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糸谷哲郎という棋士のこと。


 A級順位戦のプレーオフで、永瀬九段を破って、糸谷八段が、初めて藤井名人への挑戦者となった。

 糸谷哲郎という棋士については、かつてある本から紹介したことがある。
2021年3月27日のブログ
2021年3月28日のブログ

 その本は、『野澤亘伸著『師弟ー棋士たち 魂の伝承』』。

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野澤亘伸著『師弟ー棋士たち 魂の伝承』

 
 著者は、フリーのカメラマン野澤亘伸。本書は単行本が2018年6月、文庫が2021年2月発行。

 本書から。

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 以前の記事と重複するが、あらためて糸谷哲郎という棋士についてご紹介したい。

 同書「第四章 対極 森信雄・糸谷哲郎」から。

 冒頭にある、印象的な糸谷の発言から始めよう。

  新人棋士のスピーチ

 新人王戦優勝の挨拶に向かう青年の手には、スピーチの原稿が携えられていた。髪を短く切りそろえた高校三年生。広島県随一の進学校・広島学院に通う一糸谷哲郎四段である。礼儀正しい言葉遣い、目上の者にも物怖じしない態度。十八歳になったばかりとは思えない大物感を漂わわせていた
「子どもの頃から舌禍癖があったもので、両親からは何を言うかわからないと警戒されていました」。原稿を用意したのは周囲を安心させるためだ。しかし自分の性格はよくわかっている。始まってしまうと案の定、素直な気持ちが出た。
「今の将棋界は斜陽産業です。私たちの世代で立て直していきたい」

 今から20年前、2006年の第三十七期新人王戦優勝祝賀会での、糸谷のスピーチである。

 大会参加時点では、奨励会の三段で三段リーグ上位の参加資格だったが、大会途中に四段に昇格した。
 当時の新人王戦優勝年齢では史上二番目の若さ。

 1988年生まれ、十八歳の高校生棋士が、お祝いの席で、「将棋界は斜陽産業」と語ったのだから、そのインパクトは小さくなかった。

 そして、昨年、糸谷は、日本将棋連盟の常務理事になった。
 
 藤井聡太の出現で、もはや「斜陽産業」ではなくなったかもしれないが、女流棋士の扱いなど、課題は少なくない。

 彼への期待は大きいはずだ。

 以前の同じ本からの記事から、もう少し。

 昨日、順位戦C級1組の最終対局があった。
 勝った方がB級2組に昇級する7勝2敗の杉本昌隆八段と8勝1敗の都成竜馬七段の対局。
 途中まで藤井六冠の師匠杉本八段有利だったが、時間がなくなった終盤に都成七段が逆転しての勝利。
 その都成と糸谷とのある逸話が、都成竜馬の章に載っていた。

 谷川浩司永世名人の唯一の弟子、都成竜馬が、年齢制限で最後の奨励会三段リーグを前にして、つい弱気な発言をした際、糸谷の言葉が都成を覚醒させ、四段昇段につながった。

 関西将棋会館で練習対局した後、糸谷哲郎八段(当時、竜王)と近くで夕食を共にした。軽く済ませて帰るつもりだったので、二人ともカレーを頼んだ。糸谷は一歳上だが、すでにタイトルの最高峰竜王を獲得した関西若手の旗手である。都成は親しみを込めて彼を「ダニー」と呼んでいた。
 食事が終わった頃、それとなく三段リーグの話になった。糸谷はいつも話を最後まで聞いてくれる。親しみからか、都成から少しネガティブになっていた感情がこぼれた。
「このままじゃ、あかんなぁ。自分みたいな人間は、誰かに厳しく言ってもらわないとダメなんだよ。谷川先生は、優しい言葉しかかけてくれないから」
 黙って聞いていた糸谷がすぐに言い返した。
「お前、甘えるなよ」
 ドキッとする語調だった。糸谷は続けた。
「都成に必要なのは、効率を考えてやることじゃない。がむしゃらに、何十時間も将棋に打ち込んでみろよ」

 
 都成にとっては、忘れられない、糸谷の檄だったのだろう。
 

 さて、棋士と学校とのこと。

 強くなるために、ということで、深浦康市は、はじめから高校進学をする気にはならなかった。
 そして、藤井聡太は、高校中退の決断をした。

 彼らとはまったく別の道を歩んでいる棋士が、糸谷哲郎だ。

  真逆の弟子

 学歴を必要としない棋士の世界において、糸谷の経歴は異色である。広島市内トップの進学校に通いながら、受験勉強と並行して四段昇段を果たした。プロデビュー後に国立最難関の一つである大阪大学文学部に合格。さらに大学院に進み、在学中に将棋最高峰のタイトル・竜王を獲得した。師の森とは真逆のエリートである。
 糸谷の家系は母方の祖父が大学教授であり、親族には研究者が多い。その影響で、子どもの頃から進学することが当然のように思っていた。棋士になることを意識したのは七、八歳の頃。最初、親族は反対したが、「大学に行くこと」を条件に奨励会の受験を許された。本人も進学する意思がなければ、広島学院を受験したいなかったという。
「大学に進学したのは、学問が必要という意識からです。棋士にとってというか、人間的にという考え方ですけど、むしろ棋士になれたことで、好きな学科を選べるなと思いました。就職を考えると文学部・哲学科では大変でしょう」
 祖父母の家へ行くと、たくさんの本があった。小学生の糸谷はそこで貪るように読書に耽った。

 糸谷の読書の対象は、幅広かった。
 多い日には、日に七冊、八冊は読んだという。

 森は小学五年生のときに家に遊びにきた糸谷の記憶をこう話す。
「飯食いながら彼が『三国志』の話始めてね。『これ知ってますか』って聞かれたのを、僕はやばいと感じて質問から逃げた。すると、妻が答えてもうた。そうしたら、もう捕まってしまって止まらない。その後、ずーっと『三国志』の話をされてしもうて、専門家並みによう知っているんですよ」

 小学五年生で、『三国志』を語りまくったとは、恐ろしい男だ^^

 しかし、奨励会時代に幹事の先生から素行が悪く何度も叱られたという。

「態度は悪かったでしょうね。基本的にせっかちですし、あまり座っていない。言うことは聞かないし、勝手に一人で動いている感じでした」。糸谷は当時をこう振り返る。
「入会して六級で二年くらい留まっていたんですよ。森師匠でなかったら、クビになっていたかもしれません。進学の影響はなかったと思います。受験勉強をしていた方が将棋の調子も良かったくらいなんで。理由はわからないですけど、頭を働かせていたからじゃないですかね。
 棋士以外の選択肢は、今でも思うところがあります。学者とか小説家に憧れがありました。小説を書いてみたいと思いますが、僕の書く文章は難しいですからねぇ。読んでくれる人がいるかどうか。サラリーマンは初めからできないと思っていました。毎朝起きることが苦痛な人間ですから。親族で会社員は父ぐらいですね。毎日帰りが遅いのを見ていて、自分にはこういう生活は無理だと思いました」

 糸谷は、「斜陽産業」と言った将棋界を盛り上げようと、若い頃から行動してきた。

 2013年に糸谷と西川和宏六段が中心となって「西遊棋」という若手たちのユニットを立ち上げた。

 棋士として、対局や研究が最も大切な時期にある彼らが、将棋ファンの裾野を広げていく必要性があることをわかっているのだ。

 棋士仲間からは「糸谷は三人いる」と言われている。対局で忙しいのに、イベントの準備に時間を割く。電話、メールにも、いつも丁寧な返事をくれる。相談事には朝まで付き合ってくれる。糸谷のキャパシティの広さを示す逸話だが、師匠の森が心配する部分がここにある。
「糸谷君は、僕に輪をかけてお人好しですよ。西遊棋に関して、設営や幹事での糸谷君の負担が大きすぎる。『ほどほどに』って言っても『いや、これは自分のためじゃなくて、今後の若手棋士のために』って、人のためばっかりで、優しすぎるんですよ」

 本書初版は、8年前。

 受験勉強で忙しかった時の方が将棋の調子も良かったと語っていた糸谷。

 彼の考え方。

 糸谷は「将棋一本に絞ったら、もっとタイトル挑戦や棋戦優勝ができるといわれるのですが、私は逆に今より実績を残せないと思います」と言う。一つだけのことをやると思考が固定化されてしまい、それ以外には適応しにくくなるというのだ。
「将棋が不調なときに、別の思考で自分を客観視することで、陥っている癖を掴み取れるんです。だから自分はマルチでやっている方が結果を残したい」
 ただ一般には一つのことに集中する方が結果を残せると思われがちだ。糸谷は「日本の社会は、一人の人間が専門とは別の領域を深めることに、あまり寛容ではない」と言う。

 協会の常務理事として忙しくしていることが、糸谷には良い効果につながっているのかもしれない。

 そんな糸谷と藤井名人との七番勝負は、4月8日から始まる。

 その前に、藤井六冠は、どちらもカド番となった王将戦と棋王戦の大一番が控えている。

 挑戦者の永瀬九段、増田八段は、どちらも絶好調と言えそうだ。

 二冠とも失冠する可能性もある。

 さて、今年の将棋界がどうなるのか、名人戦を含め、目が離せない。

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by kogotokoubei | 2026-03-04 12:57 | 将棋など | Trackback | Comments(0)

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