長谷川洋二著『八雲の妻 小泉セツの生涯』より(14)
2026年 02月 16日

長谷川洋二著『八雲の妻 小泉セツの生涯』(潮文庫)
長谷川洋二著『八雲の妻 小泉セツの生涯』(潮文庫)の十四回目。
初版は松江今井書店から1988年刊行。
2014年に全面改稿新版が同書店から出され、2025年9月に出されたこの潮文庫版は、新版を一部加筆修正したもの。
著者は、1940年、新潟生まれ。新潟大学人文学部で史学を専攻し、コロンビア大学で修士取得。
一時期会社員、前後して高校教諭を勤めた方。
本書の他に、『わが東方見聞録ーイスタンブールから西安まで177日』(朝日新聞社、2008年)などがある。
<目次>
□小泉セツ関係系図
□1 セツの生い立ち
□2 松江士族の没落とセツ
□3 ハーンとの出会いと結婚
□4 結婚生活
□5 未亡人時代
□思ひ出の記
□あとがき
□文庫版あとがき
□解説 怪談文学創作の最大の功労者・小泉セツの人生 小泉凡
[巻末付録]
□セツ・ハーン略年譜
□セツの「英語覚え書帳」
巻頭の系図の写真。

引き続き「結婚生活」から、東京でのこと。
上京の四日後(1896・9・11)の初講義以来、ハーンは土日を除く毎日、「抱俥夫(かかえしゃふ)」も同然の中村爺ヤの引く車で本郷の帝国大学に通った。講師資格の週十二時間の講義に対する給与は、松江時代の四倍の四百円、五年後(1901・4月)からは四百五十円で、それは後の漱石の給与百二十円(東大と一高の合計)の3.6倍に相当する。さらに印税が入った。額は、神戸時代に、西田宛書簡(1895・10・2)では年に「約千三百円」、チェンバレン宛書簡(同月29日)では「二千円」であった。セツは手堅く貯金し、東京郊外の西大久保村に、千坪に近い敷地の家を買い、翌年(1903年)の三月に転居するまでになった。
この西大久保の家に、八雲は亡くなるまで住んだ。
「散歩の達人」のサイト「さんたつ」に、二年前に「没後120年、小泉八雲と『怪談』。八雲が愛した散歩と新宿の周縁性」という題で、八雲の曾孫で松江の「小泉八雲記念館」館長である小泉凡が寄稿している。
「さんたつ」サイトの該当ページ
記事中には、小泉家提供になる、西大久保の家の貴重な写真も掲載されているので、拝借。


大学の講義をしながら、八雲は著作を続けた。
『仏の畑の落穂』(1897)、『異国風物と回想』(1898)、『霊の日本』(1899)、『影』(1900)、『日本雑記』(1901)と、一年に一冊ずつ出版された。
その中で『異国風物と回想』は、テニスン亡き後のイギリスで言論界の長老となったエドウィン・アーノルドに絶賛された。
かれは『異国風物と回想』を評して、「著書の優美にして高尚な思想の故に、月々無神経に文学界に投ぜられる、何トンものがらくた作品の全量に匹敵し、人生の最良の時間を当てて、心閑かに読むべきもの」と書いているーこの評に感謝したハーンは、彼に『骨董』(1902)を捧呈(ほうてい)した。
アーノルドによる、最大級の賛辞と言えるだろう。
『日本雑記』には、セツが語った出雲の怪談「破られた約束」が収められた。
八雲の弟子であった田部隆次は、「ヘルンの怪談中最もすごきもの」と記している。
セツの「お話好き」がいかに八雲の著作に貢献したかを物語っている。
東京時代には、家族の構成員が大きく変化した。
東京生活が二年半になる明治三十二年(1899)の四月、商船学校を卒業した新美資雄(よりお)が、自分と入れ替わりにと弟の資良(よりよし)を連れて来た。たまたまハーンがフェノロサ(一年前に夫妻で来訪)を歓談中で、資良一人が残ったのだが、快く受け入れられた。彼は第一高等学校に入るほどの秀才で、その実直な人柄を愛したハーンから洋書関係の使いを委ねられ、また、翌年の暮には、兄の乗る練習船月島丸の沈没で家中の悲嘆の中心になりもした。兄弟の新美(Niimi)の姓は、『霊の日本』の「蚕」で使われている。
同じ頃、書生部屋に入ったのが、十三歳の玉木光栄(あきひで)で、セツが最も親しくしていた従姉錬の息子、セツが実母の保護を託していた光の弟であったから、書生でありながら、すぐにもハーンとセツから愛され、七歳年下の一雄にとっての兄貴分となった。後に東京高等農学校に進むだけあって無類の動物好きで、一雄を共謀して、犬や梟を飼う許しの獲得に成功している。
東京商船学校の練習船月島丸の事故は、明治三十三年(1900)の十一月十七日のことで、静岡県沖の駿河湾で暴風雨のため遭難・沈没し、船長以下、練習生ら122名全員が亡くなる海難事故だった。
資雄の弟資良は、器械体操が得意で、八雲が一雄に鉄棒をさせる時は、先に資良が見本を見せたと、一雄が著書で記している。
明治三十二年には、女中のお梅が結婚し、代わりにお花が女中となった。
系図の中の、光、光栄の部分の拡大図。

東京に出てからも、セツが実母チエの親戚を大事にしていたことが察せられる。
東京に家には、他にもいろいろな人が訪ねている。
そんな人たちのことについては、次回。
