長谷川洋二著『八雲の妻 小泉セツの生涯』より(11)
2026年 02月 02日

長谷川洋二著『八雲の妻 小泉セツの生涯』(潮文庫)
長谷川洋二著『八雲の妻 小泉セツの生涯』(潮文庫)の十一回目。
初版は松江今井書店から1988年刊行。
2014年に全面改稿新版が同書店から出され、2025年9月に出されたこの潮文庫版は、新版を一部加筆修正したもの。
著者は、1940年、新潟生まれ。新潟大学人文学部で史学を専攻し、コロンビア大学で修士取得。
一時期会社員、前後して高校教諭を勤めた方。
本書の他に、『わが東方見聞録ーイスタンブールから西安まで177日』(朝日新聞社、2008年)などがある。
<目次>
□小泉セツ関係系図
□1 セツの生い立ち
□2 松江士族の没落とセツ
□3 ハーンとの出会いと結婚
□4 結婚生活
□5 未亡人時代
□思ひ出の記
□あとがき
□文庫版あとがき
□解説 怪談文学創作の最大の功労者・小泉セツの人生 小泉凡
[巻末付録]
□セツ・ハーン略年譜
□セツの「英語覚え書帳」
巻頭の系図の写真。

引き続き「結婚生活」から。
八雲の日本国籍取得について。
「古い日本」への愛が背景にあるとはいえ、それが日本国籍取得の主たる動機ではなかった、と本書では記している。
主たる動機とは、信じ難いまでの妻子への気遣いであった。セツと一雄をただ法的に妻子とするだけではなく、自分の亡き後、印税などの遺産を確実に相続し、さらに不都合なく暮らしていけるようにとの配慮である。
後年、東京帝国大学を解雇された際、すでに日本国籍を取得していたにも関わらず、家族の将来についての不安を、ミッチェル・マクドナルドに吐露している。
マクドナルドは、八雲のことを「苦労性の天才」と称している。
セツも、後年、「気の毒な程(家族を)心配してくれました。帰化の事でも好まない就職の事でも皆」と語っている。
この間の事情を最もよく知る者は、横浜に住んで当時の国際結婚の実情に通じ、たまたま『心』を謹呈されている雨森信成であった。
本書では、雨森に「あめのもり」とルビがふってあるが、Wikipedia「雨森信成」では、次のように「あまもり」となっている。
Wikipedia「雨森信成」
雨森 信成(あまもり のぶしげ、1858年 - 1906年)は、プロテスタント源流の一つ横浜バンドのメンバー。伝道者、宣教師の通訳として活躍した人物で、英語教育者としても活躍した。晩年の小泉八雲の親しい友人としても知られる。
いくつか調べてみると、両方の表記が混在し、どちらが正しいかは、今の時点では不明。
その雨森は、八雲の没した翌年の「アトランティック・マンスリー」に掲載された「人間ラフカディオ・ハーン」で次のように述べている。
家族のために懸命に働き、大いに苦しみもした。彼らを思ってだけ、彼は「地獄」にも住み、囚人懲罰用の「踏車(ふみぐるま)」の苦役にもつき、もし独身でいたならば、決して耐え得なかった艱難(かんなん)をも忍んだのである。・・・・・・私に次のように書いて来たことがある。「私は私一人のものではなく、私自身よりも幸福なほかの者たちのものでもあるわけで、そうでなかったら、私は僧になりたいと思っています」。
事実、彼が帰化して日本国民になったのは、ただただ、生存が彼にかかっている「より幸福なほかの者たち」のためであったのである。(中略)
当時の日本には、養子縁組による以外の帰化の法律がなかった。こうした状況下にあって、予想される困難を前もって除去する唯一の方途は、妻の父の家族の養子となることであった。それ故に彼はその通りにして、小泉八雲という日本名を名告(なの)ったのである。
どれほど、八雲が妻と子の将来を案じ、帰化に執着していたかがわかる。
正確に言うと、八雲が帰化するには、養子縁組と入夫の二つの方法があり得た。
実際に実に面倒な手続きを踏んでいる。
小泉湊とチエの次女として生まれたセツは、「お七夜」の翌日に稲垣家の養女となった。
だから、セツの戸籍は、稲垣家にある。
最初の夫為二が、ほどなく失踪してしまったが、稲垣家の戸籍には、「養嗣子」、すなわち家督相続人たるべき養子として為二の名前が残っていた。
ということで、セツは小泉家に籍を戻した。
八雲とセツが行ったのは、セツを戸主とする小泉家の分家を立てて、そこに八雲が入夫として入籍することであった。
手続きの過程では、実に煩雑な経緯があったが、それは割愛。
八雲の由来について。
八雲という命名は、西田の手紙によれば、万右衛門によってなされた。記録された日本最古の歌ー『古事記』と『日本書紀』との双方に登場する歌ー「八雲竜 出雲八重垣 妻籠(つまごみ)に 八重垣つくる その八重垣を」に由来する。「八雲立つ」という美しい枕詞に飾られる出雲に来て、櫛名田比売(くしなだひめ、稲田姫)を娶った須佐之男命(すさのうのみこと)の歌。新婚のための「新室寿(にいむろほぎ)」とも言えるこの歌は、セツとハーンにとって最もふさわしい「雅歌」ではなかろうか。
なんと良い名前だろうか。
次回は、東京での生活に進む予定。
ところで、八雲は東京での生活についてどう思っていたのでしょうか?新しい環境にどのように適応していったのでしょうか?
コメントありがとうございます。
ご指摘の通り、八雲は、自分のことより家族のことばかり考えていたようです。
彼自身が家族愛に恵まれなかった反動もあるのでしょう。
東京の生活や八雲の心情などについては、今後の拙ブログにてご紹介しますね。
