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噺の話

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2012年 03月 13日 ( 1 )

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 小学館から発売された「昭和の名人」の最初のシリーズの第11巻を、昨日帰宅途中の乗換駅の書店(あのシリーズのバックナンバーを結構揃えている)で購入できたので、携帯音楽プレーヤーに収録し、今日通勤時間中に、馬生の『天狗裁き』を聞くことができた。

 なぜ、この号を2009年発売後にすぐ買わなかったかと言うと、CDに収録された三席、『笠碁』『天狗裁き』『そば清』のうち、この『天狗裁き』以外の二席は、音源が違うとはいえすでに持っていたから、というのが理由の一つ。とにかくあのシリーズは第一回の志ん朝(特別価格で安かったが)を買って、すでに持っている音源と同じと分かって以来、ほとんど買うことがなくなっていた。その時の心境はブログにも書いた。
2009年1月10日のブログ

 馬生の号を買わなかった理由のもう一つは、『天狗裁き』について、志ん生→馬生と継承される“型”が、今日の東京の噺家さんの多くが演じる桂米朝の“型”と違うなどとは、ち~っとも知らなかったせいもある。


 その後の私の調べ(?)によると、、東京落語には古くから伝わる『羽団扇』という噺がある。そして、志ん生独特の『天狗裁き』がある。加えて、米朝が志ん生や馬生の噺に触発されて、上方に古くから伝わる『天狗裁き』を掘り起こし、今日では、この米朝版が東京に逆流した、ということのようだ。

 “天狗伝説”は全国的に残っており、民話などで、似たような話が各地で伝承されていたようなので、様々な内容の天狗にちなんだ話があったのだろう。そして、落語として、大きく次の三つの型がある、ということのようだ。

(1)『羽団扇』 
 二代目の三遊亭円歌や立川談志が演じていたようだが、この噺は、天狗からだまし取った羽団扇を仰いで空に舞い上がった主人公が落ちた場所は、下記のように七福神の宝船。引用は、いつもお世話になっている河合昌次さんの「落語の舞台を歩く」から。

落ちたところが、七福神の宝船の中。「今日は正月だから七福神が集まって吉例の宴会をしている」と大黒。それでは仲間に入れてと頼んだが、「何か、芸が出来れば」と許され、仲間の中に。
 そこには綺麗な弁天が居て、お酌をしてもらいご機嫌で、恵比寿にも勧めたがお酒は駄目でビールだけという(エビスビールのシャレですよ)。肴は恵比寿様が釣った鯛のお刺身、またこれが美味いこと。飲んで食べて、芸をする間もなく寝入ってしまった。弁天様に起こされると・・・


 これ以上の解説は、ぜひ「落語の舞台を歩く」でご確認のほどを。なお、ネタ元は談志の高座。「落語の舞台を歩く」の『羽団扇』のページ
 ちなみに、この噺は、正月二日の“初夢”という設定で、“旬”の明確な落語となっている。志ん生大好きの談志が、なぜ志ん生版の『天狗裁き』ではなくこの噺を好んだのかは、まだ調査不足である。

(2)馬生(志ん生)版『天狗裁き』
 今回聞いたばかりの馬生版、と言うより志ん生版と言ってよいのだろう。志ん生の音源は、まだ聞いていないのだが、調べたところ、馬生はほぼ父親の型で演じているようだ。
 特に季節感は明確ではない。近所の寅さんが蛇をまたぐ夢を見てから運が回ってきたと聞いた女房が、朝起きたばかりの亭主(梅さん)に、「あんたも縁起のいい夢を見て!」と無理やり寝かせるのが幕開き。
 そこからしばらくは、米朝版とほぼ同じ筋書となる。いろんな人が梅さんの夢を知りたがるわけだ。
・女房
・長屋の仲間(寅さん)
・大家
・奉行
・天狗
 それぞれから、梅さんは見ていない(あるいは覚えていない)夢の内容を明かすよう無理強いされるのだが、米朝版との違いは、舞台にやや動きがあること。同じ長屋の寅さんは、梅さんから夢を聞き出すために、梅さんを外に連れ出し長屋の隅っこで聞こうとする。大家は自分の家へ引き込む。
 また、奉行に向かって、「お奉行様でも天狗でも、見てない夢は話せねえ」と啖呵を切った梅さんを、奉行が「それはおもしろい!」と、天狗が出ると言われる愛宕山に梅を連れて行き、木に体を縛り付けて、わざわざ天狗に裁きを依頼する書置きまで残してくる。このあたりも、米朝版とは大きな違いである。
 そして、誠に私が迂闊だったことに、よくお世話になる「落語のあらすじ事典 千字寄席」の『天狗裁き』には、しっかりと志ん生・馬生版の説明があったのだ。「落語のあらすじ事典 千字寄席」の『天狗裁き』
 天狗の羽団扇を奪い空に舞い上がった梅さんは、宝船ではなく、商家の大店に着陸するのだが、その部分を引用したい。

しばらく空中を漂って、
下り立った所が大きな屋敷。

ようすが変なので聞いてみると、
お嬢さんが明日をも知れぬ大病とのこと。

たちまち一計を案じた熊、
医者になりすまし、
お嬢さんの体を天狗団扇で扇ぐとアーラ不思議、
たちまち病気は全快した。

その功あってめでたくこの家の入り婿に。


 さて、無事、町内で小町と呼ばれる美人のお嬢様の婿となって、一夜を過ごそうとするんだが・・・・・・そこからサゲは、お察しのほどを。

(3)米朝版『天狗裁き』
 このブログにお立ち寄りになる落語愛好家の方には、ほとんど説明は不要だろう。あえて蛇足で書くなら、志ん生版や『羽団扇』のように、主人公が羽団扇を天狗から騙し取ることはない。夢の内容を明かさないため怒った天狗に八つ裂きにされようとするところで、女房に起こされる、という筋。
 そして、私は、今日東京でもほとんどがこの型なので、(1)や(2)を調べることすらしていなかったわけだ。まだまだ、未熟である。


 と、言うことで、志ん生・馬生版の『天狗裁き』の、「大店のお嬢様の病気を治して婿になる」という“出世話”を、確認することはできた。

 ここで、今回の一連の事件(?)の発端に戻る。

 古今亭志ん輔の日記風ブログ「日々是凡日」の3月8日の記事の、次の部分が発端。「日々是凡日」の3月8日の記事

15時35分 浅草楽屋入り。「妾馬」をやりたかったが「天狗裁き」が前に出ていて 少しだが似た箇所があるのでやめにして「子は鎹」をやらせて貰った。


 『妾馬』と志ん生版の『天狗裁き』では、お殿様(赤井御門守)が、たまたま江戸の町で見かけた八五郎の妹のお鶴を見初め“側室”になるのと、夢とはいえ大店のお嬢様の病気を治して“入り婿”となる話、確かに同じ“出世”あるいは“抜擢”“僥倖”という意味で共通点はある。
 先日のブログには想像を超える多くの方にコメントを頂戴し、私などよりもずっと筋金入りの落語愛好家の方々から、この部分しかありそうにない、とご指摘を受け、私も「そうかな」と思わないではないのだが、実は、まだ納得はできていない。

 まず、『天狗裁き』は、志ん輔の高座より“前”に出ていたのだ。志ん輔が古今亭版のこのネタをするのならともかく、他の噺家さんなら、確率的には米朝版である可能性のほうが高い。その場合、その噺には入り婿として“出世”する筋書はない。
 しかし、古今亭版の場合は、その部分があるので、志ん輔がついこだわった、と言えなくもない。楽屋でネタ帳を見て、瞬時の判断なのだろうから、固定観念に左右されることは、あるだろう。

 しかし、もしそうだとしても、「えっ、そこにこだわるの?!」という思いは残る。

 それとも、“少しだが似た箇所”は、前回のブログに他の方がコメントしていただいている、大家と主人公との会話に潜んでいるのか・・・・・・。それとも、『妾馬』の殿様と八五郎との会話と、『天狗裁き』の奉行と主人公との会話あたりに、ヒントがあるのだろうか。謎なのだ、いまだに。


 この件、少し時間を置いてみたい。それにしても、お陰様で数多くの方のご参加(?)をいただき、私も『羽団扇』の存在を知り、馬生の『天狗裁き』を聞くきっかけになったので、得るものは多かった。

 志ん輔の“何かへの”こだわりのミステリーは、この後も続く。まるで、権太楼版『天狗裁き』のサゲのように、エンドレスかもしれない・・・・・・。


 まさか、このブログを書いていることは夢ではないだろうなぁ・・・・・・あっ、連れ合いの声が聞こえる。
「あんた、起きなさいよ!」、「あっ、夢か・・・・・・」(蛇足でオソマツ)
by kogotokoubei | 2012-03-13 11:31 | 落語のCD | Comments(10)

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