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噺の話

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2012年 10月 15日 ( 1 )

古今亭圓菊の訃報に接し、昨夜はこの本を読みながら、ついジーンときていた。

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古今亭圓菊『背中の志ん生-師匠と歩いた二十年-』(うなぎ書房)

 この表紙の写真の圓菊の若いこと・・・・・・。

 昨夜、いろいろ思うことのあった部分を引用したい。「第四章 お前はもう大丈夫だから」から。

 師匠が亡くなったのは昭和四十八年(1973)九月二十一日午前十一時三十分。
 亡くなる三日ばかり前に会いに行って、師匠はもう、起きられないっていう状態だった。おかあさんはもう先に亡くなっていて、家で、お姉さんもいて、
「師匠、二、三日したら大須(名古屋・大須演芸場)に出て、演らせてもらいます」
 っていったら、ちいさな声で、
「ああ、そうかー。大須の社長に、俺もこんど出るからって、そういっといてくれ」
 なんてことをいって、こりゃ、ちょっとおかしいなアとおもったんですけど、布団のなかに寝てて、
「お前はもう大丈夫だから」
 って、起き上がって、自分の腕をポンポンと叩いて、そういってくれたんですよ。
 いままで、
「もう、こいつは・・・・・・」
 なんていわれているなかで、お前はもう大丈夫だよといわれたたら、本当に夢みたいな話ですよね。
「ああ、よかったなア」
 とおもって、帰ってきて、その、大丈夫といったのは、芸がもう安心なのか、死んでからもずっと見ていてくれるから大丈夫なのか、どっちかだとおもったんですけど。
 やっぱり。
「死んでからも・・・・・・」
 のほうだろうなアとおもいました。
 師匠は、私が大須に着いたその日に亡くなりました。
 大須演芸場に到着したら、電話が入っていてね。あそこは出入り口は客席と同じですから、その木戸を入ったところで、
「師匠が亡くなったそうですよ」
 といわれた。もうそのときは連絡がきていたわけです。折り返し、大須には出演しないでそのまま引き返しました。



 志ん朝の命日に大須のことを書いたばかりだ。2012年10月1日のブログ

 圓菊の訃報を知り本書を読んで、奇妙な偶然を感じる。晩年の志ん生を背中にしょって“足がわり”となり、銭湯では三助にも負けない腕で志ん生の体を磨いていたほど密着していた圓菊。しかし、その師匠の訃報に接したのは遠く離れた大須だったとは・・・・・・。
 これは、「お前はもう大丈夫だ。おれが死ぬときだって、そばにいなくてもいいんだよ。お前がどこにいようがおれは天国から見守っているぞ。」というメッセージだったのだろうか。
 

 文菊を含む一門の弟子が、どこで師匠の訃報を知ったのかは知らない。
 彼ら一門は、この先、圓菊の芸や躾や古今亭のDNAもろもろを後世にしっかり伝えることが使命なのだと思う。
 しかし、圓菊がこの本を書いたのは2001年、たった十一年前である。志ん生没後二十八年後、本人が真打に昇進した昭和41(1966)年からは三十五年も後のことだ。

 圓菊一門が、師匠の思い出を本などで公けに語るのは、まだ先でいいだろう。しかし、ぜひ「時」がきたら落語愛好家にもその内容を伝えて欲しい、遺して欲しいと思う。
by kogotokoubei | 2012-10-15 22:04 | 落語の本 | Comments(2)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


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