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噺の話

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2012年 09月 22日 ( 1 )

 昨日は、志ん生の命日ということで、『銀座カンカン娘』で披露された『替り目』の動画を掲載したのだが、結城昌治の『志ん生一代』には、ずばり『替わり目』という章がある。これは、ネタの名と、志ん生の人生における“替わり目”をかけたものだ。なお、本書では『替わり目』という表記なので、それを踏襲し、『替り目』と二つの表記が混在しますが、ご容赦のほどを。
 *この本、単行本も文庫も古書店でしか手に入らない状態だが、河出か筑摩で文庫で再刊してほしいものだ。

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 なかなか興味深い内容なので、前の章の『業平橋』の後半から引用したい。時は昭和七年。当時の名は、甚語楼。ツ離れしない金車亭で『付き馬』をかけたのだが、それを上野鈴本の支配人である島村が聞きにきていた。

 甚語楼は島村に誘われて外へ出た。
「うまくなったよ」
 島村はいきなり言った。
「え・・・・・・?」
 甚語楼は聞き返した。誘い出されただけでも意外に思っていた。
「いまの付き馬を聞いていたんだ」
「どこへいたんですか」
「隅のほうで寝そべっていた」
「気がつかなかったな」
「気づかれねえようにしてたのさ。おかしくて、何度も噴き出しちまった」
「・・・・・・」
 甚語楼は首をかしげた。客は疎らで、それほど受けたとも思えなかった。
  (中 略)
「どうだい、上野へ出てみねえかい」
 島村はまた意外なことを言った。
 上野といえば鈴本ときまっていた。


 この誘いを断る理由はなかった。

「あたしを上野へ出してくれるんですか」
「条件があるけどな」
「何ですか」
「おれの言うとおりにやることだ。おめえのずぼらは知りすぎているくらいだが、抜いたり遅れたりしたら承知しねえ。酒はいい。博打も止せとは言わねえ。しかし、商売はきちんとやってもらう」
「分かりました」
 (中 略)
 島村は評判のわるい男だが、悪人というわけではなかった。寄席の経営を任された支配人として、見るべき眼は持っていたのである。甚語楼を起用したのも彼を売り出すことが目的ではなく、客の入りが低迷している不況対策のひとつだった。
「今度こそやるぜ。ばりばり売り出してみせる」
 甚語楼は張り切ってりんに言った。


 
 そして、次の「替わり目」の章の冒頭はこう始まる。

 上野鈴本の支配人島村に引き立てられた甚語楼は、着実に客をつかんでいった。
 年が明けて昭和八年(1933)。
「客が食いついてきたこの辺で、看板を上げ直してみねえかい」
 甚語楼は島村に言われた。
「もう一度真打披露目をやるんですか」
 甚語楼は文都の例を思い出して言った。
「そうじゃねえ。名前を変えるんだよ。甚語楼という名には貧乏が染みついちまっている。そいつを取っ払うのさ。ひょこひょこと勝手に変えてきた今までとは違うぜ。きちんとした改名披露をやる」
「そいつは無理だ」
「どうして」
「金がねえ」
「それは何とか都合するんだ。大してかかるわけじゃねえ。配り物をこしらえて、うしろ幕があれば十分だ」
 うしろ幕は贔屓の客に贈ってもらう物で、高座のうしろの杉戸にかける。贔屓が多くて幾張りももらう芸人は毎晩のように張り替えるが、甚語楼はもらえそうな当てがなかった。



 なんとか金を工面して、甚語楼あらため、二度目の古今亭志ん馬を襲名し鈴本で披露目を迎えるのだった。
 うしろ幕は宇野信夫(劇作家)が寄贈した生地に鴨下晁湖(日本画家)が墨一色で富士山を描いてくれた。

 上野鈴本の披露が終わると、次は大塚の鈴本で十日間、さらに江戸川の鈴本、片町の鈴本という具合に鈴本系の披露興行がつづき、やがて四谷の喜よしや人形町の末広などにも出演できるようになった。
 まだ売れっ子とまではいかないが、ここまでくれば立派な真打だった。講談社の雑誌には口演の速記が載り、ポリドール・レコードから吹き込みの注文もきた。
 レコードは古今亭志ん馬の名前で、演題は「元帳」としたが、「替わり目」の別題である。


 昭和八年、志ん馬は四十三歳。ようやく、運がめぐってきたのだ。そして、ようやく、「替わり目」が登場した。結城昌治は、このネタの粗筋を少し紹介してから、こう続けている。

 この落語は後半があって音曲ばなしのようになるが、志ん馬はいつも前半で切っていた。まるで自分たち夫婦の仲を喋っているようで、馬の助や兵隊寅にもそう言われたことがあった。表向きは亭主関白のようだが、実際は女房に頭が上がらないのである。
 講談社の雑誌に載ったのも「元帳」で、やがて掲載料を郵送してきた。
「あんた、たいへんだよ。これを見てごらん。間違いじゃないのかい。二十円だよ」
 りんは郵送してきた十円札二枚を握りしめて、取り返しに来られるのではないかと心配していた。
 ところが、レコード会社から送ってきた封筒には五十円入っていた。一日一円あれば家族五人が暮らせた時代の五十円である。というより、つい一年ほど前までは三日で一円の給金(ワリ)しかもらえなかったのだ。


 親子五人が一日暮らせた一円、今の貨幣価値ならいくら位だろうか。仮に五千円として二十円は十万円、五十円は、二十五万円位の価値がありそうだ。

 冒頭に書いたように、ネタの「替わり目」は、志ん生の人生の“替わり目”と、強く深く結びついている。きっと志ん生が、寄席や落語会でこの噺をかける時、脳裏にはりん夫人への感謝の気持とともに、辛い貧乏暮らしから脱出しつつあった、昭和前半の思い出がよぎるのだろう。やはり、この噺は志ん生を象徴する代表作である。

by kogotokoubei | 2012-09-22 19:20 | 落語の本 | Comments(8)

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