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噺の話

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2012年 05月 28日 ( 1 )

 先週土曜日に行った桂米二一門会のことを書いた際に、『百年目』と『住吉駕籠』について、師匠の著作『米朝ばなし』からの引用はしたが、肝腎の米二ご本人の著作『上方落語十八番でございます』からは何も紹介しなかったことを思い出し、あらためて『百年目』について同書から引用する。

 この本は以前に紹介したこともあったし、今や落語ブログ仲間になったYさんと出会うきっかけになったのが、この本についての記事のコメントからなので、同書からも引用しないことには、“手落ち!”、と叱られても仕方がない^^
2010年5月14日のブログ

 あらすじの解説の後で、米二はこう書いている。
日経プレミアシリーズの該当ページ

 名作中の名作です。私も大好きな噺です。東京落語でも「百年目」をやる人はあります。私は三遊亭円生師匠と古今亭志ん朝師匠のCDを聞いたことがるだけですが・・・・・・。東京の「百年目」ももちろんすばらしいと思いますが、上方の演出でははめものを使います。番頭が踊りを踊る「越後獅子」のお囃子が生演奏で入るわけです。この華やかさは上方のほうがずっといいと思いますよ。


 私も東京落語版のこの噺なら、志ん朝の音源をよく聞く。志ん朝は、円生を相当意識してこのネタを自分のものにしたと思うし、やはり傑作だと思う。ちなみに、1980年10月13日の「志ん朝の会」での高座がCD化されており、1994年3月29日の落語研究会の高座がDVDで発売されている。
古今亭志ん朝『百年目』

 しかし、やはりこの噺は上方のネタなのだ。米二が書いているように、はめものによる演出のある上方版のほうが私も楽しいと思っている。

 本書では、この後に次のように続く。

 しかし、サゲはあまりよくありません。百年目というのは敵討ちで使う「ここで会うたが百年目」です。運が尽きたという意味と、百年目ならば久しぶり、久しぶりだから「ご無沙汰してます」と言ったというのがサゲになっているのです。
 たしかに難しい噺です。前半、番頭が店の者に小言を言うところから、船に乗って芸妓連中からちやほやされながらも「せまじきものは宮仕え」とつぶやくところ、布団に入ってクビになるかとやきもきするところ、最後の旦那の説教まで、息をつく間がなくしんどくて難しい落語ですが、逆に言うとやりがいのある噺なんです。



 米朝の弟子で、この噺を最初に高座で披露したのが米二らしい。

 大阪北浜のコスモ証券ホールで、初めての独演会を米朝事務所主催で開いてもらうことになりました。桂米二、三十歳になったばかりでした。北浜と言えば船場の一角で「百年目」の舞台にもなっているお店のごく近所です。この独演会で「百年目」をやりたいと思ったのです。でもこの噺、一門の兄弟子はまだ誰もやっていません。
 うちの師匠に相談したら「かまへん、やりなさい」と言うてくれましたが、米朝事務所からは反対されました。それでも私は押し切ってやらせてもらうことにしました。へんに自信があったのですね。何度も聴いてほとんど覚えていたということもありました。
 稽古に行き、うちの師匠の前でやらせてもらいました。最後までやり終えたとき、「よう覚えた」と、まず言うてくれました。これ褒め言葉なんですよ。細かいところは直してくれましたが、これでOKが出たわけです。
 さて独演会の本番になりました。まず番頭が店の者に小言を言うのがしんどい。言葉はかんでしまうし、お客さまはついてきてくれているように思えない。体が宙に浮いてる気がして、大ネタ「百年目」に負けたと思いました。
 それからは開き直りです。師匠からはOKをもらってるんだから、やるだけのことはやってみようと続けました。受けようとか笑わそうとかは思わずに、無心になって淡々としゃべりました。それがよかったのでしょう。後半になると思ってた以上に客席は笑い声に包まれたのでした。でもへとへと・・・・・・。
 この会にずっと力を入れてくれた兄弟子の枝雀師匠、客席にいたSF作家のかんべむさし先生から「よかった」というお言葉をいただき、胸をなで下したのでした。


 ちなみに、枝雀は、この噺を主要な落語会でかけたことはないと思う。音源も映像もないはず。もし海賊版でも存在するのなら、ぜひ聞きたいものだ。

  矢野誠一さんの『落語手帖』によると、1762(宝暦12)年『軽口東方朔』の「手代の当惑」が原話で、1807(文化4)年喜久亭壽暁『滑稽集』に「百ねんめ」と出ているらしい。
 同じ矢野さんの『落語読本』(文春文庫)のこの噺の章に、なかなかおもしろいエピソードが紹介されている。

 三遊亭円楽が、まだ全生といって二つ目の時分、有楽町の第一生命ホールでひらかれていた「若手落語会」に、『淀五郎』を出したことがある。いくら若手落語家にとっての晴舞台とはいえ、大看板の師匠連でも尻ごみしかねない『淀五郎』に、二つ目の分際でいどんで見せたあたりが、いかにも後の円楽である。
 当日、高座にあがってびっくりした。うしろのほうの客席に、師匠の三遊亭円生がすわっているのが目にはいったのである。さあ、それからはなにをどうしゃべったか、まるで夢遊病者の気分で一席終えた。あくる朝、案の定師匠からの呼び出しだ。おそるおそる顔を出した円楽に、円生はいったそうだ。
「全生さん、あなたは結構なはなし家ンになりました。もう私が教えることはなにもありません・・・・・・」
 もちろん、いってる言葉とはまったく裏腹の、強烈な、いかにも円生らしい皮肉なのである。針のむしろにすわらされた円楽は、ただ、だまって頭をさげるだけである。師匠から呼び出しを受けたときの心境は、まさに『百年目』の次兵衛のそれだったと聞いた。


 円生と『百年目』の旦那とは、ちょっとイメージが違うが、たしかに円楽のこの時の心境は、次兵衛さんと同じようなものだったのだろう。

 この噺は、どうしても、上司と部下、師匠と弟子、という人間関係に思いを至らせる。そして、旦那が次兵衛を呼び出した時に、この噺の大きな一つのヤマがある。
 たしかに、サゲはあまり良いとは思えなが、それを上回るだけの噺全体の素晴らしさが、このネタにはある。その起伏のある筋書の中で、強く印象づけられるのが、「旦那」という言葉の由来を説明することで、主人が番頭の次兵衛に人使いと組織運営の要諦を諭すところなのだ。

 この噺のことを書こうと思ったのは、この場面について、内田樹がブログ「内田樹の研究室」の昨年11月25日の記事で書いていたことも理由の一つだ。。少し引用したい。
「内田樹の研究室」の該当ページ

落語『百年目』の大旦那さんは道楽を覚えた大番頭を呼んで、こんな説諭をする。
「一軒の主を旦那と言うが、その訳をご存じか。昔、天竺に栴檀(せんだん)という立派な木があり、その下に南縁草(なんえんそう)という汚い草が沢山茂っていた。目障りだというので、南縁草を抜いてしまったら、栴檀が枯れてしまった。調べてみると、栴檀は南縁草を肥やしにして、南縁草は栴檀の露で育っていた事が分かった。栴檀が育つと、南縁草も育つ。栴檀の”だん”と南縁草の”なん”を取って”だんなん”、それが”旦那”になったという。こじつけだろうが、私とお前の仲も栴檀と南縁草だ。店に戻れば、今度はお前が栴檀、店の者が南縁草。店の栴檀は元気がいいが、南縁草はちと元気が無い。少し南縁草にも露を降ろしてやって下さい。」
これが日本的な文字通りの「トリクルダウン」(つゆおろし)理論である。
新自由主義者が唱えた「トリクルダウン」理論というのは、勝ち目のありそうな「栴檀」に資源を集中して、それが国際競争に勝ったら、「露」がしもじもの「南縁草」にまでゆきわたる、という理屈のものだった。
だが、アメリカと中国の「勝者のモラルハザード」がはしなくも露呈したように、新自由主義経済体制において、おおかたの「栴檀」たちは、「南縁草」から収奪することには熱心だったが、「露をおろす」ことにはほとんど熱意を示さなかった。
店の若い番頭や手代や丁稚たちは始末が悪いと叱り飛ばす大番頭が、実は裏では遊興に耽って下の者に「露を下ろす」義務を忘れていたことを大旦那さんはぴしりと指摘する。
『百年目』が教えるのは、「トリクルダウン」理論は「南縁草が枯れたら栴檀も枯れる」という運命共同体の意識が自覚されている集団においては有効であるが、「南縁草が枯れても、栴檀は栄える」と思っている人たちが勝者グループを形成するような集団においては無効だということである。
私が「国民経済」ということばで指しているのは、私たちがからめとられている、このある種の「植物的環境」のことである。
「そこに根を下ろしたもの」はそこから動くことができない。
だから、AからBへ養分を備給し、BからAへ養分が環流するという互酬的なシステムが不可欠なのである。



 アメリカと日本が「赤栴檀と南縁草」の関係でお互いが成長できた時代もあったのは事実だろう。しかし、今日のアメリカに日本に露をおろす心の余裕も、蓄えとしての余剰もあるようには思えない。
 そして、大阪市や福岡市においては、すでに「植物的環境」が崩壊しているように思う。南縁草は、露に恵まれずカラカラではないのか。それは、赤栴檀がそのうち枯れることにつながるということを、この赤栴檀は分かっていない。

 そして、宮仕えで赤栴檀と南縁草の両方の立場にある自分自身は、果してどうなのかを自問する。さて、赤栴檀にしっかり栄養を補給できているのか。南縁草に露をしっかり下ろしているのだろうか。まだまだ、なのかとも思わせるのが、この噺を聞く辛さでもあり、有り難さでもあるのだろう

 土曜日の落語会終演後、落語ブログ仲間のSさんとの「居残り分科会」では、絶妙な味の煮込みなどに舌鼓を打ちながらのさまざまな話題の中で、この「赤栴檀と南縁草」の話にもなった。Sさんは、かつてその居酒屋に「南縁草」達を伴って飲まれたことがあるらしい。さぞかし、しっかりとSさんという「赤栴檀」は、部下に露をおろしていたのだと察した。こういう方と飲むことができるから、「居残り会」は楽しいのだ。
by kogotokoubei | 2012-05-28 20:05 | 落語のネタ | Comments(8)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛