「TSUNAMI」という歌と言葉のこと。
2026年 03月 13日
3.11の前後、テレビではさまざまな特番、関連番組があった。
その中で、NHKでは、2019年に初回放送された内容を含め、息子さんを亡くしたお父さんのことを放送していた。
初回放送は、NHKアーカイブスで確認できる。
NHKアーカイブスの該当ページ
寺島浩文さんは、サザンオールスターズの曲が好きで、桑田佳祐を尊敬し、その名を長男に名付けた。
その日、19歳だった佳祐さんを、亡くした。
震災後、ラジオ、テレビで一切聞くことのなかった名曲「TSUNAMI」。
曲は、決して自然災害のことを歌ったものではない。
心模様を「津波のよう」と形容する内容だ。
しかし、地震と津波という言葉は、3.11の惨状を想起させる。
メディアも、サザン自身も、そのため、この曲をかけたり、演奏したりすることはなかった。
しかし、それから6年経った時のこと。
アーカイブスから、動画のカットを含めて引用。

NA:あの日、息子の佳祐さんは自動車学校に通っていました。送迎バスで帰る途中、津波に襲われ帰らぬ人となりました。
NA:息子の名前は、桑田佳祐さんからつけました。大学でデザインを勉強していた佳祐さん。期待の息子でした。
寺島:桑田佳祐さんという人の才能…すごい才能を持った方だなと思って。桑田佳祐さんの「佳祐」。もう字もそのままとって。将来はまあ、そっちの方の(クリエイティブな)道に進むのかなと思っていたんですけどもね。
NA:佳祐さんを亡くしてからは、サザンの曲も、全く聴く気持ちになれず、寺島さんはふさぎこむようになります。
NA:息子はなぜ逃げなかったのか。自動車学校の対応に問題があったのではないか。
NA:寺島さんたち遺族は、自動車学校を相手に集団で裁判を起こします。
2016年、学校側の謝罪によって和解が成立。
NA:しかし寺島さんは、サザンの“TSUNAMI”をまだ聴くことができませんでした。
NA:そんな寺島さんの元に1通のメールが届きます。古くからの知人、ラジオ福島の大和田 新(おおわだ あらた)さんからでした。大和田さんは、震災から6年がすぎ、震災のことを考えるきっかけになればと、サザンの“TSUNAMI”を番組でかけたいと考えていました。しかし、津波で家族を失った人たちの苦しみを思えば、不謹慎ではないかと悩んでいたのです。
寺島:大和田さんも思ったんじゃないですかね。「前に進むためにこの曲をかける」。そういった意味で、私に意見を聞くためにメールを送っていただいたんだと思う。
NA:寺島さんは、心に区切りをつけます。そして大和田さんに返信のメールを送りました。2017年12月30日、ラジオから聞こえてきたのは…。
(歌)「TSUNAMI」 サザンオールスターズ
NA:大和田さんが、寺島さんのメールを読み上げます。
大和田:(同録)「なんと言っても、亡くなった息子の名前、佳祐は桑田佳祐さんからとった名前です。私も“TSUNAMI”は好きな歌のひとつです。息子の命を奪ったのは津波、自然災害ですが、でも、自動車学校の対応が悪かったんです。私としてはこの曲をかけていただいても構いません。」
息子さんを津波で亡くされた新地町の寺島さんです。
NA:寺島さんは、2018年、新たな一歩を歩み始めました。震災のことを伝えるため、語り部の活動を始めたのです。
寺島:やっぱりわれわれの子どもが亡くなったことによって、何か教訓を残さないといけないと思うので。本当に微力かもしれませんけども、何かしないではいられないっていう気持ちが本音かもしれないですね。続けていきたいとは思っています。
浩文さんは、「TSUNAMI」を聴き、佳祐さんの思い出に浸る。
そして、多くの人にとって、この歌は、「あの日を忘れない」象徴的な歌になっていくのかもしれない。
タブーは、やはり破られるべきものだと思う。
歌にしろ、言葉にしろ。
以前、ドラマ「不適切にもほどがある」に関連して、筒井康隆の断筆について書いた。
いわゆる「言葉狩り」によって、作家の創作が阻害されるという筒井の主張だった。
2024年2月17日のブログ
一つの言葉は、いろいろなことを連想させる。
その言葉を使う当人がまったく予測しないことまで、想像する人もいる。
しかし、だからと言ってその言葉を使うことをやめさせる、というのは、間違っている。
今、メディアでは放送禁止語が多いが、寄席でそれらの言葉を禁じたら、落語は成り立たなくなる。
「言葉狩り」は、言論の自由に反するし、大事な文化の継承をも妨げかねない。
TSUNAMIは、そのまま英語でも「TSUNAMI」だ。
実は、その背景には、小泉八雲の存在があった。

長谷川洋二著『八雲の妻 小泉セツの生涯』(潮文庫)
長谷川洋二著『八雲の妻 小泉セツの生涯』(潮文庫)に、そのことが記されている。
tsunami
『心』(1896・3・14)が出版されて三ヶ月を経た6月17日、『大阪朝日新聞』の朝刊に、二日前の夕刻に起こった明治三陸地震津波(死者2万2千人)が「海嘯(ツナミ)」と刻まれて報道された。
ハーンはその二日後の『時事新報』に載った記事によってと思われるが、安政地震津波に対して浜口悟陵(ごりょう)がとった義挙を知り、「生き神様」を書く。これは、翌年に出版された『仏の畑の落穂』の巻頭を飾り、OED(Oxford English Dictionary)は、その作品での「tsunami」の使用をもって、「つなみ」という日本語が英語化した端緒としている。確かに、当時の英字新聞(Japan Weekly MailやJapan
Gazette)には、[tsunami」の語は現れない。セツは新聞を見張ることに熱心で、十一日後に出掛ける松江にも、連日神戸の自宅から新聞を送ってもらっている。新聞で津波の惨状の報道に接して「つなみ」と声を発した時の、彼女の表情や語気が、ハーンの効果的な「tsunami」の使用を可能とし、この日本語起原の英語が誕生したと言えるかも知れない。
浜口悟陵と「稲むらの火」については、こちらをご参照のほどを。
Wikipedia「濱口梧陵」
歌の「TSUNAMI」も、そして、せっかく八雲とセツによって英語として通用するようになった「tsunami」という言葉も、大切にしないといけないと思う。
その言葉から悲しい過去を連想するかもしれないが、それも含め、ある歌、ある言葉が過去を忘れないようにしてくれることは大事だろう。
忘れて、また、同じ過ちを繰り返そうとする人が、あまりにも多いのだから。
