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噺の話

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2009年 04月 21日 ( 1 )

柳家小三治『子別れ』通し口演の背景にあるドラマ_e0337777_11054494.jpg

柳家小三治_子別れ

 『子別れ』について書いていて、やはり柳家小三治の「通し」口演のいきさつについて、少し振り返りたくなった。前回にも少しだけ紹介したが、その背景にあったドラマのことまでは詳しく説明していない。とは言っても、私自身がリアルタイムで経験できたわけではなく、残されたCDと、そのドラマが記録された書物で辿るだけであるが、このネタについて何か語るならば、この作品のことを避けては通れないように思うので記します。
 1982年に下北沢に本多劇場がオープンし、「本多寄席」と銘打った落語会が開催されるようになった。第一回として、その年の12月13日に「古今亭志ん朝独演会」が開催された。『寝床』と『文七元結』の二席が演じられ、ソニーのプロデューサーであった京須偕充さんは、出色の出来だった『文七元結』のレコード(CD)の収録に成功した。そして明けて1983年。京須さんは、長年に渡って慎重に交渉を進めてきた柳家小三治の本多寄席での独演会と録音の約束をとりつけた。小三治師匠、44歳の上げ潮といえる頃である。しかし、どのネタにするかは、まだ小三治も迷っていた、そんな時の状況を、『落語名人会 夢の勢揃い』京須偕充著(文春新書)より引用する。

柳家小三治『子別れ』通し口演の背景にあるドラマ_e0337777_11054592.jpg

京須偕充著『落語名人会 夢の勢揃い』


 小三治という人は誰よりも個性的だが、奇を衒うことを好まない。個性たしかだから奇を衒う必要がない。それをしかと自覚している。他のジャンルとのセッションなどという、誰にでも考えられて、しばしば線香花火に終わる企画をもちかけても、おいそれと乗る人ではない。
 とにかく九月一日の独演会とその録音については合意している。会って、相談をして、その演目構成に何か一工夫をしよう。初夏の宵、かつて新宿副都心にいちばん早くオープンしたホテルで待ち合わせた。83年の副都心はまだ意外に空が大きく見えると思うくらい、高層ビルはそれほど林立していなかった。柳家小三治はオートバイで姿を現した。



京須さんと小三治の立場の違いなどから、二人の会話はスムーズに進まなかったようだ。

 ついに柳家小三治が独演会をやるのなら、待ちに待った録音をスタートするのなら、そして誰よりも個性派の小三治なのだから、せめて演目構成で落語ファンをあっと言わせる企画を実現したい。それが制作者である私の考えだ。しかし小三治本人は、演目を決めることさえ渋るのである。独演会に応じていながら何をいまさらと言えなくもないが、まずは年来の主張を前提に掲げ続ける小三治だった。

 演目予告について、京須さんの粘りに負けてほぼ観念し始めた小三治に、ついに京須さんは提案する。
 雑談にも疲れたところで、ふっとひらめくものがあった。蹴られるかもしれないが、とにかく口に出す。
 『子別れ』どうです。一晩で上・中・下の通し口演ってのは。柳家小三治は一瞬、息を呑むようにした。目がギロリと動く。
 「ああ・・・・・・。それなら、ねえ。・・・・・・うん」
 これ、やっていそうであまりやられていない、と私は付け加えた。ラジオで、五代目古今亭志ん生が至極かいつまんで簡略にやったことはあったが、独演会でじっくり通し口演したのは六代目三遊亭圓生しかいない。これは実質があって、しかも話題になる企画ではないか、とさらに添えた。言いながら、私にもだんだん確信のようなものが生まれてきた。
 「うん、じゃ、それで行きましょう」
 柳家小三治はきっぱり言った。

 京須さんの読み通り、この企画はマスコミにも注目された。そして、「山篭り」である。

いくつかの新聞が柳家小三治にインタビューし、予告記事を書いた。インタビューでは、さァどうなることか自分でもわかりませんと他人事のように言っていた小三治の目の色が変わってきたのは八月のなかば近くになってからだ。やがて小三治山篭りの噂が立った。
『子別れ』に関する、ありとあらゆる資料、録音テープや先輩の速記本を抱えて旅立ったというのだ。帰京予定日は九月一日、独演会の当日という。
 九月一日の独演会当日になった。夕方、早目に楽屋入りした弟子に聞くと師匠小三治は帰京したが、髭が伸び放題だったという。剃る間も惜しんで構成と稽古に没頭していたらしい。やがて楽屋入りした本人にもう髭はなかったが、いつも以上に目がくぼみ、少し青白かった。
 どうしていいかわからない、えらいことを引き受けたと後悔したけど、もうどうにもならない、としきりに悲観的な見通しを述べた。
 どんよりと空気が淀んだ、薄日の蒸し暑い日だった。いっそ天変地異でも起こらないかなァと小三治は穏やかならぬことを言う。それで独演会が中止になれば命拾いをするという、テストを逃れたい少年のような考えだ。その日九月一日はちょうど六十年前の1923(大正12)年に関東大震災が起きた日付けではある。

 当日の口演の出来については、CDでご確認いただきましょう。実際の口演時間が130分となり、その編集についての後日談もこの本に書かれている。私はソニーの回し者でも、文春の営業でもないが、このCDについてはこの本を読んでから聞いてもらうと、楽しみは倍加するように思う。

 この本は、京須偕充さんの生い立ちに始まり、落語好きな少年時代の思い出などが語られ、数々の落語の名作を残したプロデューサーとしての、圓生、志ん朝、小三治といった名人達との出会いやエピソードがたっぷりの後半まで、落語の話が一杯詰まっている。
 決して高座の録音を簡単には許さないそれぞれの噺家を、どうやって口説いていったか、という話や、個性的な多くの落語家の思い出話など、読み応えのあるドラマがいくつもあって楽しい。
 この『子別れ』の成功が、その後京須・小三治コンピによる鈴本の独演会の録音につながり、おかげで数多くの名作が残されたわけだ。

 
 名プロデューサーと名人の出会いがあって、初めて我々が味わうことができる名作。小三治の『子別れ』は、そんな歴史を背景にしている。
by kogotokoubei | 2009-04-21 12:03 | 落語のネタ | Comments(0)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


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