人気ブログランキング |

噺の話

kogotokoub.exblog.jp
ブログトップ

2011年 11月 29日 ( 1 )

e0337777_11080377.jpg
 
立川談志/写真田島謹之助『談志絶倒 昭和落語家伝』(大和書房)

 『現代落語論』も『あなたも落語家になれる -現代落語論其二-』もいいけれど、落語や国内外のお笑い・演芸に関する、際立って優れた評論家であり好指南役としての談志が大好きな私は、彼の著作で一冊勧めるとしたら、本書になる。
 ブログを書き始める前の2007年9月の発行のため、この機会に本書について少し書きたいと思う。

 まずは、この本について、Amazonにレビューを書いたことがあるので、それをご紹介したい。このブログからリンクもしているので、すでにお分かりの方もいらっしゃるかと察するが、私は「ドートマンダー」という名前でカスタマレビューを書いている。(ちょとしたカミングアウト!?)

この本はいくつもの顔を持つ。
田島謹之助さんの貴重な噺家達の写真集、という顔。そしてそれぞれの噺家についての談志家元の鋭くも愛情豊かな解説。まさにそれはよき時代と噺家達への恋慕を語るエッセイの佳作といえる。そして、その解説の内容をよく読めば、当時の噺家とネタについての家元の批評が現代落語界への風刺にもなっており、優れた落語評論である。
そして、「あの時代に、三丁目の夕日が朱に染まった寄席に、こういった噺家さん達が間違いなく存在したのだ!」という歴史書の側面だってある。読み進むうちに、膨大な写真集を目にして「この歴史は残さねば、今のうちに生きているうちに語っておかねば」という家元の執念までも感じさせる落語愛好家必携の書。


 本書は大和書房から2007年9月に発行され、私がレビューを投稿したのが、2007年12月12日であった。レビューに書いた通りで、本書は「エッセイ」「写真集」そして「落語評論」の三つの顔を持っている。
 談志のプロフィールは、今さら私が書くまでもないと思うので、田島謹之助さんのことを、本書の巻末略歴欄からご紹介したい。

田島謹之助
写真家。1925(大正14)年、東京に生まれる。子供のころから写真と寄席に夢中となり、戦後は日本の原風景を撮り続ける。二十代のとき、叔父と親しかった人形町末広の席亭に頼み込み、1954(昭和29)年から1955(昭和30)年にかけて、人形町末広の高座と落語家の自宅を集中的に撮り続ける。その数は二千を超え、現在でもフィルムのほとんどが変質することなく遺されている。


 繰り返しになるが、談志は、私がもっとも頼る古典落語の指南役であり、どんな人のどの噺を聞けばいいかについての、最高の道先案内人である。正直なところ、落語家としての談志より、落語の吟味役としての談志のほうを、ずっと高く買っている。何より談志は落語や色物、そして寄席が大好きな人だった。それは、本書の「まえがき」からもストレートに伝わる。

 ここに写った噺家、この人たちが戦後、“落語ブーム”とまでいわせた時代も含めて、私たちに落語を伝えてくれた。伝授してくれたのである。
 で、この時代を背景に撮った写真、撮りまくった田島謹之助さん。この人もその頃、これまた奇人扱いされた部分もあったろう。
 八世桂文治に惚れ、人形町の寄席から高座を狙い、あげくは自宅に押しかけ、文治の素顔を、そして文楽、志ん生、三木助、小さん、馬生・・・・・・と追いかけた二千枚の貴重なフィルム。縁あって、これを受け継いだ立川流のお家元。
 写真を見て、眺めて、あれやこれやと当時を偲ぶ。そこで過ごした青春、今は亡き憧れし師匠連。思いつくままに書きとめておく。


 この「まえがき」の日付が2007年9月。私が最初で最後の談志の生の高座を見たのが2007年10月。本書を読んだのは高座を見た後だが、今思えば、当時71歳の家元は、田島さんの写真に喚起されて昭和の名人達を偲ぶ、そんな心境にあった時期なのだと言えるだろう。あのサービス精神旺盛な高座には、そんな心境も背景にあったのかと思う。
 
 さて、その田島謹之助さんが昭和29年から昭和30年にかけて人形町末広を中心に撮った写真を見ながら「思いつくまま」に書きとめられた落語家の顔ぶれはどうだったか、目次と同じ順番、同じ表記内容で並べてみる。
-----------------------
六代目 三遊亭円生
三代目 春風亭柳好
三代目 桂三木助
八代目 桂文楽
六代目 春風亭柳橋
      桂小文治
五代目 古今亭今輔
八代目 三笑亭可楽
四代目 三遊亭円馬
四代目 三遊亭円遊
二代目 桂枝太郎
七代目 春風亭小柳枝
      昔々亭桃太郎
      林家三平
人形町末広、楽屋の記憶
十代目 金原亭馬生
三代目 柳家小せん
七代目 橘家円蔵
九代目 翁家さん馬
     三遊亭百生
二代目 桂右女助
八代目 春風亭柳枝
八代目 林家正蔵
二代目 三遊亭円歌
八代目 桂文治
五代目 古今亭志ん生
五代目 柳家小さん
あとがき
-----------------------

 この中から、八代目春風亭柳枝の章を引用したい。

 『搗屋無間』『締め込み』『花筏』『二人癖』『生兵法』『熊の皮』『ずっこけ』『初天神』『元犬』『子ほめ』『四人癖』『いも俵』『野ざらし』『悔やみ』『王子の狐』『動物園』『高砂や』『宮戸川』『山号寺号』、すら~浮んでくる。これらの演目は、他の噺家の入りようがない。
 演れないことはないし、現に私も、『子ほめ』も演れば、『王子の狐』も演るが、柳枝師匠からすっかり離れないとできないのだ。

 

 私は、この本を読んでから、八代目柳枝の音源を結構集めたものだ。特に次の部分が刺激的だった。

 この師匠、何処っへ出しても受けた。爆笑させた。といって大してオーバーに演るわけではない。天下一品の柳好の『野ざらし』に対して、同じ噺を演ったのは柳枝師匠しか知らない。
 その柳枝師匠の『野ざらし』は緻密なものであり、柳好を“陽”とすると、“陰”とまでいかないまでも柳枝独特で、『野ざらし』は“柳好とは比べものにならない”と言い切れないものがあるのだ。
 ちなみに、私の“私”と言うほどのもんじゃないが、談志野郎の『野ざらし』は、出だしが柳枝、途中から柳好と、こうなっている。知っている人は判ってるよね・・・・・・。
 
 月並みな文句だが、その早世は惜しみて余りある。


 
 明治38(1905)年12月15日生まれで、昭和34(1959)年9月23日、ラジオ公開録音で『お血脈』口演中に脳出血で倒れ、10月8日に五十代半ばの若さで亡くなった八代目柳枝が遺した音源は、本当に談志が推奨するような見事なもので、その丁寧な語り口は、現役の落語家には、正直見当たらない。

 談志の師匠小さんの章は、文章よりも40歳前の若々しい写真が楽しい。結構、二枚目なのだ。少ない文章から引用したい。

 今だからいうが、その頃、あの頃、二人が喧嘩ァしてた頃、もし師匠が、
 「オイ帰って来いよ。俺が頭を下げる」
 と、もし言ったとしたら、家元は困ったろう。これで落語協会に帰らなきゃあ、日本教に反するものネ。世間が許さない。談志が日本中で叩かれ、潰される。
 それを偶然か故意(わざと)か、師匠は言わなかった。 
 「あれはあれで、いいんだ」と言った。
 師匠、済まねえ。師匠と弟子として、一番仲がよかったしネェ。



 今頃、師匠小さんが天国でこう言っているだろう。
 「なんだ、もう来やがったのか!」
 
 談志の答えは、こんなかな。
 「何を、オレがいないから寂しかったくせに!」


 巻末には談志と田島さんの並んだ写真、そして談志の手書きの田島さんへのお礼の言葉がある。

 そして、「あとがき」。短いので全文を引用したい。

 久しぶりに書いた。疲れた。もう駄ァ目。
 立川談志、終わりに近い、いや、もう終ったか。
 色川武大兄ィの言った如く、「立川談志、六十代を頂点と考えているはずだ」云々・・・・・・。
 その通りでした。我ながら抱きしめてやりたいほどの芸を語った。曰く『居残り』『鉄拐』『芝浜』『金玉医者』『やかん』『よかちょろ』いくらもあるが、ファンに任せる。
 
 ガムシャラに走り、売れた二十代、三十代、政治、そして五十代。けど若かった。何も判らなかった。やっと“落語とは何か”が解ったのは、六十代だった。つまり遅咲きだ。青の時代が長かった。それでよかった。それで今日があり、満足がある。いつ死んでも構わない。いや、仕方ない。
 立川談志、いい名である。炎の如くに志を語る。「その“志”とは武士なんだネ」と山藤章二画伯の弁。
 照れますネ。町人のほうがいいネ。
 いやいや、ドーモドーモ。


 
 四年前の言葉である。今になって、麻生市民館での高座と、この言葉との強いつながりを感じている。

 本書は、2,600円と、決して安くはないかもしれません。しかし、神保町で探せばあるかもしれないですよ。また、昭和の落語家さんの貴重な写真と、それぞれの噺家さんへの談志の熱い思いや寸評に興味がある方なら、決して高いとは感じないでしょう。大和書房の関係者でもなんでもない私が、推薦します。何度読み返しても、すごく楽しい本。

 落語と寄席、そして日本の伝統的な演芸についての優れた道案内人としての立川談志に、あらためてお礼を言いたい。いい仕事したね、談志さん!
by kogotokoubei | 2011-11-29 21:00 | 落語の本 | Comments(6)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛