人気ブログランキング | 話題のタグを見る

長谷川洋二著『八雲の妻 小泉セツの生涯』より(12)


長谷川洋二著『八雲の妻 小泉セツの生涯』より(12)_e0337777_16061654.jpg

長谷川洋二著『八雲の妻 小泉セツの生涯』(潮文庫)

 長谷川洋二著『八雲の妻 小泉セツの生涯』(潮文庫)の十二回目。

 初版は松江今井書店から1988年刊行。
 2014年に全面改稿新版が同書店から出され、2025年9月に出されたこの潮文庫版は、新版を一部加筆修正したもの。

 著者は、1940年、新潟生まれ。新潟大学人文学部で史学を専攻し、コロンビア大学で修士取得。
 一時期会社員、前後して高校教諭を勤めた方。
 本書の他に、『わが東方見聞録ーイスタンブールから西安まで177日』(朝日新聞社、2008年)などがある。

<目次>

□小泉セツ関係系図
□1 セツの生い立ち
□2 松江士族の没落とセツ
□3 ハーンとの出会いと結婚
□4 結婚生活
□5 未亡人時代
□思ひ出の記
□あとがき
□文庫版あとがき
□解説 怪談文学創作の最大の功労者・小泉セツの人生 小泉凡
[巻末付録]
□セツ・ハーン略年譜
□セツの「英語覚え書帳」

 巻頭の系図の写真。

長谷川洋二著『八雲の妻 小泉セツの生涯』より(12)_e0337777_16382060.jpg



 引き続き「結婚生活」から。

 前の記事で、次は東京のこと、と書いたが、その前の旅行などについて記すことにする。

 明治二十九年(1896)の二月、戸籍の手続きを終えた八雲一家は、そのお祝いも兼ねてだろう、旅行している。

 家族で伊勢へ旅行して、帰路大阪に一週間ほど滞在したが、四月初めには帝国大学(翌年から「東京帝国大学」)への奉職が確定する。九月の上京・移住の前に、ハーンとセツはトミと一緒に一雄を伴い、二ケ月の予定で出雲に帰省した。神戸では、中山手通り七丁目の家(神戸第三の住居)に、金十郎がお米・お梅の二人の女中とともに留守を守る。
 八月三十日の松江到着以来、宿泊先の旅館にセツの縁者やハーンの元同僚たちが、引きも切らずに来訪した。その中でチエは「気品の髙い容姿のお祖母様で・・・・・・どことなく冷たい感じのする(人で)、そのか細い声を嫌った一雄は失礼な態度をとって、パパから生まれて初めてのスパンク(尻の平手打ち)を食らう。

 来訪者の中では西田千太郎が誰よりも熱心に通い、また、セツも初めて挨拶と御礼のため西田宅を訪ねている。

 セツが親族以外で最も信頼してきたこの西田は、再会からわずか八ケ月後(1897・3・15)に、両親に妻、それに十一歳の長女を頭に下はまだ二歳の三男まで、四人の子供を遺し、三十四歳の若さで胸の病に屈し、地上で最も信頼していた友を失ったハーンを、「悲鳴と落胆のドン底に陥れた」。

 「ばけばけ」では、西田をモデルとする錦織が、松江中学の校長になりそうな雲行きだ。

 また、帝大を卒業していず、教員免許もない、ということになっている。

 帝大を出ていないのは史実通りだが、教員免許については、少し違っている。

 Wikipedia「西田千太郎」から。
Wikipedia「西田千太郎」

旧制松江中学校の授業助手として採用された後、文部省中等教員検定試験に合格し、心理、倫理、経済、教育の4科目の免許状を受けた。兵庫県姫路中学校、香川県済々学館勤務を経て、明治21年(1888年)島根県尋常中学校教頭となる。学校の再建に着手し、教授法の改善、経費の削減などに努めた。

 ということで、正式に教員免許を取得していた。とはいえ、英語ではない科目だったが。


 東京赴任前の旅行の最後の一週間は、四人家族に西田を加えて、杵築で過ごした。

 朝日新聞は、「出雲の神様にお礼参り 小泉八雲夫婦」という記事を載せた。

 参拝した日の夜、セツは深夜の一時までかけて、神戸の金十郎に長い手紙を認(したた)めている。引続きの雨天で寒く、一雄には単衣(ひとえ)二枚を重ね着させている事などの報告とともに、連日の新聞の転送や、留守中、夜中交代で「ねずの番」をしていることなどに感謝していることが、書き送られた。中でも、「父上さまのふんどしは、まちがいにてかばんの中に入り、当地に罷在るに付きさぞ御不自由の事と察し・・・・・・」の事を二度も書いて、セツと金十郎との、ユーモアを交える大らかな親子関係が察せられるのが、興味深い。

 思わず、クスッと笑ってしまう。

 この後本書では、セツの実母チエのことに触れている。

 セツが神戸を発って東京に向かう前日(九月六日)、松江では、チエがセツ宛に長い手紙を書いている。

 チエは、五十九歳になり、セツからの仕送りで生活しており、「ひとえニ、ひとえニ、おせつどのの(お)かげとよろこび申し」といった表現でセツへの感謝の意を記している。

 また、八雲が九月から受ける俸給の高さに驚きを表している。
 実際は、四百円だが、セツはチエに三百円と告げていた。
 それでも、大変な高給だ。

 ここで、系図から、ある部分を拡大したものを掲載する。

長谷川洋二著『八雲の妻 小泉セツの生涯』より(12)_e0337777_12443669.jpg


 チエの兄で、塩見家の七代目にあたる小兵衛の孫に光(テル)がいる。

 セツは神戸時代に、練の娘の光と手紙の遣り取りをしている。そして、伊勢への家族旅行の帰りに、一週間ほど大阪に滞在した時には、必ずや光の家を訪ねていたであろう。いずれにしても、片寄伴之助(かたよりばんのすけ、弁護士)の妻である光は、セツの依頼に応じ、大叔母チエの保護を引き受けた。東京に回されて来たチエの手紙を、セツがどのような気持ちで読んだか分からないが、チエは間もなく光の住む大阪に移り住み、東京から月々の生活費の仕送りを受けて老いの日を送るのである。

 チエの生活の安定基盤を準備してから、まず八雲とセツの二人、その後、養父母と二人の女中(お米・お梅)が一雄を連れて上京し、市ヶ谷谷富町の借家に移り住んだ。

 ということで、次回から、東京篇である。

名前
URL
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

by kogotokoubei | 2026-02-05 12:57 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Trackback | Comments(0)

あっちに行ったりこっちに来たり、いろんなことを書きなぐっております。


by 小言幸兵衛
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28