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噺の話

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2011年 09月 30日 ( 1 )

昨年12月の会で小金治さん(真打昇進前二ツ目で落語界から映画の世界へ転出されたので、残念ながら“師匠”とは呼べない・・・・・)の見事な『三方一両損』を拝見したので、今年もぜひ来たかった。なんとか行くことができ、ある意味で歴史的な会に居合わすことができた。しかし、300席の会場は約六割ほどの入りだった。この会の意義を知らない方が多いのだなぁ。しかし、満席になってもチケットが取りにくくなって困るしなぁ、複雑な思いをさせる客の入りだった。
 終演後の「居残り会」が盛り上がって帰宅が日付変更線を超えたので、一日遅れで書いているが、いまだに最後の5分間の出来事への感動の余韻が消えない。さて、何があったかは、順に書いていくことにしよう。

 構成は次のような盛りだくさんな内容だった。
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(開口一番 笑福亭呂竹 『初天神』)
桂文我  『宿屋仇』
桂小金治&桂文我 対談「芸談あれこれ」
桂小金治 『渋酒』
(仲入り)
桂文我  『帯久』
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笑福亭呂竹『初天神』 (18:33-18:48)
 初めて聞く。見た目や内容から、まだ入門数年の若手かと思っていた。ネタ数が少ないので、まったく季節感のない噺をかけたのだろうと察していたのだが、後でネットで調べたら師匠呂鶴に入門して10年目のようだ。語り口も団子の蜜を舐める仕草も含め、まだまだ修行してもらう必要がある。

桂文我『宿屋仇』 (18:49-19:31)
 この人の高座姿が、ますます“品”良く、あえて言えば格調高くなったように思う。知らない人は、とても枝雀の弟子とは思わないだろう(!?)。この噺も上方がオリジナルで、東京へは三代目の小さんが移し五代目も十八番の一つにしていた。上方のこの噺の演出上の特長は、何と言っても三味線、笛に太鼓に唄の“はめもの”が効果的に使われること。明石から伊勢詣りをした帰りの仲良し三人組、喜六・清八・源兵衛が、大阪は日本橋(ニッポンバシ)の旅館でどんちゃん騒ぎをする。隣室の侍が手紙を書いている最中だったのだが、三味線のリズムに合わせて、つい体と筆が動いてしまうところなど、東京の型にはない楽しさがある。噺家によっては侍をもっと強面に演じるが、この人の場合は、程よい加減の侍像という印象。全体としては長講ながら飽きさせず途中もダレない、楽しく味わいのある本寸法の上方噺だった。先月の米二とは別種の上品な高座、今年のマイベスト十席候補としたい。 補足すると、この噺の難しさについて、『桂枝雀のらくご案内』には次のように書かれている。生半可なネタではないのだ。『桂枝雀のらくご案内-枝雀と61人の仲間-』(ちくま文庫)

 内弟子時分に、うちの師匠から教わったネタなんですが、言葉数の多いいわゆるほおばるネタでして、それでも昨今、なんとか自分のもんにできたかな・・・・・・と思っておりました。そしたらある時、うちの師匠が「わしもなァ、いっぺんでええさかい『宿屋仇』をきっちりと演りたいと思てんねや・・・・・・」としみじみ言わはりました。それ聞いて、改めて「道は遠いなァ」と思っているのでございます。


対談「芸談あれこれ」 (19:33-20:13)
 文我が先に舞台に登場し“露払い”した後に、小金治さんが真っ直ぐと綺麗な立ち姿で舞台袖に登場し一礼。大正15(1925)年10月6日生まれなので、来週木曜日に満85歳を迎えるとは思えない凛々しい小金治さんにまた会えて良かった。
 落語の著作もあり、落語関連の豊富な資料を収集している文我。その所蔵資料から、昭和20年代初期に、当時の落語芸術協会の若手による「青年落語努力会」が、ガリ版刷り(うわぁ~、懐かしい!)で発行していた「落語アパート」という会報の黄ばんだワラ半紙を持ってきた。昭和23年の歴史的文書(?)に、小金治さんの前座時代小竹が書いた内容を紹介して対談は幕を開けた。昨年も楽しかった対談は、実に盛りだくさんな内容だった。さて、どの話を紹介したらいいものか。本当は会場に駆けつけたお客さんだけの秘密にしたいところだが、すでに公になっているエピソードもあるので、少しだけばらしましょう。
□石原裕次郎は小金治さんの奥さんの手料理が大好きで、小金治さんの自宅を「料亭 桂」と呼んで、頻繁に一升瓶を手に訪れた。
□魚屋だった父親の笑顔は家では見たことがなかったが、子どもの頃に桟敷の寄席が好きだった父親に四谷の「喜よし」に連れてってもらった時、その父親が落語を聞いて笑っているのを見て、「あの父を笑わせる落語は凄い」と思った。(それが、戦後の落語界入りの伏線だったようだ。)
□なかなか噺を覚えられずに父親に泣き言を言ったら、「他の噺家さんだって同じ人間だろ。お前がネタを覚えられないのは、サボっているからだ」と諭され、稽古に励んだ。
□父からは、世の中一人で生きていけはしないんだから、他の人を大事にすること。そして、決して上から(目線)ではなく、下から(低姿勢で)お付き合いすること。そして、いつも笑顔でいること、など多くのことを学んだ、などなど。

 85歳になっても、未だに忘れない父親の教えが、この方の了見を磨いてきたことを痛感した。そして、やや長くなっていることを案じたのであろう、対談を収束させ自分の出番につなげようとしたのも小金治さんご自身であり、文我はもっと話したかったように見受けた。

桂小金治『渋酒』 (20:15-20:37)
 対談の中でも説明があったが、この噺は笑いがほとんどないので、お客さんの辛抱が試されるという“おことわり”の後、「旅の噺が好きで」と『二人旅』のダイジェストで会場を暖めて本編へ。五代目立川ぜん馬から稽古をつけてもらったらしい。ぜん馬からは、「若い人がやるような噺じゃない」と一度は断られたが、「私もそのうち年をとりますし、今のうちに覚えなければ年をとってからでは覚えられない」とお願いして習ったらしい。ちなみに五代目ぜん馬は明治28(1985)年生まれで昭和35(1960)年亡くなった噺家さん。談志家元や五代目円楽など多くの噺家が稽古をつけてもらったと記録にある。その昔の一朝爺さん、そして彦六の正蔵のような、稽古してもらうにはうってつけの噺家さんだったのかもしれない。
 どんな噺か、概要のみ記す。
(1)男の旅人が山の中で道に迷い泊まる先を探していたが、村の鎮守の留守番役から、
   村一番の貧乏人の家を紹介される。
(2)村一番の貧乏人の家で一泊させてもらえることになったが、主人は用があるから
   留守番をしてくれ、奥の部屋は覗かないように、と言って出て行ってしまう。
(3)障子が破けており、つい奥の部屋を覗いた旅人は、そこに女性の死体が横たわって
   おり、その手が動いたのを見て驚いた拍子に転げて頭を打ち気を失う。
(4)家の主人が帰ってきて、今朝女房が亡くなったこと、それを親戚に知らせて葬儀
   の手配もするため出かけたこと、動いた手は、添い寝をしている幼い娘の手である、
   と明かす。
(5)男は翌日も旅を進め、途中で茶店に立寄る。厠を借りた際に、裏の納屋に一人の男が
   縄で縛られているのを発見する。
(6)茶店の主に納屋の男のことを尋ねると、「うちの最高の酒をねたみ貶しに来た男だ。
   酒を飲んで『こんな渋い酒はない』と悪口を言ったから、縄で縛ってある。」との
   こと。
(7)旅人は、その酒をもらい一口飲む。そしてサゲへ。

 長くなったが、今後この噺をかける噺家さんは皆無に近いと思うので書かせていただいた。ただし、小金治さんが気に入っているサゲは明かすことはできない。年季の入った落語愛好家の方は想像できるように思う。
 少し言い間違えや言いよどみもあったが、珍しい噺を聞かせていただき、会場からの暖かい拍手の中を退場された。「来年は、どんな噺を高座にかけてくれるかなぁ」などと思っていたのだが、最後に再登場して、あの発言があったのだ・・・・・・。

桂文我『帯久』 (20:44-21:25)
 この噺も上方発祥で、東京でも演じられる政談もののネタ。米朝が十八番としている。上方版では噺の中心となる二軒の呉服屋は、和泉屋与平が東横堀に沿った瓦屋町三丁目、帯屋久七が同じく二丁目。東京版では和泉屋が日本橋本町四丁目、帯久が同二丁目となる。噺の筋の詳細は書かないが、『宿屋仇』と併せるもう一席に、この大ネタというのは、凄いと思う。サゲは大師匠とは替えたが、これは還暦で“本卦がえり”という言葉が今日では“死語”に近いから無理もないか。ちなみに東京版では、古くなるが三年ほど前、三三の独演会で聞いている。その時のブログに、生の高座ではないが音源で聞いていた志の輔のサゲも併せて書いたので、ご興味のある方は昔のブログをご参照のほどを。
2008年8月1日のブログ

 一席目の長講と対談が続き、結構疲れているように思うのだが、しっかりと本寸法での高座だった。しかし、上方ならではの“はめもの”も含めた一席目に比べると、後半やや急いだ感もあって、マイベスト十席候補は一席目のみとしたい。


 さて、そろそろ9時半、この後の「居残り会」に心が動きつつある時、舞台袖に小金治さんが登場。なんと、『渋酒』の高座の時に言い忘れたらしいが、「今日の『渋酒』をもって最後とし、今後一切落語はやりません」とのサプライズ発言。まだ、高座に座っている文我も横で驚いている。小金治さんは、会場に深ぶかとお辞儀をした後、顔をを両手で覆って号泣。再び会場へのお礼とお辞儀のあと、会場からの拍手が長く止まなかった。
 小金治さんが舞台袖に下がってから、文我が、「小金治さんのココ(*胸を叩いて)には、今もたくさんの噺が入っています。あくまでも『渋酒』は今日で最後、ということでしょう」と引き取って終演となった。

 やや、会場のざわめきが残る中を外へ出て、いつもの三人に紅一点の素敵な方が加わって、いざ「居残り会」へ。小金治さんのこと、文我のこと、そしていろんな話であっと言う間に時間が過ぎる。程よい酒と肴と楽しい会話で盛り上がった後、最後の客として店を出た。
 「“噺”は最後でも、また対談で貴重な“話”を聞かせていただければ、それでいいさ」、などと思いながら半蔵門の駅へ向かった。もちろん、冒頭に書いた通り日付変更線超えの帰宅である。とにかく、なかなか出会えない、長く思い出に残るに相違ない落語会だった。

 あっ、ネットで検索していたら、昨夜の落語会のことがニュースになっているではないか。記者があの会場にいた、ということか・・・・・・。歴史的落語会の裏づけ、とも言えるかなぁ。MSN.産経ニュースの該当記事
by kogotokoubei | 2011-09-30 09:15 | 寄席・落語会 | Comments(14)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛