噺の話

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2012年 01月 15日 ( 1 )

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KAWADE夢ムック・文藝別冊 総特集 小沢昭一
 『幕末太陽傳』で“貸本屋の金造”に扮した小沢昭一のことが気になっていたので、本棚からこの本を取り出してみた。
 一昨年発行の本で、小沢昭一に関してこれまでさまざまな本や雑誌に書かれたものや対談などを収録し、写真と一緒に編集された、“ムック”である。

「前口上」として、本人が書いているので、少し引用。

 ひと様が、私メのことをあれこれ書いて下さった文章ばかりを、集めて下さいました。
 恐縮しております。文字どおり、恐れ縮むのでありまして、「恐縮」は辞書では「相手の厚意に対して申しわけなく思うこと」とあります。
 (中 略)
 人間、八十路に入りますと、クソ爺ィ、であると同時に、子供にも帰ってゆく面もある様で、間もなく、地獄極楽、どちらかへ行くのでしょうが、もし地獄へ行くことがあれば、私、閻魔様にこの本を見せて、お仕置を少しでも軽くしてもらおうと思っております。
 何はさて、書いて下さった皆々様に、改めて三拝九拝。本当にありがとうございました。
  2010年 夏
                                   小沢昭一敬白


 なんとも、小沢昭一らしい“まえがき”である。

 巻末にある略年譜から、ほんの一部をご紹介。
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1929年(昭和4年) 0歳
四月六日、東京府豊多摩郡和田堀町大字和泉(現・京王線代田橋付近)に生れる。


1936年(昭和11年) 七歳
小学校入学。この頃からラジオで落語や漫才を聞くようになる。


1945年(総和20年) 十六歳
海軍兵学校第78期生(予科)として長崎で入校も、終戦のために退校。麻布中学四年に復学。

1946年(昭和21年) 十七歳
生徒からの発案でやった「芸能祭」をきっかけに演劇に興味をもち、加藤武、大西信行
らと演劇部をつくる。久保田万太郎作『ふくろうと子供』、山本有三作『盲目の弟』など
を上演、また機関誌『あさのは』を刊行。高座研究の「末廣会」に加入。顧問の正岡容に
私淑する。
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 小沢昭一は、ラジオで落語や漫才を楽しむ少年時代を過ごしながら、そのうち太平洋戦争が勃発。一度は、お国のために海軍兵学校に入校したが終戦。戦後すぐに演劇や、落語への情熱が舞い戻ってきたようである。その後、早稲田に在学中、二十歳の時に俳優座付属俳優養成所に二期生として入所する。映画への出演は二十四歳、『広場の孤独』(佐分利信監督、新東宝)が最初。

 川島雄三作品には、昭和30年に二十六歳で『愛のお荷物』、『幕末太陽伝』の前年の昭和31年にも、『洲崎パラダイス・赤信号』、『わが町』に出演している。

 本書に、『キネマ旬報』1977年1月号の藤本義一との対談が収録されているのだが、川島雄三について、そして『幕末太陽傳』などについて語られている部分を引用したい。

藤本 今日、小沢さんに会ってお聞きしようと思っていたのですが。
   『雁の寺』の冒頭に出ておられたでしょう。あのときのセリフ
   は、ちゃんと脚本(ホン)にあったんですか。
小沢 なかったと思いますね。「『雁の寺』大映行って撮る。お前出る」
   って言われただけなんです。
藤本 僕も、そのとき手伝いに来いといわれたんですが、何かの都合で
   行けなかった。
小沢 僕の記憶もさだかではありませんが、たぶん現場でもらったんじゃ
   ないかと思います。どういうわけか、大体僕はあの組では、脚本に
   はないけれど、ただ行って何かやる、そういう性質の役が多かった
   ものですから、別に奇異にも感じませんでした。一本が終っても、
   どこかでまた何かをやる。それで、最後に「出ます」といっておか
   なければ、あの方は機嫌が悪くなるんです。
   (中 略)
   『雁の寺』のときもあたふたと半日くらい、京都の大映に行って
   撮った記憶があります。
藤本 何か手に棒を持って・・・・・・。
小沢 ええ。「今は雁の寺も観光寺になった。のちのちのなまぐさの若い
   住職が、ゼニを稼ぐために、ろくでもない品物を、ただいわくありげ
   に説明しておる」というような。監督にしてみれば、あの発想は
   『幕末太陽傳』のときからやりたかったものなんです。『幕末太陽傳』
   のラストは、フランキー堺が合成の富士山の手前を海沿いにどこまで
   も走って消えていくシーンだったんですが、川島さんとしては本当は、
   全部の登場人物が昭和の品川の赤線の両側に、現代服で揃って
   いて、「ちょいとお兄さん」というふうにして、そこをフランキー堺
   だけがチョンマゲ姿で駆け抜けていくようなシーンにしたかったん
   です。撮影が三分の一くらいすすんだところで、「・・・・・・それ
   をやります」ってなことを言っていました。ところが役者が集まら
   ないんですよ、もう。監督は全員揃えたかったんですが、みんな
   散ってしまって、チーフの今村昌平さんが、あたふたと役者のスケ
   ジュール洗いをやったけど、結局、できなかった。監督はえらく
   御不満だったですね。僕自身も、ラスト・シーンをそうすれば、また
   一段と冴えた作品になったんじゃないかと思います。その手を使った
   のが『雁の寺』だと思いますが、うまくいかなかったんですね。



 これを読んで、先日『幕末太陽傳』のラスト・シーンについて書いたことを訂正しなければならない。スタッフが反対したのではなく、役者が揃わなかったことが、川島雄三が望んだ“現代へのタイムスリップ”でのラスト・シーンが実現しなかった原因だったようだ。お詫びして訂正します。

 もし、役者を揃えることが出来て、昭和32年の品川遊郭のシーンを佐平次がチョンマゲの旅姿で歩き、彼の周囲にそれぞれの出演者が洋服を着て登場し、遊郭から左幸子と南田洋子があでやかなドレス姿で佐平次を誘っている光景がラストシーンだったら、たしかにインパクトがあっただろうなぁ。

 さて、この後に、次のような興味深い会話が続く。

藤本 あの監督は、落語をどうとらえていたんですかね。
小沢 落語は好きだったです。江戸っ子ではないけれど、江戸落語の好き
   な人で、多分、異国情緒として落語をとらえていたのではないか、
   という気がするんですけど。
藤本 オランダ漫才みたいなもので。よくわかりますな(笑)
小沢 川島さんについていつも思い出すことがあるんです。川島さんと
   今村昌平さんと僕の三人で、あるバーの止まり木で飲んでいたことが
   あるんです。その頃、今村さんは東北に興味を抱き始め、だんだん
   傾斜していって、恐山の巫子は今村昌平にとって、好奇心の対象に
   なっていたときです。ご存知のように川島さんは恐山のすぐそばの
   生まれ育ちですから、今村昌平が恐山にふれると、言下に「あんな
   ものは何もありません」。東北には文化なぞはない、というような
   意味でもあったですけど。非常に不愉快そうな顔をして、自分の
   一番弟子を叱咤するというような鋭さがあって、僕は傍にいて
   ちょっとギクッとしたんです。そういう鋭い口調で今村昌平の東北
   指向をたしなめたんですね。あのとき僕はしみじみと、陸奥の川島
   雄三が、都会風俗を描かせれば、銀座の女を描かせれば、並みいる
   監督の中で何たって一番うまいし、東京で生まれて東京で育った
   今村昌平が、一生懸命東北を珍しがっている、その何ともいえず
   むだな努力は、そばにいて不思議なものだと思いました。人間の
   好奇心という奴は、無いものに憬れるものなのか、と。



 私は北海道の田舎町の出身だし、連れ合いが雪国越後の出身である。そして二人とも故郷を離れて生活しているわけだ。青森出身の川島が抱く東京への憧れは、分かる気がする。自分の選んだ道を歩むには、必ずしも故郷がふさわしい環境を提供してはくれない。もちろん、生れた土地で、親の近くで生活することができれば、それは結構なことだろうが、なかなかそうも行かない。
 私は大学入学から故郷を離れ、中学の先生が修学旅行に行く際、「しょっぱい川を渡るぞ」と言った、“しょっぱい川”津軽海峡を渡った。それ以来、故郷はたまの休みに帰る場所であり、生活する場所ではなくなった。そういう故郷を離れた人間にとっては、現在を肯定する心理も働くから、誰かと酒でも飲んで故郷について語る時など、「自然はあるけど、働く場所はないですよ」などと、つい言ってしまう。川島が「何もありません」と語るニュアンスとは、もちろん違うのだが、一度故郷を自分の生活のホームグラウンドとしなくなった人間の、やや屈折した思いという意味では、分かる気がする。たしかに、小沢昭一が語るように、「無いもの」への“憧れ”は誰しも持つだろう。
 私の故郷は北海道の中では暖かい地域とはいえ、冬や雪、寒さにはほとんど良い記憶がない。体育の授業で雪上サッカーをした後、濡れてしびれた足を引きずりながら、顔を上げることのできない横殴りの雪嵐に頭を下げたままで歩いて家に帰るのが、私にとっての冬なのであった。家の中は汗をかくほどストーブを焚くとは言え、とにかく暖かい場所で暮らしたかった。東北や北海道、雪国越後などの人にとって、冬や雪は、ただ耐える季節という記憶が強いはずだ。

 川島雄三にとって、東京人の今村が恐山に興味を抱くことに対し抱いた感慨は、分からなくもない。私が学生時代に実家へ帰る時、なかなか取れないチケットをなんとか確保し、飛行機や電車で移動中、東京や関西からの観光客が機内、車内でワイワイ浮かれて騒いでいるのを見て抱いた感慨(「お前達は遊びに来ているだけだから、北国に住んでいる人の苦労など、絶対分からない・・・・・・。」といった思い)に、似ていなくもないと思う。

 少し話が逸れたようだが、本書を読んで川島雄三という東北出身の稀代の映画人に、同じ北の国の出身者として共感を抱いた次第である。そして、『幕末太陽傳』の出演者で今もご健在な小沢昭一という名優には、まだまだ語り残し、書き残してもらうものがあるだろう、と強く思うのだ。
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by kogotokoubei | 2012-01-15 15:37 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(4)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛