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噺の話

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2011年 09月 13日 ( 1 )

 9月13日は、先代の金原亭馬生の命日である。昭和3(1928)年1月5日に志ん生の長男として生まれ、昭和57(1982)年の9月13日に満54歳で亡くなった。興津要さんが、訃報に接した後の感慨を次のように書いている。
興津要著『忘れえぬ落語家たち』(河出文庫)

 江戸時代から昭和初期まで残っていた<古き佳き日>を知っていて、しかも表現できる落語家が、また、ひとり亡くなった。
 去る昭和57年9月13日、食道ガンのために十代目馬生が亡くなったことによって、円生や彦六からの芸風の系列が切れてしまったの感が深い。
 わたしが馬生と知り合ったのは、ずいぶん遠いむかしになる。
 昭和25年から30年にかけて、わたしは駒込神明町に住んでいて、志ん生、馬生親子の住む駒込動坂とは隣り町だったこともあって、いつの間にか往き来する仲になった。
 戦争末期から終戦直後にかけての馬生は、ずいぶん苦労したらしい。
 なにしろ、酒好きの父親の志ん生が、軍隊慰問に行ってしまって生死不明であったうえに、まだ二つ目の身分で、母親や姉弟をかかえて、食料も入手できない毎日を必死に生きぬいてきたのだから、それは、まさしく地獄の苦しみであったことだろう。
 わたしと知り合ったころの馬生は、晩年の枯淡の味とはほど遠く、酒量ももっと多く、食べるものももっとたくさん口にしていた。
 それは、持ちネタをどしどし増やしつつあった精進ぶりにも通じる<いきおい>でもあったろう。
 ただ、そのころは、父親志ん生の持つ滑稽味を出そうとしたためか、無理に笑わせようとする傾向もあったが、しだいに、しっとりした独特の方向を探りあてはじめた。
 「たが屋」「笠碁」「船徳」などに佳い味を見せて、「馬生がよくなった」という声が落語通の間にも聞かれるなかで、昭和44年には、芸術選奨の新人賞に輝いた。



 なぜ、興津さんが志ん生親子との縁ができたかを、同書の“志ん生”の章から引用。

 太平洋戦争末期、日本国内にアルコール類が乏しくなり、向こうへ行けば酒が飲めるという、ただそれだけの理由で満州へ行ったま生死不明だった志ん生が、昭和22年1月、駒込動坂の自宅へ帰ってきた。
 それから、昔日の人気を取りもどすまでに、そんなに長い月日を必要とはしなかった。
 そのころ、動坂とは隣り町の駒込神明町に住んでいたわたしは、滑稽本、人情本、草双紙、小噺本というたぐいの江戸戯作関係の本を読むために上野図書館に日参していた。
 まだ終戦間もなくで、タクシーなんかない時代だったから、売れっ子の志ん生も、わたしとおなじ都電を利用していた。
 したがって、わたしは、志ん生と時折り乗りあわせたのだが、惚れた女に逢ったときのように、くちのなかがカラカラにかわいて、顔ばかりほてって、なかなか話しかけることができなかった。
 それが、いつ、どんなことがきっかけで話しかけたのか覚えていないが、「うちへ遊びにいらっしゃい」といわれるようになった。


 興津さんは大正14(1924)年生まれなので、志ん生が満州から帰国した昭和22年というのは23歳の頃。なるほど、志ん生に簡単には声をかけられなかったのだろう。ちなみに当時馬生が19歳、志ん朝は9歳である。

 興津さんが代表作に挙げる馬生の「笠碁」は、私も大好きな音源で携帯音楽プレーヤーの常連だ。「船徳」もいいが、先日弟子の雲助で聞いた「お初徳兵衛」のほうが、この人らしい噺だと思う。

 雲助の「お初徳兵衛浮名桟橋」を聞いた日のブログ2011年8月23日のブログでも引用した本、石井徹也編著『十代目金原亭馬生-噺と酒と江戸の粋』(小学館)の中の、伯楽、今松、駒三の対談から引用したい。石井徹也編著『十代目金原亭馬生-噺と酒と江戸の粋』

「何でもいいんだよ」の真意
駒三 とにかく、物事を押し付けないというか、非常に淡白ですね。
    弟子に対しても淡白。
今松 ウチの師匠の有名な言葉といえば、「何でもいいんだよ」
    だから、ね。
伯楽 最後は「何でも」だけになっちゃったけどさ、オレはちゃんと
   真意を聞いてたよ。
   「いいかい、酒の肴として海鼠腸(このわた)が出る。ホヤが出る。
    人によっては“こんな不味いものはねぇや”と思う人がいる。
    でも、それを食って旨いと感じる人もいる。“一品料理”として
    出せればいいんだ。
    お客様相手なんだから、喜ぶお客様がいて、“一品料理”として
    出せるものなら、芸でも、どんなもんでもいいんだ」そういう
    意味で「何でもいいんだよ」と言ってたんだよ、ウチの師匠は。



 お姉さんの美津子さんが、「何でもいいんだよ」という言葉の意味を探るのに参考となりそうなことを語っているので紹介したい。『三人噺-志ん生・馬生・志ん朝-』(2002年扶桑社より単行本、2005年文春文庫で発行)からの引用。美濃部美津子著『三人噺-志ん生・馬生・志ん朝-』

 あの子は絵だけじゃなくって、字も上手かったわね。前にお弟子さんが話してたんですけど、寄席の楽屋に筆が置いてあるでしょ。どの噺家さんが何の噺をしたか記しとく「ネタ帳」を書く筆。それが前座さんがちゃんと手入れしなかったとかで、墨で固まっちゃったりして、書きにくいったらありゃしない。でも、そんなひどい筆でも、お客さんから色紙を頼まれたときに、メザシの絵をすーっと描いてね。脇んとこに「メザシにも鯛に勝れる味があり」って、またすーっと書いたっていうんですよ。
「それが見事なんですよ。ボロボロの筆なのに、それこそ涼やかにメザシを描いちゃうんですかってくらいに」
 書いた文章も馬生らしいって思いますよね。



 “鯛”に負けない「一品料理」の“めざし”になるのは、並大抵なことではない。だからこそ、円生をも上まわろうというネタ数を誇るに至る若い時分の精進があったのだろう。

 一門の活躍もあって、今のほうが現役時代よりも馬生の人気が上がっているのではなかろうか。しかし、今ごろ天国で好きな酒をちびちびやりながら一門の活躍を見ている十代目は、「そんなに力むんじゃないよ、メザシでも、何でもいいんだよ」、そんなことを呟いていそうな気がする。
by kogotokoubei | 2011-09-13 11:45 | 今日は何の日 | Comments(10)

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