長谷川洋二著『八雲の妻 小泉セツの生涯』より(22)
2026年 04月 08日

長谷川洋二著『八雲の妻 小泉セツの生涯』(潮文庫)
長谷川洋二著『八雲の妻 小泉セツの生涯』(潮文庫)の二十二回目。
初版は松江今井書店から1988年刊行。
2014年に全面改稿新版が同書店から出され、2025年9月に出されたこの潮文庫版は、新版を一部加筆修正したもの。
著者は、1940年、新潟生まれ。新潟大学人文学部で史学を専攻し、コロンビア大学で修士取得。
一時期会社員、前後して高校教諭を勤めた方。
本書の他に、『わが東方見聞録ーイスタンブールから西安まで177日』(朝日新聞社、2008年)などがある。
<目次>
□小泉セツ関係系図
□1 セツの生い立ち
□2 松江士族の没落とセツ
□3 ハーンとの出会いと結婚
□4 結婚生活
□5 未亡人時代
□思ひ出の記
□あとがき
□文庫版あとがき
□解説 怪談文学創作の最大の功労者・小泉セツの人生 小泉凡
[巻末付録]
□セツ・ハーン略年譜
□セツの「英語覚え書帳」
「未亡人時代」から。
八雲の良き理解者であり、八雲没後も、残された家族のために尽力したマクドナルド。
彼は、八雲とセツの長男一雄を、自分の子供のように気にかけていた。
一雄は、早稲田大学を大正八年(1919)三月に卒業した後、拓殖大学に就職し、大正十年(1921)には、同大学の教務課に籍を置き、東洋協会の機関誌『東洋時報』の編集に当たっていた。しかし、マクドナルドの指示が入り、三月からは倉庫係長として、横浜グランドホテルに勤務することになる。
ところで、ビスランドがその六年前(1915)に、再び夫とともに世界周航の旅に出て、日本に寄っているが、その年マクドナルドは大佐で海軍を退き、一雄入社の前年(1920)には、グランドホテルの経営者となり、久しく塒(ねぐら)としてきたホテルの運営に采配を振るうことになる。独身のマクドナルドには、近い親族がいなかった。彼は、まず間違いなく、一雄を己の後継者とすることを考え、そのために一雄名義でグランドホテルの株を買っている。さらに留学を視野に入れて、毎日英作文の課題を与え、自分の部屋に呼んで指導していた。
一雄は、セツへの手紙で、給与は「月に金一百円也」と報告している。たまたまその四月に、学習院大学教授で近所付き合いをしている田部隆次が、一年間の留学のために横浜を発った。入社して一ヶ月になる四月一日、セツへの手紙に、「マクドナルド様よりのすすめに従い、田部氏出発を見送ることになり」とあり、また、「弟達の学費の足しとして、ここに金五十円同封して送り申し上げます」と、高らかに書いている。
明治二十六年(1893)生まれの一雄、二十八歳の時のことだ。
すぐ下の弟巌が二十四歳、三男清は二十二歳、寿々子は十八歳だった。
この手紙から三週間ほど後、セツが一雄に会いに行こうとしたが、一雄は「東京某家の結婚披露の宴会の準備(のため)、我々雇い人等は甚だ忙しく、折角お出掛け頂いても、お目に掛かるのは困難」と手紙で押しとどめている。
かといって、当時のセツと一雄の仲が悪いことはなく、残っている手紙からは良好な母子関係がうかがえる。
翌年(1922)には、未亡人となったビスランドが来日し、マクドナルドを訪ねている。
ビスランドはマクドナルドの部屋を訪ね、一雄も呼ばれて、三人で一雄が留学する場合の専攻について語り合った。マクドナルドは法学を望み、一雄は哲学を希望したという。一雄は八月中旬のセツ宛の手紙に、田部が、ビスランドの宿泊先を尋ねてきたことを伝えるとともに、「日本語でよごさんずから、(手紙を)差し出され下さい。私宛(に)」と書き送っている。
マクドナルドは西洋人であり、地下の倉庫を一雄の勤務場所とし続けたのは、精神を集中して勉強が出来るからであったに相違ない。
一雄のアメリカ留学は、目の前に迫っているような日々だった。
しかし、大正十二年九月一日になった。
関東大震災が起きる。一雄は急遽実家へ戻り、横浜に急行した。マクドナルドは、一旦ホテルの外に退避しながら、一女性が内に取り残されていると聞くや、身を挺してホテルに入り、瓦礫の下で絶命して、六十九歳の生涯を閉じたのである。
大震災という天災、そして、八雲の良き理解者であり、没後は遺族を温かく見守っていたマクドナルドの死により、一雄のアメリカ留学計画は頓挫した。
それどころではなかったのである。
セツは八雲の蔵書が消え失せることを恐れ、八雲の生徒だった田部隆次に相談した。
田部は、自分の郷里の富山市で篤志家の寄付を得て富山高校(現富山大学)が設立され兄の恒太郎が校長であったこともあり、八雲の蔵書を「床飾り」として購入してもらった。
その金額は、セツが予期せぬ二万円、一雄の給与の十五年分、になったという。
これが、「ヘルン文庫」の誕生であった。
「富山大学附属図書館」のサイトから、「ヘルン文庫」について。
「富山大学附属図書館」サイトの該当ページ
ヘルン文庫は、ラフカディオ・ハーン(Lafcadio Hearn, 1850~1904 :日本に帰化して小泉八雲と称した。)の旧蔵書で、洋書2,069冊、和漢書364冊及び「日本:一つの解明」(「神國日本」)の手書き原稿上下2冊1,200枚からなっています。
洋書のうち1,350冊が英語、719冊がフランス語の書物であり、これらの大部分はハーンが日本へ来てから集めたもののようですが、中には彼がアメリカのシンシナティやニューオリンズ滞在中、貧しい記者生活のなかから買い求めたと思われるものもあります。
和漢書はセツ夫人の説明を通して、ハーンの文学的創作の資料となったものであって、大半は木版刷りの和本です。このほか、南日文庫267冊及びハーンに関する研究文献約2,600点も所蔵しています。
ヘルン関係文献は貸出することが可能です。また、ヘルン文庫を定期公開しています。市民ボランティアの方によるガイドも行っていますので、お気軽にお越しください。
ということで、関東大震災は、マクドナルドという八雲と家族の恩人を奪ったが、その蔵書や貴重な記録を保存する機会ともなった。
「ばけばけ」は終わったが、描かれなかった数多くのことがあるので、このシリーズはもう少し続けたい。
今日は会社は休み。
これから、ある映画を観に行く。
