欲しいと懇願する。連れあいが船頭なので、後でお送りすると言われ、ほっとして家を訪ねる次郎兵衛さん。

(3)女の家で次郎兵衛さんが一杯ご馳走になっていると、急に外が騒がしくなってきた。なんと終い船が沈んで岸は死体の山になっているとのこと。三年前に命を救った女に、今度は次郎兵衛さんが助けられたわけだ。女の連れあいが次郎兵衛さんに挨拶に立ち寄ったが、船を出すのは騒動がおさまってからになるので、家でゆっくりしていってくれと言われ、腰を落ち着けてご馳走になる次郎兵衛さん。

(4)一方、神田の次郎兵衛さんの家で帰りを待つ女将さんに、終い船が沈没したとの伝聞が届く。どうも一人も助からなかったらしいという噂に泣き崩れるおかみさん。はっきりしない伝聞ではあるが、次郎兵衛さんが死んだらしい・・・・・とのことで弔問客でごったがえす。中には、とんちんかんな悔やみを言う者もいるが、とにかく早桶も届き坊さんも駆けつけて通夜が始まった。若い衆は、次郎兵衛さんの遺体をひきとにり行くにあたって、おかみさんに次郎兵衛さんの衣装や体の特徴を聞いたところ、次郎兵衛さんの二の腕におかみさんの名前(小満んの場合は、「お玉いのち」)が彫ってあるとのこと。「なんとも、ごちそうさまで」と出かけていく。

(5)すっかりご馳走になり明け方に船で神田川まで送ってもらった次郎兵衛さん。ご機嫌で家に帰ってきたが、家では弔いの最中。「おやっ、簾が裏返しになって“忌中”って、誰が死んだんだ。お袋か。かかぁか・・・・・・」と家の中に入って、居並ぶ弔問の者たちが「幽霊!」、という大騒動。

(6)次郎兵衛さんにいきさつを聞いたご一同、坊さんに若い衆があやまるが、坊さんいわく。「けっこうけっこう。因果応報と言いましてな。次郎兵衛さんが三両の金で若い女の人を助けた。だから今日んなって、その三両のために、こんどは自分の命を買うようになったのです。人を助けるということは、みんな自分の身にかえってくることでございます。情けは人のためならず、今日は私が次郎兵衛さんから有り難いご法話をいただいたようなもの」と場を締めた。

(7)さて、この話を聞いていたのが与太郎。「身投げを助けて三両やれば、自分が死なねぇですむ」とばかり三両を都合して、毎日、ほうぼうの橋に身投げを探しだした。
 なかなか身投げに出会わない与太郎だったが、旧暦九月の十三夜(出た「月!」)、永代橋に若い女の姿。目に一杯の涙をため手を合わせている。与太郎、ここぞとばかりうしろから抱きついて「待ってくれ。三両の金がねえために、身を投げるんだろう。おれが三両やるから、待ちねえ」」と止めにかかったが、女の言い分はこうだった。「あたしはね、歯が痛いから、戸隠さまへ願をかけているんだよ。」与太郎が「うそぉつきやがれ、え、懐に石があらあ」女の言葉がサゲとなる「これは戸隠様に納める梨だよぉ」。

 小満んの高座が好きな理由の一つは、現役の噺家さんの中で、もっとも登場人物の衣装の描写がしっかりしていて、またサマになることだ。たとえば、(4)で次郎兵衛さんの衣装を細かく確認する場面で、女房のお玉さんから、次のようなものが並ぶ。

「白薩摩の絣に茶献上の五分づめの帯、透綾(すきや)の 羽織に、扇子と煙草入れを腰へ差し、白木ののめりの下駄に柾が三本通っています」 

 この内容は、近所の若い衆が、すぐ後で再確認するため繰り返す。このあたりは、かつての志ん生や三代目三遊亭金馬の芸を継承する稀有な噺家さんだと思う。ちなみに、この噺を十八番にしていた金馬の場合は、薩摩の蚊飛白(かがすり)となっている。これまた渋い。
 この季節でのこの噺ということで、やや無理は承知での「月」のお題だったのだろう。結構でした。


 短いマクラからの三席。当初の時間配分は25分、20分、40分で、ほぼ予定通り演じたのだろう。

 この三席、よく考えると(考えなくても)最初の師匠文楽の十八番は、一席もない。そして、二人目の師匠五代目小さんの柳家の典型的な十八番もない。
 『崇徳院』は三木助、そして志ん生、馬生、志ん朝親子が代表的だろう。『ねぎまの殿様』は、何と言っても五代目古今亭今輔。そして、『佃祭り』は前述した金馬、そして、これまた古今亭の十八番と言える。
 これを、そろそろネタ選びがきつくなってきた、と見るか、文楽や小さんという師匠のネタに依存しない豊富な持ちネタ、と考えるか、微妙ではある。

 終演後はレギュラー四名での楽しい楽しい「居残り会」。落語ブログを介して知り合った年代も少しづつ違う三人が、「今後も、居残り会」として続けましょう、と会の名前を決め、落語愛好会としての絆を誓った(?)、平河町のあの店へ。残念ながら“ねぎま”はなかったが、“塩ちゃんこ”が誠に結構でした。
 話が弾み、二合の“ダリ”が瞬く間に空いていく。りーダーSさんは、「今日は、四季のすべてがあったね」とご指摘。なるほど、『崇徳院』の春、『ねぎまの殿様』の冬、そして『佃祭り』の夏から秋、と四季が揃っていた。そうか、だから、マクラで「かかかっか」だったのか、ということはないよね^^
 他にも話題はとどまらず、落語のこと、相撲のこと、紅一点Iさんの旅行の土産話などなど、もっと時間が欲しい、と思いながらお開きしたのが11時を少し過ぎたから、もちろん帰宅は日付変更線越えであった。

 一日たってみて、あらためて、小満んの会は良かったと思う。際立った一席はなかたっが、全体的に江戸の香りがして、江戸の四季があった。名人である二人の師匠からにとどまらず、昭和の名人達の芸をしっかり継承している稀有な噺家さんであることは、間違いがない。
by kogotokoubei | 2013-03-26 07:30 | 寄席・落語会 | Comments(6)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


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